羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

都01、都02、都03路線と荷風散人への想い

2009年06月29日 15時22分42秒 | Weblog
 都バスのことが気にかかった。
 こんなときインターネット検索は便利だ。
 何が気にかかったか、というと‘都03’の前の二つだ。

 都01:渋谷駅前⇔新橋駅前で、青山・西麻布・六本木・赤坂・虎ノ門を経由する。

 都02:大塚駅前⇔錦糸町で、上野・真砂坂上・寿町・御徒町・蔵前等々を経由する。

 都02乙:池袋駅⇔錦糸町。こちらはコースが一部異なる。
      雑司が谷・護国寺・後楽園、水道橋・神保町・一ツ橋の二系統ある。

 おそらく晴海ふ頭行きは、もともとは新宿⇔晴海だったに違いない。
 新宿、渋谷、池袋、大塚、すべてが山手線が起点になっている、と考えたい。
 はとバスに乗らなくても、都01・都02・都03に乗って見ると面白そうだ。
 
 東京の街から都電が廃止されて、辛くも都バスが残されたと考えてみると感慨が深くなる。
 日和下駄を履いて、コウモリ傘をステッキ代わりに散策する荷風さんの後ろ姿がこれらの三系統のバス通りに浮かんでくる。もちろん市電(後の都電)に乗っている荷風さんだっているのだ。
 東京駅を中心にして、省線(JRの前、国電の旧称)山手線内を結びながら、東京の少しはずれに向かうバス路線だ。
 そう思うと一度この三系統には乗ってみなければなりますまい!
 
 
 
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四谷⇔晴海ふ頭

2009年06月28日 08時36分15秒 | Weblog
 都バス・都03系、四谷⇔晴海ふ頭を検索してみた。
 平日の朝、8時の通勤時間帯だけ一時間に3本出ている。
 あとは2本、ほとんど昼間の1本ということだ。
 そして土曜日と祝祭日は、終日、一時間に1本。

 しかし、このコースは東京の中心を通る。
 四ッ谷駅から、半蔵門・日比谷・有楽町・銀座・そして勝鬨橋から晴海ふ頭まで、車が順調に流れていれば40分~50分内で到着できるはずだ。
 考えてみるといちばん多くて四台、通常二台のバスの往復で路線が成り立つのではないだろうか、と素人計算である。事実を都バス営業所に確かめてみたい!
 地下鉄網が完備して、東京のバス路線が縮小されて、不便を感じてるのはご年配の方らしい。
 実は、交通渋滞さえなければ、バスは楽で便利な乗り物のだ。
 地上と地下深くの昇降は、たとえエスカレーターやエレベーターが完備されていても、子供や年寄りには大事であるに違いない。
 
 今や東京の地下鉄は便利なことこの上ない。
 しかし、乗り換えの時間を計算に入れておかないと、地下道内の移動は相当な距離があることが多い。下手するとバス停留所の二駅くらいは歩くことになる。
 もう一つ、道が覚えられない。
 道路移動であるならば、東西南北感覚、それぞれの街が持つ空気・雰囲気が自分の脳の地図に加えられる。
 そのことは人間の能力に、より精緻に二次元を読み解く力を付加してくれると思う。
 つまり、平面地図に立体感と時間感覚と街(風土)の特色がリアルに記憶されて、ひいてはのっぺらぽーの空間感覚から、より活き活きした空間認識‘読みの力’を育ててくれることに通じると思う。

 願わくば利用者が激減しても、このバス路線を完全に廃止しないでもらいたい。
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一時間に一本のバス

2009年06月26日 15時12分35秒 | Weblog
 四丁目からバスに乗って帰路につこうと思った。
 ちょうど交差点の脇にある交番の前に、お巡りさんが立っていた。
「一時間に一本ですよ」
「えっ、一本ですか」
「停留所は、あそこ……」
 立っている交差点から10メートルほどありそうだ。

