羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

つづきはWebで……

2015年06月27日 07時36分39秒 | Weblog
『野口体操入門』の“まえがき”に、期末リポートとして提出された『野口体操のススメ♥』を3頁ほど掲載させてもらった。
 これが好評で、皆さんが口を揃えて褒めてくださる。
 岩波現代文庫としては、相当にインパクトが強かったらしい。

 編集の方からいただいたメールにこんなエピソードが書かれていた。
《 印刷所の人からは、印刷を担当した人から「この漫画のつづきはどうなるの?」と聞かれたとか。 》

 実は、文庫版のサイズが小さいので、「ふきだし」の中の文字をパソコンで打ち直すと読みやすくなるのではないか、という意見はあったものの“ 学生が手書きで書いたところによさがある訳で ”と、その意見は私個人の考えで却下させていただいた。
「漫画専用のソフトは持っていないし、本職の漫画家がえがいたものではないのだから、いいじゃありませんか」
 そうお答えした。
 
 掲載するかしないかで、多少、意見がわかれたらしい。
「あの文脈ではのせた方がいいし、若い人に親近感をもってもらえるのでは」
 そう考えた編集の方が、製作の人にどの程度の解像度ならば掲載可能か、と問い合わせた、という。
 そこで佐治嘉隆さんの登場である。
 より解像度の高いデータを、編集部に送ってくださったことで、無事に実現した「漫画3頁」だった。
 「つづきはWebで……」なんですよね。

 で、ハッとしましたね。
 一番最初の読者は、印刷所の担当者なんだ!ってこと。
 野口先生がご存命のときには、まず、先生に一番先に目を通していただいた。でもこの段階では完成形とは言えない。ここから手直しを始めて、最終的には全く違うものになっていく。
 没後は、編集者の方を頼って、草稿以前の段階で読んでいただいてきた。なので編集の方も、一番最初の読者とは言えない。
 印刷所に回るときには、すでに完成形だ。
 思いがけず漫画が入ったことで、最初の読者が誰なのかを知ることができた。
 かくして多くの方々の意見や思いや……尽力で、一冊の本が出来上がってくる。
 
 野口三千三著『原初生命体としての人間』の初版・三笠書房版をつくりあげた当時の編集の方は、転職したためにこの一冊しか編集しなかった、と伺ったことがある。

 本には、それそれに隠された深い思いがあるんだなぁ~、なんて素敵なんだろう!
 以上、本日は、出版裏話でした。
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『野口体操入門』にちなんで……漢字の本

2015年06月26日 09時05分56秒 | Weblog
 第一章「身体感覚を甦らせよう」ーエピローグーで触れている、1970年代半ば。
 はじめて私が野口三千三の体操教室に足を踏み入れた当初、有吉佐和子の『恍惚の人』がベストセラーになっていた。
 森繁久彌主演で映画化されと当時、社会に与えた衝撃は大きかった。「認知症」が問題となっている現在、作家というものは先取りの感性に優れた特性を持った人こそが大成できる、と今となっては彼女のすごさに驚きを禁じ得ない。

 さて、野口先生は長編小説『恍惚の人』をもじって「自分は甲骨病です」と高らかに宣言し、体操の教室でありながら漢字の教室のようなレッスンを展開されていた。最初は戸惑ったものの、すぐさま慣れてしまった。
 板書は漢字の語源、大和言葉の字源がかかれ、レッスンの初めから1時間、長いときにはさらに30分ほどが、ことばの時間にあてられていたこともある。ほとんど動かないで話に聞き入るわけだ。動きについていけない迷い込んだ猫状態のわたしにとっては悪くなかったのね。

 当時、主に紹介されたのが白川静の本だった。
 まだまだ日本、いや世界でこの碩学の長老の存在を知る人は、ごく僅かでしかなった。私とて、野口体操教室に通わなければ、一生、白川文字学とはまったく縁がなかった。

 久しぶりに書棚から本を手元に集めてきた。
 初版が出版された順に紹介しておきたい。

 1971(昭和46)年4月10日 『金文の世界』  平凡社東洋文庫 184
 1972(昭和47)年2月29日 『甲骨文の世界』 平凡社東洋文庫 204
 1976(昭和51)年1月16日 『漢字の世界1』 平凡社東洋文庫 281
 1976(昭和51)年3月26日 『漢字の世界2』 平凡社東洋文庫 286

