羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

野口体操戦略会議

2014年08月28日 14時11分16秒 | Weblog
 昨日、我が家に若者5名が、「午後のお茶」をしにやってきた。
 女子3名に男子2名。5名の学生のうち3名は前期の授業を受けた3年生女子2名と4年生の男子1名。ほかにこの春に卒業生した男子学生と単位に関係なくその後も聴講して3年目になる4年生の女子学生という構成。

 とにかく午後のお茶は、楽しくにぎやかだった。
 若者の自由なおしゃべりを聞きながら、授業とは裏腹にエネルギーをもらった。

 最後に野口体操の行く末を思う私としては、若い感性に問いかけてみた。
 こんな会話が交わされた。
「やっぱり、映像だよね」
「そうそう、出演者に誰をえらぶ」」
「齋藤孝先生とか、養老先生とか、誰でも知ってる有名人は?」
「それぞれの独自の主張をされたら、ヤバくない?」
「そりゃそうだね」
「たとえば、きゃりー ぱみゅぱみゅ、みたいな感じの子が、野口体操をやるってどう?」
「そりゃないだろー、色ついちゃうし」
「でも、面白いんじゃない」
「う~ん、対象はどうなのよ?」
「たしかに、誰に向かって発信するかだよね~」

 みたいな会話を聞きながらおかしくなったが、なるほど、思いもよらない発想だった。

 って、わけで、言葉は固すぎるきらいはあるけれど、「野口体操戦略会議」ー若者組・中高年組・混合組、エトセトラ、まずは自由な発想で無責任に話し合ってもらうのをやってみようかな!
 お知恵拝借プロジェクト、ですわね。
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8月の風と夕暮れの光線

2014年08月22日 08時37分19秒 | Weblog
 桜の木の下で、目を閉じたままからだを包むように過ぎていく風を感じていた。
 とっぷりと日が暮れるには、しばしの時間があった。
 耳にはヘッドホーン。iPhoneに入れてある曲を無作為に選び出す。
 ヴァイオリン、ピアノ、チェンバロ、ハープ、エレキ楽器、テノール、カウンターテナー、……時の過ぎ行くままに、音楽に身を委ねていた。

 久しぶり。
 何も考えず、何もかも忘れて、流れてくる音楽に心の重心を落としていく。
 午後2時間の大学体育指導者講習会も無事に終えて、11月に本番を迎える演劇の立ち稽古も見させてもらった。
 すでに明大シェイクスピア・プロジェクトの稽古ははじまっている。週に2回、午前中に指導している野口体操は、その日は休ませてもらった。
 
 6時すぎからはじまる懇親会までには、たっぷり時間があった。
 和泉から高円寺までは近い。一旦、自宅に戻って、出直すこともできる。
 でも……、神様からいただいた真っ白な時間を自分のためだけに味わわせてもらおう、と決め込んだのは2時間くらい前のこと。
 こんな過ごし方は、20代の頃、たった一人で古都を旅したとき以来かもしれない。

 稽古場を出て、図書館一階にあるカフェでお茶をすすりながら、外を眺める。
 夏休みでも部活動やサークルの稽古があるのだろう。帰っていく学生、来る学生。三々五々、行き交う学生の姿をぼんやりと見つめていた。
 ふと、少し離れたところにある桜の下で、音楽を聞いてみたくなった。
 春には満開の花で新入生を迎える庭。
 今は真夏の青々した葉を茂らせている。
 木々の間を抜ける風に、音楽の取り合わせは、極上の味だった。

 さぁ~、会場に入ろう。
 校舎のエレベーターに乗り込んだのは、6時15分を過ぎた頃だった。
 到着した6階から眺めた町は、昼と夜が交叉する夕暮れの柔らかな光に包まれていた。
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『大学体育指導者全国研修会』研修の講師を終えて

2014年08月20日 07時01分34秒 | Weblog
 平成26年度 公益社団法人 全国体育連合主催、文部科学省後援の講習会、三日間の初日メイン講座を無事終えた。
 8月19日、明治大学和泉キャンパス内にある体育館で行われた。
 出席された方は、全国から集まった現役の大学体育指導者60数名の先生方だった。
 30代を中心に、若い方は20代後半から、上は60代までの幅広い年齢層だった。
 日本における大学の体育教育を担っておられる方々の集まり。明るく活気にあふれ、イキイキした雰囲気のなかで、野口体操を楽しんでいただけた。
 
 はじめに、二人組のからだほぐしから入って、「上体のぶらさげ」を、まず体験してもらった。
 次に、Keynoteを使って、野口三千三が戦中の小学校教諭時代から、東京体育専門学校を経て東京芸術大学に赴任した歴史を紹介した。いかに真っ当な体育畑を一直線に歩み、体操の教師として生涯を全うしたかがしっかり伝わったようだった。
 その間に、サーカス、ボディビル、演劇等々とのかかわり、体操が「野口体操」になっていく、その過程も織り込んだことは好感をもって受け取ってもらえたようだ。
 とりわけ芸大の三奇人の話から、こうした名物先生が生まれにくい今の教育界に対する危機に近い思いを抱く先生に出会えたことは特筆すべきことと思う。
 部屋の反響と、私の早口のせいもあって、聞き苦しかったかもしれないが、それぞれの関心の強よさから全員の目がスクリーンに向かい、話を聞き逃さないように、という真剣な姿勢が伝わって救われたようだった。

