羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

はまってしまった! 佐藤優著作

2007年02月28日 19時33分14秒 | Weblog
 野口体操を始めた30年くらい前のこと。
 ウィーン大学史学科で、日本の近・現代史を専攻する人が、阪大に留学していた。知人を介して紹介された。彼が上京するたびに、研究面で面倒を見たことがある。彼は、生粋のウィーン子だといった。そしておじいさんはお父さんとともに第二次世界大戦のときに地下抵抗運動に参加して体に障害をおったという。

「オーストリアは大国の狭間にあって、常に脅威にさらされています」
 当時は、冷戦時代であった。ソ連が崩壊するなど、予想する人は皆無だった。
「僕は、国家に頭脳労働で奉仕するために、史学を選んだのです」

 その言葉を聞いたときに、戦後日本の教育のなかに、「国家に奉仕する」などという言葉は、一度して聞かれなかったことに複雑な思いを抱いた記憶がある。

 それから10数年以上過ぎてから、ハプスブルグ家・オーストリアの歴史書を、読んだ時期があった。舞台化された「エリザベート物語」ではなく、運命の悪戯から社会主義者と一緒になって、オーストリアの戦後の国家存続に尽力し・見守ったハプスブルグ家最後の王妃エリザベートの物語を読んだことがきっかけだった。
 考えてみるとオーストリアや世界の火薬庫・東欧に思いを馳せたのは、音楽が大きく影響していた。
 
 リストはハンガリーの人だが、ハンガリーはオーストリアと二重帝国をなしていた。しかし、ハンガリーやポーランドの作曲家は、ドイツにつくかロシアにつくかフランスにつくかによって、運命が変わっていく。
 リストはドイツに、ショパンはウィーンに冷たくされて父の祖国であるフランスについた。
 日本では考えられない「力関係の狭間」で、生きる知恵を磨く人の歴史が、音楽にも色濃く残されている。
 母語だけでは生きられない。母国語だけでは生きられない。その時代の大国の言語を習得することが求められる。もちろん音楽も例外ではない。ドイツ的音楽語法・ウィーン的音楽趣味・フランス的音楽精神のどれかを身につけることで、音楽家として一家を成すのである。そうしなければ一家を成すことは不可能な現実があった。
 
 ハプスブルグの歴史を読んでから、再び彼の研究テーマを思い起こした。
 国を護るという意識から近・現代史を専攻するのは、当然の成り行きだったのだろう。大国に囲まれて生きる民族の体にしみこんでいる「恐怖」がもとになっている。

 今、佐藤優著『獄中記』を読み終えて、『自壊する帝国』を読み始めた。
 はまってしまった一つわけが、「これかな?」と思える記述にであった。
 佐藤氏は、組織神学を学ばれたという。
 組織神学とは、『キリスト教と他の宗教や哲学を比較して、キリスト教がいかに正しいかを証明し、他者に説得する「護教学」という学問の現代版』
 なるほど、彼の文章にはまってしまうのは、この学問的な基礎訓練が底流にあるからに違いないなどと思いつつも、本を手から離すことが出来ずに、持ち歩くのである。持ち歩く根底には、読めば読むほどに、カトリック・プロテスタント・ロシア正教といった、それぞれの宗教の様相が見えてくることに惹かれてしまうこともあると気づく。

 ところでミネラルフェアでお目にかかる鉱物学の堀秀道先生は、ロシアで鉱物学を学ばれた。堀先生は、皆がイギリスやアメリカに留学する時代にロシア(ソ連)に行かれた。その理由が、この『自壊する帝国』を読みながら、わかるような気がする。
 6月には、フェア会場で、堀先生にお目にかかれるだろう。
 ミネラルフェアの楽しみがもう一つ増えた。
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第20回 東京国際ミネラルフェア

2007年02月27日 19時49分45秒 | Weblog
 東京国際ミネラルフェアが、今年も開催される。
 期間:6月1日(金)から5日(火)
 場所:東京新宿センチュリーハイアット東京+新宿第一生命ビル1階のスペースセブン会場。
 開催時間:10am~7pm 最終日は10am~5pm

