羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

6月の最終日・雑感

2007年06月30日 20時13分46秒 | Weblog
 本日の雑感。
 朝日新聞に「ビリーズブートキャンプ」の話が載っていた。
 「ブートキャンプ」とは、新兵のからだを短期間で絞り上げるために、米軍で行われているトレーニング方法。米国陸軍のトレーナーだったブランクスさんが、女性用にアレンジして手軽に楽しめるようにしたもの。DVDが米国でも日本でもよく売れているのだという。昨日は夕方のテレビで、一部分を見せながら、コマーシャルしていたところを見ながらやってみた。かなり息が上がってしまう。
 現在の日本は、古今東西、さまざまな身体にかかわる情報であふれている状況にある。鬼軍曹とはうらはらに、運動の最後に柔らかく話す様子はいい感じだった

 今日は米国でiPhoneの発売日だったようだ。新聞で読んでいたが、夜7時のニュースをみて驚いた。月曜日から並んだ人、400ドルをつぎ込んで順番を買った人、ある州知事が警備上の問題を省みず、並んでゲットしたとかで批難をあびたとか。
 とにかく手に入れた人の嬉しそうな表情は、すでに携帯という機械を越えている。こうなると信仰にちかいなぁ~。
 来年には日本でも売りだされるに違いない。どこの携帯と組むのか、今からみなの関心があるようだ。私だって、もうしばらくiPod は待ちたいと思っている。
これが日本で売り出されてから、どっちにしようか考えたいとニュースを読んだときに思った。手軽さがいいようだ。軽さも機能も操作もなかなかいいようだ。
 これは迷うと思う。

 矛盾するようなことだが、来年は私の暮らしをできるだけシンプルにしたい。実際は物が捨てられないのだけれど、何とかしてみよう。

 そこで、本日のレッスンのこと。
 土曜日の朝日カルチャーで、はじめての問題を扱ってみた。
 いささか疲れたが、野口体操の検証は一歩前進したのではあるまいか?
 野口三千三先生の言葉の「言霊」には、先生のすべてが投入されていて、言葉の力が漲っていることを、最近頓に感じるようになった。
 これで、6月も終わり。
 半年間、あっという間に過ぎてしまった感あり。

 夏の季節・海の季節・山の季節でもある。
 一番は、夏休みに出来る限りの遊びを子供たちには楽しんでもらいたい。
 さて、これから明日のクラスのレジュメを考えよう。
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平凡パンチ時代

2007年06月29日 10時15分57秒 | Weblog
 梅雨の晴れ間、いや、違う。今年は、空梅雨なのだ。
 今朝は、窓という窓をすべて開け放った。

 早朝の仕事を終えて、二階の座敷に陣取った。
 数日前に手に入れていた本を思い出して、読み始めた。
 時折、風が夏の匂いを乗せて、部屋の中を通り過ぎる。
 からだから数ミリの空間に、涼しさを感じる。この種の気持ちよさは、子供ころから味わっているような気がする。南・北・東は、たっぷりと開ける。西は小窓を細く開ける。風は縦横無尽に入っては抜け、抜けては入る。
 さわさわとした音も聞こえる。つるしてある簾が、音をたてる。
 近所のワンルームマンションの小さなベランダで一年中なっている風鈴が、カチャカチャとした不快な音をたてている。不快といってはみたものの、風鈴は風鈴なのだ。

 1ページ、また1ページと、その本を読みすすんでいく。10代から20代のころ。昭和は、60年代から70年代。そうだった! ふーん、そうだったのか!
 時代への懐かしさを、行間に乗せていく。半分よりも少し手前、84ページで一休み。パソコンの前に座って、スイッチを入れた。パソコンを立ち上げ、このブログをログインして、今、書いている、私が居る。背中から先ほどまで感じなかった、熱気が風に運ばれる。
 
