羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

自分の時間

2017年07月31日 18時59分49秒 | Weblog
 今年は、適度に仕事があって、たっぷり休みもあって、例年にない夏を過ごすことが出来そうだ。
 40年間、常に誰かの病院と最近の10年間には徐々に母の介護が重くなっていった。
 今年は、自分のため時間を、ようやくもらえたようである。

 7月下旬には健康診断を受けて問題がなく、本日は緑内障予防の視野検査をうけて多少の問題はあっても治療するほどではない、と診断されてホッとした。
 眼科の前が歯科医院で、こちらも30数年ぶりに、健診をおねがいした。
 野口先生から紹介された西巣鴨の歯科医院で、一年間かけて左右の奥歯矯正の大々的な治療を行った。
 それ以来の歯科訪問だった。
 まず、クリーニングを丁寧にしてから、健診の結果は問題なしということで、半年後に来院する約束をして帰宅した。

 内科と眼科と歯科、ぐるりと回って、すべてOK!
 野口体操のお蔭です。

 明日は、よみうりホールで『大正という時間ー文学から読む』を聞きにいく予定。

 調べごとも、読む本も、出かける先も、終活の準備のために話を聞く予定等々あって、ほぼ3週間、自分の時間を満喫させてもらうことができそうだ。

 私の担当する原稿は、校正段階で最後の手直しをすればよいところまできたことも嬉しい!

 みなさま、暑中お見舞い申し上げます。
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施設のコンサート

2017年07月29日 20時15分15秒 | Weblog
 本日は、母の入所している施設で、コンサートが催された。
 声楽家が母と同じユニットにいらして、彼女が歌を披露される、ということで朝日カルチャーのレッスン前に、聞かせてもらった。最初はいかないと言っていた母だったが、ブラウスを着替えて、髪をとかして、母がお気に入りの介護士の男性にもすすめられて、会場になっている一階までいくことになった。
 すでに大勢の方々が集まっていた。

 さて、おめかししたプリマは、最初にイタリア歌曲を原語で、続いて「からたちの花」と「サルビア」と続けて3曲、披露された。
 コロラトゥーラソプラノで、美しい声をお持ちの方だった。
 声量こそお年には勝てないとしても、音程もバッチリ、綺麗にしっかり歌われたのは見事だった。
 もともとこの空間には、グランドピアノがあって、それをご覧になって、歌う気持ちになられた、と伺った。
 ピアニストにお弟子さんの応援もあって、実現したはじめてのコンサートだった。
 84歳になる女性は、昭和24年新制大学になったころ東京藝術大学の声楽科に入学されたらしい。
 野口先生とも出会っているはずだ。
 母にその話をすると、目を丸くして「大変な先生がいらっしゃるのね」

 耳が悪いのでほとんど聞こえなかったのではないか、と思う。
 それでも一曲ずつ拍手をしっかりしていた。

 三曲歌って、ピアノの脇に置かれた車椅子に腰かけて、お弟子さんの歌を聞かれているときは、さすがに先生の表情に変わっていらした。
「厳しそうな先生だ」(失礼)

 60代後半くらいだろうか、お弟子さんは、「椰子の実」と「見上げてごらん夜の星を」を二曲。
 聞いている多くの入所者は、一緒にくちずさんだり、ハミングしたりして、今にも声を出して歌いたいような雰囲気だった。

 皆さん、歌いたいんだ!!

 最後の「ふるさと」まで合唱したかったが、母を施設の方におねがいしてここまでで失礼した。
 92歳にして、社会デビューしたような母だ。

 いずれにしても「認知症と音楽療法」が研究されている。
 歌はなかなかよきことのようだ。
 その瞬間でも幸せな情感や懐かしさが甦り、感情を表現することは素敵なことだと思う。

 施設に入所させてもらって、私も一緒に新しい経験を積ませてもらっている。
 スタッフのみなさまの心遣に、お礼をいいたい。
 ありがとうございます。
 とてもよい企画でした

 別件:朝日カルチャー本日のテーマは「アナトミー・トレイン」3日目でした。
「上体のぶらさげ」ほかで、新しい感覚がひらかれました。
 

 
 
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昨日から今朝のこと……日記風

2017年07月28日 08時48分14秒 | Weblog
 昨日は、午前中に原稿を添付ファイルで送信した。
 いざ、送ってしまってから、もう一度読み返したが、ひとつの原稿の最後が暗くて、なんとかした方がよさそうだ、と思った次第。
 なかなか難しかったが、諦めずにおこうと思った。
 
 その後、体育授業の春学期リポートを読み、実技テスト結果と総合して採点を行った。
 このクラスは、非常に活気があって、楽しい授業になっていた。
 テストもリポートもなかなかよい出来で、秋学期が楽しみになった。
 非常に優秀な学生たちで、実技テストのときから、いい雰囲気で気分がよかったこと思い出す。
 通年で履修してくれるので、これからが本番である。

