4年前から使っていたiPhone6s が、数年前からストレージ不足の表示が出て、ほとんどのアプリを使用不可にしていた。
ほとほと困った。
そこで半月ほど前に、iPhoneSEに買い換えた。
一昨日、Appleから知らせがあって「システムバージョン14、01」にアップしたところで散歩に出かけた。
帰宅して ❤️マーク・ヘルスケア を開いてみた。
驚きましたね。
今まで見ていた画面とは違って、もたらされる情報が詳細になっている。
ウォーキング+ランニングの距離・歩数に加えて、「歩行速度」「歩行非対称性」「歩行両脚支持時間」「歩幅」が数値化されて表示されている。
見慣れない言葉に、一つずつ説明を読んでみると、理学療法の知識の片鱗が得られたのだ。
これらの情報を総合的に判断して「自分の健康度」を測ることができる、というわけだ。
“なるほど”
そう思う自分に、すかさず野口三千三の呼びかけが聞こえてきた。
「外側に表れる数値結果・平均値に惑わされるな! (小声で)参考にはなるかもしれないけれどね」
今朝になって、計測の条件に挙げられていた「腰のそばのポケットにiPhoneを入れて、平らな場所を選び歩いてください」
指示にしたがって歩いてみた。
少しでもよい結果を出そう、と意識している自分に気づいた。
「まっ、いいか」
そのまま歩き続けた。
公園でベンチに腰掛け、❤️・ヘルスケアを開いて見る。
明らかに違う数値も出てきたのだった。
意識するってこういうことか、と驚き半分の自分。
そう言えば、さらに詳しい数値が得られる健康管理を目的としたアップル・ウオッチの宣伝もあった、と思い出す。
このiPhoneでも、脈拍や血圧が測定できるアプリがあるらしいし・・・・。
医者に行かずとも、ある程度自分で自分の体の状態を知る手立てになるらしい。
さらにパーソナルトレーナーについて日々の訓練を怠らなければ、これぞすっかり文明国に生きる現代人ってわけ?
公園内を散策する高齢者を見ながら思いを巡らす。
「かなり前から、すでに スマートフォンや時計は、健康は自分で守るための計測機器になっているんだ」
独り言を呟く。
いやはや「自己責任」ここに極まり!だなー。
そこで腰掛けたまま呼吸を整えた。
帰宅して、すぐさまうる覚えだった野口三千三の言葉を調べてみた。
『運動量と呼ぶコトバの中身は、物理量(メートル・グラム・秒などの数値で表される量)と考えるのではなく、「情報量(刺激効果・感覚効果)」として考えるべきである。このことは価値観にかかわる重大な問題ではあるが、まだ解けてはいない。物理的な物差しだけでなく「感覚スケール」とでも呼ぶような、その時・その場で物事に対して適切な物差し(スケール)が自由適確に変化して現れることが大切である』
“なるほど” 先ほどの「なるほど」とは、ひと味もふた味も質の違う納得をした。
言葉の上で納得したものの、つかめるかしら・・・と微妙にゆれる。
「千里の道も一歩から、夕方に、もう一度、散歩に出てみよう」
野口体操を生きるってことは、生なかのことではないなー。
今更ながら呟く自分。