羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

仏壇に手を合わせる

2017年08月26日 07時12分46秒 | Weblog
 8月ものこり一週間となった。
 今年もまた、明治大学シェイクスピアプロジェクトのワークショップがはじまっている。
 助手にピーターが来てくれて、初回からテンション上がりっぱなしである。
 9月二週目まで、充実した時間を若ものと過ごすことができそうだ。

 さて、母が入所してほぼ三ヶ月が過ぎようとしている。
 以前の騒ぎはいったい何だったのか、と不思議になるくらいおちついてくれた。
「施設はじまって以来です」
 脱ぎっぷりのよさでは右に出るものはいないそうだ。
 お蔭ですっかり有名人となった。
 介護職の方々ばかりでなく、事務の方々にも「よかったですね」と話しかけられる。

 皆さんに相当なご心配をかけたようだった。
 とらなかった食事も、今では、ユニットのどの入所者さんよりしっかり食べるそうだ。
 さすがにプロの方々のお力はすごい、と感服している。

 ただ、困ることは、私が引き上げようとすると
「これで帰りましょう」
 家に帰る気持ちになってしまうことだ。
 もしかすると、ここで元気になって家に帰る、となんとなく思いはじめているのだろうか。
 だからといって騒ぐでもなし、駄々をこねるでもない。
 おとなしいのである。
 それがまたなんとも不憫に思われる。

 母は一日のリズムが定まったようだ。
 ところが私ときたら、どことなくまだ落ち着かない。
 料理をつくるとつくり過ぎ。
 母にかかっていた時間が空いて、本を読み始めるとやめられず。
 40年ぶりに得られた自分の時間にいささか戸惑うことがある。

 いちばん困るのは、判断がふらつくことである。
 何か、やりはじめても、途中でやめたくなって、まとまりがつかない、という自覚がある。
 余生を安心して生きる準備をはじめながら、ある手続きを行うに当たって、決心がつかないのである。
 あれこれ考えると、面倒くさくなる。
 来し方を振り返って、どこで間違ったのか? などと、しなくてもよい後悔をしたり……。
 そんな時間があったら、一歩まえに踏み出せばよい、とわかっていてもなかなか踏み切れないまま時が過ぎていく。
 むしろ、この状態のなかで大切な決定をくだすのは、避けた方がよさそうな気がしている。

 もうしばらく自分を自分で見守っていたい。
 まわりの方々に迷惑をかけることもありや、なしや。
 取り返しのつかない大きな間違いだけは、起こさないように。
 今朝も仏壇に手を合わせた。
 こんな祈りをこめて合掌するようになったのは、母が施設に入所して以来のことだから、まだ三ヶ月しかたっていない。
 自分でも、こういった変化に、いささか驚いている。
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無花果

2017年08月25日 18時36分37秒 | Weblog
 本日、お昼前に無花果をいただいた。
 生で食べてもよし。
 皮をむいて二つに切った無花果にレモンの輪切を加えて、煮ること10分弱。
 竹串が無花果のなかに、スーッと入ってくれるのを確かめて、火から下ろす。
 これがタイミングだ。

 さて、それから冷蔵庫で冷やす。
 今、試食した。
 丁度良く冷やされて、美味であった。
 ブログに書きたくなるほどである。

 汁はあわい紅色に染まる。
 味はすこし苦味があって、それが甘さを引き立てるのである。

 ヨーグルトにかけてもよし、アイスクリームに添えてもよし。
 明日からが楽しみである。

 ごちそうさまです。
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終着駅のない旅へ……始発駅のプラットホームにて

2017年08月25日 16時00分17秒 | Weblog
 八月も残すところ一週間となった。
 母が施設に入れるとは思っていなかったので、介護のために時間に余裕を持たせていた。
 そのためにはじめて、たっぷりした時間が、私の身の上にもたらされた。
 生まれてはじめて得た自分のために生きる時間。
 多少の戸惑いがあった。
 戸惑いのなかには、ぽっかりあいた時間の穴のせいか、それほど疲れてはいないのに、何かをはじめて途中で投げ出したくなる衝動に駆られることがあった。
 
 それでも本を読むこと、DVDを見ること、NHKスペシャルを見ること、都内の催し物に出かける事等々は、のめり込むように没頭していた。
 
 おかげで野口三千三が生きた、戦前・戦中・戦後が、以前とは比べ物にならないほど、はっきりと見えてきた。
「先生は、何でも戦争のせいになさるけど、ご自身にだって問題はあったのではありませんか」
 今だったら、絶対に言えなくなった。
 知らないということ、歴史を知らないということ、大正から昭和の敗戦後までの事情をしらないことに、今は畏れを感じている。
 時、すでに遅し。
 知っていればもっと違った言い方も出来た筈だ、と。

 戦後民主主義の申し子の自分の価値判断で、戦前・戦中・戦後の日本人を見ていたのだった。
 軍人、兵士、実業に生きる人、官に生きる人、市井の人、文化人と言われる人、学界のエリートと呼ばれる理系の人、軍国の母、軍国少年少女、少国民、非国民、……さまざまな日本人を少しだけ、しることができた。

