羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

個人情報売買解禁

2012年11月29日 09時11分04秒 | Weblog
 本日、2012年11月29日(木)日経新聞朝刊【経済】に、掲載された記事。
【個人情報の売買解禁 新事業創出 後押し 広域PFI(民間資金を活用した社会資本整備)も可能に】
 
『経済対策70の規制改革案 経済対策に盛る主な分野別規制改革案』が表になっていた。

■マネー:新規株式公開に必要な手続き緩和。銀行などの出資規制緩和。
■モノ:民間企業が持つ個人情報の売買解禁。電子輸出申告を24時間可能に。PFI拡大に向けた規制改革
■人:独創的な若手研究者の育成・発掘
■グリーン:水素ステーション設置の規制緩和。スマートメーター普及に向けた通信規制の緩和。
■ライフ:iPS細胞を使った再生医療実現のための法整備
■農林業:国産木材の利用促進

 政府が経済対策に盛り込む規制改革案の記事です。
「企業や病院などが持つ個人情報を匿名化したうえで他の企業に売買できる新ルールをつくり、新商品の開発や新規ビジネスの創出を後押しする」のが目的だとある。

 ビッグデータの記事は最近よく見かけるが、身近なところでは、コンビニで買い物すると、店員がポイントカードをつくるこをしつこくすすめるのは、年齢・性別を特定して個人が何時・何を買ったのかを知るためだそうだ。
 それ以前に、小泉郵政改革からしばらくして、町の郵便局では切手を売ったりする、つまり郵便業務を行う局員は、おおざっぱな客の年齢・性別をレジに打ち込む作業をしていた。近くの郵便局長さんと仲良くしていたので、そうしたデータを打ち込んでいる事を偶然に知った。

 その頃、大学では「個人情報保護法」とやらで、履修カードから記入事項が消えて、殆ど何も書き込む必要がなくなった。そして教員たちは学期末の成績をつける際に、履修カードを自宅に持ち帰ってはいけないことになった。そればかりかそのカードをしまう棚には鍵が設置されて、最後に部屋を出る教員が鍵をかけることになった。

 その後、インターネットの普及で、個人情報はどんどん流れ出し、知らないうちに売買されているという事は暗黙の了解にすらなりつつある。

 この記事によると「情報の出し手側が住所の一部や氏名、電話番号など個人を特定できる情報を削除したデータを作成」とあった。
 しかし、匿名化は本当に担保されるのだろうか。
 
 たとえば「国民健康保険 被保険者証」の裏側に「臓器提供に関する意思表示」という欄がもうけられている。これは究極の個人情報だと思うが、保険証は医療機関にかかる時には提出するだけでなく、個人を証明するときにも使われる機会はかなりの頻度である。こうした情報が、売買の対象になるのだろうか。ある意味、匿名では意味がないでしょ?しかし、これも含まれるとしたら、あらぬ想像をすると、何となくだけれど恐ろしさを感じる。。。。。
 話はズレるが、実は年下の知人で50代女性が亡くなって、臓器提供を行ったことが匿名記事として地方紙に掲載された。喪主の方からの挨拶状に添えられていた。臓器提供を本人が希望していて、しっかり保険証に銘記されて、家族も同意していたことは、まったく知らなかった。記事を読んで、まずは、非常に驚かされ、正直なところ或る種の戸惑いを感じた。一昨日のことなのだ。

 そうしたこともあって、ライフの項にある「iPS細胞を使った再生医療実現のための法整備」に、しっかり目が止まったのだった。

 今日は、ここまで。
 
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何の事はない!!

2012年11月28日 12時44分54秒 | Weblog
 先週末から始まった不自由な暮らしは、20分で解消された。
 何のことはない、シャワーとして使える部分、ステンレスの蛇腹の内側にはゴムのホースが入っているそうだ。
 そのゴムが経年のよって、亀裂が徐々に入りきれてしまった結果、水漏れを起こすようになった、というわけ。
 その部分をそっくり取り替えたら、修理は完了。ピッカピッカ状態で輝いている。
 この家を建てた工務店が、記録に残っている品番を正確に伝えたので、持ってきた部品で修理が終わった。
 地元の工務店に頼んでよかった、と思うことしきり。

