羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

復活 福山龍馬

2011年01月31日 05時42分54秒 | Weblog
昨晩のことだった。
見るともなく、聞くともなく、やすませた脳に、映像と音がすべりこんできた。
しばらくするうちに目も耳も覚醒していく。
バオバブの木、猿、……、ウうううううう!
自然番組の内容もともかく、龍馬が現代に蘇って、彼の夢だった世界旅行をしている。
あの声、あの仕草、あの音楽。音楽の力は大きい。
龍馬ではない、とわかっていても「龍馬……、龍~馬……」と思いたい深層の心理が、とめどなくあふれてくる思いにひたっている時間。
NHK「ホットスポット 最後の楽園 マダガスカル」。
結局、最後まで見てしまった。まだ続くらしい。
とても自然に、「龍馬伝」からここに繋がった。
この脳の快感は、すり込まれた快感。
昨年の波長に、チューニングを少しずらしただけで、滑り込んだ甦りだった。
はまったのかな? はめられたのかな?
いいね、しばらくこのままいさせてー!


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日本の「情報」は、大丈夫か?

2011年01月29日 12時04分14秒 | Weblog
 本日の朝日新聞朝刊、第三面に目が止まった。
 IPアドレスの国際的在庫が、週明けにも底をつく見通しになってきたとか。
 よく読んでみると、日本は大丈夫なのか、と問いかけたくなる。
 そもそもIPアドレスとは、インターネットをつなげたときに、そのコンピューターを識別するために割当られる番号のこと。送信元も受信先もすべてこの番号をもとに通信が行われるネットの「土台」、と説明がついている。

 さて、この分配は国際管理団体があって次に地域管理団体から各国管理団体に分配され、プロバイダーを通って利用者にわたる。
 日本はアジア太平洋地域管理団体から振り分けられている。
 現在のアドレスの仕組みはすでに30年が経過しているらしい。すると私はほぼ半分の年月、アドレス使用していることになる、と知った。

 中国などインターネットが広がり、スマートフォンやタブレットの普及から、国際管理団体の在庫が少なくなってしまった、というのが記事の内容だ。
 在庫切れで利用者に直ちに影響が出るわけではない、という。次世代アドレスへの意向もすすめられている。日本でも総務省や業界団体がV6なる次世代対応を呼びかけているそうだ。

 しかし、中国やインドがこのV6を立ち上げてくるので、対応を先延ばしにすると新しい競争で遅れを取る危険があるらしい。
 国債格下げニュースの件で「疎いので」などとのたまう総理の国で、果たして「情報」に関して遅れを取らない保証があるのだろうか、と懐疑的にならざるをえない。
 エジプトでは携帯電話やインターネットを政府が遮断して、デモをくい止めようとしてる。遮断しても一度流れができてしまえば、おさめるのはむずかしい。エジプトが不安定になれば、当然、私たちにも影響が振りかぶってくる。

 ここで、情報が防衛の基本であることを、しっかり思い出しておこう。政府がその対応を間違えれば、国が危うくなる。
 この朝日新聞のニュースは、国の存続に関わる大切なこと、に違いない。
 
 
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Scan Snap S1500M 快調

2011年01月28日 18時49分12秒 | Weblog
 本日二回目の投稿であります。
 午前中に届いたスキャナーが使えるようになった。
 ものすごいスピードで両面が、あっという間に読み込まれていく。
 今までこうした機器を使ったことがなかったので、文明の利器に舌を巻いている有様。

 手動断裁機の試しは、明日・明後日とレッスンがあるので、週明け月曜日までお預けしよう。こちらは失敗すると本に申しわけがたたない。裁断することにも抵抗があるわけだが、そうする決意をしたのだ。手を合わせて、デジタル化に取り組む思いは変えないでいこうと思っている。
 ここまできてしまったのだから、後戻りはできない。

 明日の朝日カルチャー・野口体操講座では、1975年(昭和50年)NHKラジオ放送の「人生読本ー私の身体論 野口三千三」を、iPhoneからBOSEのスピーカーを通してお聞きいただこう、と準備している。

 
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何てこった!

