羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ウイルスと想像力

2020年02月24日 03時48分21秒 | Weblog

夢を見ていた。

夢の中では、母がしっかり自分の足で歩いている。

夢なんだ・・・・半分、覚醒の中で想っている。

母に話しかけている・・・・目が覚めた。

時計を見ると午前3時半過ぎ。

階下に降りて白湯を口に含む。

舌にピリッと熱さが来た。

こんな中途半端な状態がいつまで続くのだろう。

目を閉じて空気中に漂うウイルスの姿を想像する。

いくら想像しても何も見えてこない。

ニュースで目にするコロナウイルスの写真を思い浮かべてもダメだ。

それでも母のいる施設にウイルスが侵入したら、とんでもないことが起こることだけは想像できる。

母だけではない、一緒に暮らしている方や、親しくなったご家族の方、一人一人の声が聞こえ、表情が見える。

お世話をしてくださっている施設の方々の神経がどれほど過敏になり、いつもよりも何倍も何十倍も何百倍も何千倍もきつくなってくるのかは、想像できる。

私は、何もできない。

もどかしい。

2月27日は母の誕生日だ。

95歳になる。

今までだったら、誕生日に訪ねられないことがあっても、それほどのことはなかった。

その前後で母の手を握って、散歩に連れ出して・・・・

それができない。

恨んでみても始まらない目に見えないウイルスのせいだ。

面会を禁止されて一週間もたっていない。

無期限が辛い。

   ・・・・それに3月末の大事な行事を断念する決断もしてしまった。

   ・・・・断腸の思いとはこのことだ。

 

いついつまでに解除されます、とわかっていれば随分違う。

ウイルスだって形があるのに、普通の目には見えないものが引き起こす現実は想像できる。

いっそ、建物の外で横断幕を掲げて激励し繋がってみようか。

き恥ずかしくもなく「愛してるよ」 書くか?

施設の方には「ありがとう」 書くか?

母には「誕生日おめでとう」 書くか?

FBに「誕生日をお祝いしよう」と書かれて、友人・知人にメッセージを送ることをする。

何気なくそうしていることが、できることが、本当はありがたいことなんだ!

母はスマホを持っていない、その現実の不便さは想像できる。

なんども見えないウイルスを想像してみよう。

聞こえないウイルスの声を想像してみよう。

悪さをしようと思って人の体内に侵入するわけではないのに・・・・

生き物は誕生以来、ウイルスと共生してきた。

いや、人の誕生よりもっともっと前から存在していたんだ、と想像してみよう・・・・

そう想ってみても無理は無理だ。

その存在が引き起こす現実は、今なら想像することができる。

白い防護服を着ている人たちが、建物内に入ってくる現実を想像することはできる。

でも空気中に漂うウイルスの姿は想像できない。

 

引きだしにはふさわしいポストカードすら見当たらない。

朝が明けて文房具屋が開いたら誕生日カードを見つけに行こうか。

それとも母の若い頃の写真を添えた手紙にしようか?

渡してもらえるだろうか。

 

   お母さん、生きていてくれてありがとう。

   お母さん、まだ私のことをわかってくれていてありがとう。

 

想像力の限界の狭間で揺れている私・・・・・2020年2月24日

早く日が昇ってほしい

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自粛

2020年02月23日 13時13分50秒 | Weblog

コロナウイルス感染で、あらゆるところでイベント開催が見送られている。

わが町でも、3月1日に地域の神社でひな祭りと餅つきが計画されていたが中止になった。

小さなイベントなのに、楽しみにしていた子供たちは残念がっているに違いない。

杉並区のホームページには、中止となったイベント情報が掲載されていて、普段は気にもかけなかったが、いくつものイベントが予定され開催されていることを知って驚いている。

 

さて、本日は、母の施設で音楽療法の歌の会が予定されていて、母と参加することに決めていたが、施設の面会が無期限禁止になってしまって足止めになった。

こういう状況に置かれてみると、コロナ感染で隔離されていた方々、そのご家族の方々のお気持ちが痛いほどわかる。

そんなわけで予定がなくなってしまって、なんとも手持ち無沙汰状態に陥っている。

母のところを訪ねることが日課とまではいかないが、すでに習慣になっていて、直接会って手を握って、話をして、外の空気を吸いに公園へ誘う。

それが急にできなくなったことに、これほどのロス感を覚えるとは、今の今まで考えもしなかった。

片付けをすれば良いのだろうけれど、なんとなく気がのらない。

キーボードの脇に置いたままの、施設から郵送された「新型コロナウイルス感染予防対策へのご理解ご協力依頼について」をただぼーっと眺めている。

それじゃダメじゃ!

