羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

墓参り、そして東京散歩

2008年01月04日 08時05分01秒 | Weblog
 書いている原稿の最後の詰めが甘くて、今一の感あり。
 そこで、じっとパソコンの前に坐っていたのではいい案は出ないだろう、と思い切って散歩に出たのは昨日の午後のこと。
 まず山手線の大塚駅から都電・荒川線に乗り換えて「庚申塚」下車。西巣鴨の野口三千三先生の住まわれていたところへ。まったく雰囲気の違う新しい家に、知らない家族がお住まいのよう。
 
 そのまま旧中仙道を巣鴨方向に歩いて「巣鴨地蔵」へ。お参りをすませて巣鴨駅から再び山手線で鶯谷へ。国立博物館の裏手の道を通って寛永寺の墓地に向かう。
 昨年、直していた墓地を囲む塀は完成していた。今度は、地震には強そうだ。
 三々五々お参りの人とすれ違って墓前へ。
 香と花を手向け、手を合わせ昨年の無事を感謝し、今年の予定を報告する。
「今、書いている原稿を、本にして出版してもよろしいですか」
 墓石は何も答えてくれない。
 天気は上々。墓に向かって右手遠方には、博物館の大きな屋根と樹木が望まれる。清浄とした空気を思わず吸い込む。寛永寺はいつ来てもよく手入れされている。その点が、谷中の墓地とは違うのだが、あちらはあちらで好さがあるなどとつぶやきながら、手桶と柄杓と線香を運ぶための竹の筒を返して墓地を後にした。
 
 そのまま上野駅方向から来る人波に逆らうように駅に向かって歩く。
 坂を降りきって、今度は地下鉄銀座線で日本橋方面を目指す。
 ホームに降り立つとそこに折りよく電車が滑り込んできた。
「おーっ」
 見ると黄色の車体は、レトロなのだ。
 地下鉄開通80周年記念号だった。銀座線は1927年(昭和2年)開通ということをはじめて知った。
 乗り込んだ車内で、車体は現在のものだということに気づく。

 三越前で下車して「日本の匠展」へ直行。
 お目当ては包丁である。
 仮住まいしていた2年7ヶ月前に、隣に住まっていた90歳になる元建具屋のおじいさんが、強引に包丁を磨いでくれたのはよかったのだが、刃先を欠いて戻してくれた。こういうのを「有難迷惑」という。
 それ以来、不自由しながら使い続けていたので、どうしても1本欲しかったわけだ。
「お客さん、包丁1本ですませようっていうなら、これで十分でさぁ。高けりゃいいってもんじゃない」
「おっしゃるとおり」
 以前、出刃包丁が欲しいといったとき野口先生に「それだけは止めて」といわれて、万能にちかい日本鋼の包丁にしておいた。それが先ほどの刃先を折られた包丁だ。今度のは牛刀で19センチ。重さと長さを確かめるように長さと重さが異なる包丁5,6本と、人参が用意されていた。その人参を切る手の大きさと手つきを見て「これがいい」と判断されたらしい。
 自宅に帰って比べてみると、あくまでも勘にすぎないけれど250グラムほど軽いようだ。でも、切れ味はいい。大根の皮は驚くほど薄く剥けた。腕は二の次。問題は道具だった。
 というわけで、東京散歩は、ぐるり半周。
 
 今朝になって、文章をすらすらと手直しした。
 やっぱり野口先生が降りてきてくださったようだ、と、そう思いたい。
 現世利益も有難や、有難や!
コメント
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