 1977(昭和52)年1月10日 『古代漢字彙編』 木耳社 小林博著 白川静序

 これらの5冊が、甲骨文・金文といった中国古代文字を学ぶためのよすがとなった。
 因みに、『字統』や『字訓』さらに『字通』が出版されるのは後のこと。一般的な評価は皆無の時代だった。

 今朝、一冊ずつ本を開いて、改めてすこしだけ読み返してみると、とても新鮮。
「頁はめくったものの、殆ど理解していなかったー」
 今となっては手に入りにくい本が残ったことだけでもよしとしよう!(影の声)

 学校では習わなかった“ことばの海”に漕ぎだす船に途中乗船させてもらったのだ、と往時を手繰り寄せて懐かしい思いに駆られている。勉強のやり直しは、今からでも遅くはない、と言い聞かせている。(影の声)
「なんで体操に古代文字なの?」
 そんな疑問もなかったわけではない。
「まッ、いいか。面白そうだから」
 というわけで、体操にも文字にも興味津々の26歳のわたしであった。
 若さとはなんと無謀!(影の声)
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いよいよはじまりまーす

2015年06月23日 08時18分06秒 | Weblog
 今朝、5時少し前に朝刊を取りにいった。
 二階に上がって椅子に腰掛け、障子を開けて外光を背に受けて、一面から読みはじめた。
 そして二面!
 すーっと視線を下におろしていく。
「岩波書店だ」
 6月の新刊案内広告が載っていた。

 右から左へ何気なく視界をずらす。
「おー、載ってる」
 現代文庫の最後に『野口体操入門』を発見。
「左下の最後は目立つー」
 いい年をして、恥ずかしいが、なんとも嬉しかった。
 書店にも並んでいるし、知人友人への配本も済んでいる。
「これであたらしい本の誕生だ」
 心のなかでつぶやく。

 12年前にアクティブ新書から出版された同名の本の復刊ではあるが、「第一章ー野口体操前史 野口三千三の足跡を追って」と「まえがき」、そして「あとがき」は、精魂込めて書いたことでお許しいただこう。
 すでに手にされた方からは、立教大学の女子学生・中川果林さんのリポート『野口体操のススメ』漫画が好評で、本のなかに一部掲載させてもらった甲斐があった。

 もう一つ、お知らせ。
「野口体操公式ホームページのPhoto gallery に、佐治嘉隆撮影の「砂のアラベスクー砂に潜む生命の囁きをー」と題した世界の砂の写真を加えました。オートスライドショーになっているので、一枚ずつめくる必要がなく、じっくり味わうことができる。
 野口三千三先生のもとに集まった砂たちのさまざまな姿から、地球鉱物の多様性が見えてくる。
 とりわけ「潜む」ということばを選んだのは、野口先生がお好きな言葉だったから。
 ひそひそ、ひそやか、ひそむ……「hi・so・ya・ka」「hi・so・mu」「ひ・そ・む」という音が先生のからだに心地よく響いていたのだろう、と思う。「秘める」「hi・me・ru」という発音よりも自然な音の配列を、からだの動きに落とし込んでいらしたと、最近になって感じている。
 ぜひ、以前お分けしたポストカードをお持ちの方も、改めてご覧になってください!
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『野口体操入門』表紙写真

2015年06月19日 13時37分56秒 | Weblog
 表紙に使われた野口三千三の写真の大本が、写真家の佐治さんのブログ「芭瑠庵」本日6月19日に掲載されています。
 正座してアンモナイトの化石を手に持って、話をしている写真です。
 素敵な頁になっています。
 
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「生卵との対話」へ寄せられた情報

2015年06月18日 10時29分43秒 | Weblog
 昨日のブログを読んでくださった方から、舞踏家の天児牛大氏の作品が、野口三千三と野口体操の出会いから多くの示唆と貴重なエッセンスをもらったことがわかるサイトを紹介されました。
「生卵を立てる」それがキーワードです。
 2009年の天児氏の記者会見の情報です。ご紹介します。
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「生卵との対話」

2015年06月17日 11時35分27秒 | Weblog
 1981年1月30日「朝日新聞」朝刊「天声人語」より
《 生卵を立てることができますか、と若い友人のA君にいわれた。残念ながら立てたことがないというと、A君は翌日、買ったばかりの卵を五つ六つ持ってきて、論説委員室の机に立ててみせてくれた。いとおしむようにていねいに扱うと、それにこたえて生卵はすっくと立つ。 》
「卵は立つ」話は、こうした文章からはじまる。

