羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

『白い宴』と『原初生命体としての人間』

2013年01月31日 12時36分35秒 | Weblog
 久しぶりに『原初生命体としての人間』野口三千三著を読み返している。
 NHK人生読本「私の身体論」で先生が語っておられる内容は、この本の第一章「体操による『人間変革』と、第三章『息と「生き」』を参照しながら聞くことによって、より理解が深まる。というか、難解な本を理解するのに、この放送内容は、平易な言葉で語られているだけに、手助けとして一級の資料であると思う。

 さて、この第三章の中から、小見出し『生き方と「息方」』の部分が、角川書店『高校生の現代文』に採用されて、一昨年まで教科書として使われていた。
 その出だしは次のようなフレーズから始まる。
《心臓移植の問題が起きたとき、人間の生と死の判定の問題が、医学を中心として広い分野で盛んに論議された。このことは、医学的にどう結論が出ようが、法律的にどのように決定されようが、それはある一つの角度から、何かに基準を求めて、仮にそう決めてみるだけのことだと思う》

 大学の授業で「呼吸」について取り上げる時、かならずこの文章を読み上げている。
 ただ今回、この時代の臓器移植に関して、調べてこなかったことに愕然とし、忸怩たる思いを抱いた。
 既に連載は終わったが、日経新聞『私の履歴書』に渡辺淳一氏が書かれたものを読んだことがきっかけとなった。

 24回『和田心臓移植 日本初の「快挙」と信じる 疑問の声に新聞紙上で反論』
 25回『病院辞める決意 「二つの死」に自ら決着 作家専念を宣言、母は反対』

 この文章を読んで、昭和43年(1968年)当時の心臓移植(臓器移植)をテーマにした「『小説・心臓移植』を読まなければいけない、とすぐさまアマゾンをクリックした。
 検索すると、改題・加筆された『白い宴』が角川文庫に入っていた。
 注文した数日後、本が郵便受けに投函されていた。
 整形外科医としての経験と知識によって細部のリアルさが担保されたドキュメント風長編作品として、非常に精度の高い名作だと感じながら一気に読ませてもらった。
 小説という形式をとっているために、その当時の時代の様子がつぶさに伝わってくる。最初に改題される前の小説が発表されたのは昭和44年(1969年)。当時、私は20歳だった。おそらく出版当初にこの小説を読んだとして、どの程度の理解ができたかわからない。野口体操に出会わなかったら、今回の読みもありえなかったと確信している。

 さて、『原初生命体としての人間』が三笠書房から出版されたのは、昭和47年(1972年)のこと。本の具体的な草稿は、それ以前の数年前と考えられる。
 昭和43年(1968年)当時、野口は54歳になっていた。相当に深く考えられて、呼吸についての第三章『生き方は「息方」』の前述の文章が書かれたに違いない。
 
 一冊の本を読み解くには時代を知ることが必須なのだ、と改めて読み直しをしている。
 野口体操は動きを身につけると同時に、時代を読む、社会を読む、科学をひもとく、ことばを遡る、といった学びの原点に立つことを並行して行う面白さだ、と確信している。

 ちなみに『失楽園』の作家が、硬派の社会派作品をベースに作家の道を歩み始めた、その原点を垣間みることができたことも収穫だった。
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人生読本を聞きながら……

2013年01月30日 07時20分16秒 | Weblog
 ひとつの教科書を考えている。
 その試作として、野口三千三先生が話された「私の身体論」の話を聞きながら、手元のパソコンにあるデジタル化した本や写真資料を中心に、Key Note を作っている。今はまだ話に合わせた貼付け作業のような感じもするが、やってみると話の内容の理解が、ただ聞くだけよりも奥行きが出るように感じられるようになる。つまり立体感とでもいうのだろうか。

 第一回目の「疲れ知らず」は、『原初生命体としての人間』、第一章を理解するのに、もっともふさわしい内容である。
 第二回目の「構えのない構え」は、「人間が立つこと」について、実体験を伴った話で、野口体操の基本をおさえる内容である。
 最終回の「地球との対話」は、まだ手つかずだけれど、後の「石の世界」へと導かれる予感が漂っている。
 いずれにしても文字の世界に、声と映像が加わることで、今までなんとなく読み過ごしていた言葉に命が宿るような気がしてならない。

 楽譜に置き換えられ、作曲された曲が、実際に演奏されることではじめて音楽として生きることに通じるものを感じている。

 思えば、はじめて『原初生命体としての人間』を手に取って読みはじめた時、何が書いてあるのやら理解できず、まったく歯が立たなかった記憶が鮮明に残っている。

 放送記録を繰り返し聞きながら、話にあわせて作業をすすめる。引き算ではなく、足し算をしていく作業をもう少し続けてみたいと思っている。
 たとえば聞くことに特化したラジオ放送記録を聞いてもらいながら、Key note 静止画面を見てもらう。動画映像を見たり聞いたりするのとは、ひと味違った理解を引き出せるようだ。
 アーカイブ野口体操の一つの伝え方として可能性があるのかもしれない。
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凄い写真ばかり

