羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

間奏曲~荷風さんの戦後

2006年10月31日 07時20分13秒 | Weblog
 電車が御茶ノ水駅に近づいたときだった。
「先ほど、新宿・中野間で線路に異状を発見して、点検にはいりました。お客様には大変ご迷惑をおかけますが、この電車は途中で停車することがございます」
「またか!」
 車内に閉じ込められることはないにしても、嫌になっちゃうという雰囲気が漂った。そこここで携帯使用の声が聞こえる。そんなときって、自分で思っている以上に大声で話をするものだ。
 先週も、人身事故で二回も遅延した。

 案の定、神田駅で停車したまま電車はしばらく動かないという二回目の車内放送があった。しかたなく山手線に乗り換えて東京駅まで無事到着。
 秋になると立ち寄る書店に直行。

『荷風さんの戦後』半藤一利著 筑摩書房を手に入れた。
 東海道線に乗り込んで、すぐさま読み始めた。
 
 洒脱な文にのめりこむ。
 大正六年九月十六日から昭和三十四年四月二十九日死の直前まで書き続けられた『断腸亭日乗』を下敷きに、荷風の戦後を描いた評伝である。
 サブタイトルがふるっている。「荷風さんへの横恋慕」なのだから。
 そのとおり。辛らつな批評をしながらも言葉の端々に愛があふれているのである。
 荷風の文化勲章は、この『断腸亭日乗』に与えられたものとまでいってしまう筆者。
「……余は山谷町の横町より霊南坂上に出て西班牙公使館側の空地に憩ふ、下弦の繊月凄然として愛宕山の方に昇るを見る、荷物を背負ひて逃げくる人ヾの中に平生顔を見知りたる近隣の人も多く打ちまぢりたり、……」
 この引用からはじまる。
 
 昼下がりがとくにいい。炬燵に入って静かに「日乗」を読む。
 障子の向こうに冬の日が幽かに揺らめくのを感じる。
 そして荷風のこの文体に、私は酔うのである。
「全集を読んだのは、荷風だけなの」
 以前、実らなかった恋の相手にそういったことがある。
 彼は、声を抑えて笑った。
 そんな昔を思い出させてくれた東海道線は、ぽかぽかと暖かかった。

 行く先々で焼きだされた荷風が、戦後を諦念のうちに過ごす。
 西行や芭蕉に憧れていることを記している戦後すぐの随筆に、人の運命を感じるというのは、筆者だけではなさそうだ。

 運命の悪戯は、荷風を放っておかなかった。
 戦後になって次々に出版社が荷風のもとを訪れるのである。

 時代に背を向けて壮絶な最期を迎えた荷風。
 この本は、「人はいかに生き、そして死んでいったのか」を、三百ページ弱の評伝に描きつくした傑作だと思う。

『……戦後の荷風さんだって、戦前と負けないくらい見事に、「孤立」を屁とも思わず、反逆的な生き方をしてましたぜ、と。…』
 こんな筆者の語り口が、魅力的だ。
 東京から茅ヶ崎駅まで読み続ける幸せ。
 
 その上、湘南にある大学は、暖かくていい。
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野口体操・動画シリーズ一覧

2006年10月30日 07時09分58秒 | Weblog
10月3日からテスト的にはじめた野口体操動画シリーズは、アメリカ・カナダやドイツにおられる方々もご覧になっていることを知った。
なんと昨日の閲覧者数は、過去最高で、600人を越えた。
10月3日の動画をはじめてから今日まで、およそ一ヶ月弱で延べ人数:8323名。
ipアクセスというのは、携帯からだろうか。その方々をいれたらなんと1万人を越えてしまう。
数字に惑わされない自分のつもりだったが、この数字を見た今朝は、胸がどきどきした。そして嬉しさがこみ上げた。と同時に、発信していく責任も感じてしまった。

ところで、今年五月に手に入れた携帯電話は、カメラ機能とブログに送信するインターネットとしか、ほとんど使っていない。
「まっ、いいか」
それにしてもウエブ2・0の恩恵をしっかり受けている。
おそらく野口体操関係の本をお読みになっても動きがわからないと嘆いていらっしゃる地方や外国の方々に、こうして動画発信ができるなんて、夢のような時代!

