羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

懐かしい方からの電話

2015年10月31日 12時15分32秒 | Weblog
 野口三千三先生がご存命の頃、朝日カルチャーの「野口体操講座」に参加されていた女医さんから、二十年ぶりに電話をいただいた。
 キッカケは岩波現代文庫『野口体操入門』を読まれたことだった。
 第一章にいたく感銘、とのこと。
 嬉しい限りである。
「なんとなく想像していたことが、文章になって、野口三千三と野口体操の由来が、非常によくわかったわ」

 しばらく旧交を温める内容で会話をかわした。
 なんでもお母様の介護からようやく解放されたら、何もする気が起こらなくなって、鬱に近い状態に陥るとは思いもしなかった、とおっしゃる。
「自分が支えなければ、と気が張っていたのね」
 
 今は清里に暮らしているお母様は、妹さんが半分ほど面倒をみておられるという。あとの半分は介護保険を使うようになってデイケアサービスを利用してくれるようになったとか。

「私が医者なのに、母は病院に行くことをずっと嫌がって結局4年ほど私が一人で介護していたの。医者の診察を受けないと介護認定がおりないといくら説明しても首を縦にふらなかったのよ。とうとう困って、妹とふたりで母をようやく病院に連れて行き、今の暮らしができるようになったわけなの」
 
 とにかく介護はやってみなければわからない、でお互い同感し合った。
 何事も体験が大事だ、と。
 さらに精神科医として野口先生が常に強調していた「実感」「体験」、それが大事だと。 
 机上の論や、医者がかかわれる範囲のキュア・ケアというものの限界もわかった、とおっしゃる。
 それでも鬱を患っている方には、グループで支えることで、回復していく可能性は強調しておきたい、とのお話だった。
 昭和20年生まれの優秀な精神科医としての話と、ご自身の親御さんの介護の話は、野口体操のことも含めて貴重なおしゃべり電話だった。
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「小」がつくことば

2015年10月27日 09時39分36秒 | Weblog
 今朝は小ざっぱりした部屋で、パソコンに向かっている。
 片付いているだけで、こんなにも気持ちが清々する、とは……。
 
 ふと、「小」のつくことばが浮かんでくる。
 
 小ぎれいな娘
 小ざっぱりした部屋
 小走りに去って行く
 小股の切れ上がったいい女
 小高い丘に登る
 小雨降る街で
 雨が小降りになった
 あいつの小賢しさが気に入らないねーやね
 小憎らしいガキだ
 小利口でませた娘っ子だね
 隣の小せがれがどうしたってんだ
 小一時間ほど待って
 小半時が過ぎた、というに

 ほかにも、小物 小机 小馬 小石 小犬 小猫 小話 小耳にはさむ 小振り ……

 日常の中でよく使われることば、使われなくなったことば、「小」がつくことばはいっぱいあって、日本的な可愛らしさ、情緒、価値観、微妙な機微をあらわしていることに気づく。

 仕事で向かうパソコンにちょっと飽きて、ブログにメモっておきたかった「小」のつくことば!
 ほかにありません?

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 FBにコメントがありました。ナイツの「取材」という漫才が、「小」がつく言葉で面白い展開です。
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家の手入れ……そして

2015年10月26日 13時22分23秒 | Weblog
 先週の火曜日から、職人さんが入って、雨樋の修理と外壁塗りの工事が始まった。
 実は、数年前からの大雪の際に、蔵の雨樋が屋根からずれて、雨水が直接地面におちてくるようになっていた。
 そこの部分だけ、苔が生えたり、雨水の跳ね返りで外壁がいたみはじめていた。
 なおすには足場をかけることになるので、いっそのこと建て替えた母屋も11年目なので、まるごと外壁塗りも行うことにした。

 土曜日には家の丸洗い、つまり高圧洗浄が行われた。
 びっくりである。あっという間のことだった。
 職人さん曰く「特に蔵の雨樋には泥がたくさん溜まっていましたよ。葉っぱも……ね」
 外壁はもちろんのこと、雨戸の外側も、サッシとその溝も、網戸も、洗い流されてすっきりした。

