羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

5月も終盤……乱読

2014年05月28日 13時06分28秒 | Weblog
 今週で、大学の授業ものこり半分となる。ここまでくるとすこしだけホッとする。新学期、当初の緊張感がすこしだけ緩み、授業そのものがやりやすくなってくる時期だ。
 あとは淡々と7月まで、何事もなくこなせるとよいのだが。

 今日は、久しぶりの休息日。部屋の掃除を終えて、中途になっている何冊かの本のページをめくったり、溜まっているメモの整理をしている。
 朝日新聞出版の『地球46億年の旅』週刊誌を土曜日に買い求めている。新宿朝日カルチャーに行く途中のブックファーストに立ち寄っているが、そのついでに他の本も購入している。
 
 一気に読み切れず、4冊を並行している状態だ。

 1冊目は『宗教改革の物語 近代、民族、国家の起源』佐藤優著 角川書店 まだ三分の一程度だが、なかなか手強い内容ではあるけれど、丁寧に読んでいる。殆どの日本人にとって、16世紀の宗教改革は理解しにくい暗闇の中にある。その時代を少しでもあかるく照らすべく書かれたらしいが、この物語は先立つ14世紀に生きたフス、火刑に処せられた人物の宗教改革の物語から解きほぐされていく。なんとか最後までページをめくりたいと、思っている。なぜ大学が治外法権なのか、とか、カレル大学とオックスフォード大学の関係。ネーション、民族意識はどこからきたのか。宗教と国家の関係等。

 二冊目は『運動部活動の戦後と現在 なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』中澤篤史著 青弓社 ようやく半分まで読み進めた。こちらも手強い。専門書ではなく、できれば岩波新書版で読ませてもらいたい、と思う。日本に西欧のスポーツが導入されたのは、東京帝国大学が中心となっていたこと。
 それを読むと、ちょうど今、朝日新聞が掲載100年を記念して、月曜から金曜、朝刊に「こころ」を連載しているが、夏目漱石がスポーツマンであったということの経緯がわかってくる。

 そして、夏目漱石は文藝において超エリートであったが、時代はズレるが東京体育専門学校校長・東京教育大学体育学部初代学部長だった大谷武一は体育界のエリート中のエリートであって、この人物が日本の戦後(体育)教育と社会にどれほどの大きな影響力を持ったのかが見えてきた。
 文藝の世界と体育の世界・両極端の人物を追うことで日本の近現代が、あらたな見え方をするのだろうという予感がしている。
 そうしたなかで、野口三千三が、なぜ体育の世界でアウトサイダーとして生きざるを得なかったのか。演劇における身体訓練としての体操を目指すのではなく、「野口体操」と呼ばれる“純粋体操”に没入せざるを得なかったのか、という理由も“逆光線のなか”に、にわかに浮かび上がってきた。そして別件だが、NHKの朝ドラ「花子とアン」も、野口が生きた時代と社会を想像する上で貴重であることも付け加えたい。

 三冊目は『日本は戦争をするのか 集団的自衛権と自衛隊』半田滋著 岩波新書 まだ読みはじまったばかりだが、新聞だけではわからない、ひとつの方向の”まとめ”として、一応、目を通しておきたい。

 4冊目は『エピジェネティクス 新しい生命像をえがく』仲野徹著 岩波新書 帯によると「ゲノムに上書きされた情報から、生命現象の謎の糸口が見えてくる」とある。

 というわけで遅々として進まない読書だが、読み終わった時に見える世界が楽しみである。
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思わぬ収穫……SONY 3BANDS RADIO

2014年05月22日 08時30分20秒 | Weblog
 しばらく夏風邪とともに生きた。
 あまり極端な悪さはしない夏風邪。ぐずぐずと長引くんですよね、これが!
 今朝、あたりから、そろそろよくなったかなぁ~、と思える状態になってきた。

 今期から国立音大で1コマ、金曜日に野口体操の授業を受け持っている。前期だけなので、なんとか7月いっぱい無事に通したいと思っていた矢先だった。
 月、火、木、金、土、日(隔週)で、野口体操の授業とレッスンが入っているありがたさ、と大変さが同居している。