「三島にしても、自分の生涯のエッセーを発表するのなら、乳房とピンク映画の写真紹介などがあふれる雑誌ではなく、もっと、それらしい雑誌を、いくらでも選べたはずだ」
 そう70ページに書く著者は、最後の三島番記者椎根和氏。
 『平凡パンチの三島由紀夫』新潮社。
 滅法面白い。小気味よい文体で、あれよあれよという間に、読まされてしまう。
 自決までの三年間、剣道を三島に習った週刊誌編集者の三島像。

「軽い形で自分の考へを語って、人は案外本音に達してゐることが多いものだ」と三島は『行動学入門』に書いているそうだ。

 さて、今日の仕事に入るとしよう。
 重要で厄介な手紙を書き始めなければならない。(あぁ~、重いなぁ)
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物々交換・其の二……花ざかりの森

2007年06月28日 19時28分16秒 | Weblog
 物々交換で思い出したエピソードがある。
 昭和十九年、戦争末期には出版に要する用紙が統制されていた。用紙を手に入れるには、つまり出版を可能にするには、用紙を申請して、その申請書には言論統制に抵触しないような「出版目的」を記さなければならなかった。

「私はいろいろと時勢に迎合した大ハッタリを並べた覚えがある」
 そう当時を語っているのは、三十代になった作家・三島由紀夫である。

 当時、出版統制の強化によって、割り当て用紙が一定量に達しない出版社は存在を許されなかったそうだ。
 平岡公威(きみたけ)後の三島由紀夫は、『花ざかりの森』を出版するに当たっての内輪話を暴露している。「『ペルソナ』猪瀬直樹著(文芸春秋)」
「出版社各社は、用紙の確保に懸命だった。極端なことを言えば、用紙さえ手当てしてくれる者がいれば、どんな企画だって通した」とある。
 三島は祖父の平岡定太郎が樺太長官時代に、樺太にパルプ工場を誘致した業績を思い起こし、その筋から用紙を調達することが出来たのだった。
 昭和十九年、十一月十七日、『花ざかりの森』は、発売にこぎつけた。
 祖父定太郎のコネを使って、十九歳の作家の誕生であった。
 出版社は筑摩書房に吸収された七丈書院というところらしい。
 
 ところで、戦争を経験している母は、最近まで「石鹸」「トイレットペーパー」「砂糖」「塩」を山のように積み上げておかないと落着かない暮らしぶりだった。物を持っていれば、そのときに必要なものと交換が出来ると考えている。どうしてもない人には、分けてあげられるという主張なのだ。
 実は、イラク戦争がはじまる前に、蔵にトイレットペーパーを山のように積み上げた。ようやく最近になって18ロール入りが残り2個になった。
「お金があったら、日用品を買い揃えておく」というのが母の信条なのである。
 オリンピックの安売りに連日通うことになる。
 我が家の暮らしぶりが露呈してしまったが、「物々交換」の話を昨日書いたためである。
 今日のブログは、思いがけない方向に、話のハンドルが逸れてしまった。
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物々交換

2007年06月27日 15時45分57秒 | Weblog
 日経新聞で「ネットと文明」が、第12部ー新しい現実ーがはじまった。
 本日、6月27日は、「統計が映さぬ市場の爆発」と題して、見えざる大経済圏の話だった。
 企業の買収・合併仲介会社が、ネット上に売りに出ている会社をずらりと並べているとか、「商業の国勢調査」つまり消費者動向把握の基礎データで全国の小売店が販売額などを細かく答えるなかにアマゾンが入っていないとか。ーなんと年商千億円超のアマゾンが! である。ということから話ははじまる。

 とんでもない現実が出現している。
 もう、ネット抜きにわれわれの暮らしはありえない、のだ。

 そのなかで面白いとおもった事例があった。
 それはー物々交換が「復活」-
 ヤフーが「物々交換サイト」を3月に始めたのだという。オークションと違うのでお金のやり取りは発生しない。貨幣を介さない物々交換は、国内総生産(GDP)には、計上されない。そこに登録者が5万人を超えたとある。
 文化人類学の初歩で習う「交換」が蘇ったのだ。いちばん先端を行っているネットによって、個人と個人とを「物」で結びつける形態(ある種のコミュニティー)が、これから拡がる可能性が大いに出てきた。