そこで、動画シリーズ:野口体操のこれまでの一覧を掲載しておこう。
さかのぼってご覧ください。

※10月 ファースト・ステージ「自然直伝」

 3日:野口体操・やすらぎの動き
 4日:野口体操・上体のぶら下げー一息でおろして起きる
 5日:野口体操・イメージ映像「竹音琴」
 6日:野口体操・イメージ映像・ゆらゆらゆら~り
 7日:野口体操・バランプレー
 8日:野口体操・おへそのまたたき
 9日:野口体操・腕立てバウンドー全体が波
10日:野口体操・波の動きー「立」
11日:野口体操・自然直伝
12日:野口体操・胸まわし~柔らかな軸
13日:野口体操・腰まわし
14日:野口体操・自然直伝ー岩ひばにちなむ話
15日~17日・野口体操への思いー芭蕉に貞く

※10月 セカンド・ステージ「上体のぶら下げ」バリエーション

18日:「貞虎庵」提案
19日:野口体操・ゆりふりー横波
20日:野口体操・上体のぶら下げ
21日~23日:野口体操への思いー芭蕉に貞く
24日:野口体操・これも上体のぶらさげー片足の上で
25日:野口体操・これも上体のぶら下げー横波
26日:野口体操・これも上体のぶら下げー前後開脚長座で
27日:野口体操・これも上体のぶら下げー足の裏を合わせて
28日:野口体操・これも上体のぶら下げー片足のびのび
29日:野口体操・これが基本感覚ー上体のぶら下げ(別角度から撮影)

ブログ読者の方々に、一言お礼を。
ありがとうございます!

因みに今日の写真は、「蔵・貞虎庵」の入り口の暖簾。
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野口体操・これが基本感覚

2006年10月29日 07時01分24秒 | Weblog
動画シリーズ:第二章は「上体のぶら下げ」の多様なあり方をお見せしてきた。
立った姿勢での「上体のぶら下げ」は、伸ばされた脚が「支え」となり、骨盤を含む上体が「ぶら下げ」られる。

その原理は、床に腰を下ろした場合でも同様な感覚で行われたとき、のびのびとして気持ちがいいことをお伝えしたかった。

野口体操の理論のうち、この「上体のぶら下げ」は、基本の「基」である。
今日の動画は、10月20日に掲載した「上体のぶら下げ」を、別の角度から撮ったもの。

第三章は、また違ったテーマで野口体操を紹介することになると思う。
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野口体操・片足のびのび

2006年10月28日 07時10分33秒 | Weblog
10月25日のこのブログに「これも上体のぶら下げ…横波」、動画を載せた。
この動きから、今日の「片足のびのび」につなげると、足の後ろ側がよく伸ばされて気持ちがいい。

スポーツの準備ストレッチで、立ったところからおろしてきて、伸ばされた足を押すようにしてやっているのをよく目にする。
しかし、ここに掲載した方法は、もっと足の裏側がのばされるのだが、曲げられている足の脛を鉛直方向に一致させて、そこに重さを乗せ替える感覚がつかめないと、この姿勢をとるのは難しいようだ。

しかし、あせらずにお試しあれ。
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野口体操・これも上体のぶら下げ…足の裏を合わせて

2006年10月27日 07時07分07秒 | Weblog
「おてての皺と皺をあわせて○○」というコマーシャルがあるが、「足の裏の皺と皺を合わせて、のびのび安らぎ」とでもいいたい。

勝手なグルーピングで、シリーズ化してお見せしているが、原理はまったく「上体のぶら下げ」なのである。
土台になっているところは、床(地球)に接しているからだ。ここが支えになる。野口体操では、「足」とは、地球に重さをのせているという意味。したがって、触れてところがお尻でもそこは「足」。逆立ちの場合など掌だったらそこも「足」。ヨガの逆立ちだったら頭が「足」というわけだ。
大切な感覚は、地球に触れているところの中身が、柔らかくあること。エネルギーを受け入れられるように啓かれてていること。

股関節が軸になって、骨盤を回転させるように上体を下ろしていく。
この足の裏を合わせた姿勢でも同じ原理でからだをほぐす。上体はのびのびと伸ばされていく。

野口体操を始めた当初、ガチガチだった私のからだが、変化を感じさせてくれるようになったのは、いつのころだったか。やっぱり最初は辛かった。でも、その辛さの具体的な記憶がすっぽり抜けてしまっている。

