羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

やってます おかたづけ!

2006年04月30日 19時41分25秒 | Weblog
 誕生月、4月も終わった。
 今日は、終日片付けに集中した。
 とりあえず本を収納してある場所は、まっすぐに歩けるようになった。
 何年になるだろうか。この混乱状態が続いたのは。
 とにかく面白い本に出会っても、グット押さえてページをめくることせずに、一心不乱に片付けた。
片付けてみると空間ができた。
「長いこと、ごめんなさい」
 形状が乱れている本に謝りながら、大まかな分類をし、大きさで分け、紐をかけて棚に収めたり、ダンボールに入れたりして、なんとか片付けた。
 ピアノの楽譜も収まるべきところに収められた。楽譜はやっぱりピアノの脇がいい。
 さすがに、ゴールデンウィークならではのはかどりだった。
 
 明日からは、食器類の整理にかかれる。こちらは引っ越して一年ちかくになっても、まだ開いていないダンボールがいくつもある。
 
 黙々と片付けに勤しむ連休かな!

 さぁ、これからからだをほぐそう。結構、足にきてますね。

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舌を巻く‘舌のはなし’

2006年04月29日 15時09分57秒 | Weblog
 予定通り本の片づけをしている。
 なかなかはかどらない。なぜって、忘れていた本を手にとって、読み始めてしまうからだ。どなたもこんな経験は、おもちですよね?

 そのなかから、一つ、ご紹介。
 季刊『is 特集:のび・ちぢみの愉しみ』1988年40号 ポーラ文化研究所刊
 「人体における伸縮」と題して養老孟司先生が書いておられる。

 エッセーは「伸びるのと縮むのと、どちらが積極的行為か」という問いかけからはじまる。
 常識的は伸びる方が積極的行為というイメージがある。しかし、養老先生の論法は、その常識をひっくり返してくれるから面白い。
 つまり、「人体の大部分については、じつは縮むのが積極的行為である」という。
 
 野口先生はこのことを、「痛みの感覚」を例に、次のように話されていた。
「‘痛み’と一言で言ってしまっている中身を、もう一度検討してみましょう。
 筋肉が能動的収縮性緊張=筋肉は力を入れると短くなって太くなって固くなります。その状態を頑張り続けたときにおこる感じを‘痛い’といってしまうことがありますよね。逆に、受動的伸展性緊張というのがあります。これは受身の状態で伸ばされることによって、痛みを感じることがあります。往々にして、“痛い”といってしまうときには、どちらの痛みかなんで考えませんよね。野口体操では、一度、その痛みの質を実感しなおしてみたいわけです」
 
 養老先生の話に戻すと、人間の動きは、そのほとんどが筋肉系で行われるので筋肉は「不器用な組織で、縮むしか能がない」という。
 筋肉は縮むときにエネルギーを消費し、伸びるときは弛緩(たるみ・ゆるむ)して他動的に伸ばされるというわけだ。
 野口先生がいわれる「能動的収縮性緊張」と「受動的伸展性緊張」とはそういうことから生まれる感覚なのだ。
 
 で、舌は、なぜ伸びるのかの話だが。
 舌は、そのなかに含まれている筋が収縮することによって伸びるらしい。
 ちょっと試して舌を伸ばしてみると、ある種の緊張感が起こる。
 指先で触ってみると硬く緊張している部分に触れることができる。
 しかし、そこが一体何処なのか、どの筋肉なのかは、分かりにくいというのが正直な私の実感だ。
 
 養老先生曰く、舌の伸長の機構は、ほとんど説明されていないという。自分で書いたもののほかはという但し書きつきであるが。つまり、単に舌を出すということを具体的に記述することは、なかなか難しいらしい。動物の種類によってもやや異なった機構があるという。
 では、養老先生の記述をそのまま、書き写しておこう。

『舌はほとんど筋肉だけを含んだ袋である。この舌の中で、筋肉は前後左右上下方向に走る。たとえば、左右上下方向に走る筋が強く収縮すると、舌は前後方向に伸びる。この場合、前後方向に走る筋も収縮しないわけではない。しかし、異なった方向に走る筋群の相互間の力関係があって、全体として舌は筋肉の収縮により伸長するのである。ゆえに筋肉がただ「縮む」だけであるにもかかわらず、舌は前後に「伸びる」。』
 これでも簡略化した説明だそうだ。
 
 縮まないと伸びない“舌のはなし”、人体の凄さにただ“舌を巻くしかない”
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草鞋

