羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

大つごもりの夜はふけて 

2009年12月31日 19時15分08秒 | Weblog
 今朝は最後に残っていた居間の掃除をした。
 後は後のこと。見ないことにして、今年の片付けは納めた。
 忘れていたものを買い足し、夕方になって三元日の雑煮用の野菜を茹で、鶏肉もさっと湯通しした。
 加えて大量の小松菜は茹でたうえで、三分の一を冷凍保存にしておく。
 
 こうして殆どの用事を済ませ、夕方になって近くの本屋に出かけた。
『日本辺境論』内田樹 新潮新書 『親鸞』上下巻 五木寛之 講談社 三冊を求めた。

 さて、今年も無事に終わりそうだ。
 思い返してみると全体としてよい一年であった。
 今までにない視点からのテーマも見つかったことだし、来年からはいよいよ本格的な整理の下準備にまず取り掛かかれそうな気配を感じている。
 そんなことを思いつつカレンダーの表紙を取ってみると、いちばん大きなカレンダーに「昭和は85年 大正は99年」とあった。すると明治は144年。東京の歴史は始まったばかり。
 
 ところで明治3年生まれの祖父が、埼玉県の上青木から新宿に本籍を移したのが明治29年と戸籍謄本にある。ちょうど「坂の上の雲」の時代に一致している。どうりであのドラマに見入ってしまうのも不思議はないし、時代の空気を知りたいからに違いない。

 さてさて、これから‘紅白’でもちょっと見てみようか。
 行く年来る年、深深と冷え込んだ大つごもりの夜は更けていく。
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つごもり

2009年12月30日 18時55分40秒 | Weblog
 今日は、半日台所に立っていた。
 こういうときは割烹着に限る。その上から前掛けをかけて、頭は手ぬぐいできりりと結わく。
 前掛けの結び目は前側である。そこに濡れた手がすぐ拭けるようにタオルをはさんでおく。
 
 順調にはかどって、最後には野菜の切れ端をまとめて味噌汁を作った。
 中身は、人参、牛蒡、里芋、椎茸、蒟蒻、木耳である。
 出汁も残った分でちょうどいい分量だった。

 大好きな‘田作り’は、例年になく上手く出来た。小粒のゴマメが手にはいったことが幸いした。
 そういうときに限って少なめなのである。そこでつまみ食い程度で留めた。
 久しぶりに炒り豆腐(人参、ピーマン、木耳入り、椎茸)を半熟状態の卵を、厚焼き玉子焼器に移して長方形にまとめる焼き物をこしらえた。
 これだと‘伊達巻’とは趣の異なる玉子焼きになる。
 煮豚に豆腐系が加わると味のバランスがよくなりはしないか、という思いをこめた。味見とその結果は、元旦の朝までお預けである。
 明日は、お重詰めをする。
 これが案外時間がかかる作業なのだ。
 
 野口先生が存命中は、すべてのおせち料理を作ってお届けしていた。
 ある時から大晦日に先生自ら取りいらっしゃるようになった。
 我が家と同じおせち料理を食べる家があるということは、何となく嬉しいことだった。
 何はともあれ残り一日となった。
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トラ・寅・虎の正月飾り

2009年12月29日 18時31分45秒 | Weblog
 来年の干支のあわせて、張子の虎を三匹、福島保江戸独楽虎を一匹を中心に、凧に羽子板に独楽を飾った。
 凧は野口先生が届けてくださってから二十年ちかい歳月が流れた。
 江戸凧に孫次郎凧、津軽凧(神話の物語)、ねじめ正一さんの父上からいただいた蛸の凧である。
 毎年同じところに飾っているので、鋲のあとが残っている。そこにさせば丁度いい場所とバランスになる。

