羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

一月も終わり・・・近況

2018年01月31日 09時28分47秒 | Weblog
 2018年、早くも1月最後の朝を迎えた。
 昨日は、母の年金問題を解説するために、9時前から動き始めた。
 高円寺南・環状7号線の通りの面している「年金機構事務所」で書類をもらう。
 駅前の銀行と郵便局、それから母が入所している施設で書類提出。
 そのまま中野駅から中央線で新宿に出て買い物。
 続いて地下鉄丸ノ内線で南阿佐ヶ谷下車。長い階段を上るとその真上に杉並区役所がある。
 区役所内二箇所で手続きと問い合わせを行って徒歩で帰路につく。
 12時15分には帰宅できた。

 iPhone・ヘルスケアの記録を見ると、ウォーキング距離は6・7㎞、歩数は8717歩、上った階段7階あった。
 1月4日に群馬取材のおおよそ半分の記録。
 ちなみに、4日はウォーキング距離は15㎞、歩数20068歩、上った階段16段であった。
 どこまで信用できる数なのだろうか?
 それでも昨日は、群馬の半分程度の実感はある。
 言えることは、群馬も昨日も、歩いた翌日の体調は非常に良い。 

 前日に各所に電話で問い合わせたときに聞いた面倒な話は、直接に出向いてみるとスムーズにことが運んだ。
 長らく続いていた懸案事項が解決したことで得られた心の軽さも、快調に一役買っているのかもしれない。
 郵送やインターネットでほとんどが済む時代になったとはいえ、機構事務所を訪ねてみると裏技等も教えてもらったり、役所も同様に親切で丁寧な対応をしてもらえた。

 実は、疲れを感じないで行動できるもう一つの理由に心当たりがある。
 これが一番かもしれない。
 母が施設に入ってくれたことで、帰宅時間を気にせずに動くことができるようになったこと。
 所用時間は変わらなくても、急かされないだけ、楽になって、疲れなく歩けることに驚く。 
 その時は夢中だったから気づかなかったが、自宅介護はものすごく大変だったのだ!
 今にして思う。
 こわいのは共依存関係がいつの間にかできてしまって、そこから抜けられなくなること。
 限界を感じるまで、一歩、踏み出せない自分がいたことだ。

 ********

 昨年12月から始めていた「野口体操の会」会報 「早蕨 SAWARABI」Vol.2 2018年3月7日発行は、校正を終えて印刷に出す前の最終作業に取り掛かっている。
 ここからは佐治さん一人の作業となる。
 2月中には会報が出来上がってくる予定で動いている。

目次
 巻頭言「青森から・・・野口体操”社会化”ミッション」 羽鳥操
 私と野口体操ーピーター・ファン・ヴェイクに聞く
 私家版 野口三千三伝−2「祈り・・・父の太鼓」羽鳥操
 NEWSー2017年早蕨塾  第1回・國廣哲也 第2回・藤田一照
 野口三千三語録抄/解説:羽鳥操 英訳/近藤準介
 SAJI’s PHOTO GALLARY ・2018年早蕨塾の予定 編集後記 二階のぶ子

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 年を越えていくつかの問題も解決して、2018年も本格始動した。
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2018年1月27日 朝日カルチャーセンター土曜日クラス

2018年01月28日 12時51分26秒 | Weblog
 先週の土曜日、朝日カルチャーの「野口体操講座」には、17歳の高校生から、70代の男性まで、その間を20代・30代・40代・・・・半世紀の年齢差の方々が、参加してくれた。
 高校生は、さまざまなボディワークを1年間かけて研究し、リポートするために昨年に続いて2回目の参加だった。
 クラシックバレエ・コンテンポラリーダンサーでもあるらしい。
 動きのセンスはたいへんにいい好青年である。
 どんなリポートになるのか、楽しみである。
 多少、難しいことも承知していたが、『野口体操・感覚こそ力』「皮膚に包まれた液体を実感する」『原初生命体としての人間』第1章 「体操による人間変革」からテーマを選んだ。
 液体のイメージを膨らませ、実感を持ってもらうために、「海面」に触れてもらった。
 まず、完全に乾いた状態から、、水(湯)をはった洗面器に浸してみる。
 一瞬にして水を含み、その手触りの変化と形の変化(液体がものの形を安定させる例)を味わってもらう。
 それから含んだ水を絞る。とことん絞っても海綿はちぎれない。そしてすぐ形を戻す。
 この何通りもの変化を実感してもらった。
 初めての方はもちろんのこと、二度目の方であっても、海綿の変容の幅と変化するスピードの速さと復元力に驚き・感動する。

 トライアルの年配男性の方は、戸惑い、馴染めない感じを素直に表していらしたが、中盤からはマイペースで楽しまれていたことが印象に残った。
 教室を出られる時には、にこやかな表情に変わって、更衣室では長年続けている方々と、楽しげに会話されたと聞いた。

 板書したレジュメをここに貼り付けておきます。

********

2018年1月27日(土)朝日カルチャー「液体的なからだ」

前提:「違いがわかる○○」

『野口体操・感覚こそ力』「感覚(違い)」と「意識(同じ)」(養老孟司『遺言』)は、野口体操の中心的課題だ。
『差異ということは、あらゆる「存在・認識・表現・動き・働き」の前提条件である。というより差異がなければどんな現象も起こらない』野口三千三