2006年04月28日 14時44分23秒 | Weblog
 今朝、何気なくつけたテレビで、「柳田国男」のことを放送していた。
 途中から見はじめて、また途中で電話が入ってしまって、最後まで見られなかった。
 しかし、番組の中の話、「旅をするときの草鞋」のことに、目も耳も吸い寄せられた。
 柳田は、言う。
 草鞋を履いて道を歩くと、土の感触・石の感触・草の感触がビンビンと伝わってくるという。そしてもっと大事なことは、水溜りを歩いてしまったとき、水が草鞋に沁み込んで、足に伝わってくる感触があって、旅が旅として成立する。
 靴の暮らしではまったく感じることができない触感である。
「野口先生の子供のころ、やっぱり履物は草鞋だ!」
 はじめてそのことを想った。

 野良仕事、蚕の世話、蚕の餌となる桑の葉とりといった労働も、学校へいく道々も、遊びも、弟や妹の子守など。
 大地を感じとる履物としての草鞋感触が、野口体操の大本にしっかり根付いているに違いない。

 野口先生の発想は大胆で自由で突飛でもあった。
 しかし、常に地に足が着いているという印象を受けていた。足元をすくわれる危うさは感じられなかった。

「家の庭土を洗ってみたの」
 野口先生のその一言からはじまった「世界の砂」との楽しい語らいもあった。
 ある日、水で庭土を洗って乾して、乾いた土を双眼実体顕微鏡で覗いて見た先生は、有機物が洗い流されて砂状になったかつての庭土のなかに輝く鉱物質の粒を発見した。
 教室の生徒たちから、旅の土産にもらった砂を片っ端から双眼実体顕微鏡で見ることにした。
「肉眼の世界をほんの少しだけ拡大しただけなのに、世界各地の砂が多様な表情を見せてくれるんです」
 
 ある日、その美しさを先生から教えられ、感動した私は、我が家に遊びに来る建具屋さんに双眼実体顕微鏡のなかの砂を見せた。
「きれいだね、写真に撮ってみよう」
 写真好きの建具屋さんは、さっそく段取りをつけて家にやってきた。
「そばに寄らないでね。しめっきりにするから。息だって控えなきゃ」
 小さな丸いケースを作って、砂をそのなかに一皮並べにして接写撮影を試みていた。
「とにかく、ちょっとした風でも、飛んじゃうんだから」
 四苦八苦の結果に、出来上がった写真をご覧になった先生は、ものすごく驚かれたのだった。

 それがきっかけで、佐治嘉隆さんが砂の写真撮影に挑戦された。
 そして出来上がったのがポストカード「砂のアラベスクー1-」だった。
 そして、しばらくしてから「砂のアラベスクー2-」のポストカードもつくったのだった。
 
 このポストカードは、野口先生のご自宅の土からはじまって、水洗いした野口庭の砂へ。それが東京都の南鳥島や日本各地の砂へとつながり、アメリカやヨーロッパ、アフリカ、アジア、最後は南極までというよに世界各地の砂の写真・ポストカードになっていった。

「南極は大陸だったのね」
 大人でも忘れていたことを思い出させる「ガーネット」を含む昭和基地の砂に、驚きの声をあげる人も多い。

 さて、言いたかったことは、野口先生の発想は、常に自分の足元から始まって、足元に必ず還ってくるということだ。
 それが野口体操全体の「重心」だと思っている。
 そのことを「柳田の草鞋の感触」の話で、改めて確認した。

 柳田が育ったは明治維新の時代。
 当然のこととして、鎮守の森、狐ツキ、神隠しなど、否定され隠されていく。柳田が、そうした日本の民俗・風習・アニミズム・村人の信仰を研究していく真情が語られた番組だった。
 
 野口先生が「甲骨文字」に突き動かされた原動力に、幼い日々、先生が体験された村の暮らしや、「草鞋の感触」が、砂のポストカードのはじめに「野口庭の土」からはじめることに拘られた思いの素だったのではないだろうか。
 柳田国男の体験野口先生の体験には、重なるものがある。
 念のため、「草鞋」は「わらじ」と読みます。
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連休の過し方 たとえばラピュタへ

2006年04月27日 07時41分56秒 | Weblog
 今日これから大学の授業を2コマ終えると、明日からいよいよ連休に入る。
 延び延びになっている本の整理を中心に、昨年仮住まいから戻って以来、片付いていないものの整理に時間をさくことになりそうだ。
 
 読みたい本も積みあがっているし、ミネラルフェア「野口三千三記念コーナー」出展の準備もはじめたいのだが、どこまで何ができるのか、予想はつかない。
 で、この連休明けのレッスンや授業が、なかなかにつらいものがある。せっかく新学期のいい雰囲気で調子が出てきたところに、この連休でトーンダウンしないように思いを維持するわけだから。

 まぁ、それはそれ!
 ほんとうならば龍村仁監督の「ガイア・シンフォニー」のDVDを見たいのだけれど、地上波対応のテレビに買い換えてなくて、デッキもまだ控えているので、実は見ることが叶わない。
「羽鳥先生がテレビとデッキを代えたら、私も代えようとおもっているんです」
「へぇー、そうなの。私も電気製品に滅法詳しい知人が買い換えるまでまっているのよ」
 なんだかテレビの買い換えはドミノ倒しのようだと、電話で話しながら、大笑いをしてしまった。

 3月に大騒動になったPSE法反対のようなことにならないように、スムーズな地上波移行に手を打っているらしいけれど、なんだかなぁ~って感じ。

 で、連休の過し方だが、結局私は、DVD「ガイア・シンフォニー」を見られないことをちょっと愚痴りながら、阿佐ヶ谷のラピュタで、1番から5番まで上映されているからそこにいってこようかとも。果たして時間があるのかなぁ!