 メーカーが説明するところによると、ホースの寿命は6年が目安らしい。
 それならば使用年数の7年半は、持ちこたえた方だといえそうだ。

 で、裏側にある穴は、もともと水を逃すために開けてあるのだと知った。
 なるほど。
 なかなか裏側に目をやることなんてないので、これからはしっかり裏をも見ていこう。

 洗いものも、料理も、不自由を経験して、このくらいで終わればよしとしたい。
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水道水

2012年11月27日 09時31分51秒 | Weblog
 明日の午前中に、メンテナンス会社の人が、修理に来ることになったので、先が見えてホッとしている。
 洗面所から洗いもの用の水を運ぶ重さが気のせいか軽くなった。また調理やお茶にはペットボトル入りの水を使うのにも慣れてきた。使用分量も大方の予想をたてられるようになったことは進歩だ。
 これからの防災用に、どの程度の備蓄をしたらよいのかの見当がたてられる。

 さて、これまで蛇口をひねれば(下側に押す方式だが)浄水器なしで飲める水に不自由しない生活だったことに気づいた。そのまま安全で安心で美味しい水は、これほどありがたいものなのだった。
 たとえばペットボトルの水によって、お茶やみそ汁の味が変わる。なんとなく美味しくないもの、普通のもの、いろいろである。

 おかげさまでこの地域の水道水は、紅茶を入れても美味しい水だったのだ!
 とにかく明日の朝、とんでもない状況でなければ、すぐにも修理完了して、今まで通り使えるようになるそうだ。
 あと一日の辛抱です。
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失ってはじめて気づくこと

2012年11月26日 14時25分46秒 | Weblog
 土曜日に気づいた。なんと台所の水道蛇口、といってもシステムキッチンなので長く伸びた形の元に近いところに直径2センチ弱丸い穴が開いて、水を流すとそこから漏れるようになった。その日は、細く出すぶんには大丈夫なので、そのまま使い続けた。
 昨日、日曜日はオフだったので朝からシンクの掃除をした。
 綺麗になった!と喜んだのも束の間、足下を見ると水が流れてびしょびしょ状態になっていた。
 下水に流す方には問題がない。
 つまり水垢がたまっていたのを落としたために根本から下に、滴り落ちるようになって、それが外に漏れだしてきたのだ、と解った。

 日頃は何気なく料理をしている。洗物をしている。
 水が出せないと非常に不便だ。
 ペットボトルの水を使って調理をする。あれよあれよと言ううちに、空になっていく。これほど水を使っているとは今の今まで知らなかった。
 一方、食後の洗いものは洗面所から湯を運び、溜め洗いの後に流す方法をとった。いかに水を無駄に流しながら洗っていた事に気づく。

 母は外食をしたがらないので、こんな状況でも、三食とも自炊をしている。
 紙皿や紙コップを使わず、できるだけ少ない食器ですむ料理を考えてはいるが難しい。

 週があけて工務店に連絡をとった。そこから連絡をしてもらい、メーカーのメンテナンス係からの返事待ち、といったところだ。

 ここ数日は、知恵を絞って料理し、洗いものをするものと覚悟を決めた。
 家はまさに体の一部。恒常性がいかに大事か、ひしひしと感じる。
 いつもと変わりない日常を生きる!それができたらいちばん幸せなのだ。
 失ってはじめて気づくことって、ものすごく多い。
 
 安心してすえる空気や水。
 安心して植えられる土。
 
 火を自由に調節できる器具。
 ものの命をいただく刃物。
 からだを包む衣服や肌着。
 夜の安眠をもたらしてくれる寝具。

 挙げたら切りがない。
 身近な「もの」は自分のからだの延長だ、という事を身をもって感じている。
 そんな殊勝なことを書きつつ、しばらく不便な暮らしを満喫出来るとはいいがたい。
 早く、なおしてほしい!切に願う。
 ひたすら電話を待っている午後。
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バビロンの流れのほとりにて……そして、みそ汁の香り

2012年11月22日 08時23分38秒 | Weblog
 月曜日、十一月十九日、午前中に明大の授業を1コマ終わって、そのままタクシーで上野まで直行。
 午後、東京藝術大学音楽学部附属高校で、野口体操の講演を行った。
 感性豊かな高校生120名ほど。ほかに主催のPTA・響和会の方々、先生方も混じって、90分の時間は、あっという間に過ぎていった。有意義な時間を過ごさせていただいた。