 時に食事も忘れることもあった。
 ここまでて、やめておこう、と思いながらやめられないこともあった。
 夜中に夢でうなされることもあった。
 ほぼ一ヶ月、やめられないまま戦前から敗戦後までの時代を、イマジネーションを膨らませて生きていたような気がしている。

 そこから得た一つの答えは、「野口三千三は官の人だった」である。
 これは重い気づきだ。
 昭和20年でそれまでをリセットしても、しきれるものではない。
 野口が負った心身の痛みを、すこしだけ想像することが出来るかもしれない。
 できないにしても、できないなりが、今までとは違ってきている。

 生きている間に、もう少し知りたいと思う。
 その思いに任せていると、自分はいったいどこに行ってしまうのか、と時に不安になっていた。
 それでもやめられなかった。
 そんな時、一人の人間にかえってみる。私の場合は野口三千三だった。
 時代の真ん中に、野口を置いてみる。そして時代を遡って訪ねてみる。
 軸をとる。

 大正から敗戦後までの時代に、長い定木を当てて見ることができた。
 定木をあてれば、なんとか軌道修正出来ることも知った。
 道に迷いそうになっても、ちゃんと「ここ」「今」に戻ってこられる自分を実感した。

 ここまで、長い道のりだった。
 私は、終着駅のない旅にでる。
 今、始発駅のプラットホームに、ようやく立っている。
 もうすぐ発車のベルが鳴るだろう。

*******

8月に集中してみた 主なNHKスペシャル

* 本土空襲 全記録
* 731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験
* 樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇
* 戦慄の記録 インパール
* なぜ、悲劇はうまれたのか〜写真家・船尾修 旧満州の旅〜
* 東京・戦後ゼロ年 東京ブラックホール
* 原爆と沈黙〜長崎浦上の受難 
* 映像の世紀プレミアム 第6集「アジア 自由への戦い」
* ドラマ 返還交渉人〜いつか沖縄を取り戻す〜北米一課長 千葉一夫(井浦新)
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今朝のこと

2017年08月16日 07時27分26秒 | Weblog
 今朝の朝ご飯は、こんなメニュー。
 炊きたてのご飯に、ジャガイモとわかめのみそ汁。
 みそ汁は、冷蔵庫で昆布とカタクチイワシの煮干しを一昼夜浸して出汁をとる。朝になると、出汁用昆布はしっかりとひらいているし、ぬめりも出ている。
 火にかけて、ぐらぐらと来る前に昆布をとり出し、残った煮干しはしっかり煮出す。
 火を止めたらすぐに醤油を一たれ、お酒を少々そそいでおく。この一手間が肝心。

 おかずは、昨日のうちに用意した車麩と小松菜の煮物と納豆。
 キャベツ・人参・胡瓜の酢漬け。今回は米酢に、余っていたレモンの汁を少々加えたので香りが違った。

 三番出汁までとった昆布と鰹節をためておいて、焚いた自家製佃煮。これが辛すぎず甘すぎず、固すぎずふんわりした触感を残した自分好みの味で、ご飯がすすむ。

 デザートは、佐治さんから送られたメロンを小分けにして、割り箸を刺し冷凍しておいた一切れを、寝る前に冷蔵庫に移しておいた。解凍状態もよろしく、一口だいに切り分けヨーグルトに混ぜる。これも美味。

 ニュースを見ながら、日本茶をすすった。
 じわじわとある思いがこみ上げた。
 こうした朝食がとれる幸せ。
 食べ終わって、急に、申し訳ないような気がした。

 というのも、昨晩見たNHKスペシャル『戦慄のインパール』をふと思い出したからだ。
 NHKがやる気をだせばできる。すごい取材力があるんだ。
 簡単に入る事ができない現地で当時を知る現地の人々への取材、イギリスが残した10時間以上の記録映像、そして戦後も地獄を抱えて生きた数少ない元兵士の方々へのインタビュー。

 責任をとらない上層部・参謀たちを静かに弾劾する。
 左右の胸に埋め尽くされた勲章が、いかにも誇らし気な軍人のポートレートにかぶって、作戦を正当化し、自己保身のみの録音がながれる。
 最初に逃げ出した司令官だ。

 兵士の命は、弾丸一個より安いものなのか。
 その弾丸すら不足している戦争の無謀な作戦をなぜやめなかったのか。

 最後に、インパール作戦に随行して記録を残し、死の渕をさまよっているうちに捕虜となった元将校へのインタビュー。
 90歳を過ぎている。
 残っていた自らが書いた行軍記録を見せられて、悔恨の情に涙し、さらにことばが失われていく。
 頭を垂れて、うなだれて、車椅子に力なく腰掛ける姿を残して、カメラは少しずつ遠ざかってフェードアウトし、画面は一瞬、漆黒の闇となった。
 
 この闇に語らせた意味は深い。

 たまったもんじゃない、と私は言い放って、流しに立った。
 水を出しながら、再び、思い出した。
 兵士たちは武器は捨てても、飯盒だけは最後まで手放さなかった、という。
 私は、鍋を、食器を、いつもより丁寧に丁寧に洗った。

 まだまだ戦争は終わらない、8月16日の朝。
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もし、野口体操に出会わなかったら、読まなかったであろう本のこと

