羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

本日休刊

2008年03月31日 08時23分07秒 | Weblog
 年度末調整で、本日は休刊させていただきます。
 明日から新学期が始まります。
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凡夫のつぶやき!

2008年03月30日 19時26分11秒 | Weblog
 年若い女性のお客人あり。
 この日まで、大事にとってあったお菓子を賞味す。
 季節の羊羹『桜の里』。
 しばらく前に『夜の梅』と二本入りの虎屋さんをいただいてあった。

 名前からして素敵だけれど、見た目にも美しく、なにより美味しい。
 一口食すと口の中に広がる味は、控えめな甘さと、塩味が少しきいている。
 道明寺羹と塩漬けにした桜の葉を細かく刻んみこんだ練羊羹なのだから。。
 ちょっともっちりした道明寺の桜餅に似た感じと桜の葉の香りがしている。
 視覚・嗅覚・味覚の三拍子揃ったお菓子である。
 緑と桜色の二段重ねの羊羹は、相当に考え抜かれたものだ。

 日本の四季を菓子に盛り込む意匠には、風土が文化を生み育てるそのことがしっかりと舌の上で蕩け出すのだ。

 いい贈り物をいただいてあったと、送って下さった方の顔を思い出しながら賞味した。

 ところで4月が間近いというのに真冬の寒さで、花見に出かける予定がすっかり変更になって、ストーブをつけて部屋にこもってひたすら話し続けた。
 新学期前の休日、お茶とお菓子で、よい時間を過ごすことが出来た。
 玄関正面には、昨日いただいた花束を花瓶に活けて、客人をお迎えすることが出来たことも書き添えておきたい。
 時を得た戴きものって、いいなぁ~! 凡夫のつぶやき。
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祥月命日の一日……うれしい花束

2008年03月29日 19時21分25秒 | Weblog
 不思議なことがいくつも重なった感動の一日!

 午前は、野口三千三先生が眠る寛永寺の墓所を訪ねる。
 九州から上京された I.O さんと、墓前に花と香を手向け、私の新刊本の見本と筑波大学の小林桂さんの修士論文を供えてご報告。
 
 午後は朝日カルチャーで、思いがけない出来事の連続。
 勤続30年の記念の花束をいただいて帰宅。

 野口体操を野口三千三を直接間接に愛する方々と共に偲んだ祥月命日。
 さらに10年目のこの日は、曜日までいっしょの‘土曜日’。
 ありがとうございました。
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新刊案内 『マッサージから始める野口体操』 

2008年03月28日 16時43分56秒 | Weblog
 今朝、出版局書籍編集部から新刊本の見本が届きました。 
 4月1日に朝日新聞社から独立する「朝日新聞出版」の最初の本です。
 発売は4月4日の金曜日。
 本日、野口体操公式ホームページの「HOME」で、カバーの写真と目次のなかから抜粋した項目を佐治嘉隆さんが、載せてくださいました。
 
 ところで本づくりは、一度も会うことのないスタッフの方はもちろんのこと、多くの人が関わってチームでつくり上げていくものです。
 皆さんのお蔭で、とてもいい本に仕上がったと思っています。

 そこで内容ですが、野口体操を縦糸(たていと)に、現代的な問題を緯糸(ぬきいと)にして、野口三千三先生没後に発表された科学的な実証を刺繍に施して、全体をまとめてみました。
 そして各章の終わりに野口三千三語録を収録することで、「不易流行」つまり‘時代によって変わっていくこと’と‘時代が変わっても変わらないこと’が、しっかりと浮き彫りになったと思っています。
 この本の試みは、今までの野口体操にはなかった視点から語っていることに尽きます。

 さて、‘あとがき’の一部を、ここに載せてみますと……
「……常識をひっくり返す野口体操を本によって伝える難しさに、毎回、身悶えてきた者としては、実用書でありながらぎりぎり”思想としての身体”に踏みとどまった一冊の本だと……」

 今度の新刊本は、1996年『野口体操・感覚こそ力』を上梓して以来、単著と共著をあわせて6冊目の本になりました。一冊一冊が、それぞれに個性があって、野口体操に関しては変わらなくとも、さまざまな方向から光を当てて書いてきました。
 それができたのも野口体操の懐の深さゆえのことだと思っています。
 
 野口体操公式ホームページアドレス↓

 URL http://www.noguchi-taisou.jp/
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雑事っていってもいいのかな?

