羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

高円寺で出会った地元中学生のボランティア活動に希望を見た

2011年04月30日 16時09分14秒 | Weblog
 本日、杉並区は奄美の水を販売した代金を、南相馬市の義援金とする活動を行っている。そのことを数日前に区のTwitterで知った。ちなみに明日も行われるようだ。
 
 そこで高円寺商店街での買い物がてらに水を購入した。6本で1000円。箱入りで求めたところ、男子と女子中学生が二人組になって、自宅まで水を運んでくれた。
 道々、話を聞く。
「全額を義援金にする、ということは水の経費はどうなっているの」
 素朴な疑問を投げかけた。
 説明によると、以前、奄美で水害があったとき、南相馬・東北の方々にお世話になった。そのお礼で水を送る事になったそうだ。で、原発事故の当初、杉並区長はみずからバスを仕立てそれに乗り込んで、姉妹関係にある南相馬市に出向き群馬県の避難所まで住民を送り届けたことなどもあった。今回は、奄美から送られた水を販売し、その代金を義援金として東北・南相馬市に送るのだという。

 更に中学生の話からはじめて知った事がある。
 杉並区では「中学生レスキュー隊」なる組織が出来ていて、たとえば災害が起こった時など避難場所のテント・トイレ設置などの救援活動を行うべく、訓練を受けているのだそうだ。今日も水の配達をボランティアで引き受けて、よりたくさんの義援金を集める一助になっている、という。

 高円寺に住んで半世紀以上。最近では地元の中学生と話をする機会などなかった私には、新鮮な驚きをもって話を聞いた。避難所となっている学校のこの生徒たちに助けられる事もあるのだ。とても誠実でいい雰囲気の中学生であったことで、安心感を十分にもらった。
 
 阪神大震災が日本のボランティア元年となったようだが、あれから十数年が過ぎて、これほど近いところで着実に育っている活動があると知った嬉しさがこみ上げた。活動をしている大人たちとも関係を築き、中学生といえども、落ち着いてしっかりしたコミュニケーションが見知らぬ人ともとれている。
 月並みな言い方だが、人間を育てることの意義をつくづくと感じだ。
 
 あらためて再度出かけ、義援金を少しだけ寄付してきた。彼ら彼女たちの思いに報いたくなった行動だ。
 人は人によって変えられる。毎日の暮らしを支えてもらっている街の中で繰り広げられている若者の活動に、希望をもらった。
 
 いよいよ明日から5月。
 私の新学期はようやく始まる。連休はなし。
 しかし、新入生も含めて若者にあえる授業再開が待ち遠しい!
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華燭の典

2011年04月29日 20時58分08秒 | Weblog
英国の慶事の映像は、久しぶりに心が和む。
今日の朝日新聞朝刊「天声人語」もまた久方ぶりに感動を呼び起されるものだった。

「かの時の我がとらざりし分去れの片への道はいづこ行きけむ」
戦後五十年が過ぎた年、皇后陛下が詠まれた歌とのこと。

人は同時に二つの道を歩むことはできない。
最後に筆者はいう。
人は 誰も、ありえたかも知れない別の人生を「分去(わかさ)れ」のかなたに見送って歩んで行く、と。

朝、この一文を読んで、揺さぶられる心を止めることができなかった。
大震災以来、 人として失いかけていた感情を取り戻すことができたかも知れない。
何故か、涙がこぼれた。哀しみ、いや、深い心情に触れた感慨の涙だ。

華燭の典は、華やかに、しかし厳かにすすめられている。

さて、そろそろバルコニーに、お立ちになる時間がせまった。
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リロケーション・ダメージ

2011年04月28日 09時38分29秒 | Weblog
 昨晩、NHK「クローズアップ現代」で、被災高齢者の深刻な問題を取り上げていた。避難した施設では「リロケーション・ダメージ」が深刻であることが報告された。
 グーグル検索によると次のように書かれていた。
《在宅で介護を受けていた高齢者が、グループホームや介護老人福祉施設に入所した際に、心理的な不安や混乱が一挙に高まって、それまでにはなかった障害などが生じる現象》