2017年08月15日 08時45分42秒 | Weblog
 早朝、一冊の本を読み終えた。
 閉じた本を前に、呆然としていた。
 腹の底から、何度も何度も執拗にこみ上げるものがあった。
 したたるものを拭わずに、正座したままの足を崩すことができなかった。
 しばらく、呆然としていた。
 
 無作為に、ページを開いた。
「八田が撮影した丸山が最期を迎えた部屋」というキャプション。
 そこは宮島の寺の一室であるようだ。
 青い蛍光ペンで線が引かれている行に目を落とす。
 新劇人の戦争責任について、演劇雑誌の企画で朝日新聞の演劇担当記者・扇田昭彦のインタビューに、演出家八田元夫はこう語っている個所である。
『…… われわれの力では食いとめられなかったでしょう。しかし食いとめられなかった自分たちの弱さってものを、もう一ぺんほんとうに ー やつらが悪かったから戦争が起こっちゃったじゃなくて、大正デモクラシーの中でいい気になっている間にどんどんやられちゃって、一歩前進せずに後退後退したこの責任てものは、私自身と同時にわれわれ世代的な責任としてはっきりつかまえまければいけないと思っています』

 書名は、『戦禍に生きた演劇人たちー演出家八田元夫と「桜隊」の悲劇』堀川恵子著 講談社 
      2017年7月6日 第一刷発行 である。

 著者は「あとがき」にこうしるす。
 演劇空間のすばらしさをかたり、その後に
『そんな夢と希望に満ち溢れているはずの演劇の世界が、蹂躙された時代があった。舞台はイデオロギーによって変節させられ、国家によって自由を奪われ、俳優は警察に連行され、演出家は拷問を受け、作家が警察署の中で殴り殺されるーー。わずか七十数年前にあった、この国の姿である』

 芝居をやり続けるために、戦時に生きるのこるために、移動演劇隊に組して、農村や軍需工場をまわる「桜隊」は、原爆が投下されたその日に、疎開できずに広島に居残っていた。
 たまたま広島を離れていた八田が、投下後の惨状に「桜隊」のメンバー一人一人をおっていく後半の筆は、読む者の内臓をぐっとつかんで離さない。
 たまらん。たまらん。
 しかし、最後まで読み続けなければなるまい。

 この本は、戦前から戦中・戦後を通して、演劇一筋に生きた演出家・八田元夫の生涯をおいながら、俳優・丸山定夫 劇作家・三好十郎との三者の深い関わりを軸に、新劇人たちの生き様を通して戦争の内実を問うている。

 実は、ずっと不思議に思っていたことの謎がとけた。
 徹底的に焼け出された東京で、戦後の非常に早い時期にもかかわらず、映画・演劇・舞踊等々の舞台が再開された。その理由が書かれていたからだ。
 私は、30数年以上も前に手に入れた『江口隆哉と芸術年代史』の記録記述を読みながら、封印されていた芸術や芸能の花が一気にひらく様子、そのことに合点がいかなかった。
 野口が昭和21年に、江口・宮舞踊研究所の舞台を見て感動し、間髪を入れぬはやさで研究所に入門しモダンダンスを学ぶ経緯を知って、なぜだ、とその上演時期の早さに疑問を感じていた。
 その理由が書かれていた。
 昭和20年9月24日には、GHQが「都民の生活を明朗にするため」映画・演劇の興行を戦前とおりに復活される方針を明らかにし社会はその方向で動き出した、とあった。
 ただし、それは表向きの理由で、本当の狙いは「占領軍への不満を吸収する装置を構築するためでもあった」と著者は書く。
 なるほど。
 すぐにも歌舞伎は公演を再開、映画も制作をはじめた。
 おくれて新劇も復興していく。
 この新劇のはじめての公演場所確保は、なんとGHQが手配までしてくれたそうだ。
 なるほど。

    ******

 一段と節操を失っていく、私の読書、DVD・その他の舞台鑑賞。
 実のところ、自分自身でもハラハラしていた。
 私は、いったい、どこへ行こうとしているのか。
 しかし、ここまできて、ようやく照準が定まった。
 これまで一見無頓着・バラバラに見えた読書も行動も、角度をかえて時代みるためだった。
 猛烈に絡まった糸から、形がすこしずつ浮かび上がってくる、予感がしている。

 それにしてもである。
 野口三千三の野口体操の道筋を重ねて見ると、複雑な思いに駆られる。
 あとはもっと丹念に資料を当たり、人に会い、土地を訪ねたい。

「もし、野口体操に出会わなかったら」
 振り返ると、一生、読むことがない本の数々が、周りに積み上がっている。

 まだまだ道は長い。
 時間は限られてきている。
 しかし『一年は、八月十五日からはじまる』(野口三千三)
 忘れまい!
 合掌。
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新宿・末広亭 満席でしたのよッ!

2017年08月13日 08時32分51秒 | Weblog
 そんな筈ではなかった。
 およそ8時間も寄席にいりびたるとは?

