羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

若き日の思い出…心の香辛料

2006年12月31日 18時25分52秒 | Weblog
 早朝、電話が鳴った。
「○○病院ですが、すぐこちらにいらしていただけますか」
 父が大腸癌の手術を受け、集中治療室から戻った日のことだった。
 麻酔の切れが悪くて、正気に戻らなかった。
「一日、そばにいて話しかけてください。家族でないと、戻らないんです」

 その日は、父に付き添って、昼食も病室で食べた。
 父の言動は、おかしかった。
 困った私は看護婦さんに伺った。
「昔の話を話してください」

 家族しか知らない、話を引き出すのだそうだ。
 午後になると、少しずつ変化が見られた。夜、消灯ぎりぎりまで粘って、とにかく話を聞き、私からも話題を提供した。
 
 翌朝、病室に入ってみると、新聞を読んでいる父は、昨日は何事もなかったかのように落ち着いていた。
「そんなおかしなことを言ってたのかねぇ~」

 実は、81歳になる母が、最近になって急に気力を失いかけてきた。
「テレビのおもりしているうちに、テレビにおもりされているの」
 うたた寝をすることが多くなったという。
「未来はないし。からだが動かなくなったら、どうしよう」

 ここでなんとかしなければ、と思い出したのが、麻酔が切れなかったときの父のことだった。
 そこで、お正月に向けて、暮の28日に「正月のしつらえ」を行った。
 凧・独楽に加えて、というより、それと気づかれないように、羽子板を飾った。
 これは父方・母方から、私が1歳になる歳の正月に贈られた羽子板だ。
 本人は、なにせ1歳だから、戴いたときの鮮明な記憶はほとんどない。
 ただし、当時、母は25歳だった。
 羽子板を前にして、若き日の思い出が、一気によみがえってきたらしい。
「正解だった」と心の中で呟いた。

「大きい方の羽子板は、私の実家から贈られたのよ。昭和25年よね」
 自慢げに見える母。
「えぇ~、56年前の羽子板ってわけ」
「おばあちゃんと三越に行って選んだものなの。戦後もまだ間もないころだったでしょ、最後の一つだったわ。ほんとに物が無かった時代だものね」
 
 大きい方の羽子板をよく見ると、簪が片方なくなっている。そこで子供のころに、毎年お正月には日本髪を結っていたことを思い出した。
「きっと簪が残っているはずだ」
 案の定、洋服箱にいくつもの簪がしまわれていた。その中から、藤の簪を選んで、向かって右に挿してみた。
 それを見た母は、大きな声をたてて笑った。

 お年寄りにとっても、麻酔の切れが悪い術後の患者にとっても、若き日の思い出は、「若い」ということだけで力になるのね! 

 そして、「節句行事」というのは、日々の暮らしの「こころの香辛料」なのだと気づいた。
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幻の博士号

2006年12月30日 19時02分39秒 | Weblog
 今朝、テレ朝の「やじうまプラス」を見ていた。
 産経新聞の記事らしいが、エジプト学の吉村作治さんが、博士号を30万で買ったとか。
 教授になるには、「何はなくとも博士号」というわけだ。

 実は、私にも、その手の話がおこったことがある。
 ある日のこと、海外からのビジネス特急便が届けられた。
 ドキドキしながら封を開けると、アメリカの大学の学長からの手紙が入っていた。
 学長は日系二世らしい。
 文面を読むと、この私に博士号を授与するということだった。
 2004年に春秋社から出版された『野口体操・ことばに貞く』を博士論文として認めることが、教授会の全員一致で決められたという。そこで、博士号を取得したいのなら、○月○日までに、日本にあるサテライト事務所で手続きをして欲しいという内容だった。
 その時、ピンときましたね。
「お金だ!」

 その手紙を受けとって、数日後、なんと日本の事務所の所長さんと名乗る人から電話が入った。手紙にもそう書いてあったのだが。
 その前に、その大学のホームページを見てあった。大学はその州に存在していることは確からしい。
 そしてアメリカの大学が、すでに日本にサテライト教室を3箇所ほど開設しているらしい。それも確認した。
 さらに大学を日本でも開校するために、日本人の教授を作らなければならない事情があった。