 ある日のこと、野口三千三先生は「外国に出られないから東京で開催してほしい」と、懇意にしていた石の業者さんにはなされた。
 当時は、ミネラルというと「水」のことだと思う人ばかり。
 鉱物・隕石・化石といった趣味は、市民権を得てはいなかった。
 欧米ではミネラル趣味は、歴史が長い。
 ロシアなどでは「家の石」まであるそうだ。日本の家紋のような働きをするらしい。たとえばロシアの大統領がニュースに登場する場面を見ると、おそらく執務室だろうか、孔雀石で枠をとっている暖炉があり、孔雀石の色にあう金色の装飾、そしてテーブルの上にも孔雀石に彫刻が施されている文具など、見事な石が目に入ってくる。宮廷ではフランス語で会話されていた、西欧文化の香りが色濃く残るロシアが垣間見られるのである。そしてロシアは鉱物資源が豊富なのだ。
 
 とにかくヨーロッパ文化は「石の文化」といわれるだけに、ミネラルは人々の暮らしにすっかり根付いている。

 さて、日本だ。
 第一回のミネラルフェアに、野口先生とご一緒したのは20年前だった。
 それから毎年通って、その間、状況が許されるときには、「野口三千三授業記録の会」で、初心者の方々に野口先生流「石の楽しみ」を伝授してきた。
 5日間、特別展会場に陣取って、「双眼実体顕微鏡」や「3D写真の見方」や「鉱物の蛍光現象」などを紹介した。

 いちばん凄かったのは、野口三千三先生がなくなってからだが、「砂」を紹介したときだった。佐治嘉隆さんが撮影した「世界の砂」の写真を、3・4メーターほどの壁面いっぱいになるパネルを作って、展示したこともあった。「砂のシンフォニー」と題したような記憶がある。たかが砂に過ぎない。しかし、世界の砂は見事に多彩な表情を見せてくれるのだ。それらの写真を、ほとんどの方が、口を半ばあけたまま見とれておられた。

 さて、今年20周年ということで、楽しいおまけがある。
 チケットに「抽選引換券」がついていて、抽選に当たった方に、毎日素晴らしい石がプレゼントされるのだ。すでに外国の業者からは、驚くほど高価な石が提供されているという。大盤振る舞いなのである。

 今日は、朝日カルチャーのレッスンの後に、久しぶりに東京国際ミネラル協会に立ち寄って、理事のお二人に様子を伺ってきた。
 今年のテーマは「オパール」。展示される石の写真を見せていただいたが、見たこともないようなオパールだ。

 初夏は、ミネラルの季節だ。
 野口三千三先生が亡くなってしばらくは、この会場に出かけると、先生がそこにいらっしゃるような錯覚にとらわれた。近い年齢の方や似た風貌の方を見かけると思わず声をかけてしまいそうになった。
 
 生前ご一緒するのは、楽しかった。先生と会場を回ったり、それぞれが気に入った石を見つけて、お互いに情報交換をし合う。野口先生は手に入れた石を「これを見ろ」とばかりに自慢なさって、その様子がかわいかったのだ。

 あれから9年。野口先生によって開かれたミネラルの世界は、それまでの時間感覚とはまったく異なる次元へと誘ってもらえた。人間の歴史時間は、地球の時間からすると、比較にならない。地球時間が示す価値観は、ちっぽけな人の意識を軽々と超えていく。気がつくと、それまでの価値観が、変えられてしまうといっても過言ではない。

 さて、今年はどんな石に出会えるのだろう。
 ミネラルフェア会場は、不思議なことに、何年過ぎても教室以上に野口先生を思い出す空間なのだ。
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引退

2007年02月26日 19時31分12秒 | Weblog
 円楽師匠引退の第一報は、昨日インターネットで読んだ。
 今日は、テレビ各局で「芝浜」の最後を流していた。その後、ご本人が自ら決断した引退会見を見せてくれる。
 日テレは「笑点」の局だからだろうか、昨年から独占取材をしたドキュメントを流した。そして「芝浜」を語り終えて、高座の座布団の上で崩れ落ち、立ち上がれなくなった師匠を映し出した。映像は残酷だ。嘘ではない。夢でもない。現実に起こったことだった。
 
 夕方、テレ朝のニュースでは、「芝浜」最後の落ちの部分を、18年前の録画と、昨日の録画を比較して見せた。
 お酒の入った茶碗を口元まで運んで、茶碗の縁に唇をつけるかつけないかの状態で最初の間をとり、目をぱっと開く。そして二度目の間をわずかにとって、茶碗を下ろす。
 18年前だっていいけれど、昨日の間もいい。