〈八月十一日より二十日まで 昼夜入替えなし〉

 長い行列を横目に、新宿・末広亭のチケット売り場を見に行った。
 開場時間まで20分はあった。
 そこで目にしたのが、「入替えなし」と書かれた看板だった。

「へー、昼の12時から夜の9時まで、居座る酔狂な人が、いるのかなー」
 まさかその時には、自分が、酔狂人になろうとは、微塵も思わなかった。

 たくさんの人がお盆で帰省してるだろうから、きっと空いているに違いない。
 そんな予想は見事に裏切られた。
 行列の最後尾を探さなければならなかった。

 気がつくと、傘を持つ手の反対の手には、お茶とお弁当が入ったビニール袋がぶらさがっている。
「はじめてなんですけど、こんなに人気で。……座れるんでしょうか」
「大丈夫ですよ。300席ありますから。でも、そこのコンビニでお茶とお弁当を用意され方がいいですよ。中で買うと高いから」
「えー、ここから離れたら、また最後尾に……」
「大丈夫です。わたしたちが覚えていますよ」
 中高年の男一人女二人の3人組と、すこし寂し気な若者が、助け舟をだしてくれた。
 すぐにも踵を返して、コンビニに走った。

 予定は11時40分開場だったが、行列が道を邪魔しているのではやめに開いた。
 教わったように、最前列から二列目、真ん中に陣取った。
 12時前に、二回目の開演のベルが鳴ってはやい開始である。

 幕があいて、まず落語を二席。
 見上ーげてごらん、落語家の顔……状態であったが、その席は正解だった。
 
 お中入りまでに、落語は九席。
 野口三千三先生がお好きだった「大神楽」は女性だった。
 コントや漫謡がはさまるのだけれど、終始、笑いっぱなし。
 これって40年分笑うんじゃないか、と密かに冷笑の私。

……明治期に、坪内逍遥や二葉亭四迷が起こした言文一致運動、初代円朝の落語を速記法で筆記……
  とか
……笑いの話芸を一度は生で見たり聞いたりしたかった。なにしろ私の子供の頃、昭和30年代は、テレビでもラジオでも劇場中継が盛んに行われて、寄席にはいった事がなかったが、放送を通してよく聞いていた……
  とか
  理屈をつけて、御託をならべてやってきた。

 洒落、駄洒落、ことばあそび、アイロニー、オノマトペ、等々、それに身振り手振り、扇子と手ぬぐいだけの表現。
 御簾のなかから聞こえるお囃子が江戸・明治・大正、昭和・現代まで、曲をアレンジしておりおりに挟んでくるのが、いい。
 その気にさせてくれる。

 となりのおじさんの体臭、となりのおばさんのお弁当の匂いも、いつの間にか気にならなくなっていた。
「笑いってすごい」

 お中入り最後の三席。
 三遊亭笑遊の落語、林家今丸の紙きり、三遊亭小遊三の落語で、すっかり盛り上がった。

 それから後半。
 落語・奇術・落語・コント・落語と続いた。
 どれも面白い。
 昼のトリは、昼席主任の三遊亭円馬の落語でしまった。
 しまった!
 上手かったのよ!
 ついつい〈昼夜入替えなし〉文字が、おろされた幕に浮かび上がった。

「一日のうちで、昼と夜の違いを比較研究しよう」
 堅めに言い聞かせた。
 昼は出し物だけに集中したけれど、夜は小屋全体の雰囲気を味わってみよう。
 そこで後ろの席に移動。
 5時開演である。

 見回すと、親御さんに連れられた小学校高学年の子供たちから、青年団、若いカップル、中高年、70代以降の客で満席となっている。
 桟敷席には「直虎」に出くるようなイケメングループが陣取っているではありませんか。
 しばし、鑑賞。
 ちょっと嬉しい!
 だいぶ嬉しい!

 さて、夜の部には、江戸曲独楽芸もあって、その時ばかりは隣に江戸独楽作家の福島保さんがすわっているような錯覚すら覚えた。
 昼夜とも、演目の割合は同じ。
 曲独楽のほかには、バイオリン芸、曲芸等々。
 あとは落語をしっかり聞かせる。

 昼・夜に共通しているのは、初心者用に落語の世界をガイダンスする話、客席でのマナーも笑いのうちに伝える話、楽屋うちの様子が盛り込まれて親近感を起こさせる話。
 そのほかに、人情話、定番の古典落語を現代の話を枕にアレンジしてきかせたり、サービス精神はてんこ盛りなのである。

 夜の部、お中入り前は、昔々亭桃太郎の落語でしめ、最後は今月の中席主任の春風亭昇太がしめた。
 お腹を抱えて笑った。笑った。
 当初の理屈もへ理屈も退散。

 気取った雰囲気の国立演芸場で、昔し昔し、一席が長ーい落語を聞いたことがあったが、大衆芸能としての寄席は、まったく違った味わいがあった。

 今度は、一人ずつの独演会をじっくり聞いてみたい、と思った次第。
 すっかり落語協会の意図にはまってしまった、てなわけでございます。

 さすがに今朝は、二日酔い状態で目覚め、今、むかい酒かわりにブログをしたためているようなわけで。

 さて、さて、日本近代文学館主催の「夏の文学教室」で聞いた詩人荒川洋治、作家阿刀田高、両氏の話芸。
 1943年から44年にかけてつくられた松竹(国策)映画の女優さんたちの科白。
 そして寄席のことば。
 たて続けに日本語に出会った夏は、とっても素敵だ。
 生活に密着し、でも、非日常の空間で、選りすぐりの話芸で語られる日本語ってすばらしい!

