羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

祝・銀メタル 女子スピードスケート 

2010年02月28日 08時00分20秒 | Weblog
 いや~、なんとか逃げ切って勝った!と思っていた矢先、‘銀’という言葉が耳に飛び込んだ。そうなのか。すぐ流されたゴール瞬間のスロービデオをこの目で確認した。
 100分の2秒差、限りなく金に近い銀メタルおめでとう。
 スピードスケート女子団体追い抜き決勝生中継を、偶然に見ることができた。
 すべてにおいてシンプルは美しい。
 粛々とすべり、すがすがしい銀メタルである。
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「NPO法人への寄付 税軽く」が意味すること

2010年02月26日 07時54分33秒 | Weblog
 日本の社会では、寄付を行う習慣は根付いていない。たとえば政治家への個人献金をしている人はどのくらいいるのだろう。かく言う私も一切していない。しかし成熟した市民社会を築くには、こうした寄付行為が日常化することも必要だ、と思ってはいる。

 さて、特定非営利活動法人(NPO)に寄付した人への税金の軽減を鳩山総理が指示した、という記事を読んだ。これには賛成している。
 NPO活動には一つの大きな問題がある。それは活動資金をどのように集めるかという課題である。確かに活動内容がお粗末で殆ど休眠状態の法人も多い。資金が集まれば上手くいくというほど甘くはない。しかし、まずは安定した経済基盤が必須であることは誰の目にも明らかだ。
 まず、よい活動を行うには常勤で仕事をする人に対して、社会的な常識に照らしてその人に‘相応しい額’の給料を出す方策を考えたいからだ。そうでなければある一時期の仕事でしかない。現在常勤・非常勤・ボランティア要員にかかわらずNPOで活動してる人は女性が多い。それぞれが持ち出しになっている法人もある。その理由は、言わずもがなである。

 そこでこの税金優遇策は、政府の「新しい公共」の考えを実現する一歩として浮上している。NPO法人が法制化されて今年で12年。その輪郭が見えてきた。まず問題は非営利組織とはいえ継続的な活動を担保するのに財政基盤を整える必要は急務である。
 
 その一方で、これからの新しい社会の常識として視野に入れておきたいことがある。
 たとえば『FREE』クリス・アンダーソン著「非貨幣経済ー金銭が支配しない場所では、何が支配するのか」238㌻~251㌻に書かれていること。
 この章で著者は三つの条件を挙げている。まずは、コミュニティーの一員であることを感じ、その繁栄に貢献したいと思うこと。第二に個人の成長が実現できる。つまり仕事では満たしきれない精神面や知性面の欲求を満たしうる無償労働(行為)を行うことによって自己実現が可能になる。第三に助け合い。創造的に社会とかかわることによって社会貢献の実感が得られ、何かの達人であると認められ、そのことで幸せを感じることができる。
 
 自分の労働や行為に対して金銭的な見返りがかえってくることだけが価値ではなく、自分の力内で出来ることを行う。そこに他者から存在を認められるという報酬があるのは、継続にとって重要な要素である。そうでないと続かないのが人間存在の‘性’でもあるから。

 そこで話をNPO法人活動に戻すと、社会的な認知度が増すに従って、一つ危惧が現実になっている。それは活動が活発になればなるほど、‘官の下請け’‘企業の下請け’として安い賃金で働かされる場にしてはならない。その意味でも寄付に対する税の軽減は一つの方策ではあるが危険もともなう。潤沢な資金をもつ法人は少ないが、潤沢になることによって政府への圧力団体化することも無きにしも非ずである。
 いずれにしても物事はすべて裏表であるから、よい方を見ていきたい。

 時代は変革期。自動車だけではなく、人々の働き方等も従来からの経済活動と非貨幣経済活動を併せ持ったハイブリッドな価値観が求められる時代に入った。これまでのボランティア活動を一歩進めた社会貢献活動を認めていく社会が実際に廻り出すにはもう少し時間が必要だが、扉をひらいて行くためにも、認定法人税を軽くするといった方向性もひとつだ、と思う。
 繰り返すが、圧力団体になったり、疑似企業になったり、安い賃金労働に甘んじさせるNPO法人活動になってはいけないことだけは肝に命じておきたい。
 これからしばらくは、何事も‘ハイブリッドな価値の時代’だという心得もありかも。
 
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「ドル、ユーロ、エディ」通貨革命はすでに始まっている?

