羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

“野口ch”って知ってる?

2013年02月26日 08時57分03秒 | Weblog
 野口三千三先生からはじめて「ウィッドマンシュテッテン構造」という話を伺ってから、かれこれ30年近くの時間が過ぎた。当時、隕石の一般教養書の数は少なかった。
 最近になって、今度は本ではなく、ウィキペディアで調べてみた。
《オクタヘドライト型隕石(八面体晶隕鉄)、金属のニッケルの結晶が成長することによってできる。6-14%のニッケルを含む隕鉄の生成過程で、冷却時間が超時期間(100万年程度)かかるとニッケルが結晶し分離する》
 人間の感覚時間をはるかに超えた100万年という数字に、天体や宇宙の来歴にロマンと同時に畏れを感じる。
 
 この話を伺った時、野口先生の掌には「隕石」がのっていた。
「この文様が、正真正銘、本物の隕鉄の証拠なのよ」
 みると切断面に鋭いナイフで削られたような複雑な交叉が何本もある文様が浮き出ている。
「これがウィッドマンシュテッテン構造だ」
 隕鉄を切って表面を或る種の酸でエッチングし、磨き上げると分離したニッケルの結晶文様が浮き上がって来る。人は「雪の結晶」のようだ、と賞する。
 
 最近、隕石がロシアに落ちてからインターネット上では、真贋を問わず隕石が売り出されているらしい。
 そんな記事を読んだこともあって、久しぶりに朝日カルチャーのレッスンで、「隕石」をご覧に入れるため、事前にしみじみ眺めていた。
「100万年という時間がつくりだす文様か!」
 一瞬、気が遠くなる思いに包まれた。
 気を取り直して、再び、PCに向かう。
《オーストリア人の印刷業・科学者のベッカー・ウィッドマンシュテッテンが1808年に発見した。》とある。日本の歴史に照らすと、江戸中期を過ぎて幕末へと向かう時代に当たる。
 さらに読み進む。
《ただし、それより前1804年、G・トムスン・トムソンがこの構造を発見しフランス語の論文を発表している》とあった。

 地球はどうして出来上がったのか。
 それより以前に、宇宙創世は、いかがなものだったのか。
 そして命はどこからやってきたのか。
 すべては時空間を何処に向かっていくのだろう。

 そうした問いを地球に落ちてきた隕石を通して「100万年がつくりだした文様」に訊ねる科学者の情熱を憶った。

 さて、今朝のこと。FBで面白い記事を見つけた。
『宇宙&物理 2chまとめ』『【宇宙】地球上の物体に“影”を生じさせる天体は太陽と月以外にあと二つあるって知ってた?』
 読んでみるとふ~ん、そうか、と納得。
 で、次の記事を拾った。ミスマッチさがなかなかに面白い。
『【宇宙】フンコロガシは天の川の光を頼りに、ただただまっすぐ直向きにフンをころがしていた』
 私たちの天の川は、織り姫彦星の一年に一度の逢瀬物語だ。そこにフンコロガシの話が重なって来ると、宇宙生命の妙味を感じる記事だった。
 野口先生が読まれたら、2ch記事であってもとても喜ばれたに違いない。

 火星と木星の間にある小惑星帯・アステロイド帯から地球に落ちて来る隕石とフンコロガシの話までをも並べてみると、「星の世界」がぐっと近づき、また幾万年も遠のいて行く。宇宙・天体の時空距離感を想像する楽しさを子どものうちにもっと知っておきたかった。
 齢60を過ぎても、こうした話に興味を持てるチャンネンルを開いてくださった、野口先生に感謝!
 “野口ch”は、宝の宝庫であり、そこでの合い言葉は『興味を持つことができる能力を才能という』。
 縮めて「興味」と言ったら「才能」と答える、としましょうぞ!
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二つの映像

2013年02月17日 11時52分20秒 | Weblog
 さきほどのブログに書いた『直径400kmの巨大隕石が衝突したとき、地球に何がおこるのか』を見たいとメールでいただきました。
 ここにリンクします。

 で、トヨタのCMではありますが、「未来への手紙」をリンクしておきます。
 こうした心あたたまる日常を大切にしたいです。生きることの原点かもしれません。

 人の力で守れる範囲で、守れるものを、バランスよく大切にしたい!
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自然と人智