 すっかり酔いが醒めましたッ!!
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SPレコード鑑賞会

2017年08月11日 20時00分48秒 | Weblog
 何十年ぶりだろうか。
 井の頭線・駒場東大前駅におりたった。
 蝉時雨、雨上がりの樹木の匂い。
 旧前田公爵邸の脇に、お目当ての日本近代文学館は、ひっそりと建っていた。
 
 8月とは思えない涼しい日和。
 落ち着いた環境のなかで、SPレコードとお話を聞く会が開かれた。
 正式には『音楽で出会う 芥川龍之介 ー蓄音機とSPレコードで聴く』
 大正時代はデモクラシーとともに西洋の芸術や文芸がどっと日本に入ってきたことが伺える。
 
 横浜市立大学の庄司達也先生は、ご自身が収集されたSPレコードと蓄音機を運び込まれて、お話と音楽鑑賞を楽しませてくれた。明治中期以降からの日本における西洋音楽史の講義のようだった。

 明治の開国、欧化政策からたかだか半世紀にも満たないうちに、文人たちはこうした芸術を嗜好するだけでなく、創造の源としていかす力をつけていた、というから驚きであった。

 さて、レコードコンサートのプログラムをご紹介しよう。
 すべて芥川龍之介が聞いていた演奏者と曲であるという。

 三浦環       「蝶々夫人」プッチーニ
 柳兼子       「Ich Liebe Dich」ベートーヴェン
 アドルフォ・サルコリ「リゴレット」ヴェルディ
 梅蘭芳       「三本楊貴妃」京劇
 ミシェル・ピアストロ「モスクワの思い出」ヴィニヤスキー
           「ファウスト・ファンタジー」グノー
           「ツィゴイネルワイゼン」サラサーテ

 蓄音機は HMV157 英グラモフォン社   
      VVI−90  日本ビクター社

 鉄レコード針は一回ごとに取り替え、ぜんまいも毎回巻きなおす。
 1枚のレコード演奏時間は、3分から4分なので、長い曲は裏返して聞くことになる。

 とくに、ロシア音楽界の巨匠・ヴァイオリンのピアストロは、素晴らしい演奏だった。
 ヴァイオリンはおそらく現代に換算すると5億とも6億円とも言われる名器だそうだ。
 だからというわけではない? だからかもしれないが、SPレコードであることを忘れさせてくれる音なのだ。
 低音から高音まで伸びやかで、華やかで、憂いがあって、ヴァイオリニストの情感を、倍増させる表現力をもった音なのだ。名器と名演奏家が当時としては最高の演奏を披露したのに違いない。
 それを楽しむ芥川を創造すると、やっぱり!とさまざまなことを納得してしまう。

 さすがに大編成のオーケストラには多くの困難があって来られず、ソリスト中心に来日していたその演奏を直に聞いているという。

 作家の価値観、美意識、創作の糧となった芸術のなかに、西洋音楽・中国の京劇等々、色彩豊かな音楽の世界があると知っただけでも作品の読み方はかわるはずだ。
 芥川の時代には、日本に居ながらにして海外の名演奏を聴くことが叶ったのだ。
 
 庄司先生のような研究をしておられる方がいらしたのねー。
 お宅にはどれほどのコレクションをおもちなのだろう。想像もできない。

 さて、終了してから伺った。
 何十年も埃をかぶっている我が家のSPレコードはおそらく黴だらけではないか。ふと伺ってみた。
「黴は大丈夫です。綺麗に拭き取ってください。LPレコードと違ってSPレコードは頑丈に出来ますから、大丈夫ですよ」
 教えてくださった。
 たいした枚数はないが、たしかラベルが指揮をしている「ボレロ」があったような記憶がある。

 コンサートが終わってから、芥川特設会場で、ギャラリートークを聞いた。
 併設されている明治からの小説の歴史も面白かった。
 言文一致運動のなかで、落語を聞き書きし参考にした、という話は説得力があった。

 なかなか文学とは面白し!
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古今亭志ん朝の昼飯……ごちそうさま

2017年08月10日 12時44分15秒 | Weblog
 NHKの「サラメシ」を、見るのが好きだ。
 必ず見るとは限らない。時々見ると幸せになる。
 今、昼の時間帯、再放送を途中から見ていた。
 昼飯に鰻をなぜ食べるの? それぞれが、さまざまな理由を話す。
 どの理由も素敵だった。

 最後は、古今亭志ん朝が愛した昼飯。
 葱せいろである。
 そばは二八そば、ソウダカツオとサバ節の出汁。出汁は冷たいのもあたたかいのもよし。
 あたたかい汁に葱を入れて一煮立ち、烏賊のかき揚げを投入。
 かならず、「喰い意地がはっているから」と言いつつ、小ライスを注文する。
 ご飯の上に、烏賊のかき揚げをのせて、汁をかけて食すのだそうだ。

