羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

朝カルオンライン野口体操講座 10月1日のお知らせ

2022年09月28日 19時21分42秒 | Weblog
夏の名残の暑さに、時折吹き込む秋の風が心地よいこの頃なりました。
今週末土曜日の講座のお知らせです。3時半から70分です。

今回は、はじめての試みで、生徒さんをお呼びしてその方にレッスンをするようなあり方をしてみたいと思います。
その様子を見ながら、ご自身の体操を探っていただければ幸いです。

本日、彼女と共にリハーサルをしましたがなかなか面白い、と自画自賛しています。

ではWebでお目にかかりましょう!

「女性セブン」の取材でいらしたライターさんとカメラマンさんに野口体操体験をしていただいた時の写真です。

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日本初のホームページ

2022年09月24日 07時55分07秒 | Weblog
9月24日付け 朝日新聞be 「はじまりを歩く 日本初のホームページ(茨城県つくば市)」

毎週、土曜日には「はじまりを歩く」を声を出して読む練習に使わせもらっている。
本日の記事を読み上げながら懐かしさを覚えた。
記事によると、日本初のホームページは、今から30年前1992年9月30日 茨城県つくば市の高エネルギー加速器研究機構(KEK )から発信されたと知った。



1992年といえば、私は43歳だった。
翌年には、Macのコンピュータを使い始めた。
当時のメル友はたった三人。しばらく経っても、友達はなかなか増えなかった。
そのころのインターネットは電話回線を使っていた。そのこともあって、PCから直接ファックス送信していた。

さて、野口体操のウェブサイトのこと。
1997年夏のこと、年若い友人がホームページ制作会社を立ち上げた。その最初の顧客となったことが「野口体操公式ホームページ」のはじまり。
最初の一作目は、佐治嘉隆さんが写真を提供し、私が書いた文章をもとに、友人が作り上げた。
この頃、大企業はサイト作りに消極どころか、否定的な印象さえ持っていたようだ。

実は、日経新聞の「文化欄」で、「インターネットは弱者の媒体」という内容の記事を読んで、「これだ!」と思って始めたことだ。
しかし野口体操の関係者は何のことか、まったく理解してくれなかった。
今は昔のお話である。

サイトはいつでも公開できる状態になっていた。タイミングを模索していた。
ところが野口三千三先生の体調が悪くなって時期を逸した。そして残念なことに、翌年の3月に先生が亡くなってしまわれた。
考えあぐねた上で、四十九日を待って「追悼 野口三千三先生」として、初夏に公開に至った。

それから25年、2回目からは佐治さんが制作に積極的に関わってくれた。
さらに現在のサイトは四代目になるだろうか。紙媒体との大きな違いは、過去のものは消えてしまうので、閲覧することができないこと。



アーカイブとして保存する取り組みも始まっているそうだ。わがウェブサイトはその範疇にはることはないだろう、と思う。

佐治さん亡き後、これまでのものを継続して管理している。
五代目はどんなサイトになるのだろう。
まったく予定はない。

しかし、こんな時代が来るとは、とうてい想像もしなかった。
新しもの好きの私も、息も絶え絶え、ついていくのが精一杯。
日々の変化に息切れ状態である。
若い人にバトンタッチする日も近い。

そもそもバトンを受け取ってくれる若人がいるのだろうか。
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朝の贅沢

2022年09月22日 07時39分03秒 | Weblog
起床時間が早くなって久しい。
原稿を書いたり、体操したり、ピアノの稽古も、まずは午前中に終える。
歳のせいか、などと嘆くことはない、と言いつつもちょっと微妙な心理。

さて、昨晩、就寝前に思ったことがある。
明日は、岩魚の燻製をいただこう!
我が家の冷蔵庫でほぼ6日間ねかせた。

『岩魚 燻製 青森県浅瀬石川上流青荷川 2022・8・20釣上
青荷温泉で冷凍 解凍後燻煙 9月17日製造 〈要冷蔵〉』

白湯を口に含んだあと、炙った燻製をちぎって、口に運んだ。
舌に乗せた瞬間に“複雑さ”が口中いっぱいに広がった。
味も香りもいい。

本来は、晩酌には最高の肴なのだろう。
その選択は私にはない。
というわけで、感覚がクリアで雑音がない朝食前に味わうことにした。
正解だった!