2008年03月27日 15時46分40秒 | Weblog
 今日は昨日に比べて少し気温が低くなった。
 とはいえ春だ。
 午前中は日差しもあって水仕事も苦にならなかった。
 実は、植え替えには赤玉土を使う。
 松や真柏などはそれに砂を混ぜて植え込む。
 今年はほとんどが赤玉土の大中小を混ぜ込んで植え替えをすました。

 この赤玉土は、壊れるととても細かい微粒子になる。
 我が家は、狭い空間だけれど、木戸から玄関まで‘洗出し’になっていて、そこに飛び石が埋め込まれている。
 で、植え替えをした後は、その壊れた微粒子の土が残ったままになってしまう。
 そこで、たわしと雑巾で取り除く作業を行った。
 まず、たわしで擦って水を流す。その後に雑巾で残った土をふき取る。しかし、それでもとりきれない。細かいということはもの凄く接着力があるということ。
 もう一度やる必要がありそうだ。
 そんなこんなで今朝は一汗かいた。

 それから銀行と郵便局をまわって所用を済ませるとお昼になったしまった。
 午後は買い物に出かけ、メールの整理をし、身の回りを片付けたら、この時間だ。

 オフの日にしかできないことって沢山あるのね。
 これから常備菜を何品かつくるとしよう。
 先ほど柔らかそうな蓮根を見つけてきた。これは薄く切って酢バスにすることになると思う。

 こうした時間を過ごすことは、いい気分転換になる、うちが花だ。
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世田谷区の取り組み

2008年03月26日 18時56分13秒 | Weblog
 世田谷区民の健康づくりを支援するNPO法人「健康フォーラムけやき21」のメンバーに野口体操を伝えてきた。
 対象は域の健康体操リーダーの方々だ。年齢は四十代半ばから、七十代後半まで、四十数名の集まりだった。そのなかで男性は六名ほどだろうか。そこに受け皿となっている世田谷区保健センターの運動指導員の方が6名ほど、五十名弱の参加者だった。

 ボランティアとはいえ、交通費と指導料が僅かでも出るらしく、皆さんの熱意は相当なものの印象を得た。年に六回ほどスキルアップ研修が催されているらしく、その中のプログラムとして呼ばれたのだった。

 運動や食事といったテーマと取り組み、地域社会に少しでも貢献したい希望を持つ方々の勉強会なのだった。反応はすばやく笑いが絶えず、ノートをとる方もちらほらおられた。野口体操は効果目的を言わないとしても、こうしたある目標や目的をもって、研修会に臨もうとする方々の意欲は、素直に認めたいと思う。

 生きる基本である「食」と、高齢化によってますます重要になってくる「自分の足で立って歩く」、そういった基本的なことを地域社会に向けて発信するいちばんの窓口になる方々だ。

 実際に野口体操を生かすことは難しい。しかし、何某かのエッセンスは皆さんのなかに残ったような感じがしている。
 いずれにしても、体操の指導というのは難しい。
 因みに「世田谷区保健センター」は、三十数年の歴史がある。準備期間から野口体操に興味を持たれ、基調講演は野口三千三先生がなさった縁がある。
 十年ひと昔、ここでも三十年はあっという間だった。
 当時からのメンバーも少なくなった。
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来し方を振り返り、そして、墨の香に酔う