 その後、母の施設を訪ねた。
 枕カバーを新しいものと取り替えるためだった。
 丁度、昼食が一段落して、おやつの時間までのんびりと過ごしていたようだ。
 1年に一回あるという、「屋台天ぷら」パーティーの日だったようだ。
 ひとつのフロアーに10名ずつが4ユニットあって、ほぼ40名が生活している。
 そのなかの何人かの方は、運ばれてきた屋台のそばで、食膳係の方が目の前で揚げてくれる天ぷらを食べたらしい。他の入所者は、自分たちのユニットで、揚げたての天ぷらが運ばれて、食したらしい。 
 揚げ物大好きな母は、作りたてをぺろりとたいらげたそうだ。最近では、以前と違った完食だ、とちょうどユニットにやってきた栄養士さんからも伺った。
 大きな進歩である。

 その上、朝のうちに入浴もさせてもらった、ということで、目がぱっちりとあいているではありませんか。
 話は通じることも、通じないでわけがわからないこともあるが、会話を続けていた。
 すると、突然、はっきりした声で
「どうして、ここにいるの?」
 とうとう、来たか!
 まさか、このタイミングを想像していなかったので、答えに窮してしまった。
 お通じもよくなり、食事もとれて、脱衣もなくなったという報告をいただいているが、意識が鮮明になってきたのだろうか。
 なかなか難しい。

 帰宅し、気分をかえて、久しぶりに揚げ物を作ろうと、材料を用意した。
 我ながら、美味しい「春巻き」だった、と満足した。
 夜、9時過ぎに、テレビのスイッチを入れた。
「黒皮の手帳」をやっていた。見るとはなしに見てしまった。
 いつ、スイッチを切ろうか、と見計らっていたのだが、武井咲と奥田瑛二のからみになってくると、引込まれていく。
 松本清張はやっぱりスゴイ作家だったが、脚本・科白が現代にしっかりフィットして、とうとう最後まで見せられてしまった。
 時代を少しだけ感じさせるノスタルジックな化粧と髪型、凛とした和装が、悪女のこわさを引き立てていた。 脇もいいが、武井咲の一皮むけたすがたが、目に焼き付いた。
 女優ってここを通ってからが本番なんだ! フムフム。。。。。
 
 今朝は、いつもより遅めに目が覚めた。
 それでも朝食を取り、洗濯や片付けをして、朝ドラを見てから、いざ、Web入稿に取りかかった。
 無事、成績を打ち込んで、ホッとしたところである。

 明日のレッスンの準備と、原稿手直しにとりかかろう。
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18歳人口減少

2017年07月27日 20時29分34秒 | Weblog
 少子高齢化の少子化の問題は、大変に深刻だ。
 先日、女子短期大学学生募集停止のお知らせをいただいた。
 
 18年度から既に停止する立教女学院に続いて、1年遅れで19年には青山学院女子短期大学も同じ運命にある。
 両方とも、名門女子短大である。

 女子短大ならではの特殊事情があるにせよ、18歳人口減少にともなって、苦汁の選択であるという。

 二校目の閉校を見越した、学生募集停止のお知らせ文を読んだ時には、何とも言いようのない心持ちをどこにぶつけてよいのか、戸惑ってしまった。

 正課体育で野口体操を教えていた大学は、現在も教えている大学では、休み時間には学生がどっと溢れて、少子化はどこ吹く風のような印象だった。
 先日も、授業前に学生と世間話をしたが、地方の四年制大学の危機も話題にのぼってくる。

 人口が減ることは仕方がないが、子供と若者が減って高齢者が増える歪んだ人口構成が問題だ。
 それが現実になったことを、手紙に読み取って、落胆を覚えた。

 深いため息とともに、行く末を案じてもどうにもならないが、案じないわけにはいかない。
 
 そろ齢70に近づいて、何をなすべきか?
 自分の足で立って、歩いて、日常のことは自分で出来る力を、できるだけ失わないための方策を考えて実行にうつさないといけないようだ。

 さぁ、暗澹たる思いに取り憑かれてしまったから、ここで、まず、体操をしよう。
 それしきゃない!私。
 

 
 
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野口三千三の運動感覚と言語能力の卓越性を再確認した話

2017年07月23日 07時47分52秒 | Weblog
 昔の師範学校は、小学校の先生を養成するところだった。
 野口は、さらに上の学校の教師になるべく、国家検定試験を受験した。
 既に戦時体制に入っていた時代のこと、体育・体操で受験することが有利だと、教師や先輩から聞いていた。
 そこで師範学校に在学中から、受験勉強準備を始めたのでという。

 なかでも解剖学は必須であった。そこで1頁ずつ隅から隅まで、あますところなく暗記したそうだ。
 ◯◯筋は、どこから始まり、どこについてくる、という風にとにかく覚えた、という。
 この話は、野口の著書や、春秋社『DVDブック アーカブス野口体操』で養老孟司先生を相手に話をしている記録が残っている。

 結局、一生懸命覚えた知識は、実際の動きの際に役立つことはなかった。
 主働筋はこれこれで、それに対する拮抗筋はこれこれ。それの補助的に動く筋はこれこれ。
 つまり死体解剖がもとになっている解剖学は、時間がとまり、重さの方向がなく、そもそも死体は動かないわけだから、動きには関係がない、と豪語されていた。
 それだけ一生懸命勉強したにもかかわらず、という恨みにも似た(?)思いが根底にはあった。