2013年02月17日 08時14分53秒 | Weblog
 ロシア隕石落下被害の様相が、次第に見えてきた。
 このくらいですんだとはいえない。もし、もう少し落下地点がズレて、原子力施設だったらと思うと身の毛もよだつとはこのことである。
 もっと巨大な隕石だったら?
 直径400キロの隕石衝突を想像して作られた映像を、今さっきFacebookで目にした。絶句した。どうすることもできない。生命はたちどころもない。
 そして、ここにリンクすることに躊躇いの感覚が芽生えた。
 恐怖感をことさらに煽るのは好ましくない、と思えたからだった。
 恐竜絶滅の原因が隕石の衝突だといわれているが、それどころの破壊力ではない。
 そこまで巨大でなくても、相当な被害が予測されることが、現実味を帯びた。
 とすぐさまに思う。これ以上、人間が、自らの行いで自然を破壊する方向に進むことは好ましくない、と。
 自然の驚異の前には、人の知恵など、どれほどの意味もない。人の力は無力だ。
 
 巨大隕石落下が次の瞬間にも、十年先にも、百年先にも起こるかもしれない。が、それはそれとして、現実的に考えて、私たちには今日の生活がある。明日につながる命がある。だとしたら想定される危険はできるだけ避けておくことが懸命だ、と腹が据わった。
 身近なところでの除染作業はもとより、核使用済み廃棄物の処理問題、エネルギーと安全保障の問題、問題の解決には人智をこえた困難さまで到達してしまった、と諦めてはいけない、と思う。

 暮らしを支える経済と自然に謙虚である姿勢と、どちらを優先させるのかの選択は難しいがすでに決まっている。
 それでも実際には、刻一刻、その都度、バランスをとりながら選択をしていかなければならないこともある。
 すくなくとも原発に関しては、あらたな隕石衝突というリスクが加わって、それが現実味をもったことだけは間違いない。
 
 思考を停止させないこと、投げやりにならないこと、いたずらに恐怖感を煽らないことか? 
 あまりよい智慧は浮かばない自分が、今、ここにいる。
 
 
 
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野口流ヨガの逆立ちにおける「支え」と「ぶらさげ」の感覚

2013年02月16日 07時09分31秒 | Weblog
 野口体操で大事にしている「上体のぶらさげ」は、鉛直方向に一致した骨が支えとなって、骨盤を含む上体がぶらさがるのが理想だ。実際のところ筋肉は支えとして足の骨の位置を維持するために働く。といってもこの場合も、最も少ない力で支えるられるような在り方を探っていく。
「ぶらさげ」には「支え」が前提条件となる。実感としては、今の言い方とは逆で、「支え」があってはじめて「ぶら下げられる」と言える。

 さて、野口体操での「ヨガの逆立ち」も考え方は同じだ。
 できるだけ余分な緊張を解いて、つまり「解緊」して、鉛直方向にからだの長い軸を一致させる。言い方を変えれば、頭の中心に重さが乗って、その上に骨が真っ直ぐに積み重なっている感覚をつかむことが大切な一歩である。
 もちろん筋肉での支えも当然のことに行われている。

 もうひとつ「呼吸」もまた「支え」なりうるのではないか、と思ったのが二週間ほど前のことだった。
 この場合の呼吸は「腹式呼吸(横隔膜式呼吸)」である。
 たとえば「スクワット」の実感を例にとるとよいかもしれない。
 頭の後ろに両手を当てて行うスクワットの場合は、どちらかというと後ろへの重心がかかってくる。したがって大腿直筋、腿の前側の筋肉が主に働く。
 それに対して両腕を胸の前に組んで、前傾姿勢のなかで行うスクワットは、前に倒れそうになることを防ぐために腿の後ろ側の筋肉が働く。
 で、「ヨガの逆立ち」に話を戻すと、この逆立ち姿勢になったとき、背中側に倒れそうになることを意識下・無意識・非意識のなかで避けようとする。するとからだのあちこちに余分な力が入って緊張状態が維持される。
 
