羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

思う、想う、憶うことごと

2011年12月31日 16時08分27秒 | Weblog
 あり得ない、未曾有、想定外、そういった言葉が現実のこととして起こった今年。
 そうした出来事に遭遇して、人間の奢りへの警鐘を誰もが理屈でなく受け止めた今年。
 個人の力では何も出来ない、しかし個人が集まれば何かが動くことを知った今年。

 大切な人々を鬼籍におくった今年。
 そのなかで失うことばかりではなく、得ることも多かった今年。
 皆様のお蔭で、野口体操の灯火を消さずに生き延びた今年。
 
 来る年は、少しの勇気とがむしゃらにならない程度の気概をもって、与えられたミッションを続けられたらよいと思う。
 来る年は、喩えれば繭から糸を紡ぎ出し、これから色を染める行程にはいるのだと想う。
 来る年に、からだが潜めている可能性を、体操を通して一つずつ顕わしていく経糸と緯糸の模様を憶う。
 
 来る年が、よき年になりますように、幸多かれと祈る大晦日も八時間をきりました。
 
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門松、そして……

2011年12月28日 13時11分20秒 | Weblog
 つい今しがた正月飾りと門松立てを終えた。
 今日までの数日間、正月のマンネリ感を打破したいと何か違った飾り付けをしたい、と考えてた。
 しかし、なかなか思いつかなくて、母に相談をした。
「いつもと同じでいいんじゃない。だって、門松はかわらないでしょ」
 なるほど。
 門松が金銀に塗られたり、毎年変化したお飾りをつけるわけではない。
 これぞ伝統、というわけだ。

 納得した私は、殆ど例年と変わらないセッティング。
 まず、玄関正面の壁に凧をあげた。
 床には一間ほどの長さがある舟板を細い丸太を三本にまとめて台にしたものの上におく。その上に独楽を並べる。ただし今回は昨日ゲットした福島新作独楽を中心に飾った。
 それから蔵に入って干支の張り子を探した。野口先生から届けられたものは十二支が揃っているわけではない。張り子の虎と龍が複数ある。そうしたいい加減さは、先生の生まれ年「寅年」とお好きだった龍の「辰年」という理由からだ。
 全体のバランスを整えて、一通り飾り終わるのに二時間強というところだった。

 それから早めの昼食をとって、門松を立てた。
 この家に住んで六回目のお正月を迎える。松を麻紐で結び、輪飾りを取り付ける手順も手慣れてきたものだ。
 朝日カルチャーのレッスンが早めに終わっていた事もあって、例年より一日早く買い物ができた。おかげで松ぼっくりがついた立派な門松が手に入った。
 輪飾りを松の枝に通す時には、一枝を新聞紙でくるんで養生する。すると痛い思いをせずに首尾よく終わらせる事も覚えた。つまり、松葉は天に向かって尖っている。輪飾りを付けるには、松葉の向きに対して逆進させる必要があるからだ。それもこれも伝統をつなげるうちに自然と身につく習慣なのかもしれない。そうしたことを何気なく教えるのが年寄りの役目だ。

「今年ほど変わらないことが大事だって思えたことはないわね。いつもと同じにできるって、幸せなのよ」
 八十七歳に近づいた母の言葉に、素直にうなづいてしまった。
 最近はかなり記憶が飛んで、同じ事を何度も繰り返し聞き返して来る。ほかにも老いが齎すあれこれの頻度が高くなってきた。しかし「門松は変わらないから、飾り付けも無理に変えなくてもいい」という発想がでるのだから、まぁ、よいではないか。
 それでも何かが少しずつ変化する。ということで多少は変えた飾りだった。

 さて、今夜は9時から10時まで夜回りに参加する。なんでもお汁粉が振る舞われるとか。町内の皆さんと冬の夜空を見上げるのも一興だ。震災と津波と原発事故と台風被害をテレビで目にして、意識が変わった。地域社会に少しでも馴染んでおきたい。一人でも顔を知っておきたいし知ってもらいたい、と思うようになったのは、私だけではないさそうだ。参加者が増えているそうだ。
 繰り返すが、いつもと同じような設えで、いつもと同じようなおせち料理で、いつもとような同じ正月用食器で、いつも変わらない人と、元日が迎えられる幸せを大切にしよう。そのなかに少しの変化が起こるのが自然なのだ。
 