「やり方がよくて、待つことができると、誰でも柔らかくなる可能性があります!」

野口三千三先生の名言をひとつ。
『信じるとは、負けて参って任せて待つ』 
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野口体操・これも上体のぶら下げ…前後開脚長座で

2006年10月26日 07時03分58秒 | Weblog
野口体操の「上体のぶら下げ」に、ノーベル賞をあげたいといったのは、藝大の日本画出身の永山聡子さんだった。この動きの原理は、ノーベル賞ものだ! 「上体のぶら下げ」の動きがわかってくると、彼女の言葉にうなずく人は多い。

ただ、世の中に理解されるまでには、まだまだ時間が必要に違いない。
科学的データーをしっかり出さないと、信じられない現代人が多いからだ。
『磁力と重力の発見』という大著を読みなされ。いかに科学的真理が、次の時代に覆されていることか。何をもって「真理」というのか。

ノーベル賞云々はともかく、「上体のぶら下げ」は、皆さんに伝えたい動きのひとつである。

で、この「前後開脚長座によるぶら下げ」は、骨盤から片方の足の上に休む動きである。外側に、はっきりした揺れが出なくても、前方に骨盤が傾いていくときには、からだのなかは揺れているのである。
そして戻ってきたときには、骨盤がしっかり立って、その結果として上体は直立する。
これも座位による「上体のぶら下げ」と、私は言いたい。
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野口体操・これも上体のぶら下げ~横波

2006年10月25日 06時54分37秒 | Weblog
ゆり・ふり・なみ・うず・らせん……、自然現象を音楽に描いたのは、フランス近代の作曲家たち。フォーレやドビュッシーやラベルの印象派絵画に通じる曲想は、小節線を超えた。超えなければ表現できないところまで、自由な感覚を彼らは愛した。
つまり、ドイツ流クラシック音楽の作曲理念を根本から覆すことによって、新しい境地をひらいていった。

野口体操の理念も、それまでの体操の理念を覆すとこころからはじまっている。
ゆり・ふり・なみ・うず・らせん……、存在を存在たらしめている自然の現象。

さて、今日の動きは、昨日の真正面を横に移動させ、さらに股関節を開いていくもの。横に開かれた足の上でお休みください。
波立つリズムは、小節線を超えて、自然にまかせて……。
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野口体操・これも上体のぶら下げ

2006年10月24日 13時55分01秒 | Weblog
めぐり逢い……恋はいつも 激しく幼くて……

ピアノがこれほどやさしい音楽を奏でられるとは……歌にこれほど人をなぐさめる力があるとは…………
「強さ」とは何だろう。きっと哀しいまでのやさしさが潜んでいるから人は強くなれるのだろう。

今、西城秀樹の新曲を聴いた。NHKのお昼のインタビュー番組。
彼が脳梗塞から復帰し歌った。ほとんど病を感じさせない回復ぶりである。
病を得てから、子供が2人生まれて、3人の父親になったという。
そして子供たちに手紙を残したいと話していた。20歳になったら読んでほしいと。

この動画に、この曲をのせたいとおもった。
若いときには力任せに歌っていた人が、病を経験することで、魂の底から言葉を発し、魂の赴くままにメロディーを歌い上げる。こうしたあり方を、からだと向かい合ったときにしたいものだ。

伸ばされている足の腿の内側に、もう一方の足の裏をやさしく触れる。そして股関節を軸にして骨盤を回転させておろしていく。足の上でそっと眠るように上体を任せてみたい。
「めぐり逢い……自分の内なるやさしさに」
……~~ゆれてゆれて……~~からだがほぐれる……~~

歌は、人が人として生まれる前から、命に組み込まれた神様からのメッセージに違いない。
歌うようにからだを愛しんでみよう。
「強さ」は、きっと、そこから生まれるのだろうから。
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芭蕉を歩く~清澄庭園にて