 実は、1981年当時「天声人語」を担当しておられた辰濃和男氏とひょんなことから、お目にかかる機会を得た。それはこの記事を書かれてから10年以上過ぎたころだったのではないか、と曖昧ながら記憶している。
 偶然は重なる。
 ここにかかれているA君から、野口三千三没後に私は「AERA」に掲載された記事の取材を受けている。

 それはさておき、「天声人語」の話に戻そう。
 辰濃氏は、電話取材で野口とことばを交わしている。
「どのようにして卵が立つことに気づいたのですか」
「中谷宇吉郎氏の随筆です。あれに教えられました」。
『立春の卵』と題する随筆では、卵は立春に限らず「卵の形は立つような形をしている」。「立つべくして立つ」その理由を明快に説明している。
 辰濃氏の野口の紹介は、《 立つべくして立つ卵に学び、人間が正しく立つことや、力をいれずに逆立ちすることがどんなに大切なことか、を深く探求している人だ 。》と書かれている。
 
 1972年に三笠書房から初版が出た野口の著書『原初生命体としての人間』(現・岩波現代文庫版)では14頁から6頁にわたって「生卵との対話」が描き出されている。
 立つことが当たり前の生卵だが、立った姿は芍薬? いやいや《 宇宙の原理にとっぷりつかってそれを信じきっている。 》(『原初生命体としての人間』)
 つまり信ずるものは美しいのである。

 遡って野口がはじめて人様の前で生卵を立ててみせたのは、1960年ごろに催された演劇関係の講習会だった、と聞いた。
 泊まり込みで開催された講習会は長野県であったらしい。
 朝食に出された生卵を、野口はなにげなく立ててみせた。すると隣にいた人が驚いたのをキッカケに、大騒ぎになって、ついで全員が生卵立てに夢中になった。
 コロンブスの卵は生卵ではなく、ゆで卵の底をつぶして立ててみせた。そのことは殆どの人が知っている。が、生卵は立つはずがない、と思いこんでいる人の方が多かったから、その驚きとは新鮮そのものだった。
 
 如何に人は先入観に毒されているか!
「天声人語」で辰濃氏も書いている。
《 「立つはずはない」と思いこみ、誤解に安住していたのだ。そういう誤解が周辺にまだまだあるのではないかとふと思う。 》

 辰濃氏の感想は、殆どの人の感想といってもいい。
 そのことを逆手に取った野口は、すでに1960年代の東京芸大の授業で、一つの試みをしている。
 一クラスの学生を半分に分けて、片方の学生には生卵を立てて見せてから練習をさせる。
 もう片方の学生たちには、生卵が立つ姿を見せずに練習をさせる。
 結果は、ご想像の通り。
 立たせて見た方の学生たちの多くが、難なく生卵を立てることができた。
 もう一方は、なかなか立てることができなかった、という。
 先入観を持たせる、その意味がここでも見事に結果を分けたことになる。
 その情景を目にして、にんまりした野口の顔が、想像できませんか?

 かくして『原初生命体としての人間』の「生卵との対話」は、素敵なことばで結ばれている。
 立っている生卵はちょとした揺れでも倒れてしまう。
 野口はそのことに対して、はじめのうちは不安と脆弱さを感じさせられた、という。しばらくして見方を変えると、倒れる生卵に新しい動きの価値を見いだすことができた。
《 「 不安定を創りだす(バランスを崩す)能力は動きのエネルギーを創り出す能力である」と積極的にとらえなければならない。 》(『原初生命体としての人間』)
 
 このことは晩年になって「崩れこそ動きの原点である」という野口のことばにまとめられていった。
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『野口体操入門』岩波現代文庫版

2015年06月13日 09時48分18秒 | Weblog
 今、6月16日発売の『野口体操入門 からだからのメッセージ』を受け取りました。
 なんだかとても嬉しい。なぜだか、ことばにはならない嬉しさがこみ上げてきました。