 さて、今週は月曜日から金曜日までの5日間、朝5時55分から5分間、ニッポン放送 AM1241「高嶋ひでたけのあさラジ!」『ラジオ人間ドック 知っているようでしらない! 身体の不思議』に、北村昌陽さんがご出演。
 パーソナリティー高嶋さんが挟む言葉はさすがにプロだ、と思いながら、連日楽しみに聞いている。
 5分という短い時間に、二人の間で交わされる言葉の情報量は相当なもの。その報告は、FBに書いていて、短いコメントはFBの方が書きやすいことを経験してしまった。
 というわけでブログはおさぼり状態になっていました。

 ところで、野口三千三先生をNHKのテレビ番組に登場させてくれた深堀雄一ディレクターが、朝8時から12時までのラジオ第一を担当されたいた時以来、久しぶりにラジオ放送を聞いているのだが、話を聞く行為はラジオに限るかもしれない、と再確認している。
 ラジオは、SONY製。幅5センチ、縦長さ8・5センチ、厚み1センチ、TV/FM/AM RADIO IGF-R530V 3BANDSの携帯ラジオを胸ポケットに入れて、片耳イヤホーン。5グラムあるかしら、と思えるほど軽い。
 最近はスマホばかりをよしとしてきたがこれは優れものだ、と改めて見直している。
 
 実は、これも野口先生絡みの製品。
 いきさつはこうだ。
 かつてNHK ETV「ビッグ対談」という1時間番組があって、文化人類学者の山口昌男さんと対談されたとき、話を受けてから北新宿教室と白金の庭園美術館でのビデオ録画に、しっかり助手としてお供したご褒美に戴いた製品の二台目だ。
 戴いたラジオも、次のラジオも、父が愛用していて、殊に「全身性エリテマトーデス」の治療のひとつ「血漿交換」時、そして肝臓癌の抗癌剤治療の際、長時間病院のベットに寝ていなければならない時に、時間をやり過ごすのに重宝したものだった。
 父が亡くなって今年で12年、その間一度も使ったことはなかった。
 久しぶりに机の引き出しから取り出して電池を入れてみた。ちゃんと聴こえる。
 SONYはこんないい製品をつくっていたのだ、と感動!
 こうして災害用備品に絶対必要なラジオを再発見できたことは、今回の収穫のもうひとつである。 

 さぁ、あすもう一日、朝、5時50分に胸ポケットのラジオにスイッチを入れよう。
 北村さん「た・の・し・み」でーす。
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こころノート

2014年05月17日 07時15分05秒 | Weblog
 今朝、郵便受けに朝日新聞の朝刊といっしょに「こころノート」が入っていた。
 A4版を横に、漱石執筆の万年筆、有名な横顔のポートレート、大正三年四月二十日、東京朝日新聞 第一回の「こころ」掲載の一部、その上に「こゝろノート」と記され、正方形の囲みに真ん中に「心 小ゝ(ルビ)」花押のようなロゴマーク。昔ながらの黒の背表紙の想定である。

 ノートを開くと裏表紙に「朝日新聞に連載された夏目漱石の主な作品」表、左側には「こゝろノートの使い方」の提案までしてあって、懇切丁寧である。
 その1 新聞掲載文を切り抜いて貼るもよし、その2 書き写すもよし、その3 感想を記すもよし、その4 ふさわしい挿絵を描くもよし。最後がふるっている。『その5 苦悩など胸の内を記し、自分だけの「こゝろ」を創作する』もよしとある。

 新聞販売所にノート希望の電話をかけたときには、切り抜いて貼ることだけを考えていたが、手元に届いてみると、オリジナルの「こゝろ」を創作してみよう、という提案にこぴっと頑張ってみようかな!なんて思ってしまいます。

 するといけませんは、何もできそうにない。
 まッ、しばらくそのままにして、気が向いたら何かをはじめてみよう。

 月曜日から金曜日まで連載があるけれど、新聞小説の分量は、朝、一気に読むのに具合がいい。
 以前読んだ時は、いったい何を読んでいたのだろう。
 こんなに面白い小説fだったのか、と発見している。
 声を出して読むと、江戸っ子の言葉のリズムが小気味よい。黙読とはまったく違う印象の小説、というより漱石だ。