2006年10月23日 06時58分46秒 | Weblog
なんだ庭園の写真か、などと仰せにならないでいただきたい。
この一枚を撮るのに苦労した。

その経過をお話したい。
庭園に入ってしばらく。
巨大な鯉・小さな亀・それに鴨などが気持ちよさそうに泳ぎまわっている池を大海に見立て、大きな石を配置した「磯渡り」という場所を歩き終わったときのことだ。
燈籠のそばの水辺で一羽の鷺が、しきりと何かをついばんでいた。
その姿をしばらく見つめていると、鷺はひらりと舞い上がり、燈籠の上に鎮座した。
久しぶりに目にする光景に、思わず携帯を向けた。
構図を考える間もなく、シャッターを切ろうとしたそのとき、池の向こうにみえる樹木の一群の間からビルが顔をのぞかせているではありませんか。
右に切っても左に切っても、燈籠と鷺と空の空間バランスを見定めてちょうどいいところにおさめようとするとビルが入ってしまう。

「あぁ~、鷺が飛び立ってしまう」焦ること、焦ること!
しかし、東京でビルのない空を撮るのは、難しい。
で、おちついたフレームがここだった。
足元をみると、「ヒヤリ!」なんと池の淵ぎりぎりに立っていたのだ。

以前、丸の内の皇居のそばは、高さ規制があって、それを撤廃するのしないのという記事を読んだ記憶がある。皇居を見下ろしてはいけないということが主な理由らしい。
それとは違う話だが、写真を撮るときに、ビルを入れたくないという自分の感覚はいったいどこから来るのかしらね。

その晩、といっても日付が変わった午前2時ごろのこと。
鼻呼吸を十分にしながら寝ていたらしい。
隅田川・芭蕉記念館周辺の映像や清澄庭園を夢に見ていた。

「脳が気持ちいい」
半分覚醒しながら、思い巡らす自分の脳の快感を味わっていた。
「このまま眠り続けようか。それとも起き上がってしまおうか」
それも半覚醒状態の中で、迷っている自分。
鼻呼吸は続いている。
ますます脳は半睡眠・半覚醒のなかでたゆとう。

盛夏からずっと気にかかっていた「野口体操の今後の問題」が溶解していくのが感じられる。同時にからだの中から、何かがスーッと抜けていくのがわかる。

「ひとつの答えを得るということは、こういうことなのだ」
夢のなかで呟く。

すると鷺鳥が飛び立つが感じられる。
「今日は、隅田川を越え、清澄まであるいたのよね」
半覚醒の中で再び呟く。
再びまどろみの中に。

今にしておもえば、井上陽水の歌をはじめて聴いたときの「とろける様な脳の快感」に浸った、その感覚に似ていると……。

それは21日土曜日、明方のことだった。

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芭蕉を歩く~芭蕉稲荷…思うこと

2006年10月22日 11時51分20秒 | Weblog
大正6年(1917)に大津波があったそうだ。そのときに出土したのが「芭蕉遺愛の石蛙」とか。あくまでも(伝)となっているから、信じるか信じないかは、貴方しだいということらしい。しかし、「芭蕉稲荷神社」として祀ってしまうところがすごい。

小さな稲荷社だが、赤い旗が何十本もあげられている。「芭蕉稲荷大明神」と白く染め抜きされているところに、庶民の思いを感じつつ、この写真を撮った。

野口三千三と野口体操を伝えることがライフワークにいつの間にかなってしまった私としては、純粋に芭蕉の句を味わい芭蕉の足跡をたどり芭蕉をとおして日本の伝統をひも解き芭蕉をめぐる人々の思いを受け止め…………、ということだけにすまないところがなんとなく苦しい。

或る人が言った。
「キリストだって隣のおじさんだった。でもキリストをキリストにしたのは、後の人たちなのよね」
なかなか含蓄のある言葉だ。

「芭蕉記念館」が、成り立つとしたら、それはいまだに「俳句を詠む」という、創作活動をする人々がいるからだ。単に、鑑賞だけ、あるいは芭蕉研究だけに終始していたら、成り立たないだろう。
下手でもいいから実作する体験は、その人にとって豊かな喜びをもたらすことは間違いない事実なのだから。