 張り子や独楽や羽子板を飾る板は、母の実家が持っていた船を壊したあとの‘舟板’に赤い布を敷く。長さは約一間ほど。

 二階座敷の床の間には、正月用の日輪と鶴が描かれた掛け軸。
 その前には黒檀の花台に春日大社の神楽鈴。この鈴には紫、赤、黄、白、緑の五色の幅十センチ、長さ五十センチほどの布を結びつける。
 この色はブータンなどの風景に溶け込んでいる色である。

 毎年、ほぼ同じ飾り付けだが、飾るものは微妙に異なる。
 しかし、段取りや手順にも大いに慣れたので、短い時間で楽に設えが終わった。
 
 丁度その時電話が鳴った。
 年内には無理かもしれないと言われていた‘干支小風呂敷’入荷の知らせだ。
 これで平成二十二年寅年用お年賀のひとつが間に合った。

 玄関を入るとそこは‘魔除の赤’の世界だ。
 実は、この飾りつけは歳神様のためでもあるが、若返りの妙薬として早々に八十五歳になる母のためでもある。
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本日、門松を立てました。

2009年12月28日 18時48分02秒 | Weblog
 毎年二十九日に行っていたが、今年は一日早く門松を立てた。
 今日は寒くなかったこともあって、久しぶりに母を誘って買い物に出かけた。
 選び出した二組の松飾りから選んでもらった母の目は確かだった。

「すいません、そこにある縄をもらえません」
「いいよ」
「二本ください」
「お客さん知ってるかい」
「なんですか」
「柱に結びつけるとき、二箇所でとめるでしょ」
「はぁ~」
「知らないね。上側が二重だったら、下側は三重にするのよ。合計で‘五’っていう数にしなさい。四はだめよ」
「そうなんですか。結び方にも注意しなきゃいけないのね」
「そうよ、七五三が基本よ」
 露天商のおじさんは、イナセな感じの人だった。

 さて自宅に戻って、道路を掃き、塀の汚れを落として、教わったとおりに二箇所でとめることにした。
 知らなければ知らないまま通したけれど、知ってしまったらそうはいかない。
 門柱には釘は打てない。ましてガムテープで貼り付けるなど不細工でいけない。そこで毎年紐でくくりつけていたが?!
 ところが二+三で二箇所をとめるには、紐の長さが足らなかった。
 麻紐を探し出し、くくりつけるのだが、なかなか上手くいかない。
 隣家の奥さんが通りかかって手伝ってくれた上に「南天もどうぞ」。
 奥さんに促されて、庭に入って枝を切り、輪飾りに赤い実を添えて終了。
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自分へのマニフェスト、それと花束。

2009年12月27日 18時56分03秒 | Weblog
 先月下旬ごろのこと、このブログを600文字で書いてみようと思い立った。
 枠の上にある「■本文?○○○文字」表示を見ながら、一文字でも増えると削る作業を行う。毎回、20文字くらいは多くなる。70文字ほど増えた日もある。一度だけ、600文字にするために苦労をした日もあった。
 そこで気づいたことは‘削るより増やす方が難しい’ということだった。
 
 なぜ、この文字数なのかというと「天声人語」より少ない文字数で、スクロール一回だけで全体が読み通せる量が600文字だった。
 実は数字合わせで、行を削ったり、平仮名を漢字に換えたり、余分な表現を約めたり、そうした作業に時間を費やしている。削る作業は案外と時間がかかるのだ。

 とにかく年内は、この文字数で書いてみたいと思っている。
 しかし、マニフェストではないから固執することはない、と思っている。
 いやいや、マニフェストだって金科玉条にしなさんな!と、意見がニュースでも聞かれるのだからね。
 それとこれとでは違うでしょ、と言われるとそれまでだ。

 さて、昨日の朝日カルチャーをもって、年内の授業もレッスンも終了した。
 来年に継続する新しいテーマが明確になった最後の締めくくりだった。
 花束までいただいて帰宅した。一年間ご苦労様、と自分で言うよりも他の方に言ってもらう方が充実感が違う。ありがとうございます。
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年賀状