 落語の人情話というのは、年を経ることで味わいが深まる。
 ずっと昔、よく落語を聴くことがあった。
 もう今は亡き名人たちばかりだ。その名人は、一体どのような幕切れを見せたのだろうか。まったく記憶は欠落している。

 「引き際の美学」と言う言葉があるが、円楽師匠も決断は高座に上がったときには、すでに九分九厘されておられたのではないかと思うくらいに、見事な会見だった。
 記者の質問に、一言・一言、言葉を選びながら、間をとりながら、答えておられた表情には、ある諦念の色がはっきりと見受けられた。
 落語家人生が走馬灯のように脳裏に浮かんでいたのだろうか。いや、そうではなくその場で見事な「人情話」をつくりながら、「これが最後」としっかり見据えて語られたのだろうか。
 名人、自らが幕を引く。その姿に目頭が熱くなった。万感迫るものがあった。

 そして、私には、思い出すシーンがある。
 野口三千三先生にとって最後の年末、1997年12月のレッスンの日のことだった。いつものように新宿で待ち合わせをして、地下鉄・新宿御苑前で下車した。階段を昇りきって道路に出る。少し歩いたところで、ビルの方によってうずくまってしまわれた。実はそれ以前から、階段を上がるとめまいがよく起こっていた。
 ところがその日のめまいは、かなりひどいもので、うずくまったまま立ち上がることができなかった。しばらくして落着かれたのか、しゃがみこんだまま顔をあげられた。すると先生よりもお年を召した方が、ステッキをつきながらもしっかりした足取りで教室に向かわれる姿を、偶然にも目にされた。その方は、野口体操教室に20年は通っておられた元国文学の教授だった。80歳はとっくに超えられていた。

 野口先生の顔から、みるみる血の気が失せていった。
 その日は、12月最後のレッスン日。
 年末最後のレッスンでは、必ずやることになっている「ジングルベル」のフォークダンスを、先生は椅子に腰掛けてご覧になるだけだった。顔はにこやかに笑っておられた。しかし、あれほど寂しそうな笑いをみたことはない。
 その日を境に、野口先生の中では、何かが崩れていくのを、私は感じていた。
 
 今日、円楽師匠の記者会見をテレビで見ながら、引退は惜しまれるけれどあの高座に上がることはさぞや命を振り絞り、覚悟のことだったのだろうと、こみ上げるものがあったのだ。 
 次第に最期の野口先生と重なってしまったのだ。
 病は人を弱気にする。それが自然だ。受け入れるしかない。辛くても、辛くても……。

 でも、もっと辛いのは、老いだ。
 老いは、哀しい。
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はじめにロゴスありき

2007年02月25日 20時11分57秒 | Weblog
 連日、佐藤優著作を読み続けている。
 『獄中記』は、もう少しで読了する。
 どれほどの理解を自分がしているのかはいえないとしても、久しぶりに読書の醍醐味を味わっている。

「はじめにロゴスありき」
 その言葉が、私の中でよみがえった。
「はじめにロゴスありき」
 この姿勢は、白川静文字学の姿勢でもある。

 さて、佐藤優著作、日本語でこのような文章表現が可能だということを、実証してくれた。凄いと思う。
 日本語はけっしてあいまいな言語ではない。書けないこと、書いてはいけないことを行間に滲み出しながらも、明瞭な言語表現を、日本語で出来る人が現代に現れたのだ。いくつもの外国語を学ぶ中で、言語力を磨いていることが明確に伝わってくる。
 
 昨年『日米開戦の真実』を読んだきり、他の本を手に取ろうとはしなかった。
 今頃になって『国家の罠』を読み『獄中記』を読んでいる。
 さらにアマゾンで取り寄せた本が、机の上に積みあがっている。
「もっと早く読めばよかった」
 しかし、間に合ったという実感がある。

 付箋は『獄中記』の方が多い。とりわけ重かったのは、第五章「神と人間をめぐる思索」だった。

 八月二十二日(金)付け、外務省後輩へのメッセージは、圧巻である。
 日本人がキリスト教の理解という次元から遠く離れているとすれば、そこを明快に言語化しているからだ。
「初めがあって終わりがある」直線的な時間認識と、仏教的な「輪廻」の時間認識の違いが浮き彫りにされる。そして「メシア」という存在の捉え方の違いが、キリスト教徒とユダヤ教徒とでは、どの点で異なっているのかが明快に述べられている。
 その上でカトリックとプロテスタント微妙な関係まで、ごく短い文章のなかで語る力量はたいしたものだ。
 この「神と人をめぐる思索」が、今後、どのような形で著作として展開されるのかを、追っていきたいと思っている。