「私どもで博士号を差し上げますので、今後、一緒に活動をしていただきたい」
 手紙の内容と同じ趣旨の話を、その所長さんは語った。

 昔から博士号をお金で買う話は絶えない。アメリカの大学では、その大学に通わなくても授与する大学もあることは聞いていた。
 そこで、こう答えた。
「ありがたいお話ではありますが、この本は、博士論文として書いたものではありません。今回は見送らせてくださいませ」
 丁寧にご辞退申し上げた。
「それは残念でございますねェ~」

 半年ほど過ぎて、ある大学の教授にこの話をした。
「いただいておけばよろしかったのに。ただ、大学によっては、教授一人につき百万、だいたい教授10人くらいが教授会で承認しますから……」
「まぁ、お断りしてよかったわ。フフフッ」

 さらに、他の大学の専任講師をなさっている方にも、忘年会の席で冗談交じりに話をした。
「私は、お金を出しても、欲しいわ!」
 ですって。

 地獄の沙汰も金次第。
 やっぱり、貰っておけばよかったの、作治さん?
 
 ふふふふ、ふ~っ。
 生きていると、いろんなことがあるものだ!
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迷惑メール撃退法を教えて!

2006年12月29日 19時13分02秒 | Weblog
 メールで、「送信者を禁止する」という作業をして気づいたことがある。
 こちらも年末年始モードらしいということ。
 
 実は、私のメールには、一日に100通以上の迷惑メールが入ってくる。迷惑メールを、以前はすべて禁止する作業を行っていた。しかし、一つを消すのに結構な時間がかかっていた。いつの間にか、30~40通入っているときには、やらなくなってただ消すだけになった。数通の時には、丁寧に禁止している。
 
 ところがこの年末になってその作業に時間がかからなくなった。
 なぜだろうか。あっという間に完了する。
 時間がかかっているときには、クリックしないで読める範囲を、読むとはなしに読んでしまう。さまざまな出会い系・ドラッグ系・カジノ系・贋物高級時計系と、多種多様である。それらの文章も最近では凝っているし、アドレスもいかにも迷惑メールではなさそうなアドレスなのだ。
 
 その作業のときに、間違って、二人の大切な人のアドレスを禁止してしまった。復元作業を行っているのだけれど、うまくいかない。一度、禁止にすると救い出せないのだろうか。これは困った。
 お一人は二つのアドレスを持っておられるので、助かっている。もう一人は、作業に時間がかからなくなった昨日、うっかり禁止してしまった。どうしよう!
 とにかくここ数日は、読む時間もなく作業が終わるのだ。
 
 よく見ると自分のメールアドレスと野口体操公式ホームページのインフォメーションから入ってきていることがわかる。しかし、これを変更することはできそうにない。すごいのになると、まったく違うアドレスや、一部だけ合っているアドレスのも入ってくるからオドロキだ。一体どうなっているのだろう?

 知人のメールアドレスは、迷惑メールが入らないように、11桁くらいの長い意味不明の文字を並べたアドレスに変えた。しかし、である。

「ゴキブリ・ホイホイ」のような退治方法はないものか。毎日、ゴキブリを捕まえるように禁止作業を行うのもほとほと嫌になっている。
 
 年始くらい、入らないでほしいのだが、無理だろうなぁ~。 
 相手は機械だから。
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新ブログ「野口体操・身体感覚をひらく」開設

2006年12月28日 19時05分01秒 | Weblog
来年1月19日発売の岩波ジュニア新書『身体感覚をひらくー野口体操に学ぶ』にリンクして、新しいブログをひらきました。
本で紹介している動きの動画を、順に掲載していく予定です。

表紙の写真と目次、ブログの趣旨等々について載せました。
本格的にはじめるのは、来年になってからですが、今日の分だけでもご覧になってください。

ブックマークからどうぞ!