 まだ夕方までには時間があるから、もう少し部屋の片付けをしょッ!!
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もういくつ寝るとお正月……江戸独楽作家・福島保 職人展

2011年12月27日 18時45分22秒 | Weblog
 何年ぶりだろうか。しばらく会うことがなかった福島さんにお目にかかった。
 26日から東急田園都市線のたまプラーザ駅前の東急百貨店で、実演展示即売会を開いておられる。
「遠いところなので、ご連絡しませんでした。年賀状にしばらくお目にかかっていませんね、って書いて出したところよ」
 朝日カルチャー土曜日クラスの帰りに、いつも新宿駅ホームで見送ってくれるMさんから、話を聞いて出かけていった。我が家からは小一時間ほどかかった。

 ベンハムトップ+玉がでるおもしろ独楽、干支に因んだ飛び出し龍独楽(二種)を買わせてもらった。
 試作品の仮名「あきらめない独楽」は、私のブログで紹介した映像からヒントを得て作りはじめたという。それは遠路はるばる来てくださった、とおっしゃりながらお土産にもらってきた。なんと表現したらよいのかわからない。黄色と赤のリングが何度も上下しながら回り続けるうちにあり得ない色が見えてくる新作である。江戸独楽の醍醐味は発想の自由さだ。そして時代によって変化する面白さでもある。
 これらは最初のレッスンでお披露目したいと思っている。

 この催しは来年1月4日まで続くが、福島さんに確実に会えるのは31日までとのこと。
 独楽つくりも見られるので、お出かけください。

 野口先生が福島さんに出会った年齢を超えたのではないだろうか。
 ながーい付き合いを続けさせていただいている。先生が太鼓判をおされた御仁である。
 とにかく新作二種類と試作品を手に帰宅した。
 明日は門松立てと正月飾りをするつもりだ。これらの新作も飾ってみたい。
 
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メリークリスマス!

2011年12月24日 19時09分45秒 | Weblog
 明治大学駿河台校舎のLIBERTY TOWERには、十メートルを超すクリスマスツリーが飾られます。
 建物の一階ロビーは吹き抜けになっていて、その高さが気持ちいい空間を作り出しています。
 十二月十五日過ぎ、二十日前には準備され、クリスマス気分は盛り上がり、同時に残り少なくなった講義の授業回数を指折り数える時期でもあります。
 さて、今年はそのツリーが飾られず、申しわけ程度の小さなツリーをようやく見つけました。
 実はこのもみの木は地方で育てられていて、同じ木が毎年この季節に東京まで運ばれるそうです。
 今年は、それがない!
 聞くところによると岩手に運ばれたそうです。
 ほっとしました。被災地の子供たちがあの大きなツリーを見たらどれほど喜ぶことでしょう。
 そばに立つと頚とからだをぐっと反らせて、見上げるほどの高さがありますから。

 2011年もあと僅かになりました。
 夢であってほしいと願いたい千年に一度の出来事の数々。3・11以前に時間を戻すことはできません。
 多くの日本人は現実をしっかり受け止めて、各地で節電のなか行われるイルミネーションに、来年の希望の祈りを捧げながら、メリークリスマス! 今夜ばかりは、笑顔で過ごしたいですね。
 
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Mac貧乏が報われた感じ!

2011年12月21日 08時59分19秒 | Weblog
 昨日のこと。
 今年最後の明大の授業を終えて帰宅したのは、5時過ぎだった。
 部屋に入ると、母が、なにやら手に郵便物を持っていた。
「はい」
 差し出されて送り主を見ると岩波書店電子出版部からだった。
 以前、担当の編集者から本の電子出版化の話を受けていた。
「いよいよか~」
 封を切って中から種類を取り出す。
『身体感覚をひらくー野口体操に学ぶ』羽鳥操 松尾哲矢共著 ジュニア新書の電子出版許諾お願い書とそれに伴う「電子出版契約書」が同封されていた。
 さっそく署名押印して、先ほどポストに投函した。

 年初のiMacから始まって、年末に騒動を起こしたMacBookAir SuperDriveまで取り揃えた今年は、野口三千三資料(昭和24年から)の電子化をはじめた。実態は遅々として進んでいないが、一歩前進の年の暮れに、嬉しい話をいただいた。
 “Mac貧乏”が、一気に報われた感じがしている。
 読者の皆様、おかげさまです。
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楽器アンサンブルと歌……ガールズバンドの驚き