 野口三千三先生は、物々交換をどこかで待ちわびておられた。インターネットを信用するかどうかは先生の場合「?」マークがつくけれど、「物々交換」に関しては「OK」だろう。
 実は、先生は銀行振り込みが好きではなかった。昔のように月給袋に現金が入った給与や賞与を受けたかったのだ。つまり数字だけがひとり歩きする危険性を常に感じておられた。
 たとえば担保なしにマネーを貸し借りするから、破綻が起きると危惧された。そこには実体や実感がない。人間の感覚にとって大切なことは、実体や実感が薄れた「もの」と「こと」への怖れの感覚を失わないことだといわれた。
 で、先生は、買い物に出られるとき、「今日は、これだけは使ってもいい」という範囲の現金をお持ちなった。それを超える買い物はなさらなかった。「買えないものは諦める」というわけだ。「借金も財産のうち」という言葉が流行った時代があったが、そのことに対して理屈でなく拒否感をお持ちだった。戦後日本に、非常に個性的な生き方だったことは確かだ。
 結果として、一般的な価値が認められているの物から、「こりゃ、なんだ?」というものまで集められた先生だったが、破綻ということとは無縁だったわけだ。
 
 先生にとっては貨幣は「物」だったのだ。見合った物と交換する感覚で「もの」を集められたと、この記事を読みながら思った次第。

 いい・わるい、すき・きらい、そんなことは言ってられない。
 すでにネットは時空を越えて爆発している。
 
『統計で把握できない「見えざる経済圏」が広がり、企業や経済政策当局を揺さぶる』と最後にまとめられていた。
 撫明亭日乗で紹介されていた『ウイキノミクス』とかいう本は、ここに関係してくるのかしら?
 明日、授業の前に池袋の旭屋に立ち寄ってみようと、昨日から思っているのだが。
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朝の新宿

2007年06月26日 19時09分20秒 | Weblog
 火曜日の朝は、会社に出勤する人の波に乗って、朝日カルチャーセンターが入っている住友三角ビルに向かう。
 新宿駅から5・6分、地下道を歩く。かなりのスピードである。そして人の波の方向は、駅の改札から西に向かう。逆に駅に向かって東を目指す人は、まずいないのが朝だ。9時30分になろうとする時刻である。

 地下道を抜けると、住友ビルの一つ手前にある三井ビルだろうか。記憶が怪しい。階段したで、若い男女がフリーペーパーやコミック雑誌を毎週配っている。
 いつもは手と表情で「NO」の合図を送っている。
 しかし今朝は違った。積極的に手を伸ばして「ください」と言葉まで発した。

 もらったものは『めざマガ』と『コミック・ガンボ』の二冊だった。
 コミックは携帯のあおりを受けて、以前のように読まれなくなったために無料で配るようになったという記事を読んだことがあったので、どんなものか手にとって見たかった。
 『めざましマガジン』は、表紙に「二の腕プルプルをなんとかしたい!!」につられた。無料配布だから、どんなものかと半信半疑でページをめくった。結構いろいろな記事が載っていたのには驚いた。
 お目当ての「二の腕プルプル」記事は、女性が7種類の体操をしている写真に説明書きが添えられていて、すぐにも試すことが出来るような構成だった。
「キックバック」「フレンチプレス」「リンパマッサージ」「ボクシングパンチ」「曲げ伸ばし」「プッシュアップ」「お風呂で水かき」というわけだ。
 いまや無料公開の時代だ。情報は惜しげもなく公開する時代だ。皆が情報を共有することで、何かが始まる時代なのだ。
 昔だったら、こうして配る「フリーペーパー」だってなかった。ましてこんな風に体操の仕方を懇切丁寧に説明するものは、なかったと思う。