本日のテーマ:皮膚に包まれた液体を実感する

◆ 『生きている人間のからだ、それは皮膚という生きた袋の中に、液体的なものがいっぱい入っていて、その中に骨も内臓も浮かんでいるのだ』『原初生命体としての人間』岩波現代文庫 第1章 体操による人間変革12ページより
◆ 自分のからだはあくまでも皮膚を含めた内側。働きは中身の変化創造。メジャーの数値や視覚的なものを中心としない。
  触覚的なもの→体性の深部感覚(筋・腱・関節による感覚)(最近の研究ではFascia 羽鳥)や内部感覚を中心にして捉えたい。
◆ 「海綿」乾いた状態→水をはった洗面器にひたす、水をふくんだ海綿・水を完全に絞ってみる・再び水を含ませる。変化の実態を味わうと・・・・・。
◆ 暑くても寒くても、からだは固くなる。本日は、ほぐしましょう。
◆ 立位によるほぐし、座位によるほぐし、そして「腕立てバウンド系」のほぐし、「ヨガ逆立ち」へつなげてみよう。
 (以外かもしれませんが、野口体操の「ヨガ逆立ち」のやり方では、からだの芯から丸ごと全体がほぐれます。)

* 『君たちは どう生きるか』原作:吉野源三郎 漫画:羽賀翔一 から・・・・
* 一気に読んだベストセラー漫画本。
* 失職中のおじさん、という存在が、少年にとって意味がある設定が憎い。シンプルに大切なことを問いかける本。
* 時代背景を思う。日本の基幹産業としての繊維産業。蚕や生糸の例。またナポレオンがたとえとしてひかれていた。
  『人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的気魂を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ』、むすびの言葉より。

✳資料:
  岩波書店『古語辞典』大野晋編より「ありがたし(有難し)」有ることを欲しても、なかなか困難で実際には少ない、無いの意味。
  稀なことを喜び尊ぶ気持ちから、今日の「ありがたい」という感謝の意に移る。
  ありそうもない。めずらしい。なしがたい。むつかしい。尊い。かたじけない。

 以上。
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寒中お見舞い

2018年01月26日 08時26分08秒 | Weblog
 東京も朝晩は氷点下の日々。

 みなさま、寒中お見舞い申し上げます。

 暑くても寒くても、からだは固くなりますから、こまめにほぐしたいものです。

 明日の朝日カルチャー土曜日クラスは、丁寧にほぐす時間にしたいと思います。
 一人で、時には二人で、みなさんとともにホットな時間を過ごせたらよいですなぁ〜。

 では、本日もお元気で。
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野口体操はアートだ

2018年01月25日 12時04分33秒 | Weblog
 養老孟司著『遺言』は、ご自身の幹の部分を示した憲法のようなもの、と日経新聞のインタビューに答えている。
 先日、朝日カルチャー日曜クラスのレッスンで、「野口体操はアートだ」という言葉が伝えられたのは、養老インタビューの記事がきっかけだった。

 と言われても、何のことやら?疑問に思われるだろう。
 私とて、論理的に、いや手短に書きたいところだがむずかしい。
 忘備録として、書き始めてみようと思う。

 インタビューに答えて、養老先生は次のように語っておられる。
《感覚優位の動物に対して「人間は意識に従っており、現代は感覚を使わなくなる方向へと向かっている」》

 感覚は「違い」を見つけそれに従う。
 一方の意識は「同じ」にまとめる働きする。
 感覚と意識は全くベクトルの向きが真逆なのである。

 そこで引いてくる養老先生の例えはわかりやすい。
 ここにリンゴが3つあったとする。
 3つののリンゴは、それぞれ違うにもかかわらず、3つとも「同じ」リンゴとして認識する。
 これが意識の働きでそのものある、とおっしゃる。

 では、目先をズラして、野口に話を振ってみる。
 野口体操は、「感覚こそ力」なのである、から始めたい。
 そのことは野口にとっては、体操に限らない。
 例えば、感覚優位傾向に、こんなエピソードがある。

 朝日カルチャーセンターがある新宿住友ビルは、開業当時から相当に長い間、地下街は日本有数”宝石の街”であった。
 多くの宝石店が入っていて、みごとな宝飾品が並べられていた。
 当時は48階でレッスンをしていた。
 レッスンが終わって、理由はわからないが、帰りのエレベーターは一階ではなく、地下まで降りて、エスカレーターで一階に上がってビルから出る。
 当然、宝石街を通ることになる。
 野口は、その頃からすでに鉱物に関心を深めていた。
 そこで、宝石店の中でも「ラピスラズリ」だけを扱っている店に通い続けた。
 店主はラピスラズリ信仰を持っている人で、砂漠の夜空を写し取ったようだ、と形容される”アフガニスタン産”の選りすぐった石を収集していた。
「これを身につけていると健康になれる・幸せになれる」というパワーストーン信仰だったのだ。

 店主と昵懇になった野口は、ある日のこと百八つの数珠を注文した。
 大喜びした店主は、108個のラピスラズリ全てが、瑠璃色・一色で揃った良質の玉で作る約束をした。
 そこで、野口曰く
「瑠璃色の中に黄鉄鉱の銀色と金色の混ざり合ったような部分があるのがいいんです」
 そう主張して譲らない。
 店主との間に気まずい空気が流れた場面に、私は遭遇した。

 しばらくして出来上がってきたものは、瑠璃色に黄鉄鉱の色や他の鉱物の白が少し混じっている野口好みの数珠であった。
 流石にお客の要望を聞くのが御商売である、と私は何となくおかしかったことを記憶している。

 実は、その後、アフガニスタン産のラピスラズリは、輸入されなくなった。
 皮肉なことに、他の地域からのラピスが入ってくるようになって、価格が驚くほど下がったのである。

 もちろん野口が関わっていた新宿で開催される「ミネラルフェア」でも、多くのラピスラズリが出品されるようになった。
 あの人にも、この人にも、大好きなラピスをプレゼントしよう。
 野口は心踊らせた。
 相手を思い浮かべながら、ラピスの標本を増やしていった。

 さて、それからが大変だった。
 手に入れたラピスを並べて、どれを誰にあげるのか、思案を始めた。
 いくつもの石を、手にとっているうちに、次第に目利きになってしまう。
 微妙な違いに気づき、目利きになればなるほどプレゼントへの意欲が失われていった。
 手放せなくなっていくのである。
 結局、手元に同じようなラピスラズリが溜まっていく結果を招いた。

