羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ゆく年

2005年12月31日 23時20分49秒 | Weblog
 やっぱり、きれいに片付いた部屋は気持ちがいい。
 とりわけ11月過ぎの忙しさは、近年になかった感じだ。
 書類は、仕事別にファイルしてあった。
 が、送られたファックスや、メールから打ち出した資料、郵送された資料や連絡書類、エトセトラ。
 あれよあれよという間に、机は机としての用をなさなくなっていった。

 今日は、すっきり、広々、すがすがしい。
 
 この一週間は、ほとんど体操する時間が削られていった。
 今、2005年最後の体操をしている途中である。
 今日のブログを書き忘れているころに気付いて、打ち始めた。
 こんなに遅い時間は、はじめてだ。

 昨日、ようやく気に入った卓上カレンダーを見つけた。
 今、1月を出して、パソコンの横に、いつも通りに置いた。
 まだ、書き込みをしていない。1日から31日まで、曜日の下にある細かい点線で区切られた8本の横空間は、真っ白である。
 仕事始めは7日の朝日カルチャー土曜クラスからだ。
 1月も一気に進みそうだ。

 線路を越えて徒歩で10分ほどのところに禅寺がある。
 大晦日は、その寺で撞かれる鐘が、ぴーんとはりつめた、冷たい空気を波立たせて聞こえてくるのももうすぐそこまでやってきている。
 
 2005年も、いよいよ「ゆく年」になる。
 
 「くる年」が、いい年になりますように。
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師走

2005年12月30日 19時17分18秒 | Weblog
 一夜飾りにならないようにという言い伝えがある。
 ふぅ~っ、間に合った。
 思ったより飾り付けに手間取って、最後のあいさつ回りや、年賀の買い物がやっとすんだ。

 さすがに師走である。
 一日ずつ、予定がずれて、なんとか年内におさまるだろうか。
 
 夕方からは、数の子の塩出しを始めた。
 2時間おきに水を取りかえる。今年は、酒と醤油に漬け込まずに食する方法にしようと家人と話し合っている。
 干ししいたけは、今夜、水に浸しておこうとおもっている。
 黒豆は、すでに用意した。

 あとは、明日、料理をつくる。おそらく半日では終わらないだろう。
 そして最後に台所と居間を掃除して一年が終わる。
 
 我が家は年越し蕎麦を食べる習慣がない。
 
 さぁ、のこすところ一日。
 明日は大つごもりである。
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夜回り

2005年12月29日 16時57分56秒 | Weblog
 今日は、掃除の日と決めていたが、お天気もよくはかどった。
 こんなときは、お蔭様という気持ちになれる。

 きれいになった部屋に、来年のカレンダーをかけた。
「白川静・漢字暦2006丙戌」(平凡社刊)である。
 中身は、甲骨文字カレンダーである。
 今度のカレンダーには、白川氏の写真が載っていた。青銅器を思わせる、凄みのあるお顔立ちは、中国古代文字研究のためにお生まれになった観がある。

 正月は「よろこぶ」から始まっている。
 白地に黒と赤の清楚なカレンダー。
 訪ねてこられる方々が、皆さん褒めてくださる。

「ほしいなぁ~」
 11月末から、思い続けていたら、昨年同様に贈り物としていただいた。
「嬉しい」

 これで明日は、門松をたて、玄関にお飾りをしよう。
 床の間には、すでに伝統的な掛け軸をかけ、香炉を置いた。

 来年は、新しい家で迎えるはじめてのお正月だ。
 今夜は、町内の夜回りに出る。

 先頭の人が、堤燈をぶらさげながら、町内を練り歩く。
 火の用心……火の用心……
 繰り返し声を張り上げる。
 
 合いの手に拍子木を鳴らす。
 火の用心、カチカチ。。。。。火の用心、カチカチ。。。。。

 寒空に、声と拍子木の音が、吸い込まれていく。
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葬場祭

2005年12月28日 16時39分36秒 | Weblog
 なぜ暑いとき寒いときに、亡くなる方が多いのだろうか。
 今日は、葬場祭に出席した。
 仏式で言うと葬儀告別式にあたる。

