羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

朝日カルチャー土曜日・野口体操講座の驚き!

2010年05月27日 08時29分06秒 | Weblog
 先週末から今週にかけて、同じテーマを取り上げてレッスンや授業をしてみた。
 まず、‘姿勢(立つ)’《ターンアウト・バランプレー・野口流四股立ち、やすらぎのうごき(開脚長座による前屈)》。
 その時に関ってくる主な筋肉を少しだけ自覚し、動作認知を持って動いてみること。
 動作認知をたすけるために、意識に乗せたい四つの主な筋肉は次のとおり
①腸腰筋(腸骨筋の‘腸’+大腰筋の‘腰’)
②大腿直筋
③大臀筋(骨盤を後ろ側から包み込むようにある筋肉)
④内転筋群

 骨盤と股関節を支える主な筋肉で、とくに骨盤はこれらに支えられて宙に浮いてる状態にあることをイメージしながら動いたりほぐしたりしてもらった。
 それから鉛直方向だけでなく、水平方向(伏臥姿勢)の腕立てバウンド系の動きまですすめていく内容だった。
 終わった瞬間に
「今日はハードだったーッ! ふー。。。。。ッ」
 そうもらしたのは若い学生諸君だった。
 それに引きかえ土曜日のクラスの方々は、一見、涼しい顔だったのが印象的。
 野口体操は、暦年齢とは関係がないのだろうか?
『年をとればとるほど柔らかくなる』(野口三千三)
 野口が目指した柔らかさは‘酸いも甘いも知った大人の強さ’に違いない。
 鍵は程よく‘力を抜く感覚’、となれば不思議はない結果かも。
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口蹄疫が教えてくれる……他の命を戴く

2010年05月24日 14時31分53秒 | Weblog
 二限の授業を終えてリバティータワーの一階にあがってきた。ロビーでは学生たちが「宮崎県をたすけて!!」募金と署名活動を行っていた。Twitterにも書いたが、2000年には、政府の迅速な対応で35頭の殺処分ですんだ、とか。それでも37億円の税金がつかわれた、と書かれているコピーをもらってきた。それが本当なら、今回はいったいどのくらいの税金が投入されるのだろう。県も国も損害はどこまで膨れるのか予想もつかないだろう。

 同じペーパーには、ニュースには載らない惨状の一部が具体的に記されていた。人出が足らなくて毎日発症する頭数の方が多い。ゆくゆく処分しなければならないとわかっていても、弱まれば排出するウイルスが増えるので、餌をやりビタミンをやり、あらゆる手を尽くして牛を健康に保とうとする努力をしているのだ、という。実にやりきれない話だ。
 因みに、感染した牛は毎日10億個、豚は5兆個のウイルスを撒き散らすそうだ。
 日本全国に蔓延したら、牛、豚、山羊、羊、鹿、猪、……等々の偶蹄類は、姿を消すことにもなりかねない。生物多様性がここでも破壊される。

 しかし、不思議に思うことがある。
 いつ頃から日本人の牛豚肉類の摂取量は増えたのだろう。きっとメタボリック症候群云々、と消費量とは相関関係にある、と思える。消費の拡大に伴って、狭い地域で、閾値をこえた量の家畜を生産することがよりクライシスを増大させてはいないだろうか。
 ニュースをきくにつけ、なんとも言いようのない‘居た堪れなさ’を感じる。可哀想を通り越して、なんでこんなことになるのかと怒りが込み上げてくる。
「毎日の食事は、他の命を戴くこと」を、しっかり受け止めなければ、これまでに殺処分された牛たち豚たち、これから殺処分される牛たち豚たちに申し訳ない。
 皆が釈迦になることはないが、一度‘本当の食’‘本当の健康’について、考え直してみる時期かもしれない。しかし、マネタリー経済と贅沢な味を知ってしまった人間の味覚には、なかなか難しい問題が潜んでいる。
 
 兎にも角にも治めてほしい。
 思わず学生が差し出す箱に募金し、署名して大学を出たのは、昼過ぎのことだった。 
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Canon Satera LBP3300

2010年05月19日 19時12分54秒 | Weblog
 時間の問題だったプリンターが、とうとう壊れてしまった。 
 先週の土曜日、早朝のことだった。
 またもやサジさんにお世話になって、翌日にはアマゾンで注文し、即日配達で新しいプリンターが手に入った。もちろんモノクロ!