2013年01月29日 09時37分31秒 | Weblog
 今朝、Face bookで見つけたサイトです。
 どの写真も美しい。楽しい。非日常。
 とにかくスクロールをどんどんして見入ってしまう!
 Milky way scientists
  航空宇宙/防衛 NASAでした。
  はしからシェアしてきりがないのでやめました。 
  一枚猫の写真を貼付けます。

  ここにご紹介します。
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NHKラジオ放送『人生読本』ー私の身体論

2013年01月28日 09時31分31秒 | Weblog
 昭和50年(1975)6月に放送された野口三千三「私の身体論」を、前回の日曜日と先週末の土曜日の朝日カルチャーセンター「野口体操講座」で聞いていただいた。
 今回がはじめてではないので、二回目の方もおられる筈だ。
 一回放送時間は10分で三回で計20分である。
 内容については、一回目「疲れ知らず」、二回目「構えのない構え」、三回目「地球との対話」、三回分を一気に聞いていただいた。
 その間、ノートを取りながらの方、身じろぎ一つしない方、ゆらゆらとからだをゆすりながらの方、座位によるほぐしをしながらの方、聞く姿勢はまちまちだが真摯に耳を傾けてくれいる様子がうかがえた。

 放送されてから38年ほどたった。そこである程度の事前説明をしなければならない。
 一つ目には、隔世の感がある70年代の外科手術と術後の在り方について。
 二つ目には、現在ではエスカレーターやエレベーターが設置されているところが増えたし、欧米には追いつかないないがバリアフリー化も少しはなされている東京の町の違いについて。
 三つ目には、エコノミック・アニマルと称される時代、朝のラッシュアワーのものすごさについて。
 四つ目には、『原初生命体としての人間』『野口体操 からだに貞く』をはじめ、本でもレッスンでも「健康」という言葉を使わなかったこと。この放送のなかでも一度も「健康」とは言わなかったことについて。昭和53年(1978)に上梓された『野口体操 おもさに貞く』ではじめて書物に登場したこと。

 そういったことを中心に前置きをした。当時を知らない若い方の数名が足を崩さず、目を閉じて、聞き入っている姿が、今でも目に焼きついて離れない。

「女性アナウンサーの発声や、言葉遣いに時代を感じました」
「戦前・戦中、野口先生は軍国少年であり軍国青年(?)、本気で戦ったんですね」
 新宿駅までの帰り道々、つぶやきが聞かれた。
 ある方から、デカルトを引かれた深い内容のメールメールもいただいた。
 こうしたリアクションといただくと、お聞かせしてよかった、と思う。
 今朝、返信を差し上げた。ざっと書いたもので推敲していませんが、ここに貼付けます。

 ********

 K・O 様

 Cogito,ergo sum のお話、興味深く拝読しました。「貞く人」あっての話の意味を感じます。
 同じことを聞いても、そこに居合わせた百通りの理解があって、人間というのは面白いと思います。
 浅知恵ですが、デカルト時代、宗教の不条理・神という不合理、人間の情念、それぞれの負の側面が生きていたからこそ、結果として近代の扉を開いたと万人が認める「方法序説」が書かれたではないか、と思います。

 話は飛びますが、学校での体育系の体罰問題が噴出していますが、これだけが原因ではないでしょうけれど、という前置きをして、野口先生が小学校教師をしていた戦時中、日本全体で行われていたそのままを、いまだに引きずっている体育系の価値観が、教師にも生徒にも親たちにも残っているに違いありません。もちろん若き日の先生もその中で生きておられた。だからこそ敗戦後に「行動による反転」180度の転回をしたのではなく、まったく別の次元でからだと向かい合おうとされたのでないかしら。
 その象徴的な言葉が「貞く」。他人にわかってもらうことが問題なのではなく、やむにやまれぬ思いで行き着いたところに「貞く」という文字と言葉と独特な意味を見いだされた、と思います。それまでに四半世紀の時が必要だったんですね。
 (先生が)「貞く」という言葉にのせた思いは、「存在の内側を観ること」。
 上手く表現できないのがもどかしいですが、逆に、なぜ自分自身が野口体操にのめり込んだのだろうか、と問いかけてみると、科学的に数値化されたデータをもとにするのでもなく、かといって反科学でもなく、かなり合理的でありながら、人間のもつ不合理、不条理、情念も否定せずに、からだで「貞く」・からだに「貞く」ことを絶えず繰り返す、という方法論を体操に発見したのが野口体操だったから、と今のところ捉えています。
 ちょっと生意気なことを書いてしまいました。(笑)