 かつて永井荷風は、「キリスト教はわからない」として江戸文化に回帰してしまった。その荷風の弟は、皮肉なことに牧師になった。
 かつてパリで客死したエトランジェ・森有正は、もっと陰鬱な苦渋に満ちた文章を残した。森が演奏するパイプオルガンは、魂の救済のみをひたすら祈る響きに満ちていた。

 ところが「佐藤優」は、かつての日本人とは違う。現代日本だからこそこの才能は押しつぶされずにすんだ。彼の著作を、リスクを追ってまで出版しようとする人々がいた。ベストセラーになるということは、日本の良識がまだ欠落していないことの証明ではないだろうか。
 確かに賛否両論ある中で本が読まれ続けている。
 しかし、現代の日本は、まだまだ捨てたものではない。
 瀕死の際にある本の文化にとって、この本は「メシア」となった。
 
 なにより『獄中記』、第五章で語られる近・現代史観は、単なる歴史観ではなく、歴史を根底でつくりだしていく宗教・哲学への造詣の深さと、そのなかで深められていく思索と、信仰の内面を実体感している著者だからこそ書ける「圧巻」だ。
 ぜひ『国家の罠』を読んで、不謹慎な言い方だが面白いと思われた方は『獄中記』を読まれることをおすすめしたい。

「はじめにロゴスありき」なのである。
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報告!動画ブログ「野口体操・身体感覚をひらく」一段落

2007年02月24日 09時27分02秒 | Weblog

 動画ブログ「野口体操・身体感覚をひらく」は、今日ので一段落。
 明日は、これまで掲載した記事一覧を載せることにして、すでに準備は整っている。
 「このブログをはじめるにあたって」からはじまって、記事の数は67にも及んだ。
 一気に見るのは大変だ。
 連日ブログを開いてくださる方をたった一人だけ想定して、(具体的に誰ということではなく)、毎朝、7時から8時までにはアップしていていた。
 一日おきとか毎日とか決めたら、だいたい同じ時間にアップすると言う作業は、たった一人でもいいから、見てくださる人を想像すると続くようだ。

 野口三千三先生は、東京藝大の授業のときに、それぞれのコマのクラスに、気にいった女子学生を見つけて、その学生一人を楽しみに授業を準備したと言っておられた。その場合は、具体的に「○○花子」さんという人がいるのだけれど、ブログのように不特定多数の方が対象の場合は、わからない誰かを想定するしかない。

「アクセス状況を見る」ことから一日をはじめて、その数字が「0」でないかぎり、誰かが開いてくれているわけだから、やる気が起こる。
 ただし、自分が開いている数字もその中に入っているわけで、引き算しても「0」でない確認をしている。

 今日で本に載せた写真におまけ付きで、すべて出揃ったことになる。
 これから先は、また考えたい。
 しばらくは「記事一覧」を載せて、じっくり見ていただきたいと思っている。

 よくやりました。
   
 
 ご出演の皆様に感謝! 
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あわや!

2007年02月23日 19時34分15秒 | Weblog
 今週、水曜日の夜、母が「足が痛くて歩けない」と言い出した。
 昼間、散歩に出かけた。その帰り道でのこと。家の近くで、前を歩いていた男の人の荷物にぶつかって転んだらしい。
 ほほに小さな赤いあざがあり唇もわずかだが切ったらしい。鼻の下も小さく切れている。しかし、自分で歩いて帰ってきたし、数時間も違和感がありながらも、片付け物などもいつも通りしていた。

「シンジラレナ~イ」とはこのことだ。
 
 その夜はトイレに起きる母を介助した。片足では立ち上がることは出来ない。右手を突いたらしく、親指の付け根が痛くて、重さを受けられないという。

 しかし、眠れない。
 明日の朝の様子を見て、医者に連れて行こうと考えた。そのほかにも考えることが次から次に浮かんでくる。
 母はそれほど痛くないうちに階段を上がって二階にいる。まず、どうやって下ろそうかと考えると、目の前が暗くなる。救急車を呼ぶほどではなさそうだし。
 その晩は、もの音がするたびに、声をかけた。