 落語は古典。華麗で端正な語り口だが、そばの食べ方は自己流だという。

 店主曰く
「惚れたね!」
 目立たないように帽子をかぶって、あまり喋らない。でも色紙をだすと快く書いてくれたそうだ。
「若死にしちゃって勿体ない」

 艶のある張りのあるあの声。
 切れのいい語り口。
 勿体ない。

 ごちそうさまでした。
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読書とDVD鑑賞

2017年08月09日 18時51分39秒 | Weblog
 東京は、昨日、今日と猛烈な暑さだ。
 午前中の早い時間に買い物をすませて、あとは自宅にこもる二日間だった。
 先週から読みはじめた二冊の本を最後のページまでたどり着いた。
 それに関連して見たかったDVDを5本見終わった。

 野口三千三の師範学校卒業から、小学校教諭時代、短期現役兵、母校師範学校の教官時代、そして少年航空兵となって亡くなった実弟の方が生きた時代。
 戦時中の日本を知るための読書だった。

 一冊は、『飛行機の戦争 1914−1945』一ノ瀬駿俊也著 講談社現代新書
『「日本軍=大艦巨砲主義」という常識をくつがえし、戦争の実体に迫る力作!』帯より。
 国民が飛行機に夢を託した道筋を、大量の資料を駆使して描き出している。

 もう一冊は、『学生を戦地へ送るには 田辺元「悪魔の京大講義」を読む』佐藤優著 新潮社
『悠久の大義のために死ねば 永遠に生きられる ー 日米開戦前夜 講義録 を読む佐藤優の合宿講義完全収録 〈戦前回帰〉の進む現代に警鐘を鳴らす』帯より。

 二冊とも、重かった。
 簡単に読み進むことができる内容ではなかった。
 久しぶりに、本に食らいついて、読んだ。

 読みながら、DVD映画を、次々に見た。
 1943年(昭和18年)から1944年(昭和19年)にかけて、上映された松竹映画 CINEMA CLSSIC
 5本とも、この時代の日本人の価値観、暮らしぶり、心情が描かれていて、本を読むのに十分な補完になってくれた。
 詳しい内容には触れないが、当時の女性の言葉遣いと、佇まい、そして和装・洋装ともに女優さん(田中絹代ほか)の所作が美しかったことは特筆しておきたい。

 野口の戦前、戦中、そして戦後の心情を本当のところはまでは理解できないとしても、今までとは雲泥の差で、当時の日本社会を通して少しだけ透けてみえてきたような気がする。

 ドキュメンタリー作品ではないが、あの時代がしっかり描かれている。
 本からは想像できない、リアルさが迫った。
 
 読書と映画鑑賞とで、もしかすると“不都合な真実” を、知り・見ることになるとしても、そこを私なりにしっかり受けとめなければならない覚悟が迫られたようだ。

 実は、7月から「野口三千三伝」を少しずつ書きはじめている。

 途中挫折しそうな、心もとなさをすでに感じているのだが……。

 逃げられるものなら、逃げてしまいたい……。

 溜息!
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相撲健康体操

2017年08月07日 09時56分50秒 | Weblog
 先週のこと、NHKのニュースで夏休み「相撲健康体操」を両国国技館で催されていることを知った。
 朝、7時30分から30分間。
 我が家から国技館まで30分で行けることを調べて、出かけてみた。

 はじまる時間にはおよそ百名くらいだろうか、子供からご年配の方まで集まってきていた。
 素足になって、ひとつ一つ型を真似しながらすすめていく。
 大学の授業は、空手教場で素足でおこなっていたこともあって、ここでも少しも抵抗を感じることがなかった。

 一通り体験して、つくづく思いましたね。
 野口体操で基本はやっているので、困った!という動きはなかった。
 しかし、本当に“四股を踏む”ことは大変なこと。
 年月と稽古の量がものを言いいそうだ。

 いずれにしても、気持ちよく、あっという間に30分が過ぎて、もうすこし動けそうという余裕を感じていた
 周辺の写真を撮ったり、水上バスの時刻表を見に行ったりして、両国駅から電車に乗った。
 8時台の総武線、御茶ノ水駅まではものすごい混雑だった。
 中央快速線に乗り換えて、iPhoneで撮った写真をFBに投稿した。
 私の夏休みも、丁度、中日。

 今週は、10日木曜日まで。お盆休みの後は20日の週に後半があるようだ。
 近ければ通いたいけれど、ちょっと難しそうだ。

 帰宅して、朝食をとったが、大変に美味しゅうございました。
 因みに、献立は、大根とわかめのみそ汁、豚肉と茄子味噌炒め、蕪の甘酢付け、自家製しらすとどじょうインゲンの佃煮、ブロッコリーのマヨネーズあえ ご飯 そして日本茶、でした。
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つながり つたわり とおり まわり めぐり……

2017年08月05日 09時25分32秒 | Weblog
『アナトミー・トレイン』医学書院 を、少しずつ読み進んでいる。
 野口先生の人間のからだとからだの動きを裏付ける内容に、ようやく解剖もここまできたのか、と内心ほくそ笑んでいる。
 先生がご存命だったら、だから僕はずっと言ってるでしょ!とおっしゃるに違いない。

 従来の解剖学のとらえ方は有用ではあるが、と断って「アナトミー・トレイン」の考え方は、”統合された存在として我々の内部感覚に間違いなく役立つ”と訳者まえがきにしたためられている。