 ついつい時代に流されやすい自分にとって、(放送を聞き返すこと)よいと思っていましたが、折に触れて皆さんにも「人生読本 私の身体論」を聞いていただくのもよいかもしれません。
「昭和も遠くなりにけり」で、平成生まれが増えてくるにしたがって、前置きの説明が必要になってきますが。でも、そのなかでそれぞれが「何か」を感じつかんでいただけることが嬉しいです。

     羽鳥 操

 ******

 注:時に一発殴るくらいの体罰が許される場合のあるでしょうか。
   問題は、体罰が制御できず、暴力行為にエスカレートすること。
   
 いや、今すべきことは、「体罰」という言葉と意味、そうせざるを得なかった状況を探り、根本から考え直し、議論することが大事だ、と思います。体罰の反対側は、「科学(データ)」オンリーではない。と危惧もあります。東大野球部に桑田さんが指導に入るニュースを見ましたが、いったいどんな指導になるのか個人的には興味があります。

 

  

 
 
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セルフネグレクトと愚行為権

2013年01月25日 10時00分54秒 | Weblog
 日経新聞1月22日付け「らいふプラス」で、気になる記事を見つけた。
 高齢になって《普通に生活するなかで、当然行うべき行為を行わない、あるいは能力がないことから、自身の心身の安全や健康が脅かされる状態に陥る》
 アメリカで生まれた概念「セルフネグレクト」という内容の記事だった。

 わが町でもこうした状況をいくつか目にしている。
 それだけではなく、外側から見た目にはわからないが、家に入ってみると問題がある知人が数名。
 立て替え前の我が家も、父が闘病生活を15年間していたこともあって、だんだんと家の中が片付けきれない状態にあった時期もある。
 自宅の蔵にものを残して立て替えをしたこともあって、思い切って捨てることができなかった。ようやく新しい家に住みはじめてから、年単位で分類をしながら捨てる作業を行った。
 7年半過ごしているが、まだまだ整理は完全にはついていない。それでも相当に片付いてきた実感はある。

 転勤族ではなかく、一所にずっと住まい続けているので、驚くほどの物が溜まっている。
 ものを捨てようとすると背後霊のように立って「捨ててはいけない」といっていた母が、ここ1~2年で何も言わなくなった。そこで大手を振って捨てられるようになったが、コソコソ気づかれないように捨てていた時期が長かった。
 
 この記事にある程に病的でなくても、日常生活の基本である「衣・食・住」に、様々に問題が生じている高齢者は、ものすごく多いと思う。
 最近では、予算を組み支援に取り組みはじめている自治体を紹介するニュースも目にするようになった。

 で、記事の最後には次のようなまとめがあった。
《監視社会になってはいけない。人は愚かなこともできる愚行為権があり、認知力に問題のない人の場合、尊重する必要がある》
 セルフネグレクトの人の約3割は、独居ではないらしい。家族や親族との関係が悪化しているケースが多いという。
 たしかにそうかも知れない。
 
 私自身も苦い経験をしたことがある。
 相手に懇願され、よかれと思って手助けをし終わった後に、遠方に暮らすご家族からよく思われなかった。
「だったら、あなた方がちゃんとしてあげればよかったのに、本人の意向に添ったやりかたで、仕方なくお手伝いをしただけですよ」
 そうした言葉も呑み込んで、微妙な人間関係のなかで悶々としたこともあった。悶々とはしたけれど、そのときも、今でも、ひとつも悔やんではいない。
 とにかく難しい。頼む方も頼まれる方も、その時々に適切な判断をしてやっているつもりが、結果として周りの人間の反感を買うことになる場合がある特殊な例だった、かもしれない。
「愚かなことも出来る愚行為権」とは、よく言ったものだ!
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もう一つ追加

2013年01月22日 21時53分09秒 | Weblog
 日本のエネルギー自給率は4%だという。
 これって「国は守れない数字だ」と以前に書いた。
 考えてみれば、日本の「エネルギー問題」は、「安全保障」と表裏の関係にある。
 そのことを突きつけられた思いがするのが、アルジェリアでのテロだった。
 犠牲になられた方々、そしてご遺族の方々の無念さはいかばかりか。
 NHKのニュース・9で、今回のテロで息子さんを亡くされた仮設住宅で一人暮らしをなさっている80代のお母様の途方に暮れたご様子に、更に胸がいたんだ。

 また同じニュースのなかで、自衛隊法を改正する案が、自民・公明で論議されはじめたことも報道された。
 うぅーん、なんとか今のままで、国民を守る事は出来なのだろうか。
 それに気にかかるのは、おそらく参院選までは伏せているのだと思うが、国防軍と名称を変えることがどのような意味があるのだろう。

 私たちはこの「エネルギー」と「安全保障」、そして「少子化」といった問題に、とことん向かい合っていかなければならない、とつくづく思う。
 
 本日、なんともやりきれないニュースにいたたまれず、追加のブログです。
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2%物価上昇率