 これをもらって試した人が、ブログに感想や結果や効果を書くのだろう。するとそれを読んだ人がまた意見を寄せる。ドンドン広がって万人共有情報となっていくのだ。

 これを見ながら思ったこと。
 水の入った500mlのペットボトルこそ持たないが、野口体操にもしっかりありますよ!
 たとえば「プッシュアップ」という運動は、両腕の幅を狭くした腕立て伏せなのだが、ここにポイントとしてこんな注意書きが添えられている。
「両腕の幅を広くすると胸の筋肉を使う運動になってしまうので、二の腕に負荷がかかるよう、両腕の幅は必ず肩幅に。」
 とある。なるほど、なるほどなのである。

 笑っちゃうのは、ページの下に太鼓教室の宣伝が載っていることだ。
「話題の二の腕を引き締めるのに効果的なレッスンを発見」という見出しがある。
 何でも和太鼓のレッスンで、脳と心をほぐすのだそうだ。
 さらに和太鼓にエアロビを融合した「TAIKOピクス」なるものを展開しているとか。
 朝日カルチャーセンターも真っ青な教室宣伝が、結構イケテルって感じ! なのだ。

 ほとんど宣伝で成り立っているけれど、ちょっとその気でみてみると面白いものに出会えるわね。
 竹内結子のスペシャルインタビューもあったし。
 いい社会勉強になりました。
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オフの日……こんな日本に誰がした

2007年06月25日 14時31分01秒 | Weblog
 本日は、オフの日。
 朝から掃除をしようと思っていたものの、天気が今一で、結局今まで他の用を足していた。
 3時を過ぎたところだ。

 朝から作文をして大切なメッセージをメールで伝えた。
 そのあと、学生のリポートにコメントを書き込み、今学期もほとんど終わりに近づいたことに、時間経過のはやさを憂う。
 それから銀行や郵便局で振込みやらなにやらをを済ませ、買い物に出かけた。
 スーパーマーケットで、生鮮食料品を買う気が失せてしまっていた。(昔からあったことよという人もいる。ここまではないだろうと、内心、反論する)
 
 結局、何も買わずに帰ってきた。
 
 腹立たしいことは、偽装だけではない。
 こんな日本に誰がした? 
 そのうちの一人に自分が入っているのかしら。

 久しぶりに気力が失せた半日だった。
 
 ということで、このブログも明日から仕切りなおし。
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小説仕立てブログ

2007年06月24日 16時59分38秒 | Weblog
 昨日のブログは、小説仕立てで我ながら遊んでしまったなぁ、と思った次第。
 Apple Store,Ginzaで、かつての恋人に出会って昔の恋の話が回想形式で続くのではないかと思われた方もおられるやも知れず。
 そういう物語もありだと思ったものの、本日は原稿書きに精を出してしまった。 400字×5枚から8枚。多く計算して3200字なのだが、書き上げてみたら5200字を過ぎてしまった。
 これに写真が入ってくるから、締切日が迫ったら切るしかあるまい。
 サジさんも旅に出られたし、お帰りを待つしかない。
 その間、時間はたっぷりあるのですぞ! と自分に言い聞かせてたところだ。

 それにしても彼や彼女や空想の名前をつけて別人格でブログを書くっていうのも悪くない。これが怖いんでしょうね。仮想空間だから何でもやってのけられる。別人になって、大胆な行動だって許してしまう自分がいたりして。
 危ない・危ない。

 素人さんがそこにはまると出られなくなりそうだ。
 ということで、小説仕立てで書くことは、止めておこうと思う。
 でも、試してみてよかった。
 書いても三文オペラ、いやいや三文小説ほどにもいかないだろうしね。
「エッ、三文オペラって何?」
 いつかその話を書きましょう。
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2007年06月23日 08時27分32秒 | Weblog
 入梅になったものの、しばらくの間、まとまった雨は降っていなかった。
 その日は、朝から雨模様だったが、昼過ぎには小降りになった。
 彼女は思い切って出かけることにし、雨対応の服装といつもより薄化粧で、めったにつかわないがお気に入りの傘を選んだ。
 JRから地下鉄に乗り換え、銀座駅についたのは2時少し前だった。
 A2出口を昇りかけてふと足を止めた。
「お香の匂いがするのね」
 湿度が高く、空気が皮膚や耳や目や鼻にまとわりつく。
 階段を昇りきると、そこは鳩居堂である。
 そのとき、グループ展を見る時間をはやめにきりあげて、立ち寄ることを決めた。日本画のグループ展は、2年おきにひらかれている。
 ギャラリーは、鳩居堂の隣のビルの6階なのだから。
 
