羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

坐禅 ふたたび 七十六日目

2019年08月31日 09時01分04秒 | Weblog

晴れの日もいいが、本日のような曇りの日もまたよい。

静かに坐った。

穏やかに坐ることができた。

8月最後の一日の始まり。


思えばこの一ヶ月は、これまで生きてきた70年間で、最高の時間をごすことができた。

謎が解けた。

するとまた謎が深まる。

でもそれが楽しい。

探っていきたいことがあるって、しわわせ。

好奇心、探究心、不思議に思い知りたくなる・・・・読書も体験も、人と出会うことも・・・・

残された時間は、限られてきている。

限られてきていることを、なんとなく実感できるようになったからこその、自由な一ヶ月だった。

後から言葉にすると、なんだか違うような気もするが、大雑把にそうだと思う。

とにかく、満たされた気持ちで座ることができました。

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過ぎゆく日々に・・・・「回」

2019年08月30日 09時49分57秒 | Weblog

21年前の春。

野口三千三先生を送って、しばらく混乱が続いた。

流石に21年という歳月は、少しずつだが、尖った心や、不安な思いや、負の感情も彼方へと消え去りつつあることを感じていたこの頃。

先日、ブッククラブ回(Spiritual Bookstore)から、Web上で先生を紹介するに当たって、写真を拝借したいとのメールをいただいた。

早速、佐治嘉隆さんに連絡した。快諾。

5枚ほどの写真を先方に、メール転送してくださった。

昨日、夕方になって、サイトを開いてみると、表紙は、先生の朝日カルチャーセンターでのレッスンで黒板の前の写真。

そして遺影。

さらにバランプレーに乗って、にこやかな表情でこちらを見ている写真が掲載されていた。

 

モノクロ画面の落ち着いた写真に、過不足なく丁寧に書かれている文章。

お引き受けしてよかった、と胸をなでおろしている。

 

それから他の思想家・実践家の方々の掲載を見ていた。

・・・・ よぎるものがある・・・・

「本当に、ほんとうに 鬼籍に入られたのだ!」

寂しさを伴ってはいたが、着地していく心の動きを感じとった。

 

「三千三伝、好きに書いていいよ」

流れに逆らわず未だに小舟を漕いでいる私に、先生からのお許しが得られた瞬間である。まだ、少し、時間がかかりそう。

でも、半分、肩の荷がおりていくような・・・・過ぎゆく日々に「回」

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ブッククラブ 回 野口三千三紹介

2019年08月29日 18時59分18秒 | Weblog

ブッククラブ回 Web 版に、野口先生の紹介が載りました。

素敵です。

モノクロの落ち着いた画面からは、思想家野口三千三 のイメージが伝わってきます。

ぜひ、ぜひ、ご覧ください。

https://www.bookclubkai.jp/portfolio/people15/

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坐禅 ふたたび 七十五日目

2019年08月28日 16時55分06秒 | Weblog

今朝は、仕事のため8時に自宅を出る予定になっていた。

持っていくものの準備は、昨晩からしてあった。

朝食を早々に済ませ、片付けをして、体操は6時45分からはじめた。7時半にはやめる心算。

で、坐禅の呼吸を100回数えて、終了。

そこで時計を見て、驚いた。

ピタリ、7時半!

なんでだろう?

こんなこともあるのだ。

今日はうまくいく、と気分良く出立。

で、9時半からはじめた講義と実技は、皆さん方が乗ってくださって順調。

逆に、こちらが乗せてもらった。

ところが、乗り過ぎて、終了時間を間違えてしまった。

担当者の方に気づかされる。

なんと、15分オーバー。

受けている方も時間が過ぎていることに気づかなかった。

野口先生のご注意を申し上げていた頃を思い出した。

 

それにしても、あの坐禅は、なんだったのか。

まったくもって、狐憑きにあった心境。

今後、気を付けまーす。

なんてこった!