 一つには、感覚を重視する。
 たとえば、IQー知能指数 EQー心の指数 に加えて、 KQ、つまり運動感覚指数を考えている。 
 
 従来の解剖学が、機械論的な視点から、身体内部の関係性を人間としてよりも、むしろ「物」として扱っている。
 それに対して『身体を「柔らかな機械」とし、成長し、学習し、成熟し、最終的に死を迎える人体として体験することと結びついける方向に少しずつ進んでいくことを願う』とある。

 新しい身体の見方、新しい解剖学の扉が開かれたのである。
 ひとつに統合された情報系として、身体を見直す作業が、「アナトミー・トレイン」のようだ。

 基礎講座として、一個の水風船のような受精卵が分割されて、腸管が作られ、次第に外胚葉、中胚葉、内胚葉にわかれ、筋膜がからだ全体に張り巡らされていく過程について、Web動画でわかり易く説明を受けることができる。この本のすごいところだ。
『体中に張り巡らされた筋膜の網を通してヒトの姿勢や動作の安定がどのように得られるかを解明する理論である』と、12本のアナトミ・トレインを定義づけている。

 画期的なのは、骨格と筋筋膜経線(アナトミー・トレイン)の関係のとらえ方が実に面白い。
 これは野口先生に知らせたら、だから、言わないこっちゃない!というに決まっている。

 私としては、こうした発想は、なぜか親しみを感じている。考えてみると、西洋音楽は長調と短調の二つだが、実際には12音平均律にそれに当てはめる、24のコードを持っているとも言える。
 一つのコードのなかで、いくつも音楽が作られる。その発想に繋がっているような共通性を感じているのかもしれない。

 いずれにしても、明日は、朝日カルチャー「野口体操講座」があるので、またこの本とiPadを持って行こうと思っている。

 つながり つたわり とおり まわり めぐり ながれ 次々順々

    *********

 明日、レッスンに出席されるみなさま、前回テーマにした「SBL(Superficial Back Line)」と「SFL(Superficial Front Line)」で「上体のぶら下げ」のイメージ練習を、一段と深めていきましょう。
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おどろき もものき さんしょのき

2017年08月04日 19時01分36秒 | Weblog
 6日ぶりに母を訪ねた。
 住民票はこちらにあるので、区役所からの書類が届く。
 それを届ける用事もあった。

 さて、入所そろそろ二ヶ月。
 適応力のはやさに驚かされた。
 というか、施設のスタッフの皆さんの智慧と工夫と努力で、自宅暮らしでも見せなかった母の意外な面を知る事となった。
 
 からすの行水のはずが、湯槽につかって長湯なのだと、聞いた。
 そんな筈がー。
 事実らしい。
 思うに、プロの介助で安心して入浴が出来るということだろう。

 食事は完食、おやつもしっかりとって体重も増えたという。
「冷やし中華」のときには「美味しい美味しい」と食したそうだ。
 食が細くなっていたことは過去の事となった。

 先日の歌のコンサートは、最後まで聞いていたそうだ。
 感想を聞くと「とてもよかったですよ。楽しかったです。素敵でした」
 そう答えたそうだ。
 案ずるより産むが易し。
 娘にピアノを習わせて、音大にいれたのに、母はじっと座って演奏を聞く事はあまり好きそうではなかった。
 なのに、ちゃんと最後まで聞けたなんて、泣けますー。
 家にいたのでは経験できないことだった。

 脱衣行動もなくなった、とのこと。
 にこにこ笑顔を見せる事が多いという。
 スタッフのみなさんも驚くほどの適応力をみせている、という。

 そして、今日は、相談事も切り出してみた。
 どこまで理解してくれたかはわからない。
「それはとっても難しいわね」
 そうなんです。
 難しい相談でした。

 声楽家の方のお部屋も訪ねて、しばらくお話をした。
 芸大の三期生。
 懐かしい音楽家の名前が次々と語られて、なんだかうれしかった。
 何十年ぶりだろうか、音楽の話が出来るとは、まったく思いもよらない展開だった。

 人の一生は、最後の最後までわからないものだ。
 捨てたものではない。

 おどろき もものき さんしょのき
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ことばと生きる ことばで生きる

2017年08月02日 14時00分12秒 | Weblog
 昨日、日本近代文学館 夏の文学教室 第54回「大正という時間ー文学から読む」を、有楽町よみうりホールで聞いた。
 15分前に会場に入った。
 1100席は、すでに満席状態だった。

 文学に関心がある方々が、こんなにも大勢いることに驚いた。
 若い方も見かけたが、元気な高齢者が多かった。
 客席を見回すと、女性ばかりという想像は見事に裏切られて、男性の50代、60代、70代、そして80代らしきかたもいらした。

 舞台を見るとステージには演台とマイクのみ。
 バックは質素とも思える濃紺の幕だけ。
 なんともシンプルな設えである。
 
「おー、久しぶりにパワポなしかー」

一時間目は、「大正時代の光と翳ー文化学院と大逆事件」赤坂真理
 
 あゝをとうとよ、君を泣く、
 君死にたまふことなかれ、
 末に生まれし君なれば
 親のなさけはまさりしも、
 親は刃をにぎらせて
 人を殺せとをしへしや
 人を殺して死ねよとて
 二十四までそだてしや。