 知人が描いた日本画は、お義理で眺めてそそくさとギャラリーをあとにした。
 雨はほとんど止んでいた。一瞬、視線がとらえられた。
 中年婦人が三人、連れ立って歩いてくる。そのうちの一人の姿に思わず笑いを堪えた。
「あの人、歩き方の練習をはじめたばっかりみたいだわ」
 道路に直線のイメージを描いて、つま先を外側に向けてその線上を歩く姿勢は、テレプシコーラでも読んでいるように見えたからだった。
 さすが銀座だ、服装に抜かりはない。
 ほんの何秒かの出来事だったが
「アラッ、職業意識が……」
 おかしみが胸の中心に小さなハート型を描くのを感じていた。
 
 時節柄ウインドウには、団扇や涼しげな小物が飾られている。
 鳩居堂のなかに一歩入ると、女性客で賑わっていてぶつかりそうになる。
 店内を一巡する。
 栞・便箋と封筒・はがき・ぽち袋や熨斗袋・扇子や団扇・いちばん奥には万年筆コーナーが設置されている。
 その前をまわり込むように階段が二階へと人を誘導する。一間ほどの広めの階段は、途中で踊り場があって、その正面には大きなガラスケースがある。見事な硯に筆が展示されている。

 さて、二階はお香の売り場だ。
 香炉・色紙・文鎮・筆・硯・篆刻用の玉類等々、ずっしりと重々しい歴史がそこには鎮座してる。
 一階の華やかさや軽さはない。
 女性客の年齢も一気に20年は高くなる。
 ここは、見るだけ。
 A2出口の階段で嗅いだ香の所在を、彼女は確かめにやってきたのだ。

「凄いものだわ、香が階段の中ほどまで漂ってくるなんて」
 彼女の脳裏に、街の匂いの記憶が次々に浮かんでは消えていく。
 たとえば御茶ノ水駅から駿河台を抜けて神保町まで、昼時の町の匂いはカレーだ。そこは学生街なのだ。
 町の色と町の音と町の匂いが混ざり合った「風の景色」のなかを歩くことが、彼女は好きなのである。

 鳩居堂をあとに、四丁目の交差点を渡り京橋方向へ、はじめての信号機を越すと、そこがApple Store,Ginza、お目当ての場所である。

 
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(○○し)ながら音楽?! 悩むなぁ~、私。

2007年06月22日 19時47分36秒 | Weblog
「ウム。。。。、ふ~ん」
「やっぱり。。。。。。」
 耳を澄まして、「千の風にになって」を聴く。アメリカ人女性のソプラノで原曲らしい。

「いい音が鳴っている。こんなに小さいのに。。。。。。。。」
 しかし、私の頭の左寄りから音が聞こえてくるのだ。
 ヘッドフォーンをとって、係りの男性にたずねる。
「左右の音量調節はついていません」
 突発性難聴の耳は右側が不自由なので、ステレオの中心音位置が、左によってしまう。そのずれはわずかだが気にかかる。

「音質調節はどうするのですか」
 ヒップポップ・クラシック・ジャズ……
「ピアノはあるのね。ヴァイオリンは?」
「ないかもしれませんね」
 昔のステレオやソニーのラジカセは、音質をそのとき聞くものによって変化させ、自分で音を作ることが出来た。レバーが5つくらいついていたから。
 低音を上げてみたい、いやいや高音を目いっぱいに……、音楽ジャンルや楽器、もちろん歌でも音質を自由に変えられたのだった。

 世の中、ソニー神話が崩れ出す前から、お仕着せの音質調整に変わっていった。
 たとえばヤマハの電子ピアノなど、室内楽の音・コンサートホールの音・スタンダードなピアノの音・チェンバロの音という風に、決められた範囲の中で音質を変えることになった。
 それと同じでiPodも音質設定をすることは可能だ。しかし、お仕着せの範囲だ。つまりアナログの世界ではない。