2010年02月24日 18時52分02秒 | Weblog
 さすがに銀行取引や投資信託購入をネットでする気にはならないが、音楽は殆どiTunesから、本は時々アマゾンから購入している。そのほかJRスイカで買い物や食事をすることもある。神田の三省堂も日本橋・お茶の水丸善も新宿の紀伊國屋書店も、スイカで本が買える。とても便利でついつい使ってしまう。更にタクシーも支払いができるし、乗り物以外にも使える店が増えている実感がある。

 さて、本日(2月24日)の日経新聞朝刊「世界16億人ネットパワー 下 消費者争奪 規模で圧倒 新たな寡占に警戒も」を読んで驚いた。
《 ネット経済圏の広がりは「通貨」のイメージも変えかねない。電子マネー「Edy(エディ)」の運営会社、ビットワレットを買収した楽天。三木谷浩史社長は「(中国)など年内進出予定の10カ国でも)できるだけ早くエディが使えるようにする」と意気込む 》
 もしこのことが実現すれば「ドル、ユーロ、エディの時代が来る」(三木谷氏)と続いている。この動きに金融庁が神経を尖らせているのだという。更に、エディに楽天ポイントが連携するとポイントが“疑似通貨”の性格を帯びる、とある。
  
 自分の経験に照らしてみると、買い物はできるだけポイントがたまるところでするし、スイカが使えるところでは使ってしまう。一度、お得感を味わうと刷り込み現象がおこるし、財布を出さないですむだけでなく財布を忘れたときでも支払いができた経験をしただけでも便利さに引きずられてしまう。
 しかし、「ドル、ユーロ、エディ」と記事上に並んでいると、その現実味を感じるだけに、目眩がしそうだ。通貨は国の威信と信用にかかわる根幹。そこに楽天という歴史も浅い一民間企業が(疑似)通貨を持つ時代が来るかもしれないとは、考えてもみなかった。正直なところ天地がひっくり返るような驚きを覚えた。
 驚いてばかりいないで、発想の転換をしなければ生きられない時代になったことを突きつけられた感じがしている。
 それは「ある日突然のこと」に思えても、自分の行動の細かな変化の重なりを思いおこせば、不思議はない。
 超産業革命、超情報革命、超経済革命、超通貨革命がすでに始まったということか!?
「人はどこに行こうとしているのか」。
 唐突ではあるけれど、現在進行形の冬季オリンピックでは、日本人がロシアから、フランス人がイタリアから、米国で育った日本人がアメリカから出場して、国境はすでに越えられ、オリンピックで国を背負う意味が曖昧になっている。
 どこまでついていけるのか、覚束ないことだ。
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トライアングル・錫杖と辺境文化論

2010年02月23日 18時54分49秒 | Weblog
 久しぶりに友人から電話をもらった。その会話の中で聞いた「シャクジョウキョウ」と言う言葉、きっとこの「錫杖経」と言う文字を書くのではないか、と予想した。
 そういえば『シルクロードと世界の楽器』のなかにこの文字があったことを思い出した。 それは第八章 打楽器類のページだ。トライアングルとシンバルは西アジアで誕生し、ヨーロッパに伝えられた。古代のトライアングルは、三角形の鉄棒に多数の小型の輪を通したもので振って鳴らすと書かれている。実はこの古代式トライアングルは、わが国の僧たちによって愛用されている錫杖の頭部と同様の構造らしい。突く、または振るとチャリンと鳴る。そういえばどこかで見て聞いたことがある。
 
