羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「ほっこり作戦」

2011年03月30日 09時33分44秒 | Weblog
 以前、後方安定のすすめを提案しました。
 それに関連して、名前を考えていますが、野口体操「ほっこり作戦」というのは、どうでしょう。
「こ」の音はカ行ですが、「にっこり」つながりで「ほっこり」もわるいくないかなぁ~、と感じています。

 野口先生没後に発見した足を中心としたやり方は、それほどの危険がないと思っています。
 4年ほど前テレビ東京の朝の情報番組に出演したとき、司会のつじよしなりさんとスペシャルゲストのアニマル浜口さんが、生放送中にもかかわらず、眠りモードに近い半覚醒状態になってしまったようなわけで。とにかく気持ちがいいのであります。

 この方法はだれがやっても難しくないので、ぜひ、身近な方にやってあげられるといいと思います。
 今日、3月30日、13時から、朝日カルチャーセンター立川校で予定されている一回の公開講座で、お伝えしたいと思っています。
 名前はまだ考えます。
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早蕨忌

2011年03月29日 11時15分34秒 | Weblog
 三月二十九日は野口三千三先生の祥月命日である。
 上野寛永寺の桜は蕾をかたくして、花見の時期にはまだしばらくの気配だった。
 墓地のある第二霊園のなかでも、古い墓石は先日の地震で倒れたらしい。古木の桜にも同じようにロープを張り巡らせて、人が近づけないようにしてあった。

 はやいもので、十三回忌法要の際にお参りをして丁度一年が過ぎた。
 何事もない一年であったはずが、ぎりぎり三月十一日を境に大きく変化したことに呆然とする毎日である。
 
 思いかえせば、満開の桜のもとで先生をお見送りした。鴬谷から上野は花に包まれ、その華やかさが悲しみをより深いものとしたように記憶している。その後しばらくの春は、散る花を見るにつけ、喪失感に苛まれていた。
 しかし、時が、次第に心を溶かしてくれることも知った。

 今朝は、墓前に花を手向け、線香を炊いて、手を合わせた。
 年月はあっという間に過ぎていった。その間、大学の教養体育で野口体操を教える場をいただいて、十年目の春である。
「まさか私が?!」
 体育の教員になろうとは、誰が予想しただろう。きっと野口先生がいちばん驚いていらっしゃるに違いない。
「無事につとめております」
 報告ができたことは嬉しい。
 六大学のなかでもとても恵まれた大学環境で、若い学生たちに囲まれ、充実した日々を送っている。いつの頃からかこのミッションが生き甲斐となっている。
「身体へのまなざし、具体的には”感覚”と”意識”を身体と運動においてみつめ、従来にない価値観を探る授業をしています」
 ちょっと偉そうに報告してしまった。
 若い感性は素直に受け取ってくれる。ことのほか、時代が、野口体操の身体感や自然観を受け入れやすい方向へと歩いている十年のような気がしている。

 もう一つの報告をした。
 野口先生にお供して二十年間助手をつとめ、そのまま教室を引き継いだ朝日カルチャーセンターのクラスが、満三十二年目の春を迎えたことだった。存在を失ってつぶれてしまっても不思議はないくらい、カリスマ野口の教室だった。だからこそ野口体操の灯火を消してはいけない、と思ってくださる方々が集っている。
 ほんとうにおかげさまという言葉しか見つからない。

 そして最後に、今、日本が見舞われている恐るべき状況に、先生ならばどのようなお考えを持ち、どのような言葉で語られるのか、とお伺いをたてた。
 その場での答えはいただけなかった。

 帰りは上野公園を抜けた。公園は一部の区域が工事中で、かなり広い空間が遮られていた。
 駅の前、上野文化会館の正面近くには、立て看板が据えられていた。
 読んでみると、上野動物園は三月十七日以来休園で、次に開園される時期はまだ決まっていない。しかしその開園に合わせてパンダが公開になるらしいことが書かれていた。
 全国の子供たちのためにも、一日もはやい開園が望まれる。
 かつて芸大の隣組・上野動物園に足しげく通われた若き日の野口先生がいた。動物の習性や動きを研究され、それは体操に十分に生かされた。
 
