羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「ビーズ展」科学博物館と民俗学博物館のコラボ

2019年06月18日 09時12分00秒 | Weblog

そもそも木曜日に国立科学博物館に出かけたのは、「ビーズ展」を見るためだった。

国立民増額博物館とのコラボというのは、おそらく初めての試みではないだろうか。

被りもの・首飾り・胴着、現代のものとしては歌舞伎の衣装等々が展示されている。

木の実・花・歯・牙・貝・鉱物・金属、ありとあらゆる自然のものに孔をあけ、そこに紐や糸を通して数珠つなぎにする。

今回の展示では、その素材をそばに置いて見せる、という企画だった。

 

中でも目を惹きつけられたのは、つなぐための紐として、動物の腱が使われ、その実物を見ることができたことだった。

ハムストリング、ひかがみ(膕)の弦。ひかがみ(膕)膝のくぼみ(膝窩)の意味から、腿を表す。そこから加工食品のハムになり、ストリングはモモ肉を吊るす紐として腱が使われた。そこから私たちの「ハムストリング」に転用されていく。

腱は、古代から木の棒に石器(武器)をくくりつけるのに使われた。煮込んで膠としても利用されたのである。

 

今回は、ビーズを繋げるためにに使われた「腱の束」を見ることができたことは貴重なことだった。

ガラスケースの中に、麻紐にそっくりな様相の乾燥した動物の腱が展示してあったから。

この紐を使ってビーズをつなぐ様子がビデオで見ることもできた。

実際、触れてみたかった。

外側に現れるものを下支えする紐・糸、これがなければ全てが始まらないのだから。

 

帰宅して、アキレス腱以外の自分の足や腕の腱に触れてみた。

ぴーんと張っていて、骨とは異なる強靭さがあることを始めて実感した。

日曜日の朝日カルチャー野口体操講座では、理学療法士の方の指導のもと、腱に触っていただいた。

「からだって、すごい!」

大方の方の感想だった。

野球選手の肘の手術に、手首の腱のごく短い一部を移植する話も伺った。

それは、畜産の盛んな欧米人の発想に違いない、と思ったりもした。

 

コラボ「ビーズ展」で、人類は自然のあらゆるものを生かしながら、文化を文明を築いてきた、その一つの象徴が「ビーズ」であることを改めて見せてもらった。

野口がいう「装身具を身につけることは、神仏に対する祈りであり、貞く(きく)ことである。」

きわめて厳粛不可欠また豪奢華麗な行為である。・・・・しかし・・・・

 

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坐禅 ふたたび 三十七日目・・・・なつぞら

2019年06月18日 08時57分47秒 | Weblog

今日は乱れた。

呼吸を数え始めて、10回にもならないときから、胸が締め付けられ涙が溢れた。

今週に入ってからの「なつぞら」から、思い出される様々なことが、呼吸を乱れさせる。

昭和30年代の始め、私は小学校低学年だった。

あの頃はまだまだ戦争の傷が、いたるところにあって、それは痕迹ではなく、血が出るような生々しさがあった。

親族同士、赤の他人同士、ご近所の人同士の中には、何気無く気遣う人情があったように思う。

戦後、生き残った男も女も皆傷ついていた。人の傷の痛みが。、自分の痛みとして感じられるところからの人情だった。

子供であっても、それはわかった。

 

何だが溢れて止まらない、もう一つのわけは、不幸な結婚をした母の妹への思いが、主人公なつと重なった。

その母を包み死ぬまで優しかった父のことを思い出した。

 

そのほかにも、戦争によって境遇が変わったことで、よからぬ道に走った人も、真面目に生きようとした人も、絶望のままの人も、様々な人がいたことを思いだした。

 

座りながら、呼吸が乱れた。

それでも回数を数え続けた。

そして、最後の10回だけは、気持ちを落ち着けるように、ゆっくり静かにただひたすら、数えて終えた。

こういう日もあるのだ。

久しぶりに私自身が受けてきた、人の情のあたたかさがからだのうちに溢れるのを感じていた。

生きるって切ない・・・・・

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科学・文化の象徴 国立科学博物館の建物から

2019年06月17日 14時01分53秒 | Weblog

「この日本館は、飛行機の形に作られているんですよ」

「エッ、どういうことです」

「見てください、航空写真、ほら ネ」

「ホント! まったく飛行機の形ですね」

国立科学博物館でボランティアの方との会話である。

「建てられたのは、大正12年、関東大震災のあとなんです」

「完成したのは、昭和の初めですね」

「日本館の展示場は、入口から入った中央ホールに立って、右が「南翼」左が「北翼」と呼ばれているんです」

「吹き抜けになっている真っ白なドーム型の屋根、窓にはめられたステンドグラスが綺麗ですね」

 