 この‘錫杖’の起源についてもう一つの仮説が考えられるという。
 錫杖が仏具である以上、インドで生まれた可能性も捨てがたい、という。すると錫杖こそが原型で、西アジアに伝えられて金輪つきトライアングルに換わった可能性も考えられる。 この仮説から錫杖とトライアングルは兄弟である、と坪内榮夫氏は結論付ける。
 
 話は続く。
 古代の楽器はすべて信仰と結びついている。中国で仏教が栄えた唐の時代には、新興のイスラム教に追われて、西アジアからゾロアスター教、マニ教、景教といった多数の宗派の宗教家たちが唐に亡命してきた。(景教碑文の研究などもある)シンバルもこうした経緯から唐に伝えられたのではないか。これを唐の仏教僧が、円形やハート型に変えて修行に使用する杖の頭部につけた可能性を示唆している。
 
 日本に目を転じると、正倉院にも錫杖が伝えられて楽器扱いされているところからの推測でもある。因みに、エジプト方面の古いキリスト教会では、今も古代式トライアングルに似たガラガラを使用している例があるという。古代の景教徒が唐に古代式トライアングルを宗教器具としてシルクロードを通り、アジアに伝えた可能性を裏付ける、と著者は書いていく。
 
 こうして時間を紐解いていくと人の営みの奥深さが、物として明かされる面白しろさにちょっと酔えますね。物を見るベクトルを時間的・空間的に換えてみると、日本文化のしぶとい底が現代に甦って更に深さを垣間見させてもらえる訳だ。
 錫杖も『日本辺境論』の物としての証。日本文化はマージナルだ、と開き直るのは実に小気味いい!
 
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祝、高橋、日本男子フィギュアスケート!!

2010年02月20日 09時07分23秒 | Weblog
 西欧的なあまりに西欧的なフィギュアスケート。
 四回転ジャンプをめぐって‘芸術かスポーツか、スポーツか芸術か’の論争が起きている。聞くところによると、そもそもフィギュアスケートは、‘より速く、より高く、より強く’といったスポーツ・オリンピックの価値観だけではつまらない、と感じたヨーロッパの上流階級の人々が、スケートのなかに芸術的価値観を導入したところから始まった。
 つまりフィギュアスケートは‘スポーツであり芸術でもある’のだ。
 四回転が成功して、芸術的にも素晴らしいいに越したことはない。しかし四回転をしなくても‘よいものはよい’ことが実証された。ライサチェクが首に巻いた蛇が、すべてを物語っている。

 それにしてもはじめから勝負はついている「手足の長さ、面差し、風土や生活様式の歴史に根ざした身のこなし、文化的環境」等々、自分の力ではどうにもならないハンディを抱えながら、日本人の力をまとめて結晶させた高橋大輔の演技は素晴らしかった。浴衣を着てしまう、逆に武将を演じるのでもない、日本的表現に固執しなかったことがよかった。
 音楽「道」にあらわされているのは、普遍的な人間の心に深く織り込まれた‘情’だった。手足が短かろうが、鼻が低かろうが、体が硬かろうが、四回転でこけようが、それら諸々の条件を越えて今を生きる自分を演じきるのにもっとも似合う選曲だったのだろう。背負ったことから逃げなかったところにミューズが微笑んだのだ。

 そして織田にはチャップリンはベターの選択だった。しかし所詮チャップリンは他人なのだ。「自分自身であれ」と信長の鉄槌が紐の切断を促したに違いない。しかしスケーターの命までは奪わなかった。などと想像たくましくしている。次回はベストな選択が見つかることを祈っている。会場の熱い拍手はテレビの画像音声からも伝わってきた。
 
 四年後、次は次。新しく創造していく、それ以外に道はない。
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本たち

2010年02月19日 14時45分54秒 | Weblog
 後期の成績を提出して、ホッとしている。
「さぁー本を読もう」とばかりに、先月末から積んであった山を崩した。
 手元に並べてみると、なんとなく自分の傾向が見えて面白い。
 ブログの読者の方には、どのように映るでしょうか。ざっと並べてみます。