 …………

 旅順の城はほろぶとも、
 ほろびずとても、何事ぞ
 君は知らじな、あきびとの
 家のおきてに無かりけり。

 …………

 暖簾のかげに伏して泣く
 あえかにわかき新妻を、
 君わするるや、思へるや、
 十月も添わでわかれたる
 少女ごころを思ひみよ、
 この世のひとり君ならで
 あゝまた誰をたのむべき、
 君死にたまふことなかれ。


 文化学院というと、この歌が思い出される。
 実は、与謝野晶子のこの歌で、十代の私は目覚めたような気がしている。
 
 さて、と、創立者の西村伊作は、大逆事件で死刑に処せられたおじの遺産で学校を作った! 
 はじめて知った。
 昨日の話を聞くまで、文芸や美術といった芸術を重んじ、リベラルな学校という印象しかなかった。
 そこに隠された伊作の深い思いを知って、大正期という時代の光と翳、という演題の意味がようやくわかったような気がしている。

 明治は、近代国家を強引につくりあげた。それゆえの矛盾がある。
 戦争には勝った。一旦、大正で隠されたその体質は、昭和になって顕現する。
 明治と昭和初期の狭間で、軍縮傾向の世の中に、音楽・美術・文芸、もろもろの芸術が輸入され、それを支えたのが大正デモクラシーだった。
 日常の生活の本当の豊かさは、何か?
 それが文化学院の表の顔だった。
 
 いのち短し大正美人だ。

 その裏では、社会主義(革命)、平和主義が隠されいて、都会と地方の格差が大きくなった時代だったのだ。

 今、文化学院は閉校の危機にあるという。
 現代のリベラルの死は、政治だけでなく、教育にも及ぶのか、と講演者・赤坂氏の穏やかなる悲鳴が聞こえてきた。

 おー、こわい時代がやってくるのか、こないのか。

    君死にたまふことなかれ
 
二時間目は、「室生犀星の世界」荒川洋治

 二つの詩を軸に、芸術派であった犀星のなかにある、プロレタリア的な息づかいを、見事に話された。
 
 ふるさとは遠きにありて思ふもの 
 そして悲しくうたふもの    …… 小景異情

 したたり止まぬ日のひかり
 うつうつまはる水ぐるま
 あをぞらに
 越後の山も見ゆるぞ
 さびしいぞ          …… 寂しき春


 かなしき生い立ちと生きた時代、そして北原白秋と萩原朔太郎を引き合いに、高村光太郎 …… 詩の芳醇な世界を語ってくれた。
 小説家としての犀星の存在と大正という時代の陰影が浮き彫りにされた。
 現代の詩人・荒川氏のことばは、論理と感性と直感のバランスがものすごくよかった。
 たっぷり、日本語を堪能させてもらった。

三時間目は、「背筋なり曲がる夢二に真っ直ぐなる虹児ー竹久夢二と蕗谷虹児」阿刀田高

 蕗谷虹児が童謡「花嫁人形」の詩人とは知らなかった。
 話を聞いてみるとなるほど、大正期のモダニズム、フランスに憧れた芸術家気取りの若者が夢二を慕った意味がわかる。
 配られた「夢二ごのみ」を読むと、いかにもさよう、というかぶれようが見えてくる。
 フランスかぶれ、詩人かぶれ、鼻持ちならないおじさんが、明治と昭和の狭間に生きたことが、なんだか救いになってくる。
 最後に、ちゃんとカデンツを演奏する阿刀田氏は、夏目漱石、芥川龍之介、森鴎外を引き合いに、女性へのサービスも忘れない。
 男尊女卑の文芸に対して、蕗谷の描く女性は、夢二の曲がった背骨の女性像でなく、真っ直ぐに背骨を立てた大正期の女性を描いた、とおっしゃる。
 五七五の調べにのせて、リズムと日本語の美しさを、シンメトリックに楽しませてくれる画家であり詩人だった、というまとめ。

 坂の上の雲を求めて駆け足で上り詰めた明治期、暗黒へと向かう昭和前期、ふたつの時代の真ん中で、詩も小説も華麗な華を咲かせたデカダンのフランス・パリの香りをにおわせることを許した大正期。
 阿刀田氏は、心得て、臆面なさそうなスタイルで、文豪批判をしつつ、随所で高尚な笑いを誘うみごとな日本語を聞かせる。
 これぞ文学者の日本語であるぞ! なんて威張った風情はかけらも見せない。
 おみごと!
 最後には自画自賛のことばで、煙に巻かれてしまった心地よさが残る。

 蕗谷虹児の詩

 菊不二ホテルの一室を
 趣みの部屋にしつらえて
 夢二は住んでおりました

 紫檀の椅子に支那卓
 夢二趣みのクッションの
 刺繍はハートでありました

 外国煙草の紫の
 煙がただよう部屋でした
 グラスに注いだ紅い酒
 
 これは巴里のヴァン・ルージュ
 味は甘くて酸っぱいぜ
 ほろりと酔うのがフランスさ

 私は十九でありました
 夢二の絵から抜けたよな
 お葉さんがまぶしくて

 紅い顔してはにかんで
 小倉の袴に紺絣
 きちんと座っておりました

 阿刀田高さんのことばのヴァン・ルージュに酔わせていただきました。

 ごちそうさま。

 
 
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