 実は、本日、所用を済ませた足で、「Apple Store,Ginza」に立ち寄った。
 なかなかいい音が鳴ることは理解できた。
 いじっているうちに操作はすぐのみこめた。
 ポッドキャストで設定してあったCNNのニュースを聞くことが出来た。
 写真だってスライドショーで見たのだ。
 
 一人楽しんでいると
「こちらには、スピーカーもございます」
 自宅でスピーカーから音楽を聞くものまで取り揃えてあったからオドロキ。

 それからMacを使って、リモコンで音楽をダウンロードする方法も教えてもらった。
 20インチくらいありそうなデスクトップの映像は、実に美しかったなぁ~。

 思いかえせば、SPレコードの最後?からLPレコードへ。LP時代はたっぷり音楽を聴いた。音楽がない人生なんて考えられなかった。それはステレオ隆盛時代である。
 それからカセットテープとCDの時代だ。この時代はLPに比べたら短かった。

 そして2007年6月23日現在、MacのコンピューターとiPodのカタログをもらってStoreを出て、地下鉄に乗り込んだ。
「新しい音世界に移っていくのだったら、いろいろを変えないといけないようだわ」
 まず、ごちゃごちゃしたパソコン環境からさっぱりと美しくしなければならない。
 しかし、音楽の聞き方がまたく変わってしまった21世紀なのである。
 で、やっぱり私の関心は、ポッドキャストだった。
 音に関しては、あのバンク&オルフセンといったかしらサジさん。
 北欧の音響メーカーの音のオドロキは、今でも忘れられない!
「比較しちゃいけない」と思いつつもダメなのよね。
「頭、堅いヨッ」自分で言っている。
 
「私って古い人間なのかなぁ~!(○○し)ながら音楽は、慣れないといけませんわーー」ついつい語尾を伸ばしてしまう。

 ステレオ時代のイメージが強すぎるようだ。
 でも、自動車内で聞くのは別なのよね。

 というわけで、iPodはもう少し時間をかけようと思いつつ帰宅。 
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一山超えた前期授業

2007年06月21日 19時09分07秒 | Weblog
 本日は、小リポートを提出してもらった。
 今回は、麻疹休講が入ってしまったために、一回分「呼吸」の話が抜けてしまった。来週は、一人一人、リポートを返却しながら、会話をする。小一時間かかるのだが、学生にはコミュニケーションの時間になる。

 最終リポートのことについて、小リポートに書かれたことに対してのコメントとか、学生からの評判はいい。ゼミは別として、教師と一対一で話す機会は少ない。とりわけ新入生にとっては、いい機会のようだ。

 ざっと目を通したところだが、からだへの意識が変わること、フィットネスに対する自分なりの基準が出来ること、心身が解き放たれることの意味とか、よいところを掴んでくれているようだ。

 いよいよ6月も残り一回の授業になった。7月に入ればほとんど終わったも同然で、新しいテーマは提示しにくい。12回の授業というのは、入門の入門って感じだ。私の実感は、これからはじまるのになぁ~という思いだ。
 しかし、単位をもらえる正規の授業だと、出席してもらえるので、最初に抵抗感を持っても、次第に意味がつかめて、動きが出来るようになると、面白さを感じてくれる。

 何といっても若いということは、心身ともに柔らかいし、短い時間で動きを身につける力が備わっていることは、羨ましい限りだ。
 というわけで、前期の授業も一山越えた。
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マンダラ発光

2007年06月20日 16時32分30秒 | Weblog
 金とうし・銀とうしの帯を身につける。
 身体から光がほとばしり、別の自分になったような幻想感覚に浸ってしまう。
 
 その幻想感覚に似た金銀が織り込まれているような新しい印刷がはじまった。

 なぜ、光背を纏うのか。なぜ、光明を背負うのか。
 西方浄土から迎えに来る仏たちは、光に満ち満ち、美しい音楽を奏で、この世との別れを悲嘆ではなく、感謝と至福によって旅立たせてくれる。