こんなに美味しい食べ物があるだろうか。
またの機会を祈らずにはいられない。

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10月に予定している催しの準備

2022年09月21日 12時55分33秒 | Weblog
昨日は、埼玉在住の演奏家を訪ねた。
実際にあって話をしてみたことで、細かなニュアンスがつかめた。
大切な要件、演奏していただく選曲もすんだ。

一方で、プログラム制作は遠方の方が引き受けてくれたため、SNSを活用している。
紙や文字の大きさは、YouTube映像で《表紙ー見開きページー裏表紙》をめくりながら見せてもらったことで、手に取った時の大きさや全体のデザインも理解できた。
細かい修正などは、解像度の高いアプリで見せてくれる。

そして来週には会場の下見に行く。
講演を予定している方も、同行してくれることになった。

さらに参加の皆さんに当日の会場入場のための通行証も用意した。
一昨年、コロナ禍で先送りになった時につくったものを保管してあった。



佐治嘉隆さんが存命中に印刷してくれた紙を差し込んだもの

まだまだ決めることなどたくさんがあるが、粛々とすすめたいと思っている。
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残り香

2022年09月19日 08時17分33秒 | Weblog
いつだったか、どこだったか、「土と炎の芸術」だったか。
古い記憶から「古備前の大壺」が姿を現した。
昨晩、頂戴した「岩魚の燻製」を食していたときのこと。
器って大事だ。
普段使いの皿に、何気なくのせていたことに、心がうずく。
違うな!
とき遅し。


「楊枝を外し、炙る程度に温めて、手でむしって。」
手製の燻製に添えられた手紙に、そうしたためてあった。

男の究極の趣味「渓流釣り」。
趣味を極めるには、“玄人になること”が求められるようだ。
今年、青葉の季節に知ったばかり。
こちらはまったくの門外漢。

しばらくして一枚のDVDが届けられた。
これである。

第十四世 マタギ 松橋時幸を1年間にわたって取材したドキュメンタリー作品。取材する人は、松橋の一代記を著した甲斐崎圭氏である。

雪深い山中で熊狩を行うマタギは、同時に渓流釣りの名人でもある。
                  
甲斐崎は書く。
《背に小型のリュックを背負い、腰に魚籠とナガサをつけた時幸の姿は、渓風にまぎれるように気配を薄くするのだ。それは多くの釣り人がやる匍匐の潜み姿勢ではなく、一本の木、一塊の石、一叢の草になってしまったような自然体である。ちょっと見ると棒立ちのように思えたが、時幸は影さえも消してしまったように静謐だけが渺々と流れる渓の中に立っていた。》
           『第十四世マタギ 松橋時幸一代記』ヤマケイ文庫より

この人は、手づかみで「岩魚」をしとめる。

後継は、いるのかいないのか。
それは知らない。
「あきらめも肝心」
最後に、ぽつりと漏らした。
昨晩、燻製の「岩魚」を口に入れた瞬間に思い出された言葉だ。
                  

ふと見ると、岩魚の背骨だけが残っていた。
魚類の背骨は直線なのだ。
進化は長い時間をかけて、背骨を曲線に変え、ヒトの体はS字型になった。
そんなことはどちらでもいい、と言いかけて気付かされた。
・・・・白い背骨は、なんと初々しく可憐なのだ・・・・
我にかえる。

岩魚の燻製には、“土と炎”、高温で焼かれる備前焼がふさわしそうだ。

今朝、家の中には、残り香が。
忘れずにおこう。
自然の命をいただきました。                         
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おそろしー「年表という資料」

2022年09月18日 07時08分51秒 | Weblog
「日本の古本屋」Webサイトには、ない本はない。
今回も、期待しないまま検索してみた。
あるではありませんか!
『東京大学学生基督教青年会百年記念誌』
時間はかかったが、大学のお膝元・文京区弥生の三書樓書舗から送られてきた。学術図書・資料・雑誌ー今時の通販専門書店だった。



本が来るまでに木下順二『本郷』を読んでいた。
この本に書いているように、木下さんは、大学入学と同時に入寮して寮の客間に卒業後も居続けたので、通算17年間、非合法に蜿蜿と蟠踞し続けたと書いている。
そこに蜿蜿・蟠踞していたもう一人の人間が、森有正さんだった。
この寮で、二人は単なる友人としての関係ははるかに超えて、生涯を通して深い絆で結ばれる関係を築くことになる。
それを許した鷹揚な時代は、今となっては夢物語り。
しかし、その鷹揚さが、劇作家・木下順二(「ぶどうの会」や「山本安英の言葉の勉強会)、そして哲学者・森有正という文化を育てた。