そんな会話の最中に、私の脳裏に閃光が走った。

 野口先生は昭和4年から群馬師範学校で学び、昭和9年に短期現役兵となっていた。

「早蕨」Vol.5 「野口三千三伝」の文字列が、目の奥に並んだ。

《短期現役兵たちは、飛行機を単に兵器としてではなく、「文化」や「科学」として理解し、学校や地域で、安全を強調して航空の重要性について語る言葉を身につけていた》

「その大元を象徴する建物内部に、私は、立っているのだ!」

ある種の衝撃を受けた。

「関東大震災によって失われた国立科学博物館は、新しく建てられたんです。昭和6年に行幸啓があって、そのあと11月に一般公開されたそうですよ」

最先端を行く“航空は文化であり科学”であるという設計理念によって、昭和からの日本の方向を示す旗艦建造物だったのだ、と私は気づいた。

ここから始まっていたのだ!と。

私は、ボランティアの方との会話で、これらの言葉を呑み込んだ。

 

とてもいい時間を過ごさせてもらった、とお礼を言って日本館を出た。

改めて、正面から建物を見直した。

日本の文化の中心、上野に、こうした建物が、昭和のはじめに建てられたことの意味の重さが、ズシリとのしかかってきた。

帰宅して調べてみると、芸大との関係が見えてきた。

もともと科学博物館の前身は、現在の国立博物館と共に教育博物館であったらしい。

野口先生が、芸大に赴任した昭和24年時。芸大と博物館と科学博物館等等は、戦争によってはっきりした境目がなくなっていて、現在のように区分けされていない状態だった、と聞いたことがある。

先生が体育授業で使用し、「体育小屋」と言われているレンガ造りの建物は、もともと教育博物館の書庫であったというから、科学博物館とも浅からぬ縁があるのだ。

 

私は、思わず腕組みをしながら、当時へ思いを馳せた。

こうした環境の中で「野口体操」は育まれたわけだ。

論理的で合理的で、科学の視点をもった野口先生が、「今や、論理・科学という名の巨大な怪物が、分析・数値化という方法によって、いつもまるごと全体であるべき自然の生きものを、くいあらしていくのではないか。そのような気がして、私は強い疑惑と恐怖を感ずるのである。原初生命体の発想は、生きものとしての私の、防衛・抵抗反応である」

この言葉の裏にべっったりとついている、野口先生自身の戦争体験の実態の一端に触れたような気がする。

むしろ、「三千三伝」を書き続けて、ようやくここまでたどりつくことができたのだ。

しばらく『原初生命体としての人間』「はしがき」ページを、じっと見つめていた。

底知れない言葉の沼に、足を一歩踏み入れたのかも知れない。

2019年6月13日木曜日、朝一で国立科学博物館を訪れた午後のことであった。

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坐禅 ふたたび 三十六日目

2019年06月17日 13時55分07秒 | Weblog

本日は、何事もなく静かに坐ることができた。

開け放たれた窓から比較的からりとした風が入った。

丸ごとのからだを緩めて、しかし、背筋は伸びてまま、初夏の晴れ間の大気を吸い込んでいた。

こんな日もあるのだ!

土曜日、日曜日、二回のレッスンで「呼吸」について、動きを交えながらどのように伝えたら良いのか、進め方の目処が立った安堵感からかもしれない。

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坐禅 ふたたび 三十五日目

2019年06月16日 08時32分54秒 | Weblog

わすかな疲労を感じながら、今朝は坐った。

ふと思いついたイメーは、坐っている自分のからだで包めるくらいの大きさ、ちょっと乱暴にすると破裂していまいそうな薄さで透明な玉(例えば、シャボン玉)を抱えている。その状態を保ちながら、呼吸を繰り返す。

雑に呼吸すると玉は壊れる。そこで静かに丁寧な呼気と吸気で行う、というもの。

コツは、股関節・鼠蹊部を緩める感じを持つと良さそうだ。

腕も丸い玉を抱えるように開いている。

呼吸もからだも腕も、すべてが丸のイメージだ。

これはいい!