 ところが説明書を読んで、設置に二の足を踏んだ。
 ようやく時間がゆったりしている今日になって、使えるようになった。
 結構、ドキドキしながら運び込み、梱包をといて設置し、いざPCに接続しようとしたらUSBケーブルがないことに気づいた。しかたがないので10時まで待って、近くのオリンピックで取り揃えた。
 さて、そこからインストール作業だ。どんどん進んだのだが、途中でヘンな操作をしたらしく上手くいかなくなった。そこでお助け電話と相成った。

 そうこうしなからも無事に試し刷り。文字の美しさに思わず拍手。
 しかし、それからがまた一仕事。
 PC環境を少し変えただけなのに、片付けが一仕事である。
 しかし、おかげさまで埃も払われ、キレイになった。ピッカピカのレーザーマウスに、新しいプリンターが揃った。
 
 ことパソコン関係のことには、アタフタしてばかりいる。
 そんなときお助け電話で応対してくださる方は、ほんとうに有難い。
 今夜はよく眠れると思う。多謝!!
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Twitter noguchitaisou 好評:野口三千三語録

2010年05月16日 08時46分19秒 | Weblog
「動き」「価値観」「感覚」、そして現在「からだ」についての語録を一日一言ずつ載せている。これが想像以上に好評なのだ。フォローしていない方々もお気に入りにいれて読んで下さっていることがわかってきた。
 今日は、‘からだは水袋’だったので、野口体操公式ホームページの‘アーカイブズ野口体操’野口先生の記録映像を載せてみた。‘水袋’の話だけを載せるつもりだったが、Twitter上に貼り付けてみるとそこに掲載されているすべての記録を見ることができるようになっていた。

 先日は羽鳥のメールに届いた二件のYou Tube映像を載せたが、語録を読みながら時々改めて映像を見ているとことばの拡がりがつかめていい、と私は思っている。
 こうした発信がFREEで出来てしまうことが良いか悪いかは今のところわからない。
 もうしばらく続けてみることにしたい。
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心の近況

2010年05月13日 08時22分28秒 | Weblog
 連休が明けて授業やレッスンが一巡した。ようやく本年度の履修者も決定し、落着いたところ。これから七月中旬過ぎまで、一気に走行することになる。
 どのクラスも盛況だ。すでにそれぞれのクラスに個性が生まれている。
 今年はどのクラスも活気があっていい。
 大学で授業を持つようになって、今年で九年目に入った。
 まさか野口先生も想像されなかったに違いない。野口体操がいわゆる芸術系ではない一般大学の体育に正規の授業として入ってくるとは。

 スポーツでもなく、表現のための準備体操でもない。言ってみれば、身体に気づき・身体を感じ・身体から価値観を見直す授業だが、ゆっくりだがジワジワと浸透している実感がもてるようになってきた。
 
 実は、先生が東京藝大に着任された昭和二十四年に生まれた私も還暦を過ぎ、野口体操と同じ時間を歩いているようにも思える。いや、偶然の一致になんとなく運命を感じてしまう。
 その上、実母の名前が‘貞子’で「貞く」だし、自分の名前が体操の「操」だし、これじゃしょうがないでしょ、と言いつつも、没後十二年、少し‘ゆとり’が感じられるようになった。
 頑張るは禁句ですが、あえて「もう少し頑張って、もう一踏ん張りしてみようかな!」と思う心の近況報告。
 これからもよろしく頼みます。
 
 吾、新しく勉強しなおしだ!!
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‘植物に貞く’

2010年05月11日 07時41分37秒 | Weblog
 世間でよくいわれることだが、親が亡くなってはじめて一人前だ、と。
 実に感慨深い。遅ればせながら、今年のGWの期間中、そのことばの意味が実感としてもてたのだった。
 野口三千三先生が亡くなった1998年私は49歳だった。そして実父が亡くなった2002年は53歳だった。
 先生からは野口体操を引継いで12年、父からは僅かながら相続するものを引継いで8年が過ぎた。この間、それまでとは比べ物にならないくらい、社会との関係を拡げさせてもらえた。そのことを今までも思わなかったわけではない。しかし、先日、4月25日「新しい公共」オープンフォーラムに出席して、話された内容を自分なりに半月ほど咀嚼する時間をもってしみじみと感じたことだった。