 避難場所を点々と移動しながらも、地震や津波にあった事を覚えていない。したがって現状を認識できず認知症を発症したり悪化させてしまう高齢者を介護する方々の負担が大きくなっていく。家族と離れて介護職に従事している人が離職するケースが増えて、更に困難が起こっている現状報告だった。
 そこで高齢者にとって昔の楽しい思い出の写真や品物を被災地から探し出し見せることも有効であるらしい。ある女性は髪を染めて着るものなどでおしゃれをさせ、好きな花などの買い物に誘う事など、細やかな対応がなされている。するとあきらかに意識が立ち上がって、認知症が改善されていく。

 このテーマは他人事ではない、と思いつつ番組を見ていた。
 最近になって母の様子がめっきり変ってきた。
 今年、はじめて選挙に出かけなかったことは一番の変化だ。
「なんだかよくわからない。自分の名前なら書けるけど。やめとく」である。
 今回は無理強いしなかった。
 たしかに出来る事はたくさん残っている。会話でもキラリと光る言葉が出てくるし、はじめての人との交流も完全に失われてはいない。それでも危ないことはいくつも見受けられるようになった。ことに長時間一人にしておけない。

 さて、話は少しずれる。
 実は、この地震で東側のブロック塀が壊れかかってしまった。
 工務店と直す算段をしたのは、地震直後だった。しかし材料が手に入らなく、ようやく先週末から工事が始まって、月曜日に完成した。
 この塀は、はじめ大谷石に「お富さん」の粋な黒塀だった。
 次が大谷石を残してブロックを積み上げた。それがそもそもよろしくなかった。のせた物が重すぎた。そこで全部やり直す提案がなされた。
 しかし、待った!
 塀の脇には数本の木が植えられていて、その下には盛り土部分があって大小さまざまな石が土止めとして置かれていた。この空間は猫の額ほどだが、父が生きている頃はそれなりの雰囲気があった。母もよく手伝って、木の下に植物を植えたり雑草とりをしていた。
 そこで、これらを残したまま塀直しが可能かを打診してもらった。職人さんの工夫で、母の思いが通じた。大谷石の上には二段ほどブロックを積み、その上にダークブラウンの軽くて丈夫な横桟のフェンスをのせて完成。
 彼女は満足である。よくよく気に入ったのか、足下に気をつけ蔵の外壁に手を添えながらその路地を歩き、しばらくそこに佇んでいる。今朝はお隣からいただいたスズランを植え込んだが、そばにいていろいろと的を得た指示をしてくれる。
 他人様から見たら、むしろ平らにして砂利を敷いて足下を安全に確保した方がいいといわれそうだ。しかし、高齢の母にとっては僅かながらも木や土や石を残し、不安定な足下の方がよかったことが目に見て感じ取れる。
 そこで思ったこと。
「リロケーション・ダメージは、在宅であっても大きく環境を変えたり思い出をそっくり抹殺してしまうと起こりえる」ということ。

 この顛末記、塀の工事は以前よりも雰囲気が良くなって、母にとっては「思い出」プラス「気分刷新」が出来たようだ。顔の表情が明るくなった。
 まったく高齢者の日常は綱渡りである。落ちそうな気配を感じたら、そこでちょっと手を貸す。いつかは、いや、そう先ではない未来には、手を貸す程度ではすまされない情況が一気に起こってくることは確実だ。しかし、その日まで、なんとか持ちこたえられるよう気遣いはしていきたいと思うが、こちらも如何せん年を取ってきた。たとえば掃除ひとつとっても、それほど大きな家でないが、今の状態を維持することは、早晩、難しくなる。あぁ~、ちょっと溜息ものだ。
 まずはスズランの香りを嗅ぎながら今日の無事を祈るとしよう。
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トリアージ(Triage)判断は難しい!