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幸運に感謝! 感覚の洗濯・・・・まっさらになること

2019年08月26日 09時22分29秒 | Weblog

少しだけざらつきがある。ざらつきがあるとはいえ、尖ってはいないバスバリトンの声。

もう一人の声は、張りのある透明感のある賢さを感じさせるテノールの声。

一人はロシア語、もう一人は日本語。

 

スタニスラフスキーについて語られる二重唱を聞く心持ちに、メモを取りながらも浸っていた。

3時間はあっという間に過ぎていった。

『スタニスラフスキーとヨーガ』の著者・セルゲイ・チェルカッスキーさんのレクチャーを聞いた。

通訳は、上世博及さん。

 

これまで、昭和30年代に野口三千三とであった新劇関係の数名の方から、話を伺っている。

それぞれの方から聞いたスタニスラフスキー・システムとの関わりに方に、違いが大き過ぎて首をひねってしまっていた。

私が、このシステムことを全く知らずに話を伺っているからだろう。

そこで本を集めて読むつもりになった。

が、手にとっても、読み進められない。

たった、一冊、『スタニスラフスキーとヨーガ』だけは、最後までページをめくることが唯一できた本だった。

今回、直接、著者に話を聞くことができるということで、二度目の読書をして臨んだ

 

実際に話を聞き、ワークショップを見学して、かつてピアノのレッスンで・ピアノ教育で受けてきた、その道に通じるをこと知った。

自分自身の身体感覚で、受け止めることができたのだ。

何より、私自身「感覚の洗濯」ができたように思える。

よごれを落とし、さびを落として、三千三を見直し、ゆかりの方々の話を復唱している。

なぜ、彼はあのようなことを語ったのか。

なぜ、彼女は今あのようなことに深い関心を持っているのか。

新劇関係の方から聞いた話の謎の一つの原因がつかめたような気がしている。

 

話を戻す。

昨日のレクチャーの最後に、セルゲイが進行役のドキュメンタリー映像(公営放送)が流された。

スタニスラフスキーとスタニスラフスキー・システムについて、必要な知識も得られた。

BGMにはバッハが鳴り、ロシア語の語り、英語の字幕、日本語の通訳がついて、なかなか立体的な体験だった。

 

帰宅して、積ん読く山を一つ崩した。

分厚い『俳優の仕事』第一部 スラスラと読み進めることができることに、驚きを隠せない。

それもこれも宮原清美さんのおかげです。

 

2019 収穫の夏も いよいよ終わりに近づいた。

幸運に感謝!

 

*******

 

特別講義『世界におけるスタニスラフスキー・システムの流れと実践』

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坐禅 ふたたび 七十四日目

2019年08月26日 09時15分12秒 | Weblog

途中で気づいた。

呼吸数を数えることを忘れて坐っていたのだ。

数種類の鳥の声を聞き分け、どこかのシャッターが開かれる音を聞き、そして、昨日参加したレクチャーの登壇者と通訳の男性の声を再び聞いていた。

風に身を任せ、雲に遮られたかと思うと、途切れた雲間から日差しが漏れる。光の陰影を皮膚感覚で捉えている。

‥‥‥‥‥‥

電話が鳴った。

出ようか、それとも出ずにおこうか。

短い時間迷ったものの、出てしまった。

大事な要件であった。

体操の後、十数分間は、坐っていただろうか。

こんな日もある。

 

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『まんが少年、空を飛ぶ』想像を超えた本

2019年08月24日 09時03分26秒 | Weblog

久しぶりに泣いた。

両親に残した郵便貯金通帳に走り書きされた「遺書」、そして高知市長宛の戦没者通知のページを見たときだった。

これまで残酷な戦場をリポートした本を何冊も読んできた。

映像でもみることがあった。

悔しさや、憤りや、虚しさや、恨めしさや、さまざまな感情が渦巻くことはあっても、涙はこぼれなかった。

ところが、可愛らしい兵隊さんの訓練や日常を丁寧に描いた『まんが少年、空を飛ぶ』ページを一枚ずつめくりながら、優しい気持ちになっていただけに、突きつけられた現実の死に、全ての感情が停止して、ただ涙がボロボロとこぼれたのだ。

 