 当時の年齢を18歳から19歳と想定してみるとざっと85年以上が経過している。
 解剖学はすでに変わりようのない学問と思われてきた。
 それが機能解剖が研究され、動きとの関連で学べるようになった。

 さらに、「アナトミー・トレイン」という考え方の本が何冊も出版される時代となった。
 日本語に訳すと「解剖列車 筋筋膜経線を鉄道に見立てて、からだの旅に出る」というようなことらしい。
 筋の働きをつながりとして捉え、12路線を想定している。

 さて、7月15日土曜クラスでは、FB上で見つけた代表的な図録:スーパーフィシャル・バック・ライン 略してSBLをiPadでご覧にいれた。
 足の裏からはじまって、足の後ろ側、背中、頸、頭、頭頂から眉間にかけて繋がる筋と筋膜の繋がりを示した図であった。

 20日木曜日に、偶然のことに紀伊国屋書店で第三版Web動画付き『アナトミー・トレイン』医学書院を購入して来た。

 いや、驚きましたね。
 何がって、本に一つずつ、IDとパスワードが隠されていた。
 医学書院のサーバーに入っていくと、ログイン画面が待っていて、IDとパスワードを打ち込むとWeb画面が表示される。
 本文の図版にふられている番号をクリックすると、その英語による音声説明に日本語の音声説明がかぶっていて、よく聞こえるのである。
 一見、難しそうな専門書が、本文と照らし合わせWebを見て聞くことで、すんなりと理解できる教科書であった。

 いやはや時代は変わった。
 晩年の野口が「文明さんお先にどうぞ」と言って、ファックスさえ拒否しておられた。
 むしろ懐かしい。
 今や、PCだけでなく、タブレット(たとえばiPad)スマホ(たとえばiPhone)なしには、学びにも乗り遅れる時代となった。
 つまり、ガラケーは、すでに過去のものになりつつある。

 フーフー言いながらも、結構、楽しんでいる私としては、レッスンの場でご披露する有様である。

「つながり、つたわり、ながれ、とおり、まわり、めぐり、次々順々」とは野口体操の動きにとって重要なキーワードであり、実際にその方向でからだの動きをみていく。
 足の運動、手の運動、頸の運動、などと分けられないのが、体の動きである、という野口の実感に基づく考えで、野口体操の動きは成り立っている。
 繋がりとしてのうごきを大切にしている。

「アナトミー・トレイン」とまったく同じとは証明できないが、考えとして共通するところがある。
 解剖学もこうした方向にまでようやくなった、別の言い方をすれば野口が主張していた、臓器も筋もバラバラにしては、生きているからだの理解にはならない、という考えに近づいた、ということである。

 朝日カルチャーのレッスンでは、二週にわたって野口流マッサージ法のうち、三つの姿勢をとりながら腰から上、肩、背中、頸、頭を中心にマッサージをする。腰や足に直接触れていないにもかかわらず、SBL スーパーフィシャル・バック・ラインの全体、とくに足から腰がほぐれて「上体のぶらさげ」が楽になる。からだの中身の質感が変わる、骨盤を含む上体が重さによって下へ下へ地球の中心に引っ張られる感覚がつかめた、という結果が現れた。
 野口指導の正統(丁度いい表現がみつかりません)なマッサージのやり方を、まず守っていただいて、確かめた。
 先週よりも今週の方が、重さが実感できた方が増えていた。
 本を見て、Web動画を見ながら解説を聞いてもらった効果は大きかったようだ。
 
 解剖学も変わった、ということ。
 教科書もWeb導入の時代になった、ということ。
 野口の先見性、というより運動感覚と言語能力の卓越性を、実感させられた、ということ。

 この三点がお伝えしたかったことでした!
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『明治維新という幻想』

2017年07月22日 09時15分53秒 | Weblog
 買い物のついでに、ふらりと本屋に入った。
 お目当ての本は置いてなかった。
『明治維新という幻想 暴虐の限りを尽くした新政府軍の実像』森歌健司著 羊泉社 歴史新書 を手に取った。

《私が江戸時代に惹かれる理由は、実にシンプルだ。そこに眩い庶民の文化があったから、である。中略 二百六十五年間の江戸の世が産み落とした「非戦の美学である。中略 究極、どの戦争も無意味だが、それでも戊辰戦争ほど無意味な戦争はなかったと断言したい》

 あとがきを読んで、決まりである。

 夕食前に一気に読んでしまった。
 船戸与一『新・雨月 戊辰戦役朧夜話』を追認する読書だった。

 暴力革命で新しい政権を勝ち取った為政者のやることは、いつの時代でもどこの国でも同じだ。
 青史を都合のよいもの、自分たちの正当性を主張するために、それまでの政治・文化・風習、すべてを闇に葬るのである。

 明治新政府が潰した江戸を、民衆がつくった「風刺錦絵」と、旧幕府軍側の視点で維新を解明している。
 なかなかよかった。

 丁度、野口三千三のおじいさんのことを「地芝居」との関連で書いていたところなので、この本の記述に、納得し腑に落ちるところが多かった。
 
 そこで、平成の現政権の資質、改憲への意欲等も、この視点から見ていくと、なるほど……と思える。
 危のうございまするー。

 著者は、江戸時代の庶民思想の研究に注力している、とプロフィールにあった。
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人が人を生かす……老婆の回復力に……