 本日は、まず下塗りの準備と鉄部の錆びとりが行われているようだ。
 雨の日もあったりすると、10日から二週間くらいはかかりそうだ。

 完成したわけではないが、母も私も元気なうちにはじめてよかった、思っている。

 もう一つよきことは、掛け捨てでかけている火災保険から「雪害」の部分だけは保険がおりたことだ。
 ある方と雑談しているとき「家も雪害で雨樋が壊れて、保険がつかえましたから」
 さっそく代理店に連絡をしてみた。なんでも東京都内では、こうした事例がたくさんあるそうだ。
 今は、手続きも終わって、結果は、至極ラッキー!
 保険というのは、転ばぬ先の杖か、と。
 
 かくして適当な時期に家のメンテナンスしておく必要をつくづく感じている。

 昨日、久しぶりに訪ねてきた遠縁の者を見送った際
「来年のお正月は、綺麗になって迎えることができますね」
 彼女の一言。
「たしかに」
「エッ」
 一瞬、ひるんだ、というか気づかされた。

 そこで、今朝は、たまった本を整理し、散らかったままの部屋の掃除をし、多少の冬支度に精をだした。
 そして、先ほど、小綺麗になった部屋で、来年度のために大学に提出する書きかけの履歴書を完成させた。
 
 “来る年”がしっかり射程内に入ってきたようだ。
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書評

2015年10月22日 09時08分43秒 | Weblog
 昨日、6月に出版した “ 『野口体操入門』書評がでました ” と岩波現代文庫の担当編集の方からコピーが郵送された。
 掲載誌は、Book Club Kai;News letter vol.99 2015.autumn である。

『野口体操は身体訓練であり、時々刻々変化する動きの中で、「重力軸」が通った「身体軸」を探していく、感覚訓練でもある』
 から始まる。
 最後は『動きの基礎の紹介はもちろん、新書版から大幅に書き換えられた第一章では、野口が戦前戦後を通して体操教育に関わるなかで、なぜ独自の身体感を得、普及していくことになったのか、そこにどのような願いが込められているのかが、直弟子である著者の目を通して考察される』
 丁寧に読み込んで書かれた書評だった。
 
 ありがたいことです!
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早10月も中旬

2015年10月13日 04時53分31秒 | Weblog
 ついこの間、お正月を迎えたと思ったら、春になり、夏になり、秋になり、「錦繍」の便りが北から南下してきた。
 先日、新宿から乗った山手線の車中から、高田馬場駅にさしかかる外の景色を見ていた。東京グローブ座からマンションをすぎ、隣の公園に植えられている銀杏の葉が、”黄色に色づき”とまではまでいかないが、夏から秋へのグラデーションに変化を見せ始めていた。
「いつ、こんなに時間がすぎたのだろう」
 厚かったカレンダーも、薄くなって今月を入れて3枚となってしまった。

 今週は、56年もの間、道を照らしてくださった恩師をお見送りした。79年の生涯。会津藩から維新を機に、津軽・弘前藩へ。お父上は、昭和天皇の侍従職をつとめられた。昭和にまで残された武士の娘として凛として死と向かい合って在宅での最期を選ばれた。野辺送りの式場には、仮名の書がかかがられ、まわりには“こぎん刺し”で造られた品々、トンボ玉をいかした手芸、等々。定年後にたしなまれた趣味のひとつ一つに、思い出が甦ってくるのだった。