 因み、1914年は野口三千三先生が生まれた年。それもあって、ひとかたならぬ関心がある、というわけだ。毎回、言葉の説明や、大正三年の出来事等の小コラムが載っているのを読むのも時代が生きてくる様な気がしている。
 野口先生は、この時代に、生まれ、育った、のか!と、想像を補完してくれる。
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号令

2014年05月14日 09時20分12秒 | Weblog
 野口三千三先生がかける号令は、最期の時に向かって洗練の度を増した。
「内的・質的な動きの変化を伝えなければ号令とは言えない」
 とでもいえるようなものだった。
 先生の号令に合わせて動くと、実に気持ちよかった。
 例えば、はじめた当初、自宅で一人で復習しようとしても、先生の号令がないとまったく動けなかった。
 そのくらい動きの質と号令に一体感があった。
 ちょとやそっとでは真似が出来ない。
 むしろ動きの本質をつかまないで、真似すると、号令をかけられた皆は動けなくなってしまう。
 つまり、野口三千三独壇場の号令だった。

 従って、動きには関係なく部活動等で皆が声を揃えて「イチ、ニッ、サン、シッ」の繰り返し、無味乾燥にかけるやり方を先生は嫌っておられた。

「腕立てバウンド」という動きがある。
「いぃ~ちにのほわ~ん」。(上手く文字では書けない!)

「上体のぶらさげ」という代表的な動きがある。
 これにはバリエーションがあって、
「一息で何回かおろして起きるを繰り返す動き」とか「一回放り上げて、何回かゆする動き」とか、名前だけでは、どんな動きなのか想像できない動きがある。
 特に「一回放りあげて何回かゆする動き」の号令は逸品であった。
「はいッ、おとーーすッ」
「と(to)」の「t」の子音にアクセントがあって、母音の「o」はその時々の教室の雰囲気や先生の気分で長く伸ばされたり、ドイツ語の「ウムラウトのO」に近かったりしていた。
 実際の動きでは、そう簡単に上体を落とすわけではない。放り上げた後に、微妙に支えながら「おろしつつ」床に近くなったころあいで「おとす」にかわる。
 そして落とした弾みを上手く受け取って、次の上への「弾み上がり」の動きにつなげていく。
 (あぁー、~むなしい~)いくら言葉で表現しても、つたわないわー。

 気を取り直して、実は今年の春になって、はじめてこの動きの号令がかけられるようになったことを報告しよう。
「はいッ、おとーす」
 先生の間合いとは違うのだけれど、しっかりした声で「おとーす」が言えるようになった。
 野口体操をはじめて40年が、先生が亡くなって体操を指導するようになって16年が、すでに過ぎた。
 自分でもこの遅さに呆れてしまう。
 思えば、五線譜のようなものを考えて、そこに記してみたらどうだろうか、という意見が出たこともあったが、いつの間にかたち切れになってしまった。

 では、号令ってなんだ?
 簡単な辞書によると《1、多くの人にあるきまった行動をとらせるため、大声で命令したり指図したりすること。 2、支配者が、命令を下して人々を従わせること。また、その命令。》
 なるほど。
 
 実際に野口先生は、戦時中、群馬県内の小学校で学校全体の生徒が集まるとき、空っ風のなか地声で号令をかけて声を潰した、とおっしゃる。
 天皇陛下を迎えた時にも、誰よりも大きな声を出すことができたことで選ばれ、代表で号令をかけたことあった、と伺った。
 
 その長い歴史を持つ野口先生の号令が、野口体操と呼ばれるようになって成熟してきたころには、一層磨きがかかったことは想像にくしくない。

 ところで、世にあるいわゆる西欧起源の体操には号令は付きものである。
 最近ではラジオ体操の号令を、各地の方言で行うことがはやっている。DVDまでつくられているようだ。
 最近見つけたものに「うちなーぐち朝のラジオ体操」や「バレエ風ラジオ体操」がある。バレエ風は、音楽まで芸術的で、途中からバレエの基本の動きが入って、素人にはまったく手も足も出ない「ラジオ体操」になっている。
 他には英語版やイタリア語版等々。
 見て、聞いているぶんにはなかなかに楽しい。