2017年07月21日 19時37分46秒 | Weblog
 金曜日の午前、母の施設に口腔ケアの歯科衛生士の方が来る予定になっている。
 そこでその時間に合わせて、出かけていった。
 丁度、ケアがはじまったときだった。

 その間、介護士の方と話をしていた。
「今朝はトイレで、立派な太いバナナが出てくれました」
「まぁ、去年から少なくなってましたから、よかったですね。手を合わせてしまいますね」
 二人、にこやかに話し合った。
「やっぱり、お襁褓ではなく、便座に座って自分の力で排便ができることは、ご本人にとっても気持ちがいいんですよねー」
「本当にそうですね」
 食事も完食になって、おやつもあっさり食べ切っているそうだ。
 母の部屋に行って、持って行ったタオルケットに名前を書いて戻ってくると、丁度、口腔ケアが終わっていた。

 挨拶をすると、若い女性の歯科衛生士の方が、ものすごく嬉しそうに
「お口の中をみてください」
 相当綺麗になっていて、下の歯の裏側が黒ずんでいるのを、これから丁寧にケアをすると、伝えてくれた。
「随分、歯が残っていて、ちゃんと噛めるので常食がたべられるので、よかったですね」
 入居する前に、ほぼ2年をかけて歯の治療を行った。30回近く、歯科医院に通ったことを伝えた。
「入れ歯もなく、虫歯もないくて、すばらしいですね。だいぶ前から嫌がらずにやらせてくれるようになりました」
 私が褒められているような気分になった。

 その後、一年に一回の健康診断に行っている間、仲良くなった入居者のまり子さんとひとしきりおしゃべりをしたり、もうひとりの介護士の方に自分でする眉間から頭、頭頂部、頸、肩のマッサージと、肋骨をたっぷり動かす呼吸法と腰が痛まない程度に上体をゆする体操をお教えした。
 直接、腰を動かすことができないくらいの腰痛に悩まされている。
「これって、いつでも出来ますよね。まず、ここからはじめてみます」
 私の肋骨に触って、呼吸の時にどのくらい動くかをしってもらった。
「こんなに動くですね。やってみます。痛くない程度で……」
 しばらく仕事をしながら、会話をしていた。

 母が帰って来たので、用意した新聞を拡げて、手の爪を切って、話をする。
 爪切りはこれで二回めだった。
 私の切る動作に合わせて、指の位置を少しずつズラしてくれる、という変化を見せてくれた。

 仲良くしているまり子さんとも、介護士さんとも少しずつ会話をするようになったそうだ。

 よくここまで来ました。
 人は変わる。いくつになっても少しずつでも変わる力がある、ということを知った。
「この調子だと、百歳まで生きるんじゃない?」
 毎日の刺激は、自宅で留守番をしている毎日とは、まったく違う。

「脱衣もなくなってきましたよ」
 帰りがけに、思い出したように報告してくれた。

 11時半。
 外は、猛烈な暑さだったが、ホッとしたせいか、足取りも軽く自宅へと向かった。
 スタッフの方々が、真剣に取り組んでくださったお蔭だ。
 人間は孤独になってはいけない、とつくづく思った次第。
 人が人を生かすんですねー。
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新しい本のあり方

2017年07月20日 13時55分41秒 | Weblog
 午前中、所用で新宿に出たついでに、紀伊国屋本店に立ち寄った。
 ほしかったチケットを手にいれて、そのまま書店を出ようと思っていた。
 最近では、Amazonで本を求めることが多くなって、書棚にならぶ膨大な量の本を目にして、戸惑いを覚えた。
 どこに何があるのか、どんな本なのか、本の見分けがつきにくく、呆然としてしまった。
  
 以前なら、本の背表紙を見ながら、楽しんでいた。
 それが、苦痛感が伴って、書名が脳に入力されてこない。
「これって、ヤバそう!」
 PCの画面上で、検索することに慣れすぎてしまった。
「エーっ?」
 なぜか許せない感じが、体の奥から沸々と湧くのである。

 諦めてエレベーターに乗って1階までおりようとボタンをおした。
 なかなか来そうもない。
 ふと後ろを振り向くと『アナトミー・トレイン』という文字が目に飛び込んで来た。
 ササッと、近寄って本を手に取る。
 この頃、FBで目にしている図版が載っている。
 手強そうだな、と躊躇して、棚の後ろ側にまわったり、少し先の書棚を見たりしているうちに、エレベーターに乗ることをすっかり忘れてしまった。
 
「やっぱり 本だ」
 感覚が戻って来た。

 気がつくと、その本を手に持ってレジの前に立っていた。

 さて、帰宅して、今、本の表紙裏にある《↑コインなどで削ってください》に気づいた。
「なんだ?」
 先を読んでみると、どうやら矢印に番号がふってあって、図版の説明を動画で見ることができるらしい。
 