パソコンでこの文字を打ち出す手を止めて、紙の漢和辞典で二つの熟語を調べてしまった。
「蜿蜿(蛇や虫や竜のようにうねうねと長く続く意)」
「蟠踞とぐろを巻くような状態で、しっかり根を張って動かない)」
なんとなく分かる、を超えて、ものすごく実感がこもった文字に、漢字の持つ力量に打ちのめされそうになった。

さて、この本『東京大学学生基督教英年会百年記念誌』に附解説としてついてきたのが、『「年表 附解説」明治元年(1868)ー昭和二十七年(1952』である。
これがえらく参考になる。
全ての年にチャペル等で催された行事、講演会、演奏会、クリスマス祝会が克明に記録されている。
実質、日本をつくり上げた多く卒業生の行動も、全体の流れのなかで見えてくるから面白い。

木下さんと森有正さんに焦点を当てて、ここに淡々と書かれている記述を読んでいると、一人青年、いや二人の青年が体験し、少なからず人間形成に関わったであろう宗教・文化・教養・思想・価値観等々を、88年間の歴史の中で捉え直すことができそうな気がしてきた。大きな果実の前で、よく研がれたナイフの刃をいつ入れようか。手が震える。

本来の目的軸に戻ってみると、岡倉士朗、木下順二、竹内敏晴、の人間模様。そこに絡む山本安英の存在。そして野口三千三がどのように関わっていったのか、私の中で、それぞれが少しずつ声をあげ、輪郭を描き、立体造形になって動き始めてきた。

困ったことに、あらぬ妄想にも駆り立てられる。
「いっそ小説の方が、フィクションの方が、真実を描けるんじゃないか」
戯言を言っている夢で、今朝は目が覚めた。
ふぅー。
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「折々のことば」2500回 鷲田清一

2022年09月17日 08時56分50秒 | Weblog
2022年9月16日(金) 朝日新聞 朝刊 文化
連載2500回の前日、鷲田清一さん 寄稿文に感銘。

ことばの暴力と無力 それでも
つぎの思考への贈り物 うなだれてはいられない

2022年9月17日(土)朝日新聞 朝刊「折々のことば」鷲田清一
「2500」と小さな文字が記されていた。
昨日の寄稿文を読んでいなければ、気づかなかったかもしれない。
双方合わせて、胸にそっと秘めておきたい。


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朝食の前に

2022年09月16日 06時50分22秒 | Weblog
昭和36年から昭和49年までの野口ノートを主役に据えて、自分の足で集めた本や資料、「日本の古本屋」Webサイトから得た本、加えていただいた本や資料を脇役に、さぁー、野口三千三と演劇についてラフなまとめをしてみよう。

予想はしていた。
想像もしていた。
難しいだろうと覚悟はしていた。

この夏の間に集めたもの、集まったものの一部です。
一応、目を通した・・・・・・いざ。



今朝、秋の始まりの空を見上げなら、フーッと息を吐き、スーッと息を吸った。
何回か繰り返して。

みなぎるものがある! と言いたいところだが。
はぁ〜っ へなへな〜〜

気を取り直して
“まずは、食べよう”
朝食の支度を始めた。

みのりの秋は、食からだ。
身体を充実させてから、言葉の秋に取り掛かろう。

いただきまーす!


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“風が女を包んだ。女は秋の中に立ってゐる。”『三四郎』

2022年09月15日 09時11分16秒 | Weblog
『夕鶴」を読みながら、ヒロイン「つう」のイメージを具体的につかみたかった。具体的というのもおかしな表現なのだけれど。

木下順二『本郷」を読んでいて、目が釘付けになったページがある。
「九」より
《それが三四郎との関係において、三四郎の精神を通してこちらへ伝わってくるとき、美彌子さんは不思議に形而上(スピリチュアル)であり霊妙(エアリアル)であり、つまり実在と非実在のあわいに立つ魅力的なイメージである。》