2008年03月25日 16時50分18秒 | Weblog
 本日は、朝日カルチャーセンター火曜日クラスの一月期最後のレッスンだった。
 一年の締めくくりがなぜか三月になってしまった。そこで、来し方を振り返って、「野口三千三授業記録の会」のこと、野口体操公式ホームページのこと、書籍のこと等々、これまでの活動について話をさせていただいた。
 思いがけず長い時間をとってしまったが、熱心に耳を傾けて下って、有難いことだった。

 午後は銀座に出て、知人の書道展を見てきた。
 『回瀾同人選抜展』に今年はじめて出展された。

 今まででいちばんいい印象の書だったと素人目にもうつった。

  雪山のどこも動かず花にほふ

           飯田龍太

 めきめき腕をあげていると感じる。
 かなの書だけではなく書道は難しい。しかし、日本の書道人口の多さには驚かされる。簡単な世界ではないのだけれど。書けば書くほどに奥が深く、学ばなければならないことが限りなくあって、一生かけても窮みはないのに違いないと、書を見るたびに思う。何の道も同じかもしれない。

 会場に入ったときは受付が込み合っていた。
 帰ろうとすると声をかけられた。
「よろしければ、ご記帳ください」
 その言葉に促されて、記帳台のそばによった。
「まぁ、いい匂いですね」
「はい、いい墨をご用意しました」
 柔らかな声の男性が、直前に墨をすっていたことをおもいだす。
 年配の方だったので、先生の前に出た生徒のようだった。そこで名前を記すことに、一瞬だが躊躇らわれた。
「恥ずかしいですね。ちゃんとした筆を持つは何十年振りでしょうか」
 すかさず言葉が返ってきた。
「いえいえ、記念ですから」

 冷や汗ものだった。
 細い方の筆をとって、すられたばかりの墨をつけ、「羽鳥操」と記した。
 帰宅してブログを書いている今でも、久しぶりの‘よき墨の香’に気分が落着いている。

 これだから書道をはじめると虜になるのかもしれない。
 視覚と嗅覚、和紙の肌触り、水に解ける墨の感触、挙げたら切がない。
 その上、日本の文芸を自分の手に移していく。
 
 墨の香に酔った贅沢な午後を過ごした。
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数奇な運命?

2008年03月24日 14時25分10秒 | Weblog
 2008年4月から、明治大学でも授業を受け持つことになった。
 2002年度から、大学の体育のなかに入ったので、7年目の春を迎えることになる。
 私だけではない。体操不得意の自分が、体育教官室に身を置くことになるとは、誰も想像だにしなかっただろう。
 人生は最後までわからない、というのが今の実感だ。
 野口三千三先生は、体育の教師として、授業をもたれた。
 私はというと「野口体操」を教えるものとして、授業をしている。
 なんとも時代が変わったという以外に言葉が見つからない。

 とにかく体操といえば‘野口体操’しか知らない私にとって、体育教官室に身を置くことは、野口体操を外側からしっかりと見るよい場であったと思う。
 大学は学校のなかでも、干渉されることがない。しかし、質問をすればどなたかがきちんと答えを下さる。その日のメンバーが集っている教官室で、他の先生方の会話も耳に入ってくる。

 少なくともごく当たり前のこととして就職を考えている十代後半から二十代前半の学生に、野口体操のエッセンスを伝えることからも、学ぶことは大きかったが、体育の先生方と同じ場と時間を共有する体験も、同じ比重で大切なことだと思っている。

 野口体操の視点を、別の角度からも持つことができたことで、‘私の野口体操’の方向性が見えるようになったといえるかもしれない。
 今頃になって、野口先生はいかがだったのかと思いをめぐらせている。藝大という特殊な大学であっても、そこには野口体操とは縁のない体育の先生がたくさんおられるわけだから、先生も同じような空気をご存知だったのだったと想像ができるようになった。もちろん野口先生は学校組織の中の体育の指導者なのだ。

 その意味では67歳で退官されてから野口体操の個性は遠慮なく磨かれていったということに気づかされた。
 今の自分を省みると‘数奇な運命’というほどではないけれど、思いもかけない道を歩いている。
  