 

ところが時間の経過の中で、腕が固くなるのを感じ始めた。

力は入れてない筈だ。

重さに任せている筈だ。

ところが二の腕が血流不足を感じ始めて、申し訳ない!と腕を軽く動かしてみる。

腕の付け根、次第に大胆になって胸郭の中を液体をイメージしながら左右に小さく揺する。

なんと、これが気持ちがいいのであります。

ハッと気づいて、動きを止め、最後の20回を数えて終了。

少しの疲労でも、からだは部分的にかたまっているところがある、ことを実感した。

ただ、坐ればいいって、もんじゃない。

坐禅の前と後の体操は、念には念をいれて、行うこと。

本日、得た教訓であります。

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ドメイン売買 サークルKの旧ネット住所100万円!?

2019年06月15日 09時41分25秒 | Weblog

「noguchi-taisou.jp お持ちのドメインは高価格で取引されます」

このような文面のメールが、お名前・comから送られてくるようになった。

いつ頃だったか正確な日にちは失念している。

今でも、2週間に一度くらいの頻度で入ってくる。

「中古ドメイン売買」ということ自体が理解できなかった。

それが本日、6月16日付 日経新聞朝刊「有名ドメイン中古高額売買」の記事を読んで納得であった。

記事を読むと、過去に企業などで使用された中古品が、盛んに売買されているらしいことがわかった。

中古売買では、第三者が取得して高値がつく。特にグーグルやヤフーの検索サイトで上位に表示されて、アクセス数が上がりやすいものに、広告収入増が認められるとのことがあるらしい。

そういえば、私にも心当たりがある。

公式ホームページを立ち上げてすぐ、ヤフーから連絡がきた。

「検察サイトに、野口体操ホームページを載せてもよろしいですか」

それに対して「名誉なことなので、OKしましょう。無料ですし・・・」

指南役の女性が助言してくれた。

野口体操公式ホームページを立ち上げたのが、1998年である。今使っているドメイン名は、それから1、2年後に取得しているので、かれこれ20年近い。当時は、それほどドメインに対して関心は持たれない時代だった。ホームページそのものが少なかったからだ。

「noguchi-taisou.jp」ドメイン使用時間は非常に長い。その上、ヤフーもグーグルも検索サイトでは、当初からずっとトップに載っている。

それが高額取引の条件にあっているらしい。

 

野口体操のドメインを売買する考えは毛頭なかったので、メール内容が理解できず、気持ち悪さが付いて回っていた。

記事によると、政府機関や教育機関などが手放したドメインで、アダルトサイトが開設された例がある、という。

つまり、悪意を持つ第三者に渡った場合、偽サイトを作って個人情報の取引などに悪用されるリスクもあるそうだ。

「企業は手がけたブランドやサービスが終了した後もすぐに手放さず、一定期間保有しつけるべきだ」

ネット事情に詳しいITジャーナリスト三上洋氏の言葉で締めくくっている。

この記事を読んで、ずっと気がかりだったことが腑に落ちた。

 

「ドメインは、戸籍・住所登録ですから、ちゃんとしたものを早く取得したほうがいいです」

すすめにすぐに乗ったことは正解だった。

毎年使用料を払い続けて、20年近い、ぼやきたくなったものの、理由がわかって納得。

「私も、こういう時代に生きているんだなー」

感慨も一入。

1997年頃だろうか、日経新聞文化欄「インターネットは、弱者の情報発信手段」という記事を読んだ。

間違いなく、知る人ぞ知る野口体操は弱者だ、と98年にホームページを作り発信を始めた。

当初は、弱者ではない企業は、見向きもしないどころか、むしろ否定的だった。

それが今ではホームページの作りで、その企業や学校、団体や個人の信用度をはかる時代になった。

 

だからこそ、ドメイン名に騙されるな!ってことですな。

ご注意 ご注意!

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坐禅 ふたたび 三十四日目

2019年06月15日 09時22分18秒 | Weblog

昨日は、所用その他で、何となく一日が終わってしまった。

坐禅はお休み。

今朝、体操の後、坐った。

たった1日なのに、休みを入れたことで、本日は終始新鮮に感じられた。

どこでそれを実感するのか、というと「背骨」である。

「今日は、すっきり立っているなー」

そんな感じである。長軸が崩れないままいられる。

終わった時に、ふと思った。

何年もの懸案事項である片付けのうち、野口体操関係のものについてである。

先日、国立科学博物館+国立民族学博物館のコラボによる「ビーズ展」をみて、野口コレクションに思いを馳せた。

自然の素材を生かして、装身具・かぶりもの・衣装等を作り上げている、その大元の自然素材を科学博物館が提供している。

小さな展示だったが、参考になった。

貝や木の実はもちろん、人の歯等々、頭蓋骨の実物が見られる。それがどのように取り出されたかも説明がある。

野口先生の収集センスは素晴らしい。

 