木下順二・青春の頃に『三四郎』を耽溺して持った印象から、こうしたイメージへの憧憬のようなものが棲みついたという。
その言葉に続いて、詩人の茨木のり子さんからの次のような指摘を受けた、とある。
《つう(『夕鶴』)や秀(『沖縄』)や影身の内侍(『子午線の祀り』)などのキャラクターに共通するそのような要素 云々》

漱石が描いた美彌子さんのイメージは具象的に描かれているのに、木下さんの中の美彌子さんは、確実に存在しているにもかかわらず、とらえがたく深い含意と強い魅力的を持つ女性として残っている、と書かれていた。

木下さんは、新劇の前に歌舞伎と衝撃的な出会いをしている。
いや、歌舞伎に限らず、日本の伝統芸能への造詣が深い。

“実在と非実在のあわいに立つ”というイメージは能にも近いかもしれない。
それを知って『夕鶴』を読むと「つう」の存在がわずかに生き生きしてくるのだった。

思った。
木下順二は日本のシェイクスピア。
しかし、木下さんには不幸な出来事がのしかかる。
日本の現代劇の戯作者として、台本を書き、それを次々と舞台にのせる。
その夢が叶い始めた矢先に「ぶどうの会」解散で空中分解。多くの役者を失う浮き目にあうとは、どんなに悔やんでも悔やみきれなかっただろう。

そして、その先に、思う。
木下順二に野口先生はどような接し方をしたのだろう。
想像は尽きないのだが。
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舞台芸術

2022年09月14日 13時16分37秒 | Weblog


写真は、「夕鶴」一千回公演記念・1984年7月・山本安英の会である。
夕焼け色の表紙に、柔らかい和紙のカバーがかけられている。
中には、木下順二 山本安英 自筆のサインがある。

先週の土曜日、朝日カルチャーの土曜日クラスにこの本を持参し、回覧してもらった。
最後に手を取った方は、トライアルの女性で、私の目の前にいらした。
縦20センチ、横幅12・3センチの小型の本を、両手でささげ持って私に返してくれた。みると「夕鶴」の朱色文字が、真っ直ぐ私の方に向けられている。
思わず「ありがとう」と彼女の目をしっかり見ながらお礼を言った。
ぞんざいに扱わない心遣いに、彼女への好意を抱いた。
聞くと、木下順二も山本安英の「夕鶴」もまったくなじみはない、という。
余計に嬉しさが増すではありませんか。

さて、この「夕鶴」の台本を読んで、つくづく思ったことがある。
舞台芸術というのは、作者(作曲家)による作品があって、演じるキャスト・役者(演奏家)がいて、さまざまスタッフいて、観客がいて幕が開く。
それで作品が作品として完成する、と言いたいところだが、それだけではまだまだ完成とは言えない。
その作品が、何度も繰り返し上演されて、磨かれて、無駄が削ぎ落とされて、洗練されて、何度もカーテンコールが繰り返されて「舞台芸術作品」となっていく。
「夕鶴」は、山本安英主演で千回の記録を得たことは本物の証拠。
しかし、それでもまだまだ。
次には他の主役やメンバーによって上演され続ける。そのことも条件にしたい。

実は、昨日、「野口体操の会」の顧問・二階のぶ子さんと井の頭公園を短い時間だったが散歩した。
二階さんの母校でも「夕鶴」は、生徒たちで上演してきたという。
なかなか上手に演じていて、観客たちを感動の渦に巻き込んだそうだ。
脚本がいい、演じる役者がいい、裏方がしっかりしている。
そして観客があたたかい。
いろいろ条件が揃って、はじめていい舞台になってくれる。

さて、こうした学校演劇を本気で育てたのは、演出家・岡倉士朗さんと竹内敏晴さんだ。
話は少しズレるが、岡倉さんと木下さんの演劇との馴れ初めを書いておきたい。
岡倉士朗さんは、進学した立教大学で英語劇・キリスト教演劇部に入部したのが演劇との関わりの始まりだった。
今でもこの部活動はつづいていて、立教の中でも百年を超える伝統ある部だ。

一方の木下順二さんは、東大に入学して「東京大学学生基督教青年会寮」に入寮したことで、毎年12月に催される「クリスマス祝会」で上演されるキリスト教劇によって演劇に目覚めた。
この時、すでに女優として活躍していた山本安英さんを招いて指導を仰いだことが、のちの演劇活動の拠点「ぶどうの会」の結成につながっていく。