 そこで「呼吸」による支えの可能性をイメージしてみよう、というわけ。
 腹式呼吸の場合には「横隔膜」が緊張してからだの内側に支えができる。このときパンパンに張った状態だと、案外と一気に息が抜けてしまいやすい。そこですこし手前くらいの吸気量にとどめておく方と、吐く息のコントロールがしやすいことを多くの方が経験しておられると思う。その感覚である。
 逆立ち姿勢の場合には、直立姿勢とはことなり、横隔膜の上に内臓が乗ってくる。しかし、そのことにあまり気遣うことはない。内臓は液体的である。流れるように形を変えることができる。そして肋骨の籠が支えとしての働きを二重の意味でしている。胸郭部内の肺や心臓の重さがあり、さらに丸い頭部も腹部内臓を支えることに手助けとなる。横隔膜が隔てる胸部と、頸が繋ぐ頭部をひっくるめて、全体として「たまご型」のイメージを持つことで、「生卵を立てる」あのときの実感に共通点をもとめて探ってゆくとよい。とはいえそう簡単ではないけれど。
 そこから足を巻き込んだ状態で、逆さまになっているからだ全体(腰部・腹部・胸部・頭部)を卵型のイメージに膨らませてゆく。実際の形は無視して、からだの内側の感覚としての「生卵」ということになる。
 
 まとめるとからだの中心部では保息状態の横隔膜が、内部の支えとなる。液体的な内部状態を筋膜が支えてもくれることを添えておきたい。

 ついで「呼気」の場合は、一気に息を吐くのではなく、細く長く少ない量の静かな呼息を行う。この場合は初期は横隔膜が働き続けている、それから腹筋がはたらくようになる。最後の領域でははっきりと腹筋が緊張して呼息が終わる。この息を吐き続けている間は軽くアキレス腱を伸ばして、足全体にごくごく僅かな緊張があってかまわない。その緊張感は、意識にのぼらないくらいの緊張にとどめておきたい。
 そこで逆立ちしている腰の中心部に、息を吸い込む感じで腹式呼吸を行う。

 倒れそうになる背中側とは逆の腹側、腹筋と横隔膜(後があっても意識的にはみぞおち辺りが支えの中心点に感じられる)が支えとなる実感がもてれば、余分な筋肉の緊張感は失せゆく。

 いずれにしても頭の中心に重さがすとんと乗っている実感がいちばん大切なのだが、補助的に呼吸に伴う「腹筋」と「横隔膜」の僅かな緊張感が、「ぶらさげ感」を促してくれるように感じる。

 今日の話は、玄人の域に達する前の段階で、多少の意識を持って練習をする方へのメッセージということですが、わかりにくい話となったようです。
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月刊『秘伝』

2013年02月14日 12時00分01秒 | Weblog
 1月に取材を受けた『秘伝』三月号 2013 MAR.「”体操”で強くなる!」が、編集部から届きました。
 特集 第四章 「野口体操が求める 生命体が備える真の強さ 身体深奥へ向かう意識を磨く」であります。
 猛烈に強さを求める「武道・武術の秘伝」の中に、野口体操が入っていて、独特の香華(?)を放っていると感じました。
 野口体操の紹介文として、よくまとめられていると思います。
 写真も短い時間でよく撮ってもらえた印象があります。

 まずはご紹介まで。
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野口体操「ヨガ逆立ち」と「バランプレー」

2013年02月14日 08時53分47秒 | Weblog
 肋軟骨骨折で、ほぼ一ヶ月のあいだ自宅での逆立ちの練習がストップしていた。
 久しぶりに再開したとき、バランス感覚が崩れていて、安定感を持ち得なかった。
 そこで考えたのが、呼吸による制御感だった。そのことは置いておくとして、昨日、はっきり言葉になったことを今日は書いておきたい。

 逆立ちをしているときのからだの中の感覚んついて。
 まず、バランプレーと共通していることに気づいた。
 バランプレーにのった時、しっかり止めようとしないで、微妙に微細に揺れ続けることが大切なのだが、その千分の一、万分の一くらいの緻密さで、ヨガの逆立ちにおいても揺れ続けている感覚をつかむと安定する、というわけ。
 一点に重さを乗せるのが野口流なのだけれど、一点と言っても実際に受ける実感はごく小さな面であるにもかかわらず、重さを微妙に移し替える、いや乗せ替えることができる。頭の中心だけに、まず、気持ちを集中して足の裏で重さを乗せかえるような感じで、ごく小さく「重さの点」を探ってゆく。
 その揺れを上方に伝えることができたら、軽く足を開く。足を開く時に腰の中身が緩む感じがあるような開き方をしたい。するとそれまで全体が一つにまとまっていた腰が緩んで、ふわっと浮いているような感じがつかめる。
 するとその瞬間に重さが頭の中心に乗ってくる感じが更に明確になっていくのlだ。