 さて、翌朝。
 なんとトイレに行くのに立ち上がって歩いている母を見た。よく見ると適当に重さを逃がしながら、悪い方の足に重さをかけずにゆっくり歩いている。
 戻ってきた母の足や手を見ることにする。
 内出血もしていないし、腫れも目だっていない。
 医者には行かず、そのまま、一日、おとなしく休んでいることにした。
 食事も一人ではなく、二階に運んで一緒に食べることにした。病人は孤独がいけない。一人にしない方が、回復力に格段の差がでることを、これまでの体験で知っていたから。
 
 その甲斐があってか、夜になってから、元気に起きだした。
「何日、寝てたかしら?」
 その言葉に一瞬ぎょっとなった。
「まだ、一日よ」
 母の実感では4・5日寝ていたようだという。
「よく寝たのね。今夜だって寝られるわよ」
 言葉どおりだった。

 今朝は、朝食だけは二階に運んでとることにした。
 その後は、階下に下りてそのまま一日を過ごしていたらしい。
 今も、二階に上がってくる足取りが、ゆっくりだが心配がいらない音がしている。 
「転び方がうまかったのよね。これで終わってたまるか、って感じ……」
 82歳の誕生日も間近い。なんとも気丈な言葉に、ほっとため息をついた。

 いつでも骨折・寝たきりになる可能性はあるわけで、日ごろから考えておかなければならないのだが、実際に考えたくない。
 
 今日は、夕方、仕事から帰ると、大きな声がした。
「おかえり」
「あわや!」
 この言葉がぴったりの出来事だった。
「神様、ありがとう」
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岩波ジュニア新書『身体感覚をひらく』動画ブログアップ

2007年02月22日 08時29分57秒 | Weblog
 何人かの方に、そこまで読者サービスをするのだったら、一応最後の写真の「逆立ち」までの動画を、一挙公開してほしいと切望された。
 早朝、アップした。
 逆立ち映像の取って置きがまだ残っているので、明日以降も続けるのだが、写真に沿った動画は終わったことになる。

 ぜいたくだ! という声も聞かれる。
 私としては、新しい実験というところだ。
 お声がかかれば、今度はDVD制作に乗ってもいいとおもっている。
 ここまでやってみると、写される側の問題や、写され方や、写し方のコツといったことが見えてきた。
 媒体が変わればそのつど新しい問題に直面するだろう。しかし今回の試みは、非常に参考になったことだけは間違いない。
 まったくの未経験で見切り発車は出来ない性質だと、改めて自分の性格的な長所(欠点かな)をつくづくと感じる。以前「羽鳥さんは、石橋をたたいても渡らない人だ」と言われたことがある。今回は「石橋をたたきながら、渡ってみた」

 DVD制作だが、これまでにいいお話を先送りしていただいたので、もうどこからもお誘いはないかもしれない。
 当面は、動画ブログ「野口体操・身体感覚をひらく」が、野口体操の動きのイメージを「補完」するとまではいかなくても、参考にしていただこうと思っている。
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野口体操「身体感覚をひらく」通信教育!?

2007年02月21日 20時00分28秒 | Weblog
 毎日、動画専用ブログをアップしていていると、だんだん欲がでてくる。
 この動画専用ブログは、岩波ジュニア新書『身体感覚をひらく』に載せた写真だけでは伝わらない「動き」を伝えたくてはじめたことだった。
 やりはじめてみると動画ブログ上での編集という意識が芽生えた。

 残すところ「ももの胸付け」「腰まわし」「胸まわし」「おへそのまたたき」「逆立ち」と、いよいよ終盤に差しかかった。
 撮れている動画のなかから、何を載せるのかを選ぶ作業は、なかなか楽しい。
 順番は決まっていて動かせないのだけれど、そのなかでも工夫が必要になる。全体を通した見え方というものがあることに気づき、人選や動きの質や着ているものの色等々、それらを並べるバランスといった工夫の余地がある。一つ二つを載せる場合とはまったく異なる。このブログ自体が本と寄り添いながらも、独自の世界を形作っていくことに気づいた。
 
