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羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

異空間……鞭と遊ぶ

2008年01月14日 19時36分22秒 | Weblog
 一日のうちで、メールやブログのチェックを最初にするのは、朝の5時前後である。
 今朝は5時を少しだけまわったところで、‘芭瑠庵’のブログを訪ねてみた。
 驚きました!
 なんと、昨日、撮影した枚数が2000枚とのこと。

 これから佐治さんの作業はもの凄く大変だ。
 それを受けて選び出すことも大仕事となりそうだ。

 それはさておき私事。
 いままでに体操の動きの撮影は、何度も経験している。
 しかし、今回、初めての体験は「鞭」を鳴らすシーンの撮影だった。
 実は、鞭の最高スピードは亜音速だといわれている。その動きを撮るわけで、鞭の軌跡を追うカメラマンの目というものは、どのような働きをするのか、素人には皆目予想がつかない。難しいことこの上ないだろう。
 被写体としては、音は写らないとはいえ、いい音が出ないときにはいい写真にはならないという当たり前のことを実感した。
 
 五十回ではきかないだろう。相当回数、鞭を鳴らした。
 それも自動車までも撮影可能という大スタジオ。つまり異空間なのだ。
 鞭を鳴らすうちに、私自身のからだの内側で、沸き立つものを感じていた。それは今まで経験したことのない質の快感になっていった。
 周りの灯りが落とされている条件のなかで、鞭を鳴らす自分がスポットライトに照らし出されている。そのなかでいい音がした瞬間は、鞭にからだが溶け込んで一体化してくる。
 この心地よさはやみつきになりそうだということを、昨日は、言葉にはしなかった。いや、出来なかった。一晩、寝て起きたら、ようやく少しずつ言葉になってきたというのが実情だ。
「これってあの空間で鞭を鳴らした人間にしか味わえない特別な体感?」
 それもいい音が出たときの快感なのだ。つまり私自身の動き、それ自体がよい軌跡を描けた時のからだ感覚なのだ。
 
 そんなことが味わえたからどうしたっていうの? といわれればそれまでのことなのだけれど。考えてみれば、これといって人様の役に立つことでもない。
 純粋に動きと音が理想とする世界に遊ぶ、ただそれだけ。だから気持ちがよかった。
 次第に自分がカメラの被写体であることも忘れてしまう。
 只管、鞭を鳴らすのみ。
 大きなスタジオであったが故に実現した体感である。

 思い起こせば、野口三千三先生から鞭をいただいて、空中で鳴らす方法を教えられた。すぐには出来なかった。練習を重ねるうちに、いい音が鳴り始めるには、時間が必要だった。自分のからだに鞭の先が当たった事も何度もあった。
 それから20数年は過ぎている。もっとかもしれない。とにかくこれほどの時間が経過してから、このような実感が得られるとは、想像だにしなかった。
 野口先生も、きっと驚かれているに違いない。
 生まれてはじめての‘よき経験’をさせていただいた。
 空間のもつ力だ。関係が醸す力だ。
 いや~こんなことってあるのよね、って一人で感激している。
コメント (4)
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