 小学5年生の時以来、久しぶりに神道のお弔いだった。
 祈りのしきたりをすっかり忘れていて、久しぶりにドキドキした。
 
 玉ぐし奉献
 二礼四拍 一礼四拍 一礼
 (こうした場合、拍手は音をさせないで打つことだけは覚えていたが)

 久しぶりに親族の多いお別れだった。
 棺をお見送りし斎場をあとにしながら、脳裏をよぎったことがある。
「通夜祭・葬場祭というからには、神道では、亡くなると、神になるのだろうか」と。
   
 車窓から見える関東の木々は、葉を落とす欅や銀杏に代表される落葉樹が多いことに改めて気付かされた。
 快晴の午後の車中。
 人はまばらだが、日差しに暖房がきいてポカポカと暖かい。
 師走であることを忘れさせてくれた。
 都心の喧騒を忘れさせてくれた。

 外に眼をやると、鬼籍に入られた方々の面影が、多摩丘陵に映しだされ、そして消えていった。

  ……人は何処から来て、何処に行くのか……
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終わるようで終わらない仕事

2005年12月27日 15時02分24秒 | Weblog
 終わったようで終わらないのが仕事。
 
 今日は、年内最後の原稿校正だった。
 原稿といっても「インタビュー記事」だ。
 
 なかなか難しいのは、私だったら、このような言い方はしない、という表現が随所にある。それを何処まで残すのか、といった点で迷ってしまう。ライターさんの受け取り方や、その人の言葉で書かれているものに手を入れると、そこだけ浮いてしまうことがある。

 もう一つ難しいことは、野口体操の動きの問題・実際のからだがどう使われているのかといったことを詳しく書くと、読者はわからないだろうと思いつつも、正確さを求める。正確に直そうとすると、せっかくのライターさんの筆の勢いを削ぐことになってしまう。全体のトーンがそこだけ崩れることにもなってしまう。

 では、すべて自分で書くのがいいのか、というとそう話は簡単ではない。
 懇切丁寧に書けば書くほど、わからない説明に陥ってしまうとか、一般読者の読みやすい書き方というのは、ライターさんの方がよくご存知だし。
 そのあたりの間合いが難しい、と思いながら校正を終えた。
 
 この調子だと、世間一般の仕事納めと同じ日に、開放されることになりそうだ。

 今年の暮れの寒さはきついので、お正月料理は30日につくっておこう、と思っている。
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年内納めの取材

2005年12月26日 16時49分42秒 | Weblog
 年内の取材が、今日で終わった。
 1月の朝日新聞からはじまって、今年も、いくつもの取材を受けてきた。
 先生の時代は、興味本位・ユニークな体操・とても変わった体操・面白半分という感じの取材が多かった。
 
 1972年に『原初生命体としての人間』が出版されたあとは、真面目なものもあった。しかし、一般向きではなかった。一般向きのものは、ユニークな体操というレッテルを貼られていたようだった。
 
 70年代は、身体がクローズアップされてはいた。
 哲学や社会学や教育という分野だった。

 それに引き換え、現在の身体ブームは、一般に向けての発信が、俄然、増えたように思う。年金問題・社会保障の問題・少子高齢化の問題。それが大きな牽引力となっている。

 野口先生がご存命の時代より、一般的でありながら、興味本位ではなくなった。面白半分ではなくなった。とても変わった体操というより、今、巷ではやっている「ゆるめる身体(法)」の元祖として、野口体操をキチンと評価しようという姿勢を感じる取材も増えてきた。
 
 今日は、医療関係だったので、ついつい父の病気のこと・病院や医者との付き合い方・病人を抱える家族のことなど、しばらく忘れていたことを思い出させていただいた。
 野口体操についての取材が、いつの間にかそちらへ話が発展していった。
「悪いところをもったまま、どう生きるのか。どう動くのか」
 この問題も野口体操の主要なテーマなのだから自然のなりゆきではあったのだが。