 さて、脱線したが、とにかく「一回放りあげて何回かゆする動き」の号令がようやくかけられるようになって、今まで避けていた学生の授業でも、この動きを指導できるようになった。ただし前置きの説明には工夫がいる。
《最近、大学内でカルト集団が、言葉巧みに近づいて、……個人情報を絶対につたえないように》
 このような内容のアナウンスが、授業と授業の間の休みに流れている。
「一回放りあげて何回かゆする(はずませる)動き」が、誤解を受けないための配慮は、かなり難しい。
 殆どの学生は、引きますから、ネ。
 それでは勿体ないと、今週は一気にハウツーで、動きのコツを教えてしまった。
 最初のキッカケの取り方だけでも指南すると、案外、それらしい動きになってくる。驚きだった。
 不器用な私としては、これだけの時間をかけて、自信をもってこの動きの号令がかけられるようになったことは一歩前進なのであります。
 野口体操の場合、 はたして「号令」とよんでいいものだろうか、という問いかけは続いていますが……。
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「石を愛でる会」その後、「実は」を三回繰り返して、三回目に得心したこと

2014年05月13日 07時13分24秒 | Weblog
 5月5日の「石を愛でる会」の後、何人かの方からメールや手紙をいただいたり、感想を伺ったりしている。
 ブログやSNSによる交流も活発に行われた。
 実は、いちばんステキな石が入っている箱を、準備段階で新井さんにみせるのを忘れていた。その結果、会場に持っていかなかった。そのことに後から気づいたものの、まさしく「後の祭り」だった。謝るしかない不手際の一つ目。
 
 実は、私自身があれこれと動きまわって、会場にいて参加してくださった方と、あまり交流が出来なかった。今までこのような会を催す時にしっかりサポートしてくれていたMさんが、いなかったことは大きい。一人の存在がこれほどの意味を持っていたということに気づかされた。そのことを計算にいれて事前に自分の動きをイメージしておけばよかった。謝ることの不手際の二つ目。

 ところが参加した方からいただいたリアクションは好評だった。
 レクチャーーを受けて化石のクリーニングが出来たこと。
 なによりも野口体操を共通項として共有し、全く同じ価値観ではないにしても、安心感と人間関係の許しあえるあたたかさの中で、それぞれが会話と対話を深めることができたこと。
 そのことがあの「あとの祭りのにぎやかさ」、つまり活気を生み出していた。それぞれの脳がはっきり覚醒し、イキイキとした楽しさにつながった。その楽しさのお裾分けで、母が元気をもらったというおまけまでついてきた。
 それはそれとして、今後の反省点として、二つは肝に銘じておこう、と思う。

 ところで、最近になって2025年問題がクローズアップされている。
 認知症予防や介護保険の要支援からの卒業(クローズアップ現代5月12日放送)等々、問題解決に共通する大切なことが、先日の会ではすべて網羅されていたことに気づいた。

1つ目は、新しい知識を得ながら手を動かすこと。(この日は出来ませんでしたが、適度な運動をすること)。
2つ目には、老若男女、生きる環境が異なる人が集まって、これまで知らなかった人や、知っていても話す機会がなかった人と深いコミュニケーションを取り合うこと。
3つ目には、会の準備から片付けまでを手伝うことで「もの・ことば・うごき」が自然に野口体操とつながってくる経験をしつつ、他の人のために何かをすること。
 
 通常のレッスンを思い返してみても、高齢化問題解決に必要な条件を網羅しているのが、野口三千三先生が創発した野口体操の在り方・伝え方だと言える。
 からだを中心軸に「もの・ことば・うごき」を通して、そこに集った人がコミュニケーションを取り合って、2時間を共有する。
 年齢に関係なく、意味の深い体操の在り方、だと得心した。
 
 効果・目的を言わない野口体操だが、「体操とは、自然とは何か・人間とは何か・自分とは何かを探検する営み」とおっしゃった先生の言葉の意味が、ここにいたってようやくわかりはじめたような気がする。

 実は、これこそが「生涯教育」の真髄であるのに違いない。
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おぼろげながらみえてきたこと

2014年05月11日 14時47分33秒 | Weblog
 野口三千三の十七回忌と生誕百年に関連した、いくつかの講座や催しが一段落して、本日は、オフ。
 ちょっとお疲れモードで、朝からぼーっとしてます。
 ぼーっとしつつ、勉強したい!って殊勝なことを考えてました。

