羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

法事

2007年09月30日 15時36分16秒 | Weblog
 親戚の一周忌法要から帰ってきた。
 本堂での読経が終わってから、あいにくの雨の中を塔婆をもって墓へ。
 風もあって落着いて手を合わせるどころではなかった。

 来年は父の七回忌である。80歳でなくなった。一周忌には集まって下さった方も、三回忌には何人か欠けていた。生きておられる方も歩けなくなったりしている。最近他界された方もいる。
 1年後の状況は、果たしてどうなっているのだろうか。
 法事はゆかりの方々が少ないと、なんとなくつまらない。
 いちばん出席したい人が、家で留守番ということになるのは、残念なことこの上ない。

 来年は野口三千三先生の没後10年。
 今日は、来し方を振り返えりながら、寒さのなかを帰宅した。
 しんみりと秋が来ました。
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本日のレッスン報告

2007年09月29日 20時03分06秒 | Weblog
 2006年3月30日テレビ東京「朝は楽しく!」に生出演した時のDVDをご覧にいれた。
 司会は辻よしのり氏、ゲストはアニマル浜口氏だった。
 羽鳥は生放送初めての出演だったが、手馴れた雰囲気で40分をこなしているといわれた。司会者の辻さんが動きを言葉にする力がある方で、いい質問をポンポンと投げてくださった。

 今回は、以前とは一味も二味も違った方向から、このDVD記録を説明し、その点を注意して見ていただいた。
 やはりテーマを提示することは大切だと思った。
 ここに具体的には書かないが、野口体操・野口三千三先生の発想が、いかに前衛的であり、現代になってようやく世の中が目覚めてくれたことに驚きを覚える。

 わずかな時間にアニマル浜口さんの表情もすっかり変わって、その素直な対応に好感がもてる。

 さて、もう一つ佐治嘉隆さんが「タコのおもちゃ」を作ってくださった。
 これが名作で、8本の足の動きが、なんとも自由で楽しいものだった。
 昨日9月28日の芭璃庵で写真と動画が公開された。
 生で見るとものすごい動きなのだ。

 で、野口体操の「タコ足運動」が大変イメージしやすくなった。その乗りで「3回しゃがんで立つ動き」もやってみた。舌も巻き舌の連続で、からだも震わせて、ものすごく楽しい。それだけでなく意識が足に集中しないことで、楽々動けてしまう。あたらしい質の動きだといっても過言ではない。

 イメージによってどんどん野口体操は進化する!
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癒し空間

2007年09月28日 18時36分15秒 | Weblog
 駅のそばに「ほぐし屋」が開店するらしい。
 その内装は、個室小料理屋風だ。外からしか見ていないが、チラシの写真をみると、全体に暗く和風を売りにしている。
 いやはやこの界隈は、何十軒も整体・鍼灸・マッサージ・ほぐし・中国手技・タイ式マッサージ・リクラリゼーション……と商店街にも路地にも増えてきている。

 それぞれが演出をしていて、自分の好みに合わせて選ぶことになるのだろう。
 以前、書いた「若者のアンケート」、車に興味がなく、飲みに行くこともしない。地味で健全な暮らしぶりとあったが、疲れたら癒し店に足を運ぶのだろうか。

 いろいろな杞憂が浮かぶ。
 身体にかかわってケアすることが流行になっているのかもしれない。

 老婆心から、思いは複雑に交錯する時代になってしまった。
 以前の「身体おたく」は自らが動いたが、この手の「身体おたく」は人まかせになるのだ。どうなるのか少し見ていたい。
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見えないものへのイマジネーション

2007年09月27日 07時56分52秒 | Weblog
 サジさんが暗闇の意味をコメントしてくださった。
 たとえ蛇と龍を記憶違いで覚えたとしても、蝋燭一つで洞窟のなかを歩く体験は、貴重ですね。
  