「自然のものには、違いがあるのよ。良い意味で不揃いで不純物がいい風景を石に描き出すんだ」
 それが格別の味わいとなる。

 さて、再び、養老先生の話に戻そう。
 
《人工的な建造物が立ち並ぶ都会は意識の塊だ。「『同じ』であることに立脚するから『違い』を前提とするアートが解毒剤として盛んになる」》 
 都会の人間が鉱物に魅せられるのは、自然が作り出す一つ一つの微妙な違いがあることで、鉱物や石にアートに近い感動を覚えるからに違いない。

『自然直伝』『感覚こそ力』の野口体操も同様だ!
 好意的な方から言われることを思い出した。
「野口体操は芸術なのよ」

 同じ価値にまとめ上げようとしない「個の自由を求める体操」に居心地の良さを感じる人は少なからずいる、というわけだ。
 野口体操の特徴を挙げれば・・・・・

 一方向(全体主義)に、意識をまとめるのに役立つ制服はなし。
 動きを外側のリズムに合わせるための音楽はなし。
 たった一つの理想の「型」を求めないので鏡はなし。
「人とは、微妙に違っていいい!」
 人は自然の存在なのだから。

 定義は一つではない。
 数値化、計測化、平均値を頼りとする理想の身体(肉体)を求めてはいない。
 それぞれが自分の価値観を持つことが大事なのだ、という姿勢を野口は貫いた。

 枕が長すぎる落語のようだ。
 ここからが本題。
 せっかくお付き合いいただいたのだから、最後までお読みいただきたい。

 先日の日曜日には、ここまで書いてきた”違いがわかる男・野口三千三”の収集傾向がそのまま現れている貨幣コレクションを持って行った。
 実際に、見てもらい、触ってもらい、舐めることだけは控えていただくが、感覚を総動員してで味わってもらった。
 シェルマネー、貨幣代わりの古代ガラスネックレース、トルコ石の石貨、中国・オーストラリア・日本の記念硬貨等々。
 見た目にはバラバラであるけれど働きは同じ、”貨幣”である。
 時代も国も異なる多様な価値を秘める、紛れもない貨幣なのである。

 どなたも思もう。
「たった一言、”貨幣”といいう言葉でくくるには多様性がありすぎる」

 野口の集めたものだから、そつなく貨幣を揃えているのではない。
 いわゆる貨幣コレクションとは異なっている。
 しかし、それぞれがもつ意味は、価値の多様性を示している”貨幣”に違いなかった。

 そういう集め方を、野口はしているのである。
 コレクションのためのコレクションではなく「人間にとって貨幣とは何か」を探るのが主眼である。
 もっと言えば、野口自身の身体感覚を通して、はかられた貨幣なのである。
 身体感覚をフル回転させるところに体操につながる意味が潜んでいる。

 貨幣を一つ一つ味わうことで、「感覚こそ力」をそれぞれが実感するのである。
「野口体操はアートである!」
 居合わせた方々は、体操に引きつけて、それを実感として得られたような反応をくださった。

「これがなんで体操?」
 その疑問は、次第に納得に変わっていった。
 養老先生のおかげでもある。
「感覚は違い」を、「意識は同じ」を、という言葉の意味が腑に落ちたのだ。

 中国殷代のキイロタカラガイ・シェルマネーから、石貨、硬貨。
 そしてすでに始まりつつあるデジタルマネーまでの話に照らし合わせることで、それぞれの自分自身のからだと、体操の見方が変わったようだ。
 繰り返します。
「野口体操はアートだ」
 よし、それでいこう、と私は密かに心に誓った。
 平成30年1月21日の日曜日のことだった。
 
 長々と書いた本日のブログは、1月20日の続きであります。 
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殷代の貨幣・子安貝から「仮想通貨」へ 野口の貨幣コレクションが教えること

2018年01月20日 09時14分52秒 | Weblog
 足元の暮らしと老後暮らしにとって、至極大切なこととして「通貨」、電子マネーについて、私の中で関心が高まっていた。 
 今朝、野口三千三の声が聞こえた。
「僕はね、物々交換が基本だと思ってる。数字のやりとりは、御免こうむりたい」
 最後まで、謝礼の受け取りとしては銀行振り込みではなく、現金で受け取っていらした。
 で、晩年、わずかながら貨幣を集つめていらした。

 その興味は、装身具から始まった。
 子安貝を使ったものは、つまり中国殷代の貨幣だったことに由来する。海のないところで貝は希少価値があった。
 したがって漢字の世界では、「貝」がつく文字は、かなりの数にのぼる。
 甲骨文字の「貝」は、割れ目のある子安貝の象形文字。貝を交易の貨幣に用いた。
 貞、負、貢、財、貨、貫、責、貪、貧、貶、賽、賀、貴、賜、買、費、貿、資、賊、賃、賄、賂、賄、賑、賛、質、賞、賤、賭、賢、贄、贄、贈、贋、贐、
贔、屓、贖、・・・・・・・・。

 なぜ、子安貝だったのか?
 貨幣の条件は、この希少価値があることだが、無尽蔵では困るが、ある程度の量が必要である。
 形や重さが揃っていること。持ち運びが楽であること。そしてもう一つの条件は、美しいという美的な価値を有していること。

 ボリビアの貝の貨幣は、非常に重く大きものがあるがそれは権力を示すものだ。

 そして、鉱物を貨幣にするには、技術が必要である。
 技術文明の世界に委ねられる。
 例えば、均等に切断できる技術、研磨技術、穴を開ける技術、等々。

 貨幣の歴史は、文化人類学のテーマである「交換・贈与」に関わっている。
 新しい技術が登場するたびに『貨幣は姿を変えて、時代を牽引するものである』
 では、今、問題になっている「仮想通貨」「ビットコイン」「電子マネー」は、どのように捉えたらよいのか。
 泉下の野口の声が聞こえる。
「そこまでいったら、人類は危ないぞ!でも、文明を見直す大きなキッカケになるだろう。これでよいのか?モノといしての身体感覚を失っていく暮らしでよいのか。どこかでバランスをとる方策はいらないのかね!」