 父が、再々手術を受けるにあったって、外科医との話を終えて、エレベーターに乗り込んだ。
「私は、どこに行くのでしたっけ」
 思わずつぶやいた。
「どちらの病棟に、ご入院ですか」
 乗り合わせていた看護婦さんが聞いてくださった。
 それほど集中して話を聴いたことは、先にも後にもないことだった。
 病状と手術の話の記憶だけが、脳を満たしていて、他は真っ白状態だった。
 なのに、そのときの自分の行動や言葉は、なぜかしっかりと記憶に残っている。
 
 自分の脳の容量を知ったのも、そのときの経験を通してだったことを思い出しながら、話をしてしまった。
 
 ということで今年一年のほとんどの仕事は、納まってきたのかなぁ~、という本日です。
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生き方は息方

2005年12月25日 10時37分26秒 | Weblog
 昨日、朝日カルチャーセンターの土曜日クラスが終わった。
 いちおう、2005年、すべてのレッスンの最後だった。
 
 お蔭様で、このクラスだけは、「逆立ち」にたどり着けた。
 じっくり、ゆっくり、我慢強く、待った。その待った甲斐があったようだ。
 生まれてはじめて、逆さまになれた方には、今年最後にいい贈りものになった。
 
 とくに、ヨガの逆立ちで「呼吸」の話をした。横隔膜呼吸について話だのだが、このことは野口先生も語られたことがなかった。
 恐がりの私は、いかに安全に逆立ちするのか、というのがテーマだった。
 その鍵になったのが「横隔膜呼吸」による制御だったのだ、とレッスンをしながら気がついて、つい分かりにくい話が口をついてしまった。

 呼吸による動きの制御感覚。
 呼吸による表現の多様性。
 呼吸による思い切った動きへの挑戦。

 昨日の時間を共有できなかった方には、「なんだかさっぱりわからない」話で、申し訳ない。
 しかし、このことを記しておきたいくらいいいテーマをもらったからだ。

 来年も、もっと深められたらいいなぁ。
 そういえば、野口先生の『原初生命体としての人間』の一部が教科書に載って、今年度まで使用されたが、掲載されたところは「第三章:生き方と息方」だった。
 
 2005年12月24日、土曜日、快晴。
 明るすぎる東京の街には、星空は望めないのが残念だ。
 だが、今年は、充実したいい一年だったと思いながら、住友ビルをあとにした。
 振り返ると都庁の建物が、ティラノサウルスを想わせる巨大さで迫っていた。
 目の前には、クリスマスのイルミネーションが輝き、人々の横顔を蒼く照らしていた。
 
 来年は、野口先生没後8年。
 光陰矢のごとし。
 よく生き残ってこられたものだ。
 この八年間に流れた時間の密度がとても濃かったと思う。
 でも、来し方をふり返るのは、来年の年明けとしよう。

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火の用心!

2005年12月24日 08時38分05秒 | Weblog
 朝、電話が鳴った。
「○○さんのお宅が、昨晩、焼けて、どなたかお一人が救急車ではこばれたようですよ」
「エッ、ほんとうですか。伺ってみます。ありがとうございます」

 自宅からそのお宅までは、直線距離は近いのに、乗り物の便は悪かった。
 そこで、徒歩で伺うことにした。

 細い住宅地をくねくねと、はやる心を抑えながら早足で西へ西へと歩くこと15分。
「電話も携帯もつながらない、そりゃそうだわ。入院されたのはお父様、それともお母様かしら」
 安否を気遣った。

 長い塀が視界を遮っている角を曲がると、焼け焦げた匂いが、鼻の先に漂ってきた。
 見ると蛍光色の筋が入ったカーキ色の作業服、同じ蛍光色の文字で「消防庁」の腕章をつけた消防隊の方が、その家の付近を見回っていた。

 見ると外観はそっくり残っている。
 窓ガラスはすべて割られているようだ。
「類焼は、幸いなことに、免れたようですよ」
 電話の主は、知り合いの元区議会議員さんだった。

 家には、黄色いロープが張られて入れないようになっていたが、外から覗くことができた。
 ちょうどそこに、お嬢さんが出てこられた。
 髪の一部にこげた後が残っていたが、それ以外に外傷はなさそうだった。
「母が、入院しました。でも、軽いやけどを負った程度で」
 彼女は、気丈だった。