2011年12月20日 09時08分21秒 | Weblog
 いささか複雑な思いである。
 これもありなのだ?!?
 iPhoneやiPadの楽器アプリで演奏するのはAppleGirlsBand
 タイの女性グループらしい。PCやスマートフォンやタブレットで聞く限り、この軽さに違和感はない。
 何んてたって一本指奏法のキーボードなら、誰でもすぐにも出来そうだ。
 ドラムだって叩けばいい。
 そこに歌が入って作れちゃうー。
 センスさえあればの話ですが。
 一人じゃ何も出来ないけれど、助け合えば演奏ができる。これぞアンサンブル、というわけだ。
 女子会の楽しみかな? アレッ、この手の男子会ってないのかな?ハードロックは無理だしね。

 楽器マスターの苦労も演奏の楽しみも知っている私としては、何ともはや時代が変わったとばかりに感無量。
 いいとも悪いとも言えず、ここまで来たのか、です。
 でも、何んか乗せられてるよね、Appleに。私が?いえ皆が。

 そういえば最近我が家のピアノは鳴らなくなった。申し訳ない。弾かなくちゃ。
 
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順調に操作できました、報告。

2011年12月19日 15時14分05秒 | Weblog
 昨日は、朝日カルチャーセンター日曜クラス年内最後のレッスンだった。
 このクラスは隔週なので、今回は土曜日の二回分の内容を、強引に詰め込んで行った。いつもならそのような無理はしない。クラスの雰囲気もメンバー構成も、土曜日は違う事もあって、いつも同じとはいかない。
 しかし、今回は2011年の締めという事もあって、「重さ」の問題と「腕まわし」の二つをテーマとした。
 
 おかげさまで、SuperDriveをMacBookAirに接続して、『アーカイブス 野口体操 野口三千三+養老孟司』春秋社刊のDVDの一部を、皆さんにお見せすることができた。
「あぁ~、あの騒動は一体なんだったのか」
 何の事はない。準備しておいたカウンターの映像がさっと再生できて、躊躇いもなく動作は滑らかにすすんだ。
 これにBOSEのPC用スピーカーを接続したら、いい音ときれいな映像で、見ていただく事も可能だ。
 小人数であれば、これで十分にいける確信を持つことができたようだ。

 今日も、明大の授業に持参した。
 学生たちにはじめて野口先生の話し振り、動きなどをみてもらった。
 もちろん皆若い。
 授業の最後に逆立ちを行ってみた。「脳天逆立ち」もやってみせたが、久しぶりにもかかわらず、さりげなく手をはなすこともできてしまった。

 にしても1991年当時の私自身の動きを見て、今を反省したり、案外今の方がよかったり、さまざまなことに気づかされた。
 野口先生の映像資料が残っているという事は、改めて貴重だと思えた。
 ということで今年のうちに、無事、機械を使いこなせるようになった。それほど難しい操作ではないけれど、何となく嬉しい。
 
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裸眼立体視とNHK放送「坂の上の雲」

2011年12月18日 08時55分52秒 | Weblog
 映画やテレビに3D映像を取り入れた。
 その後、立体映像の人気はどうなっているのだろう。

 さて、野口体操では二十年くらい前から、3Dに関心をもってきた。
 生前、野口先生はたくさんのものを集められた。
 多数の本、下敷き、郵送できる団扇(〒番号は5ケタの頃)、ポスター等々である。
 2004年には5枚組Post Cardsを野口体操の会で作ってきた。アクアマリン+雲母、黄鉄鉱化したアンモナイト、虫入りバルティック琥珀、紫外線照射による蛍光現象の方解石と岩塩といった鉱物化石の3D写真だ。

 これらは特別な眼鏡をかけてみるのではなく、二次元の映像を裸眼で三次元に見る。
 まだ日本の家の天井が、杉板で作られていた時代を知っている方は思い出してほしい。
 まだ日本の寝具の掛け布団が小紋柄であった時代を知っている方は思い出してほしい。
 高熱に浮かされているときなど、視覚の焦点が定まらず、ぼーっとしているうちに、杉の木目や布団の柄が浮き出てみえる現象を体験されてはいないだろうか。
 あるいは細かい柄の壁紙でも、そうした見え方が起こることがある。