 十円玉で銀色の部分をゴシゴシ削ると、IDとPASSが表示されていた。
 実際にiPadに医学書院のURLを打ち込んで、動画一覧から2つ見たところだった。

 なるほどであった。
 本を読みながら、動画を見ながら、学ぶ方法は、なかなか新鮮だった。
 きっと他の分野でもこうした本はすでに沢山作られているのだろう。

 野口体操もどこかの出版社が、話を持って来てくれないかしら、と都合のいいことを考えた。
 付録Web動画を、本を読みながらPC iPad スマートフォン(iOS.Android)でみながら、学べるっていいと思いました。
《ただし、バケット定額サービスなどにご加入されていない場合、多額のバケット通信料を請求されるおそれがありますのでご注意ください》
 と書かれていた。

 いやいや気をつけよう。
 なかなか甘くないなー。
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お蔭様 本日のこと

2017年07月17日 12時47分04秒 | Weblog
 八日ぶりに母を訪ねた。
 入居者の数名の方々と同じテーブルについて、雑誌をみていた。
 入っていくと私に気づいて、手を上げながら笑ってくれた。

 とても落ち着いて、脱衣も少なくなったと聞いた。
 食事もおやつも、食べるようになったとも聞いた。
 
 母のそばに椅子を持って来てくださったので、しばらく一緒に雑誌をめくって話をしていた。
 ときどき笑ってくれる。
 大きな進歩である。
 入院以前、状況が切迫してくる前の表情を取り戻しているようだ。
 お蔭さまです。

 たかだか一ヶ月と十日ほどで、ここまで落ち着いてくれるとは、入所当時の混乱ぶりからは思いもよらない適応ぶりである。
 スタッフの方々の並々ならぬ努力、心遣いの賜物である。
 感謝の一言しか言葉は見つからない。さすがにプロである。

 もし、緊急入院から自宅に帰っていたら、このような回復は不可能だった、と思う。
 少し想像しただけで、母と娘の暮らしの破綻が見えてくる。
 
 最初はどうなることかと思い悩んだあの時間は、何だったのだろう。
 それがあっての今日である。
 ほんとうにいいタイミングで入所させてもらった。
 
 ところで今年はやめておこうかともおもったのだが、お盆の行灯を出し、花を飾ったり、供物を用意したり、母の分も加えて香を焚いて静かにすごすことができた。
 お迎え火で、父を迎え、昨日、送り火焚いて、また来年のお盆までの無事を祈った。
 
 午前中に、穏やかな表情の母に会って安心して、午後からはしっかり仕事ができそうだ。

 スタッフのみなさんに、こころからのお礼をいいたい。
 これからも予期せぬ出来事が起こると思うが、ジタバタしないでお任せいたいとおもっている。

 みなさまよろしくおねがいします。
 
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お蔭さま

2017年07月13日 07時23分37秒 | Weblog
 お蔭さまのはなしー1−
 大学の春学期授業も、残り少なくなった。
 昨日の空手教場での授業は、蒸し風呂状態のなかで行った。
 樹木に囲まれて、部屋は申し分なく広く、天井も高く、窓も広い。
 そうはいっても多摩地方も、かなり暑い。
 外での授業は、気温・湿度を測って「熱中症危険・厳重警戒」が出されたこともあって、室内に振り替えた先生もおいでだった。
 
 野口体操の授業は、熱中症にならないためにそれなりに工夫ができる。
 しかし、学生も含めて途中挫折せず、無事に終えることができた。

 母が入所している施設にいくと同じ世代の入居者がいて、車椅子生活を送っている姿を見ている。
 そのことを思うと、若い学生たちに野口体操を伝えられることは、なんとも有り難い。むしろ幸せを感じている。
 さすがに帰りの立川駅までの多摩モノレール、三鷹で特別快速電車からも快速電車に二度も乗り換える中央線でさえも、普段ならば効き過ぎ感がある冷房は、ありがたかった。

 お蔭さまのはなし−2−
 時系列は前後するが、一昨日のこと、昔は養老院と呼ばれた老人福祉施設、最近では認知症研究所と入所施設をもつ「浴風会」に出かけた。この施設は、介護施設としても、研究機関としても、とりわけ認知症研究では、日本でも中心的な役割を果たしていることで有名である。

 ケアスクール校長の方との面談が叶った。
 本部の建物は文化財指定を受けているだけあって、どっしりとして長年つきかわれた権威が息づいている雰囲気であった。
 敷地は広く、庭には大木の樹木がつらなり、その中に建物がいくつも点在している。
 杉並区内、静かで恵まれた環境にある。
 短い時間ではあったが、貴重な話を伺うことができた。
 この話をテーマに、明後日のレッスンではディスカッションしてみたい。
 これは、母が施設に入所したことによって、得られてご縁である。
 
 その折に、紹介された催し物がある。

「人生の最終章への備え 絆のバトンタッチ」
 〜生きること・逝くこと〜

日時:平成29年9月8日(金) 12:30〜16:00(開場 11;30)

会場:有楽町朝日ホール

入場無料 定員600名 要申し込み

プログラム
第一部 基調講演 「お任せデス(死)から私のデスへ」樋口恵子

第二部 シンポジウム 〜人生最終章への備え・絆のバトンタッチ
    終活 マネー 医療 介護 看取り
    石黒秀喜他

第三部 ミニコンサート(15分)「心に奏でるハーモニー」 アンサンブル・ソノール

お問い合わせ  浴風会ケアスクール事務局 電話 03(3334)2149(平日9〜17時)