ブログ名:野口体操・身体感覚をひらく 動画で見る野口体操のうごき

http://blog.goo.ne.jp/karadahiraku/
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土壌

2006年12月27日 19時07分55秒 | Weblog
 今朝、目覚める寸前に、ある熟語が脳に浮かんだ。
 それは「土壌」である。
 実は、昨日のブログで、どうしてもこの言葉が出なかった。
 何かおかしいと思いつつ、眠りについた。
 こうした「おつげ現象」は、時々起きる。
 たとえば、レッスンや講演といった場合に、明け方になってその日のレジュメが浮かんでくることがある。すると用意していた内容をすっかり変更することだってある。

 さて、この「土壌」なのだが、作物を作るときにはもちろんのこと、花々を咲かせ緑を茂らせるガーデニングでも、それぞれによく合った土壌作りが欠かせない。というより、土壌さえできれば仕事の8割がたが終わったことになる。

 我が家では父が亡くなって満4年になる。父が丹精していた盆栽が、少し残っている。春になると毎年、私が、植え替えをしているのは、このブログでも書いたことがある。その植え替えをするものは、欅を中心とした木々である。
 亡くなる2年前に、父が植え替えをしてくれてあった。松はそれ以来怖くてやっていないので、6年の歳月がたってしまった。
 
 ためらいの原因は、土の配合。とにかく自信がなくて、植え替えをしてこなかった。
 よく見ると枝は伸び放題だし、土はかなり少なくなって根が張っているせいか固くなっている。
 
 いよいよ来年の春・3月には植え替えを決行しようと心に決めているのだが、資料を読むことからはじめなければならない。
 真柏は一度植え替えたことがあって、これは上手くいった。

 とにかく土壌つくり、土つくりが生命線である。
 そのことを昨日も書こうと思いながら、「土壌」という二文字が浮かばなかった。
 年かなぁ~!
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ターシャの庭とホワイトクリスマス

2006年12月26日 19時15分35秒 | Weblog
 今日は、昨晩見たテレビのお話。
 NHK・GTV19時30分から20時45分放送「ターシャからの贈りもの・魔法の時間のつくり方 夢があふれるターシャ・テューターの絵本と庭・そして心豊かに生きるとは」
 という番組。

 90歳を過ぎて広大な庭のなかにある田舎家に一人暮らしするターシャ。一人暮らしといっても、犬や鶏や鳩がいる。息子の家族はスープの冷めない距離にいて、一日に何回か母を見舞う。もちろん孫もいて、曾孫もいて、あつまると10人以上の家族になる絵本作家の夢あふれる日常を描いたものだった。

 見るともなしに見ているうちに、引き込まれた。一年を通して撮影されて、最後はクリスマスで終わる。半年雪に閉ざされるアメリカ北東部。春が待たれる。春が来るといっせいに花々は咲く。そして短い夏に、惜しむように咲く花々たち。
 一年中、灯りは蝋燭で、その蝋燭は自家製である。ほとんど自給自足に近い暮らしがそこにはある。1800年代後半を再現していて、それを子供や孫が支えているのだ。

 絵本にそれほど興味を持っていない人でも、ターシャの絵本はどこかで目にしているに違いない。彼女の暮らしが絵本に描かれていることを今回初めて知った。

 で、57歳のときに印税で、その土地を手に入れた。それから30数年をかけて通称「ガーデニング」と私たちが呼んでいる、自然を生かした庭を作り上げたのだ。
世界各地の珍しい花々を育てている。もちろん日本の「杜若」や「薔薇」などもある。花の名前を記録しなかったのだが、(とにかく唖然として見続けてしまったので)同じ種類の花の色を土の成分を変えることで変えていくことまでやってしまうのだ。黄色と赤い花に変貌させる。自然をよく知っている。知識ではない。知識もあるが経験と時間で。

 とりわけ印象深かったのは、秋の紅葉がものすごく美しいことだ。さすがにカナダとの国境に近い地域の秋は、メープルに代表される美しい木々の燃えるような赤に染まる。

 この番組を見ながら、日曜クラスに参加されている植木をつくる二代目のことばを思い出した。
「日本では、ガーデニングは難しいんですよ。はじめても大体3年で見る影もなくなります。地層の問題が大きくてね。イギリスのようなわけには行かないですね」
 なるほど、どのような土で植物を育てるのか。風土は地層までかかわって、一つの自然を作り出している。イギリスもアメリカ東部も、日本の地層に比べたら桁違いに古いことを思い出した。
 
 さらに、ターシャがこんなことを話していた。
命が終わりに近づいて、いままでのような植物ではなく、雑草を植えているらしい。もっと自然に近づくために。自然に還っていくために。正確な言葉ではないが、死を目前にしながら植物への思いが変化し、その思いの中で育てるものが変わっていくという。
そうした彼女の言葉に、豊かな暮らしの真髄を垣間見させてもらった。

