羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

『一個人』取材をうけて

2016年10月16日 08時23分36秒 | Weblog
 昨日の朝日カルチャーセンター「野口体操講座」は、新しい階に移って二回目のレッスンだった。
 まだ教室に慣れていなかったが、中高年向けの生活情報誌『一個人』の取材をお受けした。

 掲載予定は12月号「柔らかい『腰』をつくる』(仮)というテーマで、「(一生)痛まない腰を手に入れるための野口体操」(仮)という見開き2頁とのこと。
 詳しいことは、ゲラのチェック後に、改めてこのブログに書きたいと思っている。
 
 さて、いつも思うことだが、参加してくださっている皆様の大人の対応には、「感謝」という言葉しか見つからない。
 たった一回のレッスンを取材されるというのは「受ける方も、毎回、真剣勝負だよ」と、生前の野口のことばをいつも思い出す。
 その言葉を胸に潜めて、周到な準備はするけれど、事前に行っている周到な準備には拘らず、その時の全体の雰囲気をよりよい方向に盛り上げていく。野口直伝をご披露することになる。

 それはそれとして、レッスンの前の打ち合わせのとき、編集部の方が記憶を辿るようにして呟かれた。
「お話を伺っているとおもいだすことが……私は、合唱部に所属していたんですが……あのー、もしかしてー、合唱練習の前の脱力体操っていうのが……」
「そうです! 野口先生に体操を習った芸大の卒業生が合唱の指導者や指揮者で、『上体のぶらさげ』は取り入れてらっしゃるようですよ」
「あー、そうでしたか。なんか似てるなー、って」
 それだけで、お互いに打ち解けてしまった。
 いざ、教室へ。

 2時間のレッスンは無事に終了。

 そして今朝、おまけ付きのお話。
 いただいた見本誌『一個人』11月号「健康常識 本当の話」をパラパラとめくっていた。
 一瞬、目が点になってしまった。「日本遺産を旅する」頁を開いたときのことである。
 内容は、「かかあ天下ーぐんま絹物語 幕末〜昭和の日本を支えた上州の “かかあ” たち。その面影が色濃く残る群馬・絹遺産への旅」カラー写真が綺麗な8ページの特集だった。

 いやいや、なんとまぁ〜ご縁のあることか!
 取材もさることながら、野口三千三の故郷を紹介するときにご覧にいれたい “おまけ” つきであった。
 
 さぁ、午後からは雑誌を持って日曜日クラス・レッスンに出かけよう。
 気分よく、からだが急に軽くなったのであります。
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秋櫻花をゆらす風……かそけさ

2016年10月02日 07時47分52秒 | Weblog
 今朝はいつも通りに目覚めた。
 まだ暗い。
 暗い中、玄関の鍵を開け、郵便受けに朝刊を取りに行く。
 日経新聞も朝日新聞も、二紙ともすでに投函されていた。

 新聞を手に、鼻を少しだけ上に向けて、香りを探す。
 何日か前には金木犀の香りが朝の風に乗って、秋を告げてくれた。
 どうやら咲き始めだけがその存在を遠くまで運ぶらしい。
 鮮明な輪郭の香りは、到達してこない。

 しばらく新聞を読み、途中で電気釜のスイッチを入れ、朝餉のみそ汁の具、サツマイモを小口に切って水にさらす。次に、冷蔵庫からだし昆布とかたくち煮ぼしを水に浸した鍋を取り出しガスレンジの上に置いた。
 そこまで準備して、そっと襖を開けて母を見届ける。おそらく昨晩の動乱以後、一度も目をさまさずに熟睡しているのを確かめて、二階に上がった。
 ようやく半分ちかくに達した本を手に抱く。厚い、ぶ厚い、『苦海浄土』である。
 この本を読むことをずっと避けていた。しかし読みはじめてみると、悲惨な内容にもかかわらず、柔らかで穏やかな語り口の日本語に、なぜか引き込まれる。
「ゆっくり読みたい」
 日本の原風景は美しい。
 豊かな海は実に美しい。
 誠実に海と向き合い、海を慈しんだ暮らしを楚々としてきた人々を襲った禍い。
 まだ途中だが、避けていた理由と、避けてきた後悔を知る。

 本を閉じ、階下に降りて、みそ汁をつくる。
 野菜の煮物や夕べのうちにつくり置いた貝柱の佃煮。
 あれやこれやをちゃぶ台に並べる。
 耳も遠くなり、鼻もきかなくなっている。それでも気配を感じる力は失われていないようだ。
 母が起き上がって、一緒に食べるという。
 髪だけをまとめてパジャマのまま席につく。
 おもむろにみそ汁を口に含んで、満足そうに飲み込んでいる。ホッ!
 
