月曜日に入院した母を、昨日に続いて今日も見舞った。
目を覚ましていて、手を握るとしっかり握り返してくれた。
手の力はまだまだ生命力を宿しているように感じられた。
そう感じるのは、娘としての希望的観測だろうか。
口をモゴモゴ動かすのだけれど、言葉にはならない。
明確な意識があるとは思えないが、ないとも言えない。
呼吸は楽になっているように見受けられる。
治療の効果か、苦しさは軽減されているようだ。
それは何より。
でも、いったいどんな世界に生きているのだろう。
何が見えて、何が聞こえているのか。
食事はいっさい摂れないらしい。
昨日は、担当医から終末期医療について話を聞いた。
栄養を無理やり入れることはせずに、苦しませない選択をすすめられ、同意した。
場合によっては、施設から戻りを断られる可能性もあるかもしれない。
その時はその時。
なんとかするしかない。
野口三千三先生と父を看取ってから、あっという間に20数年が過ぎようとしている。
今がいちばん穏やかな気持ちで母と向き合うことができる。
一緒に暮らしたくない母と二人だけの時間を長く持った。
生きているうちにお互いを許しあえたように思えてから、今日まで来し方を振り返っている。
病院から出て、すぐ近くにある公園のベンチにしばらく腰をかけていた。
雲間から差し込む西からの日差しは、樹木の長い影を芝生に映している。
こうした思いに浸れるのもまだ母が生きているから。
今は、静かに見守りたい。
あたたかい母の手を握りながら、首筋をそっと撫でて、痩せほそった足もさすって、さよならを言わずにそっと病室を出た。
「明日、また来ます」
これから、何回、言える言葉だろう・・・・・。