8月15日数日前に、 NHKニュースでこの本のことを知った。

著者は大戦末期に特攻隊員だった山崎祐則さん。100通を越す絵手紙を実家や親族宅に送った。

その手紙をまとめた本である。

遺品や漫画や手紙を展示公開する催しが、15日まで高知市で開かれていることも知った。

実際に、この目で確かめたかった。

飛行機の予約状況を検索した。三席空席ありを見つけた。

しかし、折から台風が接近している。もしかすると高知に直撃か、というような進路予想だった。

お盆ということもあって、泊まるところもないかもしれない。

泣く泣く諦めた。

でも、気持ちはおさまらない。

鬱憤を晴らすために、鰻の蒲焼でも食べに行こうか、などと思いもした。

「待てよ!」

アマゾンを検索。

ようやく、一週間以上が過ぎた、昨日、本が届いたのである。

予想をはるかに超えた素晴らしい出来栄えである。

丁寧に、心を込めて、抜かりなく、隅から隅まで配慮された一冊である。

これほど魂がこもった本を今まで手にとったことはない。

何千語、何万語を費やしても伝えきれない出来栄えである。

「見ていただくしか、あるまい」

本日、朝日カルチャー「野口体操講座」に持参します。

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坐禅 ふたたび 七十三日目

2019年08月24日 08時57分49秒 | Weblog

体操も坐禅も、正直、あまり乗り気になれなくて、ためらいがちに行っていた。

なんとか一通り体操をして、坐り始めた。

不思議なもので、背筋が伸び始めると、ためらいはどこかへ消えてしまった。

静かに息を吐く。

ただそのことのみ。

幽霊のように浮かぶことはあったが、足がないだけあって、スーッと消えてくれた。

おかげさまで、100回を無事数えて、終了。

こんな日もある、あんな日もある・・・・・だから生きるのは面白い!

 

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坐禅 ふたたび 七十二日目

2019年08月23日 09時44分24秒 | Weblog

体操をして、坐り始めた。

からだがざわついていて、スタニスラフスキーと野口三千三のことで、あれこれ意識がざまよう。

汗がゆっくり首筋を伝うのを感じたが、こそばゆいような感覚をそのままにしておいた。

東西南北、雨でも開けたままの窓から、風が体を包むように抜けて行った。

ちょっとひんやり感を得る。

その瞬間、からだからざわつき感がスーッと抜けて行った。

自然に目が半眼になって、畳の縁と畳の目に視界が集中して行く。

それからというもの、ひたすらに呼吸を数えて100回。

その後軽く体操をしていると、最初の二人の相違点が図式として現れた。

メモ紙に書き留める。

25日のレクチャーで、確かめたいテーマが絞られた。

以上。

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スタニスラフスキー・システム ワークショップ見学

2019年08月22日 09時01分30秒 | Weblog

「野口さんの動きを見たとき、一瞬にしてスタニスラフスキーの動きが見えたんです。とにかく本で読むばかりで、実際の動きがどんなものなのか想像もつきませんでしたから・・・・」

2018年早春。

演出家・貫見忠司さんに鹿児島インタビュー際、この言葉が第一声だった。

私にとっては驚きだった。同時に半信半疑でもあった。

「どんな動きでしたか?」

「そうね、腰を回したり、・・・・・」

昭和30年代半ば頃の話だ。

 

それ以前からスタニスラフスキー・システムは気にかかってはいたが、それほど明確ではなかった。

鹿児島から帰京して、新劇界に野口先生が呼び出されるきっかけとなった「ぶどうの会」の演出家・岡倉士朗さんのお嬢さんにも会って話を聞く機会も得ていた。

そんな中『スタニスラフスキーとヨーガ』セルゲイ・チェルカッスキー著 堀江新二訳 未来社を読んだ。

ほぼ一年後。

なんと、昨日のワークショップは、著者とガリーナ・コンドラショア(女優・ムーブメント指導者)お二人の指導に立ち会うことが実現したのだった。

ほんの ほんの ほんの すこーし、スタニスラフスキー・システムがどのようなことを行うのか、見せてもらえた。

実は、このワークショップは、演劇人を対象としている。ただ、一般人の見学を許している回もあっての見学だった。

 