話は外れてしまった。
舞台芸術の作品が根付くということは、人の思いだけではどうにもならないことを書きたかった。
つまり、“運という名の女神”が、微笑んでくれるかどうかが、もう一つの要だといいたい。

それにしても岡倉さんも木下さんも明治大学で演劇論の中で「シェイクスピア」についても講義している。
そして今年も11月に「シェイクスピア・プロジェクト」の学生たちの公演がある。

つくづく思う。
「私家版 哲学する身体 野口三千三伝」を書いているおかげで、あっちこっち道草をしながらも楽しくて仕方ない。知らないことを知る。野口三千三に関わった人の生き方を知り、さらに想像を膨らませる。
なんと至福なる晩年!

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昨日のこと

2022年09月09日 11時31分02秒 | Weblog


9月8日、今度は事前にアポをとって、東大基督教学生青年会寮を訪ねました。
貴重な本のコピーをいただいたり、木下順二さんの『本郷』を紹介されて、山本安英さんと木下さんの出会いや、「ぶどうの会」のことなど、これまでわからなかったことが明らかになってきました。
野口先生と岡倉士朗さん、木下さんが面会した喫茶店の名前も判明。
おそらく「南米」ではないかと。

気付かされること、野口先生が不思議に思われていたことなど、収穫多い訪問となりました。

昭和30年当時ならば、台東区上野の芸大から文京区向ヶ丘・本郷までは徒歩圏ではなかったか、とも。
言問通りから不忍通りに出て歩いていると、文京区と台東区の境界がはっきり示されていることに気づきます。
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1週間前のこと 明日のこと

2022年09月07日 16時37分36秒 | Weblog
先週の木曜日のこと、東大YMCA寮を訪ねたその足で、言問通りから不忍通りを歩いて不忍池のほとりで写真を撮った。
この写真はその中の一枚。

さて、明日、東大YMCA寮の方から、あらためてお話を伺う約束をいただいた。
今日は、その準備をする中で木下順二さんとキリスト教の関係に思いを巡らせた。
なぜ、この寮に入ることになったのか。そして、ここで暮らすことからの影響はどの程度あったのか、なかったのか。
なぜ、ここを「ぶどうの会」の稽古場として使うことができたのか。

どこまでお答えいただけるかは、わからない。
それでも話を伺ううちに、何か掴めるような気がしている。





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明大シェイクスピア・プロジェクト

2022年09月06日 13時28分03秒 | Weblog
明大シェイクスピア・プロジェクト

今年の稽古場は、新しい建物に変わっていた。
オンラインでおこなってきた2年間に出来上がっていたホール付きの明大和泉校舎。

この4階の教室を使っている。
本日は30名参加。
「オービットボール」と「和紙」で感覚訓練のレッスンだが、こちらが意図した以上に楽しく遊んでくれた。

どちらもとても活発で素敵な反応を返してもらった。
持っていった甲斐がある。

本日も気持ちよくWSを終えることができました!
写真は、出来たての校舎の一階ロビーです。
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今朝の夢

2022年09月04日 10時05分55秒 | Weblog
「暴露本になってはいけないよ!」
誰の声だかわからない。
でも、はっきり聞こえてきた。

以前から、出どころのわからない、真偽ほどが疑わしい話が、いくつも耳に入っている。

気をつけよう。

野口先生も明け方のお告げをよく口にされていた。
あるんですね、夢のお告げって。

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正夢

2022年09月03日 10時08分00秒 | Weblog
今朝は、原稿を書いている夢で目が覚めた。
私家版『哲学する身体 ある体操教師の生涯 野口三千三伝』第2部 「演劇−1、岡倉士朗との出会いと別れ(仮)」。
正夢にするべく、その出だしの内容を忘れないうちに、先ほどから打ち出した。

実は、昨日のうちに少し書き始めていた。
なかなか思うようにいかなかった。
「お姉ちゃま」と言ってくれる女友だちからFBに
「焦らず、時が満ちた時にどっと書けるのでは?」
そうコメントいただいていた。
まさに!
スラスラと文字が並んでいくではありませんか。
もっと書きたい。
その思いを、一旦、シャットダウン。

午後の朝カルオンライン野口体操講座の準備にとりかかります。
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