羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

如月から弥生へ

2008年02月29日 18時52分23秒 | Weblog
 如月、最後の日。
‘あとがき’の推敲と、再校ゲラの校正で、一日は終わったようなものだ。
 カバーデザインもメールに添付されてきた。凄い時代になったものだ。
 柏樹社で『野口体操・感覚こそ力』を上梓した際には、どんなカバーデザインになるのかは、本の見本が出来上がってくるまでわからなかった。写真も含め「アオヤキ」といって、カラーではなかったので、素人目には見ても何もわからなかった。
 編集のプロは、想像しながらいろいろな指示を出していくのだった。
 今では著者のコンピューターに、映像が取り込める時代となった。
 IT時代なのだ。
 
 もうひとつ、大学の教科書や参考書の注文を出し忘れていたことも思い出し、慌てて郵送などもした。

 なんとなく仕事が片付いていく一日多い最終日だった。
 明日から弥生・三月、本当の早春である。
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言葉のプレゼント

2008年02月28日 19時05分49秒 | Weblog
 ここまでくると文字数と行数にあわせながら「あとがき」を書いている。
 一番いけない方法だ。しかし、本の装丁が決まりページ割が出来てくると、残った分で書くことになる。
 いつもことだ。だから「あとがき」というのかも?
 
 まず、書きたいことを書きたいように書いてしまう。
 そこから推敲を重ねて、最後に辻褄をあわせていけばよいのに。
 それは出来ない。これで本の定価も決まってくるし……。

 しかし、書かずにおこうと思っていたことをとうとう書き込んでしまった。
 結局、内容も枚数もはみ出している。
 どうしてもあと3行は削らなくては、おさまらない状況にある。
 なんとかおさめて、編集者がこの内容では困ると言われても、これで押し通そうと今は思っている。変わる可能性も十分にあるのだけれど。
 一晩寝ると違って読めるから、しばらくは書いては消しを繰り返すことになるだろう。
 あぁ~、溜め息。
 
 そんなこんなで、少し落ち込んでいたが、かめいどさんから、素敵な言葉をいただいて、作家ではないのだけれど、おかげさまで気持ちを立て直すことができそうだ。
 少々プレッシャーですが……ネ。
 
《完璧は作家の基準としては不適切である。作家の基準は「そのとき自分にできる最高の仕事」を基準とするべきである》

 ここで投げださずに、もう一がんばりしてみよう~っと。
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天命?

2008年02月27日 19時05分49秒 | Weblog
 今日は、終日、再校ゲラを校正していた。
 細かいことだが、表記上の問題で、今ひとつ迷うことがあった。
 読み直すうちに、段々と気合が入ってきて、大方の方向性は決まった。
 あとは最終チェックをして、赤を入れるところと、鉛筆で黒を入れるところを書き分けることになる。

 明日は、「あとがき」を書こうと思う。
 じっと正座して原稿とにらめっこの日々から、もう少しで解放される。
 
 思いおこせば野口三千三先生の一周忌に出版した『自然直伝』、『野口体操入門』は、父が入院していた病院にゲラが届けられて、校正も打ち合わせもそこで行った。
 春秋社から再版された本のいくつかは、たまたま病院から3・4分のところに出版社があったので、同じ病院から通って行ったこともある。
 必ずしも落着いたいい条件のなかで本つくりをしてきたというわけではなく、いろいろな条件のなかで、かいくぐるようにして本を出させていただいてきた。
 因みに父は十五年間、お茶の水の順天堂に入退院や通院を繰り返していた。当然のことに私も付き添って通い続けた。
 そして柏樹社は千駄木、岩波書店は神保町、春秋社は外神田(神田明神傍)にあって、どこの出版社も同じ界隈であることに不思議な縁を今でも感じている。

 その最初の本『野口体操・感覚こそ力』は、四十七歳のとき。野口先生が亡くなるほぼ1年前に間に合った本だった。
 今度の本が出ると11年間に単著と共著を合わせて6冊の本を出版することになる。
 