 さて、もうすぐ新学期が始まる。
 この道を歩み出すきっかけは「2年間、結核の療養をしたつもりで、野口体操に本気で取り組んでみよう」と思った1975年に遡る。暮らしの中身をガラリと変えて、中心に野口体操を置いて33年が経過した。
 月並みだが春は気分一新、一年が始まる。
 
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こまごましたこと……

2008年03月23日 18時55分45秒 | Weblog
 欅は三鉢、楡欅が二鉢、紅葉が一鉢、真柏は一鉢、梔子は二鉢、まめ苔舟形鉢、そして鞍馬苔の移植を行った。
 この中で紅葉と真柏は大きな鉢だ。
 昨年、松の植え替えをしてあったので、それはやらなくもよく、花梨も今年はパス。ということで、予定のものはすべて終えることができた。
 午前中に植え替えた欅は夕方には、一部葉が開き始めた

 植え替えは朝から始めて約6時間かかった。
 ちょうど終わったところに、昔から出入りしている大工さんがふらりと立ち寄ってくれた。
 昨年捨てはぐっていた土を、北側の塀の脇にまいてくれたり、蔵の二階のスイッチをなおしてくれたり、こまごました雑事を端から片付けてくれた。もう70歳近い。半世紀近い付き合いだ。

 一気に春の仕事の半分は片付いた感じがする。
 これで春のお彼岸中に、お墓参りに出かけられそうだ。
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早朝・雑感・春の足音

2008年03月22日 08時48分06秒 | Weblog
 一昨日、そして昨日と、二日にわたって降り続いた春雨のしっとりとした空気が、今朝もまだ残っていた。
 夜明け前、しかし、白みかけた空間に、花梨の新芽が緑というよりほの白くいくつも浮かんでいる。まだ闇にまぎれている黒い枝先だったり中ほどだったり……。
 それらは薔薇の花の形状に、ほっこりと開きかけているのだ。
 しばらく前に気がついていたのだが、今朝ほど整った形を見たのは初めてだった。
 指先で触れてみる。
 柔らかな今年生まれの葉は、手に吸い付くように慕ってくれる、と思うのは人間の勝手な思いように過ぎない。とわかっていても自分の側に引き寄せて、安心している。

 玄関の脇を裏手に回ると、塀の脇に植えてある木瓜が蕾を蓄えていた。一つ二つ三つと、数えるほどだが、こちらも新芽に寄り添って仄かに赤い蕾からは春の空気を読み取ろうとしているかのような気配すら伝わってくる。

 向きを換えてポストに投げ入れられた朝刊を手に取る。そこから立ち上る新鮮な匂いが、しっかりと目覚めをからだに引き寄せてくれた。
 
 3月もあと十日。
 新学期までにやらなければならないことを、端から片付けるしかないのかも。
 野口先生の祥月命日まではちょうど一週間だ。
 
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魅せられた身体……エピローグ

2008年03月21日 19時37分11秒 | Weblog
 やはり地雷を踏んで、書かなければなるまい。
 音楽に魅せられた瞬間について。 
 それは‘耀変天目茶碗’に魅せられたときのように、血が逆流する快感に似ている。
 宇宙に存在する美しい色を吸血鬼のように吸い取って、吐き出された漆黒釉面。
 そこに無数の星紋が現れ、そのまわりが玉虫色に光る。
 冷静と情熱と、愛憎。
 狂気と正気と、善悪。
 
 ……すべてが無に帰する……
 
 他者の息遣いとわが身が発する吐息がいつしか同じ周波数に揺れ始める。
 骨が砕け、筋肉が緩み、内臓がリズミックに呼吸する感覚だけが鮮明となる。
 意識は、あたかも死者の霊が修羅の妄執から逃れて浮かぶことを表す‘解脱境’に入り込むかのよう。