 上映は、4月30日~5月27日まで。
 電話:03(3336)5440

 ラピュタのホームページアドレス

  http://www.laputa-jp.com/laputa/program/gaia06/

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風と雨と太陽と

2006年04月26日 13時43分38秒 | Weblog
 盆栽の植替えをして3週間が過ぎた。
 植替え当初は、天気予報を聞いて、強い雨がかからないようにとか強い風が当たらないようにと、前もって養生していた。
 
 昨日のは、急な雷雨でも、すっかり安心できる状況になってきていた。
 これが台風シーズンになると、一まとめにしたり、玄関に取り込んだりして、出したり入れたりすることになる。

 今朝よく見ると、花梨がいくつか実になりそうだ。
 先週中に花はすっかり散ってしまったが、今週に入って実になっていくふくらみがめだってきた。これで秋には、一個か二個しか残ってくれない。しかし、一人前の実が黄色く色づくころには、そのそばを通るといい香がしてくる。

 花梨は紫檀・黒檀とともに唐木と呼ばれる。
 江戸独楽作家・福島保さんは、花梨がお好きで、削った木屑といっしょに小さな独楽を下さったことがあった。削られることでより香が強くなるから不思議だ。
 因みに、福島さんの独楽は、水木も多い。木肌の白さが、彩色するのに好都合だそうだ。色が美しく鮮やかに乗ってくれるから。

 さて、今年は杉の盆栽を思い切って非常に薄い鉢に植え替えてみた。昨年まで深鉢で育てていたので、しっかり根が張ってくれていたので、試してみることにした。なんと植替えがとても難しかった。その後も風で倒れないように、雨や風を防ぐ場所に移動するたびに、恐る恐る運んでいた。最近では新芽が伸びて、深い緑の葉の上に、ピュア・ライム色の葉が、柔らかく日差しを照り返している様を見て、ほっと安堵している。

 そんなこんなで一応盆栽の植替えは、まぁまぁの結果が得られてよかったと胸をなでおろしている。枯れるものは枯れる、と乱暴に言ってみても、内心ではなんとか無事についてほしいと祈っている。
 
 昨年新築祝いにいただいた山野草の鉢植えは、秋口に球根をばらして育てるための素焼きの鉢に植え替えてあった。しっかりと葉を伸ばしたもの、少しずつ葉を伸ばし始めたもの、6種類の植物が育っている。いただいたときよりも自由奔放に葉を伸ばしている。

 「緑の手」を持っているとは思わないが、いい加減なやり方でも育ってくれる木や草があると嬉しいものだ。
 野口先生が、家に帰るとさいしょに庭に出て、植物の様子をご覧になっておられた姿を思い出しながら、先生の思いの一端を体験できることも嬉しいことだ。
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お昼の賛美歌

2006年04月25日 19時11分22秒 | Weblog
 今日は、渋谷の青山学院女子短期大学で、二コマ授業をお手伝いしてきた。
 短期大学といってもここは、3年間通う「子ども学科」。
 そのなかの「人間と表現」という必修科目の中の授業だった。
 一年生ということで、18歳。
 さすがに若さあふれる学生さんたちと時間を過せることは、なんとなく嬉しい。 反応がすぐ返ってきて、華やいだ雰囲気のなかで授業をすすめることができた。 
 入学して間近い学生さんは、初々しい。夏休みがおわり、後期が始まるころには、ビックリするくらい大人びてくるもの、という話を授業のはじまる前に美術研究室の助手の方としていた。どこ大学もその点は変わらない。

 授業がはじまると、野口体操の動きに、素直な驚きの反応をしてくださったが、時代が変わったのか、力を抜くこと・からだを揺することにそれほどの抵抗もなく、自然に入ってくださっていた。
 そもそも私を呼んでくださった教授は、芸大で野口先生の授業を受けた方だった。若い新鮮な感性を持つ学生に、野口体操のエッセンスを少しでも感じてもらいたいという希望で実現した授業だ。

 芸大を卒業して、実社会に出る。そこでさまざまな仕事をこなすなかで、学生の頃にであった野口体操のほんとうの意味がわかってくると、多くの卒業生の話が私のところにも寄せられている。