 あの洞窟はお化け屋敷より怖かった。
 蝋燭の光で照らし出される彫り物は、全体が見えないからこそ、そこにある意味があったわけです。
 もとは横穴墓だったという話にも頷けますよね。
 そうしたところが霊場になっていくのも。
 特別な空間は、特別な時間を有するところでもある。
 見えるものだけが支配する世界観では、人間の思考が単純化され短絡的な行動を生み出すのではありませんか。
 
 見えないものを見えないまま感じとるイマジネーションこそを育てることが、自分にはわからない他人の苦しみや痛みを共有する感性を育ててくれるような気がします。
 なにより行動の先にある予測はできないからこそ未来への謙虚な姿勢も生まれてくる? 
 意識だけではどうにもならないことがあることを、実感として知らされる体験が大切なんじゃないかなと思いますね。

 もう一度、洞窟の暗闇の意味を問い直してみたい。
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秘密の洞窟!

2007年09月26日 09時07分59秒 | Weblog
 サジさん、たぶんここだと思います。
 よく計算してみると、私が遊びに行ったのは、10歳くらいのときですから48年前、かれこれ50年近くになりますね。驚き(笑)。
 よくこのホームページを探してくださいました。
 当時は庫裏のまえに手付かずの空間があって、自動車は止め放題でした。
 春休みに行ったときなど、池には蛙の卵があったりして、荒れ果てた田舎の寺という感じでした。赤い欄干などなかったし、木も少なかったように記憶しています。

 驚いたのは内部の写真です。
 蝋燭だけをたよりにめぐりましたから、こんな状態とはまったく知りません。ただ怖くて全部は回っていなかったかもしれない。足元も危なっかしく、池のようなところでは滑りそうでしたね。蝋燭の火がときどき消えそうになって慌てて手で覆うんです。
 
 母は大正14年に、今は新宿の高層ビル街になっている淀橋浄水場の脇で生まれ、そこで育ったのですが、タモンイン(漢字はわからない)という寺が家の隣にあって、この弁天洞窟のある威光寺からお坊さんがやってきて子供むきの法話をしていてくれるのを聞いていたと言います。
 祖父が京王多摩川に別荘を持っていて、学校の休みの時には多摩川の家に行き、さらに祖母の稲城の実家へ泊りがけで出かけたときに、この弁天洞窟に出かけていったのだそうです。それは昭和一桁最後から10年代ごろだろうという母の記憶です。

 そんな経緯から私も両親に連れられてこの洞窟に行ったのが最初です。
 このあたりもずいぶん変わったのでしょうね。
 昔、この洞窟はいかにも修行場という感じがありました。
 みんなに滅多に教えない秘密の場所で、ここを知っていることが子供にとって自慢みたいな!
 こっそり大事な友達を案内するって感じです。もったいぶって「あなただけに教えてあげる」みたいな……。
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洞穴の龍

2007年09月25日 20時28分19秒 | Weblog
 今日、火曜日の教室でレッスンがはじまる前の雑談で、小学校のころのことを思いだした。
 読売ランド近くにお住まいの方がいらした。
 実は、東京方面から多摩川大橋を渡ってしばらくいったところを左折。
 小高い山の中腹に洞穴があって、そこには龍の彫刻が壁面に施されている。小さな寺がそこをもっていて、ろうそくを灯して洞穴を一巡りする。お化け屋敷より怖かった思い出話に花が咲いたというわけ。
 その近くに母方の祖母の実家が持つ山があって、小学生のころ洞穴探検に夏休みに何度も出かけていた。今でもありそうだ。
 母も小学生のころにその洞穴に出かけたらしいので、その彫刻は昭和8・9年にはすでにあったらしい。もしかするとかなり古いものかもしれない。

 もう40年くらい前の記憶なので、たどり着けないかも知れないが、一度行ってみたいと思っている。

 その小高い山は多摩丘陵の手前の丘に近い山で、その近くの農家が所有しているはずだという。

 山寺が今はどうなっているのか。
 子供のころの思い出がよみがえって、懐かしかった。
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後期