2009年12月26日 11時35分55秒 | Weblog
《年賀状が元旦に届くようにするためには12月25日までに投函せよ》
 仰せの通り、昨日、間に合わせた。
 締め切りのない原稿は、いつまでたっても書きあがらない。
 年賀状も日にちを切られる方が、私にはよいようだ。

 新しき歳は野口先生の‘寅’だ。今年は、丑で年女だった。その年が、家族や知人や、とりわけ先生の干支だと深い意味はなくとも心もちが違う。日本人は干支によって生きる時間に‘折り目・節目’をつけてきた。‘還暦’がどうした、と言ってしまうとそれまでだが、実際に還暦を過ぎただけで、何か違う空気が自分の身の内に流れるような気がする。

 話がずれてしまった。
 年賀状に戻そう。ちょっと不愉快になるのは、わかっていながら何十年も毎年のこと‘早々に賀状をいただき’と書いて、松がそろそろ取れる頃になって着く年賀状。だったらいっそ‘寒中見舞い’でもくだされば気分もいい。自分から出して相手からもらえないと、プライドが傷つくのか。穿った見方をしてしまう私が捻くれているのだろうか。
 クリスチャンの方からクリスマスカードや寒中お伺いが届く。それはそれでよい。
 亦、主張があって旧暦でくれる人も、それもいい。しかし、その方、こだわるのはそれだけではないから、生きるのがシンドイだろうなぁ~、と心のトゲを抜いてあげたい気分にもなる。
 年賀状も千差万別。私はできるだけ普通でいく。
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ゴミ収集問題とモラル

2009年12月25日 15時06分58秒 | Weblog
 我が家のゴミ収集は、商店街と一緒の場所で行われている。
 収集日には、当番に当たった家が、後始末を行う。
 実は、その収集場所が駅に近く、出勤途中で不法投棄するやからがいるようだ。
 それだけではない。細かく決められている分別をしないで、捨てる住民がいるらしい。当番に当たった人は、シールを張られて置き去りにされたゴミ袋の処理に頭を悩ます。量が少ない日は自分の家に持ち帰り代わりに決められた日に出しているが、多い日は持ち帰ることは出来ない。なにより理不尽なことだ。
 班長さんの呼びかけで問題を共有する集まりがあった。
 大家さんが住んでいないアパートやワンルームマンションの住民が、いい加減な出し方をしていることが判明した。そこで個別収集に切り替える案が浮上した。
 
 数日前、区清掃事務所の作業係技能長の方と話し合いを持つ場に呼ばれた。
 道路に面した敷地内にゴミを出せば、個別収集をしてもらえることになりそうだった。しかしこの方法にも問題はある。作業用の車が小さく、収集時間が遅くなる。カラスや野良猫除けのネットを各自用意すること等々。
 結局のところ、問題になっている2件はどのような方策をとっても新しい問題を起こしそうだ、と予測される。
 つまり振り出しに戻って五分五分の選択になりそうだ。
 いちばんの問題は、個人モラルの低下が深刻な状況という共通認識に至った。
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OKUYAMA 自分の名前がブランド

2009年12月24日 18時40分30秒 | Weblog
『米フォード・モーターが傘下の高級車「ボルボ」(スウェーデン)を中国の民営自動車大手に売却することで基本合意したと発表した』。『フォードは「ジャガー」と「ランドローバー」を印タタ自動車に売却している。これでブランド再編はほぼ完了する』。本日(24日)日経新聞朝刊に掲載された記事である。
 映画「グラントリノ」でも描かれていた米自動車会社の衰退には、複雑な思いがある私は、こうした記事を見過ごせない。車の運転こそしないが、子供のころから自動車に何となく興味は持たされてきた。
 家の中の会話で、こうした名前を耳し、実際に目にもしてきたことがあるからだ。つまり自動車産業全盛時代に育った。