2013年01月22日 19時20分37秒 | Weblog
 今日のニュースのトップは、なんと言っても「日銀が2%の物価上昇率を導入」だ。
 給料が上がらなければ、物価だけが上がれば、困る人が出て来る。それは当然だ。
“豊か感”は給料が何%あがったら持てるんだろう?
 少なくとも給料(収入)が、3%~4%上昇すれば感じられるよね。そうでなかったら、やっぱり節約志向は捨てきれない。物は売れない。

 預金だって同じだ。
 かつて定期預金の金利が、4%の時代があった。今では、金利がつかないに無いに等しい0.02%が長く続いている。
 この状況のなかで、金利2%は夢のまた夢だ。
「4%の金利がつく時代はもう二度とこない」と、銀行に勤めている知人が言っている。
 
 それって、なけなしの預金を投資に向けなければ目減りしていくってこと?
 凄ーく危ない。
 現状だったからやりくりがついたかも知れない60歳代以降の年金生活者に限ってみても、厳しい現実が待っている。
 その上、消費増税が待ち構えていたら、日本脱出を考えなければならない。はなからそんなことは無理というもの!

 大丈夫なんですかね。
「日本浮上」か「日本沈没」か、瀬戸際に来ている事だけは間違いなさそうだ。
 
 本日は、門外漢のたわごと、とお読みいただきたい。
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悪いところをもたったまま

2013年01月19日 11時38分19秒 | Weblog
 これまでに本等々でも書いているが、野口三千三先生の「クリエイティブ・イルネス」病を得てそれが治ることで創造的な仕事を成し遂げる話。
 主には精神的な疾患について言われる事が多いが、必ずしもそれだけでなく内臓疾患にも言われる。
 もっと拡張すれば、野口体操の「上体のぶらさげ」の理論は、野口先生の体育教師を辞めなければならない、とまで言われた腰痛症によって考えられた。
 先生の場合、腰痛症に加えて「胆石胆嚢炎」、「肝内結石」、といった内臓疾患からも独特の身体観が生み出さえれた、といえる。
 このことは『野口体操 マッサージから始める』ちくま文庫版に付録として掲載した坂本龍一氏との対談で話させてもらった。

 さて、私、恥ずかしながら正月三日に、もしかするとひびくらいだったかもしれないが、「肋軟骨骨折」をしてしまった。年賀はがきを出しに行った帰り道、「これからの野口体操はどのうような方向ですすめたらいいのか」「あとを誰に託すか」「それとも墓にもっていくのだろうか」、などと考えているうちに躓いて、右胸を打ったらしい。自分ではどんな風に転んだのか、はっきりした覚えがない。右膝の外側は痛かった。しかし、胸ほどではなかった。右小指は、わからないくらい擦りむいていた。右頬も打ったらしいが、傷一つできなかった。

 一瞬、立ち上がれなかったが、ゆっくり歩いて帰宅。
 かえってすぐに氷で冷やし、その後は残っていた「経皮鎮痛消炎剤」を右胸に貼っておいた。
 翌日は、相当に改善されていた。そのまま冷蔵庫に保管してあった消炎剤を貼り続けた。
 ところが一週間経っても、変化がない部分があった。近くの整形外科にいってレントゲンを撮ってもらうと、肋骨の骨には異常が見られなかった。
 実は、肋骨の軟骨部分は、レントゲンに写らないらしい。そのことをもって「軟骨骨折」と診断を下すようだ。
 結局、自宅で貼っていたと同じ「経皮鎮痛消炎剤」を貼り、胸用のコルセットをつけられた。

 コルセットは就寝の時につけるように言われた。そうしてみると寝返りの際などとても具合がよく、それから二週間ほど、連日のこと同じ治療を続けていた。
 インターネットで調べてみるとスポーツや転倒で起こるらしく、「治療法は、放置」とか、「全治3~4週間」と書かれていた。

 その間、診察に通ったが、その度に診察は「コルセットをちゃんとつけているか」とか「かぶれがないか」を診るだけだった。
 たしかにかぶれたり、喘息が起こったり、副作用が出る場合もあるらしい。この件もインターネット検索をしてみると、甘く見てはいけないことがわかった。

 おかげさまで15日目にコルセットもとれた。
 日常生活の動きに支障は出なかった。ただ仰向け姿勢から起き上がる時に痛みは感じただけだった。
 野口体操の「おへそのまたたき」と「腕立てバウンド」だけは、さすがに痛みを感じて避けたくらいだった。それでも痛みがあるということは、治っていない証拠なので、しばらくコルセットと湿布を貼ることはけいぞくした、というわけ。
 昨日から痛かった動きも出来るように回復している。