 いつも自分で書いているというより、何かの力に導かれて書かされているような気がしてならない。
 ‘天命’という言葉がぴったりかどうかはよくわからないが、そう言いたくなるような自分を超えた大きな力をもらっている。
 有難いことこの上ない。
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本日のこと……

2008年02月26日 18時50分07秒 | Weblog
 部屋の中に積みあがっていた昨年読んだ本を片付けたら、頭の中がからっぽになってしまった。
 すっきりし過ぎというのも問題だった。
 発想が浮かばない。
 身の回りには乱雑になってもいろいろなものがある方がいいのかもしれない、とおもったのだ。
 
 少しだけ気が重かったものの、新宿駅を降り立って歩きはじめたら、体調はすこぶる元気に感じられた。
 実際にレッスンが始まってみると、言葉がどんどん出てきて、おさえる努力をしなければならない状況だった。
 火曜日のクラスは、今日が2月最後だ。
 ‘まとめ’の意味もあって、今期から参加された方に、少しだけ丁寧な説明を加えた。自分のなかでも、新しい表現等々も見つかって、やはり‘からっぽ’というのもいい、と思いながら2時間が過ぎていった。

 帰宅後、3時、約束の時間ぴたり、編集者の方がゲラを持って来訪された。
 半年の時間が過ぎたことになる。
 ゲラを見ながら、丁寧な仕事をしてくださっただけに、いい本に仕上がる予感がしてきた。
 掲載写真の数を聞いて驚いた。相当な枚数なのだ。
 お楽しみに!
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我パソコン環境

2008年02月25日 16時00分45秒 | Weblog
 ここで正座してブログを書いています。
 向かって右側の机は御年83歳。まだまだ健在。
 ここで本の原稿書きも……。
 とうとう公開してしまった。
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ゴール

2008年02月24日 09時37分23秒 | Weblog
 昨日の風は‘春一番’だなんてとても信じられない、最近にない突風だった。
 丁度新宿駅に到着した時間が、2時30分過ぎで、砂埃や枯葉が飛んで目が開けられない状態だった。台風並みの風速だ。
 朝日カルチャーがある住友ビルのひとつ手前の三井ビルから地下にもぐって、到着した時には、高層階行きのエレベーターが止まっている状況に出くわした。
 
 当然、レッスンは皆さんの出足が揃わなくて、5分遅れの始まりとなった。
 5時30分、終わってみれば、ほとんどの方が出席されていた。

 さて、昨日のレッスンには、表紙の写真をもう一度撮るという課題があって、いささか中途半端な運びとなってしまった。申し訳ない。
 参加された方が大人の対応をしてくださったので、大助かりだった。
 この場を借りてお礼を申し上げたい。

 さて、いよいよ本作りも最終段階に入った。
 今週初めには、再校が出てくる予定になっている。
 昨年の初秋から書き始め、およそ半年が過ぎようとしている。
 ひとつのものが形になってくるには、折々に思わぬ出来事に遭遇するものだ。
 そうしたなかでいえることは明らかに現実を把握しつつ‘簡単に諦めない’ということ。どこかで聞いたような台詞?

 最後のスパートをかけるゴールが少し見え始めた週末だった。
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人は変わるもの

2008年02月23日 20時22分59秒 | Weblog
 今日は嬉しいことがあった。
 それは野口先生の時代から続けておられた中年男性が、「やすらぎの動き」(開脚長座による前屈?)で、肘が床についたことだった。
 形ではないないといい続けながらも、この変化は嬉しい。

 本人にとっても継続への意欲は、こうした変化からうまれるもの。
 理屈でなく励みになる。
 そんな時拍手よりも「おぉ~」というような声にならない声に教室内が包まれるのだ。

 人は変わる。ひとところにじっとしてはいない。
 少しでもいい方向に変化したら、皆で喜ぼうではないか。
 Nさん、おめでとう!
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片付けの意味