*春秋社
『侘び・数寄・余白 アートにひそむ負の想像力』松岡正剛著
『古代中国の文字から 身体感覚で『論語』を読む』安田登著
*講談社
『親鸞』上下巻 五木寛之著
*明石書店
『21世紀後半の世界の言語はどうなるのか』「21世紀後半の言語」シンポジウム企画班編
『ブータンにみる開発の概念』上田晶子著
*NHK出版
『FREE』クリス・アンダーソン著 高橋則明訳
*新潮社
『日本辺境論』内田樹著
*PHP研究所
『世界を知る力』寺島実郎著
*三笠書房
『世界の経済が一目でわかる地図帳』ライフサイエンス著
*現代書館
『シルクロードと世界の楽器』坪内栄夫著
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『世界を知る力』という本

2010年02月18日 10時56分31秒 | Weblog
 最近読み終わった本の中から一つ挙げてみる。『世界を知る力』寺島実郎著PHP新書646。とっても読みやすい。100%共感ではないが、学ばせてもらえた。目次からも内容が見えてくる。
 第一章 時空を越える視界 自らの固定観念から脱却するということ
 第二章 相関という知 ネットワークのなかで考える
 第三章 世界潮流を映す日本の戦後 そして、今われわれが立つところ
 第四章 世界を知る力 知を志す覚悟

「おわりに」のなから、言葉を選び出してみる。
『何人もの知人や友人がいても、自分がその街での創造や生産にかかわっていない場は虚しいものだ。人間とは不思議なもので、やはりその場所と自分との関係性を実感できないかぎり、寂しい「ストレンジャー」なのである。人間とは社会と時代とに関与して、はじめて人間なのだと思う』
 異国で仕事をし、情報を集め、人間関係を築き、講演し、多くの実体験を重ねた著者の言葉は重い、と同時に真理だと思う。
 で、その先を読むと殺し文句に出会った。
『この本は、若いゼミの学生か現場を支えるサラリーマン、時代を鋭い感度で見つめる知的女性に語りかける意識で作られたものであり、これを手にした諸君が何かひらめいてくれれば、望外の喜びである』
 それって‘私のこと!?’って思わせちゃうところが憎い。
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確定申告、本、FREE紙とネットに思いを馳せて……2010年本格化

2010年02月16日 14時18分08秒 | Weblog
 区役所で行われている確定申告無料相談会には毎年出かけている。
 そこで最終チェックをしてもらって、提出する。税務署よりも空いているのでここに限る。でも、来年からはeーTaxでしようか、とも考えている。最初の手続きが面倒そうなので、昨年も今年も‘紙’による申告ですませたが……。

 その足で新宿に回り、紀伊國屋書店本店で『シルクロードと世界の楽器』坪内榮夫著 現代書館を手に入れた。20日締め切りの原稿のためだ。
 そのほか7階旅行関係の売り場にある『週刊NY生活』をもらってきた。これはネットで今週号を読むことが出来るけれど、一週間遅れでも紙媒体の方が読みやすい。購読料金1年$120を払い込めば、自宅に郵送してくれるそうだ。まだ、手続きはとっていない。

 そうしたことから思うこと。
 最初には飛びつかないが、日本でアップルの‘iPad’が売り出されたら、勿論のこと持ちたいと思っている。それでも紙の印刷物は、私のなかでの‘読む行為’において主役の座を降りることはない、と予想している。

 そんなこんなでようやく2009年度が終わった、本日、2月16日である。
 いよいよ2010年度は、午後から始まったような感じがしている。
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プリンター内部の掃除

2010年02月14日 18時54分59秒 | Weblog
 とうとうプリンターが、印刷の際に紙を巻き込まなくなった。
 かなり以前から調子が悪くなっていた。
 ある方から、ヨドバシカメラでプリンターのなかのロールを掃除するものを買ってくるといい、と教えられていた。プリントするときに細かい紙の繊維が粉状でロールに付着して汚れていることが原因だ、とも聞いていた。まだそれをしていなかったのだ。
 