2011年01月28日 06時14分25秒 | Weblog
今朝、朝日新聞の記事を読んで、情けないことといったらない、と愕然とした。
国債格下げに「私は疎いので」と、おっしゃる菅総理。
いくらギリシャとは違うとはいえ、国内ではお金はあまっているし、とかいってもこの警告は、みすごしてはいけない。
さて、ここから力を発揮してもらいたいが、誰がいるのか。
今のところ、与謝野さんに頑張ってもらうしかない!
若い人に、子供たちに、借金を残しちゃいけない、と誰もが思っているのに。
政権交代はなんだったのか、に終わらせてはいけない。しかし……。
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デジタル化ほぼ完了? 

2011年01月27日 14時00分28秒 | Weblog
 本日、今回の我が家のデジタル化計画の最後の買い物をした。
 これで、自炊が可能になる。
 先日、はじめにたずねた量販店では「ご飯を炊く炊飯器ですか」と、店員さんに聞き返された。
 まったくお話にならないまま、ほかの買い物もラチがあかず、結局のところ新宿駅西口のヨドバシカメラ本店で買い物をした。
 ここは店員さんの知識がしっかりしていて、対応が親切である。
 
 今日は、ポイントが使えるので、”これ”と決めた品物を迷わず選んだ。
 一つは富士通のMac専用Scan Snap(パーソナル ドキュメント スキャナ)S1500M。
 で、加えて断裁機も。これはお買い得品だった。品物は展示してなく箱に入ったまま積み上げられていた。一番上に「iPadでマンガが読める」と書かれている紙が貼られていたのを目にして笑ってしまった。
 というわけで我が家も自炊ができるのだ!

 これで野口体操関係の紙の資料は整理が可能となった、と思う。iPadに同期できるので、手元に置けて、さらに持ち歩ける「マイ図書館」が、もはや夢ではない。
 時間はかかるが、ぼちぼちやっていきたいと思っている。

 こうしたことが億劫でなくできる今がギリギリの年齢だという自覚がある。
 そしてちょうど電子書籍元年だし、学術書の電子化に向けた動きが各地の大学で始まっている、という朝日新聞1月24日付けで読んだばかりだ。その記事によると、〈米国スタンフォード大学図書館は、蔵書を85%減らして「本のない図書館」を目指している〉とあった。

 1月の買い物は、かなりのものだった。しかし、10年待った甲斐があるというもの。一気にそろったのだから。
 今後、これほどPC・IT、デジタル環境を整えることは、もうないだろうし、これ以上は私の力の限界を超えている。

 さて、品物が届く、明日の午前がたのしみである。
 しかし、家電とはちがうなぁ~! 設置してからが何かと設定に時間も労力も費やすことになる。その上、一人じゃ無理だしッ。周りに助けられて、なんとか使えるようになる。もうしばらくスムーズな流れが生まれるには時間がかかりそうだ。
 思いますね! 
 これだけの情熱を傾けられるのは、まだまだ若いってことかもね。強い使命感はないけれど、ミッションを背負っているという実感はある。
 電話の向こうの皆さん、しばらくは使えるようになるよう助けてください。
 宜しゅうにお頼の申しまーす。
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はまってしまった!

2011年01月25日 16時07分27秒 | Weblog
 本日、新宿に出かけた。
 私が昭和24年4月8日に生まれた家のすぐ前にあるヨドバシカメラの店に入った。
 スピーカーを見つけにいったのだ。
 最初は、携帯に楽な軽い物を見ていた。
 しかし、である。
 出力があまりにも少なくて、私がイメージしている音は求められないことが、次第に判明してきた。
 コンシェルジュの男性が、丁寧に説明してくれる。
 私の話を聞くうちに、すすめられたのはBOSEの「Computer Music Monitor」だった。
 サジさんのすすめでiPadも持参していた。そこでコードを繋いで音楽を鳴らした。井上陽水の声が良い音で迫ってくる。

 エイヤッと、腹に力を入れて、決めた。
 今、自宅にいる。
 スピーカーにiPhoneをつなげて、再生している。
 井上陽水の歌、オペラアリア、そして今週の朝日カルチャーレッスンでお聞かせする予定の野口三千三先生の話等々である。