2011年04月27日 18時45分54秒 | Weblog
 大震災以後、じっと我慢してきたが、復興と原発事故に対する菅総理の対応に怒りに近いものを感じている。しかし、その怒りの感情が、いまひとつ地に足がつかない状態で生まれてきているような気がしてならない。
 思考も感情も本当は停止状態にあって、余震の揺さぶりになかで船酔い状態が続いているように思えてならない。
 
 それでも何とか地に足をつけたい、とばかりに今日は私にとってのトリアージについて考えてみた。
 もし、避難しなければならない状態に陥ったとき、持ち出し用のリュックやバッグが、あまりにも重いことに気づいたからだった。
 これでは逃げ出せない。
「時間が経つと、だんだん物が増えて、欲を背負うようになるのね」
 様子を見ていた母がつぶやいた。
 詰め込んでいる時には、感じなかった。これも必要、あれも必要、というものが、日々、増えていくのである。
 優先順位を付ける行為をトリアージ(Triage)と言うらしい。あらゆる局面で、下さなければならない大事な判断である。 理屈では分かっているつもりだった。ところがしばらくの間、この優先順位が付けられない状態にあることに気づいた。

 先日、いつも仏壇に手をあわせてくれる人が訪ねてきた。いつも通り線香を炊いてはたと気づいた、という。
「位牌と本尊がいない」
 震災直後、母が持ち出すために片付けようと言い出した。そこで父の位牌と阿弥陀仏を丁寧にくるんで、二つがぴったり入る箱に納めた。
 しばらくして仏壇に戻そうとしたとき、母がまた言う。
「まだ、そのままにしておいて」
 箱を開けて中を見ると、あまりにも見事に包装してある。我ながらうまく出来ていると感心しながら、未だにその状態で低いところに置いてある。
「早く戻しなさいよ。手を合わせようとしてびっくりしちゃった」客人は母に促していた。
 しかし、まだそのままの状態をキープしている。

 今は有事だ。その自覚があっても、自分にとって大事なもののトリアージをつける判断ほど難しいことはない。今回の大震災で思うのだが、やはり東京は被災地ではない、という幸運のなかで暮らしているようだ。
 ギリギリに追いつめられたら、きっとその時は、これだ!という一つに気づくのだろうか。いったい何を、最初に取り上げるだろう。
 いずれにしても戦時中のように「左右に二つのバックを交叉して振り分けるのよ」と教えられた。そこで同じくらいの重さのバックを試してみると、実に軽いのだ。つまり、ビデオカメラバックにつめたものでは重すぎる事だけはよーく理解できた。
 
「命あっての物種」だ。
 現実は、トリアージするどころか、まだまだ捨てきれない物の前で手を拱いている私。
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思い、いろいろ……

2011年04月25日 19時52分14秒 | Weblog
 来週から授業が始まる。
 長い休みだった。しかし、モバイルレッスンは、Ustreamまで到達して、一応の区切りがついた。しかし、まだまだ奥が深い。多くの機能を使いきることなく宿題をもらっている。しかし、ここでひとまず休憩。
 それにしてもiPhone4は優れものだ。
 すっかりAppleに取り込まれてしまった。
 
 そんななか、昨日、選挙の投票に出かけた時、久しぶりに木々の緑や花々を目にして、季節は春から初夏に向かっていることに気づかされた。この一ヶ月半は何だったのだろう。これが夢であってくれたら、どんなにか救われること。
 しかし、自然災害の巨大地震・津波、人災の原発事故に心が痛む日々は現実なのだ。
 春の自然を愛でる余裕はなかった。
 今でも、これからも、無意識の緊張のなかにいるだろう。
 なんとなくあっちこっちの筋肉が、悲鳴をあげはじめているような気がする。それにつれて心が縮まってきているようにも感じる。
 今朝などは朝日新聞朝刊を読み進みながら、いたたまれなくなった。移るところがない牛たちの行く末で悲しみがこみ上げ、週刊紙の見出しに溜息をつき、さらにめくるともっと大きな週刊紙記事の衝撃的な文字が目に入って、暗澹たる雲に全身が包み込まれて、そこからしばらく立ち上がれなかった。
 選挙の翌日で、いくら記事がないからといって、これほど大きく週刊紙広告に紙面をさくのはあまりにも心ない、と怒りすら覚える。