 その瞬間に遊んでいる身体。
 あたためられた血は、全身にくまなく巡り、存在の輪郭は失われていく。
 しかし、感覚は孤独だ。
 一人では達し得ない揺らめきなのに、他者が楽器が同じ感覚を共有しているかを確かめ合える言葉はない。
 歯がゆさが、さらに深く身体の和音を求める。
 もっと、もっと、いつまでも……と。
 音はなり続ける。揺れ続ける。
 
 そしてしばしの沈黙。
 光が絡まり、声が和合し、脳がふわりと浮かび上がる。
 それが音楽に魅せられたとき。
 
 演奏の行為とは、交わりと瓜二つ。
 銅鑼の響きが、長く尾を引きながら消え入るのを、じっと、待つしか女の覚醒は訪れない。
 一筋、流れる涙の味は、格別である。
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アンクルン

2008年03月20日 19時56分34秒 | Weblog
 『魅せられた身体』のなかで、「小さな人」という子どものガムラン楽団の写真を見つけた。
 最前列に陣取って演奏をしている子どもが持っている楽器は、竹で作られた「アンクルン」のようだ。
 
 実は、かれこれ20数年前に、アンクルンで‘ブンガワンソロ’を楽しんだことがあった。この曲はバリ島ではなくジャワ島の曲だ。
 浅草のパーカッションの店で手に入れたアンクルンは、いわゆる西洋のドレミの音階で作られていた。三本の竹で一音を出すのだが、竹を立てかける枠は朱色に塗られていて、見た目に派手な様相をしている。これはタイで作られたものだと説明された。

 この‘ブンガワンソロ’は、クラシック音楽の音階と和音で作られているので、ピアノで伴奏することが出来る。戦前の日本人にはなじみ深い曲だったらしい。
 その曲をアンクルンとピアノで演奏すると、メロディーの音程は、非常にアバウトになる。だから絶対音感を持っている人には、聴くに耐えられないかもしれない。
 しかし、竹を震わせて演奏することで、郷愁を感じ、涙する人までおられる。
 なぜか?
 それは戦争の体験だ。
 南方の戦地から、運良く戻ることができた数少ない日本兵は、竹の音色とブンガワンソロのメロディーに喚起される思いは複雑なのだが、哀愁を掻き立てられてしまうという。戦地に赴かなかった人でも、戦前の暮らしに懐かしさを感じるようだ。それ以上にアジア共通の自然を‘竹の楽器’の音色に感じ、共振する気持ちよさに浸ることになるらしい。

 私の手元に届いたアンクルンは、西欧人が彼らの伝統的音楽コードに変容させてしまった楽器だ。しかし、そのことによってピアノとともにあって、ピアノだけでは表現しきれない音楽の趣が醸しだされる。コードからはずれた演奏であっても、演奏する楽しさが得られたということも事実なのだ。

 竹の楽器には、西洋の楽器にはない親しみがある。
 アジアの国々は島嶼部も含めて竹に恵まれている。竹が楽器として生かされるのは自然な成り行きだった。
 アンクルンという楽器ひとつ取り上げても、最初はどこの国で作られたのだろうか。よくわからない。音楽の交流は、アジアの広い範囲に及んでいることが楽器によって明らかにされる。音は、音楽は、演奏の瞬間に消えていく。しかし、楽器は残る。音楽は民族によって変化しても、「もの」に託された人の思いは消えることなく伝えられるに違いない。

 アンクルンは、小舟に揺られ、島々を渡る。
 いつしか寄せかえる波間に、竹の音色が溶け込んでしまう。
 山間部では楽器の震えが風とともに天空の神々に捧げられる。
 
   *******

 あれ以来私の十数本のアンクルンは、高い棚の上にのせられたままだ。
 少なくとも最近の二十年、音楽もまた封印してしまったことに気づいて、ハッとする私。
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1959年の不思議