その後、科学博物館の日本館(日本列島の成り立ちから人々の暮らしが時代によって変化し、どのような自然環境で営まれているのか)を見て回った。

特に、化石・鉱物・隕石など、地層の説明から始まって、基礎知識が得られる。バラバラな知識が一つにまとめられるよさが感じられた。

この日本館はリニューアルされて、10年くらいだそうだ。

もし、先生がご存命なら、率先して行くようにおっしゃると思った。

 

そんなわけで、野口先生の興味、大陸の成り立ち・土壌・岩石・鉱物・砂・化石.隕石・貝・動植物・・・・、民族学博物館への繋がる道筋が、はっきりみることができた。

装身具への興味をなぜ持たれたのか、ということが感覚的にも知的にも理解できる場であった。

 

で、私としては、近い将来の片付けのヒントをもらえた、というわけです。

以上、34日目の坐禅から。

 

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坐禅 ふたたび 三十三日目・・・・呼吸でミトコンドリアと対話!?

2019年06月13日 18時06分22秒 | Weblog

科学博物館で、国立民俗学博物館とのコラボによる「ビーズ展」を朝一で見てきた。

昼に帰宅後、軽く体操をして、坐禅を行った。

昨日、授業で2回目の呼吸について実践と話をしたこともあって、本日は自然呼吸で坐ることにした。

といいうのも、呼息・止息、吸息・保息、横隔膜や腹筋を意識して行う呼吸をするには、少々集中力が持続しそうにない、と何と無く感じていた。

そこで「自然呼吸」を試みるというか、自然に任せてみようと思った次第。

 

呼吸について、備忘録として、ここに書いてみようと思う。

◆ 生きるとは「呼吸すること」

 細胞レベルにおける「呼吸」とは何か? 

 それは細胞内のミトコンドリアが酸素をつかってエネルギーを造りだす、ということ。エネルギーをつくり出せなければ、細胞は生きていけない。酸素を取り込む呼吸は、細胞と直接つながる行為で、呼吸することによって大気がからだの中に取り込まれる。

 肺は筋肉ではないので、実際には肺の周りの筋肉が働くことになる。

 筋肉は伸びたら縮む、縮んだら伸びるしかない。つまり、筋肉が伸び縮みを繰り返すことで、リズムがうまれる。この働きによって、私たちは自然に息を吸ったり吐いたりして、自然呼吸をしている。

 繰り返すが、この筋肉の伸縮のリズムによって呼吸が繰り返えされる。

 そしてその呼吸は心臓の拍動(心拍)と深い関係にあることを、脈をとることを通して体験できる。

 まず、細胞レベルの呼吸、ミトコンドリアに想いを馳せて、呼吸の奥深さを味わいながら「腹式呼吸(横隔膜式呼吸)」と「胸式呼吸(胸郭式呼吸)」そして「自然呼吸」に任せた坐禅も行ってみると、それはそれで気持ちがいいもの。

 こうした実践が可能だ、ということは、人は意識によって呼吸をコントロールできる生きものだということの証になる。

 というわけで、本日は、「自然呼吸」に任せて坐ってみた。

 呼吸のあり方を探るだけでも興味は尽きない、わが坐禅もどきではある。

 三十三日目も無事100回を数えて終了。

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坐禅 ふたたび 三十二日目

2019年06月12日 17時41分50秒 | Weblog

授業に出かける前に、坐禅を行った。

今日のテーマも呼吸。

左右の股関節で呼吸をするようなイメージを持ってみた。

不思議と骨盤の中心がいつもと少し違うところに感じられる。

からだの長軸の在処が、少し外側に向かっているようである。

しばらくこのイメージで呼吸をしていると、あら不思議!

骨盤も組まれた足からも、力がスーッと抜けていくのである。

はじめての感覚であった。

100を数えて足を戻すと、あら不思議!

足の中のしびれ感が非常に数ない。

なんということか。

イメージを侮るな、という教訓を得た。

理屈じゃないのよ、人間は!