 その声を受けて、考える資料を手元において、読み返している。
 2018年1月18日(木)朝日新聞「デジタルの行方」、岩井克人(経済学者)の記事。
《ビットコイン的な技術は両刃の剣です。少し設計を変えれば作家ジョージ・オーウェルが『1984年』で描いたように、『中央』が全ての取引を把握できる超管理社会の道具としても使えるようになる。ところが市場経済、そして民主主義的な社会がうまく機能するには、個人の自由が確保されなければならない》
 大事なことは、公的な管理と個人の自由とのバランスであると、いう。
 自由放任のビットコインがダメだからといって、『中央』によるデジタル通貨だ、そのように極端に触れる必要はないという。

 もともとビットコインの論文は、サトシ・ナカモトによる。
《背景にある思想は、昔からコンピューターの世界の底流にある、リバタリアン的な自由主義であろう。技術によって、権力からあらゆる規制を乗り越え、真に自由な世界を実現しようという理想主義的な考えだ方だ。情報技術を先導してきたキーパーソンの多くは、程度の差こそあれ、この種の理念を共有してきたように思う》
 そう語るのは、神里達博(科学史・科学技術社会論)である。

 本日の、朝日カルチャーには、持てるだけ持って行こう、と思っている。
 とにかく、コレクションは重い、のであります。
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ふりむけば君がいて・・・・ちゃうちゃう・・・・

2018年01月19日 08時24分09秒 | Weblog
「ふりむけば君」でなくて、「ふりむけばペーパーレス!」
 昨日、午前、二つの仕事を無事に終えた。

 一つは、大学の成績Web入稿である。
 冬は、大雪を想定して、一週間前倒しで、実技テストを実施、同時にリポート提出してもらっている。
 おかげさまで、Web入稿作業に不安はなくなったが、始まった当初は心臓に悪かった。
「これでいいのか」
「外にもれないのか」
 あらぬ心配をしたものだった。
 Web入稿がなかった頃は、根拠はないにも関わらず日本の郵便に絶大な信頼を抱いていた。
 そういうものだ、とずっと思い込んでいた。
 実は、大学にもバラツキがあって、全てが同時期にWeb入稿が始まったわけではない。
 特に、Macではシラバスなども入稿できない時もあった。むしろ懐かしい。

 二つ目はDrop Boxである。
 1月16日をもって「ご対応のお願い。ご利用のOSのサポートは終了します」
 つまり、Mac OS10・8以上にバージョンアップをしなければならない。
 今回のバージョンアップを行なった一つの理由でもあった。
 いざ、作業をするためにDrop Boxのサイトに入っていたものの、どこを探しても手続きができそうなところが見つからない。
 またまたアップルサポート、シニアアドバイザーのお世話になって、安心して使えることがわかった。
 パソコン上で作業をするにあたって、どこをどう開いたら良いのか、指導を受けないと手も足も出ない。
 シニアアドバイザーさまさまである。

 さて別件。
 昨日の新聞で、銀行も紙通帳ではなく、インターネットバンキングに移行するらしいことを読んだ。
 仮に紙に固執すると、今まで無料だった通帳発行が有料になる可能性が高い。
 その事情が書かれていた。収益が上がらない銀行の事情から、移行したい理由がわかった。

 現金信仰が根付いている日本では、インドのように突如、高額紙幣を廃止することはないと思う。
 しかし、電子マネーに移行する日も、思っている以上に早いのかもしれない。
 通帳もカードもいらない。
 スマホだけで事足りる時代は、もう迫っていると覚悟した方がよさそうだ。

 でも、今朝の日経新聞「愉楽にて」林真理子 を読んで、そう簡単に移行しそうもないわ、と思った次第。
 妻に情事を悟られないために、高額のホテル代をクレジットカードを使わず現金で支払う話だった。
 カード請求書では、男のプライベートがあらかた見える仕組みになっている。
『洋服代以外はほとんどキャッシュで払っている』そうだ。

 お金に色がついてくる時代、これからどうなるのだろう?
 朝から、(不謹慎な)笑いを新聞小説は誘い出す。。。。。。。。。

 何もかも「ふりむけば君がいて、ちゃうちゃう・・・・ふりむけばペーパーレス」なのである。
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バージョンアップの後遺症

2018年01月16日 18時44分59秒 | Weblog
 Mac OS High Sierra インストールのお知らせが、 デスクトップ上に現れたので、ついなにげなく作業を行ってしまった。
 以前ほどではなかったが、3時間近くかかっていたようだ。
 無事に終わって、印刷をしようと思ったら、またまた使用できなくなっていた。
 同じような現象だったので、手順を思い出しながら、自分で解決しようと試みた。

 しかし、なかなか成功しない。
 仕方なく、キャノンに電話をして相談した。
 やっているうちに、今回はさらにハードディスク・Macintosh HDのなかを修正する必要があるということになった。
 これがまた厄介で、なかなか思うようにいかなかった。
 結局、Appleサポートでも教えてもらうこともあって、キャノンと行ったり来たりして、ようやくプリンター使用可能になるまでに、数時間を要した。

 いやはや、コンピューターのことを何も知らないまま、言われたままに作業をしている。
 より深いところまで手をつけなければならず、以前にもまして大事になった。

 コンピューターに限らず、最近、行ったいくつかの問題解決は、人様の力をかりて、知識を得て、なんとか落としどころに到達しているようだ。
 サポートやコンサルタントしてもらうことは、私にとってなくてはならない。

