羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「比叡山延暦寺」と「東叡山寛永寺」

2014年04月29日 09時32分44秒 | Weblog
 最近のNHKの主力ドラマには、クリスチャンの人物が登場している。
 大河ドラマ「八重の桜」、「軍師官兵衛」、そして朝ドラ「花子とアン」といった具合だ。
 これだけ続いてくると、日本の宗教家も取り上げて欲しくなるのも人情というもの。この発言、無理は承知だ。
 基本的には大河ドラマでも朝の連続ドラでも宗教家は描かない、という暗黙の了解があるようだ。
 宗教家ではないにしても、このところキリスト教を描きすぎてやしませんか、と問いたくなる。

 まッ、そのことは置いて、最近に読んだ本を紹介。
 先週のことだと思う。どういう経緯でこの本を手に取ったのか、はっきりとは覚えていない。ただ、何となく書名にひかれて、というくらいの選択だったのかもしれない。
 島田裕巳著『比叡山延暦寺はなぜ6大宗派の開祖を生んだのか』ベスト新書。

 内容はこんな感じだ。
 鎌倉新仏教の宗祖たちは、一遍をのぞいて、全員が比叡山で修行をしている。そのことについて書かれた本である。浄土宗、臨済宗、日蓮宗、浄土教系の一宗である時宗、それらすべてのルーツが天台宗にある、というお話。
 浄土宗からは浄土真宗が、臨済宗からは曹洞宗が生まれた。
 そもそも最澄が中国の天台宗の影響を受けて確立した総本山から、代表的な宗教家である法然、親鸞、栄西、道元、日蓮を排出した。
 
 天台宗以前に成立した南都六宗、真言宗をのぞくと、新宗派のルーツはすべて比叡山にあって、中世から近世にかけて、ここは仏法を学ぶ総合大学であった、と著者は考えている。
 なぜなら真言宗の空海の高野山からは、鎌倉時代以降、新しい宗派が生まれ、独立していくことはない。内部に新たな派が生まれても新しい宗派の形成にまでは至らなかった、と著者は言う。
 僧兵をかかえ、寄進によって比叡山のものとなった地域の実質的支配者となったことで、朝廷や幕府に拮抗する勢力となっていった。
 高野山も比叡山も、単に修行し研鑽を積む場にとどまらず、製造業や金融業者まで入り込んだ一種の都市を形成していく。しかし、新しい宗派を形成するには、天台学を軸に学びのルーツとシステムを作りあげたことが大きい要因らしいことが読み取れる。
 そしてなにより最澄のこだわりと矛盾が、鎌倉新宗派を生み出す原動力になった、と著者は結ぶ。

 春の彼岸も、祥月命日も過ぎた野口三千三先生が眠る寛永寺は、山号を東叡山という。つまり、天台宗の寺として“西の比叡山延暦寺”に対して、“東の叡山寛永寺”なのである。
 寛永寺は明治維新ですっかり領地を減らし、今では根本中堂は残すもののなんとも寂しい風情だが、御本家の天台宗の総本山である比叡山延暦寺も仏教の総合大学でありながら、鎌倉新仏教の各宗派に比べて規模が小さい、とおっしゃる。
 寛永寺は徳川家の菩提寺として、格式は保たれている。ただ、地方の徳川家縁の寺々は、檀家が日々少なくなって、寺を維持する苦労がさまざまにあると聞く。

 それはさておき、著者は天台宗に思いを寄せて、この書を著したことが最後に伝わって来る。
 日本の仏教を辿る旅のなかで、天台宗をもう一度見直し、学び直しをして欲しい、というのがいちばん言いたいところだったようだ。
 NHK総合のゴールデンタイムで、最澄、空海、そして栄西、道元、法然、親鸞、蓮如、日蓮、一遍、他にもいますが、こうした宗教家を、真向から取り上げてくれてもよさそうだ、と思わなくもない。すると当然のことに神道も、ということになるのだろう。
 これはますますもって難しい、と門外漢の私でも予想はつく。
 しかし、一度、日本人と宗教を考えることも21世紀にあって大切なことではないだろうか、とこの本を読みながら思った次第であります。
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いとおしいカラダへ、一冊の本『スゴイ カラダ』

2014年04月21日 15時35分56秒 | Weblog
 いつのことだったろう。郵送された『国民健康保険 被保険者証』の裏をかえして、そこに書かれていた内容に息が詰まりそうになったのは。
 目に入ってきたのは、《臓器提供に関する意思表示》を求める文面で、当時の私にとっては予期せぬ内容だった。
 実は、いまだに書き込みをしていない。