 嫌いじゃないよね。こういった表現媒体を楽しんでいるようだ。
 とにかく支えてくださる方々がいて、初めて成り立つブログ。
 今月いっぱいで一応最後までアップできるところまでたどり着きそうだ。
 思えば準備期間の去年の10月から、はじまっていたのだ。
 これって通信教育みたい!
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野口体操・逆立ち考

2007年02月20日 19時04分10秒 | Weblog
 野口体操の逆立ちは、肩がのびのびすることがまず第一である。
 次に、高い位置から重さを徐々に流し込むイメージがどれだけもてるかだ。そしてそのイメージがどれだけからだの動きに一致してくるかだ。このイメージとからだの動ききの一致が、難しい。

 もう一つは、骨盤の向きが変わる瞬間がある。このときに床から離れた足からも力が抜けて、真上の方向に上がっていく。
 写真でみると手がついて足が上がるまでに時間がかかっているように見える。しかし、実際は手が床に触れる前のほんのわずかな時間(瞬き程度の時間)に骨盤の向きが変化し始め足から力が抜けるような気がする。

 つまり、写真では手が床に触れているようにみえても、重さは手にかかっていない。方向がわかるところは、むしろ空中でという感じなのだ。
 写真では床に触れている手に重さがしっかり乗っているかいないかは、映し出されないかもしれない。

 逆立ちのこわさ(恐・怖)は、この空中で方向が変わるところにあるのだと、最近になって気づいた。
 今日も朝日カルチャー火曜日のクラスで、最後に「逆立ち」をやってみた。
 予想のとおり「魔法の逆立ち包助」で、2回目に逆立ちを試した方が、はじめて体験したときとは明らかに違う反応が起きた。「立つ」という意識が生じて、無意識のうちに力が入ってしまうのだった。

 経験するということは、そういうことなのだ。
 そこから意識が丁度良く働く中で、ある動きが出来るようになるには、慣れが必要ということかもしれない。

 レッスンが終わってから「魔法の逆立ち包助」を、練習してもらった方がいる。これが案外難しいのだ。
 相手とのタイミングのとりかた一つで、逆さまになれないのだった。
 従来の「エイヤッ」と勢いにまかせてやってしまうものよりも、重さをいかし・重さを流し込むイメージの野口体操の逆立ちは、コツを掴んでしまえば、こんなにも軽く楽々と逆さまになるのだ! と感じられるのだが。

 ようやく「逆立ち」練習が、はじめられる雰囲気が各クラスに出てきた。
 むしろ私の中の規制緩和がじわじわと起こっているのだと思う。
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「野口体操・身体感覚をひらく」動画ブログ・感性の覚醒

2007年02月19日 17時07分16秒 | Weblog
 本日もまた二人で組む動画を載せた。
 昨日の「やすらぎ対話」と同質の「上体のぶら下げ対話」である。
 馬頭琴の演奏にあわせて、というか馬頭琴の演奏者・横田和子さんも、私が話しかけ話しかけに応じて動く新井英夫さんの動きに合わせてくださった。
 双方向の対話が成り立っている。「上体のぶら下げ」も対話者同士も演奏家も3者が、それぞれの身体感覚をひらきながら、行ったものだった。
 「三すくみ」どころか、1+1+1=3ではない、伸びていく身体が感じられた。

 昨日は、「文楽」の人形と人形遣いのような委ね方で、今日の馬頭琴とのコラボレーションは「音楽」「音の揺らぎ」に委ねつつ触れている他者との関係の中で「上体のぶら下げ」を味わうというもの。

 このときの実感は、実に気持ちよかった。音楽や音の揺らぎに委ねる快感というのは、スポッと意識がはずれていく。そこに音に包まれて揺れあっている三者の感性が覚醒していく。空間と時間が溶け出すような快感があると私には感じられたのだが、ご一緒した方々はどのような感じをもたれただろう。
 野口体操の「○○の対話」という一連の動きは、ある種の熟練も必要とされるようだが……。
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ブログ「身体感覚をひらく」に感ずることあれこれ

2007年02月18日 19時29分36秒 | Weblog
 今日アップした動画は、「やすらぎの動き」で、対話しながらほぐすものだった。
 この動画をご覧になってお気づきと思うが、野口体操のいちばんの基本は「上体のぶら下げ」だが、立った状態だけでなく床に腰を下ろした状態でも「上体のぶら下げ対話」なのだ。
 