野口体操を体験し、自分のからだの「気持ちよさ」を実感してくれる人々がいることによって、野口体操を伝える意味があることを最近強く感じるようになっているだけに、こうして、芭蕉ゆかりの地を巡りながら思うことがある。
それは、俳句を実作することによって他人事ではなく、自分の問題としてーもっといえば俳句をつくることが生きることと重なってくるー軸足が定まる。
そのことから感じられる「生の実感」こそが、いまだに芭蕉をたずねる原動力になっていることを、現場を歩きながら知ることができた。

新しい幟がはためく。
「風は神の息」だと捉えた古人に従えば、芭蕉は現代にも生きていることになる。
上手下手はどちらでもいい。実際に自分のからだで感じることを五七五の文字に吹き込んでみる、その行動が大切なのだと、改めて思い知らされた。

野口三千三・野口体操の資料は、どう生かすのか。
深川界隈を散策しながら、答えはおのずから得られたような気がしている。

「不易流行」芭蕉の言葉が、「芭蕉稲荷神社」の旗の文字に浮かび上がって見えたのは、私の錯覚というものだろうか。

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芭蕉庵史跡展望庭園にて…文明さんお先にどうぞ!

2006年10月21日 07時30分52秒 | Weblog
昨日・午後、芭蕉記念館に出かけた。
ジュニア新書に載せた芭蕉の句の表記を調べるのが主な目的だった。
「深川に芭蕉庵あり」ということで、歩いてみたかった。

この史跡展望庭園は、「芭蕉記念館」から程近い、隅田川と小名木川が接しているところにある。
遠くを望むと、清洲橋に高層ビルがシルエットを浮かび上がらせていた。
上天気でもなく、風もなく、薄曇はむしろ散策にはちょうどよい。
この「芭蕉庵史跡展望庭園」には、芭蕉像・芭蕉庵や句碑などのレリーフが配置されていた。
しかし、なんとなく違和感がある。
ひとつだけ芭蕉を偲ぶことが出来るのが、ここに載せた写真である。
これは、石段を昇って左手に江戸の絵図が扇を広げた形で塀の役目を果たしていたものを写したのだ。芭蕉が生きた時代の深川、隅田川、橋の様子等々、見渡せば往時の面影ひとつない超現代へと変貌を遂げた東京都会の風景のなかで、唯一、芭蕉庵の風情を伝えるものと思えた。当たり前なのだけれど、もう少し面影が残っていてもよさそうなのに……。
考える間もなく思わずシャッターを押して、この写真を携帯の待ち受け画面に貼り付けてしまった。

川面を見つめる芭蕉さんも、どれほど戸惑っておられることか。
「文明さんお先にどうぞ!」
野口三千三先生晩年の言葉だが、私も遅かれ早かれそう呟くようになるのかしら……。
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芭蕉を歩く~築山…肉筆はいい!

2006年10月21日 07時26分46秒 | Weblog
地下鉄都営新宿線・森下駅を降り立って新大橋方面に向かって歩き、橋の手前を左折する。しばらく行くと「江東区芭蕉記念館」がある。
この記念館のなかに図書室があって、そこで小一時間をすごした。
大学の図書館でも事足りたかもしれないが、やはり芭蕉が息をしていたその場所で、調べ物をしたかった。それは正解だった。

コピーをとってもらい、丁寧にお礼を言って庭にでた。
小さな庭園だが、芭蕉が句に詠みこんだ草木を植え込んで、丁寧に木の札に名前がしるしてある。ひとつひとつを読みながら、見ながら一歩ずつ歩みを進める。
築山はかなりの急勾配である。大きな石を中心に、大中小の石を池を渡るように按配よく配置してある。
きっと芭蕉が旅をしながら登ったであろう名跡を、象徴的に模しているに違いない。ここには小さいながら「風雅」が映しだされている。

登りきると、そこには芭蕉庵らしきものが建っている。中には芭蕉翁坐像に花と果物が供えられていた。季節柄イガのなかから栗の実が顔をのぞかせている。
灯明や線香はないけれど、なんとなく手を合わせてしまう自分に、苦笑した。

その建物から少し身をズラすと、隅田川が望める。
水量も多く、海に近づく川幅は広そうだ。
目を閉じて、空気とともに水の匂いが鼻腔の奥にたどり着くのを味わったその瞬間に、網膜に先ほど目にした芭蕉自筆文字が浮かび上がった。
「肉筆はいい!」
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野口体操・上体ぶら下げー1