 昔、よくバスで通ったことがあった。
 七十五歳で逝った知人の遺作を見た帰りだった。
 大作三点。‘鉄線’‘椿’‘石楠花’を描いた日本画である。
 グループ展のお一人から手紙を戴いて、亡くなったことを知った。
‘椿’の絵は、まだ完成ではなさそうだ。
 もっと色を重ねる画風だから。
 しかし、いい絵だ。
「お連れ合いを亡くされてから、急いで追いかけてしまわれたようね……」

 街にでると真夏の太陽が、ちょうど真上にあった。
 なんとなく弔いの気持ちから、ゆっくり家路につきたかった。

「そうですか。四谷までですか」
「地下鉄が早いですよ」
 街を案内するボランティアの男性が親切に語りかけてくれた。
「ありがとうございます」
 
 子供のころ銀座に出るのは、新宿から晴海行きの都バスか、有楽町から歩くか、父が運転する車か、いずれにしても移動は地上だった。
 自宅からの往路。
 半蔵門を抜けると皇居のお堀が目に入ってくる。
 白鳥をみると心が蕩けた。
 今ではお堀に住む鯉が、小魚を食べて大きく育っていると麹町に住まう知人から聞いたばかりだ。
 さて、そこから警視庁の前を通り、日比谷から一気に直線道路を四丁目の角まで走り抜ける。
 帰りはその逆。

 よく林家三平師匠、おっと先代の三平師匠と乗り合わせたことがあった。
 もちゃもちゃ髪にサングラス。誰の目にもわかる出で立ち。
 何気なく車中の会話に聞き耳をたて、風俗を観察しているらしいことが、子供の目にもうかがえた。
 いつの頃からか私も電車やバスや列車に乗る際には、本や雑誌を読んだり携帯をみたり音楽を聞いたりはしない。
 風景を眺めたり、乗り合わせている人々の人生を想像したりしながら過ごしている。
 三平師匠の姿が、子供心に焼きついて、それに習ったような気がする。
 
「そうか、新宿⇔晴海間の都バスは、四谷⇔晴海間に変更されて、一時間に一本となったのか」
 残念! 無念! でも、まだ走っているんだ!!
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成人歯科健康診査

2009年06月24日 18時26分28秒 | Weblog
 先日、平成21年度、区が行っている‘成人歯科健康審査’の通知がきた。
 区内に在住している30歳・35歳・40歳・45歳・60歳・70歳が対象だ。
 指定医院に予約をとって、本日の午後に受診してきた。
「もう、二十年、歯医者さんに行っておりません」
「見せていただきましょう」

 その結果は、‘とてもきれいです。これからもこの状態を維持なさってください!!’
 渡された受診票兼実施報告書(受信者交付用)に書かれていた。

 女医先生はびっくりしておられた。
「なぜ、二十年も……」
 つまり、高校生のとき、奥歯の虫歯がひどくてそのときのかかりつけ医が考えてくれた。
 そこで一回目の奥歯歯並び矯正を行った。
 次に三十代半ばで、前の矯正で顎に違和感がでて、今度は噛み合わせのための矯正を行った。
 これは野口先生が紹介してくださった西巣鴨の歯医者だった。
 一年以上をかけて、十本以上の歯を治療した。

「歯並びがとてもいいので、歯磨きがよくできるんですね」
 確かに歯間ブラシ+デンタルフロス+歯ブラシを使って、3分から5分程度毎食後に磨いていることを伝えた。

「それにいい金を使ってらっしゃるから、二十年以上たってもピカピカですわね」
 女医さんは満面の笑みを浮かべている。
 こちらも嬉しくなった。
 なんでも歯医者によっては金に混ぜ物をしていて、しばらくすると黒く変色するそうだ。
 そのように指摘されて鏡をのぞくと、確かに光輝いているではないか。