 とにかく大海を航海してる船に乗ってしまって、途中で降りられない、そんな思いに駆られている。
 この数日間で、「タイムバンク」が事業として成り立つ意味がわかってきたような次第であります。

 
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書き言葉・話し言葉・・・・そして

2018年01月16日 07時21分31秒 | Weblog
 岩波書店の広辞苑が、改訂されて第七版となった。
 社会に定着した新しい言葉を大量に増やしても、辞書の厚みは変わらないという。
 紙の技術革新で、薄くても丈夫な製品ができるようになった。それを採用することで、厚みが抑えられた、という話をニュースで聞いた。

 本日の新聞では、「LGBT」の説明に間違いがあった、とか「スメハラ(スメルハラスメント)」は載っていないなど、連日のこと広辞苑第7版が話題になっている。
 しばらく前には、発売記念として「広辞苑大学」も開設される、といったこともニュースになっている。
 養老孟司先生もお名前を連ねていらっしゃったので参加したいと思ったものの、申込条件は、第七版を持っていることだった。
 以前なら、正確にいうと、野口三千三先生がご存命なら、事前予約で手に入れていたこと間違いない。
 そして、いの一番に参加申込すると思う。
 ところが心が全く動かない状態だ。

 今やPCで文章を書くときに、辞書機能とGoogle検索を、同じデスクトップで利用している。メガネを外したり、老眼鏡に掛け替えたりすることもなく読めるのでとても便利だ。
 というわけで広辞苑を引くことは、よっぽどの言葉の場合に限られてきた。
 例えば、読めない漢字熟語を調べるときなどでも、あたりをつけた音で一文字づつ見付け出し、PCの国語辞典で調べる。
 それがそれほど手間いらずで、できてしまうのだ。
 これが広辞苑だと、漢和辞典で調べてから、戻って言葉の意味にたどり着く。といった面倒な手順を踏むことになる。
 以前なら、少しも面倒ではなかったが、環境が大きく変ってしまった。
 というわけで、しばらく広辞苑第七版を手元におく強い気持ちが起こってこないのが正直なところである。

 さて、言葉に関連して、ごく最近に失敗したことがある。
 というか若い女性の気持ちに添えなかったことがあった。
 先日、母の施設に近所の美容理容専門学校から、年配の男性教師が男女一組の若い学生を連れて、ハンドマッサージとネイルにきてくれた。
 ちょうど私が母を訪ねたタイミングで順番が回ってきた。
 一階の多目的空間に行くと、男性の先生がマッサージを、女性の学生さんがネイルを施していた。
 見ると、おしゃれなおばあさんが長ーく伸ばしている爪に、目にも鮮やかな真紅のネイルが塗られて、完成間近だった。
「食事の時、不便だろうし、介護士さんに介護される場面で爪がひっかかたら痛そうだー」
 などと老婆心が先に立つ私だったが、席を立つ時のおばあさんの嬉しそうな若返った表情を見て、声を聞いて「これでよいのだ!」と、瞬間的に偏狭な考えを改めた。
「でもー」という気持ちいは、拭えなかった。微妙だ!

 そうこうするうちに、母が呼ばれた。
 若い女性が担当してくれる。
「ネイルしますか?」
「いいえ、やりません」
 本人がきっぱり断っていた。
「学校に行くのに、マニキュアはいけません」
 一斉に笑いが起こった。トンチンカンではあったが、みんなにはギャグに聞こえた。
 そこでハンドマッサージだけを受けることになった。
 若い女性は、ハンドマッサージに自信がなく、ネイルをしたかったようだ、と表情から読み取れた。
 それでも、母の手のマッサージをはじめていた。

 そこで、ちょっと手が空いた男性教師の方に話しかけた。
「古い学校ですよね」
「そうです。もう65年以上もたちますから」
 先生と私の二人の会話はそれで通じていた。

「東京では、山野愛子美容学校が、戦前から有名ですが、その次くらいに古い学校ですよね」
 私の中でも、先生の中でも、この言葉が隠れたまま会話が成立していた。
 したがって、東京でも長い歴史を持ち、信用ある専門学校の皆さんがきてくださっている、という意味だった。
 
 ところが若い女性には、その言葉は全く伝わらなかったようだ。
 一言「歴史ある」と言えばよかったのだろう。
 省略してしまったことで、若い女性は尊厳を傷つけられたらしい。

 彼女の不機嫌さを思ったが、時すでにおそし!
「古い」という言葉は、彼女にとって「遅れている学校」と同義語だったに違いない。
「歴史と伝統に裏打ちされた学校では、最新の技術と革新的な美意識で、美容理容界を牽引している。そうした自負のもとで学んでいらっしゃるのね」
 そう思った上での言葉だったのだが、言わなければ通じない、と反省した。 
 しかし、私の顔の表情や声の調子を聞けば、わかってもらえる、と思うのがいけなかった。
 演技力を発揮して、表現すればよかった。それとも年齢差を考慮して、外国人に話をするように、丁寧に話をすればよかった。
 そこまで気をまわす余裕がなかった。
 そこまで考えると、話すことは躊躇われる。

 思い出すのは、亡くなった友人の口癖が「早い話が」であった。その言葉が彼女の口から出ると、身構えたものだった。
 早い話どころか、とても長くくどい言い回しなのである。
 気づいていたのか、いなかったのかはわからないが、友人は恐れず自分のペースを崩さずに話す人だった。
 それに引き換え、会話になるとリズムに乗って言葉を省略する癖が出る、と二度目の反省しきりの私である。

 さて、ここまでの話を、強引にまとめたい。
 広辞苑がこれほどテレビニュースや新聞でとりあげられ、そのことに対して私自身が非常に気にかかる理由は、「書き言葉にしても話し言葉にしても、しっかり気配りしていなければいけないよ!あなたはこの頃、両方とも疎かにしてるでしょ」
 野口先生のお叱りを聞いている、その代わりだ、ということに気づいたのである。
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Mac OS High Sierra 10.13.2