 なんとか間に合わせたいという思いから、荒療治を試みた。
 まず、プリンターの蓋を開け、カートリッジを取り出し、内部全体の埃をきれいにとりさった。
 それから気持ちを落着けるために呼吸を整えた。
 ロールを慎重に回転させながら、二種類の埃取りで粉を吸い取った。
 すると白く変色していたロールは、本来の黒色を取り戻した。
 最後に縦に持ったカートリッジを数回上下に振ってもとの位置におさめた。
 そして蓋をしめたあと、ドキドキしながらテストプリントをしてみた。
「バッチリ!」実に上手くいった。カートリッジを振ったことで、プリントされてくる文字ははっきりした。
 ともかく一時しのぎではあるけれど、本日は助かって仕事は順調に運んだ次第。
 しかし、もう時間の問題だ。その上、コンピューターだって八年も使っているし‘どうしようかな~’とブログを書いている途中で、思わず天井を見上げてしまった。
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逆‘何時だ’、「山形だ!」

2010年02月13日 08時29分02秒 | Weblog
 先日、のっぴきならない急用で外出した際のこと。
 最寄駅のタクシー乗り場から、取るものもとりあえず車に乗り込んだのは朝の9時20分ごろだった。
 行く先を告げると「よくわからないから道順を教えてください」そんな難しいところではないのに!(電車にすればよかったかな、最初の後悔)。すでに車は走り出している。
 見ると、運転席の左手では‘ナビ’が作動している。ちゃんと進行方向に矢印は動いているのを確かめた。ところが交差点に差し掛かると「左に曲がります」そこで「右ですよ」「はい。わかってます」
 すばらく耳を澄ましていると、次の交差点でもその次の交差点でも「左に曲がります」を繰り返す。心配になって言う。「まっすぐですけれど」「さっき行ったところの設定なんです」「???????」(大丈夫か、後悔2)
 
 いよいよ現地近くになったとき「前の信号機右折できますか」「大丈夫だ、とおもいますが……、あっ、前の車が右折しますからついていきましょう」(どうなるのか、後悔3)
 
 お財布の中を見る。(ややっ、一万円と五千円札しかない、うっ)。運転席の横をみると電子マネー用の機械のうえに折りたたみ傘が乗っている。「あの~、スイカ使えますか」恐る恐る尋ねる「えっ、わかりません」(なんだか頼りない、後悔4)
 
 そこで「五千円でおつりいただけます。二千円で結構ですから」すると答えが返ってきた。「えーと、百円玉でいいですか」(こんな時に限ってなんて間が悪い、後悔5)。
 まず、千円分をうけとって財布の小銭入れに収納。後からもらった千円分は、入りきらないのでコートのポケットにジャラジャラと押し込んだ。
「私、今日が始めての仕事なんです。山形から東京に出てきたんです」(それを先に言って頂戴、口ごもる)
 時間がない。慌てて車からおりかかると「あと三十円」と渡された。
 それもポケットに入れながら降車した瞬間、百円玉が2、3個落ちたのを拾う。
「1970円? あ~、あと千円もらわなくちゃ」気がついたときには、車は走り去っていた。
「山形から来た、がいけなかった。これじゃ逆‘何時だ’になっちゃった」
 これこそ後の祭りだ。

 先方で待ち合わせた親戚の者にこの話をした。
「悪気はなかったのよ。二千円でいいですって言い方がよくなかったのよ。まっ、初仕事‘山形の人にご祝儀だ’と思えばいいじゃない」
「?!そうか」(ムムムッ、慌てた後悔、珍しく反省)
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INVICTUS

2010年02月11日 18時25分26秒 | Weblog
負けざる者たち」を見た。
「グラン・トリノ」以来、クリント・イーストウッドのファンになってしまったから、先週封切りになったばかりの映画館にさっそく出かけた。
 27年間の投獄から解放されて南アフリカ大統領になったマンデラが起こした奇跡。
「ひとつの願いが、ほんとうに世界を変えた物語」。
 久しぶりに熱くなった。感動の物語だった。事実を描いた映画だ。そしてごく最近1990年代半ばの出来事だったからなおさらに熱くなった。音楽もいい!
 真のリーダーを描いたこの作品は、今の日本にこそ意味がある、と思えた。