 人間の目は、赤子のころから「何かを見よう」という欲求に満ちている。したがって覚醒しているときに、ものをはっきり見ることが当たり前になっている。
 そこで裸眼立体視を楽しむには、或る種の訓練が必要となる。おそらく多くの人に練習の甲斐あって見えてくる世界なのだ。時にいとも簡単に見ることができる人もいることはいる。ものの本によると、平面のプリントを自分の力で立体に見るためには、目の前のものとは違う次元を獲得するということは、からだの外と内の位相差に、頭それ自身の冷静さに酔う、という。しかし、陶酔とは似ていても、まるで違う。「陶静」という言葉で表現したい、と続ける。「肩の力を抜け!」。目はピントを合わせる本能が備わっている。ピントを外す、つまり自分の本能を欺すこと。それが難しい。

 目をぼんやりさせて、その上で、ピントを合わせることに集中する。力を抜きつつ力をいれることが裸眼立体視のコツなのである。なにやら野口体操の真髄のお話のようだ。だから夢中になって楽しさを追ったのだと思う。

 話は飛ぶが、NHKが三年がかりで制作している「坂の上の雲」を、今年も見ている。正岡子規が亡くなってから以降は、戦争の話だけになっていささか気が重く、正直なところ見たくないのに見てしまっている。
 それではじめて気づいた写真があった。
 1904年から06年にかけて撮影された「日露戦争立体写真」である。
 この立体写真の歴史は古くて、カメラの発明とほぼ同時期にまで遡れるそうだ。東京写美術館所蔵の100枚セットの内3枚が本に掲載されているのを発見。
 一枚目は、部隊長かとおぼしき兵隊が坂の途中で双眼鏡を覗いて敵の動向を見定めている。その後方にはずっと続く坂の上に向かって棍棒と銃を持った兵隊がびっしり道を埋め尽くした連隊が控えている。人間ではなく命を弾として捧げた同胞たちの姿が撮影されている。
 二枚目は、連合艦隊の一隻だろうか。甲板に大勢の水兵が直立し、行方を見守っている写真。
 三枚目は、どこかの官邸の庭だろうか。白いテーブルクロスの上にワインかシャンパンかわからないが、酒瓶が十数本並び、その周りにはグラスと皿に何種類ものごちそうが乗っている。テーブルを囲むのは将校に違いない。一人は野木大将がかぶるようなひときわ立派な帽子、勲章を胸につけている人もいて、見える範囲だけでも八名がこちらをむいて立っている。
 この写真は、裸眼立体視すると非常に鮮明に見えてくる。こういった写真を元に、NHKの映像が作られている事が改めてわかった。19年前の本だが当時は見過ごしていたことに驚かされた。
 気づくことも脳の働きだが、先日来書いてきた人間の脳の騙され易さには、細心の注意が必要かもしれない。などと思いつつ、この本を改めて見ている。
 『C.G(コンピューターグラフィック)ステレオグラム』1992年12月10日初版 小学館 編集 根本恒夫他 62㌻に写真はあります。
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朝の愉しみ

2011年12月17日 09時54分50秒 | Weblog
 毎朝NHK「カーネーション」を見るのが愉しみになって久しい。
 殆どオンエア当初から「これはいける!」と、すでにとりこになってしまった。
 何をおいても見るのが、日課である。
 
 さて、今日でお別れ。お父さんが亡くなって寂しくなった。
 11月末頃から、主人公との微妙な機微が無言の演技の中にも表現されていたりして、伏線にのって何度も泣かされていた。主役級ベテラン脇役の厚さに、小林薫さんの名演技。昨年の「龍馬伝」同様に、こちらは15分という短さだが、朝の贅沢なドラマ鑑賞によって、まちがいなく日常が豊かになっている。
 この時間だけは何もかも忘れていられる至福だ。

 今月もあと二週間。新年も迫ってきた。
 ささやかな愉しみの時間を、変わりなく過ごせる日常のありがたさを噛み締めている。
 
「オハラ洋装店 店主 小原糸子」父が遺した文字に、ドラマを超えてこみ上げるものがあった。
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近い過去の行動記憶の曖昧さと思い込みの怖さと……さまざまな先入観と

2011年12月15日 07時04分54秒 | Weblog
 連日のブログ記述を振り返って、「この年になってお恥ずかしいことと言ったらない」、穴があったら入りたい、とはよく言ったものだ。
 しかし、今からでも遅くはない。いくつかの戒めを噛み締めている。