 光背の光輝きを紙に映すまばゆい世界が実現したのだ。
「杉浦康平のマンダラ造本宇宙展」でいただいたポスターは、これを見たら罰があたって目がつぶれるのではないかと思うくらい神々しい。
「DUO印刷」というらしい。
 ……従来のオフセット印刷だけでは、表現できなかった色相や質感を様々な印刷技法・コーティング加工を複合することによって表現する印刷……

 グラフィックデザイナーの天皇と呼ばれる人・杉浦康平氏。
 豪華本の宇宙は、そのまま宗教である。
 教王護国寺曼荼羅 伝真言院両界曼荼羅+西蔵曼荼羅(チベット・マンダラ)の中央に「天上のヴィーナス 地上のヴィーナス」と題して「天」と「地」を結びつけ、「愛」と「美」を昇華させる…ボッティチェルリの両界曼荼羅が発光するのだ。

 なぜ、人は、ここまでやるのだろうか。

 佐治嘉隆さんのブログ「芭瑠庵」6月19日をご覧ください。
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車内の会話

2007年06月19日 16時14分15秒 | Weblog
「だから、あんたがかまいすぎなんだッ」
「そんなこといたって、仕方ないじゃないですか」
「俺は、嫌だぞ。絶対手伝わないからな」
「。。。。。。。。。。」
「だいたい、感謝の言葉くらい言ったっていいじゃないか」
「。。。。。。。。。。」
「母さんのときは、何かやってやれば、ありがとうって必ず感謝してたんだ。それなのに、気持ちがないんだから」
「ですから、みんなにも助けてほしいって……」
「嫌だね。この前だって、起こそうとしたら、ものすごく重くて、こっちの腰がやられそうだったんだ」
「だから、お願いしてるんじゃありませんかッ」

 何気なくからだをひねって後ろ見ると、予想したとおり、50過ぎの夫婦が言い争っていた。夫は会社員で妻はアルバイトで仕事場に行くような感じ。

 どうやら介護を必要とする家族の問題を電車に乗り込むか前からはじめて、そのまま止められなくなっているようだ。

「赤ちゃんポストはあるけどな、年寄りはそんなところはないんだ。でも俺はみないからな」
「。。。。。。。。。。。、あたしだって疲れました」
「やりすぎなんだよ。それを同じように求められたって、出来るわけないじゃないの」

 駅に電車が滑り込んだ。
 同じホームに降り立った。
 改札も一緒、住友ビル方向に歩いていくのも一緒。

 老人介護は、大問題なのだ。他人事として聞くことは出来なかった。悪いと思いつつ、聞き耳を立ててしまった。

 健康にいいものを食べて、健康にいい体操をして、寝たきりにならないように禁欲的な暮らしをしたとこころで、そうならないという保障は一つもない。
 神様は、気まぐれなのだから。
 何があっても引き受けていかなければならない。しかし、引き受け切れないことのほうが多い。

 あぁ~あ、美味しいものを食べて、美しいものを見て、コロッと死ねたらいいのにね、って誰かがいってます。
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トップランナー・服部有吉

2007年06月18日 09時53分51秒 | Weblog
 土曜日のクラスの方から、一枚のDVDを手渡された。
 先ほど見終わった。といっても最後の数分が切れていたので、全部ではない。
 しかし、なんだか凄く嬉しくなった。

 なぜって、身長が162センチしかないダンサーの話なのだ。
 トップランナーの名前は「服部有吉」。
 クラシックバレエを習い、13歳で単身ヨーロッパへ、バレエ学校を優秀な成績で卒業したものの、背が低いことが理由でバレエ団への入団が決まらない。
 そりゃそうでしょ。バレエの世界は厳しいのだ!
 200度の開脚ジャンプが出来ても背丈がなければ初めからはずされていくのが、プロの世界というわけだ。
 (『テレプシコーラ』の物語は、そこを描いているから、ついつい読まされてしまう)