 さて、この記事を読みながら一抹の不安を禁じえない。
 世界の潮目が大きく変わる時代に‘小・鳩政権’に托された末来はどうなるか?
 嫌な気分で新聞をめくっていくと「日本創造会議」という記事に出会った。ギロッと目が剥かれた。ー地方企業こそ世界に挑めーという。こんな日本人がいるか。何でも80年代に米欧に渡り名だたるスポーツカーを手がけた工業デザイナー。「日本人よ自信を取り戻せ」と提言する御仁は派手なスポーツカーの脇に立つ。好き嫌いは別にして車も発言も格好いい。見ているだけで元気が出る。
 君の名は、奥山清行。曰、ブランド化に成功したイタリア地方中小企業が勝つ理由は「したたかさ」だそうだ。納得!
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リポートのブラッシュアップ前には

2009年12月23日 14時14分51秒 | Weblog
 昨日の話と前後するがリポートの件。
 通年で履修する学生は、前期に一度リポートを提出している。。 
 そこで、十一月には添削したものを、一人ずつ話しながら返却する。
 そして、その原稿をもとに後期のリポートに改変してもよいし、新しいテーマで書き直してもいい、という前提があって昨日の話になっていく。

 前期のリポート提出前には、リアクション・ぺーパーに書いてもらう。一週間後に一人ずつ返しながら話をする。ほとんどのクラスがニ十数名のなのでそうしたことが可能だ。といっても一人三分くらいに計算して、一時間はかかってしまう。その間、学生は思い思いに過ごす。マッサージをしあうもの、寝そべりながらおしゃべりするもの、黙々と体操をしているもの、大の字になって安らかな半睡眠にあるもの、それが結構いい時間なのだそうだ。
 授業も十回ほど行った頃を見計らっているので、教室で友達になった学生同士がより親しさを増すらしい。

 話す内容は、多岐にわたっている。当然、最終リポートの相談にものる。実技テストは一人ずつ行う。かならず‘上体のぶらさげ’はやってもらう。そのほかに授業で取り上げた動きを幾つ選んでもかまない。
 そこで事前に‘上体のぶらさげ’を、個人レッスンすることにしている。勿論、後期だけの学生も同様。
 最後の授業には「野口体操の扉の前に立ったようだ」と素直な感想をいただく。
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リポートのブラッシュアップ法

2009年12月22日 18時54分25秒 | Weblog
 今週末まで、年内最後のレッスンや授業がはいっている。
 今日も一つのクラスが終わった。通年で履修してくれた学生が殆どのクラスだ。
 やはり通年で単位を履修する意味はある。
 実技がよくなるだけでなく、それ以外の野口体操への理解が深まってくれる。
 しかし、ようやく入り口に立ったところだ、と言える。
 中には昨年前期を受け、今年は通年で履修する学生がいてくれることは嬉しい。
 
 当然のことに、学生同士の関係もよくなり、私との関係も気心が知れた感じだ。各クラスに漂う雰囲気は、程よい近しさ程よい親密さが、自然に発生してくるようだ。

 さて、本日は座学だった。
 内容はと言えば、リポートの書き方で‘これだけは大事にして欲しい’といった話を中心に行った。
 一つ目は表題と副題のつけ方、二つ目は記号扱いの配慮、三つ目は引用の仕方と表記の問題、そしてメインは‘接続詞’の意味と使い方の注意だ。
 
 自分でも驚くのだけれど、野口体操に関して、十数年の間に単著と共著をあわせて六冊の本を書いてきた。すべて似たような内容ではない。
 最初は柏樹社の編集者に出版の‘いろは’を教えてもらった。それから岩波書店、春秋社、朝日新聞出版、と次々に編集者に恵まれたことは、運がよかったとしか言いようがない。
 本日は、そうした関係から知りえた‘ブラッシュアップ法’を学生に伝授した。
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iPhone Safari 様様!!