*******

 日経新聞に「三島由紀夫のローマ 下」に長編エッセー『太陽と鉄』が引かれていた。
 肉体と死の問題を論じる作品に、作家の心をとらえた美術作品として、ティツィアーノ「聖愛と俗愛」、ギュスターヴ・モロー「若者と死」、2世紀中ごろ、大理石、100センチローマ、ヴァチカン美術館蔵「アンティノウスの胸像」等々がカラーで掲載されていた。

 なるほど、胸囲1メートルに憧れて、玉利齋氏の指導のもと、ボディービルに励んだ三島。
 その玉利氏は野口三千三を芸大に訪ねボディビル協会の理事として協力を頼み、野口は快諾した。
 間接的に三島の指南役・玉利氏にアドバイスしていたという。
 
 鉄の重さに比例して、日ごと、ふくれあがる三島の筋肉。
 古代ギリシャへの憧れは、肉体の肯定感につながる。と同時に肉体が衰える前に、壮絶な死を希求する思いがべったりと付着してくる。

 しかし、避けて通れない、老、病、死。
 魂の救済を解くキリスト教ではおさまりきれない「はみ出した救済」は、自決を持って完了したのだろうか、と思いつつ「美の美」を眺め、読んでいる。そして『太陽と鉄』を手元に引き寄せている。

 人間復興、文芸復興のルネサンス。
 そして近代が求めた健全なる肉体とは、果たして……。

 そうだ、思わず膝を打つ。納得したからではない。これからのライフワークを見つけたからだ。
 それは幻かもしれない。
 いや、たとえ幻でもいい。
 野口体操を人間の歴史の座標軸に乗せて見直してみたい。
 最後まで「体操の教師」を全うした野口の百年をこれから追ってみたい。
 
 おー、健康と時間を下さい。(笑)

*******

 まずは、「体育・体操」という概念が生まれて来る近いところとして「産業革命」「工業化」「勤勉革命」について、Wikipedia を当たってみました。
 が、はるかにギリシャがおもしろそうです。 
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「石を愛でる会」後日談 明日は「母の日」

2014年05月10日 11時21分28秒 | Weblog
 皆さんから、「お母様、お疲れになったでしょう。大丈夫ですか』と言葉をいただいた。
 昨年の12月21日に、転んだことがキッカケで、平成19年に発症した「腰椎圧迫骨折」の後遺症、腰から脇腹の痛みが再発した。
 その後、痛みが薄らいでよくなってくると、一ヶ月ごとに転んで、再度・再々度、痛みが繰り返された。
 実は、5月5日の「石を愛でる会」を諦めないければならないか、と思ったこともあった。
 4月に入って新学期ははじまった頃から、動きもだんだんとよくなって、痛みを訴えなくなっていった。
 
 そして5日を前に髪を染めて、当日の朝には明るい色の新しいセーターと黒と白の水玉模様のネッカチーフを巻いて、誰に会うという当てがあったわけではなかったが身繕いをすませていた。
 この日、彼女は殆ど部屋から出ずにいたのだけれど、石の会がおわって荷物が自宅に戻ってきた頃、外の気配にただならぬものを感じたのだろう。自分で顔を出したのに相違ない。
 その時、荷をおろして私の帰りを待ってくれている間に、十人近くの方々が母と楽しく会話をしてもらったようだ。
 聞くところによると、昔の話をずいぶんと聞いていただいた、という。
 間違いなく、十年は若返ったのだろう。

 さて、その翌日の朝は、しっかりと一人で着替えをすませ、洗顔や歯磨きも行ってくれた。
 そして、更に、次の日の朝になって、ぽつりとこんなことつぶやいた。
「あたしは、ここにずっと住んでいたい!」
 殆ど記憶に残っていないようだが、皆さんと話が出来たことが嬉しかったのだろう。
 脳が活性化された!
 