 母上と彼女の部屋を中心に焼け、残ったところも水をかぶって使い物にならない。
「硝子もガンガン割られて、ものすごい放水。母は、この状況を知らないんです。救急車ではこばれたものですから」

 そうこうするうちに、ふらふらした足取りで、お父上が、裏庭から出ていらっしゃった。
 そこには妹さん家族の家がある。
昨晩はひとまず、孫の部屋で夜を明かしたという。
「まぁまぁ、年末に……」

 こういうときに、とっさに言葉はみつからない。
 お二人の手をとって、火事の経過の話を伺ってきた。
 コンセント付近から出火らしい。

 例年にない寒波の冬に、突然おそった出来事だった。

 何度か、電車に乗ってから、ストーブの火が消えていないのではないかと心配になって、私も家に戻ったことがある。ちょうどその火事があった日も、先生方とそんな会話をしていた矢先の出来事である。
「うちの主人も、洗面所にタバコの火を消さないで置きっぱなしで外出してしまったことに気付いて、空港について慌てて電話をいれたの。別棟に住んでいた母に、見にいってもらったの。そのときは、運良く火は消えていたので大事には至らなかったのだけれど。それがきっかけでタバコをやめたのよ」
 来年、定年を迎える先生が話されたことを思い出す。
 
 こうした経験は、一度や二度ではなく、誰にもありそうだ。
 火事と喧嘩は江戸の華、などといってはいられない。
「立ち去るときには、かならず、後ろを振り返るのよ」
 母の言葉が思い出された。

 湿度20%以下の日が続く。
 とにかく火の元確認。
 火の用心! 
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野口体操との出会いー呼吸がひらく逆立ちの扉

2005年12月23日 10時20分52秒 | Weblog
 昨日のブログは、なんとも中途半端な書き方のまま終始したと、思っている。
 言いたかったことは、肩・肩関節の柔らかさを求めるときに、胸の中身と呼吸が一体のこととしてとっても大切だということだったのだが。

 今日は、腰・骨盤・股関節について。
 こんな風に部分に分けるのは、野口先生がいきていらっしゃったら、大目玉ものだ。
 先生には、ちょっと目を瞑っていていただきたい。

 さて、からだは「まるごと全体」だから、当然、肩の柔らかさに腰の周辺もかかわってくる。
 この胸部と腹部を隔てる存在として「横隔膜」がある。そのことを中心に書いてみようとおもっている。もちろん、横隔膜呼吸を抜きには語れない。

 腰の中をほぐすに当たって、今度は、「横隔膜呼吸」によって、より深くゆるめることが可能だということをまず、お伝えしておきたい。
 
 野口体操をはじめて、野口先生と電話で話をさせていただくようになって、最初の話題は「呼吸」だった。
 
 これまでのブログにも呼吸に関して何回か書いてきた覚えがある。
 「やすらぎの動き」と「真の動き」、この二つを取り上げてみると、私が、ここまで楽になったのは、「呼吸」だった。

 最初は、「やすらぎの動き」で、広く脚が開くようにとか、上体が床にどのくらい近づいてくれるかとか、「真の動き」で、足先が頭を越え・膝頭が床にどのくらい近づいてくれるとか、そういった形の上での基準を最初は追っていたように思う。
「いやいや、それよりも呼吸をあじわってみたら」
 やり方や、価値観や、姿勢が変わったのは、野口先生のその一言だった。

 どういうことかというと、どんな姿勢をとっても「揺れる」ようでありたい。
 揺れる条件は、楽に呼吸ができること。
 はじめは意識的に呼吸することになるとしても、その動きが楽になると、「呼吸」それ自体のことも忘れても、深く・浅く・ゆっくり・はやく・断続的に・さまざまな呼吸が自由度を増すのだった。

 つまり、手がかりは呼吸なのだ。
 で、「やすらぎの動き」や「真の動き」を行うということは、横隔膜呼吸をタップリ味わう時間をとることを意味していた。
 股関節・骨盤のなかがゆるめられると、横隔膜で支える感覚が目覚めてくれる。
 すると横隔膜をしっかり下げた状態(肺に空気が十分に入っている状態)をキープして、保息(吐くことも吸うこともしない)の状態を維持する。
 その状態のなかで、胸中を揺すり緩め、波の動きをすることで、肩から頸・胸部内の力を抜く感覚をつかむ練習を行っていった。
 それはそのまま逆立ちに入っていく前過程の在り方とオーバーラップしてくる。