2008年02月22日 20時07分49秒 | Weblog
 あぁ~、すっきりした。
 パソコン環境と机の中と押し入れの一部を、片付けた。

 捨てることができる書類や、6年分の学生のリポートは、ダンボール詰めにして片付けたり、昨年、夢中で読んだ本を一気に蔵に運んで、手元には野口体操の本のほかは使う頻度のたかい辞書類しかなくなった。
 なんとなく卒業できた感じがする。
 引き換えに、これからしたいことが、おぼろげだが見えてきた。
 それは片付け中に見つけた資料に呼び起されたようだ。
 
 今年こそ、立教大学の図書館に通って、読みたいと思いつつ、数年が経過してしまった資料を丹念に読み込んでみたい。
 ひとつは文字言語(楽譜)とノンヴァーバルコミュニケションの関係について等々、新しい本の構想を数年かけて練りたいものだ。
 
 ということで、私の中で吹っ切れたものがある。
 片づけを思い切って出来るということは、自分の中の非意識の領域で、捨てられるところまで、煮詰まってきたということに違いない。
 新しいスタートをきる前の空いた空間に身をおいている気持ちよさだ。
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2008年02月21日 18時48分40秒 | Weblog
 最近のことだが、2月になると片づけをすることにしている。
 最初は少し寒いが、片付けている間にからだがあたたかくなる。汗をかく季節だと、途中で疲れが出やすいのだ。真冬というのは、その意味では動きやすい。疲れないで片づけが出来る。
 その年の予定をたてて、毎朝、ひとつずつこなし、終わった印をつけていく。
 
 ところが今年は新刊本づくりのことがあって、片付けの計画もたてられなかった。
 昨日、思ったよりはやく確定申告を提出することができたので、行き当たりばったりに今朝から始めようと思いたった。
 とりかかったのは三面鏡の片付けだ。

 結構捨てるものがあり、思いがけないものも出てきたりして、片付けというのはそれなりに面白い。
 最近ではほとんど使わなくなった12枚ほどのハンカチーフが押し込まれていて、それを洗いアイロンをかけて、綺麗な状態で鏡台の引き出しに納めたのは、お昼時だった。

 鏡台といえば思い出すことがある。
 江藤淳さんが奥様を亡くされて、彼女の鏡台に掛けられていた布を見て悲嘆に暮れる話だ。
 昔の女性が使っている鏡台は一面鏡で和服を着るときなど姿見の代わりになるくらい幅は狭くても思いがけない高さがある。長年使い込んでいると、その間、何度か鏡にかける布が新しいものに替えられるのだ。
 江藤さんのお宅も、新しくお気に入りの布にかけかえられてそれほどの時間がたたないうちに奥様が帰らぬ人となられたらしい話を、たぶん昨年のことだったか、新聞で読んだ。
 
 その話を思い出しながら、15歳の誕生日に両親からプレゼントされた三面鏡を綺麗にした。
 よく見なくても小傷や手垢がついていて、なぜ、もっと大切に使わなかったのかと悔やまれた。
 おそらくその新聞記事を読まなければ、これほどの思いは持たなかっただろう。

 四月で四十四年間の自分を映してくれた鏡だ。
 なんだか怖いようないとおしいような微妙な心持ちだ。
 嬉しかったとき、悲しかったとき、悔しかったとき、憤りに燃えたとき、熱に浮かされたとき、喜びに浸ったとき、そして愛する人を失ったとき、優しい気持ちになれたとき、元気溌剌なとき、失意に打ちひしがれたとき、……私をじっと見守ってくれた鏡だった。

 あと何年、この鏡に向かって髪を結い化粧をするのだろう。 
 母の鏡は、戦争が激しくなる前に祖父が手に入れ、嫁に来るときも持ってきたという。後生大事に使っていて、こちらは六十七年は優に超えている
 
 あぁ~、私の鏡は、これから先、これまで過ごした時間、使い続けるというのは無理というもの。
 いずれにしても女にとって鏡は、日常の道具の中でも特別なものに違いない。
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梅に鶯