 そこで思い出すのは、1991年1月、『野口体操を解剖する』と題して、朝日カルチャーセンターで野口三千三先生と養老孟司氏のセッションを企画し、実現した時の養老先生が話されたこと。
 ちなみにこの記録は、2004年に『DVDブック アーカイブス野口体操』として、映像と冊子の形で春秋社から出版し、2014年3月には10刷となっている。
 
 さて、内容構成だが、野口先生が1時間あまり「野口体操」について実演を交えて話をし、続いて養老先生が30分ほど「解剖から見える世界」について語り、その後にお二人の対談という展開だった。
 春秋社からDVDブックとして出版するにあたって、養老氏の語り30分の部分は、編集会議の席で省くことになった。
 実は、その載せなかった部分に、今回、ご紹介する本がもつ意味があると今になって思い返したわけだ。
 では、どのようなことを話されたのか。
「多くの方々は、臓器に触れたことも、匂いを嗅いだこともないわけです。そうした状況で、臓器移植を是か否かと問われても、本当は答えようがないはずなんです。中略。つまり、医者が、臓器はバラバラバになることに気づいてしまった。だから臓器移植が可能になったんです」
 という発言である。
 
 西洋の医学は、まず厳密に臓器を分けて、それぞれに治療を行うところから医療はなりたっている。
 昨今の医療では、それぞれの臓器同士がどのような関係にあるか、といった視点も導入されてはいるが、長いことそうした視点は殆ど欠如しているといってもことさら間違いではない。
 したがって働きが悪くなって、病を引き起こし、治療をしても元に戻る可能性が失われた臓器を、他者の健康な臓器と取り替えることで、一人の人間のQOLと生を確保していこう、という考えが当然のこととしてうまれる道筋は理解できる。だからといって、すぐに肯定するという気持ちにはなれないのが正直なところだ。
 
 臓器移植法が施行されても、日本では思った以上には進まないのが現状かもしれない。世界的にみればこの方法は、治療の一つとしてすでに確立され、認知され、当然のこととして行われる頻度が増す方向に向かっている。
 そこでいきくつ先にある再生医療の熾烈な闘いのすごさを、一人の魅力的な若い女性研究者を通して、現在進行形でみせられている。

 その一方で、一つには細胞診・高度な顕微鏡診断もさらなる細かな仕分けを増やしている。もう一つには遺伝子治療ももっと一般化がすすむだろう。なんといっても社会的な問題として、切羽詰まった要求から、予防医学の細密化は、相当なレベルに達してくる筈。
 つまり、今後は人間の病を見る時に、形あるものだけではなく、目には見えない全身のからだを“いかす(生・活)”「しくみ」と「はたらき」の関係を見ていくことが、医療の中心に置かれるようになっていくに違いない、と素人ながら予想をしている。
 ロコモティブ・シンドロームだけではなく、とりわけ老化とそれに伴う病の発症と重症化を防ぐためには、予防医学の進歩がこれまでの人類史になかったレベルで求められることは必然のことだろう。
 
 いよいよ、ここからが本題!
 先日、北村昌陽さんから近刊書『スゴイ カラダ』(日経BP社刊)を戴いた。北村さんは生物物理学を専攻されて、日経ヘルスのデスクからフリーになられて、現在では“医療.健康ジャーナリスト”として活躍されている。
 この本は、『日経ヘルス』(日経BP社刊)で2008~2013年迄掲載されたコラムを一冊にまとめたものと「あとがき」にある。
 まだ凡てのページを丁寧に読んではいない。しかし、可愛らしく親しみやすいイラストを見ながら、全体をめくっていると、臓器をバラバラにしようとすれば出来るのだが、カラダはひとつの大きな生命体(小さくもいいのですが)として、有機的なつながりのなかで “ 命を謳歌している存在 ” であることが伝わってくる。
 
 日本を代表する46人の医学研究者に取材し、カラダのスゴサ(素晴らしさ)を解説していく。ただ解説するだけでなく、億年単位の進化の歴史に遡って「カラダのしくみ」を掘り下げてくれるので、長い時間をかけてからだに備わった“カラダの智慧”に気づかされ、自分のからだにいとおしさを感じるようになりそうな予感が、読むうちに確信にかわりつつある。
 
 著者の北村さんは言います。
 たったこれだけでお手軽に・簡単に・素早く「カラダにいいことが実現されますよ」といった現象を『「健康情報のコンビニ化」と呼ぶことにしています』と。おっしゃることは鋭いのである。
 大事なことは、本来のカラダが持っている限りない智慧の深さを探り、丁寧に味わうことで、自分のカラダが好きになる、本気で大事に思うことから、“ 健康の捉え直し ” をしてみよう、という気持ちの後押しをしてくれる編集構成になっている。
「こっちの方向も大事だよ」と、現代日本の健康産業に、北村さんらしい柔らかさと優しさで切り込みを入れている。大上段に振りかぶるより、カラダを愛おしく思える提示の仕方が、魅力的であると同時に読者を引込んでいく力にあふれている、と読ませていただいている。