 なかなかいい音だし、なにより操作が簡単だ。
 短い時間で一気にデジタルの世界に移行しつつある。
 あとは、もう一つ検討中のものがある。
 たぶん、乗るのだろう、と、今、予感している。
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少しずつ増えていく……

2011年01月23日 18時59分37秒 | Weblog
 昨日、サジさんからUSBメモリーに差し込むキーをもらった。
 今朝になってそれをパソコンに取り込み、iTunesに移行しiPadとiPhoneに同期した。野口体操関係の動画や音声や写真だった。
 同期されたそれらを確認して、ホッと一息ついたのは、10時を過ぎていた。
 しばらくやっていなかったことは、すっかり忘れている。確かめるのに時間がかかるのだ。ということは、何事も継続が力、ということを改めて確認した。

 さて、それからお礼の電話をサジ家にいれた。
 なんとお孫さんが、iPadで「お絵描き」したり「ピアノ」を弾いて楽しんでいるという。聞き間違いでなければようやく1歳半になったところらしい。
 すごいよね。幼子が遊べるなんて。
 で、さっそく「ピアノ」と「パーカッション ドラム一式」を無料ダウンロードした。ピアノには驚いた。最初は一オクターブだけだとおもった。が、いろいろなマークをタップすると、あれよあれよ、といろんなことができるじゃありませんか。
 まず、ピアノの音色はグランドピアノとパブピアノ(古くなって調律しても音がビヨウンビヨン)の二種類がある。
 キーボードは幅を狭くすると増えて、低音から高音まで移動が可能だ。さらに二人で弾けるマークをタップすると、二段鍵盤になる。その向きも相対と同じ向きにもかえられるから、幅を狭く設定すると4オクターブの音は楽に出すことができる。
 さらにペダル効果やキーをタップするたびにふわぁ~んとキーに施されている文字の色が丸く大きく広がって消える。ジャズコードもこれで覚えられるし、音とキーが覚えられない初心者には、片手練習で曲を弾く準備ができる設定になっている。
 誰が考えたのだろう?
 相当にピアノがわかっている人だ!そう驚くにあたらないことかもしれないが。
 次に、ドラム一式だ。これこそ部屋に置いたら三畳分はたっぷり場所をとられる。そこで石原裕次郎ばりに、指だけで叩いてみる。もちろん一式だから、シンバルだって複数ついていてそれぞれに音程が異なる。イメージトレーニングにはもってこいだ。
 階下に移動して、86歳になる母にみせて聞かせた。
「それってやりすぎよ。そこまでしなくても」
 少々水をかけられて、冷静になる私。

 お上りさん、という言葉は使ってはいけないのかな。でも、私はiPadお上りさんで、キョロキョロしては「こんなことも、あんなこともできる」と楽しんで、まさに1歳半幼児並みなのかなぁ~、と我に返って苦笑。

 近々、朝日カルチャーのレッスンで、このiPadに同期した野口三千三資料をお聞かせするつもりだ。60代後半か70代前半の声だと思う。
 今週は、携帯で持ち運べるスピーカーを探しにいこう。
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切りとれ……

2011年01月22日 08時52分03秒 | Weblog
 内心、実は、本当のところ、不安がよぎっていた。
 それは先週の土曜日、日もとっぷりと暮れた時刻。対談が始まる少し前の私の心のざわめきだった。
 ご一緒したK氏には悟られまい、と、平静さを装っていたのだ。

 対談が始まった。
 なんとも気の抜けた態度。「これって大丈夫か。やっぱりがっかりしたくない不安が的中したのか。いやいや待てよ。待ってみよう」
 ゲストの磯崎憲一郎氏の方が、立場を逆転させて、芥川賞作家というよりつとめを持つ社会人のセンスで、なんとか対談を印象悪いものにしたくない努力を払われていた。