2007年09月24日 07時22分36秒 | Weblog
 先週から大学の後期授業がはじまった。
 これから来年の1月中旬まで、気が抜けない。
 
 大学で野口体操の正規授業をもって満6年になる。
 18歳から20代前半の若い学生たち、毎回・各クラスの反応は一つとして同じではない。新しいリアクションがあって、なんともスリリングなのだ。
 ということで、気が抜けないわけ。

 学生気質も今年になって今までとは違うような感じがしている。
 平成生まれの学生が入学してきているのだから、自然なのかもしれない。
 身体に対して以前は免疫が少ない学生が多かった。世の中の流れなのか、身体への関心が、単に体育系とは一味違った免疫を持っている学生が現れているような気がする。今のところ、まだ気がする程度でしかないが。
 先週読んでいた学園ものコミック「もやしもん」のような農大だったら、相当に違う反応があるのだろう。うぅ~ん、農大から迎えられたら、野口三千三先生から授かった「野口鞭」を携えて、教鞭をとりにいくんだがなぁ~! なんて、思ったりして。誰かコネありませんか?(笑)

 さて、後期は、どのような展開が可能になるのか、今週は2回目ということで、まだまだ怪訝な表情を「あっ、そうか!」という表情に変えていく授業になりそうだ。

 野口三千三先生が、おっしゃっていた授業のご苦労が、身にしみる秋である。
 
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彼岸

2007年09月23日 18時42分54秒 | Weblog
 野口体操と言うと「東洋系」と思われる。
 事実、大学での講座名は「東洋的フィットネス」という。
 
 生前、野口先生も西洋医学ではなく、東洋医学に思いを寄せていると人と言う印象をもたれた方も多かった。
 
 しかし、先生の場合「東洋でも、西洋でもない」とおっしゃる。
 つまり、軸足は「自分自身のからだ」に置いておられたから。
 薬というものは、東洋だろうと西洋だろうと、副作用はつき物である。したがってあまり薬に頼らない姿勢を貫いておられた。
 必要な場合には、そのときの選択で、最小限にとどめておきたいとお考えだった。

 高熱が出ると氷で冷やしておられた。そのためにお宅の冷蔵庫は氷を作るためにとても大きかった。以前NHKの「訪問インタビュー」に出演されたとき、ご自宅の冷蔵庫が映って、「なぜあんな大きいの」ときかれたことがあった。今ごろになって急に思い出してしまった。
 
 で、どうにもならなくて入院される場合は別として、薬を飲まれることはほとんどなかったのではないだろうか。

 ご自身の判断に責任と自信をもっておられたことを思い出す。
「決定はできないが、その時々に選択はしなければならない。最善と思われる選択を」
 人生は、日々、選択の連続だ!
 選択にもタイミングというものがある。
 最善と思われる選択もタイミングをはずすと、最悪の選択となってしまう。
 どういう時期にどの程度の薬を処方するのか。タイミングと選択力が問われる。

 お彼岸の中日、やはり故人が偲ばれる。
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夏の揚げ物

2007年09月22日 12時01分03秒 | Weblog
 精進揚げは、なんとなく夏のものというイメージがある。
 我が家では一年中なのだが。
 ただ、夏の揚げ物の方が上手にあがる。しばらくしてからもパリッとしている時間もながい。

 最近は、空調のきいているキッチンで、調理する人も多いだろうから、揚げ物は暑さとの闘いというほどでもないかもしれない。
 
 あとは、卵と水の量が問題だ。卵が少なすぎて水が多いと衣は堅くなるし、逆に水に対して卵が多すぎるとあげた瞬間はいいけれど少し時間がたつとペタッとして張りにかける。
 昼食のおかずに、玉葱と枝豆と干しえびのかき揚げをつくった。
 エイっとばかりに入れてしまった溶き卵の量がすこし多かったが、美味しかった。
 枝豆は新潟から届いたものを冷凍にしておいた。
 茹でて甘皮をむいて保存し、昨晩から解凍してあった。
 こうしておくとたくさん頂戴した枝豆を生かすことができていいようだ。
 かき揚げの狐色に枝豆のグリーンが、一際綺麗だった。

 さぁ、これから朝日カルチャーに出かけよう。
 今日も真夏のように暑い。
 すでに秋の彼岸もお中日だというのに。
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豊かな菌界が!