 息を詰めるのではない、息を殺すのでもない、タップリ空気を吸って保息の状態で、逆立ちを行う。(注:これは、一つの練習方法だから、他にもあります)
 この方法は、からだの重さがドット一気に移動してしまったり、前後の鉛直方向を見失って、重さが散らばってしまうことを避ける意味でも、感覚練習として欠かせない。

 とにかく腰の中身をほぐす。
 野口体操の逆立ちは「ほぐれの極としての逆立ち」。
 もう一つの鍵は、「呼吸」。それは、逆立ちの最初の扉をひらく鍵だといえる。

 今日は、ひとまず、これにて。
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野口体操との出会い25 ー緊張と弛緩のアダージョ

2005年12月22日 08時38分44秒 | Weblog
 肩の柔らかさというのは、肩だけの問題でない。
 胸部、つまり胸のつかえがない状態だといいたい。
 
 胸のつかえをとるのをご一緒しましょう。
 頸のまわり、つまり頚椎を中心にほぐすこと。ゆるやかに頸をまわしてみること。そのとき腰から揺すって。

 胸部の内部、(肺の先端は、鎖骨のくぼみまで達しているそうだ)肋骨をぐるりとめぐってその内側を波立たせたい。

 呼吸にとって大切なことは「吐く」ことではあると、誰でもがいうようになった。
 しかし、正座をしてあるいは椅子に腰掛けて、胸の内部を揺すろうと思ったら胸を開いて、たっぷり空気を吸い込む「吸う」ことも心地よい。ちょうどよく意識を目覚めさせるには、これだと思っている。ただし、肩や頸に余分な力を入れすぎないことができればの話だが。

 この胸のつかいがとれて、胸がたっぷり開かれて、はじめて逆立ちの手が床につくときに、肩全体がゆるめられる前段階が準備されたといってもいいかもしれない。

 胸囲1メートルの男の心情をわかりたいと、ボディー・ビルを行った作家がいた。それはそれなりの理由も意味もあったことだろう。いけないとはいわない。やらない方がいいともいえない。
 
 しかし、胸部の感覚で大事なことは、呼吸につれて、胸の内側が「膨らみ・萎む」という緊張と弛緩の心地よさを、感じることではないだろうか。

 リズムをかえながら、胸のうちを告白するダンスを踊るような感じで、呼吸のさまざまな在り方を試してみよう。
 自分の胸が楽器で、その楽器で演奏をするような感じで、ときに浅くときに深く呼吸をいろいろに試しながら、繰り返してみたらどうだろう。
 胸の楽器は伸縮自在。
 緊張と弛緩にもいろいろなレベルがある。緊張と弛緩にも多様性がある。
 
 今日の演奏は、アダージョでいこう。
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野口体操との出会い24-宇宙の超微塵子が逆立ちする

2005年12月21日 15時33分07秒 | Weblog
 壁から離れたところに手をつき、つま先を壁に触れていく逆立ちがある。
 拙著『野口体操 感覚こそちから』の中に、写真がありますので、ご参考になさってください。
 この逆立ちは、肩が柔らかければ柔らかいほど、壁から離れて距離をとることができる。
 力ずくで立とうとすると、撥ねかえされてしまう。
 最初から最後まで、「重さ・おもさ」なのである。別の言い方をすると「バランス」で、保ちながら、片足ずつ壁にふれるようにする逆立ちだ。

 野口体操をはじめてかなりすぎたころ、野口先生が我が家をおたずねくださった折に、この逆立ちを教えていただいた。
 そのころには「ひれ伏す動き」が楽になっていたこともあり、手で立つ逆立ちも相当軽くできるようになっていた。
 まずは、壁に近いところに手をついて逆立ちをしながら、動きを止めずに、肩をひらくイメージで、片方の足を壁に近づけていくのである、
 ほんとうに柔らかく、つま先の力を抜いて、でも、つま先に目があるような感じで近づける。もう一方の足も力が抜けているので、先に動きていている足とのバランスをとっている。