 昭和24年、新制大学になった芸大に赴任して30数年間。
 鶯谷駅から国立博物館の裏道を通って芸大まで通われた先生だが、その間に野口体操と呼ばれる独自の体操が育ち、学生に何時の間にか根付いていったのだと思うと、今日の授業も感慨深いものがあった。

 十代の感性は、まだまだ純粋で素直だ。
 これからどんな風に育っていってくれるのか楽しみだし、教える立場としては責任を感じている。
 
 それにしても東京の真ん中・青山にある学院内は、外の喧騒が嘘のようだ。
 お昼休みには、女性コーラスで賛美歌が聞こえてきた。
 ミッションスクールが醸す、穏やかで静謐な雰囲気に浸って、雨上がりの構内を散策もして、今日もいい一日だった。
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ガイア・シンフォニー

2006年04月24日 17時13分38秒 | Weblog
 小包を開ける手が震えていた。
 一刻も早く開きたい。
 そんな時って、指先にも、手全体にも、力が入ってしまう。
「落ち着いて、落ち着いて!」
 言い聞かせながら、鼻で息をすること、2・3回。
 中から取り出したケースに触った。
「おぉ~、滑らか!」
 手に伝わる感触に、思わず目を閉じた。
 静かになでてみる。
 
 それから、おもむろに目を開ける。
 パッケージのデザインを見る。
「素敵だ。さすが龍村さんのセンスだ!」
 
 それは、先週の金曜日、4月21日のことだった。
 龍村仁監督の「ガイア・シンフォニー」のDVD―BOXが届いた日。
 初回生産限定のスペシャル・パッケージ版だ。
 ガイア・シンフォニーの第一番から第五番に、映像特典として「龍村仁地球交響曲への想い」と「地球交響曲第六番・予告編」が収められている全六枚のDVDが二組に分かれている。さらにシノプシスブック(出演者たちのことばの要約)がついている。

 海・地球、そして漆黒の宇宙へと続く見慣れたデザインのボックスなのに、手触りの質感や印刷の肌理の濃やかさが、リーフレットなどで見る色や映像とはまったく違った新鮮な感動を喚起することに驚かされた。
 龍村監督がこのガイア・シンフォニーを創造していく時間の長さを支えるイマジネーションの豊かさと、映像へのこだわり。
 なんといってもメッセージを、丁寧に慈しんでつくってあるボックスの装丁を見つめながら、しっかりと伝わってくる「ガイアへの想い」を味わっていた。
 
 すると脳のスクリーンには、これまで目にしたシーンが万華鏡を覗くように映し出される。
 すると突然のように、ある情景が浮かんだ。
 第二番を渋谷の映画館で見終わって、野口先生と一緒にスペイン坂を下りながら、こみ上げてきた喜びや思い出が甦る。
 
 実は、野口先生は第三番をご覧になることはなかった。
 第三番が完成した晩秋には、体調を崩されていた。
 それは後から思えば、先生が死へと向かわれる坂に差し掛かった時だった。
 
 だから殊更に、先生と一緒に見ることができた「地球交響曲・第二番」から受けた心が張り裂けんばかりの高揚が懐かしい。
 喜びや感動は、そのことを語り合うことのできる人と共にあるとき、何十倍も何百倍も膨れ上がってくれるものだと思う。
 共に生きるということは、そういうことなのだ。
 
 いみじくも地球交響曲・第三番は、星野道夫の死と野口三千三の死が重なってくる映画だ。

「人は何処から来て、何処に行くのか」
 この問いは、そのときから私にとって、大きな問いとなっていった。

 今日も、ボックスを、なでたり眺めたりして、しばらく午後の時間を過しながら、龍村仁さんと野口先生のはじめての出会いの日を思い出していた。
 
 ほんとうに美しいものに出遭った。
 ほんとうに美しいイマジネーションに出遭った。
 きっと、こうした思い出といっしょに、この宝物は地球から齎されたのに違いない。
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お知らせ

2006年04月23日 10時14分57秒 | Weblog
 ある事情から、14日、17日~21日までのブログを、削除しました。
 「銀座の蛇の物語」は、何かの形でまとめたいと思っています。
 今のところは悪しからず。
 
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銀座の蛇の物語 とりあえずの最終回

2006年04月22日 20時38分54秒 | Weblog
 今日、朝日カルチャー土曜日クラスの教室は、大騒ぎだった。
 実際に「銀座の蛇」の復元第一歩を見せていただけたからだった。
 やっぱり折っていらしたのは、女性だった。
 なんとも緻密な設計図や、手順、スケッチ等々、蛇と共に資料つくりもしてきて下さった。
 しっかりつくり方を教わり、注意点まで指導を受けた。
 感動! の一言であった。