 恩師といっても親友の恩師で、私は、個人的に慕っておつきあいをさせていただいた間柄だった。
 心からご冥福を祈るばかり。
 
 訃報が届く前日、9月から抱えていた原稿を添付ファイルで、締め切り前に岩波書店の編集の方に送ってあった。
 平仮名を漢字に無理矢理に置き換えたりして、指定の2000字に縮めた。結構、こうした最後の詰めの作業は、嫌いではない。結局、初稿ゲラを読んでみると、その漢字が平仮名にひらかれていたりする。それを祈っているのだけれど。
 今回は40名ほどの著者が執筆依頼を受けた本で、どんな風になってくるのか楽しみである。著名な執筆者のなかで、私ひとり場違いでないといいのだけれど……。恐る恐る提出した原稿に、野口体操の羽鳥にしか書けない内容、云々といった嬉しい返信をいただいて、とてもとてもホッとしている。
 来年の1月に出版予定で書名は『私の「戦後民主主義」』。思うに、6月に出版された『私の「戦後70年談話」』の姉妹編といったところだろうか。
 とにもかくにも小学校の頃から、社会科好きだった自分を振り返る機会をいただいた。
 いくつかのエピソードを選んで書き込みながら、出会った人・出会ったときの街の風景、当時の社会現象が走馬灯のように巡って懐かしくもあったが、それらがみな野口体操への道を用意してくれていたことに驚く自分だった。幼児期から12歳くらいまでの言葉を覚える時代に、ある女性の影響が大きかったことにあらためて気づかされた。すでに80歳を超えただろうか。お訪ねしなければ、と思っている。
 
 さっー、のこり二ヶ月半! 
 大過なきことを祈って……。
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椰子の実

2015年10月11日 09時38分59秒 | Weblog
 名も知らぬ 遠き島より
 流れ寄る  椰子の実一つ
 故郷の岸を離れて
 汝はそも 波に幾月

 島崎藤村作詞 大中寅二作曲 『椰子の実』の冒頭である。 

 この歌の誕生には、柳田國男が深く関わっていることを、大変にお恥ずかしいが、最近になって知ったばかりだ。
 柳田が愛知県伊良湖岬 “ 恋路が濱 ” で、流れ着いた椰子の実を見つけた。
 その時、日本人は “ 海の民 ” として、黒潮にのってこの島にやってきた、と日本文化の源流の在処を確信したという。日本文化の根源を山民社会から海民社会へとゆるやかなカーブを切った、という。それほど記念すべき歌である。
 そんなことも知らず、小学生のころから折りにふれて口ずさんでいた私だった。(お恥ずかしい限り)

 そもそもこの椰子の実との出会いを柳田は親友の島崎藤村に語ったことが歌のはじまりである。
 明治33年藤村は『海草』を発表。それが童謡『椰子の実』の詩の誕生である。
 昭和11年、NHK国民歌謡として大中寅二作曲で愛唱歌となった。

 先日、10月6日に、横浜在住の知人と、県立「神奈川近代文学館」を訪ねた。
 ここでは、11月23日まで『生誕140年 柳田國男展 日本人を戦慄せしめよ ー「遠野物語」から「海上の道」まで』が開催されている。
 柳田の誕生から、87年間の足跡をたどるものだった。

 最後に近い部屋には、ひっそりと椰子の実とタカラガイ(子安貝)が展示されていていた。
 急に目の前にあらわれた「自然のもの」に、驚きと感動を覚えたのだった。
 
 さて、ここで冊子の一部を抜粋する。
『文学に親しみ、抒情詩人として高い評価を得た青年時代、貧困や差別の克服をめざして農政に取り組んだ官僚時代を経て、民俗学という新しい学問の体系化に至る柳田の歩みの背景には、日本民衆のあり方や社会に対する深い問題意識がありました。“開催にあたって”より 主催者』
 
 第一室目から晩年までの部屋を、一通り見て、読んで、民話を語るビデオを聞いて、柳田國男の一生がすっきりと理解できる構成になっていた。
 全集本、30巻以上は圧巻だったし、なにより柳田に限らないが、手紙以外の通信手段がなかった時代だけあって、筆まめである。そして絵はがき好きである。
 肉筆の手紙が残っていることは、実に素晴らしい!と思いつつ、昨今のメール文化や便利すぎるSNS頼りに、「こりゃ、まずい」とも思った。
 しかし、ここに来る前にこんな文章を読んでいた。
『柳田はおそらくWebというツールに一つの可能性を見いだしたであろう、というのがぼくの考えです』
 この僕とは、大塚英志氏である。
 書名はやけに長い『社会をつくれなかったこの国が それでもソーシャルであるための柳田國男入門』角川Epub(イーパブ)選書
 