でした。

 

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坐禅 ふたたび 三十一日目

2019年06月11日 09時16分40秒 | Weblog

今朝は、はじめて鼻から吸って鼻から吐く、鼻呼吸だけで100回が数えられた。

今まで、試したことはあるけれど、途中ですぼめた口からの呼気の回数が多くなっていた。

もちろん吸気は全て鼻で行っている。

で、舌を上顎にぴったりつけたまま、鼻からの吐く呼気が気持ちよく連続してできた。

不思議と姿勢を改めることなく、背骨の位置を修正することなく、坐り続けた。

ただし問題は、全体として呼吸が浅くなるような感じがしていた。

 

それはそれとして、結跏趺坐の足を崩す前に、動く範囲で腰から上体へと波を送り続けてみた。

「結跏趺坐上体のぶら下げ」とでもいうのだろうか。あまり窮屈な感じはしなかった。

しばらく楽しんでから、足を崩して同じことを試し、最後は「やすらぎの動き」の姿勢で上体のぶら下げ的な動きに移った。

しゃがんだところから骨盤を上げて、「上体のぶら下げ」につなげて行った。

途中で、「真の動き」を入れて、骨盤から足をぶら下げて、血流を回復させてみた。

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坐禅 ふたたび 三十日目

2019年06月10日 18時16分38秒 | Weblog

午前中に眼科の定期検診を受けた。

眼底検査等のために、瞳孔を開く目薬を点した。

午後になってからも長い時間、白が眩しく、いやー参っった。

(今でも、まだ正常とは言えない感じがする。)

そのような目の状態で、体操し坐禅を行った。

何も考えず、呼気を数えた。

雨の音を聞きながら、皮膚に包まれた液体・水をイメージした。

目を開いていてもぼーっとしている。

それでも姿勢はあまり崩れなかった。

100回を数え終わって、結跏趺坐のままさらに内側の水をゆらりゆらりとやさしく揺する。

足が組まれているせいか、皮膚に包まれている液体が、気持ちよく揺れ・循環するのを感じた。

そこで足を崩して、あぐらに近い状態で同じことをしてみた。

驚き!

揺れかたが全く違う。

というか、揺れてくれないどころが、皮膚に包まれた液体・水の感覚はほとんど生じない。

結跏趺坐の安定感がないことで、上体が保たれない。

確かに結跏趺坐はある限定された立ち姿の中で、液体・水の流れが感じられた。

むしろ自由であることよりも、ある種の限界がある方が、からだの内側の自由度が増すことによって液体が自由に形を変えることができる。

いやー、驚きの体験であった。

三十日目の得難い経験である。

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坐禅 ふたたび 二十九日目

2019年06月09日 09時11分04秒 | Weblog

木々も屋根も道路も・・・・すべてが雨にぬれてしっとりとした朝。

軽い疲労感を覚えながらも、いつものように体操し、足を組んで坐り始めた。

静かだ。

少し寒い。

でも、静けさの中に、身をおくことは、結構な気分だ。

ところが50回を数える頃になると睡魔が押し寄せてくる。

「どうしよう」

そこで意識を覚醒させるために、思い切った方法に出た。

胸式呼吸である。

胸郭を横に広げ、肋骨を斜め上にあげる。

これだけではちょっと足らない。

もう少し意識をはっきりさせるために、肩で呼吸をする方法をとった。

するとどうだろう。

一気に睡魔がどこかへ消えて行った。

鼻から吸い込まれる湿気を含んだ空気の冷たさが、脳髄の奥に届く快感を味わう。

邪道か?

まッ、よかろう。

眠気の赤鬼が退散して、意識の青鬼が「腹式呼吸をせよ!」

はい、わかりました。

本日も、100回の呼気を無事に数え終えた。

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坐禅 ふたたび 二十八日目

2019年06月08日 13時12分21秒 | Weblog

今朝は、途中で呼吸を数えられなくなった。

呼吸していることだけは意識にあった。

数える意識が飛んでしまったのか。

ふと浮かんだことを、いつの間にかずっと追い続けてしまった。

今、言葉にしてみると・・・・・野口三千三先生が、体操の教師をやめることをすすめられるほどの腰痛症や胆石・胆嚢炎の痛みに対峙しているうちに生まれてきたのが、人間の体は水。水のイメージを持つことだったのではないだろうか。

そのことの大切さが、はじめて自分のこととして捉えられそうだ。

しばらくの間、それをもとめてみた。

 

皮膚に包まれた液体・水を想像しながら坐っていると、余分な力が抜けていくのをわずかながら感じられるような気がしてきた。

ついでに背骨に重さを任せてみる。すると手足の筋肉の力が抜ける。

内臓の重さも感じてみようと試みる。

 