 さて、思うに『悪いところをもったまま体育教師を続けるにはどうしたらよいのか』
 野口先生のことばが、支えになって、動揺する事もなく淡々と授業をし続けられたことは、おかげさまなのだ。野口体操に出会わなかったら、からだの怪我や病気に対して、落ち込み、イライラし、できることもやらずに、引きこもってしまったかもしれない。
 考え方も大事。からだとの対話も大事。からだの痛みをどのように捉えるのかも大事。いちばん大切な事は、いたくないような動き方を、その時々に探りながら動き続けること。
 からだとの動きとの折り合いの付け方、からだから発せられるメッセージを聞き取る感覚、ことばにならない僅かな信号を受け取る力。

 それが出来なかったから、つまずき転んだんでしょ、といわれればそれまでで、返す言葉がみつからない。
 そんなもんでしょ、と開き直って、普段とかわらず仕事と日常の家事をこなせたら、いいじゃない!
 体操のお蔭で、このくらいですんだ、と思いたいです。
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一昨日の取材の話

2013年01月14日 09時06分44秒 | Weblog
 土曜日(1月12日)の取材は、よい雰囲気で終わることができた。
 野口先生の最後の20年間、マスコミ取材の対応をさせていただいた私は、時にお断りをしたり、いいにくいことを言ったり、原稿をチェックして言葉や写真に注文をつけたり、憎まれ役も担ってきた。
 先生没後は、お話をいただいた取材は、お断りせずに引き受けてきた。
 マニアックなものから大手新聞社まで多岐にわたっているが、おかげさまで真っ当な取り上げ方をしてもらい、嫌な思いはしないですんだ。
 
 さて、今回、月刊「秘伝」は、三回目である。
 一回目は、野口体操紹介で、写真のモデルは私一人で行った。
 二回目は、「身体サミット」と題した公開講座のリポート記事だった。

 そして三回目。
 野口三千三の野口体操から、現在へ、これまでに紹介しなかった動き等々を交えて、野口体操の本質を伝えたい、という申し出だった。
 スタジオ撮影を行う余裕がなく、教室での撮影といいう条件で、前もって何が撮りたいのかについて、大まかな企画をいただいてあった。
 
 見ると、レッスンが終わったあとに、さささッと撮影できるようなものでない。
「どうしたらいいの?」
 作戦会議は、一人で行う。
 上手くいかなかったら、私ひとりの責任だ、というスタンスで今までもやってきたし、今回もそれを貫こうと思った。

「もの・ことば・うごき」、これが「野口三千三授業記録の会」が、残してきたビデオ記録の共通したタイトルだったことを思い出した。

 ものが語る言葉を直に貞く。
 付加価値をつけてものの本質を語る。
 そこから受けるイメージで動きの質を探る。

 野口先生が体操のレッスンのなかでなさってきたことを思い出した。

 レッスンの進め方は、これで決まった。
 しかし、問題は一つ。
 全員に満足してもらうことは難しいが、高い月謝を納めている受講者の方々にとっても、迷惑をかけないことは勿論のこと、意義のある写真撮影であるには、どうしたらよいのか。
 レッスンのなかで時間をとって、時間内で撮り終わるには、どうしたらよいのか。
 モデルは、一人ずつ写されるのだから、過剰な緊張をしないで臨む条件づくりは、どうしたらよいのか。
 事前にお願いしていた人もいるが、その場で誰かをご指名することもある。

 緻密な計算をする私ではないが、年初の取材でお互いに嫌な思いをするいことは避けたかった。
 取材者、モデルさん、その場で見守ってくれる方々、その三者が一体になって撮影がスムーズに行われるためにどのような在り方がいちばんなのか? 
 夜中に目覚めた私は、丁寧に体操をしながら、最低限の必要事項を思い描いてレッスンに備えた。
 
 そして午後3時半、定時でレッスンは始まった。
「エイヤッ」とばかりに、その場の雰囲気に身を任せる!
 しかし、何時の時点で撮影をはじめるのがベターか? 時々、そのことが脳裏をよぎる。
 ひとこと加えれば、こうした取材を一年間で百回くらいはこなすベテラン記者さんである。独りで写真を撮り、メモを取り、途中では思わずからだをゆすっている。その様子を見つつ、その場に自然に溶け込んだ頃合いを見計らって、「今だ」とばかりに、教室をスタジオ変身させた。というよりショーのような感じで!自然に移行させてもらった。とっさの判断でしたが。。。。。
 
 いつとはなしに、誰とはなしに、一つの動きの撮影が終わると拍手がおこり、被写体として迷うと何げない意見。声にならない好意的な声援あり、手拍子あり、……etc.さすがさすがの教室メンバーの対応をいただいた。
 こうした雰囲気がモデルにとってはありがいたのであります。
 ちょっと引いて教室内を俯瞰してみると、寝そべった姿勢でシャッターを切っている巨体のカメラマンも絵になっていた。
 