 なぜ、嬉しくなったのか。
 それは最近の腹立たしい出来事・驚くべき事件の連続、嫌なことばかりの報道に辟易している日常に、コンテンポラリーダンスの世界で大きな飛躍を遂げた日本人青年のすがすがしい生を知ったこと。
 ステージ映像がいくつも流されるが、舞台芸術として完成度の高いパフォーマンスが繰り広げられている。振り付け師でもあるという。

 本人の素質と環境とひたむきな努力、そしてたったひとつ欠落していたものが身体的条件だった。背が低いという、致命傷なのだ。しかし、そこからどうやって今の道を見出したのかを聞こうとしたら切れてしまった。
 まぁ、そこは想像で補っておこう。
 一つ彼の話からわかることは、ヨーロッパのダンス学校がもっている教育システムは凄そうだということ。基本を・基礎を徹底的に身につけさせる。それがあって、今の服部有吉の舞台がある。
 何を基礎とするのか。伝統とは何か。
 楽しく考えさせてもらった。
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今日は、ほっと!

2007年06月17日 19時51分15秒 | Weblog
 今日はほっとした。
 昨日のみなさまには申し訳ないが、今日の日曜日クラスは、よいほうの5本の指に入るレッスンになった。
 レッスンは生きもの。その日の流れによって、上手くいくときとそうでないときがある。

 昨日と同じテーマは止めておこう、と思いつつ自宅を出た。
 電車に乗り、新宿駅改札を出て、地下道を歩き、欅が緑を濃くしているビル街に出たときには、気分が高まっていた。
「昨日のテーマを、違ったニュアンスで提示してみよう」
 新しい情報も入っていたし、同じ過ちは起こさないようにと、下腹に力をこめて住友ビルのエレベーターに乗り込んだ。

 講師控え室で、ときどき顔を合わせている先生と「年金問題」について雑談し、そのあとにロビーに出た。すでに二人の方がいらっしゃっていて、「グレングールド」について語り合った。
 こうした雑談は頭のトレーニングになる。レッスンの前に、エンジンがかかってくれてスムーズな走りができるのだ。
 
 このところ姿勢の問題をテーマにしているが、だいぶ見えてくるものが、明確になってきた。野口三千三先生がじかに自然に貞く・じかにからだに貞く、つまり「自然直伝」とおしゃったいちばんの基本が捉えられたように思っている。

 何かがわかるということは、時間がかかる。
 生きているうちに、もう少しわかりたいものだ。

 いずれにしても日々新たに経験を積み重ねている実感が得られることは、ありがたいことである。
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姿勢観

2007年06月16日 20時08分39秒 | Weblog
 今日は、なんだかくたびれた。理由はよくわからない。
 出かけるぎりぎりまで、準備をしていたのがいけなかったのか。
 気合を入れて出かけていったのに、いままでのなかでワースト5に入るくらいさえなかった。途中から頭が回ってくれなくなった。

 皆さんにも資料をお配りした。
 そうした場合、机と椅子があるほうが、受ける側も授業をする側もやりやすいということを体験した。

 これで3連続して姿勢についてテーマにしてきた。
 そろそろ次のテーマに移っていこうと思っている。

 今回の収穫は、「ルーの法則」を経験的に知っていたクラシックバレエのからだのつくり方を知ったことだ。
 東洋的構えや舞踊における姿勢のとりかたのうち、共通しているのは、上体の起こし方だ。ただし脚全体・膝のあり方は、まったく異なっている。

 今年は浴衣に下駄を履き、花火大会に出かけようとしている若い女性たちは多い。そこで立ち居振る舞いや歩き方等々、日ごろとは異なっているだけに、本人が一番戸惑うことになるのだろう。

 「死生観」ならぬ「姿勢観」ということばが口をついた。
 いろいろな問題を比較対照してみると野口体操がいかに基本的な身体の問題をテーマとして半世紀の時間のなかで熟成したかがわかってくる。

 教えることは学ぶこと。
 明日は気を取り直して、がんばり過ぎないようにしたい。
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