2008年02月20日 18時59分33秒 | Weblog
 家が建て込んでいる我が家で、植物を育てるのはなかなか難しい。
 それでも父が丹精していた頃は、いい感じに鉢におさまっていた。
 今では肥料もやらないし、鋏も入れられないので、伸び放題の状態にある。
 そこにきて、今年の例年にない厳しい寒さで、松などの常緑樹の緑が、次第に生気を失いつつある。枯れるのではなさそうだが、昨年の状態を思い出してみると、かわいそうだ。
 玄関がいちばん日当たりがいいので、その周辺に鉢を移してきたので、通り道が狭くなってしまった。しかし、少しでもお日様の力を借りたいと思って祈るような気持ちで移したのだ。

 連日、鉢の土は霜柱が立って、はみ出そうになるくらい盛り上がっている。周りの土の表面はカサカサに乾いてしまう。しかし、寒い朝のうちには水遣りは出来ない。少し暖かくなるお昼ごろになってようやく水遣りをする。あまりたっぷりやると、またまた夜の冷気で霜柱が一層長く立ってしまうのではないかと素人判断をしているのだが、果たしてどうなのだろうか。

 とにかく水遣り三年といわれるが、的確に量を決められるのは、難しいということをこの寒さで思い知らされた。
 来月のお彼岸ごろには、植え替えをする時期だが、今年はこの寒さでは少し遅めの方がいいのだろうか。

 野口先生は「植物に貞く」とおっしゃったが、正にそのとおりである。
 その年の気候、自然の風をどのように感じ取り、そして読むのだろう。
 丁度いいところを見つけていくことができるのか、まったく修業が足らない? のだ。

 春よ来い! 春よ来い! 
 早くあったかくならないものかなぁ~、という思いが、そろそろ芽生えてきた。
 そういえば今日の午後、ご近所の梅の木に鶯の姿を目にした。
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シンクロ

2008年02月19日 18時59分02秒 | Weblog
 昨晩と今日の午後、二人の知人と電話で話をすることができた。
 親しくお付き合いいただくようになって、あっという間に20年以上が過ぎていった。
 気の置けない方との久々の語らいは、心の栄養になってくれるからいい。

 で、昨晩の話では、NHKの経営改革で、会長はじめ首脳陣のほとんどすべてが放送についてまったく素人の財界人であることを憂いておられた。
「受信料を払いたくないですね。とにかく昔みたいに見ませんもの」
「それは違うんです。ちゃんと受信料を納めて、言うことを言って欲しい」
「えぇ、でも、その気で番組を見なければ物申すことはできませんね」
「そうなんです。。。。。。。。。」
 しばしの沈黙に、彼のNHKへの思いの深さを感じ取った。
「とにかく放送の自由・表現の自由より、経営改善つまり経済性とコンプライアンスの呪縛にNHKは取り込まれてしまっているんです」

 最近は、テレビを見る時間が以前に比べて少なくなった。
 まして録画してまで見るなどということもしなくなってしまった。
 テレビのよき時代はすでに遠くへ過ぎ去ってしまったのだろうか。
 何につけても問題はインターネットである。

 もう一人の知人は、七つ年下の女性だ。
「羽鳥さんとは、心して喧嘩をしないようにしてるの」
 以前、そうのたまった。
 お父上を十二月に亡くされた。彼女の誕生日の夜だったとか。
 しばらく連絡がなかったので、そろそろ手紙にするかメールにするか、やっぱり電話かと思い立ち午後にプッシュした。
 不思議なもので彼女も私に手紙を書こうと2・3日前から思い始めていたという。
「同じよ。私もあなたのことが気にかかって」
 こうしたシンクロはときどきあるのだ。

「生きているって不思議だよね」
「死ぬのって不思議だよね」
 暖かくなったら会う約束をして電話を切った。

 前置きを抜いて本題の話に入ることの出来る友人や知人ほどいいものはない。
 優しい気持ちが通い合う会話ほど大切なものはない。
 生きているからこそ! 
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間隙