 ここまで一週間で折りあげてしまうとは、驚異である。
 ほんとうにすばらしい行動をありがとうございます。

 蛇腹と動きの関係も浮き彫りにされたし、これまで気がつかなかった問題が見えてきたこと・つながってきたことは、貴重な体験である。
 野口体操を継承するということは、そっくりそのままを後生大事に維持し保持することだけではなく、新しい感性で切り開いていくことがたくさんあることを「銀座の蛇」つくりから教えられた。

 ここまで、具体的に目に見ることもでき、触れることができるところまで、やり抜いてくださった思いの深さに感謝している。

 もう一度このブログ上でも拍手をお贈りしたい。
 いや、いい一日だった。
 もう一度、ありがとうございます。
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受身の態勢

2006年04月16日 19時39分44秒 | Weblog
 朝日カルチャー日曜クラス、4月が終わった。次はゴールデンウィークがあるので、なんと5月21日になってしまう。かといって日曜日を毎週やってしまうと、社会人としての暮らしが奪われてしまうことになる。難しいことだ。

 つまり日曜日は隔週ということで、「朝は楽しく!」に出演することを知らせることができなかった。前回のレッスンが終わったあとで、何人もの方に見せてほしいといわれ、今日はレッスンのなかで見ていただいた。
 佐治さんがコマーシャルを抜いて正味33分に編集してくださったDVDだった。
 皆さん、よく笑い、そして終わったときには満場の拍手をいただいた。
 その拍手に嬉しさがこみ上げていた。

「ほんとにはじめてなんですか」
「ええ、はじめての経験でした」
「モニターを見ながら、動きを修正して右から左に動けるんですから、慣れているとしか思えませんね。慣れない人がモニターを見ると、逆に動いてしまうことが多いんですよ」
 なるほど。そんなことには気付かなかった。自分の姿がモニターからはずれたから、逆の方向に動いただけだったのに、いわれてみればそうなのかとナットクしていた。

 レッスンが終わったら、ある男性が話しかけてきた。
「アニマル浜口さんが、最初に仰向けになったとき、頭が床に着かなくて、手も力が抜けていなかったのは、それはですね、彼がレスリングのアスリートだからです。つまりですね、受身の姿勢なんです。いつでも相手に向かっていけるように、倒れながらも頭は起しておくんです。手にも力をある程度入れておくんです。反撃がすぐ出来る態勢をとっているわけなんです」
 話しながら、同じ姿勢をとってくれた。
 なるほど受身で、すぐ反撃可能な体勢だった。
「その人を、安心させて弛めてしまったことは、すごいことですよ」

 あらためて野口体操の凄さと面白さを指摘されたことに気付いた。
 いろんな見方があるのだと思うと、教室で一緒に見る意味もあるものだ。

 事前の一言もよかったけれど、事後の一言もありがとう!
 次回まで長すぎるなぁ~。
 
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IT・コンピューターがもたらすものは

2006年04月13日 20時01分35秒 | Weblog
 今日は、朝から大学の授業の準備に時間をさいていた。
 学生に渡す資料とその日のレジュメの印刷は、大学のなかで自由にできる。
 なんと新しいコピー機に代わっていた。
「これは音が静かで、いいんだけれど、僕なんか昔のコピー機のように少しうるさい方が、一生懸命仕事してるって感じがするんですよね。授業も大きな声で話すほうが、すごく熱心って感じがするでしょ。それと同じなんですよ」
 英語関係の男性の先生が大量のコピーをとっておられた。
 待つ間に交わした会話だ。

 音も静か、セット印刷もできそうだし、「文字・写真・複写」と何種類か切り替えがついている。ためしに「写真」というのを選択して『日本体育学界機関紙・柔軟性のトレーニング』の印刷してみた。なるほど私の「上体のぶらさげ」や「やすらぎの動き」の写真がきれいにコピーできた。「文字」で印刷したのと比べると、多少時間は遅い。といっても以前のコピーの時間とあまり変わらない。
 日々、進歩の実体を体感した。

 さらにITの進歩は、授業の履修登録にも及んでいた。
 昨年までは、グランドに希望する学生が集まって、くじ引きで受講する学生を決めていた。この作業が案外大事だった。
 今年から事前のWeb登録に代わって、初日からすでに履修する学生が決まっていた。
 そこで、今日は授業内容のガイダンスということで、自宅を出かける前から気合が入っていたと言うわけ。
 
 案の定、着替えを持たない学生が多かった。
 いくつもの資料を用意して、これから始まる授業の概要を説明したが、今まででいちばんいい感じに話ができた。
 くじ引きのエネルギーを野口体操ガイダンスに集中できたことは、ありがたかった。