 Keynoteには、野口のことばを引用して、野口体操のいちばん基本になっている「動きの理論」のページをもうけておいた。
 そこから「上体のぶらさげ」の深い意味を説明し、「鞭」「寝にょろ」「腕立てバウンド」時間ギリギリに「マッサージ」へとつなげていった。

 学生を対象とした授業の方法を縦糸に、野口先生譲りの大人向き横糸を絡ませて、全体を締めくくってみた。
 夕方からの懇親会では、構成がとてもよかった、とお褒めの言葉をいただいたり、体操の理論として「重さ(重力)」を主にし話をすすめたが、「上体のぶら下げ」が持つ普遍的な意味に特化してつなげたことに説得力があったらしい。
 重鎮のお一人が、ご自身が考えておられることと同じ方向を、すでに昭和24年(1949)には理論化していたことに驚きと敬意を持ったと話していただいたことは、とても嬉しいことだ。

 こうした成功の裏には、14日のリハーサル兼打ち合わせが大いに力となってくれたことは間違いない。
 Mさんのずばっと適確な指摘をうけたことで手直しをし、当日助手として付き添ってくれる北村昌陽さんとの打ち合わせと実技の確認、昼食から参加してくれた二階のぶ子さんとのやり取りがあって、昨日の講習会に臨めた。

 細かいことをいえば、問題は多々あるけれど、体育の先生方に野口体操の深さと楽しさはしっかりと伝えられた印象を、懇親会でいただいたことばから察せられ、大学体育にかかわって12年、こうした形でまとめられたことも含めて、野口先生によいご報告ができそうだ。
 
 そして助手をつとめてくださった北村さんが出過ぎず引っ込みすぎず、丁度良い加減のあり方に、野口体操に北村あり、と印象づけられたのも“野口体操プレデビュー”に最良の場だった、と今朝は胸を撫で下ろしている。

 実行委員会で準備から当日の段取り、組織立ったありかたに、しっかりのせていただいてありがたい思いに充実感をいただいた。
 さらにおまけまでついている。
 新宿までの道々ご一緒した先生から、ひとつの提案をいただき、これから先に一筋の光明を得た。
 その企画を実現する道筋を考えてみたいと思っている。

 今朝はまったく疲れもなく、よい目覚めだった。
 皆様、お一人おひとりに丸ごと全身から、感謝します。
 ありがとうございました。
 これからです。
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五木寛之作品を追って……

2014年08月15日 15時03分53秒 | Weblog
 再び暑さが戻ってきた。
 昼前に買い物をすませ、午後からは家に閉じこもって、19日の講演の準備をしようとおもっていた。
 机の上に置かれた読み止しの本に気づいて、ページをめくった。
『わが引揚港からニライカナイへ』
 
 私、子どもの頃、朝鮮から引揚げてきた一家に、ずいぶんとかわいがれていた。
 私、満州で奥さんと子どもを殺されたあげくシベリアに抑留され、昭和20年代末に帰国した宝石商の人にも大事にされた。
 私、同じくシベリアから昭和30年代になって帰国し、岩手の山村で国語の教師をし、その後30年代おわりに京都清水寺の僧侶となった方には、訪ねる度にお世話になった。
 皆、父の知り合いの方々だった。
 皆、すでに鬼籍に入られて久しい。
 子どもの頃の記憶には、終わったにもかかかわらず戦争を生きている人々が存在している。
 終戦となっても、人々の暮らしはすぐには終戦にはならないのだ。何年も何十年も引きずっているのが現実なのだ、ということを憶う。
 人を失い、財産や家財を失い、職を失い、残ったものは失意と苦い体験の記憶。
 幼少期を過ごした新宿の町には、なまなましい終戦直後があらゆる所に残骸をとどめたままだった。

 大人達は、どの人も言葉にすることは少なくても、それぞれの戦争体験をからだの隅々に宿し、子どもながらに戦争は残酷なんだ、と理解していた。
 そして、終わってから、新たな戦争が始まる、ということも。
 すくなくとも私が身を置いていた、現在はヨド橋カメラ本店のあたりには、猛烈な勢いの復興の裏側に、忘れられない戦時の経験がべったりとついていた。

 さて、五木作品を追うようになって10数年はたっているだろうか。
 昭和30年代から40年代の作品は、時代の風を具体に近い感覚でつかむための読書だった。
 昭和50年代、60年代になってからの作品は、違った意味で感性にフィットする何かを潜ませていると感じる。

 そして今この本を読みつつ、一気に昭和20年代のあの頃を思い出させてもらった。
 博多・福岡の旅から、沖縄を訪ねる第二部「神と人と自然が共生する空間」。
 竹富島で仏教では西方浄土であり、沖縄では「ニライ・カナイ」理想郷の信仰について、体験する著者の言葉に、生と死の境が曖昧になる瞬間を感じる。
《朝は朝日を拝み、夕には夕日を拝むという》
 八重山の島々にある神事。とりわけ秋の「種子取祭」にはニライ・カナイの神事、伝統的な祭りに仏事が入り交わっていることを記している。
《不明にも、私は浄土真宗がそういう形でここに根づいていることを知らなかった》とおっしゃる。
 