2009年12月21日 14時20分15秒 | Weblog
「年だ」
 言ってはいけないし、言いたくないことが起こってしまった。
 昨日の朝日カルチャーの日曜クラスは、年内、最後のレッスンだった。
 教室に入って、ホワイトボードに板書するために、リュックサックの中からレジュメを出そうとした。
「ない!」
 すぐにも自宅に置き忘れてきたことに気づいた
「どうしよう板書なしでやるの? ゥゥムゥ」
 自分に問いかけた。とそのとき閃いたのだった。
「もしや元の資料がiPhoneに残っているかも」
 いつも電源が入っていないことが恨めしい。立ち上がってくるまでの長かったこと。
 その後、探し物はすぐに見つかったので、前日にテーマとして扱ったことに急遽変更。
 実は、このテーマは来年になってからこのクラスで取り上げる予定で、違うものを用意していた。
 iPhone Safariの画面を見ながら板書し、無事に始めることができた。写真も見せたが、物が小さいだけに皆さんがそばによってくれたので、いつになく親近感がわいた。

 内容の詳細については記さないが、野口体操の基盤である『原初生命体としての人間』を読み実践する真髄に触れた。
 最後に皆さんが「今日は、目から鱗でした」。
 
 iPhone様様である。むしろ結果は良かったかも。これがなかったら悲惨な状況に陥ったに違いない。
 まだまだ、転んでもただ起きませんわ ホッ!
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川澄健 飾り巻き寿司

2009年12月20日 09時20分11秒 | Weblog
 愛知県の海苔を戴いた。
 焼き海苔ではない。食するまえに自分で炙るものである。
 子供の頃の東京、昭和20年代から30年代だが、朝食の仕度をする台所から聞こえる音と匂いは、まるごと五感の目覚まし時計だった。

 例えば、大根の味噌汁。今の大根と違って、煮える時間が他の材料よりも長くかかっていた。したがって大根は火の通りがよいように‘千六本’に切るのが慣わしである。俎板に包丁が当たる音。
 匂いは、味噌汁に混ざって卵焼。
 食卓に殆どすべての食べ物が並び、家族が席につくと、ご飯と味噌汁をよそる前に炙った海苔が皿にのる。

 昨晩は、海苔を存分にいただいた。そのまま口にいれると歯ごたえがしっかりあった。ご飯を巻いて口に入れると、熱さと唾液で溶かされて、海苔の最初に状態を思わせるほど細かく千切れていく。久しぶりの食感と香りだ。これを風味という。

 さて、今朝になって海苔続きで気づいたことがある。
 生まれてこの方、一度も‘飾り巻き寿司’を食べたことがない。
 こんなとき便利なのはインターネットである。
《七宝巻き、四海巻き、寿司アート(ムンクの叫び)、ヨシモト∞ホール巻き、ミッフィー巻き、福巻、所漫遊記落ち武者等々》
 参考: 飾り巻き寿司を作る前に。
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湯気もご馳走 鍋物の話

2009年12月19日 08時03分19秒 | Weblog
 昨日の東京の湿度は20%~10%へと下がったらしい。
 どうりで渋谷から帰宅して、まず熱いお茶を呑みたかった。
 それほど咽喉が渇くのはこの冬はじめてのことだ、と思う。

 さすれば夕餉は勿論のこと鍋である。
 丁度、珍しいものをいただいてあった。‘長崎浪漫工房’と名付けられたソーセージである。九州産豚肉に海老入り、同じく豚肉に帆立入りの二種類。鰹だしで味付けし、そこに長ねぎ+牛蒡+パセリ等も練りこんだもの。薀蓄を読むと《鍋物でご賞味あれ》とある。