 一つ目の戒め:近い過去でも行動記憶はかなり曖昧だ、ということ。
 一つの製品を箱から取り出すときの手順や、自分が行ったことを記憶しているつもりでも、後から振り返って細部まで思い出せない。にもかかわらず思い出せると“思い込む”ことだった。そもそも土曜日は、レッスンの直前で、時間ギリギリ条件、さらに込み合ったロビーで開封作業を行ったこと、という二つの条件が物語を複雑にしてしまった。
 ゴタゴタしている心の状態で何事も行ってはいけない、ということ。

 戒め二つ目は、ある思い込みが起こるのは、たった一つの原因からではなく、過去にさまざまな刷り込み記憶が重なってイメージが作られ、そこを起点に自分の思いが一方向に流れ出すと、いくらでも間違った認識に自らが“思い込む”ことがある、ということ。
 例えば、*Appleのデザインは隅から隅まで余分を削ってシンプルに作られている。→だから梱包にも緩みがない、と思い込む。*デジものは故障が多い。→もしかするとこれもその一つかもしれない、と自分の行動の間違いを忘れて思いこむ。*そう思い込んで自信をもって話されたことを聞いた人が、初歩的間違いの可能性を通り越して、もっと難しい問題に違いない、と考えて対処法を試みさせてくれたこと。→私がそんな初歩的間違いをおかしているとは思わない思い上がりがあった。*ちょっとした一言で思い込みが増長されることがある→「裏が表になって梱包されていたのかもしれませんね」の一言を、あり得ないとは考えないで、自分に都合のいい“自己弁護方向”に物語を作ってしまう。そして自分が納得する怖さ。

 他にもいろいろあるけれど、とにかく近い過去であってもある行動を正確に思い出すことは難しいという戒めだ。
 そして、急いた気を抑えて、足下を安定させ、手元をしっかり見て、口元を結んで、目元をすずしくして事に当たること。それが肝心と心得ましょう。
 常に新しく、過去に縛られず、先入観を払拭して事に当たること。難しいからこそ気をつけましょう。
 自分に言い聞かせているが、それがとっても難しい事なのよ!!
 なによりブログには安易に書かない事、これが一番大切と肝に銘ずること。

 遡ってみれば、長いDVD記録を、iMacでUSBに落としそれをMacBookAirにコピーしようと試み、上手くいかなかったことが発端だった。
 つまり、『DVDブック アーカイブス野口体操』春秋社版の元版『野口体操を解剖する』二時間三十分の記録が、9つの部分に分かれていて、それぞれで異なった記憶システムによることによって、コピーが難しかったことをアドバイザーが発見してくれたことからだった。
 安定してDVD記録を見るためには、「MacBookAir SuperDrive」しかありません、というすすめから始まった。

 そもそも身の程知らずで、Apple製品に手を出したのが間違いかもしれない。しかし、せっかく手に入れたMacたちだし、SuperDriveだ。これから大いに活用したいよね!
 
 最後の戒め二つ。
 急いては事を為損ずる。
 これからは、身の丈にあった暮らしを心がけよう。
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前のブログの追伸 ごめんなさい

2011年12月14日 15時34分46秒 | Weblog
 サジさんから紹介がありました。動画です。↓
 SuperDriveを開けるシーンが映されいました。
 私のものも、入っていたのは、表が表になっていたらしいことが判明。でも本人の意識はまったくなし。
 よく見ると、取り出してシートをはずすと裏返しになります。
 動画に映っている男性も裏を表にして、テーブルにおいていました。
 私もそうしたに違いありません。
 で、黒い固いゴム板にDVDの形に円が書かれていて、ロゴマークも入っていたのを見た時に、ここから入れると思った記憶はあります。しかしすぐにもそうではないことに気づきました。
 その時私の意識のなかで何が起こったのか。
 パナソニックの携帯DVDを持っているのですが、それは円がパカッと開いて、入れるようになっていた記憶が、それがよみがえって先入観となったようです。ソニーにもそうした入れ方出し方があったような気もします。

 で、裏を表にしたまま作業をしたのが、本当のところのようでした。
 Appleさん、ちょっと早まって本当らしい物語をつくりましたね。ごめんなさい。
 表は表として梱包されていたようです。
 開ける動画を見て、はっきり気づきました。
 まぁ、紛らわしい。普通はロゴマークを表にしますよね。それにシートをはずしたら、表になるようになっていれば間違えなかった。最後まで抵抗しているの。

 でも、先入観ほど恐ろしいものはない、という落ちです。
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作る側は一流でも、使うのは日本のオバハンもいてはるのよ!