 最後の30分弱で、一気に撮影終了。
 誰にとってもはじめての経験だった。
「オープンでやったのがよかった」
「いつも見られない動きがじっくり見られて勉強になった」
「野口体操のインデックスをきれいに開いてもらったようだ」
「取材ってこんな風にやるの?楽しかった」
「今日は、とってもお得感があったわ」

 年がら年中の取材は困るけれど、たまにはスリリングでいい、といたしましょう。
 この場を借りて、お一人おひとりに、お礼を申し上げます。
 ありがとうございます。

 あとは、雑誌が出てからのお楽しみ!
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本日、取材撮影です。

2013年01月10日 09時05分31秒 | Weblog
 本日、午後から月刊『秘伝』の取材を引き受けました。
 インタビューは、すでに7日に拙宅で受けています。
「濃い内容を、たくさんいただいて、社にかえって練り直しをします」
 
 昨日、いただいた撮影企画案はもりだくさんで、果たして時間内に撮りきれるだろうか、と思うほど熱が入っている。
 
 野口三千三没後に継承して15年が経過。通算35年継続している教室である。
 野口が指導し私が助手をしていた時代には、見回すと女性ばかりが残って、男性は数名という状況だった。
 現在はというと、男女半々のクラスに変容。時に男性が多い時もある。
 女性ばかり男性ばかりではなく、ちゃんと男性の居場所がある、こうしたクラスは珍しいらしい。
 
 ということで、普段とは違ったレッスン展開をすることになります。
 よろしくお願いします。
 
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エネルギー自給率4%の恐怖

2013年01月08日 08時51分23秒 | Weblog
 昨晩(1月7日)のNHK「クローズアップ現代」75分拡大版、「世界のエネルギー大変革どうする?日本の電力~帰路に立つ日本の資源戦略」は、問題提起として力が入った番組だった。
 今後のエネルギー問題は、少子化問題と並べて、真剣に取り組まなければならないことと思ってはいた。
 考え始める基本に何を置くのか。それがこの4%という数字だ、と気づかされた。
 つまり、エネルギー問題を考える時、自給率を問題にしなければならない。
 たとえば日本の食料自給率40%、その低さがいわれて久しい。
 ところがエネルギー自給率に至っては、ゼロが消えて“4%”という数字が示された。
 疎い私でも、この数字では「自国を守ることができない数字だ!」と、理解できる。

 内容は、「シェール革命の衝撃」「米が最大の産油国に」「日本にロシアが急接近」「韓国の原発政策とは」「日本独自の新資源?」というものだった。

 再放送はないものだろうか。
 もう一度、しっかり見直したい。

 きょうは、ここまで。
 
 
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巳歳、最初のレッスンで

2013年01月06日 11時15分54秒 | Weblog
 今年の干支は、商売繁盛の蛇。うぅーん。正直いって、好きになれない。
 それでも25年前、故吉野裕子さんの著書『蛇』を読んだ。野口先生のお供をして、目白のご自宅を訪問した。
 柳田国男の民俗学に異議を唱えた、希有な民俗学者である。日本の基層文化として宗教は「蛇信仰」だった。後に大陸から入ってきた文化(宗教儀礼)のなかに、その信仰を巧みに取り込んだり隠し込んだりした、という説を発表されている。
 
 で、ご著書のなかに、文京区弥生にお住まいだった高田栄一さんの研究を知った。
 当然、野口先生のお供で、お宅を訪ねたのが、辰歳の晩秋だった。
 そうした縁を得て、朝日カルチャーセンターで「蛇と親しみ 蛇に貞く」と題して、高田先生をゲストに迎え、野口先生とのコラボを実現1993年酉歳のことだった。
 高田先生も亡くなって、あの世で蛇談義でもなさっておられることだろう。

 さて、昨日の朝日カルチャー講座、本年度最初のレッスンでは、「蛇と親しみ 蛇に貞く」の際に集めた、ものを選りすぐってもっていった。
 蛇の抜け殻、蛇の骨といったものから、世界各地にあるおもちゃ、マリリンモンローが身につけたのが発端といわれる鱗を思わせる金属のベルトまで、さまざまなものである。

 野口先生の楽しみは、一見して何も関係がないように見えるもののなかに共通項をみつけだす。それだけでは終わらず、動きの原理を引き出し、それを種に膨らまし、動きのイメージとして示すことだった。
 自然のもの、人工のもの、何でもありの世界なのだ。
 わかる人にはわかる。わからなくても結構面白い。
 面白がっているうちに、動きが自然によくなっていく。

 昨日は、「ひねり」を動きのテーマとして引き出してみた。
 今日は、どうしようか、と、迷ったがやはり「蛇」とその周辺をテーマにするしかない、かと思っている。
「もの」の力は、非常に大きい。見るだけでなく、触れてみることから伝わる『何か』は、野口体操の動きとその理論を理屈でなく身につける助けとなってくれる。