 臓器を中心とした医療から、神経、血液、ホルモンの働き、細胞が潜める驚異の働き、etc.「カラダのしくみ」そのものが生み出すバランスのとれた全体が、そのまま生きることである、と感じさせてもらっている(途中ですが)。
 バラバラのものをバラバラにしておかないで、「私」と「私のカラダ」が一体となって、悠久の生命体を実感し維持するための道標となる一冊の本である。
 おっしゃる通り! 自分のカラダが好きになることからじっくり健康を考えてみよう、という良書である。
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普通救命講習と「よきサマリア人法(Good Samaritan Law)」

2014年04月09日 08時54分53秒 | Weblog
 アメリカ合衆国の各州には、「よきサマリア人法」と呼ばれる法律があるそうだ。
《緊急時に行った行為は、その行為に過失があったとしても責任は問われない》
 日本では、これについて直接定めた法律はない、というが
《市民が善意で実施した行為に関しては、責任をとわれることはない、と考えられている》
 そうだ。

 さて、このことは、昨日、立教大学で体育教員対象の『普通救命講習』の講習会を受け際に、配られたテキストの最後のページに書かれていた一部である。
「心肺蘇生を施すのにAEDを使う場合、女性のブラジャーをはずして衆人観衆の目に触れた、として後から訴えられたらどうしましょう」
「そうした場合は、人垣を女性を取り囲むように後ろ向きになってつくってもらい、まわりから見えないようにしてください。日本にはよきサマリア人法はありませんが、大丈夫です」
 このページを教えられた。

 およそ3時間、(公益法人)東京防災救急協会の方が、わかりやすくユーモアたっぷりのお話や実技指導、加えて池袋消防署の2名の方の見守りで「応急手当」の方法を教えてもらった。

主な内容:
*応急手当の重要性
*救命処置 心肺蘇生(胸骨圧迫、人工呼吸、小児や乳児の場合)等々
*AED(自動体外式除細動器)の使い方 心肺蘇生
*気道異物除去法
*応急手当(止血法、血液感染防止)

 結構な力を使うが、こうした体験ができたことは、とても勉強になった。
 
 最近では置かれている所が非常に増えた「AED」は、心臓を動かす道具ではなく、心臓を一旦止めてリセットした後に“正常な動きを取り戻させる”ものだと知った。
 また、電極パットを装着してから、傷病者に触れないこと・離れるのは、AEDが自動解析してショックが必要かどうかを判断するために余分な情報を与えないためだとも知った。

 その他、細かな注意事項や小児や乳児の場合のさまざまな注意点を丁寧に説明されたことは、なるほどと思えることばかりだった。
 大事なこと。
 胸骨圧迫の場合に、骨が折れても命を守ることが優先。
 目から鱗ならぬ、耳から鱗のことは「あッ、もう、ダメかもしれない」とか「すごい血が出てる」という言葉は御法度。つい口にしそうな言葉だ。
 つまり傷病者に意識がないように見えても聞こえている場合がある。そして心身ともにダメージを受けているので、こうした言葉でも苦痛を与えてしまうことになる。
「大丈夫ですか。頑張ってください」とか「すぐに救急車がきます」等々、できるだけ苦痛を軽減させる励ましの言葉をかけるように、とのこと。これは応急手当の場合だけでなく、さまざまな場面でついやってしまう言葉掛けの注意だと思った。

 実際にこうした場面に遭遇しないにこしたことはない、しかし知っている意味は大きい、と思う。
 出来るか、と問えばあまり自信はないが、まず落ち着いて思い出すことしかなさそうだ。

 今週の土曜日・朝日カルチャー「野口体操講座」に、テキストといただいた「マウスピース(これが優れもの)」を持っていこうと思っている。 
 詳しくはその時に、ご報告します。
コメント (2)
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ご褒美……『榮西と建仁寺』名品に出会う、そして再びの寛永寺……