2011年12月14日 13時08分06秒 | Weblog
 先週末からはじまっていた「MacBookAir SuperDrive」DVD/CD再生機の不具合の件、お恥ずかしい顛末記。

 昨日、交換機が届けられて、一日の片付けが終わってから試しをした。
 ナント、また同じ症状が出て、きっと本体のパソコンの問題に違いない、と結論づけて床についた。
 今朝は9時になるのを待ちに待った。
 Appleサポートに電話を入れると、これまでの記録が残っているだけに、はなからシニア・アドバイザーに繋いでくれた。

「では、パソコンから調べてみましょう」
 30代とおぼしき男性の落ち着いた声が聞こえてきた。関西地方のイントネーション。こちらも心が穏やかになって静かに話すことができるのを感じていた。
 
 言われるままに操作を続ける。
「問題はないようですね」
 そこでもう一度SuperDriveに戻って試す。
「ところでテーブルに置いていらっしゃいますね」
「はい」
「黒いゴムにロゴマークが見えていますね。DVDの向きはどのようにいれてますか」
「はい、表を上にしていれてます」
「では、本体を裏返しにしてみてください」
 そういわれてもまだ理解していないが、言葉通りに裏がえす。
「ディスクは、どちら向きで入れるんですか」
「もちろん表を表に」
 神妙な面持ちで作業を行う。
「動きました!」
「梱包の向きは、表が裏だったのです」
 受話器を持ったまま、唖然とする私。

 初歩的ミスだった、と判明した時には笑うに笑えず。
 丁寧にお礼を言って電話を切った。
「すると交換したSuperDriveは故障ではなかった!?」
 思わず受話器を取って、心配してくださっているサジさんの番号をプッシュしていた。
「うちの学校でも女性の先生方には、往々にしてあるんですよ。まず説明書は読まないし、載っているはずの写真も見ないですからね。それにApple製品は、そぎ落としてシンプルに作られてます。僕ですらどこをどうするのかわからないときもあります」
 いろいろ慰めてもらった。

 電話を切ってから、土曜日の朝日カルチャーセンターロビーでの行動を反芻してみた。
《梱包されている箱から出した。そして、、、、その向きのままテーブルに置いた。つまり裏側のゴムを表にしていたのだ。ゴムといっても非常に固いもので、感触として弾力はまったく感じなかったしー》
 あの日の情景が動画を見るかのように目の中で再生される。
「日本人は箱から取り出して、取り出したものを裏返す習慣なんてないわ」
 言い訳をつぶやく。
 どんなものでも取り出したまま平行移動を何十年も行ってきた、と気づく。
 今度の製品は、運搬上の安全性を担保し、余分なクッションを一枚も入れずに梱包するには、見事にすぐれた元箱の出来具合だ。それは素直に認めよう。でも、それって自分の迂闊さを認めたくない最後の悪あがきってものヨ、とつぶやく。
 
 金曜日から始まって本日まで6日間のロスタイムはいったい何だったのか。
『押してダメなら引いてみよ』
 言葉は知っている。しかし、実行には至らなかった。
「表がダメなら裏返してみよ?いや、今回は裏を表と信じきったおばかさんをやってのけたの?」
 アドバイザーの人も、最初のシニア・アドバイザーの人も、すっかり私のペースに巻き込まれて、難しいことを考えてしまったわけだ。
『たいていの事故は初歩的なミス』って言われる。ホントだ。

 それでもまだ言い張る。
「裏を表と間違えるような梱包の向き、ゴムといっても表と間違えるようなゴムとは思えない固さのゴム、あまりにもシンプルなそぎ落とし、等々、ちょっと考えればわかりそうなことばかりだったのが悔しい」