 無理矢理に止めようとしない。
 揺れ続ける感覚を持ち続ける。
 それが出来るようになったら、頸から肩にかけて、少しずつの開放感を味わってみる。つまり、余分な力が入っているかどうかを確かめる。

 両足を僅かに開くことで、不思議なくらい腰の中身の中心を捉えることができるそうだ。
 野口先生曰く「小学生を教えている時、逆立ちは止まることではなく、逆立ち歩きが基本だ、と教えてきたんだよ」
 重さの方向に真っ直ぐ繋がりながら、瞬間に微妙に重さを乗せかえる感覚が運動感覚にとって重要だ、と考えておられた。大きなバランスの崩れではなく、「微細、微小、微妙、僅差、僅少、わずか、かすか、ほのか、ささやか、……」そういった言葉の実感が大切なのだ、ともおっしゃた。

『事実としての平衡状態とは、静止の状態ではなく、微妙な揺れ状態である。したがって揺れることが可能な状態でなければ、平衡状態は生まれない。揺れが可能である必須条件は、空間に空(あ)きがあること、「ない」ということが「ある」ということ、「違い(差異)」があることである。それはからだのなかに「ゆとり」が生まれることである』

 この野口先生の言葉を実感するには、相当な時間がかかりそうだ。
 惚けずに長生きしたいものよね~!

注:とりわけ、一般的な意味でからだが硬い方、緩める感覚を野口体操で体験したことがない方、自分の表の意識とは裏腹にやっているつもりでも本当には力が抜けていない方、からだの長軸が鉛直方向と一致する感覚がつかめない方、一言でいえば「自己流では絶対に試さないでください」。くれぐれもご注意をお願いいたします.
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暇な時間

2013年02月13日 09時08分35秒 | Weblog
 昨日、遅めの昼食をとった後、こたつに入ってお茶を飲んでいた。
 何となくつけっぱなしのNHKテレビを見ていると、衆院予算委員会で石原慎太郎氏が質問に立った。
「浦島太郎のように戻った暴走老人」と切り出して、「質問は遺言だ」とおっしゃる。
 次第に内容はきわどい領域に踏み込んでいく。
 いったい、どんな答弁をするのか。
 質問者側の後ろでは、テレビ画面にしっかり映る席に陣取っている辻本議員の表情が映し出される。
 
 質問は、周到な準備と、緻密に計算された言葉遣いに支えられたものだということが次第に伝わって来る。
 まさに独演会の装い。
 一時間半をたっぷり超える時間内に、安倍総理は慎重に短い答弁を繰り返していた。

「おい、挑発に乗せられないように、気をつけようぜ!」
 麻生氏との間で、お友達同士の無言のやり取りが、阿吽の呼吸で交わされているのが、時間の経過とともに二人の肩の距離が近づく様にあらわれていった。
 一方、辻本議員は目を見開いて“一言一句も聞き逃すまい”。そうした姿勢をみとられように、と配慮しながらも身構えている。

「あれは何だろう。気にかかるわね」
 通常、パネルが立てかけられる位置に、表面の色が異なる四角いプラスティックとおぼしき物が数個ほどのっていた。
 それは横田基地の軍民共用化の質問になったとき、基地の管制圏を示す模型であることがわかったその瞬間、後ろの席の議員たちが立ちあがったざわざわ感が伝わった。

 主張の賛成・不賛成は別にして、興味深い内容だった。石原流の引用とロジックのたてかたが勉強になりましたね。
 その時、ふと、思ったこと。
「China China」 と強引に連発しなければ、向こう側の総理答弁席に座る方だったかもしれない。
「でも、あの鼻っぱしが、よくも悪くも石原氏を石原氏にしているんだよなぁ~」と、吾が胸の内側でつぶやいたのである。

 で、今朝、FBをひらくと、またまたTさんが、昨年の12月以降に気にかかっていたことについてかかれた記事をシェアしていた。
 ロイターニュースメール『世界経済展望』ーーコラム『円安を容認する米国の地政学的事情ーー武者陵司』である。
“アベノミクス”、これだけが円安・株高の要因ではない、と素人だって思う。
 おりしも隣国からの不穏なニュースが速報として流れたこともあり、一つの考え方として「なるほど」と思いつつ読ませてもらった。
 オバマ氏が最初に大統領に就任して初来日したとき「ドル安を容認する」と発言した東京演説を記憶していただけに、このところの極端な円安に対して米国が容認する姿勢が見られることが、Tさんもおっしゃるように不思議だった。ここにリンクします。お読みになる方は、ぜひ最後まで読んでください。