 蛇の公開講座の折に高田から美しいボール錦蛇を首に巻いてもらった。さらさらした肌、じわりと首に巻き付いてくる感触。不快ではなかった。しかし、、、、、、哺乳類として蛇を畏怖する心情は、親しみとは言えない。

 野口先生が提示したかったことは、人間が失って行く「畏れの感覚」「自然に対する謙虚さ」が、からだへと落とし込まれて行く大事さだったのではないだろうか。
 脊椎動物の進化のなかで極まった姿が、手足を捨てた「蛇」である、というようなことを高田先生は話されていた。
 巳歳が、よい一年でありますよう、祈るとしましょう。
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本日から始動

2013年01月05日 09時42分40秒 | Weblog
 毎年、正月二日には、親戚のものがお年賀に来てくれる。
「たまには違う正月飾りをしたいし、御節になにか加えたい」
 母曰く
「節句というのは変わらないのがいいのよ」
 ということで、今年も、凧を壁に、大・中・小そろえていくつかの独楽を舟板(舟だった板で、水につかっていただけに、木目に独特の風合いがある)の上にのせて、玄関の正面に飾った。
 料理も同じ。
 今年の正月は、お屠蘇代わりに、クリスマス時期に店頭でみつけたシャンパンを買っておいた。
 そこで、何十年ぶりだろうか。リッツクラッカーを土台にしたカナッペを少々。キャビア+レモン、チーズ+三つ葉+イクラを数粒、たっぷりのイクラ+青のりの三種類。早めに作りおくカナッペには薄くバターを塗っておくと湿気が移らないし、味が良くなることを思い出した。
 
 お雑煮には、毎年お歳暮としてMさんから届くお餅が、非常に美味でよい。
 味はもちろん、口に入れたときの舌ざわりが格別である。真っ白な絹の肌合いに通じる滑らかさ。
 一枚を小さく三つに切っておくと、年寄りにも安心して食べてもらえる。

 思えば、野口先生が存命の頃、20年間は我が家の御節を重箱につめて、大晦日にお届けしていた。
 すると元日の朝は、まず、先生からの年賀の電話が入っていた。ひとしきり御節の味の批評である。批評といってもお褒めの言葉だ。悪い事はおっしゃらない。
 その声を聞かなくなって、十五回めのお正月ということになる。

 届ける先もなく、少なめに作ったつもりだったが、今朝、ようやくほぼ食べきった。
 皆が年を取ってきたことの実感が、ひしひしと伝わる瞬間であった。
 もう一つ、年寄りには年間を通して、簡単でいいから節句を行うが大切。飾り物、料理、会話、来客、etc.
 一度、面倒くさい、と思ったらおしまい。しかし、惚けはじめた意識をちょっとでも立て直し、先送り効果は抜群である。こんなことを感じるようになったのも最近のこと。母の様子に心を配るようになったのも最近のこと。それまではそうした気遣いはそれほど意識しなかった、と気づかされた。

 さて、巳年もいよいよ始動。
 本日の朝日カルチャーの講座から、新年の初レッスンだ。
 そこで巳年と言えば高田栄一さんと「蛇」研究の吉野裕子さんを思い出す。
 福島保さんの新しい干支独楽を加えて、いくつかのものを持参しようと準備している。
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「デモクラシー2.0イニシアティブ主催の会」記者会見動画

2013年01月03日 13時25分55秒 | Weblog
 昨年末、参加型民主主義の実現を目指す個人・組織・団体のメンバーが集まって、「新たな参加型民主主義を考えるラウンドテーブル」が開催された。その報告・動画等の紹介をいただいた。
 主催したデモクラシー2.0イニシアティブ発起人・田坂広志からメールを一部貼付けます。

  *******
デモクラシー2.0イニシアティブの、まず当面の目標は、
夏の参院選までにネット選挙解禁を実現し、
活発な国民的議論を促し、
投票率を圧倒的に高めるだけでなく、
多くの国民が政治に参加する状況を生み出していくことです。

下記に、このラウンドテーブルの記録動画や
デモクラシー2.0イニシアティブの発足記者会見の動画など、
関連情報をお送りしますので、
年末年始のお時間のあるとき、ぜひ、ご覧ください。

 中略
 12月24日(月)に、
 デモクラシー2.0イニシアティブ主催で、

 「新たな参加型民主主義を考えるラウンドテーブル」

 が開催されました。

 このイベントでは、
 「参加型民主主義」の実現をめざす
 個人、組織、団体のメンバーが集まり、
 各党で活躍する議員や党員の方々を招き、
 「新たな参加型民主主義の在り方」について
 意見交換を行いました。