 教訓。
 作る人は一流でも使う人はいろいろ。日本の風習のなかで育った60代のオバハン(オバアサン)もいるってことを予想してほしかった。とにかく日本では表は表にして梱包してますッ。
 ちなみにご紹介したい文章がある。
 撫明亭の御亭主が「Jobsのすごさと限界」と題して、いみじくも書いていらした。ここに一部引用させてもらいますが、ぜひ、全文を読んでください。
『……前略。「Aクラスの人間としか、一緒に仕事したくない」という彼(Jobs)の気持ちは、仕事人としてはよくわかる。しかし、家族にせよ、地域のコミュニティにせよ、国家や、世界においては、これを言い出すと、共同体は維持できないですよね。そもそも、何をもってAクラスというのかが、定義できないし。……中略。でも、彼が、構成員を自ら選択できないような共同体のリーダーたりえたか、というと、それは、まったく無理だったんでしょうね。彼は、その割り切りがすごかった。……後略。』
 ここで自分自身に対して溜飲を下げているわけではないが、野口体操でも気をつけねばならないことかも、と思いつつ野口先生の言葉を思い出した。
「先入観を捨てる。これが難しい。ひとつに『原初生命体としての人間』はそのために書いた、といっても過言ではないんです」と仰せだった。
 まだまだ修行が足らない?いや、粗忽な私、デス。
 ここまで書いて、落ち着きました。
 読んでくださってありがとう。
 
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Apple製品そして梱包に問題あり

2011年12月11日 12時04分37秒 | Weblog
 野口資料をScanしてiPadをバックアップ用にしていた。
 量が増えるに従って、すべての機能がスローダウンして使い勝手が悪くなってしまった。
 とりわけ紙質が悪い資料はA3キャリアシートでScanした。その中でもサイズが小さい資料は、iPadでは画面が真っ暗になって読み込めなくなった。しかたなくバックアップ用にDropBoxを契約した。最近になってiPadから捨てられる資料は捨てたのだけれど、調子が悪い。数日前にiTunesから同期したところ、これまでの使用とは違う表示法になってしまった。面倒なのは日本語の打ち込みでは、五十音図がすべて出て、これまでの方式に慣れた者には煩雑になってしまった。

 9月には、MacBookAirも手に入れ、こちらを活用するようになっていた。
 ところが昨日の朝日カルチャーレッスンで、「腕まわし」をテーマにするにあたって、1991年収録『アーカイブス 野口体操 野口三千三+養老孟司』春秋社のDVDのなから、ぜひ皆さんに見ていただきたいシーンがあって、元になったDVDからUSBに落として、それを入れようとしたが、諸事情から無理だと判明した。それもAppleサポートに連絡して、1時間半近く教えられるままにいろいろ試みたが上手く行かず、上席の人に電話が代わって「MacBookAirSuperDrive」を使用してDVDを再生するしか手はないとあっさり結論がだされた。
 最初に言ってくれれば、多くの時間を費やさなくて済んだものを、と文句の一つも言いたかったが、それはおさめて、ヨドバシカメラに立ち寄って買い物をした。

 それを持ってレッスンの前に朝日カルチャーのロビーでテストを二度ほど試みた。しかし、二度ともDVDははじき出されてしまった。そこにサジさんがやってきて、再度試してくれたがやはり上手くいかなかった。
 レッスンではサジさんが好意で持参してくれていたMacBookで、無事にご覧にいれることができた。

 さて、今朝になって、手順を踏んで再び自宅で試みた。同じようにはじき出されてしまう。
 9時になるのを待って、Appleサポートに電話を入れて指導を仰ぐ。
 今回は様々に試みることはせず、製品交換の手配をすぐにしてくれた。つまり不良品だったのである。

 即座にサジさん宛メール報告を入れた。さっそく返事をいただいた。
『最近、様々な製品に初期不良がみられます。
 メーカーも販売店もその辺はわかっているようで、即交換してくれますね。
 特にデジタル物の新製品には要注意のようです。
 発売競争の中で、発売後、ユーザーにテストを課しているのでは?と勘ぐりたくなります。デジカメ等はしばらくするとファームアップ(アップグレード)の知らせが来ますが、コンピューターを持っていない人、インターネットができない人はおいてけぼりになってしまいます。ネットをやっていない人は、その都度メーカーにカメラを持っていってアップグレードしています。このあたりにも格差が現れてきていますね。しかしコンピューター環境が整っていても、次から次とトラブルは尽きませんね。
 製品を買ったら、レシート、元箱等は捨てずにしばらく保管しておく事にしています。』
 (許可を得ずに貼付けさせていただきました)
「エッ、元箱?」
 私の手元にある箱は、実はぼろぼろ状態なのだ。なぜって、ジョブズ氏の美意識が徹底しすぎて、「MacBookAirSuperDrive」を一旦取り出して再び箱に戻すと、取り出しが非常に難しい情況に陥ってしまった。あまりにもぴったりし過ぎで、緩みがない。悪戦苦闘の末にやっとのことで取り出すことができたが、箱を一部壊してしまった。とにかく緩すぎるのも困るが、緩みがなさ過ぎるのも困りものだ。