 完全に一方の足が壁に触れたら、できるだけゆっくりもう一方のつま先を壁に近づけていく。そのときも肩全体をひらくイメージを持つことだと教えられた。胴体や腰に力を入れて反るのではない。
 手のひらはやわらかく床に触れ、重さで地球とつながること。腕全体ものびのびすると、肩の力が抜けてくる。肩の力が抜けないと、肩を内側から開くなんて、不可能だから。
野口体操の逆立ちは、重さによる釣り合い、先生のことばを借りれば「あや(彩・綾・絢)なる釣り合い」によって保たれながら、逆さまになってしまう、逆立ちなのだ。

 この「重さ」による釣り合いのいちばんの例は、なんといっても宇宙である。
 渦巻き構造をした私たちの銀河・天の川は、1000億個もの星が重力のはたらきで中心部を囲みこむようにして丸く拡がり、あるものは中心に引き寄せられているという。
 私たちの銀河だけでなく、星々の間に働く重力が多くの銀河をまとめあげている。

 逆立ちはごまかしがきかない。宇宙にも通じるごまかしのきかない逆立ちを目指すのだったら、もっともっとからだを柔らかくほぐそう。
 「上体のぶらさげ」然り。「眞のうごき」然り。「やすらぎの動き」然り。「ひれ伏す動き」然り。

 からだの内側から真にほどけてくれるように祈りながら。
 重さで釣り合っている銀河の「星の子」というより「超微塵子」の命あるうちに、ほぐしましょう。
 からだが柔らかくなれば、重さが生きます。
 
 無理をしないのびのびした逆立ち。その逆立ちの愉しさと気持ちよさを、ブログとレッスンでお伝えしていきたい。
 
    ……超微塵子逆立ちの始まり始まり……

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間奏曲ー富士と美女

2005年12月20日 10時32分59秒 | Weblog
 大寒波による大雪の被害が、各地から報告されている。
 にもかかわらず、南関東では晴天に恵まれる。
 この晴天も、今日までと天気予報は伝えているのだが。

 この時期、冬の晴天と言えば、雪を冠いた富士が見える。
 いつも利用しているJRのプラットホームのいちばん西側の端からも、秩父連山の左手奥に、遠く小さく富士の頂が眺められる日が多くなる。
 
 朝日カルチャーセンターが入っているビルの48階からは、夕日の中に浮かぶ富士にお目にかかれる日がある。
 そんな夕方は、ただ、呆然と見入ってしまう。
「西方浄土とは、このことか」
 見紛うほど。赤く燃える西の空に、黒いシルエットになって顕れる富士の姿は、遠景ゆえの美しさだ。

 ここ数年、週に一回、私は、東海道線・茅ヶ崎駅にさしかかる少し手前で
「今日は、どうかな」
 窓硝子に顔を近づけて、富士を探している。
 はじめて目にしたときは、突然ニョキッと姿を現して、びっくりしたものだった。
 絵葉書やお札の富士の姿とは異なって、この地域から見える富士に
「なんと、まぁ、中途半端に近いわ」
 そんな印象を持ってしまった。
 
 見慣れた富士の姿とはことなって、その大きさに異様さを感じたのだった。
 これも先入観のなせるわざ。

「あれだけ野口先生から、先入観をすてて、そのつど新しく見る・触れる・聞くのよ、といわれていたのになぁ~」
 内心反省をするものの、気持ちは複雑。

 今年は、11月後半から続く晴天で、富士が見える回数が増えた。
 心して見ていると、最初に見たあの山の異様さの印象は消えつつある。
 
 女性の顔も、その人にとっていちばん美しく撮れるところがあって、とくに映画全盛時代の大型スター女優は、いつも同じ角度から撮られた写真ばかりを見せられていたように記憶している。 その代表が山本富士子だった。
 最近は、どうなのかしら?
 天上の美女・高嶺の花として近づきがたい存在をキープする時代ではなくなった。私生活までフォーカスされてしまうと、女優も生々しい存在になってしまった。
 