 しかし、中盤から目覚まし付き時計のアラームがホストの中で鳴った。
 たちあがって、真の文芸批評に、真の純文学についての持論を少しずつ展開し始めた。
 三十分ほどオーバーしてその対談は終わった。
 答えたくないような質問にも、適度な悪さをしながら、やり過ごしていた。そのやり過ごし方が、何とも可愛いのだ。
 私も年をとったものだ、と嘆息しつ苦笑しつつ。ないまぜな感情を久しぶりに味わった夜!
 この俊材、逸材、俊傑、年寄りを熱くさせる若者に接して、可愛い孫を応援するおばあちゃん気分である。悪態をつこうが、だだをこねようが、傍若無人に他者をけなそうが(そんなことはしていませんでしたが、仮にそうだとしても)、カワユイのである。

 きっとスタイルを持っているからかもしれない。
 すでに佐々木中というスタイルを身にまとっているからかもしれない。
 それは文体を裏切らなかった。

 これまでにこれほど快活な哲学者がいただろうか。これまでにこれほど自由な理論宗教学者がいただろうか。二分法、二元論、を超えて超空の彼方を見据えて論を展開する文芸評論家が、かつていただろうか。
 論ずるのもよい。それもよいが、彼には小説で羽ばたくのもよいかもしれない、と悪魔のささやきが聞こえる。
 ぜひ、芥川賞を狙ってちょうだい、よ、って。

『切りとれ、あの祈る手を 〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』(河出書房新社)は、ヨーロッパ文化を内に取り込み、小気味よく闊歩しながら、切っていく先にまだわからないながらも可能性が見えてくる。
 彼が十代から二十代を生きた日本の1980年~90年代は、言葉が具体としてそこに在る身体を求めた初めてのポスト近代だったかもしれない。
 その開花期にこの才能が芽生え、そして、今、この本によって切りとられた世界観が育っていくだろうことを祈っている。たぶん、そんな予感が私をして甘~いおばあさん気分を、身体のうちにほのぼのと照らしてくれたに違いない。一週間はあっという間に過ぎた。そして『夜戦と永遠』を少しずつ読む朝の快感を得ている。
 言葉とは、世界を切りとる残酷な刃物だ。しかし、切れ味がよければ、切りとられたものは、新鮮な切り口に鮮血を少しだけ残す。その血は、決して命を奪うほどのものではなく、むしろ人の精神を受精させる命の血となるだろう。
 
 最後に、処女を奪う者は、彼女に本当の快感を教えなくてはいけない、と中さんにいっておきたい。文学という名の裸体はあなたの「中」にあるのです。
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暖房器具とピアノ、そしてパソコンレッスン

2011年01月21日 14時53分34秒 | Weblog
 ピアノを弾く部屋の暖房をガス暖房に決めた。
 授業のある期間は、落ち着いてピアノの練習ができなかった。ようやく後期の実技テストとリポート提出も、あと一クラスを残すのみとなった。
 しばらく前から「オイルヒーター」「石油ストーブ」等々も、検討の範囲にいれて、店をたずねていた。
 まず、オイルヒーターは部屋を暖めるのに時間と電気料がかかりそうだった。石油ストーブは、燃料を宅配してもらって保管する場所から確保しなければならない面倒さがあった。
 その点ガスストーブはすぐれている。ピアノに一番いいのは電気なのだが、それができない事情がある。蔵の壁の厚さだ。ここは普通の壁の優に三倍はあるだろうか。おかげでそのままの状態で防音はばっちりだし、正面の大きな扉までしっかり閉めておけば、住まいにもまったく音が漏れない。そんなこともあって蔵の壁に穴をあけたくないので、エアコンはつけられない。
 幸いなことに電話の子機での通話、Wi-Fiの電波は届く。

 しかし、調律師さんにいわれそうだ。湿気がよくないのでガスは使ってほしくない、と。来月は定期調律の月なので、暖房の準備を間に合わせるためにも先ほど買い物に行き無事に設置した。