 主催:社会福祉法人 浴風会

 以上です。

 
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マガジン『エレガンテ』の効用、そして……

2017年07月10日 07時02分52秒 | Weblog
 日本ではピアノメーカーとして、YAMAHAピアノとカKAWAIピアノが有名である。
 その河合楽器 KAWAIピアノの二代目が「SHIGERU KAWAI」というグランドピアノをつくりあげた。
 ショパンコンクールなどでも使用されるという、日本生まれの名器らしい。
 最近ではピアノとすっかり疎遠になっていた私だ。
 今年の春までこのピアノの存在を知らぬままであった。

 メールで取材の申し込みを受けたのは4月だった。
 母が自宅にいる頃である。自宅には御呼びしにくく、新宿の喫茶店で落ち合う約束をした。
 50がらみの紳士のライターさんに、音楽やピアノについて、野口体操とからめてお話ができた。

 その冊子がおくられてきたのである。
 SHIGERU KAWAI オーナーズ・マガジン「エレガンテ」2017 JUNE vol.3

 一般には手に入りにくいマガジンなので、野口体操公式ホームページ「のnet通信」に、「心とからだと音楽ー身体感覚をひらく」見開きページを、佐治嘉隆さんが中身が読める状態で掲載してくれた。
 他には、バレー、ヴァイオリン、万華鏡、特別なスィーツ、モーツアルトやメンデルスゾーンの話、上村松園の美人画等々に混じって、野口体操の記事である。エレガントで高尚な雰囲気が漂っている。

 さて、昨夕、このマガジンを持って、母を訪ねた。
 寄り添ってページをめくりながら、たわいのない会話を交わした。
 ふと、母の目を見ると、親の欲目ならぬ子供の欲目だろうか、今までみたこともないほどきれいに澄んでいるではないか。
 ついでに口の中も見せてもらった。口腔ケアを受けていて、歯茎の様相もよい方向に向かっているのが確認でした。

 再びマガジンに戻る。
 何度も繰り返しページをめくりながら、同じ反応を示す。
「モーツアルトね」とか、「上村松園 美人画は綺麗ね」とか、言いながら見ているのである。
 私の名前を見つけて、読み上げる声には力があった。

 そんな母を介護職員の方が、トイレに連れて帰って来た瞬間のことだった。
 一緒にいたテーブルから少し離れてところに立っていた私を見つけて「みさお」と名前を呼んだ。
 直前の記憶が失われる母だ。
 今しがたまで、私とマガジンを見ていたことは忘れているらしい。
 むしろ、私が、そこに居ることに、新鮮な驚きを感じた声であった。
 
 脳科学の知識を調べたわけではないが、何かが残るような気がする。
「羽鳥操」と印刷された漢字が、脳の深層に働きかけ、久しぶりに顔認証と名前が一致したような印象を受けた。

 特別にクラシック音楽が好き、興味を持っているか、というとそれほどではなかった。
 積極的に関心を示めすことはなかった母だったが、日常的に娘の音楽があった暮らしを長く続けた証拠を見せてもらった。

 そうこうするうちに
「さぁ、帰りましょう」
「えッ、あ あの もうすぐ夕食だから、ここにいましょうね」
「あッ、そう」
 私の言葉に、納得したようなしないような母を残して、ディルームを後にしたのは5時少し前だった。

「あぁー、脱がないでくださーい」
 夜勤の女性介護士の方の声が後ろの方から聞こえたてきた。
 
「お任せ、お任せ」
 エレベーターの5桁の暗号を押して、階下におりた。
 外に出ると、梅雨明けではないがすでに真夏の夕暮れの彩りに、からだとこころを偲ばせるように、自宅に向かって歩きはじめた。
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意識をアナログに分け積み上げる稽古「野口流・ヨガ逆立ち+呼吸」

2017年07月08日 09時18分44秒 | Weblog
 1991年、『野口体操を解剖する』と題して、朝日カルチャーセンター特別公開講座「野口三千三+養老孟司」の対談のなかで養老先生はおっしゃる。
「現代人の多くは、意識でなんでも解決できると思いすぎている」

 作家・ジャーナリスト佐々木俊尚氏は、春秋社・月刊『春秋』2017・7月号「テクノロジーと死」で、つぎのように書いておられる。
『意識が自分にあることをわたしたちは自明として捉えているが、他者の意識をわたしは直接に認識はできない。中略 そもそも、意識やクオリアはそれほどまでにかけがいのないものなのだろうか?』

 野口三千三は運動という観点から次のことばを残している。
《筋肉の存在を忘れよ、そのとき筋肉は最高の働きをするであろう。
 意識の存在を忘れよ、そのとき意識は最高の働きをするであろう。》

 比較解剖学の観点から三木成夫は、こころと意識を次のように分けている。
『腸管にこころは宿り、意識は脳に宿る』

 三木の説によれば、植物・内臓系(一本の管・腸管)=「こころ」に対して、動物・体壁・運動系(筋肉・骨・神経.脳)=「感覚・意識」として捉えている。

 このことがストンと腑に落ちたのは、『人体 5億年の記憶 解剖学者・三木成夫の世界』布施英利著 2017年3月刊 を読んだことに依った。

 意識は邪魔だ、意識は憎むべきものだ的な感じを持ちすぎていたことに同時に気づいた。
 運動には感覚(クオリア)と意識は、切り離せないこことして徹底的に意識的な練習をしてみようか、とも思った。