2007年09月21日 18時44分19秒 | Weblog
 連日、時間をみつけては「もやしもん」を読んでいる。
 見えるはずがない「菌」が、肉眼で見えてしまう、農大生の物語を読んでいると、なかなかためになる。いやいや「ためになります」と言った人の言葉の意味が分かった。

 そのことに関連して、思い出されるのは、院内感染について書かれた本のことだった。
 医療を文化と捉えて、どのような姿勢で院内感染に取り組むのかという内容だ。
 アメリカの病院では、院内感染が起こると、菌がなくなるまでその病棟を閉鎖することまで行っているとか。
 日本ではそこまではできない。

 都心の病院は、まったくの密閉空間であり、冬でも浴衣一枚で病人が過ごせる暖房の設定だ。
 で、その著者は言う。
「見えないものを見る感覚が大切だ」と。

 このコミックの絵には、部屋のなかにうじゃうじゃいる菌が描かれているが、まさに病室内はこのような状況にあるのだろう。重患ばかりが入院している病院では、まさにこの通り。

 実は、父が肺癌の術後、院内感染で微熱が下がらなかった。GWの前日に、思い切って退院することになった。
「もし、高熱が出たら、この薬を飲ませてください。それで、ダメならすぐ病院に戻ってください」
 解熱剤をもらい、退院してきた。

 驚くことが起こったのだ。
 自宅に戻って、半日するうちに、微熱が下がった。
 翌日も、平熱だった。
 自宅に戻すという判断は、間違っていなかった。
 
 このコミックを読んでいると、人間界のほかに「菌界」が一つの大きな生命グループを形作っているのだと思えてくる。
 そして生きものは腐敗するということが、生々しく伝わる。

 ゆっくり読んでいます!
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古い建物

2007年09月20日 19時04分05秒 | Weblog
 昨日の朝日新聞夕刊に「立教大の木造洋館 お別れ」の記事が載った。
 昭和初期にたてられた宣教師宅で、現在は事務室として使われていた。
 コロニアルリバイバル様式と呼ばれるらしい。左右対称構造で、二つの住居に分かれている。外壁は白、屋根は薄い緑の落ち着きがあるが明るい建物である。

 新しい学部の新設に伴って、教室棟を建設するらしい。
 解体の際に建て方や部材を調査したうえで、復元方法を考えたいとしている。

 さて、本日、後期の授業が始まった。
 体育施設のある建物には、この前を通っていく。
 記事の通り、中から事務用品を運び出していた。
「やっぱり、記事は、本当だった」 
 寂しい限りである。
 なんでも21日、22日、24日に、校宅の見学会を開くそうだ。

 文化財や古い建物を維持するのは、大変なことだ。
 とりわけ都心では。いや、都心だから、残したいのだが。

 我が家でも狭い敷地に、大正15年の蔵を残した。
 二間半の三間という一般的な大きさの建物だ。
 関東大震災の後に建てられ、昭和の戦争、第二次世界大戦では、この蔵だけが焼け残った。

 お訪ねくださ方は皆さん「残してよかったですね」といってくださる。
 その言葉が救いだ。
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遠方より友来る

2007年09月19日 18時35分56秒 | Weblog
 野口三千三先生が亡くなった当初、何人もの、いや、何十人も方々にお世話になった。ご心配もおかけした。しっかり支えていただいた。
 
 今ではすっかり落着いた私だが、ここまで持ちこたえられたのは、支えてくださったお一人おひとりの思いの深さだと、感謝している。

 本日、我が家をお訪ねくださった方にも、お世話になりました。
 夜中に、早朝に、電話を差し上げた。その都度、的確な判断をくださった。
 当時は、秋田が職場ということで、いただいた電話代は、相当な額にのぼったのだろう。そのままお礼もせずに10年近くの年月が過ぎようとしている。

 人は人によって生かされていることの実感が積み重なった10年だった。
 久しぶりにお目にかかると、お帰りになった後も、当時のことが次々に思い出された。
 遠方より友来る。
 時は容赦なく流れていくが……。
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もやしもんって 何?