 そこで、久しぶりに、正確に言うと四ヶ月ぶりにキーに触れた。
 ピアノはボコボコ。指はモタモタ。暖房がなかったこともその部屋に入らなかった理由でもある。
 さて、これからは弾かない言い訳ができなくなった。
 パソコンにも慣れてきたので、ぼちぼち時間をつくっていこう。
 ちなみに2月1日、Appleストアでパソコンレッスンをマンツーマンで受ける予約をした。はじめて正式に操作を習うことになる。このシステムは、Windowsのデータ移行に組み込まれている料金設定になっている。一年間有効で、一回一時間で5回程度のレッスンが受けられるようだ。すべてインターネット予約で、ほとんど空きがない状況だった。一ヶ月に二回くらいのペースで銀座通いができたらいい、と考えている。

 いよいよ本格的に始動。2011年は、年初から積極的に動いている感じがする。
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IPAd受信で文字化けする場合

2011年01月17日 19時24分51秒 | Weblog
知人からメールをいただいた。
IPadから送信されたメールは、文字化けしてしまう、ということでした。
確かめたところ、エンコードの相性がよくないことが判明しましあた。メールをくださった方が、何のエンコードを使っておられるのかわかりませんが、Unicodeに関しては問題ないようです。

で、文字化けする方のメールによると、表示→エンコード→UTFー8に変更するとよいそうです。
IPadで送信されたメールが文字化けするようでしたら、エンコードを変更する必要がありそうです。
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発想を生かすも殺すも「ボロメオの結び目」と知った。

2011年01月15日 11時49分24秒 | Weblog
 Macと密につきあった2011年の年始。
 発想をどのように現実の形にし、製品としてまとめあげていくのか。そのエネルギーを指先から体感している。
 さらに出来上がった製品から、フィードバックされた応用発想を他のものに転換していく次につなげる「連想(発)力」にワクワクする楽しさをもらった。

 十数年ぶりの「再びのMacは、浦島太郎状態だわよ!」と、おどされていた。確かに当時よりも私の髪には白いものが増えた。しかし、ことコンピューターに関しては、年齢を感じない。触れることが、試すことが、面白くて仕方がない。iPadという子機までついてきている。メールに関しては、手元に置きながら、タッチパネルの大きいキーボード(?)が使いやすく、コンピューターはいらなくなっている。そばで見ている86歳の母も「やりやすそうね。触れて軽く叩けばいんだから」と仰せになる。
 さすがにブログは、iMacの方が書きやすいことはいっておかなくちゃ、いけませんわ。

 他にも今までやってこなかったことにも、追々、なじんでみたいと思うようにまで、心が進化した。これってすごいことだよ。
 浮かんだ発想をいかに現実界に引き下ろして、形と動きをどのように「もの(実在)としての重さを与える」のか。これが重要だ。
 朝、読んでいた本の曲解をしてみよう。
「ボロメオの結び目」
 象徴界(S)、想像界(I)、現実界(R)の三つの輪が描かれた図である。象徴界と想像界の間に「意味」がある。想像界と現実界の間に「大他者の享楽」がある。現実界と象徴界の間に「ファルスの享楽」がある。
 これらの象徴界、想像界、現実界の三つの輪が、一つでも切り離せば、すべてが分離するその輪。三は三でも、東洋的な『三すくみ』の発想ではない。ここではそれぞれが絡まって、三つの輪の中心にあって、すべてが重なる場所に、小文字のaで示される「対象a」がある。

 繰り返すがぐ~と矯めて曲解してみる。
 かすかに浮かんだ発想を現実のものにしていく、少し輪郭を得た発想を現実の動きにしていく、かなり明確になった発想を他者との関係のなかで探っていく。
 そのことの解読法をMacに触りながら、実感していく楽しさを得ている、といいたい。まだ言葉にはならない、が、私の中では何かが蠢きはじめている、とだけいっておきたい。
 
『理解とは誤解のこと。意見とは偏見のこと。判断とは独断のこと。』(三千三)。お許しを!
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MacとWindows