 生きる上での体験として、まるまる五十代の十年間は、実体験としてそれ以前とは比べ物にならない質と量をもたらしてくれた、と思う。ここで具体的に一つずつを挙げることはできないが、二人から有形・無形さまざまな相続をさせてもらったことが大きかった。
 で、それらを維持するのは自分の能力を超えていたにもかかわらず、いくつかの鉢のなかでしっかり根付き‘根まわし’が出来たように思える。
 実は、この‘根まわし’の大切さを知ったのは、最近になって手に入れた藤を植え替えたときだった。いやいや、毎年、父が残していった盆栽の植え替え時で、気づいてはいたのだが、今年ほど、そのことの大切さを感じたことはなかったからだ。
 つまり、根が育ち鉢の形にしっかり根がまわっている木は元気に育ち、少しずつ大きな鉢に植え替えることができる、ということ。
 見事な藤の花を咲かせていた根は、‘根まわし’がしっかりしていて、殆ど砂に植え込んでそれほどの時間は過ぎていないのに、根元がグラつくことがない。
 
 さて、他の問題に転じてみる。
 5年前に、築85年の蔵は残して新築した家にもようやく自宅になってきた。
 その感覚を野口体操に当てはめてみると、そろそろ新しい鉢に植え替えの時期かもしれない、と思っている。
 そこで、自分に言い聞かせている。
《植え替えのコツは、大本の太い根はしっかり残し、その根の周りにある古い土は残したまま新鮮な土に埋め込むこと》
 植物に酸素が十分にいきわたると、新芽もしっかり育つのだ。それが成長して葉からも根を育てる栄養を送るようになる。循環する。
 野口先生が言っておられた‘植物に貞く’ということばの一つの意味が、少しずつわかり始めた。
 あぁ、そうだ←膝を叩く→先生は「実生(種子から発芽して成長する)」から野口体操を育てられたのだ。
 
 因みに、Twitter @noguchitaisou は、今日から「からだ」についてのことばです。これまで「動き」「価値観」「感覚」と繋いできました。12回、36の語録を読んでみると、見えてくるものがあります。量より質と言うこともありますが、量も質を決める大切な要素だと思いました。
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レーザーマウスー2-

2010年05月08日 07時22分57秒 | Weblog
 今頃、何を仰る、と言われそうだ。それを承知で、言っておきたい。
 光学マウスを買いに行ったのに、レーザーになってしまったのか?
 まず、色だった。黒の縁取りで銀色が落着いていい感じ。少し小ぶりなので手に合いそう。デスクトップ型で、UBSポートが左側にあって差込口から実際にマウスを動かすとこまで45センチは離れていて更に電話機を迂回させるとか、いろいろあって長めコードのものを選んだらこれになった、というわけ。

 ホイールで前後回転できるだけでなく、左側面上方にインターネットでの‘「進む」⇔「戻る」’の操作がマウスで出来てしまうなんて、想像もしていなかった。優れものだ!

 結局「マウスパッド」は使わずに、昭和初期の木製古机で直接操作するのがよさそうだ。この机をよく見ると、使い込まれてあっちこっちが色落ちしている。板の表面は手触りは滑らかだが、木目の微妙な凹凸があるのだろう。それが丁度よいらしい。
 二度の調節でダブルクリックスピードも具合よくなった!
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レーザーマウスの使い心地

2010年05月07日 18時57分54秒 | Weblog
 昨日の早朝のこと、パソコンで作業中にマウスが上手く作動しなくなった。
 2002年に買い換えたときについてきたマウスだ。
 キーボードもマウスもワイヤレスで、使い勝手がよかった。
 マウスの乾電池を取替え、溜まった埃を払い、ゴムのタマを水洗いした。それでも上手く動いてくれない。

 こうしたときに緊急電話助けていただくのは、サジさんだ。
「それだけやってもダメら、光学マウスに換えた方がいいですね」
 十時になるのを待って、近くのソニーの店に出かけた。開店準備中だったがこころよくマウスコーナーに連れて行ってくれた。

 結局、レーザーマウスを選び、自宅に帰ってすぐさま接続して使ってみた。
 驚くほど滑らかな動き。ダブルクリックすると滑ってしまう。

 また、サジさんのお世話になった。電話で教えられながらスピード調節を‘遅く’方向に、一段と近づけた。

 今までの動きとは比較にならないスルスル感だ。
‘ホイール’を指で前後に回転させる。画面を自由に移動させる機能がついてるではありませんか。いやいや、便利だ。
「マウスは消耗品です」
 店員さんのことばが記憶の耳の中で聞こえた。
 機械は適当に新しいものに換えないと、‘浦島太郎’になってしまう。
 今のところ、小さなトラブルですんでいるから、パソコンもプリンターもそのままにしている。新しいものになったときの予想がつかない面倒に、ついつい使い続けている。
 近々、期限切れかな~。
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連休の藤