2018年01月15日 07時08分48秒 | Weblog
 新しいヴァージョン、第一段階に慣れてきて、浦島太郎状態が消えつつある。
 ようやく気づいたことは、おととしiPhoneとiPadを買い替えたが、その二つの操作・使い勝手に似ていていること。
 それ以上に機能が進化しているところがあること。

 今でも迷うことがあるけれど、文字入力は、一段とスピードアップした方法がとれるのだった。

 何より驚くことある。
 7年前にこのPCを使いはじめて、マウスではなくトラックパットに変更した。
 5本指で操作できるので、気に入っている。
 今回のヴァージョンアップによって、さらに使い勝手が進化していることが、日に日にわかってきた。
 例えば、カーソルを必要なところに移動しただけで、指が触れているので、すっと開いてくれる。
 そのタイミングが合わないと、開かなくてもいいものまでどんどんデスクトップ上に開かれてしまう。
 とにかくトラックパットに指を乗せて極軽くタップするだけいい。
 それがなかなかつかめなかった。

 思わぬところで、いろいろな指示が現れる。それも驚き。
 何れにしても、もう少し慣れるまでアタフタするような気がしている。
 iPhoneやiPadよりも、使い勝手は良いのかも知れない。

 落ち着いて、落ち着いて、と声に出さず言い聞かせながら、iMacに向かっている。
 さらに気づいたことがある。
 デスクトップを見る目の高さが高くなって、急に姿勢がよくなった。つまり直立姿勢なのである。

 さらにさらに、文字の変換の意味がすぐ現れて、意味を調べるとができるのは、発見だった。 
 文字変換も自ら学んで、これまでに打ち出した言葉を記憶して増やしてくれている。
 おー。驚きであった。

 いかにも7年も放っておおいたことに、自分が呆れている状況までに至った、というようなわけです。

 この世界、どこまで進化?変化?し続けるのだろう。
 ちょっとやさしく触れるだけの触れ方!に慣れてきましたのヨ!

 さらなるヴァージョンアップは、今は、ストップしておきたい。
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4回目の初詣 ご利益を求めて

2018年01月14日 15時23分42秒 | Weblog
 昨日は今年最初の朝日カルチャーセンター土曜日の初日だった。
 いささか過激発言をしてしまった。ここでは決して書けない内容だ。
 ただ、みなさん表情は、同感です、という方がおおかったように感じられた。

 さて、1月9日の日経新聞「フィンテック 社会一変」を紹介した。
 例えば、2020年には個人のスマートフォンで公的な書類など本人確認が可能。
 2025年には病院や郵便局で仮想通貨支払いが可能になる。
 2026年にはコンビニがレジなしになる。

 認証は自分の身体でするようになって、買い物もSNSもタクシーも読書も行動パターンがクラウド、雲のうえ。

 2030年にはお財布から現金が消えて紙幣は全面廃止になるという。

 先を行っているのが中国で、カードをパスしてすでにスマートフォンで決済する社会になっているという。
 一年に何回も中国出張をしているSさんに発言をお願いした。
「タクシーが、お年寄りを乗せたがらない状況が起きています」
 スマホを持たないお年寄りでは支払いができないから乗車拒否だそうだ。
 ただし、中国では、PCインターネット関係の言葉が、中国文字表記でなされているので、中国の人々は意味が解った上で使用されている社会だという。
 ヴァージョンアップの際にアップルサポートや富士通のスキャンサポートを受けたが、時々、カタカナ語が解らなくて、意味を聞いて作業をしていた。
 日本では、カタカナ語表記で、ブラックボックスのままだ。意味不明の状態でPCやインターネットと関わっている人が多い。

 さて、スマホを持たなければ社会生活がままならない時代が、日本でもすぐそこまできている、と覚悟した方がよさそうだ。
 すでにそうなっているかもしれない。
 SNSや自分の行動がスマホに縛られるのは、嫌だと拒否しても、それは無駄な抵抗になること間違いない。

 他にも、就職、あるいはローンを組むのも、SNSで審査される? どんな友人関係・どんなキャリアを持ち、どのような暮らしぶりか、果ては政治信条や宗教感、趣味娯楽、まで調べ上げられてしまうのか。
 私には関係がない年齢になってしまったが。

 これから歳をとってもできるだけ日常生活の場面で、自立するには少しでもついていかないとならない、と思うと荷が重い。

 なぜそれほど気が重くなるのか。
 それは、先ほど母が入所している施設で初詣に連れて行ってもらったことが関係してくる。
 私も同乗して、何年ぶりかに母と一緒にお参りした。
 これは大なき労力を使って、実現する行事である。
 人手が少なく大変な条件の中で、やってくれるのである。
 マンパワーの最たるものである。
 地道な活動が一人一人のお年寄りを支えている。
 実に微妙だ。
 SNSに積極的に投稿しなければ、人の存在も、人の意味ある行為も、なかったことになる社会は、異常だと思う。
 やたらに写真を撮る。やたらに動画を撮る。私もやってしまった。
 すぐさま発信することに夢中になるなんて!おかしい、と思っていながら、だから始末に負えない。

 つまり、雲の上に個人の情報がふわふわと浮かび、それによって評価が行われる。
 人の日常の暮らし・生活は、どこまでも人の手を借りて、人の力で支えられている現実があるのにもかかわらず。

 サイバーテロが起こったら、社会は混乱の渦に巻き込まれる。
 個人などひとたまりもない。
 それでも人は人が支えて、支えられて、生きつづけることをなんとかして守らなければならない。

 こういう時代だから、実感の裏付けを大切にしたい。
 身近な人との関係を、レアな付き合いができる人との関係をもっと大切にしたい、味わいたい。
 そう思いつつ、行動はSNSに支配されてしまった。