2008年03月19日 20時40分50秒 | Weblog
 このところブログに書いている『魅せられた身体』は、まだ読み終えていない。
 なかなか先にすすまないのは、万華鏡をのぞいたときのように行間からあらぬ方向に思いが迷い出てしまうからだ。
 
 昨日は1900年というキーワードだったか、今日は1879年に生まれた永井荷風のことが思い出された。ここにも数字の魔術が現れた。
 なぜって、荷風が亡くなった1959年にこの本の著者は生まれのだから。
 もしかして荷風散人の生まれかわりかもしれない!?
 どうしてこうも縁が絡まってくるのだろうか。ちょっと怖くなってきた。

 ここまできたら開き直ってしまおう。
 フランスに憧れ、フランス文化の洗礼を受けた荷風は、まずはフランス文学の手法で小説を書いていくのだ。自然主義文学が道しるべとなった作品群。ゾラの翻案はもとより、象徴詩の翻訳も行う。
 しかし洋行帰りのちょっと鼻持ちならない荷風だったが、次第に江戸へとユーターンしてしまう。それはきっとフランスの印象派の絵画や音楽、象徴詩を産みだしている芸術家たちが、こぞってアジア文化にイマジネーションをもらったことと無縁ではないだろう。
 
 荷風は意識的無意識的に、彼自身のアジアを求めた。
 そして見つけた。荷風にとってのバリは、明治という時代が東京の向こう側へ強引に押しやろうとした‘江戸’だったに違いない、とこの本を読みつつ気づかされたのだ。
 荷風の場合には複雑に屈折している。文明開化の日本に生まれ、西欧文化の光の乱反射を繰り返した結果、まわりまわって江戸の地にたどり着き文明批評家としての使命まで担っていくことになる。

 芸術作品を‘異文化から受けたイマジネーション’で創造していく行為と、文化人類学的に研究する学者としてのまなざしに加えて、荷風は近代日本が目指す欧化政策に批評眼というもうひとつの‘複眼’を持ったのだ。多分に言語というロジックの塊が厳然としてある異文化と出会ったことが大きいと思う。なんといってもフランス文化はラシーヌの演劇を持つ国なのだから。

 異文化とどのように関わっていくのか。
 私の脳の地図帳は、今、迷走状態に陥ったようだ。
 だが、ひとつだけ言えることがある。
 それは小沼氏の言語世界から、<植民地にならないまま欧化政策をとった日本の文化的特殊性>が、めくるめく現代を形創った奇跡のなかに、今、私が生かされていることを知らされた、ということだ。
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THE LEGEND OF 1900

2008年03月18日 19時06分38秒 | Weblog
 朝日カルチャーセンター火曜日のクラスで、昨日のブログを読んでくださった方がいらっしゃった。
「その本を読んでみたいと思います」
 お二人とも、目を輝かせておられた。

 で、コリン・マクフィーという人の紹介はしておかなければいけないと、その時思った。
 帯の言葉をそのまま載せておく。
「一九〇〇年カナダ生まれ。作曲家、民俗音楽学者。バリ島に長く滞在し、ガムラン音楽に多大な影響を受け、作曲をおこなうとともに、またガムラン音楽研究に携わる。しかし、大きな成功と名声を得ることはなかった。一九六四年死去。著書に『熱帯の旅人』『バリ島の音楽』など。」

 マクフィーが生まれた年を知って驚いた。
 一九〇〇年は、日本におけるモダンダンス(ノイエタンツ)の第一人者である江口隆哉が生まれた年でもあるからだ。江口は極東の日本からドイツに留学し、ウィグマンに師事した。日本に新しいダンスの可能性を示したのだが、野口は敗戦後の間のない時期に舞台を見て感動し、江口隆哉+宮操子舞踊研究所に入門した経緯があった。

 偶然とはいえ同い年の人間が、西に東に入り乱れて移動し、異文化において自らの芸術を磨き上げていく。彼らの生き様に、探究心と芸術の心と学びの深みを感じつつ、いかにして人は異文化を血肉化していくのかを考えさせられそうだ。(まだ読みきっていないので……予感!)