2010年05月05日 09時17分40秒 | Weblog
 今年のGWほど、晴天に恵まれた年はないのではないか、と思う。
 電話で話をした友人や知人、悉く同じ台詞を吐く。
「混雑を避けて家にいたら、洗濯ばかりしていたわ」
「同じく」
 いつもなら夏に持ち越していた洗濯物がよく乾くことといったらない。
 と言うわけで、冬物の整理、寝具の交換、洗濯、掃除、日用品のまとめ買い等々、実によくはかどった。

 ひとつ衝動買いをしてしまったものがある。
 買い物に出かけた商店街の花屋の店先から、甘いよい香りが漂ってきた。見ると鉢植えの藤が、ちょうど見頃の手前!
「あの~、土は何を使ったらよいのかしら?」
「下のほうには赤玉土のゴロを敷いて、あとは砂で植え込んでください」
「砂ですか?」
「そうです。今の鉢より大き目の方がいいかもしれません」
 そんな会話を交わして、自宅にいそいそと持ち帰った。

 植え替え作業で、根がしっかり張っていることに気づいた。
 龍柄の通称‘支那鉢’をひっくり返して、その上に松の古木盆栽を乗せていたものを日当たりのよいところに移した。そしてその上に植え替えた藤の鉢を乗せてみた。
 房は25センチ以上あるだろうか。下のほうはまだ蕾だが、それが全部開くと垂れてくるに違いない。
 そこで鉢底の直径が合う鉢をもう一つひっくり返して、その上に乗せた。見ると全体の高さは1メートル弱ほど。
 さて、そこで水遣りをした。さすが砂だ。ある分量を吸い込むと、あとはザーッと音をたてて流れひっくり返っている二つ目の鉢の縁から勢いよく水が落ちる。
「それにしても大きな音がするわね」
 一番下の支那鉢は胴の部分がふっくらした形なので、ちょうど太皷状態で反響がいい。最後に何滴かが落ちていく音は、水琴窟を連想させる音だった。
 二つの鉢がみごとな音響効果を生み出していた。
 花の色、花の香りにプラス‘美音’というオマケがついていた。偶然とはいえなんとも嬉しい。

 4月最後の日から、花の命を延ばし、水音も聞きたいために一日に数回ほど水遣りをしている。同時に浅緑の茎と花に霧吹きで水をやさしく吹きかけている。
 今日は、房の下まで紫色の花が咲いた。もちろん上の方は散り始め、色も白くなっていて全体はグラデーションになっている。
 
「来年のことを考えて、肥料をやらなくちゃ」
「無理でしょ。これだけ咲いたら」
 足を止めて眺めていくご近所の方々も口をそろえて、そうおっしゃる。
 確かに、店員さんも首をかしげていた。
 切花だったら、ここまできれいに咲きそろわないだろうな~、と思いを引っ込めた。

 三食、いつもよりはちょっと手をかけたものを並べ、花を愛でながら食事をしていた連休も今日で終わり。本日の晩餐は、何にしようかな~? 
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羽鳥のTwitter変更のお知らせ

2010年05月04日 19時00分24秒 | Weblog
 ある事情から、@hatorimisaoのTwitterが使えなくなりました。
 本日、改めて開設しました。@misaohatori です。
 これまでフォローしていただいた皆様、申し訳ございませんが、改めて変更をお願いいたします。

 さて、GWもあと一日を残すだけとなりました。
 どのような日々をお過ごしでしたか。
 日ごろできないことが端から片付けられました。
 毎日、野口三千三語録をTwitterにアップして、私のなかで気づかなかった読みが出来るようになっていることが嬉しい。
 しばらく続けたいと思っています。
 
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二つのYou Tube映像とコミュニティー‘結・野口体操’

2010年05月03日 18時27分42秒 | Weblog
 奇しくも本日、野口体操でご縁ができた二人の方から、メールが届いた。
 そこに貼り付けられていた映像は、動きの原理と野口三千三ワールドへの理解を深める二つの映像であった。
 そこでTwitter@noguchitaisouに紹介した。

 一人は藝大出身の美術家で千葉大で教鞭をとっておられる。彼が見つけた「高性能二重振り子」映像は、関節が一つ増えただけで、カオス的振る舞いをする。その実証というわけ。これは以前、「カオスマン」という人型の科学おもちゃと共通するもの。