 というわけで、暇な時間があるということは、日頃、気にかかっていても素通りしてしまうことをじっくり確かめることができるので、いいと思った次第。つい、ブログに書きたくなりました。
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THE FASHION POST

2013年02月11日 11時15分25秒 | Weblog
 最近、FBでお友達のT氏が紹介しているサイトなんですけど、内容の好き嫌いは別にして、ファッション雑誌として、かなり上質な電子雑誌。
『THE FASHION POST』 A Fashion Lifestyle Journal For Ultramodern People
 で、このなかにあるインタビュー「東京ガールズカルチャー」の発信者・米原康正氏の宮沢賢治・山下清系の風貌とサイトの洗練さとのミスマッチがいい、とT氏もおっしゃるし、私もそう感じましたね。
 このなかにある「シャネルNo5」新広告キャンペーン ブラッド・ピット主演動画が、抜群によいセンスなんであります。

 紙媒体の雑誌ではできない動画もあって、写真と文章の分量バランスもいい。
 時代は、この方向ですすむのかなぁ~。
 現代を知る一つとしてご覧あれ。
 ただし、繰り返しますが、内容の好き嫌いは別として、発信の仕方、雰囲気、読ませ方、見せ方にご注目!
 
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たかがデジタル されどデジタル

2013年02月09日 07時31分49秒 | Weblog
 住職のいない寺、住人の目が届かないお堂から、仏像等々が盗まれるニュースを聞くようになって久しい。
 そこで、本物の仏像は博物館に寄贈し、レプリカを置くことになった寺がある。
 たった今、NHKのニュースで報道されていた。

 高校生が作り上げた仏像は、見事な出来映え。
「芸大生も真っ青だわね。でも、美術高校があるのかしら」
 いぶかしく思いながら見続けた。
 そのレプリカは彫刻ではなく、レーザー機器で測定され、3Dプリンターで制作された物だった。
 凹凸はもとより、細部の傷までそっくりそのまま復元されている。
 そして何体でもつくることができる、という。

 和歌山県立工業高校の実習だそうだ。
 通常のレプリカ制作では百万はくだらない、らしい。
 この方法だと、5万円~6万円程度で出来るというだけでなく、実習生が作った物が、実際に地域の寺で信仰の対象として拝まれることになる。単なる実習でおわらず、社会に貢献できることを学ぶという一石二鳥。

 iPS細胞関係の本を読んだ時に、3Dプリンターのことを知ったが、すでに制作者の間ではいろいろな場面で使われて行く将来の姿がはっきりした。
 
 工業高校の授業の様子も取材されていたが、なかなかにスマートだった。
 で、スタジオでは女性サウンサーが、同じレプリカの仏像を手にしていた。もう一体だそうだ。
 高校生が手にした社会貢献の実感だともいう。

 確かに、美術大学の修復の有り様も変わるに違いない。
 これから求められることは、発想力、発進力、創発力、これまで以上の創造性だろう。
 しかし、古くから培われた職人の手技を絶やす事なく、新しい技術革新との折り合いを上手くつけていくこととも一つの課題となってしまった。
 杞憂かも知れない。老婆心かもしれない。
 が、時間をかけて修復作業を行う事によって学ぶこと、気づくことは多い。そこから発見する創造の魂は、機械に置き換えることはできない。そもそも芸術と社会貢献はマッチするのだろうか。マッチする芸術もあるだろう。しかし、社会貢献を最初に考える芸術は、そもそも芸術とはいわない、のが私の感覚だった。結果の一つとして社会貢献になった、ということはありだ。
 とうとう、難しい時代に入った。
 たかがデジタル、されどデジタル!
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週末の朝はノスタルジック・ミュージックで……

2013年02月08日 08時54分04秒 | Weblog
 1968年、最近の私、この時代に興味津々。
 正確に言うと、この年を中心に70年代だ。
 今朝は、ポップ・フォーク・グループの音楽「愛するハーモニー」、コカコーラのCMから流れて聞き覚えのある方もいらっしゃるかもしれない。
 45回転のアナログ・レコードの名盤。ザ・ニュー・シーカーズです。

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