 今年4回目の初詣で、とうとうお守りを求めてしまった。
 とんでもない時代に生きる。何か守ってもらう”物の証”として、手で触れることができる意味を、はじめて実感したくなったようだ。
 自分でも自分の行動に、つい笑ってしまった。
 なんとか歳をとってもできることを残して生きたい、思いに駆られていますー。

 2030年、後12年、81歳まで生きるんだろうか。
 神のみぞ知る。
 




 
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PCのヴァージョンアップに伴って

2018年01月11日 10時55分16秒 | Weblog
 無事にヴァージョンアップを終えたことによって、周辺機器に不具合が出た。
 まず、使用できなくなったプリンターを、設定し直した。
 そして、今朝はScan Snapの問題を解決した。

 問題は解決したが、時間ばかりがかかってしまった。
 このドキドキ感は、実に心臓によろしくない。

 いずれもひとりでは難しく、アップルサポートの力を借りた。
 とても親切で助かった!それだけが救いである。

 実は、プリンターもスキャナーもすでに製造中止になっている。
 その事が問題を複雑化させていた。

 昭和の人間は、たかだか10年もしないうちに、製造中止になるとは考えられないので、まさに驚きであった。

 使い勝手が全く変わってしまった。それにに慣れなくてあたふたしている状況がまだ続いている。
 7年の年月は長かったわけだ。

 これからもPCなしの生活は考えられないので、先が思いやられる。

 何れにしても「浦島太郎状態」から早く抜け出したい、一心であります。
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Innovation Roadmap  2030 フィンテック社会

2018年01月09日 20時00分54秒 | Weblog
 本日、1月9日日経新聞に「フィンテック社会一変 金融サービス 安く便利に」
 2018年から2030年までに、どのような変化が起こるのか、イラストと文で紹介されていた。
 2030年には、私は80歳になるから関係ない、と思ったがそうは問屋が卸しそうにない。
 最終的にはお財布から現金が消える時代が到来するわけだから。
 社会がは変わるのだ。おそらく非常に早いスピードで。

 人生100年時代とすると、私もまだ生きている可能性がある。
 スマホの利用法をマスターし、機械操作にオドオドしないようになっていないと、社会生活ができなるなるようである。
 どうなってしまうのだろう?
 ついていけなくなる不安はぬぐえない。

 この中の文章で思わず笑ってしまった、そしてすぐさま青くなった行りがある。
「あ、パパったら、お酒こんなに買っている」。
 収入もコインの使いもすべて把握できてしまう。
「色のついてお金」ゆえ、個人の行動はまるわかりだ、そうだ。

 虹彩認証などで本人以外は引き出せない、これはいいかな?
 健康状態が悪くなったら保険料金も住宅金利も上がっちゃう。エッ?
 そこで「夫のコイン支出の上限・用途設定と資産運用AI更新について」などと妻がメールを出してしまう、云々。
 つまり、家計のやりくりから健康管理等々、2030年までにはその方法が、徐々に変化していく社会になるそうだ。

 なんかなぁ、こういう社会にならないと、日本が沈没してしまうのだろうか。

 この手の情報は、今まで、漠然として断片的なものばかり目に入っていたが、この1ページでスッキリ理解できた。

 養老先生がおっしゃる感覚優位の動物に対して、「人間は意識に従っていて、現代は感覚を使わなくなる方向に向かっている」
「意識」と「感覚」の相克の中で、野口体操の私としては、戸惑うばかり。
 その謎が同時に解けた。

 お金に色が付いてくると、無駄遣いはできなくなるかもしれないけれど、面白くない人生になるわ!
 内緒のお金が一切なくなるなんて、つまらないでしょ、おそらく。
 ますます味気ない社会に生きるようになったら、私でしかできない楽しみを今から見るけようではありませんか。
 お覚悟めされ、と言われている記事であった。
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昨年からの懸案 解決一段階

2018年01月09日 18時48分16秒 | Weblog
 iMacのヴァージョンアップをようやく終えた。
 1月16日までに終えないと、ドロップボックスの新機能が使えないということで、先送りにしていたが何とか間にあった。

 平成10年の製品で、一度もアップしてこないまま、今日まで来てしまった。
 いろいろなところで不具合が出ていて、不便この上ない状況であった。

 やっとOS X EL Capitan 10.11.6まで到達した。これからボチボチ上げていきたい。
 1時30分から始めて、6時すぎまでかかってしまった。

 画面も様相が変わったので、まごついているのだが、仕方がない慣れる事しかなさそうだ。

 これで国立オリンピック記念青少年総合センターのWeb予約ができるようになると思う。
 
 以上、なぜかホッとしてブログに書きたくなりました。
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パワー・スポットってあるよね!

2018年01月07日 09時42分50秒 | Weblog
 今朝、門松をはずした。

 なので、無礼講で書かせていただこう。
 
 新年、2日は、高円寺・氷川神社、新宿十二社・高層ビル街熊野神社、4日には野口三千三先生の郷里、旧駒寄村の鎮守様・三宮神社、と立て続けにお参りした。
 
 氷川神社は、阿波踊りの人気で、それなりに潤っているようだ。また、全国にたった一つの気象神社があることで、人々が訪れる。来てみてびっくりな小さな祠なんですが!
 巫女さんもなんとなく垢抜けしてきている印象。以前よりも活気があるように思えるのは、地元民としての贔屓目ではなそう。町の神社としてはいい感じであった。

 熊野神社は、野口先生と一緒にお参りしてから、25年以上は過ぎていると思う。ここは変わりました。綺麗に整備されて、屋台まで出て、地元の人以外もお参りに来ている印象だった。小さな祠にも旗を立てて、お供物をあげて、相当に豊かな神社に変貌しているようだ。氏子さんは、新宿駅周辺のデパート各社から伊勢丹までもはいるわけで、整備費用には事欠かなかったに違いない、と思われる。
 驚いたことは、本殿から出てきた二人の巫女さんである。ハッとしましたね。背はすらりとした、昔で言う”八頭身美人”なのである。身につけているお衣装は、けばけばしくはないが現代的な色遣い。風貌に似合った鮮やかな印象のお召し物であった。歌舞伎町にもまけないね! 不遜な発言、ごめんなさい。