液体的なイメージ、液体の重さが、どっしりここにある。

皮膚の内側に、間違いなくある。

 

そう思えた途端に、野口先生の疲労は極限に達していて、ストレスは野口三千三を丸ごと捕獲してがんじがらめにしていた。

原初生命体のイメージは、疲労やストレスに勝つことも負けることもできない、それでも生き続けるために、(言葉は悪いが)苦肉の策から生まれたイメージに違いない。

追い詰められて悲鳴を上げているからだが到達したイメージだったのではないだろうか。

しかし、現実には、痛みは繰り返される。それも長期に渡って繰り返される。

皮膚に包まれた液体・水のイメージは、痛みやストレスで分裂していくからだをまとめていく「総合感覚」を取り戻す、キーワードかもしれない。

 

ある空手の名人が語った。

「野口先生の水のイメージは、空手にとってすごく大事なイメージなんです」

なるほどねー。

 

ここまできて、坐るのをやめた。

とうとう数はわからなかった。

世迷言を書いているようだが、自分の中では大事なことが得られたような気がしている。

二十八日目の朝のことであった。

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坐禅 ふたたび 二十七日目

2019年06月07日 08時55分28秒 | Weblog

今、坐禅を終えた。

本日は、二階の座敷に戻して、坐っていた。

というのも、堅い床の上で行っていると、からだが硬くなることを実感したから、戻してみただけのこと。

つまり、背骨が崩れないとか、呼吸に集中するとか、形や方法を追うだけだと、必要以上の緊張が強いられた結果、からだ全体が硬くなる、と感じた。

それはあくまでも私の個人的な感じ!でしかないのだが。

そこで「いい加減はいい加減」という言葉を思い出して、体操用のマット代わりの上で、気持ちの揺れに任せながら坐ってみた。

わるくないねー、この感じも・・・・・。

しばらく失われていた骨盤の上にすっと乗った脊柱の “ 新鮮な立ち感 ” が得られた27日目の朝。

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日経新聞「私の履歴書」を読みながら、お思い出した記者さんのこと

2019年06月06日 13時07分36秒 | Weblog

電話が鳴った。

「今、慶応病院から電話しています」

「えッ、どうなさったのですが、こんな時間に・・・・」

「胃がんなんです。明日、手術です」

「それは、なんと申し上げていいのやら」

「あのー、必ず生きて、また、お宅を尋ねます。待っていてください」

急な知らせであった。

 

それからかなりの時間がすぎていった。

待てど暮らせど、来訪の兆しは見えない。

意を決して、ご自宅に電話を入れた。

「はい、家内でございます。主人は、亡くなりました。スキル胃がんでした」

一瞬、目の前が真っ白になって、どんなお悔やみの言葉を発したのか、まったく覚えていない。

ただ、まだ幼いお嬢さんを残して、無念の死であった、と伺った。

享年、48歳。

 

彼が私のもとを訪ねてきたのは、日経新聞朝刊「私の履歴書」に、野口三千三を登場させる可能性を探るためであった。

話すうちに、彼の気持ちが固まった。

社内の企画会議で提案をスムーズに通すために、手助けをして欲しい。

依頼を受けて、お偉い方々を説得するための方策を練る、その手伝いを始めていた。

情報交換し、資料を準備し始めた矢先のことだった。

野口先生には内緒で動き始めていたのだ。

彼は、「日本人の脳」右脳左脳の研究者・角田氏を世に出した新聞記者だという。

まだ、知られていない人を、どのように世の中に出してくのか、切々と語ってくれたことを思い出した。

 

今朝、私は「私の履歴書」群馬県出身の石原信雄を読んでいた時のこと。

第6話 占領下の地方制度改革の話で、教育行政についての記述が非常に参考になる、と思って切り抜きをしていると、その記者さんの顔がふと浮かんできたのだった。

あれから25、26年は過ぎているだろうか。

・・・・・幼くして父親をなくされたお嬢さんも、結婚されているだろう・・・・・

なんとも言葉にならない思いが胸に迫った。

 

つくづく、野口先生を通して、私は、いろいろな方に巡り会ってきたのだ、と。

繋がらなかった縁も、それはそれで貴重だ。

こうして、かけがいのない出会いがあり別れがあって、今の自分がしていることがある。

野口先生の足跡を追っているこの2年間を思いかえすと、その記者さんが話してくれたことが、通奏低音として鳴っているのだと気づいた。

「三千三伝」 最終章までの道のりは、まだまだ遠い。

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