 それに先日体験したテレビ東京の「朝は楽しく!」の経験がものすごくよかったと実感しながら話をすすめていた。
 実際問題として「生放送」ということで、事前に外側から自分を見つめたり、野口体操を見直したりという作業を、真剣におこなったのだと今日になって気付いた。そうした意識はなかったのだけれど、学生に話しかけながらひしひしとその実感が押し寄せていた。

 今頃になって、この生放送を引き受けてよかったと思っている。
 授業の野口体操ガイダンスの中でも、この放送の話をすると、学生は反応をしっかり返してくれていた。

 これでレギュラーとしてコンスタントに継続する教室がすべて開いたことになる。
 新しい人との出会いは何が起こるかわからないだけに、幕が開くまではハラハラした気持ちで睡眠が浅くなっていることを感じている。
 そして軌道に乗せるまでは、まず、一ヶ月くらいの間は、前日から落ち着かない。
 エネルギーを溜め込んで、授業に備える。
 野口先生は芸大の授業の前には、水垢離とって家を出られた。
 たしかにそうしたくなる心情はよく分かる。

 これから7月半ばまで、若いエネルギーの前に身を晒すことになる。
 それにしても、毎年、新しい資料を配ばることができるのはありがたいことだと思っている。
 そのほかに『花王・艶BOOK』花王antuプロジェクト編のなかから、昨年丸の内元気塾で行った鼎談(養老孟司氏・河合隼雄文化庁長官と私)のをまとめたものもコピーして配ることができた。

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朝カル、火曜クラスの方へ 無意識の弛緩考

2006年04月12日 08時38分54秒 | Weblog
 昨日、朝日カルチャーの火曜日クラスでは、「ライン・ダンス」を試してみた。
 ミュージカルの「コーラス・ライン」やパリの「ムーラン・ルージュ」のシーンを思い出す方が多いかもしれない。
 
 実は、このライン・ダンスのやり方を、野口先生によって生まれてはじめて教わった私は、その楽しさを30年ちかく前に知ったのだった。
 学生にもクラスによってはやっているのだが、はじめのうちは恥ずかしがりながら、しかし、やっているうちに楽しくなって、リポートにもその心の変化が書かれている。
 
 上手に踊らなければいけない、足を高く上げなければいけない、リズムにピタッと合っていなければいけない、そういった条件をはずしてしまえば、後ろ手でつないでみんなでなんとなく踊ってしまうこともなかなか面白い体験のようだ。

 時に、人は真面目さから開放されて、日常を脱出する時間と空間が大切だと思っている。ダンス体験は、日本人にとってはかなり非日常的な体験だ。高齢者を対象とした社交ダンス人気も一部ではあるようだが、数は少ないだろう。
 野口先生は、フォークダンスの基本を一年に一回は取り上げていらした。それは若き日の先生の体験に根ざしている。ダンスへの強い興味は、戦後すぐに江口隆哉・宮操子舞踊公演を見て、その研究所に入所し、そこで過した時に芽生えたものだった。
 
 戦後、野口先生は、警察学校の教官をしておられた時期があった。
 偶然にも、そのときの生徒だった人が、ある県警本部長を定年退官してから野口教室に参加された。
「もしかして、あのときの教官ではなかったかしら」
 彼は、若いころの日記をめくってみた。
 すると堅物ぞろいの教官の中で「フォークダンス」を教えてくれた野口先生のことが、日記に記されていたことに気付いた。
「やっぱり」と彼は頷いたという。
 野口先生への印象が、好感をもって書かれているそのコピーをいただいたのは、かれこれ十年以上も前のことだった。

 さて、昨日の「ライン・ダンス」だが、終わったときの様子を恐る恐るみていると、息を弾ませながらも、いきいきした笑い顔に表情が変わった方が多く、内心、ほっとしていた。
 何故って、暦年齢は、侮れない。このクラスの平均年齢は、大学生とは親子ほど離れた年齢なのだから。
 
 しかし、なのである!
 そのあとの「上体のぶらさげ」は、驚くほど地球の中心に重さで流れていくからだに変化していった方がほとんどだった。
 ほどよい「緊張」は、無意識の「弛緩」を生む。「力を抜きましょう」という言葉は要らなかった。つまり、筋肉は緊張したら緩みたくなり、緩んだら緊張したくなることのからだの実証だった。
 
 脳にも日ごろ行わない新しい刺激が、カンフル剤としていい。
 但し、ほどほどの見極めが、難しいことも確かだ。
 
 来週は、ダンスはしませんから、火曜クラスでこのブログをお読みの方は、ご安心を!
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時代が変わった

2006年04月11日 15時14分49秒 | Weblog
 今日は、火曜日講座の2回目だった。
 先日のテレビで野口体操を知って、参加された方も多いクラスだ。
 
 野口三千三先生の時代と大きく変わったことは、「力を抜く」ということの大切さが世の中に浸透してきたこと。
 そのことが武道やスポーツなどの特別な身体訓練をしない方々にも伝わっていることを実感している。
 