 ただでも心の重心が落としどころを失っているのに、巨大な文字群には辟易させられた。言葉はやはり”ことだま”で、エネルギーを持っていることを痛感した。

 さて、最後の砦。
 今夜は丁寧に体操をして床につきたい、とおもっている。
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第一回Ustream配信「野口体操ほっこり作戦」

2011年04月23日 06時48分45秒 | Weblog
 東日本大震災で、被災され避難生活をされている皆様、復旧復興活動に当たられている皆様、お一人おひとりの健康が心配されるされる四月も下旬となりました。
 
 私たちは、ほぼ一ヶ月の間「野口体操では何が出来るのか」を考えてきました。
 一つ得た答えは、野口三千三が発想した誰にでもできるマッサージ法をお伝えすることでした。
 野口体操のマッサージは、やさしく手を当てることから始めます。特別な効果目的を求めておりませんが、心の余裕を失ってパニックを起こさないために、ぜひ身近な人との関係を更によりよくしていく方法の一つとしてお試しください。
 直接被害にあっていない人々も、「兵站(後方支援)」としての役割も大切だと考えます。
 放送を参考に、野口体操マッサージを身につけていただきたく思います。

Ustream上の名称:noguchitaisou
番組名:野口体操ほっこり作戦
収録日:2011年4月19日 東京・高円寺 羽鳥宅
出演:解説・羽鳥操  ゲスト・古賀久貴
撮影:新井英夫 
協力:AVIVA mobile 高円寺
企画 野口体操の会

 ご覧になった感想をお寄せください。
 次回放送の参考にさせていただきます。
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やさしく自然に野口体操をお伝えするには……

2011年04月21日 09時14分17秒 | Weblog
 大災害に原発事故で大学の授業開始は、二校とも五月上旬にずれ込んでしまった。
 四月を迎えた当初は、身の置き所がないような戸惑いの中にいた。ところが何となく一歩踏み出してしまったモバイル空間で過ごす事一ヶ月あまり、年甲斐もなく若者世界をかいま見る経験をさせてもらった。
 まず、あらゆる機器の初期設定に戸惑い、次は登録したIDやパスワードが増えて、その記録先を失念するというハプニングに見舞われて、あたふたすること限りなく。
 とはいえ、先日、19日の火曜日には、我が家で撮影した映像をustreamに配信し、野口体操のTwitterに落とし込むところまで到達できた。
「野口体操ほっこり作戦」であります。

 思えば今年パソコン環境を一新したのがそもそもの始まりだった。そこに輪番停電と先行きが見えない原発事故によって、授業も受けていた他の仕事も先送りされて、ほぼ一ヶ月の空隙が付け足された。そのなかでの個人放送局ustreamにアップとあいなった。
 今回、ここまでの展開は想ってもみなかった。ことばを重ねれば予想外の展開だった、と私自身が信じられないほど遠くに歩いてきたような気がする。
 しかし、そこまで私を突き動かした原動力を想ってみると、長年にわたって野口体操をミッションする難しさのただ中に身を置いてきたこと、それ自体だったように思える。
 まず、「自然直伝(自然に貞く・からだに貞く)」身体哲学を書物として社会に流通させることには恵まれた。ところがこの身体哲学は、はじめに身体の動きを通して感覚を育てることからはじまる。つまり、体操実技なしには野口が命を懸けて追い求めた人間変革は虚構の域を出ない。自然直伝の命は身体に宿る。自然直伝から練られる思考は身体の活動に育てられる。
 ところがこの身体の動きを伝えることがいちばん難しい。直に教室で体験できる人数は限られているからだ。
 それ以前に、存在そのものを知らせる手だてが限られている。 そこで動画を伴った発信が不可欠に違いない、とかねてから思っていた。それには、個人放送局的な発信も一つのあり方だった。