 今、自宅のパソコンでブログを書いている。
 朝の墓参から、改めて野口体操の「自然直伝」”自然に貞く・からだに貞く”原点に立つことを示唆されたような気がしている。
 なんとも決意文のような固い文章になってしまったことが、はずかしい。
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和讃 花まつり

2011年03月28日 14時54分31秒 | Weblog
 血のつながりはないが、私のことを「お姉ちゃま」と呼んでくれる友人がいる。昨日、彼女が会主をつとめる「第五十八回 あかつき会演奏会」を聞かせてもらった。
 今年は「豊山流大師御詠歌」が特別企画として演奏されたが、この震災で亡くなられた方々を供養するかのような厳かさが、会場に醸し出された。
 ご両親のあとをついで邦楽の家を守っている彼女が、御詠歌に「邦楽手付」、つまり西洋的な表現をすれば伴奏パートを作曲して、華を添えている。真言宗豊山派有縁寺僧侶方々に、琴と三味線が加わったのだ。
 はじめて和讃を聞かせていただいた。客席に身を置きながらも、お遍路さんが寺々をまわる姿が見えてきた。
 さらに穏やかにゆれるリズムに目を閉じて任せていると、五木寛之が描いた『親鸞』が思い出された。歌合わせの場で、僧侶たちが美声をほこって競う。いちばんの歌い手の僧侶は、そこに集まった民衆たちをも魅了して、上下の隔てなく皆を陶酔境へと導いていく。歌われる声とそれを聴く人々の情動が、一つのうねりとなって夜空の闇をあかあかと照らす。そこに浄土が出現する、という話なのだ。

 さて、客席に戻そう。
 新山玉峰が奏でる琴の音は、御詠歌を支えるというより、御詠歌そのものだった。これほど魂が昇華していくような彼女の演奏を聴いたのははじめてではないだろうか。
 法要で散華する。琴の音はその華そのものなのである。
 演目のひとつ「花まつり和讃」は、灌仏会に釈迦の誕生を祝う和讃だ。しかし、私にとっても早々に誕生日を祝ってもらったような気分だった。
 余震におののき原発に恐怖を覚える日々だが、浄土は我が心のうちにあること。そのことに気づかされたような一時だった。
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野口体操「tomodachi 作戦」

2011年03月27日 08時22分57秒 | Weblog
 私に何ができるのか。私たちに何ができるのか。
 野口体操に集ってくださる方に、直接この問いを発した事はない。
 しかし、昨日のレッスンにはこの言葉を胸に秘めて私は出かけた。結果としてバランスの悪い時間配分の二時間となってしまった。だとしても後悔はしていない。
 どのような内容だったのか。
 最後の40分ほど、「おへそのまたたき」も「腕立てバウンド」も「逆立ち」もせずに、マッサージの仕方のフルコースに費やした。
 実は、先週のレッスンでのことだったが、「足のマッサージ法」で、やってもらう人もマッサージする人もとても楽な姿勢の取り方、および手当てのし方を整体治療師のMさんに指導してもらった。
 そうしたこともふまえて、従来の野口体操の方法+没後に探り当てた方法+最近の方法、等々を確認することにかなりの時間を当てたのだった。

 図らずも昨日のブログに草間さんからコメントをもらった。その中に「兵站(へいたん)」つまり、戦場での後方支援(軍備品・食料等々の供給、補充、後方連絡の確保などを任務とする機関)に関する心配が綴られていた。
 今、東京に住まう私たちも自然な心情として被曝への漠然とした不安を持ちはじめている。被災地とは比べ物にならない安定した暮らしを営むことができるにもかかわらず、水の買いだめに走ったり、関西や外国に疎開することを考える人も出始めている。
 しかし、この時、周辺に住まう私たちは、パニックを起こさないということも後方支援のうち、という意識を持って暮らすことが大切なのではないか、とふと思った。

 そこで最初の問いに戻る事になる。
 じわりじわりと意識下でもストレスが増大している二週間の暮らしのなかで、家族やごく近しい友人や知人との間で、身体を接触させることで互いの安定をはかることが可能だ。だからといって日本人の間では、キスをしたり抱擁したりする習慣は一般的ではない。
 そこで思いついたのが、60年以上の時間をかけて培ってきた「野口体操のマッサージ法」を、まとめて確認しておくことだった。
 治療を目的とした行為ではない。そうではなくて、さきほどの愛情を伝える行為であり、慈しみ労る具体的な方法としてである。
 後方に控える私たちの心身の安定を担保することで、小さなパニックを引き起こさないひとつの有効な手だてだと思うからだ。