 祭りには音楽と踊りが欠かせない。五木さんが興味をもったパーカッションに竹製の「ササラ」があるという記述に出会って、オォーと思わず声をあげた。
 この楽器の由来は古い。平安期に描かれた「阿弥陀聖衆来迎図」に描かれているのだから。
 西方浄土信仰とこの楽器は切っても切れない関係にある。五木さんがこの楽器(神器)に興味を持たれていたというのも納得がいく。生と死を繋ぐリズムを刻む楽器(神器)なのだから。

 さらに読み進むと、地球交響曲第四番に出演された名嘉陸稔さんとの出会いに触れている。
 龍村仁さんのプログラムのチラシが、一部引用されていた。
 ……何となく感性の道筋が一本にしぼられてくるから胸が高鳴るのである。
 そして陸稔さんの制作姿をこんな風に描いている。
《身体の動きがダイナミックで速い。まるで現代舞踏を見ているような印象さえ抱く。土方巽氏の踊り、あるいは「大駱駝艦」のパフォーマンスを見ているような切迫感が感じられるのだ》
 なるほど、納得である。

 話は焼き物の「窯変」にたどり着く。予期せぬ色や文様になったり、変形していることをあらわしている、と。
 かつて野口三千三先生につれられて「曜(窯)変天目茶碗」を見たことがある。小さな茶碗に漆黒の宇宙に数々の星雲の動きを見た記憶が甦る。

 そんな世界に遊んでいると、「沖縄アクターズスクール」の話がリアルに描かれている。

 旅も終わりに近づいたところで「悠久のリズムと現実の緊迫感のなかで」と小見出しにであう。
 2006年に書かれたものだが、2014年の今年、内外に緊迫感が増し、この一冊が訴えるメッセージは、更に重みを増しているのだ。
 作家は、先の先が予め見える宿命を負っている存在なのだなぁ~、と思う。

 青史ではなく、一人ひとりの中に眠る歴史をそのままにしてはいけない。戦争反対を声高に言わなくても“体温のある歴史”を大事にすれば、自ずと答えは出てくる筈。しかし、私たちはその“体温のある歴史”をいつの間にか失ってしまう。とても怖いことだ。
 この言葉にこめた意味が、ズシーンと腹に落ちてくる。

「青春の門』で書かれていた方言、話言葉が美しかったことを思い出す。
 重層的な文化が育んだ生きた言葉だった。
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お盆さんの贈りもの

2014年08月13日 08時59分26秒 | Weblog
 東京は7月にお盆さんを終えている。
 そして8月。
 多くの人が帰省して町はがら空きになり、走る車も減って大気は清々しい。

 久しぶりにブログを開けた。
 ログインして、少しほっとした気分で、キーボードに向かっている。
 先月末に成績をすべて出してから、いくつもの所用を終わらせた。
 ハンナ・アーレントのDVDも見終わっている。感想は改めて書いてみたいと思っているが、逃げないで哲学し、思考を続けるしぶとさは、彼女の出自や先の戦争の体験がそうさせていることは大きいが、この世に生を受けたからには個としての存在を全うする強い意思が貫かれていることが全編を通して伝わってきた。

 昨日から、2006年に出版され、8月にちくま文庫に入ったばかりの『隠された日本 博多・沖縄 わが引揚港からニライカナイへ』五木寛之著を読みはじめた。
 一人の作家の深まりゆく思索と祈りの旅に、読む行為を通して同行していく。
 頁を繰るにつれてなかなかにしんどさが増すが、しんどい故に読み応えを感じている。

「花子とアン」も、主役を凌駕する脇の二女優の競演にナレーションの美輪さんが絡み、嘉納伝助の男が上がって、毎朝が楽しみになっていた。
 そして今朝は中盤の山場、花子の子どもの死に和歌を添えて、文学好きにはたまらない描き方に心が揺れた。
 日常に埋没する暮らし向きに、頓に失われつつあった自分のなかの情緒が、沸々と湧きあがってきたようだった。
 
 周りが止まっているこの時に、明日はリハーサルをかねた打ち合わせを予定している。
 その後に、もう一人の来客が加わる。この家を建て替えたとき、彼女からお祝いとしていただいた夏らしい飾りものを、玄関からはいったすぐの蔵前に飾った。

 こうして旧暦のお盆から取り残されている在京の人間にも、普段とは異なったゆったりした時間が流れていく。

 しばらく聞こえなかった蝉の声が、今、再び耳に届く。
 そっと目を閉じて聞いている。
 と、誘われるように波の音が聞こえてくる。
 火傷しそうな砂の上を駆け抜けて海に身をしずめた、あの感覚も戻ってくる。
 蝉の声と潮騒の音が一体となったのは、いつのことだったろう。
 夏が好きな子どもだった、私。
 
 みんなみんな、お盆さんの贈りもの。 
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