 当日の登壇者は下記です。

 自民党 平将明 衆議院議員
 民主党 福山哲郎 参議院議員
 みんなの党 松田公太 参議院議員
 日本未来の党 代表 嘉田由紀子 滋賀県知事
 みどりの風 共同代表 谷岡郁子 参議院議員
 デモクラシー2.0イニシアティブ 代表発起人 田坂広志氏
 ジャーナリスト ◎津田大介氏
 日本政策学校 代表理事 金野索一氏
 社会起業大学 理事長 田中勇一氏
 YouthCreate ◎原田謙介氏
 クラウドガバメントラボ 谷崎テトラ氏
 せんきょCAMP 鈴木幸一氏

 当日、会場は立見が出るほどの満席となり、
 また、インターネット同時中継では、
 リアルタイムで3万2千人が視聴するという
 イベントとなりました。

 現在、このイベントの模様は、ネット動画として公開され、
 下記のウェブサイトでご覧頂けます。

 IWJ(USTREAM)
 (正式URL)http://iwj.co.jp/wj/open/archives/46486
 (短縮URL)http://bit.ly/Y6oMus

 ニコニコ生放送
 (正式URL)http://live.nicovideo.jp/watch/lv119750626
 (短縮URL)http://bit.ly/V1w81f

  *******以上、田坂広志氏メールより 一部引用。


 今回、衆議院選挙で若者の投票率の低かったことを考えると、日本に参加型民主主義はそう容易く育たないのではないか、と思う。それでもここで語っている若者を見ていると、捨てたものではないと感じます。

 さて、話変わって、新聞のこと。
 我が家では大正時代から、朝日新聞と日経新聞をとっている。なんとはなしに記事内容を比べる習慣がついてしまった。

 昨年の大晦日と今年の元日は、日経新聞の特集記事に軍配をあげた。
 31日は「軌跡 2012」。
 元日は「殻を破れ」。
 そに比べて、両日ともに、朝日新聞の内容の薄さ、とりわけ広告の多さには辟易。
 
 日経は経済新聞でありながら、むしろ経済紙だから主義主張が異なるものを組み合わせながら、相当に力を入れた紙面つくりを行っている、と読めた。因みに、元日の15~39面までの「殻を破れ」の最初「政治不信を超えて」では、参加型民主主義に賛同しておられる◎印津田大介氏、原田健介氏が登場している。
 この特集は、政治から生活まで、新たな道を模索する26名を紹介することで、今の日本、そして近未来の日本が目指すべき新たな地平が見えてくる。
 本来なら朝日新聞が違った視点から、若者たちの政治への関心を喚起する報道内容を、年末年始にしてもおかしくない。何もしない朝日の姿勢が、今の若者の意識を代弁していると思えるくらいだ。
 
 右傾化する日本、リベラルが雲散霧消しそうな危うさのなかで、バランス感覚を養うのに参考になる記事を、新聞は提供してほしいと思う。
 成熟するとは、単に右傾化することではない。大人のリベラル感覚が一方でよく育って行くことが、今の日本に求められるのではないか、と思う年末年始を過ごしている。
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寿ぎ

2013年01月01日 09時28分30秒 | Weblog
 

 謹賀新年


       平成二十五年元旦

 

 新しき年の初めに、皆様のご多幸をお祈りいたします。
  
 昨晩は、珍しくNHK「紅白歌合戦」を見ました。
 話は飛びますが、最近の夏の花火はコンピュータ制御によって打ち上げられるようになったとか。
 昨晩の歌合戦は、デジタルを駆使した「平成・冬の花火大会」のようでした。
 そのなかで唯一、美輪明宏「ヨイトマケの唄」が昭和の花火。
 ここまでやるのなら、紅白どちらに入るのかわかりませんが、「初音ミク」までそろって、平成の歌合戦だと思うんですが。
 思えば、歌合戦は親鸞の時代、いやそれ以前にまで遡って、古は歌垣かな。
 日本人は歌合戦が好きなんですよね。それは時代を映し出す鏡だからなんでしょう。

 アフリカからメッセージと歌を届けたMISIAとNHKホールを蹂躙した矢沢永吉、二人の「特別出演」(コネ入社みたい、という人もあり)に一票ずつ、司会も歌もIT共演も果たした嵐に一票を投じました。
 二人+一組を選び出してみると、グローバルな現代のありよう、過去の上昇エネルギーの健在、近未来のスマート社会予想が繋がって、歌が映す歴史と社会が透けて見えてきました。
 
 昭和24年生まれ、今年64歳。自分が生きた昭和から平成の時代への軌跡をたどり、これからしばらく生きるだろう時代の予感を、三曲に読みとって感慨を深めた夜は更けました。
 
 あまり大きな災害や事故や事件もなく、「こんな筈じゃなかった」と、あっちこっちで言わなくてすむ一年であってほしいです。
 
 体操が体操を超えて、しかし体操であり続けるために、今年も歩き続けられますように。
『自然に貞く からだに貞く』を、求めてくださる方々に、届けることができますように。
「前提として大切なこと」と「本質として大切なこと」が、安易に混同されませんように。
 祈りこそ、体操の本質です。
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