 もう少し、引用させていただく。
『柳田の考えはWebやソーシャルメディアを前提とした時、ようやく可能になるのです。一人一人が自分の考えを持ち、言葉として、議論し、合意し、公共性をつくろうとした時、しかし、それを発信していくツールが柳田が生きた時代には未発達で、雑誌もソーシャルメディアとして構想し周囲との軋轢を起こしたことはすでに述べました。中略 手元にある端末で誰もが自分のことばや情報を発信し、「つながる」ことのできる今の時代はようやく柳田の考えを可能にするインフラが整った、といえます』
 
 大塚氏は、「社会」「近代」「個人」の問題に切り込んでいく。
 とにもかくにも残された手紙の多さを見せられると、もし仮に現代に柳田が甦ったら、旅先からスマホ情報発信を、相当頻繁にしているに違いない、と想像できる。

 著者はこの本は、『柳田の「思想」ではなく、実践的な「考える手続き」を学んで欲しい』という思いで一冊を書き上げているらしい。
『柳田國男という人は、まさにこの国が「社会的」であるにはどうすればいいかを考え続けた、というより、その方策として彼の学問をつくり続けた人です』
 とおっしゃる。
 この表現だけを取り出すと、各所から異論が飛び出すやも知れず。
 そこはなだめて、一つの見識としてこの本をおすすめする。最近、読んで面白かった一冊である。

 この本に誘われた秋の半日。
 横浜散歩と『柳田國男展』は、なかなか充実した時間をすごさせてもらった。
 そうそう三木成夫も、『椰子の実』の歌にヒトの面影を重ねた一文があったような記憶が呼び起こされた。
 日本人にとって椰子の実は植物の実を超えた、懐かしく・哀しく・愛おしい魂の塊なのだということだけは、この柳田國男展を一巡りして、はっきりと感じられた。
 
「藤村の詩をもっと大事にしよう!」
 帰宅の途、「みなとみらい駅」のホームで電車の到着を待ちながら、「社会」よりもロマンティックな気分に浸ってしまった私だった。
 最後のフレーズを記して……。

 海の日の 沈むを見れば
 激(たぎ)り落つ 異郷の涙
 思いやる八重の汐々 
 いずれの日にか 国に帰らん
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みそ汁に塩……果物に塩

2015年10月02日 11時21分44秒 | Weblog
 毎朝のこと、かならずみそ汁を作る。
 前の晩に出し用昆布と煮干しを水に浸しておく。
 初夏から初秋にかけては、冷蔵庫に入れておかないと、水が濁ってしまう。
 今が変わり目で、冷蔵庫だったりガス台の上にのせたままだったり、その晩の気温との相談になる。

 さて、先日、佐治さんからバリのお土産をいただいた。
『Crystal Sea Sslt (Tejakula村産)Baliの昔ながらの方法で作られた塩』という手書きラベルが瓶に貼られていた。
 筆跡からして佐治さんの字ではないか?と想像している。

 先日、ふと、思いついて、昆布と煮干しにこの塩を少量加えて、一晩置くことにした。
 さすがに海のものである。相性は抜群。出汁の味にコクがでて、臭みがとれる。
 日本酒と醤油を少々、タラリとたらして、みそ汁の出汁は完成。
 美味です!

 勢いついでに、他の料理の隠し味に使ってみようと思い立った。
 なかでも今が旬のイチジクの皮をむいて、ひたひたの日本酒に砂糖とレモンを加えてジャム状ににるときにも、この塩をごく少量加えてみた。
 もう一つ、リンゴも同じように煮るのにも、この塩を加えた。
 ガラスの器にリンゴを刻み入れ、その上にイチジクのジャムをのせ、さらにヨーグルトをかけ、その上にイチジクのジャムをのせて食べてみた。
 美味です!
 ワインだと洋風になって、紅茶とのよく合うが、日本酒で煮ておくと煎茶でもOK。
 リンゴとイチジクの甘さに、Crystal Sea Saltのアクセントがきいて、レモンがほのかな香りをただよわせている朝のデザートは、至福のときをもたらしてくれた。
 ごちそうさま!
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