 もしや、私のように運動が不得意で、運動音痴の私が、野口体操に出会ったことで曲がりなりにもからだの柔らかさを得られた過去を振り返ってみる。
 右も左もわからず、どの動きも梃子にも棒にも引っかからなかった体操を、自分ひとりで自宅学習をする際には、とことん意識を働かせていたと思う。
 その時の意識は、養老先生や佐々木さんや、野口がいう意識とは、レベルも質も違うのかもしれない。
 が、ある運動を身につけようとして、稽古したり・倣ったりする時には、意識は働くんじゃないか、と肯定的に捉えていたように思う。
 当初は、どれもこれも動きにはならなかった。
 野口体操教室では、ほとんど立ったまま、皆さんの動きをひたすら目で追って、野口の話をしっかりと耳の奥に定着させようとつとめていた。

 自宅練習では、ノートを手元において、気づくことを端からメモしていた。
 高尚なことば、哲学的なことば、含蓄のふかいことばなどは皆無で、とるにたらなようにないようなメモだったと、思う。

 さて、野口体操を始めて40年を過ぎ、今年6月下旬から、あたらしく野口流ヨガ逆立ちの稽古をはじめた。
 からだをほぐしながら、ほぐす合間に襖を背に、行っている。
 正確な日付は、6月26日である。
 最初の一週間は、まず、脳天に乗せる感覚を集中して探った。
 安定してのせられたときには、呼吸練習を加える。
 
 まず、息を吐き切る。最後の段階で腹筋をぎゅーっと締めるように肋骨も内側に寄せる。
 そこで「止息」。数秒間、息を吐くことも吸うこともしない。落ち着いたところで、息を吸う。
 下に位置する肋骨を外側にじわりじわりと膨らませる。次に、鳩尾から下腹部をふわーっと膨らませ、骨盤の中へと意識を落とし込む。最後の段階で恥骨を意識して、膣を締める感じで、ゆっくり息を吸い込む。
 
 つまり、意識を次々順々・三カ所に移行させながら行うのだが、その間つねに頭の中心に重さがのっていることだけは中心の意識に置いておくことは忘れないようにしている。

 ある意味で相当な集中をしている。
 逆立ち以外の意識はすてているのだから。
 しかし、逆立ちするからだの内側のありよう、呼吸のときのからだの使い方についてはこまかく意識しているわけだ。

「からだの重さを分けるように。細胞ひとつ一つに分け入るように」
 野口のことばである。

 この2週間で倣ったことは、意識の中身を細かく分けることだった。

 内臓に宿る心は捨てる。
 しかし、筋肉・骨・神経・脳=感覚(クオリア)・意識には、徹底的にこだわってみる「野口流逆立ち+呼吸」練習である。

 まだ、襖から離れることはこわい。
 そのうちに部屋の真ん中で、こうした稽古が出来る予感がしている。
 
 信じてみよう。
 負けて、参って、任せて、待ってみようと思う。

 佐々木俊尚さんのことば
『わたしたちは意識をかけがいのないものだと思っているが、一方で意識はつねに雑念に囚われる厄介な存在であり、わたしたちの生を苦しめる元凶でもある。中略 わたしたちの本質は、この厄介な意識という「雲」なのではなく、その向こう側にある「青空」ではないだろうか?』

 むむッ、「青空?」
 三島由紀夫は、ボデイビルで鍛えて得た強い筋肉が自信となって、自由が丘商店街で神輿を担ぐ。
 担いだその果てに、汗と疲労が齎してくれた無心が、彼の「青空」を見せてくれた。
 しかし、見上げた「青空」とその情景を、彼は言葉にすることはできない、と書いている。

 今、改めてはじめた「ヨガ逆立ち+呼吸」意識を分け・積み上げるアナログ稽古の果てに見えるものは、いったいどんな風景だろう。
 実に、実に、楽しみである。

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 因みに、月刊『春秋』巻頭エッセー「テクノロジーと死」佐々木俊尚氏 哲学的な深い内容です。
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文月……まさかの坂の途上にて

2017年07月07日 10時37分59秒 | Weblog
 カレンダーをめくった。
「7月、文月かー」
 よくぞ渡り切った、と振り返る道には緩みかかった綱が一本。
 でも、実感としては、緊張感を完全には取り除けない。
「むしろ、一気に、緩みすぎてはいけない」
 自分に言い聞かせ、他の方からも忠告をいただいている。

 それでも少し得られたゆとりだろうか。
 ここ何年も母を背負って綱渡りをしていたことを思い起こす。

 向こう側の施設に送り届けて、思いもよらない出来事に遭遇した。
 上り坂、下り坂、まさかの坂、……うッ、誰の言葉だ?
 誰のことばでもいい。
 まさかの坂でみた風景は、なかなかに見事だった。
 
 こんなはずじゃなかった。
 先の予測はつかないのが人生ってものさ!