 実際に体験している方々には、この深い意味をお分かりいただけると思う。言葉の上としてではなく、身体の実感として得られている事に違いない。
 野口体操の「後方安定 tomodachi 作戦」と名付けたいくらだ。
 独断をお許しいただきたい。これは新しい時代の「兵站」のひとつと位置づけてみてはいかがだろう。
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輪番停電(計画停電)

2011年03月26日 11時47分37秒 | Weblog
 時代は変わったのです。
 
 なんとなく東電のやり方は「電気を使わせてやっている」的な感じがするのは私だけだろうか。
 強制的な停電にしなくても、各業種の企業が工場の稼働時間を譲り合って計画を立てるとか、会社では自宅でできる事は自宅で行わせるとか、個人レベルでも節電を徹底的に行うとか。
 使う人の自主性と意思を尊重するようなあり方はないのだろうか。当初は仕方がない、としてもこれからの問題として選択肢は皆無なのだろうか。

 朝のニュースで宇都宮の居酒屋さんが、閉店する話があった。客が減ったこともあるが、計画停電実施の知らせが遅くて、予定もたてられず、予約の客もとれないからだ、という。
 そして思いがけない人が、年寄りの一人暮らしで火の危険を感じてオール電化にしてしまった。卓上コンロは売り切れで、町に一軒のこっていた炭屋(現在は灯油屋)で、最後の七輪を手に入れてきたと聞いた。「密閉度の高い屋内での使用は怖いですね」と電話で話をした。
 こうした一人一人の生活者がいることに思いを馳せてほしい。
 
 いずれにしても区分けもよくわからないし、その日になってやるの・やらないのといわれても、対処の仕様がない。
 電気を使う人たちを大事にしてほしい、というのは贅沢なのだろうか。非難覚悟でいわせていただけば、原発がなくなると、これほど不自由なんですよ、とおっしゃりたいのか?
 がむしゃらな原発反対者ではないけれど、エネルギー政策を考え直すことはしなければいけない、とかねがね思ってきた。でも行動にはしなかったことに忸怩たる思いだ。
 
『人間の創造は、もともと自然の範囲内で行われるべき、ささやかなつつましやかなものではないだろうか。たとえそれが、ささやかなつつましやかなものであったとしても、そのものやことと、大事に大事に触れ合い解け合うことによって、無限の豊かさと新鮮さを生み出す能力があたえられているのではないだろうか』野口三千三『原初生命体としての人間』岩波現代文庫より
 このはしがきの文章が今ほど胸に響く時はない。

 この場に至っては、なんとか原発をおさめるために人智を尽くす以外にない。
 現場で必死の作業をされている方々はいかばかりか、とただ想像するしかできないもどかしさ。
 
 唐突だが、海も空も世界とつながっている。一つの地球なのだ。人はこの星で生きるしかない。
 そして、私の生きる場は、ここ、東京なのだ。
 今朝、太陽が昇ったばかりの空を見て、そう思った。
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Prayers from kibara for Japan ~祈り~ キベラから日本へ

2011年03月25日 10時07分36秒 | Weblog
Prayers from kibara for Japan ~祈り~ キベラから日本へ


原発から子供たちを守りたい。
一日も早く、きちんとした対処をしてほしい、としかいえないもどかしさを多くの人が感じていると思う。
でも、でも、落ち着いて!
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普段のまま

2011年03月25日 08時21分19秒 | Weblog
 3・11以後、二週間が過ぎた。
 さすがにその日は、動揺した。しかし、すぐ気を取り直して、普段通りの暮らしを心がけた。とくに老いた母のことを思うと、一気にぼけがすすんでしまったら、非常に困ると思ったからだ。
 日によって、時間帯によって、よくわかっている時とあやふやな時とを繰り返していたから。
 決して普通に暮らせる二週間ではなかったが、できるだけ維持してきたつもりだ。数日間の母を見ていて、それが功を奏したように思った。
 