 もう一人はドイツ在住の女性で、音楽家(演奏家)の身体トラブルをどのようにケアできるかを、研究しておられる。アイスランド火山爆発で難儀をされたとき、自然の猛威に驚愕したことがキッカケで「地球を宇宙から、宇宙から地球を見る」映像を発見したと言う。
 私が、今、立っている地球。宇宙の中での居場所を見せてくれる映像だった。

 思い巡らせば、ここに一つの可能性が見えてきた。
 それは、ITを駆使して世界に点在するコミュニティー‘結・野口体操’の展開だ。
「ことばと動きでからだを耕すコミュニティー」の可能性だ。
 持続可能を考えると経済体であり、中間共同体としてのコミュニティーであればよりよいが、とりあえずは身体の価値観を探る人々の‘結び’を実現することを考えてみたい。
 因みに‘結(ゆい)’とは、古来、稲作における田植えなどで人々が共同して作業を行った結びつき集団、つまりコミュニティーのこと。
 
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昨日に引き続き……生きる道は寺子屋かも

2010年05月01日 09時21分18秒 | Weblog
 昨日の続き。
 仙石大臣が話しておられた「困ったときの相談をするのが、家族の次が市町村役場ではなく、官と民の中間共同体」云々。ボランタリー意識の中から生まれるソーシャルネットワークの考えは、実現すればよいことに決まっている。
 
 それとは離れるが、庶民金融としての家業だけを考えてみてもわかる。
 いみじくも野口先生が話されたこと。
「‘物’を大切にし、‘勿体ない’感覚を持ち、どんなに些細な日用品としての‘物’であっても、それ自体に価値がある社会。さらにその価値を循環させることが出来る社会が大事なのよ」
 つまり江戸期と言うのは、‘一枚の布’一つ取り上げても、見事に循環させ、最後は‘ぼろ布’となった果てに‘雑巾’として全うさせる社会であった。そうした社会だから質屋という商売がなりたってきた。明治・大正を経て、少なくとも日本が戦後復興し、高度経済成長を実現する手前の昭和の時代までは、生きながらえていた。
 当然のことに、その後迎えた大量生産大量消費の時代を境に、家業は衰退する一方だった。入れ替わりに、人も物もを介さず、お金(最近では数字)だけを右から左へと流す金融が優勢となり、人々の金銭感覚は変化の一途を辿る。因みに、そのような時代に抵抗するかのように、野口先生は給料や謝礼の銀行振り込みを好まず、最後まで現金で受け取っていらしたことはもしかするとすごく大切な感覚だ、と思っていた。

 さて、ここで話を転換したい。
 そうした環境のなかで、野口体操が社会で認知される一つの条件として、私が考えたことは、自費出版でなく出版市場に野口先生の本を流通させることだった。辿り辿ってある人を介して『原初生命体としての人間』が、復刊の形で書店に並らぶには十年の歳月が必要だった。ぎりぎり生前に間に合ったことは、運がいいとしか言いようがない。その後、書籍を通して、1998年以降はインターネットを通して、何とか生き延びる方策をとってきた。

 今となって、野口体操の現状を一歩引いてみると、ボランタリー経済と貨幣経済という二つの経済を対立概念と捉えるのではなく、上手い具合に‘そこそこの経済性’が担保された集まりの可能性はあるだろうか。今までにない‘身体文化’という新しい価値観を、戦後のはやい時期に創発した。そして発信できるだけの深い内容を蓄積してきた。
 ここで思うことは、それを公共財にしていくことは可能だろうか、ということを模索している。公共財になるには何を足して何を削るのか。頭を抱えてしまう!道は険しい。
 たとえ文化として価値があるとしても、社会的リターンと経済的リターンがなければ、若者にこの野口体操を引きついでもらうことには、相当な困難が伴う、と感じている。考えてみると「新しい公共」で問題となる、貨幣経済とボランタリー経済の融合という考えは、難しいことではあるけれど、熟考する必要がある。NPOに見られるように、ボランタリーを支えるのは女性が多い、ということに象徴されている。いわゆるマイノリティーの人々が、草の根的なソーシャルネットワークの支え手だけでは、ボランタリー経済は立ち上がってこないと思うからだ。
 
 唐突だが、見える道は、寺子屋か?

 *今日も、まず、書いてみました。まとまっていませんが、オープンにして書くことで何か見えるかな、という儚い希望を持って……。
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