時は、ホワイトクリスマス。
一面の雪景色の中で、ターシャの家のもみの木と曾祖母から伝えられたドイツ製赤と青のガラスのオーナメント、そして自家製のジンジャー入りクッキーが飾られ、そこに何本もの蝋燭の灯が揺らめく。
ただただ、家族たちに手作りされるクリスマスの情景を見ていた。
「地球のどこかで、人知れず守られている豊かな暮らしが、きっと他にもあるに違いない」
 そう思えたとき、なんだかとっても心が温められるのを感じた。

 ニュースを見るたびに、これでもか・これでもかと繰り返される人間のおぞましさに、いささか参っていた。その同じテレビの画面に映し出される家族の姿に、天国も地獄もこの地球上にあるのだと、思わずにはいられなかった。
 2006年12月25日のクリスマスは、静かに幕を下ろした。
 それがクリスマスというものだろうか。
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卓上カレンダー

2006年12月25日 18時39分21秒 | Weblog
 毎年、一番、最後に買い物するのは、卓上カレンダーだ。
 時には、新しい年になってから、見つけることがある。
 予定は頭に入れられる程度のシンプルな暮らしなので、手帳に予定を書き込む習慣がなくて、卓上カレンダーに書き込んでいる。そのために書くスペースがちゃんとあるものでないといけない。
 今年は、どこだったか失念したが、「これはいい」と思って買ってきた。
 ところが使い勝手がよくなかった。

 なにせ、月曜日からはじまる。試してみようと使ってみたのだが、結局、曜日がずれるのでわざわざ欄外に「月・火・水・木・金・土・日」と書き込んだ月もあった。
 やっぱりカレンダーは日曜日からはじまる方が感覚的に使いやすい。

 というわけで来年の卓上カレンダーはまだ手に入っていない。
 なかなかちょうどいいものにめぐり合えない。

 明日は、レッスンの帰りに見つけられたらいいなぁ~
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クリスマスからお正月へ

2006年12月24日 19時50分07秒 | Weblog
 今年から、我が家の筋向いの二軒に、クリスマスのイルミネーションがついた。
 一軒は、近くに住むお孫さんのために、もう一軒は小学生の子供ために、今年から輝き始めた。
 はじめについたのはお孫さんの方。もう一軒がはじめるのは時間の問題だと思っていた。案の定、今日の夕方に、輝き始めた。

 二階から見るとどんなにささやかなイルミネーションでも、暖かな気分に誘われて、しばらく眺めてしまう。
 もののすごく華やかな電飾をする家々が、ニュースで紹介されると、「凄いね~」といいながら見てしまっていた。

「この道筋には、たぶん飾る家はないよね」
 予想が外れた。
 そうなると欲がでる。
「来年はもうすこし華やかになるかもしれない」
 かすかな期待を持ってしまうからきりがない。

 朝日カルチャーの土曜日のクラスが終わる時間は5時15分で、ビルを出るときは5時半過ぎということで、あたりはとっぷりと日が暮れている。
 たくさんのイルミネーションが年々華やかになっていくだけでなく、物語性が出てくる。

 なんとも不思議だ。
 クリスマスの電飾とバレンタインデーのチョコレートの贈り物現象。
 バレンタインはデパートの商戦だとわかっていても乗ってしまう。
 生前、野口先生もプレゼントのチョコレートの数えるときの表情は、嬉しそうだった。
 70歳はとうに過ぎておられた。

 人間の行動というのは、なかなか割り切れないところが、味なのかもしれないと思いつつ、イルミネーションを楽しんだり、バレンタインのチョコレートを選ぶのを楽しんだりしている。
 
 クリスマスが終わると、街の飾り付けが、一夜にしてお正月に変わる。
 年の瀬の実感は、弥が上にも増すというもの。
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干支の縁起置物のこと

2006年12月23日 16時50分33秒 | Weblog
 昨日、渋谷の東急本店で、福島保さんとお目にかかった。
 1・2ヶ月前にお願いしてあった「干支の縁起置物」を取りに伺った。
 来年が年男の方に、数年来、お世話になりっぱなしだったので、丁度よい機会だと思い、プレゼントをつくっていただいた。

「猪突猛進」、前進あるのみの動く置物に、小さな猪の独楽をそばに置くものだった。
 2本の旗がたっていて、なんとそこには杉浦康平氏からいただいた野口体操の「ロゴマーク」が、両面に描かれていた。