「少し汚れだけとっておきましょう。この治療をされた先生にお見せになって。こんなにきれいだとお喜びになりますよ」
 そういわれて歯科医院をあとにした。

 正直言って、とても気分がいい。
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封印を解いた日

2009年06月23日 07時28分10秒 | Weblog
 昨日、授業で‘上体のぶらさげ’ヴァリエーション‘放り上げて何回か弾ませる動き’の封印を解いた。
 大学で授業を持つようになって、今年で八年目を迎えている。
 その間、いくつかの動きを封印してきた。
 その中の筆頭がこの動きだ。
 学生に誤解して欲しくない思いからだった。
 実はそれも一つの理由ではあるが、いちばんは私の性格にある。
「羽鳥さんって、石橋を叩いても渡らない人なのね」
 野口先生時代に朝日カルチャー土曜日クラスで受講されていた精神科医の方の評。

 今回は、静かな空間で、学生同士の関係もよく、さらに2008年度前期に履修した学生が二人も混じってくれたことが大きかった。
 そして後期もほとんどのメンバーが揃って履修してくれることになっている。
‘継続こそ力’とは、真実である。

 皮肉なことに授業時間の合間、十分の休み時間に毎回構内アナウンスが入る。
「最近、大学内でカルト集団や悪質商法の勧誘等が発生しています。言葉巧みに勧誘しますので、携帯電話番号などの個人情報を漏らさないように気をつけましょう」

 ときに野口体操の動きは、間違われる可能性がある。
 たとえばマスコミの取材など、「えっ、凄い動きだ」と。
 ようやく私の中で、困った意味での誤解なく、動きの真意が伝えられるような気がしてきたのが昨日だった。
 予定には全くなかったこと。
「今日は、いいかも」
 そんな気がした。
 皆さん、自然に動いてくださったのだ。
 石の上にも三年、桃栗三年柿八年。
 まだまだ小粒だがようやく実がなりはじめた予感がする。
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教室の花束+芭瑠庵のタチアオイ

2009年06月22日 18時42分48秒 | Weblog
 先週末、土曜日には、サプライズで盛り上がった。
 朝日カルチャーの講座を受講していらっしゃる方から、退職される二階のぶ子さんに花束贈呈をしたい、という申し出を随分前に受けていた。
 いざ、実行の日が来た。

 いちばん若い男性が、彼女を呼びにいく係り。
 その前に段取りを打ち合わせ、彼に大役をお任せすることに決定。
 出かける前に大きな花束を崩して、人数分に小分けした。

「どうしたの?????」
「二階さん、誰もいないの」
「ええっ~っ」
 その会話を聞きつけた皆は、隠れていた男性更衣室から手に手に数本の花を持ってあらわれた。

 その後は一人ずつ言葉を添えながら手渡す。
 その間、サジさんは、シャッターを押し続けていた。

 よきプロディーサーとよきディレクターがいて、興奮が教室内に渦巻いたのである。
「来週、皆さんにお別れのご挨拶をしようと思っていました。驚いて、嬉しくて……」
 とおっしゃりながらも、しっかりスピーチをなさった。

 拍手、拍手、拍手、拍手。。。。。。。
 サプライズ花束贈呈は、いい雰囲気で終了。
 レッスンの途中の出来事だった。

 後日談といってもその日の晩、‘芭瑠庵’のブログをひらく。
 三色のタチアオイの写真が載せられていた。
 美しい! 美しすぎる!
 彼女が世界でいちばん好きな花を、プレゼントしておられた。
 憎い!ですな、サジさん。
 いやいや泣けますよ。
 羽鳥が泣いてどうする、と言われそう。でも30数年の思い出が次々に浮かびます。
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壱岐……麦焼酎発祥の地

2009年06月18日 08時43分54秒 | Weblog
 下戸なのに、先週以来‘焼酎’の文字が目にスーッと入ってくるようになった。
 本日、日経新聞広告欄、全面広告「麦焼酎発祥の地 壱岐の島」に釘付けになった。

 何でも‘海のシルクロードの終着点’と呼ばれる玄界灘に浮かぶ島が、壱岐だそうだ。すでに16世紀、この地に麦焼酎が生まれたらしい。
 大陸文化・文明は、この島を中継点として本土に伝播するその歴史の中に‘麦焼酎’が鎮座していることが伝わってくる広告文なのだ。

 なんと神道発祥の地でもある。
 いやいや、だから神事と不可分の酒(どぶろく)文化が生まれたのだ。
 玄海酒造の麦焼酎、‘壱岐’‘瀧泉’‘松永安左エ門翁’と、名前もいいじゃない。