 たとえば「上体のぶらさげ」などは、以前とは比べものにならないくらい、最初からいい動きをされる方が増えている。とくに頭の動きなど、野口体操のやりかたののみ込みが早くて、先生の時代の「からだの理解」とは雲泥の差がある。
 火曜日の教室は1月期からはじまったが、新しい教室とは思えないだ。しっとりと馴染んでくださっている。雰囲気がいい。野口体操をはじめて体験されておられる方がほとんどなのに、である。

 もう一つ感じることがある。
 それは暦年齢よりも、みなさんの若い。
 そして何某かの体操・ヨガ・太極拳といったような身体に向かい合う経験をそれぞれに少なからずお持ちのようだ。
 大きな変化が出てきたのは、ここ数年のことかもしれないが、身体・運動に対する意識が変わってきた。社会保障制度の問題だけでなく、自分から積極的に動き、元気に暮らしたいと言う思いが強くなってきた現われだろう。

 生きている間は、自分の足で立ち・歩き、自分のことはできるだけ自分でやっていきたい。ほんとうにそうだと思う。いくつになっても動けるということは、生きている甲斐がある。

 何時のころからか、背骨が曲がったお年寄りに出会わなくなった。体操はやってみると気持ちがいいはず。サプリメントを飲むだけよりも、食事に神経質になるよりも、実際に動くからだを維持することに気持ちよさが感じられることは、すごく大事だとおもえる人が確実に増えていることは嬉しい。

 こうした大人な方々の集まりは、ことばへの受け取りが深い。野口体操はその人の生きてきた経験によって深い理解が得られることが、大きな特徴かもしれない。
「力を抜く感覚を育てる」のは、いくつになっても可能性がある。この可能性を信じて、やり続けていただきたい。

 今日も気持ちよくレッスンを終えた。
 いよいよ木曜日からは大学の授業がはじまる。
 今年はどんな学生が集まってくれるのか楽しみだ。
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ピナ・バウシュ 3 「ふゆそな」

2006年04月10日 16時47分03秒 | Weblog
 町の角に大きな看板があって、ヨン様がこちらを向いて微笑みかけてくる。
 そこはパチンコ屋だ。すごい商魂だ。ヨン様も売りだけど、「ふゆそな」という音がなんともいい。なんとなく奥様たちがパチンコ屋に入ってしまう? 狙いかも。
  
「ふゆそな」という音は、とてもやわらかい響きを持っている。
 もちろん「冬のソナタ」の日本語略だ。
 日本語の音感は、四つの音に集約すると、落ち着きがでて同時に懐かしさにプラス親しみが出る。無意識のうちに日本人が魅かれてしまうのではないかと思っている。 

 ところで「ソナタ」だが、クラシックのピアノを稽古したことがある人なら、「ソナチネ」から「ソナタ」には入ることは、胸騒ぎがするくらい嬉しいことだ。「ソナタ」を弾くということは、ピアニストに一歩近づいたような気分になる。
 モーツアルトのピアノソナタ、ベートーベンのピアノソナタ、もちろんバイオリンソナタも名曲がたくさんある。それらを自分のピアノで弾くことが出来るなんて、夢みたい、なのである。

 この「ソナタ」と名づけられた曲は、ソナタ形式を第一楽章にもつ多楽章の曲のこと。
「ソナタ形式」は、まさにヨーロッパの形式だ。まず、第一主題に男性的な旋律とリズム、つまり男性原理・父性原理を高らかに掲げる。緊張感のあるもの、強いものといってもいい。神といってもいい。それに続いて第二主題には、第一主題に対立するように女性的な旋律とリズムを配する。母性というよりも弱きもの・柔らかいもの、神に従う従順な心情だと言える。

 まとめると、男性に対して女性。強きものに対して弱きもの。神に対して従順なる僕。シュパネン(緊張)に対してアップシュパネン(弛緩)。
 対立的な概念・イメージ・存在を掲げる提示部がある。
 次に、テーマの二つを交互に発展させながら新たな要素も組み入れていく展開部が続く。
 そして三番目に、再び第一テーマと第二テーマを再現して、フィナーレへと曲を導く。

 ざっと「ソナタ形式」について書いてみた。決して古典派の音楽家ではないストラビンスキーの作品だが、二項対立の世界観は、「春の祭典」にもはっきりと見られるものだった。ピナ・バウシュの舞台を見てはっきりした。ということはこの舞台を見るまでは気付かなかった。

 ピナ・バウシュの「春の祭典」の凄いところは、暴力的な男性性に対して、弱きものの象徴としての女性性を逆転させ、主体性を歌い上げていくところに「近代性」を見出すことができる。
「神は死んだ」という言葉が、ここには息づいているのだと気付かされた。