 実はどなたも同じ感想をもたれるのだけれど
「ブログに体操する自分の姿が載ると、とても勉強になります」とか
「自分がイメージしているのと、見えてくる動きが違って、改めて動きを確かめるきっかけになります」とか
「最初は恥ずかしくてしっかり見られないけれど、何度も繰り返し見ているうちに、隅々まで見えてくる」等々。

 野口体操では客観より主観、そのとき自分が感じる実感を手がかりにすることを大切にしている。しかし、パソコンであったり、携帯であったり、見るものは何でもいいけれど、動きを外側に出して見ることから得られる新鮮な感覚も捨てがたい。いや、それ以上の意味があるようだ。
 岩波ジュニア新書『身体感覚をひらく』にリンクしている動画ブログに、予想外のおまけがついた。出演者の方からいただくこのような感想は、始める前には思ってもいなかった。

 昨日、「逆立ち」を撮影した。
 撮りなおすうちに結局のところ佐治嘉隆さんがいよいよご登場となった。

 さて、今日の話に戻すと、私の後ろで「やすらぎの動き対話」をしてくださっている男性の位置のとり方が絶妙なのである。衣装も濃紺だったからかもしれないが、歌舞伎や日本舞踊などの「黒子」の位置かもしれない、とおもいつつ見ていた。
 が、しかし、観ているうちに「これは「人形浄瑠璃」の世界に近いと思えてきた。「文楽」は、日常の空間から劇場に入って、演目がはじまってしばらくは人形に集中できないで、雑駁な感性で見ることがある。それが太棹の音・浄瑠璃語りの情念に引き込まれ、次第に人形に命が宿るころには操る人の存在が見えなくなりながら、しかしそこにいることが邪魔でなくしっかし見えてくる。
 野口体操の「上体のぶら下げ対話」も「やすらぎ対話」も、話しかける人が文楽の人形遣いのようなあり方になったとき、理想的な関係が生まれる。
 話しかけられている自分では、話し手の動きを見ることは出来ないだけに、こうしてブログ上であらためることが出来て、とても参考になった。

 というわけで今回の新しい試み、つまり本にリンクする動画ブログというのは、編集している私自身にとって、あるいは出演することによって撮影時に実感できることや、ブログ上に載ったところで観ることから得られること等々、収穫の大きな出来事だといえる。
 当事者になってやってみなければ何事もわからない! です。
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2/17 2度目の投稿 「ブログ・身体感覚をひらく」新動画追加

2007年02月17日 20時04分39秒 | Weblog
 朝日カルチャーセンター土曜日クラスのレッスンを終えて、居残りで撮影を行った。
 立っているところから、一気に四股に入る動きを、動画専用ブログ「野口体操・身体感覚をひらく」に追加掲載。
 撮れたて動画です。
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「身体感覚をひらく」動画ブログに因んで

2007年02月17日 10時03分07秒 | Weblog
 岩波ジュニア新書『身体感覚をひらくー野口体操に学ぶ』にリンクした、動画ブログ「野口体操・身体感覚をひらく」は、本日は「蹲踞から四股へ」と題して、3つの動画をアップした。
 3-1は、女性デュエット。
 3-2は、羽鳥のソロ。
 3-1は、男三人衆のトリオ。

 こうした編集をしてみると、クラシックバレーのつくり方が、洗練されていることを感じる。
 全員あり、ソロあり、デュエットあり、トリオありと、観ている人々を飽きさせない舞台演出がなされている。

 この動画をアップして、野口体操は一つの動きでも個性がありありと見えて楽しい。動きの質を一色に決定しない。でも、動きの基本は、それぞれに筋が通っている。
 そこを観ていただきたい。

 この野口体操動画シリーズも、三分の二はアップし終わった。
 皆さんのお蔭で、多様な動きを提示することが出来たと持っている。
「たった一つの理想形に向かって一致団結して練習をする」のとはまったく異なった発想で、動きの質を探求する? いや楽しむ! というわけだ。

 今日は、いよいよ「逆立ち」の撮影に入りたい。

 ブログ名は「野口体操・身体感覚をひらく」
 http://goo.blog.ne.jp/karadahiraku/

「カラダひらく」なんてちょっと危なげなブログみたいな名前ですが……、まだご覧になっていらっしゃらない方、一度はクリックしてください。
 ブックマークから入れます。
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知的滋養