 毎回、懐具合いと相談しながらもMac貧乏も厭わない気分なのに、ほとほと嫌気がさしてきた。にわかMac信者の限界かもしれないが。
 もう一言加えれば、So-netとは相性がよくないとかで、iPadのメール機能の調子も悪く、これで交換機器がきてMacBookAirに問題ありでDVDが見られないとしたら、泣くに泣けない。
 さてと、今日の話は、落語のネタにもなりませんわね。トホホホ。
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『文藝春秋』広告の衝撃

2011年12月10日 08時17分51秒 | Weblog
 今朝ははやく目が覚めた。
 しばらく床の中にじっとしていたが、我慢できずに4時半には起き上がって朝刊を取りに出た。
 冬の空気が体の芯に突き刺さってくるような寒さだった。これが東京か、と思うほどである。被災地の仮設住宅に住まう方々は、どれほどの思いをされているのだろう。
 以前、新聞広告で見た“戦後”そして“災後”、という文字が浮かんだ。

 暖まりはじめたコタツで、朝日新聞の一面から読みはじめた。昨日で国会は終了。野田政権も何時まで持つのだろう、と暗澹たる気持ちに襲われる。
 手が一枚目を捲る。
 目が点になる。
「文藝春秋 新年特別号」の記事だ。確かに皇太子がいなくなる日が来る。女性宮家論議がなされる現実ということだ。宮家が潰されていった敗戦処理に、六十六年目にひとつの危機が露呈した。

 ……「これが無条件降伏の結果なのか!」……

 国の形の根本が揺らいでいる。そのなかで一年ごとに代わる総理に、ほとほと嫌気がさす。
 そして何も決められない国会。議員の職場放棄にも等しい平成23年12月の閉幕。
 言わせてもらえば、小学生から高校生まで、社会人も含めて日本人のコミュニケーション力不足を慮って演出家の平田オリザ氏を内閣府参与に迎えて教育現場に演劇手法を取り入れる政策がとられた。しかし大震災を機に平田さんは蚊帳の外に置かれた。入れ替わりに参与として働いたのが田坂広志氏だった。再生可能自然エネルギーを提案して一気に盛り上がったが、菅政権から野田政権に代わったとたんに、この人もまた蚊帳の外に出された。原発は再開に向けて舵は戻されていくようだ。くるくる代わる政権と政策では、外国からの信用は崩れっぱなしだ。
 
 本当の終戦は、いや本当の敗戦は、今年かもしれない。
 同時に災後の始まり。

 思えば、右肩上がりの日本、バブルの日本は、何だったのか。
 そして……私は、1960年代の中学生のころから本格的に西洋音楽を学びながら過ごし、卒業後の1975年にはそれを振り切るように野口体操にのめり込んでいった。実際、バブルには縁のない暮らしのベクトルの中に身を沈めていた。
 しかし、まさかこのような日本になるとは想像だにしなかった。
 
 3・11、自然災害が引き金とはいえ、限りなく人災に近い原発事故で負った傷は大きすぎる。
 嘆いてみてもはじまらない。すでに起こってしまったのだから、といいつつ虚しさが追いかけて来る。
 本当のところ、原発事故も女性宮家論議も、自然の力の前では人間の力は限界があるということ。
 それならば戦後も災後も発想を変える以外になさそうだ。だからと言って、橋下総理誕生では、ちょっと待ってくれ!とだけはいいたい。
 とにかく見出しだけ読んで買う気にはならない「文藝春秋」だ。

 こうなったら「社会的共通資本」でも読み返してみましょうか。でもなぁ~、それだけでは解決できないほど絡まった負のスパイラルなのである。
 負けたことを潔く認めよう。そこからだ。
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朝ドラ「カーネション」とTwitterで見つけた「月」とFacebook「影絵」で気づかされた!!

2011年12月07日 09時32分58秒 | Weblog
丘の上の月
 野口体操のTwitterで発見!!
 失われた無垢な心よ再び。古来、日本人は月を愛でてきたんですよね。

 今朝は「カーネーション」でもうるうるし、この写真を眺めてもジーンとし、ものすごく美味しいスィーツを食べたくなった。
 心の落とし物に気づかされて、ハッとしています。

 追加:影絵Facebookで新井さんがシェアしていました。人間の発想力に万歳!
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