 思いかえせば、野口を失った平成十年(1998年)は、NPO法人が非営利組織として日本社会で活動できる基盤が法的に認められた。同時にインターネットが普及を本格化させた年でもあった。
 そのとき両方の可能性を探りはじめた私の目に見えた事は、NPO法人化は思想的に難しい面がある、ということだった。それに引き換えITの可能性は残されている、というかすかな望みは感じられた。にもかかわらず、当時はまだ個人レベルでそうした展開を行うには環境が整っていなかったのが実情だった。
 
 それがぼちぼち可能になったのが、この数年の事だろうか。
「今、乗らないでいったいいつ乗るというのだ!」
 それが私にとって2011年正月だ。
 そして3・11を境に、日本は変わった。
 敗戦の焼け野が原に立った野口が「負の価値観」から戦後を歩きはじめたその時とは事情は異なる。事情は異なるがどこか底流に横たわっている状況には、ピタリ同質ではないにしても、なにがしかの共通点があるはず。
 そこから出発した「原初生命体としての人間」が持つ意味を、今、ここで問い直してみたい。問い直したことを、誰にでもわかりやすい言葉と方法で伝えてみたい。

 4月19日に配信した「手当の方法」は、野口没後に教室に参加する皆さんによって気づかれ確かめられた方法も取り入れている。進化する具体的な身体感覚を味わってもらえれば、文字が三次元の立体構造を得る可能性をもつのではないか?
 デジタルの限界はあるに決まっている。それを乗り越えるのは、それぞれが持っているイメージの力を信じる事。私自身においても同じだ。
 まず、一歩。
 可能性を確かめた春もたけなわ。
 
 末筆ですが、当日、お手伝いくださった新井英夫さん、古賀久貴さん、お疲れさまでした。この場を借りて「ありがとうございまーす」。
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「野口体操ほっこり作戦」動画Ustに配信

2011年04月19日 16時36分40秒 | Weblog

ただいま「野口体操 ほっこり作戦」映像をUstにアップしました。   手当としてのマッサージをお届けしています。

http://www.ustream.tv/recorded/14131875
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iPadのKeynoteで資料作成

2011年04月17日 11時38分32秒 | Weblog
 今朝のこと。
 先日、AVIVAで習ってきた Keynote appをつかって、「ほっこり作戦」のプレゼンテーション資料をつくってみた。
 全部で7枚になったが、それぞれの頁をめくる時に、いろいろな出し方やしまい方があって面白かった。
 静止画像なのだが、それを使うと動画的効果が得られる。全部に施すとうるさくなるので、ところどころに押さえてみた。

 これから朝カルのレッスンがあるので、見ていただこう。
 
 実は、モバイル疲れが少し出ていて、昨日のレッスンでは思考停止状態が何カ所か見られた。おかしげな発言をしたりして、失笑ものだったが、お許しいただこう。
 でも、もうしばらくモバイルに集中していたい。そしていかしてみたい。
 ごめんなさ~い!
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Ustreamをまなぶ

2011年04月15日 18時55分02秒 | Weblog
 本日、五回目のレッスンを受けた。
 iPhone4からUstreamへの配信、保存してTwitterに送信する方法を教わってきた。
 まずはTwitterに送る方法がよさそうだった。

 しかし、である。問題は独力でうまくできるだろうか。楽天的に考えよう。きっとやっていくうちに思い出すにちがいない。

 それにしてもこの便利さは、なんと表現したらよいのだろう。
 たとえば文字入力であったり、消し方であったり、ちょっとした初歩的な間違いさえおこなさければ、なんでもサクサクやってくれる。スピード感をたとえればジェット機のようだ。
 あとは何を発信するのか、といった内容とパフォーマンス力が問われている。