 大根、生椎茸、春菊だけでは、全体の色合いが寂しいので飾りの人参を加え、鰹だしで味をつけた。意識的に豆腐は入れないことにした。
 あと用意するものは、溶きカラシと柚。葱も意識的に避けてみた。
 正解であった。酸味に辛味が加わっただけで、ソーセージも野菜も味がキリッと引き締まって、だしが効いた熱々の汁を呑みながらご飯がすすむ。
 最後には飯茶碗に三分の一ほど残したご飯に汁をかけて、香の物をアクセントにさらさらとかきこんでしまう切りのよさも捨てがたい味わいである。
 そしてなにより渇いた咽喉に湯気がご馳走。

 とりわけ下ごしらえさえしておけば、調理が楽なだけでもすぐれものである。
 さらにはメインは土鍋一つですむので、洗い物が少ないのも嬉しい。
 
 西高東低、東京の‘カラカラ冬’本番はこれからである。
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かつての間違い電話と今朝のピンポン

2009年12月18日 08時21分23秒 | Weblog
 さすがに冬到来。温まった布団から出にくくなって、階下におりたのは5時半をすぎていた。炬燵とガスストーブをつけ、毛糸の帽子をかぶりダウンジャケットを着こんで新聞を取りに出た。この時間ならば日経も朝日も入っている。時にどちらかかが遅れることもある。
 今朝は日経新聞だけを読んで、味噌汁を作る。あとは昨日の残りもの、海苔、常備菜、炊き立てのご飯、ヨーグルト、食後はぬれ甘納豆でお茶、といった献立。
 朝食も食べきってお茶にかかったとき、ピンポンの音。躊躇いながら、テレ朝の‘やじうま’画面を見ると6時34分だった。迷ったが……仕方がない。
「朝日新聞の者ですが、朝刊、入ってましたでしょうか」
 今年のGWごろに新しい配達員にかわった。ときどき入れ忘れがあったり、余分に入っていたこともあったが、最近では順調だった。
 配達員でホッと胸を撫で下ろした。

 実は、夜中から明け方にかかる酒屋への間違い電話に悩まされたことがあった。当時、必ず受話器を取っていた。冬場は、野口先生が体調を崩されて、同じ時刻に電話がかかることがあったから。
 殊に盆暮れには、バーやクラブ、キャバレーからの注文だとわかって話し合い、相談が実際に効を奏すまでに数年かかった。
 
 早朝のピンポンに、思わず苦しげな先生の幻の声を聞いたが、冬至前のこの時間は、灯りが明明と外に漏れているのだ、と気づかされた。
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年末、日々あれこれ

2009年12月17日 08時54分54秒 | Weblog
 毎年、十二月中旬までにカレンダーをいただく。
 いちばん身近にかけるのは、白地に黒と赤のみのシンプルビューティーのもの。
 そして居間にかけるのは、書き込みスペースが広くとられている事務用の大きなもの。
 一つはサジさんから、もう一つは現在仕事の都合で教室にでられない方から贈られている。
 非常に助かる。

 更に加えて中島千波の絵が描かれている華やかなものもいただいた。
 これは座敷にすでにかけた、というより飾った。
 そのほか一年分のもの、暦と八卦がついている工務店からのもの。
 あとはディズニーものまでいただいてしまった。
 そこで紙一枚のカレンダーの後ろ側に、分厚い来年の分をあっちこっちにかけてまわった。
 いただきものですべて賄えることは有難いし、インテリアのセンスが欠如している私としては、これで十二分に満足している
 
 あとは味噌、醤油、料理用酒、塩、砂糖、などの買い物。
 正月おせち材料の仕入れ。
 クリスマス後に一挙にならぶ正月飾りからは門松。
 掃除は最初から諦めて年越しを覚悟した。目立つところだけとりあえずやっておく。年賀状書きは二十三日と二十五日を予定して、カレンダーに書き込んだ。
 
 無事に今年を締めくくって新年を待つ。
 残り、本日を入れて十五日。
 そうだ、銀座アバクロとやらも、年末に探検してみたい(笑い)。
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