 まず、表紙の野口三千三先生の笑い顔に、思わずほっこりしてしまったことだけは確かです。
 1996年、亡くなる2年前の写真で、月並みな表現だけれど、授業に当たって、準備周到、常に細やかな心配りを見せ、繊細な感覚でからだと対話し、精緻な観察力をもって一人ひとりを指導する先生が、化石を手に命のつながりについて語ったときに見せた屈託のない笑い顔。
「最後に、突き抜けてしまった境地ってあるんだなぁ~」
 その一瞬を、写真家の佐治嘉隆さんは見逃さなかった。
 長いこと先生を撮り続けていらしたが、実際のシャッターを押す前に、どれだけご自身の眼のシャッターを押してこられたのだろう。

 仏壇に供えて手を合わせ、母に本を手渡した。
「いいお顔ね』
 頁をめくって「野口体操のススメ」マンガに目を凝らす。
「誰が描いたの」
「授業を受けた学生の期末リポート」
「へー、すごいわね」
 昨日、編集の方からメールが入っていた。
「漫画を描いてくれた中川果林さんの写真がウエッブ上に載っていました」
 それは『毎日美女大学」というウエッブ投票があるサイトだった。
 佐治さんには、すぐにお知らせした。
「投票しました!」
 即、返信。
 
 というわけで晴れやかな気分に満たされ、雲がはれたような本日6月13日の朝であります。
「岩波現代文庫創刊15年」という記念の年に再刊されたことにも、巡りのよさを感じています。
 書店に並ぶのは16日以降です。
 もうしばらくお待ちください。
 よろしくおねがいします。
 
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思いは複雑……便利さも捨て難いしー、でも!

2015年06月03日 06時46分05秒 | Weblog
 前回、町の小さな本屋さんへの郷愁を書いた。
 なのに、“ 舌の根の乾かぬうち ” に、Web買い物の便利さは認めないわけにいかない。
 
 というのは、『野口体操入門』の予約が、4つのサイトで出来ることを知った。
 佐治さんが野口体操公式ホームページの「書籍案内」に岩波書店のサイトで知ったという買い物サイトへのリンクをはってくれた。

 簡単に予約や買い物ができるのだ!
 雨の日、風の日、嵐の日に関わらずクリック一つで簡単、というわけ。
 これでは町の小さな本屋さんは、太刀打ちできない。

 ところが新しい本屋さんのさざ波が起こっているらしいことも知った。
 5月31日(日)付け、日経新聞朝刊「かれんとスコープ」に「ネットに抗い街に個性ーネオ本屋、出会いを売る」という記事で読んだ。
 朝日カルチャー「野口体操講座」では、土曜日に続いて日曜日にも、1995年からはじまった出版社と編集者との出会いについての話をし、日曜日にはこの記事も紹介した。
 内容は、街から個人経営の本屋さんが消えていく中で、個性的な店が開店していいるお話!
 たとえば「1冊の本を売る本屋」もあるそうで、本を介在にしてコミュニケーションを楽しむ場にしたい、そうした思いからつくりあげられた本屋さん。

 もう一つぜひにも訪ねてみたいと思った店がある。
 新宿神楽坂の「かもめブックス」。校正会社が経営する新刊本を扱う書店。
 カフェが併設されていてトークイベントなども行われる。
 テーマごとに1冊1冊選び抜かれた棚があって、数週間ごとに変える趣向で、来店のたびに飽きさせない、とある。いつか野口体操本と佐治さんの野口体操中心の写真展と、野口体操を楽しめるイベントを開いてみたい、と思った次第。

 さて、その記事によると、2015年5月時点で、書店数は1万3千5百店。2000年からの15年間で8千店減ったというグラフも添えてあった。
 店が減るのは、言わずもがな、Amazonなどのネット書店からいつでもどこでも本が買える便利さが要因の一つである。
 ところが記事の番外に《電子版にアンケート調査「本の購入『ネットだけ』は5%》と付記されている数字に目が止まった。
「エッ、まだ5%しかいないのか?!」
 なんとなくホッとする様な、嬉しい気分に浸ったのは、私が昭和の人間だからだろうか。
 Amazonも駅前の大型書店でも本を求めている。ただ、町の小さな本屋さんは、滅多に見かけない。もしかして都心に住んでいるのかなぁ~。
 でも、高円寺は下町なのよ。
 この町には古本屋が軒を連ねていた時代があった。
 今では古着屋と携帯電話屋と不動産屋ばかりが目立つ商店街になってしまった。
 
 あぁ~、町は時代と社会を映す鏡なのだー。
 暮らしは変わる。しかし、人情だけは変わって欲しくないのだが……。
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