 美女だって、富士だって、ある角度だけの美しさ以外に、意外性の面白さがあるはず。などどと思いつつ、富士の姿を見直している東海道線の車中で
「北斎が描いた富士はとてもいい距離なんだ。やっぱり美女も富士も、ちょうどいい距離感ってものがあるのかなぁ」
 
 昨日も迷った。

「そういえば、富士見坂・富士見台・富士見町、どこも名前返上の憂き目にあっていますね。街は変わった。でも、変わらないのは、なんだ?」
 
 列車は茅ヶ崎駅にすべり込んだ。
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野口体操との出会い23

2005年12月19日 08時52分53秒 | Weblog
 暖冬の予想がはずれて、とにかく寒い。
 昨日は、朝日カルチャー・日曜クラス年内最後のレッスンだった。
 住友ビルに着いたときは、寒くてしばらくコートを脱ぐことが躊躇われた。
 日曜日は、ロビーも閑散としている。それだけでなく寒さで、休む人も多いのだろう。
 
 いつもは聞こえにくいBGMが、音の輪郭をはっきりと届かせている。
 バロックや古典のオーケストラ・弦楽合奏・ピアノ曲などのクラシック音楽が主で、かつて馴染んできたものばかりである。
 
 音楽を聴きながら、椅子に腰掛け、新宿西口方面に目をやる。
 こちらは東だ。
 ビルの谷間では、葉を落とした木々が、風をそのまま通り抜けさせている。
 空は快晴。

 教室は、それとは逆で西向きである。冬の陽が教室の奥まで届くくらいに足を伸ばしている。
 部屋は暖かい。
 こんな日差しを受けると、ぽかぽかして体操よりも昼寝をしたい。冬の太陽は、人の心を怠惰にする。
「それって、もしかすると時には大切じゃない」
 私は思う。
「あくせくしないで、のんびりとしようよ」
 しばらくの間、やらなければならない押し迫った仕事を忘れることだって、大事だ。

 都会の暮らしの中で、ほんの一瞬間でも、自然を愛でる間合いを、野口体操を通して深めていったように思う。
 日差しにからだを晒すと、からだが緩む、からだが和む、からだが愉しむ。
 
 なんとなくギスギスしがちな忙しいひと時に、からだのなかに冬の日差しを取り込んでみよう、と。

 今年も2週間をきりました。

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野口体操との出会い22

2005年12月18日 09時09分17秒 | Weblog
 昨日、朝日カルチャーセンターレッスンでは、「壁逆立ち」を、いろいろと試してみた。
 
 野口体操の「壁でおこなう逆立ち」は、多様である。
 壁にベタッと雪崩れ込んで、重さを支えてもらうのではない。
 ふわっと立ち上がって壁に寄り添う逆立ちだ。
 ●壁から離れてバランスだけで、つま先を壁にふれる逆立ち。からだ全体はアーチを描くもの。
 ●歩いていって・走っていって、壁に寄り添って逆立つもの。
 ●壁に三角倒立で立って、両手を離し「脳天一点」で逆立つもの。
 ●壁のそばに膝を立てて座り、そこからひねって、壁に寄り添うように逆立つもの。
 ●お腹をつけて逆立つもの。
 ●斜めに入って、どちらかのつま先のほんの一部が壁にふれて逆立つもの。 
  
      …まだまだあるある…

 逆立ちは楽しい。
 いや、無理やり立たせるのではなく、軽やかにぶら上げられて(この言い方に慣れるまで私は20年かかった。が、これホント!)逆立ちになったとき、とっても楽しいし、気持ちがいい。

 逆立ちは、人類の文化史のなかで、しない民族はいない。逆さに立つ快感は、世界がさかさまに見えるからだけではなさそうだ。
 逆立ちをしたときの爽快感は、すがすがしい。

 さて、野口先生と逆立ちの歴史は古い。
 群馬県の小学校に戦前赴任した昭和11年から、小学生には逆立ち歩きを基本にしていたという。野口先生といえば「鉄棒」と「逆立ち」だった。20代そこそこの兄貴分が、高等小学校の生徒たちと一緒に、校庭を所狭しと動き回って体操する様に、赤城颪の空っ風もびっくり仰天したとこだろう。