さて、目の前に繰り広げられたのは、見事にシステマティックに練り上げられた教授表?伝道法であった。

ガリーナは、20数名の参加者に、ムーブメントの最中に、とことん意識を集中させる。そして解放させる。

野口体操でも行っている動きもあったが、常に集中と解放の所作の繰り返しであった。(ヨーガに通じるのか)

 

その後、セルゲイの感覚レッスンは、五感のレッスンは、意識と下意識と超意識、五感を研ぎ澄ます訓練、空間認識、等をたっぷり時間をかけておこわれた。

そのころになると、野口体操の流れの中で、このシステムの持つ意味がわかりかけてきた。

 

実は、「野口三千三伝」もいよいよ東京に出発するところを書くことになった。

そこで、終戦前から戦後を調べ始めている。

ちょうど、その折、ロシアに行かなくても、東京で「スタニスラフスキー・システム」に出会えた。

「私はなんてついているんだろうー」

25日にはレクチャーを聞きに行く予定になっている。

 

そもそもこの企画に触れることができたのは、宮原清美さん(朝カル日曜クラス)の手配で実現している。

彼女は、一連の企画の中で制作を担当されていた。

急遽の実現だ。

きっと、野口先生がこの道をもたらしてくれたのだ。そうに違いない、と思っている。

 

短い時間だったが、ガリーナとは、フレンドリーに話もできて、貴重なヒントをいただいた。

著者のセルゲイには、サインをいただいた。

それもこれも清美さんのはからいでした。

ありがとう!

 

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坐禅 ふたたび 七十一日目

2019年08月22日 08時55分30秒 | Weblog

久しぶりに、涼しい朝に坐る。

坐り始めて、しばらくすると、昨晩見学した「スタニスラフスキー・システム」のワークショップ映像が、次々に目の奥に現れては消えた。

かなり鮮明な色、はっきりした輪郭の形、種々の動き、・・・・・・久しぶりに体験したことが、再現されてくる。

それを一つずつ消しながら、なんとか100回を数え終わった。

私って、ついているわー、って口ずさんだ。

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坐禅 ふたたび 七十日目

2019年08月21日 09時03分06秒 | Weblog

昨日は、80回を数えるところで時間切れ。

ということでカウントしないことにした。

今朝は、賑やかさが蝉の鳴き声が少し落ち着き、節がほんの少しだけ秋に近づいたのかな〜、いやいやまだまだ。

部屋の中をめぐる風に呼吸を合わせた。

一度も味わったことのない脳の爽やかさを感じた始めた。

これかな!

イメージを脳の中心に包み込んで、しばらくそのまま、そっと、静かに保ってみた。

上を向けた掌、腕全体、肩からスーッと力が抜けて行く。

いいな〜、この感じ。

100を数えて終了。

七十日目、なんとなく嬉しい。

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「いだてん」が描いた『学校体操教授要目』あまり気づかれなかったかも....

2019年08月16日 09時21分25秒 | Weblog

明治以降、日本は西欧に追いつけ追い越せを目標に、様々な分野の人々が海外へと学びに出かけた。

体育・体操・スポーツ界では、こうした留学組が、今言うところの学校体育「指導要領」を作成している。

その中心は、もちろん東京高等師範学校の教授たちである。

実は、「いだてん」の中でも描かれていた。

『学校体操教授要目』が、画面に映し出されていたことを、ご記憶の方は少ないかもしれない。

文部省が最初に指導基準を『学校体操教授要目』として交付したのは1913(大正2)年のことだった。

経緯はこうだ。

日本の体操の父と呼ばれる高等師範の永井道明(1968〜1950年)によって『要目』は作られた。

永井は自らが受けた森有礼の軍隊式教育色を排除する改革を目指していた。

ところが文部省だけでは決められなかった事情がある。

日本全国の学校でバラバラだった体育の方向を、一つにまとめる『要目』作成の苦労があったのだ。

台頭してきた軍部(陸軍)に、お伺いを立てなければ、一向に進まななかったのだ。

そこで永井が考えたのは、兵士の訓練にも向くとして「スエーデン体操」を核に据えた『教授要目』を持って掛け合いに出向いた。

見事、文部省令として交付する許可を得ることに成功したのである。

 