「転ばないでね」
「そうね」
 はじめて転んではいけない、と自覚できたようだ。

 昨年末から欠かさず、毎晩、8時には母のからだ拭きを継続してきた。
 他にもそれなりに寄り添って、5ヶ月近く経過した。
 ここまで回復してくれたら、よしとしなければ。
 今回は、会の準備だけに集中できなかったこともあって、反省することばかり多い。
 お詫びすることばかりなのだけれど、母の回復度を見ていると、このことも含めて中止にしないでよかったとつくづく思っている。

 日々、老いる母だ。
 日々、記憶が定着しない母だ。
 老いの進行は緩やかだが確実に進んでいく。
 客観的には「認知症」と言えるかもしれない。ただ、かかりつけ医は「年相応の衰えです」とおっしゃる。
 要介護1とばかり思っていたら、”要支援1”でしかなかった母だ。
 三度の食事の後の食器洗いと片付け、なんと留守番をしてくれているのがから、要支援1なのかもしれない。

 野口三千三先生が何度も病に倒れた時、家を改築された時、そして日常的に食べ物をお届けしていた時、20年間、両親の支えと協力がなかったら……、今はない。そう思うと邪見に出来ない自分がいる。
 デイ・ケアサービスの場所や、ケア付き高齢者介護施設も見学した。いざとなったら、そうしたところにもお世話になりたい。それも時間の問題であることもわかっている。
 が、……。

 明日は、母の日。
 特別に何もしない。
 ただ、時に波風は立ちますが、おおむね穏やかな今の暮らしが維持されることだけが、望みだ。

 母を気遣ってくださった皆さん、この場を借りて、お一人おひとりに感謝です。

 そうそう、私の低周波振動敏感症は、揺れがなくなったわけではありませんが、封じ込めて寝付く要領をすっかり身につけて、殆ど考えなしに眠りについています。
 二重苦は、それなりに安定しているようです。
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「石を愛でる会」写真アップ、そして裏話も

2014年05月09日 07時03分23秒 | Weblog
 野口体操公式ホームページに、5月5日に催した会の写真をアップしました。
 写真家・佐治嘉隆さんのご意向で、画像を少し落としてあります。

 会場となった建物は、以前、昭和レトロ木造二階建てだった。数年前に建て替えてコンクリート三階建てになった。
 人海戦術で階段からあげていたにもつだが、今回はエレベーターがついたことで、重い石を運ぶには大助かりだった。ただし、一部屋の広さは狭くなってしまった。
 そうした事情のなかで、予想もたたないはじめての試みで、どのようなセッティングが出来るのか、と不安に思っていたが、それは杞憂に終わった。
 レクチャーの後、全員の協力でテーブルや椅子の設定を変えることもスムーズに出来た。
 
 2階と3階、それぞれの広さも雰囲気も違って、その違いを上手くいかすことができたようだった。
「写真を見ると町の商店街の集会場とは思えない」というのが大方の感想だ。
 その時々にふさわしい在り方を探るのも、野口体操的な発想と言えるかもしれない。
 ともかく我が家から荷物運びに時間がかからない距離がなによりの好条件である。
 
 ようやく片付けがおわりました。
 
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あとの祭りのにぎやかさ

2014年05月08日 09時23分51秒 | Weblog
“祭りの後”、というのは、シーンと静まり返って寂しさがただようもの、と相場は決まっている。
 ところが、今回の「石を愛でる会」は、まったくちがう。
 会に出た人、出られなかった人たちが、SNS・Facebook上でにぎやかに、そして活発なやり取りをしている。
 
 当日は、もちろんだった。
 FBの写真を見ながらコメント読みながら、”あの活気はなんだった”のか、と連日のこと振り返っている。
 皆さんのウキウキ感の源を探っている。
 今、言葉にするとあの日の出来事が単なる「行事」で終わってしまいそう。
 行事の場合は、「祭りの後」で、ちょっと寂しいもの。

 実は、寂しさなんてない。
 皆さん、あとからも楽しくて、楽しくて、しかたがないようだ。

「これからの野口体操をどうしたらいいのか」とずっと悩んでいた。
 2014年5月5日を境に、その問いはどこかへすっ飛んでしまった。
 わかったような、わからないような言い方だけれど、“日々、ちゃんと生きていれば「何事も自然にそうなる」”ということ!
 活気が、アニマが、そこにあれば、それだけでいいとは言えないが、まず、それがなければはじまらない、ことを知った。
 