 で、高校は寛永寺の正門と向かい合っていることから、境内を通り抜けて、野口三千三先生のお墓参りができた。
 九月に行った藝大での集中講義の際は、門前から手を合わせただけだったので、ずっと気にかかっていた。
『野口体操 マッサージから始める』が、ちくま文庫から無事に出版されたこと、文部科学省委託・日本レクリエーション協会主催の『ニューエルダーのための「人生を愉しむカラダ学」』大阪と東京のパネルディスカッションのこと、その他、夏から秋にかけてのご報告をすることができた。

 来年の三月で、没後、十五年。
 こうして空間としての問題だけでなく、寛永寺と地続きにある東京藝大と藝高までお呼ばれるするとは、1998年(平成十年)の春には、予想すらできないことだった。
 東京スカイツリーを背にした墓に手を合わせ、おそらく見守ってくださっていた野口先生と、縁の皆さんへ、感謝の思いをつぶやいた。
 参る人も清掃する人も誰もいない静かな墓地に佇んで、巡る思いはさまざまだった。
 ほっとするという事はこういう心情をいうのだ、としみじみ来し方を振り返えることができた。
「おかげさまです」
 
 突然のこと、若き日に読んだ書名が脳裏をかすめた。
 父親の墓から出発しパリで客死した森有正が奏でたパイプオルガンの音が響いてきた。
 確かあれはバッハのトッカータとフーガだったかしら。
 十一月を通り越して、師走の寒気が流れ込んだ日。
 夕暮れがせまる鴬谷駅から山手線に乗り込んだのは、四時頃だろうか。
 
 五時少し前に帰宅して、コートも脱がずに蔵に入り、本を取り出した。
 そのまま床に座り込んで、慌てる手でページを捲る。目はひたすらに活字を追う。
《考えてみると、僕はもう三十年も前から旅に出ていたようだ。僕が十三歳の時、父が死んで東京の西郊にある墓地に葬られた。二月の曇った寒い日だった。墓石には「M家の墓」と刻んであって、その下にある石の室に骨壺を入れるようになっている。中略。僕は墓の土をみながら、僕もいつかはかならずここに入るのだということを感じた。そしてその日まで、ここに入るために決定的にここにかえって来る日まで、ここから歩いて行こうと思った。その日からもう三十年、僕は歩いてきた。それをふりかえると、フランス文学をやったことも、今こうして遠く異郷に来てしまったことも、その長い道のりの部分として、あそこから出て、あそこに還ってゆく道のりの途上の出来ごととして、同じ色の中に融けこんでしまうようだ。後略。》
 『バビロンの流れのほとりにて』から「パリにて 十月八日」

 必死で生きた十五年。
 二十代には憧れで読んだ一文が、ジーンと胸の奥に染み込んで来る。齢六十三。
 あと、十五年は残されていないかもしれない。しかし、まだ時間はありそうだ。
 これからどこに向かおうとしているのだろう。どんな途上にあるのだろう。かつて予想がつかなかったように、今も先のことはわからない。
「それでいい」と、言葉を胸にしまい込んで蔵を出ると、いつもと変わらない日常が、あっという間に戻ってきた。 
 夕餉の支度をする。溶かし込んだ味噌の香りが、昼食を殆ど食べていなかった臓腑に、鮮やかな空腹感をもたらしてくれた。
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いろいろあって

2012年11月16日 08時46分53秒 | Weblog
 最近、ブログの更新ができなかった。
 時系列は無視して、いくつか箇条書きにしておきたい。

 昨日、幸田弘子さんからお電話をいただいた。
 去る10月19日に「幸田弘子の会 一葉による一葉」を拝見した。
 今回で35年続いた会に、一区切りをつけるという内容の招待状をいただいた。
 上野の本牧亭で第一回の公演を始めて、毎年のこと回を重ねていらした。数回は伺えなかったこともあったが、一葉作品に泉鏡花、瀬戸内寂聴、辻邦生、等、その時々によい作品を楽しませてもらった。
 ピアノの演奏を聴くように、朗読を堪能する。日本に舞台朗読というひとつのジャンルを築きあげた幸田さんとは、本当にながいおつきあいとなった。ひょんなご縁から近しくしていただいた。
 区切りをつけると新しい発想が生まれて、まだまだ朗読はやめません!という強い意志を感じた電話だった。
「断つことは朔じまること」
 山本安英さんとの思い出話を語りながら、ご自身のこれからに意欲を燃やす女優の声は、凛として清々しかった。
 折しも森光子さんの訃報を聞いた翌朝だった。
 