気を取り直して、散歩にでも出かけよう。

季節外れの暖かさが、嬉しいような嬉しくないような・・・・

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2月中旬から本日までの出来事箇条書き

2020年02月22日 10時34分02秒 | Weblog

我が家の蔵の工事は、ようやく天井がはれた。これから壁の下準備が終わると珪藻土の下塗りから本塗り、最後に床張りという段取りだそうだ。その間に、荷物を二階に戻し、蔵の周りの整地をして、3月いっぱいには、なんとか仕上がるかもしれない。

 

2月19日、母が入所している高齢者施設から電話があった。新型コロナウイルス感染予防対策のため、家族を含めて全ての人の面会無期限全面禁止とのこと。それから数日しかたっていないが、今回、隔離された方、そのご家族の心境が他人事でなく理解できる。20日には、正式の文章が郵送された。

 

同じく19日、斜め筋向いの家に隣接する廃屋が、杉並区でははじめて強制代執行による取り壊しが始まった。この家の母屋は商店街に隣接している。そこにはお一人のご老人がすまっている。何年も前から体を悪くされて介護を受けておられる。母屋に残された木造二階建ての家には、個人で手をつけることが全く出来なくて、隣家の敷地から手作業で解体する措置を行政が取ることになった。初日は大勢の役人や警察官、テレビ局のカメラクルー等々、狭い道に集まって物々しい雰囲気であった。一人暮らしで老いることの現実を知らされて、暗くなった。

 

2月20日、東京国立博物館から電話をもらった。3月28日の「野口三千三先生を偲ぶ会」で、庭園内「応挙館」を借りことになっているが、キャンセルをするのなら早くお願いしたい、とのこと。この庭園内には茶室が数軒移築されて、貸し出されている。続々とキャンセルの連絡が事務所には入っていると仰せになる。こちらから自主的にキャンセルしてほしいような口ぶり、雰囲気を感じた。考えねばなるまい。

 

3月初旬には、蔵の二階の棚に、倉庫に預けてあるものを引き取るのだが、どうしても手放せないものをいかにするのか、非常に頭がいたい。迫ってきている時間が恨めしい。しかし、いつかは踏ん切りをつけなければならない。臍下丹田に集中あるのみ、と心得てはいる。だが現実は、「迷う」の一言。

 

本日は、新井英夫さんが拙宅にお嫁入り先が決まったシタールを取りにきて、一緒に朝日カルチャーへ。

 

以上、生きている実感が身に沁みるいくつかの箇条書きでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三度目の正直・・・成りゆき

2020年02月05日 10時56分32秒 | Weblog

蔵の工事は、ようやく五合目くらいだろうか。

2月末には、ほとんど完成に近い、と言えるといい。

これまで二度ほど、蔵一階の活用を考えたことがあった。

三度目にして、偶然の出来事で、やらざるを得なくなった。

 

様々な職人さん、ものに関わってくれる人々との関わりの中で、「成りゆき」という言葉の持つ面白さを感じている。

成りゆきに任せる、成りゆき次第、・・・・意図したことではない状況で、変化が生まれ“三度目の正直”が実現しつつある。

なるようになる なるようにしかならない 

周りの環境もそろって、今回は、成るように成る ようである。

10年前だったら手放せなかったものも、多少の躊躇感を伴いながらも、思い切りよく“さよなら”が言える。

これが10年後だったら、ものに押しつぶされて、呆然とするに違いない。

 

明るいため息をついている「今」、という時を挟んで、前後10年という時間は、微妙なスパンなのだと気づかされた。

10年ひと昔とはよく言ったものだ。これが5年では少々比較になりにくい。

時代の変化は10年どころか、もっと短い時間で急激に進んでいる。

としても今回の出来事の「成りゆき」は10年単位でちょうどいいかも。

この言葉の含蓄が、身に沁みる令和二年の立春であった。

 

さてさて、手元から離れて嫁入りしたものたちも、ほぼ落ち着いた頃だろうか。

残るは、一番の懸案、最後のものとのお別れが控えている。

これも成りゆきに任せてみよう。

 

この半月ほどに体験したものとの別れを通して、これまで生きてきた道程が透過されるから面白い。

果たして三度目の正直の行方には、どんな色合いの出会いがあるのだろう。

「断つことは 始まること」

野口三千三先生の言葉だ。

御意!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする