羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

第14回 明治大学シェイクスピアプロジェクト 公演終了

2017年11月28日 07時09分13秒 | Weblog
 今年の演目は「トロイア戦争ートロイラスとクレシダ」だった。
 この作品は、シェイクスピアのオリジナル作品ではなくチョーサー作『トロイルスとクリセイデ』とホメロス作『イリアス』が主な参考作品だとプログラムの解説に記されていた。

 内容は単純にして複雑、複雑にして単純であった。
 しかし、学生達の翻訳テーム「コラプターズ」もかなり手こずったらしい。
 この公演に向けての活動は、11月公演が終わると、時を待たず次の作品準備に取りかかる。
 ほぼ一年がかりの公演なのだが、翻訳のよさが上演の質を決める鍵になる。
 その点からしても、今年の作品は難しかったに違いない。
 すでに稽古が始まった8月に、はじめてキャストとスタッフの学生にあった瞬間に感じていた。

「大丈夫か?」
 年を取ったせいだろうか。
 学生が、頼りなく見える。
 指を折って数えてみなくても、1年生は19歳で参加である。
 1年から4年まで、ほぼ半世紀、年の離れた若者を前にするのだから仕方がないのかもしれない。
 自分の年齢のせいにして、落ち着こうと試みた。

 さて、このプロジェクトとかかわって、すでに6年、7年になるだろうか。
 毎年、8月から9月初旬にかけて、週に2回 計8回の野口体操ワークショップを行っている。
 当然といえば当然なのだが、シェイクスピア作品を上演するという、たった一つの目標を持つ学生たちは意気込みが違う。
 授業とは食い付き方が違う。
 その意味ではしっかり手応えを感じている。

 実は、今年から一回の時間もながくなった。
 その上、昨年から引き続いて、ピーターが助手についてくれている。
 ここで、ピーターのことを紹介しておきたい。
 南アフリカからの留学生で、現在、博士論文に取り組んでいる。専攻は理論物理学ということだ。
 彼が野口体操を習いはじめたのは、昨年の4月からだった。
 もともと14歳から空手をはじめていたと聞く。
 野口体操の教室に現れたその日から、素晴らしい素質と真摯な学ぶ姿勢を見せてくれた。
 なんといっても集中力の凄さから、ただ者ではない雰囲気が伝わってきた。
 短期間で本質を捉え、メキメキ上達してくれた。
 そこでこのプロジェクトにも参加してもらった次第だった。
 頃合いを見てユーモアも欠かさない。
 これだけ揃っていれば、学生の心を一気につかんでしまうのだ。
 よき助手ぶりを発揮してくれたことで、今年も充実した8回のワークショップの手応えを得られた。

 そして本番を迎えた11月12日。
 舞台を見て、私は安堵した。
 難しい作品を見事にまとめあげた。

 一つには14回も継続してきた積み重ねがあるだろう。
 着実によき歴史をつくりあげた先輩たちの蔭ながらの応援があるだろう。

 来年は、第一回目に上演した『ベニスの商人』を再演するらしい。
 ことしの不可解な作品をしっかりまとめた力は、次なるステージへの土台つくりになったはずだ。

 よい意味でいっているのだが、気乗りのしない作品であっても、一途に取り組んでそれなりの成果を上げるという回もなければ、継続は不可能だ。
 
 3日間・5回公演で3600人以上の観客動員数を得ているという。
 毎年、積み上げて、内容は当然のこと、成長に成長を積み上げてきたプロジェクトである。
 今年を境に、来年の再演を機に、成長から成熟へとシェイクスピアを磨き上げる時期にきている、と打ち上げの場でも話させてもらった。

 また、一年、苦しみながら、楽しみながら、衝突しながら、仲間との関係を深めながら、まわりからの期待と激励に押しつぶされることなく、『ベニスに死す』ではなく『ベニスの商人』が生まれ変わってきらめく舞台を楽しみにしている。

 関わった140人以上の学生、一人ひとりに、拍手を贈りたい。
 そして、ピーター 野口体操との出会いを大切に育ててくれてありがとう!
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もう師走、新しい年がやってくるー

2017年11月27日 09時08分04秒 | Weblog
 今週末には、師走の声をきく時節となってしまった。

 今年は、4月1日に「野口体操の会」の発足、9月には会報「早蕨 SAWARABI」創刊号を発行、同月24日と11月3日に「野口体操の会 “早蕨塾”」を、二回とも開催することができた。
 事務局の近藤早利さんを中心に、事前にあれこれ考えたことはすべて杞憂に終わった。
「案ずるより産むが易し」のことわざ通りであったことは大変嬉しいことだった。
 すべて予想以上の成果が上がった。
 お蔭さまの一言につきる。
 先週の土曜日には、来年3月発行予定の「早蕨 SAWARABI」第二号のこと、2018年度の「早蕨塾」の企画案等、会合を持つことができた。
 2年目も順調に小舟を漕ぎ続けることができることを願って、残りの一ヶ月を無事に過ごしたいと思っている。

 私事。
 施設に入所した母は、ますます元気になって、目がキラキラしている。
 当初はどうなることかと案じていたが、秋頃から食事もしっかりとれているらしい。
 介護士さんからは「長生きされますよ」と、伝えられた。
「百歳」
 それを越えて生きるのか?
 嬉しいことではあるけれど、娘としては複雑な思いもなきにしもあらず。
 実は、秋から始めた「遺言書作成」準備で、細かいことが気になってしかたがない。
 日々の暮らしのなかで、なにげなく行っている季節による衣替え・体調の変化で献立を替える食事・快適な住まいを整えること、といった生きる基本を継続することの大事さを、新しい環境に馴染むのに苦労している母を見ながら痛感しているからだ。
 25日の土曜日の朝のこと。
 5階にある4つのユニットの家族が集まる茶話会に出席する前に母を訪ねた。
 短い時間だったが話をして、会場に向かおうとしたその時
「帰りましょう」
 はじめて大きな声で、母が意思表示を示した。
 その言葉を振り切るように、エレベーターに向かった。
「帰りましょうー、帰りましょうー」
 繰り返される言葉。
 朗々と響く声を、背中にしょったその時
「逆縁になりませんように」
 初詣で祈る言葉が浮かんだ。
「こればかりは、神頼みしかあるまい。お賽銭は、はずまないとねー」
 いやいや、なるようにしかならない。
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「如意棒つくり」の醍醐味……手触り・香り、をりたたみ

2017年11月16日 10時38分23秒 | Weblog
「東急ハンズに行けば、手に入ります」
 藤田一照さんの何気ない一言をたよりに、新宿の東急ハンズをたずねた。
 カーテン売り場を見回していると、売り物のカーテンを吊り下げている棒に、同じ形状のものを発見した。
「ありますよ!」
 いそいそとついていくと、カーテン吊りの棒があるところに案内された。
「あれッ、なくなっちゃいましたね。そうだ、棒に反りがでるので、製造中止になったんでした」
 素材売り場に行ってみたが、それらしいものは見つからなかった。

 別の場所に行けば売れ残りがあるかもしれない、と踵を返して、いざ、池袋に向かった。
 カーテン売り場では、すべての棒が木製ではなくなっていた。
 諦めきれずに説明をすると、素材売り場にいくことをすすめられた。
 11月3日に「如意棒」で遊ぶ姿をiPhoneで動画撮影してあったのものを再生し、映像と見比べながら素材探しを行った。

 結果、手に入れたものは

 1、「ラミン丸棒 910×15Φ ¥170」
 2、「天然の美 木のたま 片穴 30Φ 15Φ穴(3入) ¥150」 

 勇んで帰宅した。

 いざ、制作にかかる前に思案したことがある。
 棒に玉を差し込んで、軽く振ってみる。
 予想通り玉は棒から抜けてころころと転がってしまう。
「ボンドでつけるしかないか」
 抵抗感は否めない。

「和紙にしよう」
 かつて卵焼き器の木製の取っ手がとれたとき、母が和紙を巻いて差し込むことを教えてくれた。
 使用するうちに銅の本体と繋がっている木の部分が腐って釘が刺さらない状態にまでおちいった。
 その修復に水にも強い和紙が有効だった。
 そのことを思い出したのだった。

 この和紙は、埼玉県小川町の和紙文具製で、長さが300ミリ 幅は35ミリ の江戸時代からの荷札である。
 品物を紐で括り、その端に名称を書いた荷札を縛り付けるのである。

 この和紙を6等分すると50ミリ×35ミリの紙が6枚できる。
 棒の端に、50ミリの辺を巻き付けると、重なり部分もなくぴたりと合う。
 棒の端から35ミリの半分の長さを出して、和紙を折り畳む。
 少し余った部分は、棒の端に折り返すと、僅かな厚みがでて、玉がしっかり固定される。

「いめしめ、ぴったりだ」
 激しく振ってみたが、棒から玉が抜けることはなかった。

 翌朝になって、一気に18本をつくりあげた。
 自分でも、なぜボンドでなく和紙にこだわったのだろう、と考えた。
 たまたま和紙が沢山あったことが第一条件だった。
 それだけではない。
 たとえ玉がはずれても、何度でも同じ紙で修復が出来る。
 これが洋紙だったら、折り畳んで玉を差し込む段階で、すでに破れてしまうことは考えなくてもわかることだった。
 和紙は、皺にも捻りにも強いのである。

 この和紙の強さを、18本つくりあげる作業で、実感したかった。
 折り畳まれて皺になっても、それを使うことができる強さを証明したかった。
 ピシッと折り目がついて、たたまれる気持ちよさが、指に伝わる。
 非常に細かい作業なのだが、負担に感じるほどの面倒さは微塵もない。

 因みに、棒の木である「ラミン」は、学名 Gonystylus bancanus Kurz Gonystylus科というのはジンチョウゲだそうだ。
 産地は東南アジアでニュージーランドを経て太平洋地域に分布している小径木。色は黄白色で均一。乾燥・加工は容易とのこと。
 家具の表面、玩具等に適している、とあった。
 
 玉の木は不明だが、木目がそろっている。

「なるほど、如意棒制作に、なぜ和紙に拘ったのか……」
 納得できた。
 すべてを木材でつくあげたい!無意識の意識がそうさせてのだ、と気づいた。

 ラミン材の棒・天然木の玉・和紙に触れながら作業をしていると、僅かなザラザラ感が指に伝わってくる。
 木材がもつ同質の感触・触感が伝わる。
 つまり、相性が良く違和感は微塵も感じられないのである。
 作業をする時に味わうことができる “木の手触り” や“木の香り” が、つくる喜びをもたらしてくれていた。

「そうだ 土曜日に 味わってもらおう」
 和紙が折り畳まれてピタッと立体になる気持ちよさ、丸い棒を持つ場所によって変化する重さ、手のなかでころがる丸い玉の動き。
 やってみなければわからない。
 遊ぶ前の制作実感を、土曜クラスの皆さんに!
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第一回 第二回 早蕨塾に憶う……Fasciaの「テンセグリティー」と「如意棒」

2017年11月09日 16時46分42秒 | Weblog
 11月3日文化の日に開催した第二回「野口体操の会“早蕨塾”」の写真を、野口体操公式ホームページ「明日へのまなざし」にアップしました。

 奇しくも第一回「早蕨塾」の主題であったFasciaで取り上げられた「テンセグリティー」の概念とも通じる「如意棒遊び」の写真にご注目ください。
 藤田一照さんが説明のために、参加者のおひとりの河野知己さんと組んでいるシーン2枚と全体写真の三枚を掲載しました。

   *******

 Fasciaにおける身体のテンセグリティーモデル(骨と筋筋膜動きの関係性)は、まったく新しい身体の見方である。
「力は局在するのではなく分散される」と捉えるモデルとして「Skwish」というおもちゃがある。
 ゴム紐と木製の棒に丸い玉が着いているものだ。張力と圧縮力を手で感じ、目で変形を確かめることができる。
 
 さらに藤田さんが持参された「如意棒」で遊ぶことで、身体のテンセグリティーの自由性を楽しく実感できるのだった。
 二人で組む、四人で組んでみると、生命体のもつ構造における「剛性」と「柔軟性」の微妙なバランスが実感できる。
 二人・四人から人数を増やして全員で輪になってみると、小さな蠢きが複雑に絡まりつつ、大きな生命体の鼓動が聞こえてくる現場に立ち会うことになる。

 単に「アイスブレイク」つながりワークの域を超えて、生命体が本来もっている『「自由」とは何か』を、理屈でなく体感し教えてくれるすばらしい経験であった。
 早蕨塾の第一回と第二回を通して受けられた方々には、野口三千三が求めたのと同質の「遊びの果実」をお持ち帰りいただけたと思っている。

    *********

 さっそく如意棒をつくってみました。
 11月11日、土曜日のレッスンに持っていきます。

 どんな哲学書をひも解くより、「如意棒ワーク」は言葉いらずの哲学遊びであります。
 生ものってすごいんだ!
 ふたたび生命体の動きを追体験してみましょう。

 改めて、二回の「早蕨塾」を通して、野口三千三の身体観とそれに基づく動き(体操)、そして三木成夫生物学・比較解剖学から導き出された生命哲学を、学び直してみたくなりました!
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母の一言……あたたかな立冬の日に

2017年11月08日 07時11分08秒 | Weblog
 久しぶりに母の施設に出かけていった。
「今日は、私を認識してくれるだろうか」と、僅かながらの不安を抱きながら歩いて行く。
 建物に近づくころ
「さぁ、帰りましょう」
 母のこの言葉を振り切って、帰ってくるときの何とも言いようのない心のつまり感を思い出す。
 
 自宅から徒歩10数分で、母が居るユニットのリビングに到着する。
 車椅子に座って、うとうとしている母の肩を軽く叩いて、声をかけた。
「来てくれたの」
 とは言葉に出さない。
 それでも僅かに心が動いている様子だ。
 目の動きから、娘であることの認識は持てるようだ、と安心する。
 穏やかな表情を見せてくれた。
 そのことに安堵しながら話しをしようと思ったが、いつものことながら、何から話してよいのか、話題には困る。
 つけられているテレビの音を耳に、画面に目をやるとトランプ大統領が韓国に向かったニュースが流れていた。
 そこで日曜日の新宿周辺の警戒警備について話しはじめた。
「東京は厳戒令だったのよ。防弾チョキをつけた警察官がたくさんいてね。で、街を歩くとき、私も防弾チョッキを着たかったわ。流れ弾にあたりたくないしー」
 目をまるくしたあと、眉間に皺をよせて聞いてくれた。

 そのあとは、野口先生のお宅の増改築の経緯。
 庭の再生にあたって、我が家で先生の鉢植え植物をあずかって枯らすことなく戻せたこと。
 亡くなったときには、いちばん美しい庭になっていたこと。
 彼女の記憶は殆ど朧げだったが、なんとなく受け答えをしてくれた。

 いつものことながら話の筋は途中から消えていく。
 それでもいちばん印象に残ったことだけを、何度も繰り返し質問してくるのだ。
「先生の家はどうなったの?」 
 隣家の方が買ってくれて、双方ともによい解決だったことを何度も説明した。

「家であずかっているものは、どうするの?」
 それが問題だ、ということも彼女なりに理解しているようだ。

 そこまでくると無理矢理に話題を変えた。
「この写真を見て」
 佐治さんからメール添付されていた、11月3日の「早蕨塾」のスナップを見せた。
「野口体操の会」で塾をひらいたことや、楽しく勉強になったこと等々、かいつまんで語った。
 すると母が何か言いたげに私の顔をのぞいた。
 
 ちょっとだけ時を待った。
「で、……採算はあったの?」
 思わず椅子から落ちそうになった。
「ぁ〜、あのー、なんとか大丈夫よ」

 驚きましたね。
 まさかこんな質問を受けるとは思ってもいなかったから。
 母との会話は、常にどんな話にも脈絡はつかず、単発的に鋭い言葉を返してくる母だが、この時に投げられた現実的で常識的な質問には、たじたじとなってしまった。
 たしかに、会を運営していくには、その問題を、まず考えますね!
 どこが認知症なのかわからない。

「このまま一緒に自宅に連れて帰りたい」
 思いを振り切って、施設を後にした。

 コートもマフラーもいらないあたたかな立冬の昼時だった。
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「野口体操の会」発足……記念行事

2017年11月07日 17時41分06秒 | Weblog
「野口体操の会」は、昨年の2016年11月16日、高幡不動尊・金剛寺 仁王門において、発起人会をひらき、会則その他を承認して始まりました。
 11月16日は、野口三千三先生の誕生日ということで、この日に執り行うことを決めたわけです。
 はやいもので、来週には一周年を迎えます。
 すべてはこの日から始まりました。

 それから2017年4月1日、上野桜木・東京藝術大学体育館で創立総会をひらき正式に発足しました。

 9月には会報「早蕨 SAWARABI」創刊号を発行することができました。

 同月24日には、國廣哲也さんを講師に招き、第一回「野口体操の会 早蕨塾」がスタートしました。
 周到に準備された素晴らしい講演内容に、参加された会員の皆様から拍手喝采をいただきました。