 しかし、「ソナタ形式」という理念は、ヨーロッパの理念でもあると知らされた。
 ある人がいった。西洋音楽は「長調(メジャー)」と「短調(マイナー)」の二つのコードしか持っていない二元論の世界だ。
 しかし、インド音楽は、何十ものコードを持つ音楽だ、と。
 ジャズ音楽も同様に、いくつものコードを持っている。決してメジャーとマイナーだけではない、と。
 
 ストラビンスキーの音楽は、メジャーだけでもマナーだけでもないコードだし、拍節さえ変拍子によって作曲されている。しかし、ピナ・バウシュの「春の祭典」を見る限り、そこにはヨーロッパが伝統的に描き出してきた二項対立の図式が、高度な芸術表現に昇華されたものとして描き出されていたと私は感じた。

 もう一度「ソナタ形式」の理念を検証してみることは、西洋文化を理解する上で貴重なことなのではないだろうか。近・現代の作品にもおそらく脈々と流れている一つのヨーロッパがありはしないだろうか? という問いを、この舞台からもらったのだ。

 それに対して「ふゆそな」とう言葉は、日本の音だ。「冬のソナタ」を「ふゆそな」と言ってしまった瞬間に、日本人が顔を出す。
 
 昨日も、ヨン様の笑顔がこっちを向いているパチンコ屋の看板を見つめながら、ピナ・バウシュの舞台を思い返している自分が可笑しかった。
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ピナ・バウシュ 2 「ノイエ・タンツ」

2006年04月09日 15時57分57秒 | Weblog
 高校生のころドストエフスキーの『罪と罰』に代表されるロシア文学・『赤と黒』に代表されるフランス文学、そして『悪の華』に代表されるボードレールやマラルメ、ヴァレリーなどの詩を読んでいた。読むと言うよりは、いっぱしの文学少女気取りで、本を小脇に歩く姿に憧れてのことだった。
 そういう風潮が残っている時代に、10代後半を生きていた。
 さらに生意気だったのは、「神は死んだ」というような言葉の響きに、なんともいえない心地よさを感じていたのだから、今にして思えば気恥ずかしくなることこの上ない。

 さて、ピナ・バウシュの続き。
「春の祭典」の演出とダンスを見て最初に浮かんだことは、この「神は死んだ」という言葉だった。
 たとえば『あめりか物語』『ふらんす物語』が出世作となった永井荷風は、「キリスト教はわからない」と発言している。キリスト教がわからなければ、西洋文化は理解できるものではないと言い放って、日本回帰のなかの江戸回帰してしまうのだった。

 音楽でもバッハを弾こうとすると壁に当たる。
 マタイ受難曲やおおくのオルガン曲を聴きながら、キリスト教に突き当たってしまう。
 神が死ぬ前に、神がいないのだから、死ぬも生きるもないのだが、試験となれば弾かなければならなかった。
 いたって前近代の価値観が残っている家に育った身には、わかったような風をつくろって、とりあえず音を拾ってバッハの課題曲を弾いていただけだったと思う。

 ピナ・バウシュの舞台を見ながら、死ぬべき神がいた文化に育った人の作品だということを感じさせてもらったのは、そういう自分の過去に照らしたからだった。
 ピナ本人に宗教的信仰心があるかないかにかかわらず、ヨーロッパ・ドイツに生まれ育ったということが、意識・無意識・下意識にキリスト教の「神」と無関係ではなかった「呼吸」のようなものを感じた。
 
 だから「春の祭典」が、アンチクラシックバレーとして、ものすごいエネルギーを得ていたのだと、羨ましく思いながら見続けていた。
 ドイツ音楽の系譜に対抗する民族意識の高まりのなかで、自分の音楽言語によって作曲された「春の祭典」は、ストラビンスキー会心の名曲だ。
 その曲をもとにダンス芸術にしつらえるにあったって、余分なものをそぎ落とした象徴的な舞台演出に徹したこの作品は、ストラビンスキーの音楽に新たな神の命を吹き込んだ。
 そうした意味で、20世紀・西洋が生んだ舞台芸術の世界遺産といいたいのだ。

 さて、今回の舞台から野口体操に流れ込んでいる「ノイエ・タンツ」の系譜に気付かされたことを記しておきたい。
 江口隆哉氏との出会いは、野口三千三にとって大きなターニングポイントであったことは間違いないと思う。
 アップシュパネン、つまり「弛緩」すること、力を抜くことの積極的な意味が、野口体操のコアになっていくきっかけにノイエ・タンツがあった。
 しかし、アップシュパネンとは異質の感性による「力を抜くこと」に、野口体操は到達したのだと思っている。
 
 そのことを確信させてもらえた「春の祭典」「カフェ・ミュラー」の初日の舞台に立ち会えたことは幸運だった。
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