 プログラムの裏表紙にこんな言葉があった。
《 His people needed a leader. He gave them a champion. 》
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「命の認識」現物と写真

2010年02月10日 14時22分44秒 | Weblog
 東京のターミナル駅のなかでも乗降客数一番の新宿駅。その駅のJRから京王線に抜ける通路には、狭いながらも楽しみがいっぱいある。左右の壁面に日本画・洋画・書道・工芸・仏像・陶磁器・土偶・現代アート、etc、東京にある大小さまざまな美術館や博物館の催し物ポスターが空間を埋め尽くしているからだ。
 それらを見るにつけ、東京にいながらにして時空を超えるアートな暮らしが出来る、といつも思う。
 しかし、前のブログに書いた森美術館開催の「医学と芸術展」や、昨日出かけた東京大学総合研究博物館の「命の認識」特別展は、そこでは見かけなかった。
 一般には公開しにくいものの展示であるが、‘生死の不思議’を感じさせられる貴重な催し物だと言える。

 さて、東大構内の端にある博物館、今回の展示は重い。一歩踏みはずすと漆黒の淵へと転落しそうな危うさが漂う。
 そこで物として‘死’を見せられる、といった見方をするのか、そうではなくここに命が宿り‘アニマ’が息づくことを賛美するのか。むしろ地球に生を受けたすべての生きものは宇宙の創造の一つを担っている‘時’を体現している、と捉えたい。その時が長いか、短いかは関係がない。
 この特別展示は、生を受けることの意味を‘もの’として提示してくれる。

 しかし、正直なところ、サジさんのブログ芭瑠庵の写真を見てから出かけた私の目には、現物よりも写真に命の美しさを感じさせてもらった。それは面白い体験だった、と今朝になって想ったのだ。
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おばあちゃんの知恵袋 自分でお直し

2010年02月09日 07時51分53秒 | Weblog
 昨日の日経新聞にこんな記事を見つけた。
《自分でお直し満喫 愛着ある品 長く使う 新品買うより経済的》
 臼を利用した椅子、廃カヌーを使った本棚に寄り添って満足げな夫妻の写真が載っていた。とくに臼の椅子はなかなかの出来栄え、と拝察した。
 私だって!
 先日、二十年以上も使い込んで油が乗っている‘厚焼き玉子焼き器’の修理をした。
 銅に差し込まれている取っ手の木が腐り始めて、止めてあった二本のビスうち一本がはずれて時間がたっていた。グラグラ状態でもなんとか調理していたが、とうとうもう一本のビスもはずれてしまった。
 以前、デパートの特別展で取っ手だけを売っていた。その時は気にも止めずにいたが、やっぱり用意しておくべきだった、と後悔先に立たず。
「和紙を巻いておけば、一時は使えるわよ」
 母にそう言われていた。
 和紙を用意した。よくみると銅に差し込まれている部分が細くなっている。その部分に幅3センチ5ミリ、長さ30センチの和紙を二枚重ねてクルクルと巻いて差し込んだ。ピシッとはまって、もう動かない。さっそく厚焼き玉子を作ってみた。
「もっと、早く、こうすればよかった」
 記事の締めに《気に入った物を新たに探すより、愛着のある物を使い続けたい。節約より、こちらの理由の方が大きい》本当にそうだ!そして‘おばあちゃんの知恵袋’には、たくさんの知恵がはいっている。
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ファッションは姿勢から