2011年01月14日 08時49分45秒 | Weblog
 たとえば、こんなことで戸惑った私。
 Windowsでは、カタカナ変換を「F7」の変換キーで行ってきた。
 Macになったら、そこに「ビデオの後戻り」の印が入っていて、いっこうにカタカナ変換にならなかった。
 これってとっても不便!
 あまりにも初歩的なことで、私だけがこまっているのかな、と思った。
 そうはいっても不便のままでいたくなかった。「恥はかき捨て」とばかりに意を決して、受話器を取りテクニカルサポートに電話をした。他にも聞きたいことがあったし、と自分のなかでしなくてもいい言い訳をしてしまうことろが悲しいよね。
 やっぱりよかった。結果、いつもの通り、10分から15分待った甲斐があったというわけだ。
 いわれた通りに作業を行う。今では「F7」キーで楽々変換ができる。
 ところが困っている人が他にもいらした。教えてあげたいとやり方を思い出してみるものの記憶がはっきりしない。たしかAppleマークからシステム環境をクリックして、キーボードマーク→キーボードショートカットを呼び出し、そこで何かしたような気がする?????のだが、よく思い出せない。
 なんというこった!同じ悩みをお持ちの方に教えてあげられないのだ。

 というわけでパソコンの設定は難しい。
 こんな単純なことなのに。ピアノのレッスンでも先生がついていてくれるときはわかったつもり。弾けているつもり。しかし、自宅に戻って一人で練習をしようと思うとすっかりわからなくなるのに似ている。
 基本的なことがわかっていないところからくる問題なのだろう。
 ところがやっているうちに何となく開けてくることもあって、Macは感覚的といわれる由縁がわかるような気がする。
 そうはいっても教えてもらわなければ、わからないことばかりなのだ。

 ちなみに、昨日書いた「Magic Trackpad」だが、真四角の板上手前の左右の端がクリックできるところ。左側は親指、右側は小指で交互に使うと、親指ばかりが酷使されないでよいみたい。で、どちらかを押さえながら他の指を滑らせると反転ができる。例えば、小指で押し続けながら親指を左右・上下・円を描くように滑らせる、というように。これってとても楽な指使いなので、おすすめ。これはピアノを弾く感覚で探り当てた方法。親指というのは、他の指の下をくぐらせる動きが、実は自然。一オクターブ以上の音階やアルペッジョを弾くときの親指奏法なのであります。
 
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Magic Trackpadとかつてのピアノ鍵盤の思い出

2011年01月13日 07時34分50秒 | Weblog
 七年ほど前まで弾いていたヤマハのグランドピアノの鍵盤は、牛乳の皮膜を重ねて作った特殊なものだった。
 皮膜?牛乳を沸騰させると表面に薄い膜ができるのはどなたもご存知か、と思う。それを重ねてつくられた板を、白い鍵盤に使う技術をヤマハが世界で初めて開発した。
 なぜか?もともとピアノの白鍵は象牙で、黒鍵は黒檀を使うのがヨーロッパのピアノだった。日本でも大量生産されるまでは、象牙と黒檀であったが、時代とともに象牙も黒檀も手に入りにくくなったこともあり、次第にプラスティックのような鍵盤が主流となっていった。

 しかし、その素材の変化で、象牙や黒檀の肌触り(指触り)、触ったときの暖かさは、失われてしまった。そこでヤマハが考えたのが、生物由来の牛乳の皮膜(タンパク質)だった。
 1970年代だったと思うが、我が家にその鍵盤で作られたピアノがやってきて、いい感じで弾くこと一年。白鍵が次第に黒鍵に近づいてくる。
「きっと手の汚れがついてしまってる、ドキッ!」
 ピアノを習いにくる子供たちにも学生たちにも、手洗いをきつく励行した。
 しかし、全く改善は見られない。ますます黒ずんでいく。
 さすがに疑念を抱いた調律師の方が、会社に問い合わせをしてくれた。
 すると我が家のピアノだけでなく、この指触りのよい暖かい牛乳皮膜鍵盤のピアノのすべてが黒くなっている、という答えが返ってきた。
 なぜか?
 会社の説明によると、黒檀でない木材を黒檀に見せる為に着色をしていて、その染料が色落ちし、白鍵の板の肉眼視できないほど細かい溝に入って染色してしまう、ということだった。
 原因究明がなされたわけで、すぐさま鍵盤をそっくり取り替えてくれることになった。