 最後は、町から遠く離れた野口先生の郷里・三宮神社である。
 とにかく歩くこと4、50分。駒寄ジャンクションの近くである。
 つまり、榛名山麓をひたすら歩く。そんな好き者は珍しいのだー。
 このあたりは小渕優子先生の地元だということを、貼ってあったポスターで知った。
 そして最近建てられている“建て売り住宅”は別として、もともとの家々をみると、関越自動車道が開通して、どこのお宅も立派なお住まい。政治家の力をみせてもらった。
 で、神社に到着してみると、参道の杉木立は手入れされてなく、伸び放題状態。
 神社には住まいはあるが、誰も常駐していないらしい。
 小一時間とどまっている間に、参詣に来た人は、お年寄りの男性がたった一人だった。
 きっと三元日で、殆どの方はすましたのかもしれない。
 しかし、正月らしい雰囲気は一つも伝わってこないから、違う神社にお参りに出かけたのかもしれないー。
 でも、とても寂しい。
 歩くことが主役の昔はよかった、おそらく。
 この地域は、自動車が一家に三台(?)の時代だから、もっと遠くに出かけられるようになったのよ、おそらく。

 後から思った。
 きっと、奉納舞などが行われる祭礼のときに行けばよいのかもしれませんが、あれでは運気が下がってしまう。
 あらためて、どこかにぎやかな神社で、お祓いをしてもらわなければ、と。
 地元のみなさん、不遜な発言、ごめんなさい。

 これまでパワースポットなど、まったく信じなかった私。
 それはあるのかも! 

 まぁッ、お正月の神社詣出のはしごは、よいお勉強になりました。
 野口三千三を巡る旅のお蔭さまです。
 
 独断と偏見で書いてしまいました。
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同行二人・野口三千三と 群馬探訪3回目

2018年01月05日 08時37分36秒 | Weblog
 昨日は、野口三千三を巡る旅、三回目の群馬行きだった。
 日没前に帰宅するために、早朝、東京を出発し、8時40分には群馬総社駅に到着。
 先生のご実家の前を通りかかると、運良くご存命だった妹さんと出会う。
 丁度、ディケアサービスのお迎え車に乗り込むところだった。
 他の利用者さんはすでに後ろの座席にいらしたこともあって、お話はできなかった。
 介護士さんらしき男性に、お名前を確かめて、ご本人だと確認できた。

 それから大泉寺に寄って、上毛大橋から利根川を見て引き返す。
「大久保長宿」と呼ばれた佐渡奉行街道をさらに北へ。
 お目当ての「三宮神社」と「駒寄小学校」をたずねようと歩き続けた。
 しばらくして庭の鉢植えに水やりをしている女性に道を尋ねた。
 教えられた道をさらに北上。
 この旧街道は、頻繁に車が行き来しているが、人は誰も歩いていない。
 後ろから一台の乗用車が近づいて
「乗りませんか」
 先ほどの女性だった。
「主人に話したら、送って上げなさい、と言われまして。丁度、私も行くところがありましたから……」
 せっかくなのでのせてもらって、あっという間に三宮神社へに到着。
 お陰さまでお知り合いになってしまった。

 神社の境内の写真を撮ったり、手を合わせて御祈りしたり、とゆっくり過ごす。
 そして群馬総社に戻って、高崎へ向かうことにした。
 ところが道を間違えて歩けば歩くほど、様子がおかしい。
 道路脇のプレハブに「◯◯電設」とかかれたところへ一人の男性が入って行くを見かけて、声をかけた。
 中には若い人から中年まで、男性が十名ほど椅子に腰をかけていた。
「地図をかいてあげよう」
 若い人が紙に書きはじめた。
 そのうちに40代くらいの男性が車で送ってくれるという。
「歩いたら大変よ」
 年あけの初顔あわせも終わって、これから何もすることがない、というところに飛び込んだらしい。
 総社よりも北の沼田方向に歩いていたことだった。
 車中、吉岡町の様子を聞きながら、私は東京の三が日の話などをお聞かせすること15、6分。
 総社駅でおろしてくれた。

 この地域は歩いて5分のコンビニへも車で行くと後から知った。
 東京からのこのこやってきたおばさんが、とぼとぼ歩くのは忍びないと、どなたも思ったのかしら?
 それにして親切な町の方々に出会った。

 その後は、野口先生が昭和11年頃から教員として働き、結婚し子供を育てた高崎駅周辺を回った。
 江戸期には高崎城だったところが、明治期から陸軍歩兵十五連隊が置かれた。
 現在は高崎市庁、文化・スポーツ施設、中央郵便局等々、主だった行政施設が整えられているところから、先生が住まっていたであろう場所をたずねた。

 さて、野口絡みでなくても、おすすめスポットを見つけた。
 それは高崎市庁舎の21階である。
 360度の展望は素晴らしい。
 上毛三山、浅間山、八ヶ岳、そこから関東平野が一望に見渡せる。

 そこで合点がいったことがひとつ。
 それは、一度、浅間山が噴火すると、落ちてくる火山灰で桑畑は全滅し、養蚕農家は困窮すると聞いていた話がよく理解できたことだった。
 榛名山より遠い浅間山なのに、なぜその影響が出るのか不思議だった謎が、一気にとけた収穫は大きかった。

 こんなに順調にいくのは、同行二人・弘法大師ならぬ、同行二人・野口三千三であった、と感慨しきり。
 お蔭さまで、先生の妹さんにもお目にかかり、お宮参りもできました。
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