夢を見ていた。
夢の中では、母がしっかり自分の足で歩いている。
夢なんだ・・・・半分、覚醒の中で想っている。
母に話しかけている・・・・目が覚めた。
時計を見ると午前3時半過ぎ。
階下に降りて白湯を口に含む。
舌にピリッと熱さが来た。
こんな中途半端な状態がいつまで続くのだろう。
目を閉じて空気中に漂うウイルスの姿を想像する。
いくら想像しても何も見えてこない。
ニュースで目にするコロナウイルスの写真を思い浮かべてもダメだ。
それでも母のいる施設にウイルスが侵入したら、とんでもないことが起こることだけは想像できる。
母だけではない、一緒に暮らしている方や、親しくなったご家族の方、一人一人の声が聞こえ、表情が見える。
お世話をしてくださっている施設の方々の神経がどれほど過敏になり、いつもよりも何倍も何十倍も何百倍も何千倍もきつくなってくるのかは、想像できる。
私は、何もできない。
もどかしい。
2月27日は母の誕生日だ。
95歳になる。
今までだったら、誕生日に訪ねられないことがあっても、それほどのことはなかった。
その前後で母の手を握って、散歩に連れ出して・・・・
それができない。
恨んでみても始まらない目に見えないウイルスのせいだ。
面会を禁止されて一週間もたっていない。
無期限が辛い。
・・・・それに3月末の大事な行事を断念する決断もしてしまった。
・・・・断腸の思いとはこのことだ。
いついつまでに解除されます、とわかっていれば随分違う。
ウイルスだって形があるのに、普通の目には見えないものが引き起こす現実は想像できる。
いっそ、建物の外で横断幕を掲げて激励し繋がってみようか。
き恥ずかしくもなく「愛してるよ」 書くか?
施設の方には「ありがとう」 書くか?
母には「誕生日おめでとう」 書くか?
FBに「誕生日をお祝いしよう」と書かれて、友人・知人にメッセージを送ることをする。
何気なくそうしていることが、できることが、本当はありがたいことなんだ!
母はスマホを持っていない、その現実の不便さは想像できる。
なんども見えないウイルスを想像してみよう。
聞こえないウイルスの声を想像してみよう。
悪さをしようと思って人の体内に侵入するわけではないのに・・・・
生き物は誕生以来、ウイルスと共生してきた。
いや、人の誕生よりもっともっと前から存在していたんだ、と想像してみよう・・・・
そう想ってみても無理は無理だ。
その存在が引き起こす現実は、今なら想像することができる。
白い防護服を着ている人たちが、建物内に入ってくる現実を想像することはできる。
でも空気中に漂うウイルスの姿は想像できない。
引きだしにはふさわしいポストカードすら見当たらない。
朝が明けて文房具屋が開いたら誕生日カードを見つけに行こうか。
それとも母の若い頃の写真を添えた手紙にしようか?
渡してもらえるだろうか。
お母さん、生きていてくれてありがとう。
お母さん、まだ私のことをわかってくれていてありがとう。
想像力の限界の狭間で揺れている私・・・・・2020年2月24日
早く日が昇ってほしい