2008年02月18日 18時26分13秒 | Weblog
 昨日、出かけるぎりぎりまで校正を行って、初稿を無事にお渡しできた。
 これで、再校が出てくるまで、ほぼ一週間の間隙が生まれた。
 さぁ、その間にやっておきたいことを今日から始めた。

 一つはリニューアル版野口体操公式ホームページの「問い合わせ」を開通させること。これは上首尾にいった。……ひとつホッと……

 もう一つは一日ではすまない。
 確定申告である。なんとか今週中に提出してしまいたいと思っている。
 目処はたった。……もうひとつほっと……

 それからお貸ししたものの返却を願うメールを出したり、手紙を書いたり、しばらくお預けになっていたこまごましたことも終わった。……もうひとつホッと……

 最後の難問は解決しなかった。
 年老いた母が寒いといって髪を洗わない。
「手伝いましょうか」
「今日は気分がよくないから、いいわ」
 ちっともそうはお見受けしない! 
 ううううっ、これから先が思いやられるが。。。。。。。

 まぁ、今日一日は、概ね無事に暮れた。
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ドローイング

2008年02月17日 19時09分10秒 | Weblog
 20年来の知人から、初めて彼が描いた絵をいただいた。
 ‘ドローイング’というものらしい。絵に関してはまったく門外漢なので、それがどのような意味があるのかよく分からない。

 手元に置いて楽しむ大きさで、とりわけ細密画のように細かい螺旋がびっしりとはがき代に書き込まれている。そのなかに赤・白・黒・金・銀がランダムに円形で書き添えられている。

 殺風景なパソコン環境の一角が急に芸術的に変化してくれた。
 写実ではないので自然に溶け込んでいい感じである。

 明日、お天気だったら、気合を入れて掃除をしたいと思っている。
 丁度、夕方、初稿をお渡しして、1時間ほど打ち合わせを行った。
 すこしだけほっとしたところに、素敵なプレゼントをいただいた。
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音楽が潜めるマッサージ性

2008年02月16日 20時51分46秒 | Weblog
 原稿校正に籠もっていたとき、気分転換に行ったことは、料理とピアノを弾くことだった。
 料理はともかくとして、ピアノを弾くことは、脳と心のマッサージとなった。
 言葉の世界にとっぷりとひたっていると、考えはまとまり進むけれど、感性が乾いてしまう。
 そこで、ロマン派の音楽を弾くことで、バランスの崩れを立て直す手がかりになっていたような気がする。
 心が解きほぐされることで、長時間、座り続けることも苦にならなかったと思えるのだ。
 つくづく音楽が持つメッセージ性とマッサージ性に助けられた。
 今日は、久しぶりに外出した。
 朝日カルチャーーセンターの土曜クラスのレッスンだった。
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ふぅ~っ。

2008年02月15日 19時27分31秒 | Weblog
 今週の水曜日から三日間、家に籠もった。
 新刊本の初稿ゲラをいただいて、校正するためだ。
 この作業は、やってもやっても切りがない。
 さらにプロの校閲者の目にかかると、もっと凄い。
「あぁ、そうか」
 溜め息が出るくらいだ。
 そして質問事項や‘ここはわからない’という指摘など知らされるときは、冷や汗ものである。今回はどんな汗が滴るだろう?
 
 予想通り200ページくらいの本になりそうだ。
 そしてこれからの大仕事は、写真が入って変更された段階で、文章をいじること。
 
 終日、座ったまま黙々と読み・加筆し・削除しながら考えることの繰り返しの毎日だった。

 ただ、私はこうした本つくりの時間を過ごすことが好きだ。
 初稿が出てから苦しむことになる。陣痛が始まるわけだ。
 しかし、この苦しみは必ず終わりがある。
 産まれてしまえば、すぐにも私の元を離れて一人歩きはじめる。私の手の届かないところへ行ってしまう。どうにもならない。
 
 あと半月は時間がかかりそうだ。
 再校、そして再々校と、二回は読み、そして手をいれることが許されるだろう。
 野口三千三先生没後10年の記録でもある。

 ふぅ~っ。
 
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