 母の様子をみながら、本の世界に引き戻された。
『苦海浄土』にも、食の描写がたくさんあったっけ。
 なんといっても著者の日本語は、方言は、おそろしいほどに美しい。
 不知火海と天草諸島を水俣側に立って眺めたら、どんな思いが沸き上るのだろう。

 私は、欠かせない朝の一杯のみそ汁を飲みながら、情景を思い浮かべる。
 出汁の味をつくり出すのは、海の恵み。
 このごろ使っているいのは、瀬戸内海息吹島産だけれど……。

 朝食をすませ、狭山茶をすする。
 手早く朝の片付けはすませた。
 体操をしようと思って二階へ上がる前に、母を見るとソファにからだをあずけて微睡んでいる。

 おだやかな日曜日の幕開け。
 ベランダから、筋向かいの家に咲く秋櫻花をゆらす風をそっときく。
 かそけさ。
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現実と虚構……閾値を超えた母

2016年10月01日 22時55分15秒 | Weblog
 NHKの8時45分のニュースのあと、何となく土曜ドラマを見ていた。
「夏目漱石の妻」の二回目である。
 ドラマだ、と認識していたものの、漱石ってこうだったのか、と迫力に圧倒されて見続けていた。
 突然、一緒に見ていた91歳の母が、立ち上がっておこり出した。
 自分の母親、つまり祖母を守っていた自分に重なってしまったのかもしれない。
 母方の祖父もこのドラマに描かれているように、今で言うところのドメスティックバイオレンス、DVの傾向があったと聞いていた。
 日々の暮らしを困らせることはなく、むしろ不自由は一切させなかった。
 戦時中も他家に比べれば、苦労は少なかった、という。
 それでも許し難い体験があって、おそらく祖母への想いが甦ったのだろう。

 ものすごい興奮状態で、おさまりがつかない。
 ちゃぶ台をヒックリかえそうとしたり、襖をバンバン音を立てて締めてみたり、あわや漱石の書斎になりそうな剣幕。
 そのうちに、寝床の布団の上で
「かわいそうなのは奥さんなのよ!どうしようもないのよ」
「だからね、あれはドラマ……」
 母をなだめようと言葉を繋ぐ。
「何言ってるのよ。現実はもっと凄いんだから。かわいそうなんだから」
「だからね、明治の男達は、無理してたのよ。西洋にバカにされないよう、一等国になろうとして……」
「うるさいッ」
 火に油を注ぐ言葉だった。母にしてみれば、天下国家はどっちでもいいわけだ。

 こちらもついつい余計な言葉ばかりが口をついて出る。
 そのうちに情けなくなって、涙がこぼれた。
 内心、いい年してみっともない、と思いつつも、自制心をうしなって母の娘になってしまった。

「ここに座りなさいよ」
 興奮さめやらぬ母がソファに並んで腰をかけるように強要してくる。
「帰れるものなら家に帰りたい。奥さん(ドラマのなかの漱石の妻)だって帰るところはないのよ。皆、貧乏になっちゃって」
 仕方がない、しばらく寄り添って、おもむろに
「明日は仕事があるから、準備をするわ」
「そうね、仕事は大事だから」
 ようやく現実に戻ったらしく、にっこりと笑った。(この手がよさそうだ!)


 NHKも91歳のおばあさんを、ここまで興奮させるドラマをつくるなんて、罪創りだわ。
 いや、やり過ぎの感は否めないけれど、尾野真千子さんはじめ、役者がうまい!

 今、キーボードに向かっている。
 何となく階下では玄関の鍵をいじっているような音がしていたが、もう静かになった。

 母の中のトラウマが、こうした形で現れたのだろう。
 ドラマのなかの漱石の狂気が、母に乗り移ったかのような夜だった。
 高齢になるということは、現実と虚構の境界線が曖昧になるってことだろうか。
 高齢になるということは、あるよろしくない感情の閾値を超えると収拾がつかなくなって、母の場合は堰が崩れるように感情のうねりを止めることができなくなるようだ。
 
 明日は明日の風が吹く。
 おやすみなさい。
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