 さて、形が形だったので、その方の事務所へ、その足でお届けに上がった。
 渋谷駅から品川経由で、東京駅まで山手線に乗ったのだが、はじめてのコースだった。東京駅までは、24分で到着する。羽田に行くために浜松町へは行ったことがあるが、そのまま新橋・有楽町というのは、今まで経験がなかった。
何だか変な感じがしたのだ。たとえば銀座から地下鉄で四谷乗換えをすると、方向感覚が、一瞬、おかしくなる。それに似ていて、途中から東海道線と並行して東京駅に入っていく感覚がしっくりとはつかめなかった。
 新宿方面から中央線で東京駅に行くのがいつものコースだったので、その感覚がからだに染み込んでいることに気づかされた。一度刷り込まれた身体感覚というのは恐ろしいと思った次第。

 昼下がりの山手線は、五反田を過ぎると、滅法、乗客が減っていく。師走だというのに、のんびりした雰囲気が車内に漂って、椅子に腰をかけながら気がつくと足を組んでいたのだ。半数くらいの人が傘をもっている。なぜか携帯電話を使っている人が少なかった。こんな情景は久しぶりなのだ。

 東京駅に降り立ってからも、なんとなく人が少ない感じがした。
 年内にお届けができてよかったと胸をなでおろした。
 正月のお飾りに加えていただけたら、嬉しいのは、私だけでなく作家の福島さんの思いでもある。
「次の年男のときは、還暦だものね。たぶん?」と電車に乗りながら呟いた。
「12年後、私はいつくになるの?」と思ったが、計算しないことにした。

 しかし、なんとなく年末のこうした区切りは、嫌いではない。
 今日は、年賀状書きを終えて、投函してきた。
 いよいよ、26日の朝日カルチャーのレッスンで、泣いても笑っても2006年は暮れていく。
 因みに、27日まで作品展はやっています。毎日、福島さんは会場におられます。

 江戸独楽作家 福島保作品展
 会期:12月27日(水)まで。11時から19時(最終日は17時閉場)
 会場:渋谷・東急本店8階ギャラリー
 
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ライフワーク

2006年12月22日 19時43分44秒 | Weblog
 岩波ジュニア新書『身体感覚をひらくー野口体操に学ぶ』が、今日、校了になった。
 メールと電話で、お昼まで、ぎりぎり校正を行った。
 第三校まで、校正したのは久しぶりだ。
 読むたびに発見して、手直しをしている。

 思い起こせば、野口三千三先生が亡くなった1998年の一年前に上梓できたのが、『野口体操・感覚こそ力』だ。私にとって最初の本だ。
 このときは柏樹社の中岡民興さんという編集者の方が、本つくりの「いろは」を手ほどきしてくださった。「つか見本」という中身が真っ白の本が、手元に残っている。これは、本当の本をつくる前に、同じ紙を使った同じページ数の本をつくって、手につかんだ感じをみるもの。表紙も同じ材料で作られている。中は、何も印刷されていなくて、あとから日記でもつけたらいいのかもしれないが、そのまま大切に保存してある。
 思えばこの『野口体操・感覚こそ力』は、野口三千三先生に師事して過ごした20数年の一つの区切りになる本だった。先生の授業を再現する形で野口体操を描き出したのだが、私自身にとっても大切な「野口体操」のまとめ本となった。

 それから先生の一周忌に合わせて『野口体操・自然直伝』というメモリアルの本を同じ柏樹社から出版させていただいた。この二つの本は、後に春秋社から出していただいた。『野口体操・自然直伝』は書名を改め『野口体操・ことばに貞くー野口三千三語録』である。中身も少し変更した。

 その後、岩波書店アクティブ新書『野口体操入門―からだからのメッセージ』が続いた。これは、野口三千三先生の『原初生命体としての人間』が岩波書店現代文庫に入るのとほとんど同時期だった。

 そして、2004年には、『DVDブック アーカイブス野口体操 野口三千三+養老孟司』を春秋社から共著として出させていただいた。これは、佐治嘉隆さんのご兄弟三人がいてくださらなければ残らなかったビデオ記録とともに、生前の野口三千三先生から伺った話をまとめることができた。