 いくつかの情報をとれるようにPCにアドレスを設定して定期的に見る事で、余分な心配をしたり、よけいな不安感をあおらないように自分なりの工夫をして、まず私が落ち着く事に。
 そして心しよう。
 これからが長い。この長丁場に心身が突然に切れないため、新しいステージを用意したい。といっても具体策があるわけではない。その都度「臨機応変に始まり臨機応変に終わる」かな。
 
 まず今朝は、ようやく蔵のなかを点検した。本、食器、ハンドバック、花瓶、その他棚の上にあった軽いもの等々。転がっているもの落ちてきたものを拾い上げ片付けを試みた。
 そこで、収穫があった。ないはずの懐中電灯が出てきたのだ。乾電池は抜かれていて、液漏れもなかった。そこで買い置きしてあった新しい乾電池の量を検査キットで測定。すべてOK(嬉しい)。各自にひとつずつ、居間に一つ置いて、ホッとして今日はこれまで。

 新しい家に暮らすようになって六年。その間、三年越の片付けが昨年一段落して、残り分がまだ三分の二ほどある。
 もしかしてこれからお宝発見があるかも(笑い)、などと淡い期待をもって片付けようかなぁ~、と思うがまだまだ余震がありそうだから、もう少し待つことにした。

 できるだけ普段通りの暮らしを続けるようにすることが、今のところ先決のような気がまだしている。
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Kizuna

2011年03月24日 20時24分10秒 | Weblog
Twitterで見つけました。
メッセージ、朗読、音楽。
ホッと呼吸が楽になります。
渡辺さん、ありがとう。
鶴瓶さんが美しい!
Kizuna
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災害復旧・災害復興のために

2011年03月24日 19時33分07秒 | Weblog
連日の報道を見たり聞いたりして、一つの覚悟をした。
復旧にも復興にも財政が問題だ。利息をつけ償還が必要な国債は闇雲に出せない。
となれば当然、復旧・復興税のような増税も必要になると思うが、いかがだろう。間違ってますか?
とにかく日本人の底力を発揮せずにいつ発揮するのか。
一人一人の意識にかかっている。

今日、都知事選のお知らせが届いた。
まずは足元を大切にしよう、と思う。
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大学の入学式中止、そして授業は……

2011年03月23日 19時02分46秒 | Weblog
 2010年度卒業生は卒業式が中止となり、2011年度新入生は入学式が中止となる大学が増えた。そして授業は5月から始まる。ほぼ一ヶ月ずれ込む事になる。
 
 未来へ希望を託した第一歩を踏み出す若い人たちにとって、入学式が中止になるのは、今の日本の現状からして致し方ないこととしても気の毒なことであり、忍びがたいことである。
 そして意気揚々と学びの門をくぐろうと思っている学生たちには、五月にならないと授業が始まらないのもお気の毒である。
 いや、多くの教師にとっても、なんとも切ない。
 こうした異常な状況の中で、待って待って、学生たちに出会うその時まで、しっかりと足下を見定めておきたい、と覚悟をした早春である。
 よい授業をしたい、とこれほど思う新学期があっただろうか。私自身が試される一ヶ月だ。
 


 
 
 
 
 
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クローズアップ現代

2011年03月21日 20時43分22秒 | Weblog
今、見ています。「命の情報」、被災地の過酷な状況と家族や友人と知人の安否をたずねる困難さに胸が張り裂ける思いです。
自然の前であまりにも無力な人間、自分になんとも言えないいたたまれなさにうちのめされそうです。

スペシャリスト、プロフェッショナルな人の力が、まだまだ必要な現状が長く続きそうです。
焦らず、長い闘いに、息切れを起こさなように、いまは知恵と体力を蓄えておく時かとおもいます。
いつか野口体操の出番がくる時まで。
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新たな出発

2011年03月20日 08時11分03秒 | Weblog
 昨日、朝日カルチャーセンター野口体操講座・土曜日クラスには、ほぼ全員といいてよい方々が出席されて活気に満ちたレッスンとなりました。
 いつになく出足ははやく、着替えをすませて語りあう人、ひとり体操をする人、それぞれが自分の場を確認しているようでした。