 背負うものは変わっても、最後まで綱渡りのなかでバランス感覚は磨かれる、のかな?
 その都度、アタフタ、ドギマギ、「あー、もうダメだ」の連続だった。
 こころの中で叫びながら、レッスンにでかける。授業にでかける。
 その場に立てば、背負っていることも、綱渡りのことも忘れて、集中する。
 終わった時には、微妙なバランス感覚を取り直せることを知った。
 また、ブログを書く事も、書く事で、行き詰まり感が払拭できることも知った。

 向こう側にいる母は、ケロッとしている。
 今週は美容師さんに髪を切ってもらった。
 前髪はつむじのところ7・3で左右に分ける。後髪は鬱陶しくない長さにカット。
 若返ったのである。
 よく似合うのである。

 さすがプロ集団だ。
 まさかの坂の上り坂も下り坂も、この分だと無事に通過させてくれるのではないだろうか。
 老いて、不自由になって、認知能力が頓に衰えて、そして乱れる。
 この乱調は、彼岸に渡る前の「通過儀礼」であろうか。
 途上にあって、本人には不満も不平もあるやもしれず。
 それによって周りの方々を振り回すことは確実である。

 しかし、彼女の立つ位置を真ん中にして、全体を俯瞰すれば、満更ではないとこまで導びかれて、たどり着けそうな気配を感じている。
 この通過儀礼の乱調は、この程度ですめば許容範囲にうちでしょうか。

 いすれにしても「お蔭さま」です。

 野口先生がある年の年賀状に、このことばの本当の意味が解った、と記されたことがあった。
 目の前にいてくれる人、目の前にはいない人、まったく知らない人も含めて、“人生はお蔭さま”なのであるといった趣旨だった。

 まだまだ、母も娘も、まさかの坂の途上です。
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「断捨離」の極意かも……野口三千三の名言

2017年07月03日 13時40分48秒 | Weblog
 母が高齢者施設に入所して、一ヶ月が過ぎた。
 まったく安心とまではいかないが、少しずつ落ち着いてきた。
 
 この間、住まいの部分の片付けは、相当に進んだ。
 残すものと捨てるものを仕分けして、かなりの量を捨てさせてもらった。 
 この際だから勢いに乗って、蔵の中のものを処分できるものから整理しよう、と流行りの「断捨離」を決行しようか、と考えてみた。
 
 ひとつの理由は、簡単だ。
 直近の母をみていると、元気そうなのである。
 食事も完食するようになった。それも自分の箸で、自分の歯で食するのは普通食である。
 ちゃんとお風呂にも入れてもえらえる。
 入れ歯はない。口腔ケアは一週間に一度の割合で受ける手筈はととのって、すでに3回は受けている。
 自宅にいたとき同様に常備薬はない。
 トイレトレーニングも受けているようだ。

 すべてこれでよし!とはいかないが、それなりに安定期に入ってくるのだろうことが、顔の表情からも読み取れる。
 まだまだ長生きしそうな元気さを見てとった。
 しかし、である。
「家に帰りたい」
 一言も言わない。
 それが不気味でもあり、有り難くもある。

 で、ふと、思ったこと。
 もし、仮に、私が先に死ぬようなことがあったら、この家はどうなるのか。
 ぞっとした。
 遺品整理を誰かにおねがいせねばなるまい、と。
 想像すると気が遠くなるのである。
 たとえプロの業者に頼むとしても、それだけではすまされない事情がある。
 たとえ誰かが采配を引き受けてくれる、としても気の毒である。

 どうするの!?
 まったくお手上げ。

「捨てられるものから、手をつけはじめようか……」
 そう簡単ではない、と思った矢先に親戚の者と電話で話した。
「操ちゃん、年内はまだ手を付けない方がいいと思うわ。まだ六十代でしょ……」

 その一言で冷静になれた。
 施設は近くにあるとはいえ、68年ともに暮らした母と別れたばかりなのだから。
 お互いに心の内は尋常ではないはず。
 そのような状態でくだす判断は危うい、ということを遠回しに言ってくれたのに違いない。

 時がくれば自然にからだが動いて片付けるだろう、と自分を信じてみることにした。
 半地下に二階建ての蔵の建坪は、およそ十五坪である。
 捨てるものばかりである、と想う。
 それもひとりでは片付けられない事は自明である。

 今、すべきことは、時間をかけて自分自身の老後の暮らしも視野に入れて、よーく、案を練ることだ。
 それって、実は、大変なこと。
 つまり、安易に「断捨離」をしていけない、という結論に至った。

 そこで思い出した言葉がある。
 甲骨文字研究に没頭したなかで見いだした野口三千三の名言だ。
「信」という漢語にそのままぴったりの和語はない、という前提をおっしゃる。
 たどり着いた「信」の訓みは、ひとつではなかった。
『「信(じる)」とは、負けて・参って・任せて・待つ』
 
 思わず、膝を打った。
 信じてみよう。
「機が熟す」
 死んだあとではなく生きているうちに、その時はかならずくる、と。

 極端な話「死んでしまえばおしまいよ」
 腹をくくった。

 なんだか、急に楽になった。
 あッ、これが「断捨離」なのか?!
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