 あぁ~、呑みたい!
 古伊万里や古唐津、果てはシルクロードを西に向かって中東に残る古ガラス等々の少し大きめの陶片やガラス片に海の幸・山の幸を盛り、さらに小さい陶片を箸置代わりに。グラスは厚みのある切り子。
 これからの季節はお湯割りではなくオンザロックにするのもよし、と想像しただけでクラクラしてしまう。

 かれこれ7・8年前、佐賀県武雄市の教育委員会主催の体育研究会でこの地を訪ねたとき思ったことがある。
 老後は佐賀に住みたい、と。
 空気がいい。
 食べ物が美味しい。
 神社の鳥居が大きく立派に見える。
 実は、東京に戻って、町を歩くとき、あるいは車に乗って走っている車窓から見た鳥居の大きさは、武雄で見た鳥居とさほど大きさに違いが無いことを改めた確認した。
 しかし、目にうつる風景の中では、周辺の建物が巨大すぎて、鳥居が小さく貧相に見える。
 たとえば靖国神社の鳥居くらいは大きく立派だけれど、風情が違う。
 新宿花園神社にいたっては、どこに鳥居があるのか目を凝らさないと見逃してしまいそうだ。
 つまり神社も神木も、東京の町中ではありがたさが失われてしまっている。
 それは大きさの問題だけでなく、世界都市として変貌を遂げた‘東京’が失った心の支柱の姿なのかもしれない。

 今、フランスどころか、バリ島どころか、壱岐にも出かけられない。
 せめて‘壱岐焼酎’でも呑めたらなぁ~。。。。。。。。
 そんなことを思って朝食の準備で冷蔵庫からつくり置きしてあった‘ヒジキの煮物’を取り出そうと黒い蓋物に手をかけた。
 心はすっかり焼酎に取られた手が滑って、冷蔵庫から床までヒジキをこぼしてしまった。入れ物は幸い壊れなかったが。

 あぁ~あ、朝から始末の悪いことといったらない。
 酔っ払ったね! 「麦焼酎 浪漫紀行 特別編」広告に……。
 7月1日は「壱岐焼酎の日」だそうだ。
  
 
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月刊『秘伝』7月号

2009年06月14日 19時00分58秒 | Weblog
 朝日カルチャーセンター新宿主催「身体サミット」(2009年4月4日)のリポートが、『秘伝』7月号に掲載された。
 国内外の身体ワークを積極的に企画してきた朝日カルチャーの二階のぶ子さんの集大成のセミナーという位置づけで紹介されている。

 長谷川智さん、河野智聖さん、そして羽鳥の三人を「朝日カル三賢人」と称してくださって、お二人はともかく私はなんとなく恥ずかしい気がする。
 しかし、今回のセミナーは、野口体操が戦後の身体ワークをリードし、思いがけないところで影響を与えたことを踏まえて、話を展開する内容となった。

 あの日、野口三千三先生がしっかりおりていらしていた! と皆さんが感じられたのだから、羽鳥に憑依現象が起こったのかもしれない、と考えれば‘三賢人’でもおかしくない。

 内容についてはここでは触れないでおきたい。
 すでに書店に出ているので、手元で読んでいただきたい。

 一言、三十数年前に野口体操を朝日カルチャーで開設し、それ以来支え続けて下さっていた二階さんとの最後のセミナーがリポートされ、記事として残されたことが二重の喜びとなった。

 特筆しておきたいことがある。
 実は、二階さんの尽力なくしては、野口体操の社会化はここまで到達できなかった、と思っているのは私だけではないということ。
 長い時間を野口体操を通して、非常によい距離感で一緒に過ごしていただいた。
 これから会社を離れて、新しい関係が結ばれることが予想されることだ。
 具体的にどのような形かは、今の時点ではわからないが、必ずよい関係が生まれるものと確信している。

 まず、この記事は一つの区切りとなって、新たな出発に際してのメモリアルでもあると思っている。
 この場を借りて取材してくださった『秘伝』編集部の下村敦夫さん、ありがとうございます。