2006年10月20日 07時42分45秒 | Weblog
野口体操も、野口三千三先生のいつの時期に習ったのかによって、違いがある。基本的なこと・理論的なこと・原理的なことは変わらないのだが、微妙に質感に違いがある。

野口体操の「上体のぶら下げ」もまた同様である。ここに載せた「上体のぶら下げー1」は、長い間にわたって行われたあり方である。晩年、同じ名前の「上体のぶら下げ」が、多少の変化をきたした。

ここでは、いちばん基本的なやり方を載せてみた。
これは「上体のぶら下げ対話」が可能な動き方だから。
「足関節」が支えになって、「股関節」が軸になって、「骨盤」を回転させるようにして、「上体」をぶら下げる。「揺れ」を末端に伝えることを忘れずに!
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野口体操・揺り振りの動き~左右

2006年10月19日 07時08分48秒 | Weblog
この映像を載せることに、逡巡う気持ちがあった。
2日間迷って、今朝アップした。
芭蕉の「造化」を語ってきた身としては、悪名高い都庁のビルをバックにしての映像はいかがなものか、と或る筋からお叱りを受けるような気がしてならなかった。

今週、火曜日のレッスンは、朝日カルチャーセンターの一号室。都庁の真横に部屋はある。「おへそのまたたき」などを行うとき、床に仰向けになると、現代のティラノサウルスの姿がせまって見える。

言い訳はそのくらいにして、「立って揺する・振る動き」の中から、右半身と左半身を分ける動きをご説明しよう。
野口体操のすべての動きの基本は、「足の裏」での重さの乗せ換え感覚をつかむことである。この場合、片方で二回重さを受けているのだが、いわゆる体操の号令とは異なる。とりわけ足の中の微妙な「伸び縮み」は、1・2、1・2というような号令では動きの質が異なる。

光を浴びて、光に溶け込んで、からだを揺するというようなイメージは、それは一興かもしれない。

明日も、同じ日に撮影した映像を流してみようとおもっている。
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「貞虎庵」というのはいかが……

2006年10月18日 09時20分01秒 | Weblog
 父から譲られた蔵は、大正十五年に建てられたものだ。
 御歳八十で、第二次世界大戦の戦火に耐えた蔵である。

 古くなった家の建替えを考えたとき、残そうか残すまいか非常に悩んだ蔵は、一般的な大きさである。池袋の立教大学が所有する江戸川乱歩の蔵とほぼ同じつくりである。
 二間半+三間で、半地下をもつ二階建て。高さは約10メーター強。「内蔵」といって、母屋から直接出入りができる蔵である。
 
 しかし、江戸川乱歩邸とは違って、なにせ狭い敷地である。
 そこにこの蔵は大きすぎるのだ。
 その上、残したところで今後の維持費を考えると、壊してしまう選択のほうが楽だった。

 ところが実際に家の建替えを具体化するなかで、壊す費用がかさむ事がわかった。
 迷った挙句、残す決断をしたのは、一昨年のことだった。

 その後、改築した家に暮らして一年数か月が過ぎた。
 今は、残してよかったとおもっている。

 実は大正十五年に建てられたということがはっきりしたのは、昨年のことだった。都税事務所の人が、固定資産税の査定にこられた秋のこと。持参された書類を見せられて知った。
 それまで、てっきり昭和7年の蔵だとばかり思い込んでいた。まさにその年に、五木寛之氏が生まれた。五木さんと同い年ということも、私のなかで残す理由のひとつに挙がっていた。(このことについては、またの機会に書きたいとおもっている)
 実際は、それより以前に建てられたものだったのだ。
 
 さて、偶然にも、大正十五年は、寅年だった。
「これは野口先生の思いが、強く働いたに違いない」
 私は、自分の選択にやっと納得がいった。
 先生も寅年生まれ。
 それにかこつけて「貞虎庵」とでも名付けようかおもっていると、最近になって知人に相談をした。
「かっこいいね~、庵を結ぶなんて!」
 知人は笑いながら冷やかしの素振りを見せた。
 そして、一言。
「庵主さんとしては、まだまだ修行が足らないようで……」
「仰せのとおり」
 
 我が家の蔵にまつわる物語、今日は、お問い合わせにお答えして。
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