 そろそろ4月も残り少なくなってきた。1月中旬過ぎから始まったモバイル環境設定の第一段階も、終盤にさしかかっている。
 まったくもって一気に山(丘程度だが)に登った実感がある。
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片付け、そして……。

2011年04月14日 18時46分45秒 | Weblog
 三月11日の大地震で落ちた本を、とりあえず積み上げた。
 足の踏み場もなく、床に散乱していた。まず、第一段階の片付けだった。今まで気がむかなかったのは、蔵の二階にあがっているときに、激しい余震にあいたくなったのがいちばんの理由だ。
 
 早くも一ヶ月が過ぎたが、まだまだ落ち着かない毎日である。
 なによりも東北や北関東の被災の皆さんの健康が気にかかる。

 先日は、内閣参与に就任された田坂広志氏は、原発事故問題に専心するために、4月11日を最後にメールマガジンの配信をしばらくお休みするというお知らせが着信していた。

 五月の連休から授業が始まる。
 いつもならGWに行っている片付けや衣類の入れ替え、季節が変わる準備を前倒しして今週からぼちぼちはじめている。
 その一つとして、昨年、夏の終わりと同時に二台の扇風機が壊れ、廃棄したことを思い出し、アマゾンとヨドバシのインターネット販売で一台ずつ注文を出した。
 週末には届くようだ。
 
 前掛けをしめ、手ぬぐいをかぶって、家の中をいったりきたり、上がったり下りたりしているうちに、一日が過ぎた。
 
 今夜のおかずは、久しぶりに「ナマリ+豆腐の煮物」「胡瓜もみ+わかめの三杯酢」「ハス+人参のきんぴら」「卵焼き」「ヨーグルト+バナナのデザート」でした。
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iPhone4で動画編集

2011年04月12日 09時07分57秒 | Weblog
 自宅の近くにあるAVIVAで、昨日のこと三回目のレッスンを受けた。これまで主に次のようなことを習った。
 一回目は、iPhone4使い方の基本。
 二回目は、iPadでKeynote・マップの使い方。(これは結構すぐれもの)
 三回目は、iPhpone4で撮った動画編集法について。昨日は宿題をもらった。自分一人で、編集作業を試みる、ということ。ほかにもUstreamの接続法や使い方等々、教える人もかなり熱が入ってきたようだ。

 銀座まで出かけることなく、近場で習えるのは嬉しい。
 なんてったって1分だもの。そして無料なんですよね。
「そんなに教えてくれて、採算があうの?」
 八十六歳の母の心配、でした。
 ???あとが怖いかな???????!
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赤坂をどり

2011年04月11日 09時06分26秒 | Weblog
 桜の花がこれほど白かっただろうか。
 街で公園で目にする花を愛でつつ、ふと、そんな思いに駆られた。
 昨年までは、もっと薄紅をさしたようなほんのり感があったように思うのは、この震災後の陰鬱な気のせいだろうか。

 昨日、赤坂に出かけた。
 さすが坂の街だ。お目当ては坂を登りきったところにある「赤坂ACT(サカス)」である。そこで開催される「赤坂をどり」のチケットをいただいた。よい席で、綺麗どころの芸を堪能させてもらった。
 なんでもこの会は、私が生まれた昭和24年から始まり、平成9年までの長い間、歌舞伎座で行われていたことがプログラムに記されている。多い時には百名からの芸妓さんたちが出演したと聞く。
 
 斜陽とはいえ、現在でもその名残はむしろ健在である。
 赤坂花街に生きる女性たちが、しっかりと伝統芸能を守り、継承者としての誇りをもち、芸に精進しているお披露目の会がそれを証明していた。
 実は、あかつき会会主の杵屋栄美世さんが、地方として唄で賛助出演されていた縁で見させてもらえたのだった。