2014年04月03日 08時18分20秒 | Weblog
 それは国宝でも重要文化財でも重要美術品でもなかった。
 ふと立ち止まって、まず、正面から拝観。
「うぅぅッ」
 次に、坐像のお顔の正面から右に回り込む。
 じっと拝む。
「ぅあ~」
 ゆっくり正面に戻って、お顔の左に回り込んで、右横顔を拝む。
 お顔の左側と右側では、同一人物とは思えないほど印象が違う。
「ライティングのせいだろうか」
 思わず視線を坐像からはずして、天井を見つめ、そこから光の軌跡を包んでいる空間全体を含めて、ぐるりと見回す。
「お堂ではどのようにみえたのだろうか」
 痩せたお顔の頬骨は飛び出て、半眼の目の奥は深い海の色を湛えている。
「これは能面だ」
 私は、意識的に、顔を能面の輪郭に切り取り、お顔の真左を見つめていた。
 何度も右へ左へ回り込んで、真横から能面としての表情を読んでみた。
 右側の横顔は同じに頬骨が突出しているが、それを否定するかのように“悟りとはこうした風情”と思えるほどの安らぎを、見るものに与えてくれる。こちらはひとつも能面には見えなてこない。つまり人の顔である。
 ところが左側は、抽象に抽象を重ね、人を超え神霊の赴く処を知らしめるほどの凄みがある。
『蘭渓道隆坐像』頭部に古い頭部前面が隠されていた、という曰く付きの坐像である。
 宋の西蜀(現 四川省)からはるばる日本に、建長寺の開山に招かれ、その後に建仁寺へと。
 この坐像までに、数体の重要文化財の坐像を見てきた。それぞれ玉眼が見事なほど智慧の光を放っていた。
 ところがである。この蘭渓道隆坐像は目がくぼみ、くぼむことで光を閉ざし頬骨の突出を強調し、左右のお顔の違いが浮き出ているのだった。
 政治と宗教、宗教のなかの争いごと。左右の違いが歴史に隠された何事かを物語っているのか、と邪推している私がいた。
 
 さて、ほっとさせてもらえたのは、『竹林七賢図』である。大胆でゆったりした大振りの筆遣い。そこから空間美が極まる『山水画』へ、動線は一気に光と影、陰影が活かされた『雲龍図』へと導かれる。
 ここまでくると、かつて京都の寺院を巡ったころの空気が、からだの中に満ちてきた。
 五感が甦る……、風、匂い、鶯ばりの廊下の音、自然の色、……清水寺の本坊で、若い僧侶が手による抹茶の味と香りにその時々に添えられる和菓子の彩りを思い出す。
 訪ねるたびに、東京人の嫉妬をこえて跪いてしまう古都への畏敬。
 この日も、ここまでくる間にも繰り広げられている圧巻の品々に、抑えられない目眩を覚えた。
「もう、いいわ、『風神雷神』まで、正気は保てないかも……」
 それでも、古都の旅を思い出つつ、つぶやきながら歩き続けた。

「3分間待つのだよ」
『小野篁・冥官・獄卒立像』の前で、照明が変化するのをじっと待つ。
 なるほど、なるほど。
「地獄の眼差しは、赤」
 そういえば、『三具足』香炉・花瓶・燭台が殷の時代を彷彿させてくれたし、その連なりにあった『鉄風炉』の三足の乳足のなんとも肉感的な曲線には心が解けた。
 悪を行っても権力を手に入れたい。一国を質に入れてもこの茶器が欲しい。云々。
「地獄に堕ちても俗の俗を極めたい、と言いたげだったし」
 思いは行ったり来たり。
 建仁寺さんを中心に、日本にもたらされた喫茶の文化を根付かせ、日本独特の茶道へと発展させていく、その大本を『プロローグ:禅院の茶』で立体的にみせてもらえたことは貴重だった、とここに至って合点がいく。

 エピローグ:ようやくたどり着いた『風神雷神図屏風』は大勢の人垣から拝観。
「あぁ~、辻邦生の『嵯峨野名月記』をもう一度読み返したい」
 日本文化の粋に触れる醍醐味を実感した。

 思いがけず戴いた非売品の観覧券で、私の春の午後は桜と名品に心を蕩かしてもらった。
「これはご褒美に違いない」
 平成館を出てすぐさま、耳にイヤホーンを差し込んだ。
 選んだ曲は『蘇州夜曲』。繰り返し聴きながら、博物館に別れを告げて寛永寺の墓所へ。
 三月に麿さんとの対談の前にお参りをして、半月ほどたった昨日のこと、無事に「からだとの対話」をすませた報告に再びのお参り。
 第二霊園には真っ直ぐ伸びた縦の道に数本、徳川家の墓所から横の道に数本、満開の桜がすでに風にのって花びらを散らしはじめていた。
 
 久方ぶりに、博物館の庭での花見と膨大な数の名品を堪能させていただきました。
 この場をお借りして、ここまで誘なってくださった御仁にお礼を!
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