 3時半ちょうどに挨拶をし、しばらく全員がそろうのを見計らって、まず東北の方角に向きを変えていただき一分間の黙祷を捧げました。手を合わせる方、膝に手を置く方、一人一人が一週間の出来事をそっと胸に抱きとめて、冥福を祈ってくださっていました。他者を悼むことは、自身の生をみつめることでもあります。
 一分が過ぎて、いつもの向きに姿勢が変わった時、それぞれの表情が、あきらかに変化していました。教室に入ってこられた時とは打って変わって、わずかな時間であったのにもかかわらず、静謐な空気の中で身体についていたワサワサしたものが洗い流された厳粛な表情だったのです。
 その静謐さと厳粛さに、私はすぐには言葉を発する事ができませんでした。そしてそろりそろりと間をとりながら野口先生の語録を読むことからレッスンをはじめていきました。

 いざ、体操実技に入った時、皆さんの思いはひとつになっている事に気づきました。
「今日は、体操したい!動きたい!」
 これほどここでの野口体操が求められた事があったでしょうか。二時間はあっという間に過ぎていきました。

 自分のからだだけに集中できる幸せ。仲間たちと動きを通して、それぞれに内容はことなっても、お互いで確認しあえる幸せ。野口先生没後、この教室を継続できたことに改めて感謝の気持ちがわきました。

 こうして緩やかなつながりが齎してくれる和やかさが、どれほど大切なのかを確認できたように思います。
 昨日は野口体操の新たな出発の日であった、といっても決して過剰な表現ではない、と確信を得ています。
 さて、これから何ができるのか。その都度、新しく、探っていきましょう。
 
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本日のレッスン

2011年03月19日 09時53分32秒 | Weblog
 すでに朝日カルチャーセンターからもご連絡がいっている事と思います。
 3時30分からの野口体操講座は開講されますが、どうぞくれぐれもご無理なないように、ご自身のご都合と心のおもむきを大事になさってください。

 ご出席可能な皆さんとは、情報交換も含めて、話し合う時間も持ちたいと思っています。
 なにより、丁寧に体操をいたしましょう。
 では、後ほど。
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太陽の光

2011年03月18日 07時51分27秒 | Weblog
 大震災から一週間。
 長かったような、あっという間だったような、時間感覚が一部失われたような気がしている。
 かろうじて日常的な感覚を保とうとしていたのかもしれない。
 そして、今朝の晴天。太陽の光に心が吸い込まれていった。亡くなった方々に手を合わせ、これ以上の災難が、起こらない事をひたすらに祈った。

 さて、昨日の午後、町に一軒だけ残った乾物屋に買い物に行った。
 そこではダイヤル式の古い電話機を未だに使用している。
「停電になっても大丈夫だとおもうけど」
 若い店主は、親から受け継いだ家業を守り、淡々と商売を続けている。時代がかわっても変わらないものを売っているしたたかさを持った人だ。
 この市場は味噌屋、鰹節削り専門店、煮豆屋、八百屋、肉屋、揚げ物屋など食生活の基盤を支える店が集まった場だった。しかし、日本がデジタル社会に変貌するに従って、一軒やめ、二件やめするうちに、とうとうこの乾物屋だけが残った。まわりを見回せば、一杯呑み屋、ラーメン屋、屋台に近い食べ物屋に変わってしまった。いついっても客はすくない。閑散として、薄暗い空間だったが、昨日は表通りの店も節電をしていたこともあり、その界隈の暗さが一種の調和さえみせていたのだ。

 近くのスーパーなどは、一時の喧噪はなくなって、少しだけだが落ち着きを取り戻しつつある。いまだに駅に隣接した大手のスーパーは、閉店状態にかわりはないが。

 そして夕方には、おいしいケーキをお土産に、たずねてくださった方がある。近くで授業をなさるという。一緒にお茶を飲みながら、たわいのない話をしながらほっとする時間いただいた。

 さて、本日、原発への放水がうまくいきますように。
 危険な仕事に就く皆さんに、心からの感謝をしつつ、ご無事を祈る。

 
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19日(土)、20日(日)の朝日カルチャーセンターあります

2011年03月17日 13時43分05秒 | Weblog
 今、朝日カルチャーセンター新宿の担当部長さんから連絡がありました。
 19日(土)3時30分開始
 20日(日)2時10分開始
 二日間とも開講されます。

 お気をつけてお出かけください。
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