 忘れてはいけない。
 当日、ご参加くださった皆さんにもお礼を申し上げたい。
 長谷川さん、河野さん、お二人とは朝日カルチャーが結ぶご縁をいただきました。
 さぁ、新たな時代に求められる‘身体ワーク’をもっと深め、しっかりと社会に根付かせたいと思いが沸々と湧いてくる記事にまとめられた、と言う印象を持った内容にしていただいた。

 インターネットの時代であっても、やはり手元に残せる記録の意味は大きいと思う。あえてそれを‘活字媒体’と言わせていただきたい。
 蛇足:『秘伝』は、マニアックな雑誌だ!
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神の河……コンブラ瓶のロマン

2009年06月13日 11時49分36秒 | Weblog
 どっしりとした形。
 いかにも古めかしいラベル。
 そこには「JAPANSCHZAKY」と記されている。
 オランダ語でヤパンセ・サキー、つまり‘日本の酒’という意味である。

 このコンブラ瓶には、時空を超えた物語があった。
 話はこうだ。
 これは、染付け白磁の燗付徳利に似た形で、醤油や酒の輸出用の瓶のこと。
 別名‘蘭瓶’とも呼ばれた。
 1650年頃から明治末期まで、オランダ東インド会社によって、東南アジアやオランダ本国に、長崎出島から盛んに輸出された。
‘コンブラ’とは、オランダ語のコンブラドール(仕入れ係)を語源に持つという説がある。
 鎖国当時出島から自由に出られなかったオランダ人のために17人の買い物使いがいて、彼らをコンブラ仲間と呼んだらしい。
 また一説には、仲買商人「金富良商社」によって輸出されたので、その名前がついたとも言われている。
 どちらが本当かは、定かではなさそうだ。

 で、この瓶は長崎県東部東彼杵(そのき)郡波佐見町でつくられた‘波佐見焼’である。
 この地は近世以来400年、染付けと青磁を中心とした窯業地である。
 江戸後期には大村藩の特産品として日本一の生産量を誇ったと言われている。
 九州佐賀県武雄に近く、有田焼の地とも隣接している地域だ。
 おそらく焼き物に適した‘天草陶石’が産出する地であることが産業として成りたつ基盤であると思われる。
 唐津焼、有田焼、そして波佐見焼は、九州の焼き物三大といってもよいだろう。

 さて、コンブラ瓶にまつわる時空を超えた物語の本題とは。
 たとえば江戸初期の鎖国によってジャワに送られたオランダ人妻や子にまつわる悲しい物語が数多く残っているが、その中の一人ジャガタラお春の調度品にも‘コンブラ瓶’が含まれていたらしい、とか。
 目を転じてフランス。ここでは皇帝ルイ14世が料理の隠し味として醤油を使っていた。その瓶でもあったとか。
 さらにロシアでは、トルストイが自室の書斎に一輪挿しにしていたとか。
 私の勝手な想像の翼を拡げてみると、瓶に挿した赤い薔薇に年若い恋人の面影を見て、60歳を過ぎて家を出る覚悟を決めたかも知れない、なんちゃって。
 単に輸送に適している強さを持つ瓶が、その形と色で東洋の神秘を醸し出し、歴史に深くかかわっていく面白さに胸が躍るのだ。

 さて、さて、‘神の河’を詰める瓶に、このコンブラ瓶を選んだ酒造元のセンスにすっかり惚れこんでしまった私だ。
 この瓶は白磁青の染付けではなく、ガラスでつくられている。
 しかし、ラベルの雰囲気は、東南アジアやオランダに運ばれていた時代の雰囲気をそのまま残した書体や色使いなのである。

 実は‘神の河’は、コンビにでも売っているありふれた酒だった。
 私は、輸入食品店でもちろん酒類も扱っているお店だが、なんとコンビニよりもお安く手に入れた。
 一本、1170円也。なんだかとっても嬉しくて!

 こんな身近な焼酎に、江戸期から明治に変わる激動の時代を彷彿とさせてくれる歴史の付加価値が心憎い!
 