それから第一次改変がなされ、第二次改変は1936(昭和11)年に行われた。

この新しい要目には、新体操や自然体操の要素が見られるという。

この改変は指導力を買われて委員となった大谷武一(1887年〜1966)の影響が大きいと言われている。。

東京高等師範教授で文部省体育研究所の技官であった大谷は、永井同様に留学組である。

大谷は高高等師範卒業後に、アメリカの大学に2年以上官費留学し、帰国の途中で数ヶ月に渡ってヨーロッパの体操・スポーツ事情を視察してきたエリート中のエリートであった。ちなみに、永井が命名した「デッドボール」を私たちも知っている「ドッジボール」に改名した人である。

他にも東京高等師範学校には、官費による留学組を迎え入れていた。

「いだてん」では、そうした教授たちの微妙な権力バランスを、何気ない演出で描いていた。

 

さて、野口体操としては、何を言いたいのか?

野口三千三が小学校訓導(教師)として指導に当たり、その後に群馬師範学校の教官であった通年間、第二次改変の『学校体操教授要目』にしたがって授業を進める必要があった。にも関わらず、野口はそれを無視して自分の方法を貫いたわけだ。

これには、これまで知らなかった驚くような後日談がある。

それは野口体操につながる道筋、とだけ今は書いておこう

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坐禅 ふたたび 六十九日目・・・・風の中で坐る

2019年08月16日 09時13分27秒 | Weblog

窓を開け、台風の余波を招き入れた。

ものが飛ばされるようなことはなく、吹き抜ける風の気持ちよさの中で体操をした。

湿度は相変わらず高いが、昨日より体は軽かった。

いざ、坐禅。

舞い込む風に呼吸を合わせて、一気に100回。

あと、9回をプラスして、無事終了。

ふと、思った。

「いだてん」は、私にとって、有意義な大河ドラマだった、と。

ブログに書こう。

坐禅には関係ありませんがー。

最後に浮かんだ事柄でした!

 

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坐禅 ふたたび 六十八日目

2019年08月15日 09時15分01秒 | Weblog

35、36、37、・・・・・・48、49・・・・・

その頃には、からだ全体に汗が滲み出た。

フーッ!

吐く息で暑さを振り払うかのように・・・・51、52、53・・・・

しばらくすると不思議なことに、汗の状態が落ち着きはじめて、折からの風が心地よく、からだを冷やしてくれる感じだ。

拭うこともせず、あふれるに任せた汗の状態が、変わるはじめての経験をした。

思いなしか、背筋もスッキリ伸びてくれる。

67、68、69・・・・100

今日から「108回」数えようと、坐りはじめる前から心算していた。

100を過ぎたところで、浮かんできたことがある。

ある修行寺に着くためには、階段を登らなければならない

その階段は109段あると言う。

人よりも煩悩の数が多い人が修業する寺、と言うことらしい。

嘘か真か、確かめてはいない。

そもそも誰に聞いた話か、覚えていない。

と言うわけで、108回でやめずに、一つ足して109回 数えきった。

最後の109回目の呼吸は、ゆっくり・しっかり吐ききった。

 

足をほぐして、仰向けになった。

野口体操「真の動き」から、両足を天井に向けて揃えてあげる。

足の裏が天井と平行になっているか、むしろつま先を伸ばした方がバランスは取りやすいかも。

そして鼠蹊部は、鉛直方向と一致しているか、を確かめる。

余分な力が抜けて重さで鉛直方向に一致するのを感じ取って、その姿勢のまま自転車漕ぎをひとしきり行った。

姿勢を仰向けに戻し、「おへそのまたたき」で上体を起こし、しゃがむ姿勢から「上体のぶら下げ」へつなげた。

久しぶりに、よろしくない右肩も違和感が、減っていることに気づく。

左右の腕がだらり、とぶら下げられるのを味わって、朝の体操と坐禅は終了。

以上、8月15日の報告でした。

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