 教室で、逆立ちの稽古を、ひたすら見ているばかりの私も、いつの間にかその仲間に入れるようになった。
 野口体操を習い始めた当初、逆立ちを見るのは、正直言って楽しくなかった。一生、できないだろうという思いが強かったからだった。奇跡が起こったのだろうか。いや、からだがほぐれて「真下・真上」の感覚がつかめるようになったから。「鉛直方向感覚」が、いつの間にか身についたから。足腰から力が抜ければ、やわらかくするすると上がってくれる身体感覚が身についたから………、理由はさまざまである。
 
 それは、奇跡でないことだけは、確かなことだ。
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野口体操との出会い21

2005年12月17日 08時53分11秒 | Weblog
 野口体操と聞いて、私の周辺の人々は大きな危惧感を抱いた。
「体操?」
「無理しない体操なの」
「だって、体操でしょ」
「うぅ~ん」
「力を抜くといったって、それじゃからだ鍛えられないじゃないの」
「いや、その~、あの~、えーとね、鍛えるって、うぅ~ん、鍛えるってどういうこと」
 苦し紛れに出た言葉。
 相手は、今は、つける薬はないみたいだと、引き下がってしまう。
 そんなこんなのやり取りは、数知れず。

 それから私は、野口体操について、口をつぐんでしまった。とりあえず、黙ってやり続けよう。あまり、周りの人に心配をかけないように。
 幼稚園からはじまって、体操や運動会とはいちばん遠いところにスタンスを取ってきた。それをみんなよく知っていた。
「大丈夫なのか」
 というのが正直な反応だった。
 野口体操をはじめた1970代半ば過ぎ。

 若さというのは、時に無謀な行動を選択させるように、他人には見えるらしい。
 当事者には、それなりに自分を納得させる理由がある。
「野口先生は、形はどちらでもいいとおっしゃっているではないか。からだの内側が変化すること、それが大事だと」
 危険といえば危険。しかし、よい方向に変化できれば、当然、形だって変わるはず。
「ダメもとよ」とばかりに、野口体操を暮らしの中でやり続ける環境をじわりじわりと整えた。
 
 1年、2年。。。。。。。。
 
 自分自身の中でなんとなく見積もった「2年」という歳月は、あっという間に過ぎてしまった。「予想は、甘かった」でも、続けるしかない。変化が実感できるだけに、止めてしまうのが勿体なくなった。迷わなかったわけではない。何度、止めようと思ったか知れない。
 
 今になって思うけれど、真っ白な状態で、まっさらな状態で、野口体操に出会って、最初はのろのろ運転すらできなかったのだが、いつの間にか安全運転を身につけて、気がついたら、NHK「訪問インタビュー」の放送では、先生の後ろに控えていた。
 テレビって恐ろしい。20分番組が4日間。「きょうの料理」の放送に続いて流されて
「なんだか、野口体操って本物みたいね」
 あれほど危惧の念を抱かれていた方々が、胸をなでおろされた。
「話を聞いていたら、普通の体操じゃなかったから、あなたがのめりこむのも合点がいったわ」
 大方の批評をもらった。
 大手を振って、「隠れ野口体操」を返上した。
 思えば、長い道のりだった。しかし、先に何の保証もなく、ただ「自分のからだが変わる・動きが変わる・価値観が変わる」「いままでにない価値観に生きる」というある種の冒険にも似た人生から、逃げ出そうとは思わなくなった。

 生き方に地図はない。
 朝に陽が昇り、夕方に陽が沈む。四季によって自然がめぐる。
 都会にいても、自然の分身である自分は、どこまでも自然としての存在なのだから。そこをはずさなければ、何とかなるだろう。
 何よりも読書が、今まで以上に面白くなった。体操が楽しくなった。声がのびのび出るようになった。人は変わることを実感した。
 
 今思うと冷や汗ものだが、最後は「裏をみせ 表をみせて 散る紅葉」で、いいか!
 呆れるほど、楽天的だった30代である。

 そんなころ「ヨガの逆立ち」が、ふわっと立てた記憶がある。
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