2010年02月07日 09時16分00秒 | Weblog
 毎朝、殆どチャンネルを合わせているテレ朝「やじうまプラス」でも紹介していたが、ユニクロが新しい女性用スタイルアップ キャミソール・ショーツを出したそうだ。
 で、その製品の一面広告が昨日(6日)の朝日新聞に掲載されていた。
《おなかと腰をしっかり抑え、骨盤の位置を意識できます》
 なんていう一行もあって、興味をそそられた。シームレスタイプということは身につけていて段差がなく、身体の筋肉をサポートして支える働きを追及したものなのだろうな、と見当がつく。従来のコルセットに比べものにならないくらい‘動きの自由度’もそこそこあるらしい。
 どうやら体操で姿勢の問題を扱うときの‘骨盤の向き’を外側から矯正するものらしい。
 よく考えるものだ。それだけでない。お値段の安さがすごい。2月6日から12日までは限定価格790円だ。あぁ~、溜め息が出る。女心をギュッと掴むよね。
《姿勢サポート》か! そのくらい姿勢に自信がない女性が多いってこと?
 よい姿勢って何だろう。昨日のレッスンでは、みなさんの立ち方を見てしまった。それぞれ締め付けなしのゆるんだ体操着を着ているが、なかなかいい姿勢だ!と思った次第。
 この新インナーは売れるだろうな~。体操を続けるのは難しい人が多いから。いや、たとえ体操を続けても日常化することは難しい人が多いから。呼吸法をならっても日常に活かせないのと同様に。いやはや‘からだ’との付き合いは難しい。だから‘からだ’なんですよね。
 でもね「立ってるばかりが姿勢じゃない。つまり、基本の姿勢がいいことに越したことはないけれど、動きにつれて自由に変化する姿勢も姿勢のうち、とお考えあれ!」と。
 そういえば「立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花」が古からの女性美だったかしらね。
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医学と芸術展 ウエルカムコレクション

2010年02月05日 07時53分36秒 | Weblog
 昨日のブログに書いたこの展示会というか美術展は、ヘンリー・ウエルカムコレクションを中心としてなりたっている。このコレクションは《財政的にも現実的にも、さらには倫理的にも実現できなくなる前に収集された最後の偉大な私設博物館》であるという。
 ヘンリー・ウエルカム(1858~1936年)は、米国西部スー族の居留地にある丸太小屋で生まれた。医薬業界に革新を起こした製薬会社をつくり上げ、晩年は英国でナイトの称号を授与された。その生涯は波乱万丈のエネルギッシュなものだった、と解説書にある。

 彼が立ち上げた会社は、世界中の医薬品の開発・販売方法に多大な影響を及ぼした。
 とりわけ画期的なことは、圧縮した錠剤の形で薬の生産・販売を実現したことだという。つまり、タブレット+アルカロイドの合成語である「タブロイド」を商標登録したことに象徴される。マーケティング能力に加え、具体としての‘物’をどのような形で流通させるのか。技術革新を実現するビジネスの才覚で成功をおさめ財をなした。
 その彼は一方で「健康と生命の維持」についての関心が強く、「人の博物館」となるようなコレクションの礎を築き、没後も収集は続けられたのが今日に至っている。
  
 話は前後するが、液体や粉体の薬に比べて、タブレット(錠剤)は呑みやすさだけではなく流通に適した形態に違いない。「どのように物を手渡していくのか」、薬の大衆化はこの形状が大きくかかわっている。
 思い起こせば、私が子供ころ昭和三十年代ではまだまだ‘粉ぐすり’が町の医者では主流だった。乳鉢で細かく摩り下ろされ調合された薬は、天秤の上に乗せられた真四角の白い紙に包まれた。なかでも高貴薬とか強力な効き目がある薬は赤い紙だった。それが四十年代になってからは、すべてが錠剤やカプセルに換わったような記憶がある。

 さて、ウエルカムコレクションを支えた物質文化への関心は、少年時代に彼の家のそばの埋葬塚で新石器時代のやじりを見つけたことに端を発しているのだろう、と書くのはケン・アーノルドウエルカム財団パブリックプログラム部門長である。
 このコレクションを見るにつけ、おそらく多くの人が、「健康と医療、人体をどのように見るのか、生と死は?」そういった問いかけをせずにはいられないだろう。インパクトの強いコレクションである。

 因みに、現在も活動を続けているウエルカム財団は英国最大の医療助成団体で、そのなかのサンガー研究所は‘ヒトゲノム’のおよそ三分の一を解読したそうだ。
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