 思えばたくさんの本に恵まれている。
 そして今回、1月19日発売予定のジュニア新書は、私にとって5冊目の本になる。 野口三千三先生没後、大学で「野口体操」を指導するようになって5年が過ぎた。その経験を生かした本かもしれない。これも一つの区切りとなった観がある。

 もう一冊、花王antu(中高年女性のQOLを考えるプロジェクト)が今年の春まとめた『艶ブック』は、インタビュー記事と昨年11月に行った養老孟司先生・河合隼雄文化庁長官と羽鳥の鼎談をまとめたものが載っている。このプロジェクトにかかわった4年間の記録だ。

 ということで、これらの本は、野口体操とともに生きた私の30年を記録として残ったことに、感慨深いものを感じる。
 実は、10代のころから、本を書きたかった。その思いがこうした形で実現してくれるとは、夢にも思わなかった。
 一冊の本が、本日、校了して、すでに次の本のイメージがおぼろげながら浮かんでいる。
 いつのころからか野口体操がライフワークになったのだが、本を書くこともライフワークになりつつある。

 なんだか今日は、ほっとした一日だった。
 そして、私に本の読み方を指導してくださった「都丸書店」の瀬見さんに感謝している。すでにこの世にはいらっしゃらない。亡くなられて十数年は過ぎている。16歳で神田の古書店に丁稚奉公に入り、独学でロシア語をマスターし、コンピューターを超えた書物の知識を脳に蓄えた方だった。70歳を過ぎてからも、その記憶力は衰えなかった。
 10代のころ、瀬見さんに出会わなかったら、私は、本をこれほど愛する人間には育たなかったと思う。
 ほんとうにお世話になりました。
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アメーバー型ネットワーク

2006年12月21日 19時50分51秒 | Weblog
 YKKap社の月刊誌「ザ・ネイバー」2007年2月号がとどいた。
 来年1月に出る雑誌だ。
 記憶が定かでないが、10月ごろに取材を受けていたと思う。
 雑誌のなかの「HOBBY入門」4ページの記事である。
 非常によく勉強している女性ライターさんが取材にいらした。
 一般の書店で買うことはできないのは残念だ。丁寧に作られている雑誌だ。

 その中で、面白い記事があった。
 グループの社長・吉田忠裕氏と元旋盤工で作家・小関智弘氏の巻頭対談だ。
「モノづくりの時代」。
 小関さんが次のような発言をなさっている。
「アメーバ型ネットワークといっていますが、町工場は誰が中心ということではなく、その時そのときに応じて変幻自在に形を変えながら仕事をこなしてきた。そこに町工場が集積する強さがあると思っています」

 どこかで聞いたような内容だ。
 野口三千三先生の発想は、日本が世界に誇る技術を持つ町工場にも共通するのだ。

 人間の感覚力は、磨けば素晴らしい能力を発揮するものなのだということもわかる内容を話されている。
 
『原初生命体としての人間』の発想は、ようやく理解される時代になってきたのだろうか。
 
 職人の徹底した技術は、ものすごいものだとつくづく感じる対談だ。
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怖い話…5000万円損害賠償

2006年12月20日 19時27分21秒 | Weblog
ブックマークから「健康誌デスク、ときどきギタリスト」のブログをお読みください。
12月19日:20行のコメントで5000万円の損害賠償
12月20日:オリコン訴訟、続報

世の中、いつ何時、災難がふりかかってくるのかわかりません。
一寸先は闇というのは本当の話です。
しかし、理不尽な話なので、まずはご一読を。

何もできませんが、現代の日本の出来事として見過ごすわけにはいきません。

「健康誌デスク、ときどきギタリスト」ブログアドレスです。
ブックマークからどうぞ。

http://air.ap.teacup.com/ragtime/
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見えない鎖につながれて

2006年12月19日 19時35分55秒 | Weblog
やっと大学の2007年度のシラバスを入稿した。
今ではウェブ入稿で、すませるようになった。
最初に躓いたのは、IDの読み間違えだった。「I」と「1」は紛らわしく、何度やってもエラーがでる。そこでとうとう電話をして指導を仰いだ。
それでも便利なものである。ウェブ上の指示とおりに書き込めば、それですべては完了。とはいえ、本当に入稿されたのか、心配になって、また電話をしてしまった。

人が介在して「受け取りました」とメールが来ないと安心でいないところがあるのは、年のせいだろうか。
本の原稿もメール入稿なのだが、こちらは編集者の方から返事が来るので、なんとなく安心なのだ。
とにかく19日が締め切りで、何とか間に合った。

