「二つの道を同時に歩くことはできない」
これは、野口三千三先生の口癖だった。
その通りで、これまでのブログに書いてきた治療を、受けなかったら今頃どのような状況になっているのかはわからない。
果たしてここまで回復しているだろうか。
いや、何もしなくても治っていたかもしれない。
一応、翌年の1月には、よい方の耳の聞こえもよくなって、治癒していることになった。
とはいえ、まだまだ耳鳴りや振動に悩まされていた。
最近になって、耳のことをすっかり忘れているのだ。
それでも未だにピアノを弾くときには、右耳に耳栓をしているような状況だ。
一度壊れたものは完全には治らないということは確かだ。
せっかくできる限りの治療をしたのだ。
まったくなにもしなかったらここまでの回復は望めないと思いたいのが人情というもの。
しかし、治療を止める判断は、自分で行った。
耳鼻咽喉科の医師は、「突発性難聴」のことについては知識もあり、治療の経験もあった。しかし、「星状神経ブロック」を行うペインクリニックの治療に関しては、ほとんどしらない。「高気圧酸素療法」についても、詳しいことはほとんど知らない。
医師は何をするのかというと、聴力検査の数値によって、判断するだけのことだった。
「耳で聞く」という身体感覚的な問題は、患者がどこで折り合いをつけるのかということになる。とりわけ「耳鳴り現象」について言えば、個人的な感受性の問題なのだから。
ピアノを弾くときに、耳栓をするなどという問題は、医師の領域を離れてしまう。
不幸なことにこういった不快現象と付き合うことに折り合いがつかない方のなかには、鬱々とした毎日を送らざるを得ない方もおられるようだ。
おかげさまで私の場合は、野口体操があった。
帰っていく教室があってそこで待っていてくださった方々がおられた。
自分の身体的不具合や気分の悪さや感覚的に折り合いをつけること等々は、具体的な体操という方法で少しずつ解決していったように思う。
他にも書くことは沢山あるが、もうすこし違った表現媒体、たとえば単行本などで、折を見てまとめてみたいとおもっている。
いずれにしても生きている間は、何が起こるかわからない。
生きているからこそ、何事か、予想のつかないことが起こってくるのだ。
今日、今、この時、この場にいる自分の感覚が何処まで信じられるのか。
信じられることが少しでもあったら、幸せだという体験をさせてもらった。
とにもかくにも病気の全体像を把握していたのは、私の「突発性難聴」に限って言わせていただけば、患者である私自身だったという、まれなる経験をした。
この続きは、またの機会に。
これは、野口三千三先生の口癖だった。
その通りで、これまでのブログに書いてきた治療を、受けなかったら今頃どのような状況になっているのかはわからない。
果たしてここまで回復しているだろうか。
いや、何もしなくても治っていたかもしれない。
一応、翌年の1月には、よい方の耳の聞こえもよくなって、治癒していることになった。
とはいえ、まだまだ耳鳴りや振動に悩まされていた。
最近になって、耳のことをすっかり忘れているのだ。
それでも未だにピアノを弾くときには、右耳に耳栓をしているような状況だ。
一度壊れたものは完全には治らないということは確かだ。
せっかくできる限りの治療をしたのだ。
まったくなにもしなかったらここまでの回復は望めないと思いたいのが人情というもの。
しかし、治療を止める判断は、自分で行った。
耳鼻咽喉科の医師は、「突発性難聴」のことについては知識もあり、治療の経験もあった。しかし、「星状神経ブロック」を行うペインクリニックの治療に関しては、ほとんどしらない。「高気圧酸素療法」についても、詳しいことはほとんど知らない。
医師は何をするのかというと、聴力検査の数値によって、判断するだけのことだった。
「耳で聞く」という身体感覚的な問題は、患者がどこで折り合いをつけるのかということになる。とりわけ「耳鳴り現象」について言えば、個人的な感受性の問題なのだから。
ピアノを弾くときに、耳栓をするなどという問題は、医師の領域を離れてしまう。
不幸なことにこういった不快現象と付き合うことに折り合いがつかない方のなかには、鬱々とした毎日を送らざるを得ない方もおられるようだ。
おかげさまで私の場合は、野口体操があった。
帰っていく教室があってそこで待っていてくださった方々がおられた。
自分の身体的不具合や気分の悪さや感覚的に折り合いをつけること等々は、具体的な体操という方法で少しずつ解決していったように思う。
他にも書くことは沢山あるが、もうすこし違った表現媒体、たとえば単行本などで、折を見てまとめてみたいとおもっている。
いずれにしても生きている間は、何が起こるかわからない。
生きているからこそ、何事か、予想のつかないことが起こってくるのだ。
今日、今、この時、この場にいる自分の感覚が何処まで信じられるのか。
信じられることが少しでもあったら、幸せだという体験をさせてもらった。
とにもかくにも病気の全体像を把握していたのは、私の「突発性難聴」に限って言わせていただけば、患者である私自身だったという、まれなる経験をした。
この続きは、またの機会に。