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神の河……その後

2009年06月12日 18時45分16秒 | Weblog
 思いがけず‘神の河’に出会った。
 焼酎だけにそれほどお高い酒ではなかった。
 いやいや、焼酎としてはそれなりの値段かも。

 さて、手元に置いて感動している。
 なぜって、まず、瓶。
 胴が太くずんぐりしている形は安定感そのものである。
 どこかレトロ。
 で、箱に書かれている文字を読んでみると、なるほど。
《1867年(慶応三年)、パリ万国博覧会に薩摩の酒『焼酎』が出品された時のコンブラ瓶を形とり造ったものです》

 アルコール分25度。 原材料・麦、麦こうじ。

 いつか試飲会でもひらいて、みたいものよ。
 でもね、私は、どうするの?
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神の河

2009年06月11日 19時16分17秒 | Weblog
 授業前に、池袋の東武デパートの日本酒売り場に立ち寄った。
 まぁ~驚いたこと!
 小さな酒蔵の酒から、大企業酒造メーカーのお酒、各地の地酒、もの凄い量の日本酒が並んでいた。
 どの酒瓶も「我こそは……」といった風情で迫ってくる。
 下戸の私でも自宅に何本か並べておきたいくらいの興味をそそられた。
 なかなかの雰囲気である。

 実は、生まれて2回目のお酒コーナー探訪である。
 一回目は数年前、日本橋三越に暮の29日に出かけて、新年に届くように‘商売繁盛’と銘打った二升瓶の日本酒をお世話になった工務店に贈った。

 で、本日はわけあって‘神の河’という名の麦焼酎を探しに寄った。
 神の河と書いて‘かんのこ’と読むらしい。
 酒造元は「薩摩酒造」で、3年以上の長期にわたって貯蔵した酒らしい。
 日本全国の焼酎が置かれているのに、この一本を残念ながら見つけることが出来なかった。

 インターネットでも手にはいるらしいが、他の店も探してみようと思っている。
 だって、あの壮観な日本酒類を見る楽しみは相当なものだ。
 もしかして‘利き酒’は出来るかもしれない、なんて夢想している。
 
 しかし、なぜ‘かんのこ’と言うのだろう。
‘神の子’かな?

 ご存知の方お教えください。
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ミミズたちの戯言……とんでもない課題

2009年06月10日 19時54分59秒 | Weblog
M子さん「で、野口先生がミスターニッポンの審査委員長をしたときに、筋肉を誇るだけでなく、違った方向からも肉体に目を向けて欲しいと考えていらしたみたい」

C男君「具体的に何かやったの?」

M子さん「コンクールの課題にランニングと野口体操の‘二拍子+三拍子’を入れたらしいわ」

A子さん「えぇ~! それは無いわね。だって、足が三拍子で手が二拍子、そしてその逆をもある、あれでしょ」

M子さん「そうそう。かなりの反発を招いたようだわ」

C男君「そりゃそうだろう。あれって出来るようになるまで、結構な時間がかかるんだぜ。鏡をみながら○○筋がどうのこうの、とやってる男たちが、我慢して練習できるわけがない。目に浮かぶよな。オレだって、笑っちゃうよ」

M子さん「そうよね。先生の考えは素晴らしいんだけど、時に‘そうは言っても’とか‘お言葉を返すようですが’なんていいたくなることってあるじゃない」

B子さん「あるある。おっしゃることは正しいだけど、そのまま自分の暮らしに持ち込めない、みたいな」

C男君「いや、そこがいいじゃない」

A子さん「でも、そんな課題を出すなんて、やっぱり先生だわ。あたし、そういうところが好きなのよ」

B子さん「わかるけどね。一般論を言っただけよ」

M子さん「昭和30年代初めに、三島がそのコンテストで優勝するなんてことはありえない。でも、いつの回かは定かではないけれど、石原慎太郎も会場に見物しにあらわれたらしいわ」