 特筆すべきは、花街ならではの趣向がこらされた演目、総おどりの「お女出多づくし」はさすがさすがの出来映えだったこと。
 プログラムによると常磐津・長唄・奏風楽・小唄にあわせて踊られている。芸者衆の格調高い艶やかさに、見ている者にとっても日常の垢がすっかり落とされた。江戸のリズム感。江戸の情緒。江戸の官能。花街の女性のもつしなやかな強さに裏打ちされた香りが漂って、客席を魅了していった。(ちっとやそっとで近づけないけどね、と溜息してたの)
 
 最後に、定かではないが赤坂をどり会長さんだろうか、総勢を前に挨拶し、三本締めで終えたときには、自粛せず開催してよかったと誰もが思ったにちがいない。
 こういう時だからこそ、それそれが「常を守り抜く」ことが大切なのだ、などと思いつつ、会場を出る。
 新しく整備された周辺に植えられている桜が満開だった。しかし、ここの桜はまだまだ若い。
 例えてみれば、邦楽の世界も同じ。
 高齢になって磨かれた芸が光るもの。その例にもれず、先ほど来、舞台でいちばんの花はかなりご高齢の芸妓の育子さん。そして相方の少しお若い香帆留さんのご両人だった。幹の太さ。根張りの強さ。古典芸能が知らしめる知恵は相当な深さを潜めるものと得心した。これは衆知のことかもしれないが、日本ならではの古木に咲く花と芸の卓越した美しさなのだ。
 
 そして、まだまだ若い栄美世さん、あなたの細腕にもかかってますね、とつぶやきながらTBSの威容なビルを背に、赤坂見附に向かう坂を下りかけた昼下がり。
 会場で記念販売されていた「赤坂をどり」の焼き印が押された塩野のどら焼きをお土産にして。
 心なしか、若木とはいえ、帰りの花には薄紅がさして見えたの。
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ラジオ体操とみんなの体操

2011年04月09日 09時27分07秒 | Weblog
 こればかりは言うまい、と思っていたが我慢できなくなった。
 NHKテレビで放送されている体操の音楽についてだ。
 ラジオ体操第一・第二は、小学校で習って以来あの音楽を聞くと、自然にからだが動いてしまう人が多い。ただし、ある年齢を超えた日本人だ。
 最近、といってもかなり前からだが、「みんなの体操」という新しいバージョンが作られた。
 昼間のニュースの前などに見る事がある。
 椅子に腰掛けたまま出来るパートも用意されて、心遣いが感じられる。
 もちろん動きに関しては、ラジオ体操とはひと味もふた味も違った工夫が随所に施されている。
 しかし、である。音楽と動きの誤差を感じるのは、私だけだろうか。
 従来の「ラジオ体操」の音楽は、最初から最後までコンセプトは「元気いっぱい、さぁ、からだを動かそう!」の音楽だ。動きと音楽は非常にマッチしていると感じている。それに比べて「みんなの体操」は、もっとダンスの要素があっていいのではないか、と思える音楽に聞こえる。
 無味乾燥な体操に音楽だけが情感をあらわしている。その情感にあった振り付けがあってもよかろうと思うのだ。
 単純に「元気!」だけの音楽が懐かしいのである。
 工夫し過ぎや考え過ぎではない音楽と動きは、単純だからよい!のである。
 
 遠慮がちに言わせていただきたい。だったら野口体操もよいのではありません(笑)。推薦してくれる人がどこかにいらっしゃらないかしら?
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モバイルレッスン

2011年04月07日 18時03分35秒 | Weblog
自宅から一分のところに、AVIVA+SoftBankの店があった。
そこでiPhone4に変えたら、無料で使い方をおしえてくれる。
今日で二回目のレッスンをうけた。驚くことばかり、いや感動している。
「こんなことができるの!」
いろいろな可能性を実感している。
ついでにiPadの使い方もおしえてもらった。
結局のところ、新しいアプリを購入することになるのだけれど。
無料は、なかなかしたたかだ!

授業の始まりが五月になって、梯子をはずされたようで気が抜けてしまったが、しっかりスイッチが入った。
ここでモバイルに慣れておこう、と思う。
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