 8月から9月にかけてつきあっていた「MSP」明治大学シェクスピアプロジェクトの「お気に召すまま」の公演が終わった。
 最終日のマチネーを観に出かけた。今年は、現代に生きる若者の解釈で、背伸びした感じがしなかった。
 打ち上げの誘いも受けて、出席させてもらった。キャストの面々とは、顔なじみなっていたこともあって、一人一人にねぎらいのことばをかけたが、それぞれが学生らしい表情にもどっていたことに安堵した。
 毎年、若い情熱を傾けて、およそ3ヶ月半、没頭することがあるのは、きっと卒業後になってそのことの大事さが身にしみてくるに違いない。

 そして訃報が続いた。
 90歳近い叔母を残して、60代のいとこが亡くなった。
 野口体操で知り合った福井の五十嵐淳子さんも亡くなった。体育の指導要領に「体ほぐし」をいれることに尽力した一人だ。私よりも若い方だけに残念。
 
 親戚の法事もあった。
 仏事が続いて、「生死」について思うことが多かった。

 ほかには母の今とつきあって、こちらは徐々に老化が進んでいるが、逃げるわけもいかず、その時々に応じる呼吸がつかめてきた。先の事は案じないことにした。なりゆき任せ、という心境だ。

 授業も今週で折り返し点。丁度、半分までやってきた。年明けはテストやその準備になるので、実質、5回~6回でまとめることになる。毎週の積み重ねは大事だ、といつも思う。

 そうそう、サジさんから、白川静さんの「漢字暦」平凡社、甲骨文字研究のカレンダー復刊版2013年をいただいた。時を同じくしてNHKスペシャル「漢字の誕生」で、中国文明のなかの漢字の重さを知った。未公開映像が流され、甲骨文字の世界が、生々しく伝えられて、今まで以上に文字が持つ底深い意味に驚愕した。ナレーションでは語られなかったが、異民族である姜族との関係を想像すると「鼎」がどのように使われたのか、人間の本質を抉るおぞましさを感じる。この番組では、白川文字学がいっさい語られていなかったことにも学閥の強さを思わずにはいられなかった。

 そしてiPS細胞研究の実用化は、着々と進んでいるようだ。今朝の新聞もテレビのニュースも、心筋細胞の問題を取り上げていた。心筋細胞の臨床において、他の細胞が混じりあうリスクを取り除く研究が成功したという。マウスの実験では問題がない98%の純度とか。ではあとの2%は残るわけ。それ以外にも何が起こるか解らないリスクがある。それでも高度先進医療ニッポンを目指す動きを止められそうにない、ことが鮮明になった。

 残すところ一ヶ月半、今年は収穫の多い年だったなぁ~、と振り返るにはまだはやい。
 選挙もあるし、ここは今後の思案のしどころ、だ!
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iPS細胞の実用化を考える資料提供-2-

2012年11月06日 09時51分59秒 | Weblog
 11月3日朝日新聞、文部科学省が明らかにした「iPS細胞 行程表更新」の記事が掲載された。
 2年以内に細胞備蓄体制、10年以内に立体的で機能を備えた臓器を作成する技術の確立を達成する等々、実用化に向けて一気呵成に踏み出すために、薬事法の改正や安全規制面での基準整備、倫理面での検討加速、そして大学などの研究環境の大胆な改革、若手研究者の育成に向けた研究費の改革を関係省庁に指示した、とある。

 原点に立ってみたい、と思っていたら北村さんから、一つのブログの紹介を受けた。
「わや……だべ」2012年10月10日「ノーベル医学・生理学賞 2012年のサマリー」
『成熟した細胞を、多能性をもつように再プログラムさせうる』
 受賞理由の日本語訳。

 まず、読んでみましょう。
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