B子さん「へぇー、どんな感じだったのかしら」

M子さん「冷ややかさと嘲笑が入り混じった表情だったらしいわよ」

C男君「僕の想像だけど、石原はもっと自然に肉体を鍛える人じゃないかな。海の男だもの。なんか若き日の石原がミスターニッポンコンテスト会場に立っている姿を想像するとおもしろいよなぁ」

M子さん「三島は石原にもの凄い競争心を燃やしていたでしょ。太宰治は大嫌いだったみたいだけど。『実感的スポーツ論』のなかで、剣道を例にとって汗をかく快感をしらない文学者に侮蔑感を抱いていることをほのめかしているの」

C男君「剣道か。あの声、汗のにおい……、たまらんからな」

A子さん「たまらなくいいと感じるの。それとも我慢なら無いくらいやなの?」

C男君「その道にはいれば、いいほうだろ」

M子さん「三島は、剣道の嬌声と汗のにおいは嫌いだったのよ。でも、肉体に自信を持つようになってなんとも言いがたい快感を知るわけ」

A子さん「つまり、男に目覚めたってわけね」

M子さん「先生は、そうした三島に興味を持っておられたみたい。もちろん三島にボディビルを指南した玉利さんは、ずっと三島を見守っていらしたらしいの。で、とくにボクシングを始めたときに、それだけは止めた方がいいと進言なさったそうよ」

C男君「そうなのか」

M子さん「進言を聞いたかもしれないけれど、ボクシングはすぐ音を上げたらしいわ」
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本日、いろいろ……

2009年06月09日 19時19分25秒 | Weblog
 午前、朝日カルチャーレッスンは無事に終了。
 午後、大学の授業では、DVDを見せるのに、係りの女性が不慣れで、手違いばかり。やたら大音量で見ていただく。

 その間、昨日ファックスされてきた「日経ヘルスプルミエ」の漫画部分のゲラ校正。帰宅して電話連絡。明日には文章の部分が送られるとのこと。
 日経新聞土曜日のU-29で連載予定だった劇画「結い 親鸞」は、作家の不祥事で取りやめになった。たった一回で終了とは情けない! これは余談。

 今日は、いいこととやなことが交錯した一日だった。
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ミミズたちの戯言……軍国主義への反発

2009年06月08日 14時15分16秒 | Weblog
C男君「ところで、野口先生はボディ・ビルのミスターニッポンのコンテストの審査委員長をなさってたって聞いたことがあるんですが?????」

M子さん「そう、ボディ・ビル協会が発足する前からかかわっていて、審査委員長を3回なさったそうよ」

A子さん「へぇー、そんなんだ。でも、先生とボディ・ビルって最初は結びつかなかったわ。野口体操のゆるゆるからはね」

M子さん「藝大に赴任する前、いや、もっと戦中にはご自分でバーベルをつかった今で言うところの筋肉トレーニングもしてらしたそうよ」

B子さん「そうよね。お若い時の写真を拝見すると、マッチョですもの」

M子さん「相当なマッチョだわね。で、協会では理論面での指導を中心になさっていたらしいの」

C男君「じゃ、どうして協会を辞めることになったのかなぁ」

M子さん「それはね、理事長の方にうかがった話。長くなってもいい」

A子さん、B子さん、C男君がいっせいに「いいよ、いいよ、聞かせて」

M子さん「ボディビル協会を発足させた玉利さんは、名家のご出身で、貴族院議員をなさったご親戚の方がいらしたみたい。そのほかいろいろでとにかく議員会館の自民党の一室を借りることが出来たらしいの。昭和29年から30年代初めにかけてね」

A子さん「凄い人なのね」

M子さん「そうそう。それで、早稲田バーベルクラブの延長線上にボディ・ビル協会をつくり上げたことと学生がそのまま理事長になったようなことで、右も左もわからず、協会運営について話し合うと時間ばかりかかっていたんですって」

C男君「それじゃ、三島の言葉をそのまま実現していったなんて、苦労だったろうね」

M子さん「それで、すったもんだの話し合いの場に、議員さんが‘いつまでごたごたやってるんだ’って、怒鳴り込んできたんですって。その人の名前を聞けば、ふ~んって思う人よ」