 象牙や黒檀といった生物や植物は、たとえ生命を失ってもそこには独特の暖かさと柔らかさが残るものだ、ということを再現しようとしたヤマハはすごいのだけれど、製品として完成させるにはクリアしなければならない難しい問題が数多くあったということだ。それは市場に出て、何年間か実際に使われてはじめて結果がでてくるものだった。

 さて、今回、パソコン環境変換に伴って、私は新しいマウスならぬMagic Trackpadを選んだ。この製品、昨年末に銀座のAppleストアで最初に触れた瞬間に気に入ってしまった。金属製の板状のものでこれまでのマウスの機能にプラスαが新しいのだ。
 板の上に右手をのせて親指から小指までを使う。クリックではなくむしろiPadのようにタップ式にちかい使い勝手だ。親指はクリックに相当する。小指側も同様にクリックできる。人差し指と中指で画面を上下に移動する。人差し指(ときに中指。ときに薬指も使える)は、ポインターを上下左右回転させて移動させる。親指と人差し指で画面の拡大縮小を行う。
 というわけで五本指をすべて駆使して、むしろピアノを弾く感覚で操作できる。
 ところが先ほどの話のように、新しい製品は時に不良品がでるものらしい。パソコン起動の際に、何度試してもうまく反応してくれない。三回目を試してもダメとわかって、テクニカルサポートの方が平謝り。交換するはめに落ち至った。
 新しいのがくるまで一週間待つのか。ちょっとがっかりしたのだが、なんと翌日には配送され、不良品交換が成立したのだ。
 そんなわけで無事、キーボードのわきにおさまって、今ではこちらを主に使っている。

 しかし、難点が一つあるのだ。
 連日の寒さで触れた瞬間に金属板は冷たい。ヤマハが開発したあの思いは正しかったよなぁ~と思い出した。
 しかし、この製品に関しては、生物由来の素材はきっと無理かもしれない。まぁ、我慢できないほどのの冷たさではないところに救いがある。なぜって、触れる時間はものすごく短い。その上、ちょっとなでるだけの感覚だ。
 野口先生の名言『豊かさとは、「ちょっと、すこし、わづか、かすか、ほのか、ささやか、こまやか、……」というようなことを「さやか」に感ずる能力から生まれる』
 まったく、その感覚なのである。
 こんな触れ方は初めての体験である。
 実に、ピアノとパソコンはどこかで同じ通奏低音がなっているよなぁ~、と思うことしきりの毎日である。
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iPadで私の朝が変わった

2011年01月12日 11時17分42秒 | Weblog
 冬になるとさすがに新聞配達時間が遅くなる。
 朝日新聞は5時前に入っているが、日経新聞は6時頃に配達される。
 以前は、まず朝日新聞をとりに一回目、それから6時頃に日経新聞をとりに二回目、という風に外に出る。とりにいくといってもすぐ目の前なのだが、このところの寒さは、ブルッと身が縮み上がる。「これってからだによくないなぁ~」と思う気持ちから、一瞬の出来事でも防寒準備には怠らなかった。毛糸の帽子をかぶり、マフラーを巻いて、ダウン半コートを着て外に出ることにしている。室内が暖かくなるまでそのままの服装で新聞を読んでいた。

 それがである。新しいパソコン環境になったとたんに、朝の過ごし方が変わった。
 今までと同じように5時にはこたつのある居間におりていく。ストーブをつけ、こたつの電源を入れる。服装も同じようにしっかり整える。そこからが違った。
 思いがけず手に入った分厚い本を、メモを取りながら読む。脳がまだまだ汚染されずクリアな朝方にわずかなページだけを丁寧に読んでいる。間違っても斜め読みや飛ばし読みにはしない。
 それからおもむろにiPadを手に取って、こたつでメールのチェックをする。
 それが終わる頃には、二つの新聞がポストに投函されている時刻になる。
 部屋も十分に暖められている。そこでとってきた新聞を読むようになった。