今年2006年度春から、学生の履修登録もウェブで行われる。
世の中、すべてインターネットという鎖でつながれている。それは、目に見えない鎖だ。
野口体操の公式ホームページを開設した1998年(平成10年)は、まだまだこれほどのITの波は押し寄せていなかった。
この数年の変化がものすごく大きい。
波どころではなく、津波だ。
今のところ呑み込まれないで生きていられる。
これから先のことは、あまり考えないことにしたのだが、そうもいくまい。

行く年・来る年、今年も残り十日あまり。
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15時46分籠原行き

2006年12月18日 19時33分14秒 | Weblog
昨年は感じなかったこと。
東海道線も湘南新宿ラインも、省エネをしているのだろうか。暖房は熱くない。
昨年までは、電車に乗り込むとコートを脱いでいた。手袋などはめていると熱くなったような気がする。しかし、今年は寒いくらいだ。とくに4つドアの車両は、停車駅でドアが開くたびに冷たい空気がたっぷり入ってくる。昨年は3つドアの車両が多かったのに、今年はなぜか減っている。

一度、ゲラ校正締め切りの期日が迫ったときに、グリーン車を使ってみた。この車両は普通車両より暖かかったと思うのは、錯覚だろうか。東京から茅ヶ崎まで51キロを越えるので、950円かかるのだ。そのせいかなぁ~。

いずれにしても、往路も復路も時間帯がラッシュにかからないためにすいている。
今年は暖冬だから、それにあわせて暖房をきかせないのかも知れない。JRに問い合わせていないので、はっきりしたことはわからない。

茅ヶ崎まで、毎週、小旅行といったところ。
熱海行きや小田原行きに乗るのだが、必ず、グループで気楽な旅に出るおばさんやおばあさん達と乗り合わせる。とりわけ10月・11月は多かった。12月に入ったら、ぴたっと止まった。

今日は、年内最後の授業が終わった。
大学からのバスを降り、茅ヶ崎駅ホームで湘南新宿ラインを待つ時間、ほっと肩の荷がおりる感じがしてきた。残すところ来年一回となった。
ベンチに腰をかけ、向かいの相模線を見る。視線を右にずらすと、今まで見えなかった建物が全容を現していた。線路わきに、室内テニスコートができたようだ。かなり大きい。

何も考えずに周辺を眺めていると、15両編成の電車が、ホームに入ってきた。
いつものように前から二両目に乗り込んだ。
15時46分茅ヶ崎発、籠原行きだ。


車窓からの風景を眺め、乗っている人の人生を占い。
在来線は楽しいし、飽きない。
どうやら、旅は嫌いじゃなさそうだ。
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年の瀬

2006年12月17日 19時59分36秒 | Weblog
 この季節になると、迷うことがある。
 おせち料理だ。
 年々、食べる人が少なくなるだけでなく、食べる量も減る。
 そこで問題なのは、「黒豆」と「きんとん」である。両方とも手間隙がかかる。それだけに少ない量ではなんとなくもったいない気がする。
一袋の黒豆は、300グラム~350グラムは入っている。これを全部煮てしまうと、かなりの量だ。どうしたものかなぁ。
 きんとんは、あまり少ない分量だと、金時芋の裏ごしは、こしきに着くだけのような感じがする。せっかくつくるのなら栗も多めになどと思う。そうなると食べきれないのは目に見えている。

 それに、このごろでは味もよく材料もよく、ほどほどの分量で、市販されているから、思案のしどころである。
他のものは、分量の調節はつけやすい。

 でも、そろそろ買い物に行かないと材料がなくなる。特になくなるのは「ごまめ(たづくり)」だ。これはあまり大きいものよりは、小づくりの方がいいといわれている。町から乾物屋が姿を消し、デパートでも乾物売り場がどんどん追いやられて狭いスペースしかあてがわれなくなった。仕入れる量も少なくなって、12月も遅くなると品物がなくなる。

 そんなこんなで、そろそろ心を決めなければならない。
 先日、ボール紙にやりたいことを箇条書きにした。まずは買い物と年賀状書きをしてから、掃除に取りかかるのだろう。今週末あたりからはじめたいとおもっているのだが。

 皆さん、お正月の準備はどうなさるの?
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