 フィクションだが、映画「海の上のピアニスト」でも、主人公の誕生日設定は一九〇〇年である。
 戦争の世紀とも言われる二十世紀を目前にしたこの年に、何か大きな偶然と必然が絡み合った‘神の采配によるムーブメント’を感ぜずにはいられない。

 《 THE LEGEND OF 1900 》
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懐かしきモーツァルト、そしてバタヴィア……

2008年03月17日 20時03分10秒 | Weblog
 土曜日に手に入れた本。
『魅せられた身体ー旅する音楽家コリン・マクフィーとその時代』小沼純一著 青土社を読み始めた。
 読みきってからブログに感想を書きたいと思っていたのだが、166ページでとうとう我慢できずに一言。
 それは懐かしい名前に出会ってしまったから。
 そしてその人の関係者の縁で、野口三千三に私は出会った。

‘リリー・クラウス’モーツアルト弾きといわれたピアニストである。
 そこで著者は言う。
「リリー・クラウスの名を知っているクラシック音楽ファンは少なくないだろうが、おそらくはそれなりに年配の方なのではないだろうか」
 このフレーズに、私も初老の域に入ってしまったのか、と思わず天をあおいだ。
 なぜってここまでは大変調子よく共感しながら、音楽に魅せられていた若き日の自分にすっかり戻って、ウキウキと心躍らせながら読んでいたのだから。
 急に著者との年齢的な隔たりを突きつけられた。(ムムムッ)
 見ると著者は1959年生まれなのだ。
「たった10年しか離れていないのに。いやいや、実は、10年の差は大きいのであります」
 それを素直に認めよう。でないと先にすすまない。

 それはさておき、野口三千三に出会うきっかけをつくってくださった方は、このリリー・クラウスのアシスタント・プロフェッサーをなさっていた日本人だった。
 ロンドンでクラウス先生のレッスンを受けた彼女は、その場で認められ抜擢された。日本に帰るつもりでシュタンウェーのピアノを自宅に送る手はずまで整えてしまった後のことだったという。
 ピアノは日本へ、彼女は確かアメリカ(もしかするとロンドンだったかも)へ。とにかくしばらくアシスタント・プロフェッサーをつとめた後、帰国して間もない時期に、私はレッスンを受けた。
 音大を卒業してから、期間は短かったが、徹底的にやり直した。

 あるときは、4小節のフレーズを2時間かけて教えていただいたこともあった。
 テクニックはもちろんのこと、楽曲の解釈とそれに伴う表現等々、まったくそれまで受けたことがない緻密で濃密なレッスンの時間だった。
 そのことから本場のクラシック音楽教育の凄さをまざまざと感じたと同時に、見事なまでシステマティックに教えられることに対する驚きに打ちのめされてしまった。
 
……リリー・クラウスが演奏するモーツアルトは、来日した折に一度だけだがコンサートホールで聴いたことがあった、が、……その演奏の裏側に、これほどまでに精緻な解釈がなされているとはまったくわからなかった浅はかさ……
 
 そして……リリー・クラウスがバリ島と日本軍との縁があると聞いてはいたが、この本に書かれているほどの深い関係があったとは……つぶやく私。

 ところでアシスタント・プロフェッサーの方は、菅野洋子先生とおっしゃる。
「話を伺うだけでもいいから、行ってご覧なさい」
 菅野先生が一緒に体操教室に出向いて、野口先生に私を引き合わせてくださった。
 その日から、33年が過ぎた。
 今の自分を冷静に見つめてみると、縁の不思議を感ぜずにはいられない。
 人生は小説より奇なり!
 その年月を思い返すと、小沼氏にご年配と言われても仕方がないのね~!といいつつ……甘美な溜め息をつく私。
 
 音楽と共にあった日々への懐かしさにからだが震える‘身にしみる一冊の本’に出会えた春である。
 さぁ、続きを読むとしよう。
 
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