2007年02月16日 19時27分48秒 | Weblog
 本を読むことから得られる快感がある。
 昨年末は、芭蕉関係の本を読み漁っていた。
 今週は、再び読書に時間を割くことができた。

 昨日は、『昭和史の教訓』保阪正康 朝日新書を読み終えた。
 今日は、『国家の罠』佐藤優 新潮社 三分の一ほど読みすすんでいる。
 新宿の紀伊国屋本店で、12日に手に入れてきた4冊のうち、やはりこの二冊はダントツの面白さだ。面白いという言い方は許されない。言い換えなければならない。こうした本が出版されて、読むことが出来る時代に生きているということの幸せ感を抱いているのだから。

 ペンは、武器にもなりうると思った。
 ペンは、人を過ちから救う力があるとも思った。
 つまり、ペンの力は健在である。

 佐藤氏は、新潮社から『国家の罠』が世に出るにあたって、岩波書店の編集者馬場公彦氏の言葉が「最後の一押し」になって回想を本にする気持ちが固まったという。
 その言葉が「あとがき」にあった。
―「佐藤さんが体験したことは日本のナショナリズムについて考えるよい材料となるので、是非、本にまとめるべきだ。時代に対する責任を放棄してはならない」-
 それに対して佐藤氏はこう感想を続ける。
―「インテリジェンスの世界には、所属組織の利害関係を超える相互尊敬と助け合いの文化が存在するが、それと同様の文化を編集者の世界にも感じた」-

 『昭和史の教訓』もそうだが、そのような経緯から生まれた『国家の罠』だから、久しぶりに「ペンの力」を痛く感じるのかもしれない。

 今週は、朝日新聞社出版局の編集者の方から手紙をいただいた。
 ここでは手紙の内容には触れないが、貴重な教えを受けた。
 正確にものを見る、深く考える、比較検討する、また深く考える、さらに見直すことを執拗に繰り返しながら、他者との相互交流がなされてペンに力がつくのだと思った。

 本を読み、いただいた手紙の内容を反芻し、久しぶりに「知的滋養」に富んだ一週間が過ごせたように思う。
 
 明日は、もう、土曜日だ。
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昭和10年代

2007年02月15日 20時20分01秒 | Weblog
 250ページのうち、158ページまで読んで、このブログを書いている。
 ものすごくいい本だと思う。
 本の名は、『昭和史の教訓』。
 著者の名は、保阪正康。
 朝日新書である。
 
 帯には次のような文字が記されている。
「昭和史には無数の教訓が詰まっている。問題はそれを受け継ぐ覚悟があるかだ。昭和10年代を蘇らすな」
 もっと早くこのような本に出会っていたかった。
 この本で、日本の近代・現代史の基礎を学ぶことができるのだから。

 ひとこと。
 野口三千三先生の生きた時代を読むことによって、野口体操の基盤となっている「身体=自然」という発想が、歴史的にどのような経過をとったのかが、第二章によって教えられる。そして野口体操の革新性の根っこは、昭和10年代を蘇らせるなという著者の思いに通低していることに気づく。

 一方で、我が家だ。
 明治・大正・昭和を、東京という都市で暮らしてきた祖父母や父母が語っていた話に、バックボーンがしっかりと形作られた感がある。
 父方は、江戸期から15代続いた農家の家督相続人が、明治期に東京に出て根を下ろした。明治29年に戸籍を東京に移したのは、16代目の家督を継いた父方の祖父だった。このことを知ったのは、父が亡くなって戸籍謄本をとったときだった。その謄本に、曽祖父は「隠居」と記されていた。それを見たときには、タイムマシーンに乗ってしまった感があった。
 父は6歳のときに父親を失った。同時に6歳で家督を継いだ。昭和一桁だ。

 いずれにしても、野口三千三先生も、我が両親も、戦争抜きに理解することは出来ないとずっと思っていた。この本は、求めていた教科書だといえる。

「新宿駅が閉まってるって、大人が言っていたのよ」
 母は、昭和11年「2・26事件」が起きた翌日、11歳の誕生日を迎えた。
 その母の口癖は「戦争は絶対に嫌」なのである。
 
 そして野口三千三先生は、昭和11年には群馬県高崎中央尋常高等小学校に教師として着任しておられた。

 今日はこれまで。
 本の続きを読みます。
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