B子さん「誰?だれ?」

M子さん「今日は、言わずにおくわ。で、その高飛車な物言いに、戦前戦中の軍隊の命令口調を感じた先生は、ムッとなって部屋を出て行かれたんですって」

B男君「それが最後ってわけか」

M子さん「お察しの通り。それっきり協会には顔を出さなくなったんですって」

A子さん「情景が目に浮かぶわね」

B子さん「先生らしいわ」

M子さん「それは一つの理由で、他にもあるの。その協会の話を聞いていろんな人が集まったんですって」

A子さん「たとえばどんな人?」

M子さん「デンマーク体操やスェーデン体操の指導者や、旧軍人で兵隊の訓練をした人たちらしいわ」

B男君「そりゃ、無理だ。先生の性格からして、あわせられるわけないね」

M子さん「そのメンバーの方々に、唐突にハンチーフを出して、高いところから落として見せたんだそうよ。これが動きだ。重さこそ動きの主たるエネルギーだ、っていやったものだから、失笑されたらしいの」

B子さん「それは無理ってものよ。わかるわけ無いじゃない」

M子さん「先生の中でも言葉で説明できるほどにはなってなかったと思うの。でもそこで‘上体のぶらさげ’をやってみせると、ますますいけませんわ」

C男君「でもさ、当時先生の体だったら、想像だけど、相当に固かったんじゃないの」

M子さん「ご明察。でもね、それでもね、くねくねと揺すったみたいよ」

A子さん「不自然だったんじゃない? 力の抜き方が……」

B子さん「そうかもね。先生もお若かかったし、晩年とは違うわね」

C男君「すると、他の人たちと軋轢があったんだろうな」

M子さん「あったなんてもんじゃなさそう。で、玉利さんは、説得に藝大に出かけていらしたらしいわ。でも、先生は首を縦に振らなかった。その後も理論的な指導を受けに通われたそうよ」

A子さん「なるほどね。なんだか納得しちゃった」
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ミミズたちの戯言……三島由紀夫スポーツ共和国の夢

2009年06月03日 18時42分40秒 | Weblog
A子さん「野口先生がなくなったとき、ほんとの人が野口体操が残っていけるのか心配してたと思うの」

C男君「そりゃそうさ。カリスマ野口だったから、その人を失って、今後、どうなってしまうんだろうってね」

M子さん「あのとき、C男さんがいってくれたこと、今でも覚えているわ」

C男君「俺、なんか言った?」

M子さん「本を書くための取材で、先生ゆかりの人たちに会ったのよ。その中の一人が三島由紀夫にボディビルを指南した方。で、その方が三島さんに、あなたくらいサラリーマンにならないで、なにか肉体の訓練、ボディービルを普及することを仕事にして欲しいって」

B子さん「あぁ、あの話ね。三島さんが自決したあと、夢枕に立った話」

M子さん「そうそう、三島さんを真ん中にして一緒に亡くなった人や楯の会の人たちが神社みたいな階段をドンドン上がっていく途中で振り向いて、‘君はこっちにきちゃいけない’って言われた夢の話よ」

C男君「それでその方は、ボディビル協会をつくり、健康スポーツ連盟もつくりあげたってことね」

M子さん「そうなの。三島の夢(スポーツ共和国)を実現した人よ。で、その方の事務所をたずねた帰り、野口体操ってミミズの体操みたいって思ったの」

C男君「なんか元気なかったよね。あのときさ」

M子さん「そう、でも、あなた言ってくれたじゃない。ミミズの体操結構じゃないかって」

C男君「そうだよ。土壌生物がいなければ、植物は育たない。地球の豊かさは、たとえばミミズたちに支えられてるんだって」

M子さん「その言葉で、俄然、元気が出たわ。やる気が出たの」

A子さん「そうだよね。あれから11年か」

C男君「時代は変わったよ」

M子さん「GMの破綻は、とどめって感じ。諸行無常ね」

C男君「でも、日本には千年企業があるんだよなぁ~」

……四人は感慨深げに顔を見合わせた。……
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