2007年09月18日 18時52分35秒 | Weblog
 久しぶりに再開したブログ「健康誌デスク、ときどきギタリスト」に、初めて聞いた言葉があった。
「もやしもん」今、人気が出てきた学園ものマンガ本の題名である。
「もやし」?

 で、火曜日の朝日カルチャーのクラスに、農大で発酵学(何という名称か、正確な名前を聞くのを忘れました)を学んだ方が参加しておられるので伺ってみた。
「もやし」とは、麹のことで、「もん」をつけると、麹を扱う人らしい。

 当然、彼もこのマンガを読んでいて「ためになります」とおっしゃる。
 農大に入学した種麹屋の息子が主人公になっているらしい。
 主人公は子供のころから、そのへんに漂っている微生物を肉眼で見ることのできる特殊な才能の持ち主とか。。

 朝、レッスンがはじまる前に、この話でもちきりになった。
 ついでに神田明神の入り口にある「天野屋」さんの話にも及んだ。
「米麹は本当に甘いですよね」
 砂糖をまったく入れなくても、天野屋さんの「甘酒」は甘いのだ!

 ここの納豆は粒が大きくて、食べる前に自分で包丁でたたき、ねばりを出しながら細かくしたものに和からしと醤油と葱を混ぜあわせ、あたたかいご飯に乗せて食べると、その美味しさは「たまらないよね」と話をしていた。

「もやし」という業界用語を知ったことがなんだか嬉しかった。
 左のブックマーク「健康誌デスク、ときどきギタリスト」から「もやしもん」をお読みください。

 発酵食品は、時に匂いについていけないこともあるけれど、大体において美味しい。
 たとえば、私、牛乳は好きではないが、チーズとヨーグルトは好きなのです。
 日本の発酵食品もほとんど好きなものばかり。
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エネルギー切れ

2007年09月17日 19時22分19秒 | Weblog
 このところ原稿書きにいそしんでいて、ブログがおろそかになっている。
 今日も一日、編集者のダメ出しにそって、直しをしていた。
 何もないところから、一文字一文字、生み出していく作業は、なかなかに大変だ。

「筆が滑ってます」
 その一言がないと、突っ走ってしまう。

 最初の著書『野口体操 感覚こそ力』は、900枚くらい書いて、600枚強採用された。
 削って、削って、とことん削って、削れるところがあるほうがいい文章になってくれるという経験がある。

 今度はどうなるのか、皆目検討がつかない。
 というわけで、しばらく、こちらのブログへのエネルギー切れがはじまっている。
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ダンスステップ

2007年09月16日 19時18分43秒 | Weblog
 今日は、日曜日のクラスの7月~9月期の最後だった。
 あっという間の三ヶ月である。
 中教審の答申で体育に「武道とダンス」が必修になるという記事が新聞に載っていた。その話題で、野口先生が12月に必ずやっておられた「ジングルベル」のフォークダンスの話をした。
 このクラスでは、何年もお伝えしていなかったことがわかった。
 先生没後、いつの間にか避けていたのだ。

 今年の12月には、かならず行えるように、準備をはじめることにする。
 私が教室に通い始めたこる、いろいろなダンスステップをやっていたことを思い出した。

 没後10年。
 あっという間、実に短かった。いや、待てよ、よく振り返ってみると、長い10年でもあったと思える。
 記憶から抜け落ちていくことがいろいろとありそうだ。
 最近やらなくなった動きもほりこしてみようと思いつつ、帰宅の電車に乗り込んだ。
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