 で、iPadは、私のコンピューターの子機の役目を十二分に果たしてくれることに気づいた。それだけではない。連絡先から相手を呼びだし、アドレスをタップすると、あっという間にメール画面に飛んでくれる。その速さといったら、目にも留まらぬ!
 そこで文章を打つ込むのだが、打ち込む文字も大きいから両手が十分に使える。その上、文字・文章変換機能が優れものだった。かなり長い文章でもいく通りかの変換形で変換キーの上にあるバーに一覧表として横並びに出してくる。その中から適切なものを、左手の4の指(薬指)で打ち込みながら、右手は次の文章を打ち始める用意ができるのだ。
 画面はiPhoneとは比べ物にならないくらいに大きいから、読みやすい。その上、文字をさらに拡大できるからもっと見やすくなる。

 いやはや、Wi-Fiとマイ・コンピューターの子機としてのiPadの使い勝手の良さを痛感している。
 といったわけで、本日は、私の冬の朝が変わってしまった、という報告でした。
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パソコン環境変換顛末記・教育維新元年か!?

2011年01月11日 07時45分38秒 | Weblog
 昨日のブログの続き。
 Air Mac Expressとの相性っていったいなんだろう。MacとSo-netはそんなに相性が悪いの?どことだったらいいのかしら。
 上席担当者から教えられて、無事にすべてが開通して以来、調子は上々である。このまま何事もなく、続行してくれることを祈るしかない。
 ところで、1月7日日経新聞夕刊第一面に次のような記事が掲載されていた。「小中学校にクラウド 生徒にタブレット端末 電子黒板に教材を配信」
 NTTが教育関連企業(ベネッセ、学研、NHK、アルク、東京書籍、セルゴ、オーストラリアの大学など)と共同で、機材やシステム開発を民間主導で行うらしい。成績管理や学習指導をインターネットで円滑にできるようにする、というもの。教師は教科書の代わりに教育アプリをサーバーから取り出し、無線LAN(構内情報通信網)を通じて生徒のタブレット端末に配信して授業をすすめる。宿題も端末に配信し、家庭に持ち帰ってできるようにする。

 政府の「フューチャースクール推進事業」が事業仕分けで「廃止」と判定されたことで、民間が主導権を握って学校教育におけるICT化に乗り出すという。
 今春には実験を始める、とある。

 で、基本ソフトはグーグルの「アンドロイド」を採用するらしい。
 この記事を読んで、孫さんはお気の毒だと思った。あれほど率先して提唱していたのに。この世界の競争は、一夜にして転落もあり得るからだ。そして「二番じゃダメなんですよ、一番出でなきゃ!」

 そうはいってもNTTは、昔の「電電公社」だから、戦う土壌が既にソフトバンクとでは話になっていなかった。出発点から難しい。それでも孫さんの龍馬魂は、ここまで突き進むことができたのだから、大したものだ。
 年が明けてはっきりしたが、NTTに加えて家電メーカーも黙ってはいない。次第にApple独走態勢が崩れるや否や、こちら側の株価はすぐにも落ちる残酷さだ。攻勢をかける方の株価は上がってくるだろうし。

 まぁ、株のことはさておき、それ以上に気がかりなのは、教育現場に携わる先生方の戸惑いと負担だ。
 現在でも心の病を得て休職している先生方がかなりの数にのぼっている。この計画が、本格導入されると、一時であっても混乱が起きるに違いない。コンピューターに強い先生は、年がら年中助けを求められて、ご自身の授業や仕事にはならなくなってくる。情報を巡る校内格差が、拡大する可能性がありはしないか。
 さしあたって私のこの4日間を振り返ってみると危惧されるところだ。
 いくら上からのお仕着せで何とかなるとしても、生徒に直に対応する教師にどのような出来事が降り掛かるかわからない。
 それでもすでにこちらの方向への舵は切られた。ある意味での「教育維新元年」かもしれない。

 私としては、それを知っていて我が家の環境を思い切って整えたわけではなかった。何となくの勘で、個人でできることをできる範囲で行っておきたいと数年前から考えていた。しかし、家電とは違う。買って据え付ければそれで「使える」という代物ではない。
 大事なことは、きめ細かく、そしてさりげなくICT(情報通信技術)について教えてくれる友人知人の存在である。今回もサジさんには、お世話になっている。もうしばらく面倒をおかけします。この場を借りて御礼。
 
 
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