 あの場には、野口三千三先生と井上修美さんが鎮座し、お二人を知っている人も知らない人も、分け隔てなく石と人を双方向で結びつけてくれた。
 そして、半世紀以上、石と苦楽を共に生きていらした神保さんの人柄とレクチャーと現物の石、クリーングをする体験とラベリング。

「なんで体操に石なの?」
 そうした問いは、私も受ける。それに対して、理路整然とは説明はできない。
 しかし、である。
 会場の壁に展示した、体操教室や先生の自宅の写真たちが、体操と石を結びつけてくれていた。
「理屈じゃないんだ」
 皆そう思った。
「地球でつながっているんだ」そんな理屈もいらない。

 というわけで、気づくことはいろいろありますが、まとまった文章にはなりません。
「石を愛でる会」報告の第二弾。
《あとの祭りのにぎやかさ》でした。
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「石を愛でる会」

2014年05月06日 12時22分18秒 | Weblog
 朝日カルチャーセンターでは、昨年から「野口三千三生誕百年」を記念して、ゲストをお招きして野口体操の“これまで”と“これから”を探る「からだとの対話」の講座を開いてきた。
 とりわけ3月29日(土)祥月命日に麿赤兒氏を迎えた講座は、刺激的・有意義な講座となったことはこのブログでも報告させていただいた。

 そして昨日の5月5日は、「石を愛でる会」と銘打って、現在、朝日カルチャーセンター「野口体操講座」を受講してくださっているメンバーとかつて先生に直々の指導を受けた近隣に在住の方を交えて、初夏の午後の一時、石と人との対話の集いを終えた。
 
 昨日は、東京サイエンスの神保寛司氏がレクチャーを快諾してくださった。ご子息をアシスタントに『岩石が今おもしろい』というテーマで、1時間数十分かけて、岩石・鉱物・化石の基本をおはなしくださった。
 圧巻は、次々に配られる現物の石。中には持ち帰ることができる石もあったし、美しい「貝オパール」等々をみせてもらえた。
 嬉しかったのはフランスのアンモナイトをクリーニングし、ラベルに学名を書き終えると石が化石として顕われる体験は貴重だった。
「身につけなければ身につかない」、実際に自分でそのことやものに触れて、一体となる実感こそ「野口体操だ」と言った言葉が、言葉を超えて具体的な”こと”として体験できた。
 
 クリーニング法のレクチャーの後に、人数分の新聞紙が配られる。次に同じ数のアンモナイトとタガネが配られた。3人がけテーブル一つにずつゴム製アンモナイト模型が配られて、早速、クリーニングをはじめる。
 螺旋の中心部へ向けて、カリカリ、ゴリゴリと化石以外の石の部分を削っていく作業は、はじめたらやめられない楽しさだった。
 石に馴染みがある人も、全くはじめての人も、少年少女にかえってすっかりはまってしまった。
 このことから野口体操で大事にしている“実感”の意味を、文句なく“実感”していただけた、と思う。

 隕石・鉱物・化石といった石に双眼実体顕微鏡、紫外線照射器、そのほか写真パネル等々を厳選準備し会場に運んだ。その後は淡々と準備が進められた。
 佐治さん、新井さん、北村さんを中心に、朝から駆けつけて手伝ってくださった女性メンバーの方々のお力で、会場は清楚で華やかな雰囲気にまとめられた。
 レクチャーあり、実体験あり、自由鑑賞時間あり、お互いにコミュニケーションをとりながら、充実した3時間半がすぎ、いざ撤収作業となった時には、新しい手伝いの方も混じって手際よく短時間で片付けが終了。
 お見事!という他はない。
 これが一つの区切りとなって、次なるステップへの足がかりが得られたことをご報告できる。

 野口三千三先生が残された”もの・ことば・うごき”、まれに見る体操の世界を、これからは今までとは違った在り方でも伝えていけるのではないか、そんな実感を得た記念の行事を無事に終了することができた。
 
 ありがとうございました。
 丸ごと全身で感謝です。

 尚、佐治嘉隆さんのブログ『芭璃庵』に、野口三千三先生の十七回忌と井上修美さんを偲んだ「石を愛でる会」の写真がアップされています。
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