 11月3日 第二回「早蕨塾」には、藤田一照さんにお越しいただき「禅・ワークショップ」が無事に終了しました。
 会場には、終始、参加者の皆様の笑顔があふれ、私自身主催者であることも忘れ、充実した3時間を楽しく過ごさせていただきました。
 近日中に、ホームページに写真を公開する準備を佐治さんがしております。しばらくお待ちください。

 講師を引き受けてくださったお二人とも会員でもあり、仲間として、誠心誠意の講演+実修に臨んでくださいました。
 この場をかりて、國廣 藤田 両氏に、心から感謝を申し上げます。
 いずれも野口先生の見守りをひしひしと感じる不思議な感覚のなかで、大成功のうちに年内の行事を終えることができた、とホッとしているところです。
 企画者として、これからのハードルが一段と高くなった感もいなめません。

 とにもかくにもすべてにおいて細やかで丁寧な対応をしてくださっている近藤早利さんの存在がなければ、「野口体操の会」は生まれませんでした。
 お蔭さまで、野口先生時代50年、それから没後20年、ほぼ70年目にしてはじめて実現した会員をいただく「野口体操の会」の正式な発足が可能になりました。実に、画期的な出来事です。

 さて、今回、早蕨塾を開くにあたって、佐治さんはもとより、二階のぶ子さんはじめ、裏方をつとめてくださったお一人ひとりに御礼を申し上げたい。
 新井英夫さん 菊地良子さん 糟谷匤孝さん 青野美樹さん ピーター ありがとうございます!

 なによりも「野口体操の会」のかなめとなっていただいている会員のみなさま、本当にありがとうございます!

 今年も残り二ヶ月を切りました。
 年があけて3月初旬には、会報「早蕨 SAWARABI」第二号が刊行できるように、準備をはじめたいと思っています。
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ゴミの分別

2017年11月02日 09時33分46秒 | Weblog
 先日、『孤独のすすめ』五木寛之著 中公新書ラクレ を読んだ。
 第6章 『まず「気づく」こと』
『「ガラクタも捨てなくていい」ーモノはいわば、回想の憑代といってもいい。だからどんなモノでも、捨てずにとっておくことは大きな意味があります』
 年寄りに残された楽しみは、回想力を活かして独り楽しむことらしい。
 すべてが回想の憑代となって、回想にはお金もかからない、とおっしゃる。
 
 そうはいっても、モノをとっておくのも程度がある。
 父のモノ、母のモノ、自分のモノ、それに野口体操のモノが加わっている。
 そうして、何を取っておくのかと頭で考えていると、モノに殺されそうな気がしてくる。

 残された時間は限られているのにこのままではいけない。
 快適に過ごすために、必要なモノだけを残すことにしたい。
 とにかく捨てられるモノから手始めとしよう、と意を決する。

 ここまでは、意識と理性で分別はじめた。
 いざ、一歩踏み込んで片付けてみると、いけませんわ!
 ひとつひとつに「情・懐・哀・思・想・憶……」がべったりついた「もの」に隠れた本体が顕われる。

 それでも、蔵の入り口から右回りに、足下から捨てはじめた。
 何年かかるのか、見当はつかない。
 いずれにしても誰かに手伝ってもらう前段階の準備を始めた、というわけだ。

 それにともなって面倒なのは、分別である。
『平成29年度 ごみ・資源の収集カレンダー 「分別に迷うもの」一覧表』を片手に、ものと一覧表を見比べながらの作業である。

 これが実に細かい。
 これほど分別して、最後はどうなるのだろうか、と、思わなくもないが考えないことにした。

 いざ、今朝、自宅前に山ほど並べた。
 そのうち、二点ほど置いていかれたものは、可燃ゴミとしてだしてよいらしい。

    *******

 気持ちのまとめ。
 はやいはなしが、捨てずにおくのも、捨ててしまうのも、ほどほどがいいってことよ。
 三年ほど前に、3年かけて整理をしたことがある。捨てたいもの全体の三分の一を整理した。
 今回は、気持ちに変化で生じている。
 あの時には捨てることができなかったものも、今ならば躊躇いなく捨てることが出来るようになっている。
 時間が気持ちを整理してくれるようだ。
 いつか誰かに手伝ってもらえる状況になるまで、気長に、ぼちぼち、孤独な片付け作業を密かに楽しむことにしよう。
 分別に迷いながら……。
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