羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

至福!名付けて「知子・ふれあいヨガ逆立ち」

2015年04月29日 13時22分01秒 | Weblog
 それは偶然に訪れた至福だった。
 否、いくつかの伏流が一つにまとまって、訪れた至福に違いない。
 いちばん遠い記憶は、哺乳類が胸骨を得て肋骨がまとめられ、胸郭の底をふさぐように横隔膜がつくられた新生代まで遡る。当然、ヒトはまだ存在しない。

 まッ、そのことは一時お預けしておこう。
 極極近い過去に話をすすめる。
 どのくらい近いの?
 二週間もたっていない、近さ。
 4月18日、土曜日の朝日カルチャーセンター「野口体操講座」での出来事だった。
「脊柱・肋骨・胸骨」+「横隔膜」、つまり胸郭部をテーマにした一回目のレッスンだった。
 ヨガの逆立ちをしていたときにその最初の至福体験がもたらされたのである。
 残念なことに、私は、その出来事を目の当たりに出来なかった。
 女性グループの数名が、興奮している。ただならぬ声をきいて、何が起こったのか話を聞きにいった。
 まず、Sさんが幇助をされながら野口流ヨガの逆立ちをしていたらしい。立っているあいだに傍にいた知子さんが、Sさんの下半分ほどの肋骨を中心に鳩尾あたりに手当をしたらしい。しばらくしてもう一人加わったかもしれない。
 逆立ちからおりてきたとき、Sさんは生まれ変わったような目の輝きになったと聞いた。
「ものすごく気持ちがいい」

 一応、レッスンを終わらせてからも、その興奮はさめやらない。
 するとKさんが「僕も体験させてください」と申し入れた。
 その場でヨガ逆立ちをして、数名の女性が彼の胸郭にやさしく手当した。
 みるみる呼吸とともに逆立つ真っ直ぐさが変化していくのが手に取るように見えてきた。
「これはすごそうだ!」

 一週間後の25日には、「テーマ・胸郭部2」を準備して、私自身も体験させてもらう算段をして出かけていった。
 レッスンの後半、30分のところで、「知子・ふれあいヨガ逆立ち」を皆さんに体験していたく。
 まず女子会グループに紛れ込んで、試させてもらった。
 いやはや、気持ちいい。最初のうちは立った状態で腹式呼吸を意識的にやってみた。
「羽鳥先生、呼吸は意識しないで、そのままそっといてください」
 そのことばに任せて、数名が手当てしてくれている“ぬくもり”に浸ってみた。
 からだ全体がふわ~っとしたあたたかな空気に包まれた。そのぬくもりはからだの内側にじわりじわりと染み込んで来る。
「え~、え~、こんな気持ちよさ~~」
 ことばは消える。
 からだの輪郭も消える。
 おもさも消える。
 ぽかぽかとまるごとのからだが温かくなる。
「おりたくな~い」
「このままいつまでも、こうしていたい」

 いくつの手が差し伸べられたのかもわからない。
 つつまれて、あたためられて、至福。
「こんな素敵なヨガの逆立ち、ってあるんだー」

 男女二手に分かれて体験してもらったが、終わった時には、いつも以上に笑顔にあふれた教室だった。
 いつも以上に話が弾んでいて、その声が明るく楽しそうだった。
 これはすごい!

 知子さんが手当したことがはじまりらしいが、詳しい話をきくこともしないで、25日は帰宅してしまった。
 5月2日に、伺ってみよう。
 私自身、野口体操40年目にして、はじめて味わった至福の逆立ちである。
「あれッ、野口先生も未体験の逆立ち感に違いない。え~、それは残念」
 野口先生は、独りで立てることだけが逆立ちの意味ではない、とおしゃっていたではないか。
 まったく独りでは味わえない境地なのだ。
 いやはや、今日のところはまとまりませんわ。
 再三、書きます。
 名付けて「知子・ふれあいヨガ逆立ち」であります。
 つづく。 
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春の苦味

2015年04月21日 08時52分29秒 | Weblog
 朝取りの蕗をもらった。
「茎は細いので筋とりはしなくてもいいかも知れません」
 帰宅し包みを開けると、その瞬間から、春の匂いが届けられた。

 さて、大きな鍋に水をはって、ガスコンロにのせる。
 湯が沸くのを待つ間に、下準備をしながら、葉の様子を特に丁寧にみておく。
 いたんでいる葉もなく、少し厚みがあって柔らかな感触に、八百屋のものとは違う、としばらく指先でまさぐってみる。

 最初に茎だけを茹で上げ取り出し、続いて葉を湯の中につける。
 長めのお菜箸で浮き上がっている葉を下におして湯に浸す。
 しばらく待つうちに灰汁が出て薄茶色に変わっていく。
 そろそろか、と頃合いを見計らって、葉を一枚とりだし、小さく端をちぎりながら冷まし口に運ぶ。
「柔らかい。でもくたくたではないから、これが新鮮というもの……」
 茎もそうだった。火の通りはとてもよく柔らかいが、蕗独特のシャリシャリっとした触感は失われていない。

 さて、葉は思いのほか苦味が強く、しばらく灰汁出しをすることにした。
 ときどき水を替えながら、他の調理をおこなっていく。

 蕗の葉の佃煮は、春の味覚そのものであるから懇ろに調理したい。
 細かく刻んだ葉に、酒、砂糖、醤油をひたひたよりも少し多めにいれて、火にかける。ぐらぐらとしてきたところで味見をする。
 苦味が少し強い感じがあって、少量の昆布と鰹出汁に砂糖と醤油を加えて、いつもより濃いめの味付けに調節をする。それでも香りは失せないから、朝取り新鮮が証明される。
 殆ど汁気がなくなったら、焦げ付かせないように、更に汁気がなくなるまで煮詰めていく。
 カラカラの手前で火からおろし、すりごまと削り節をぱらぱらとふって器に盛りつける。

 炊きたての白米に、こんもりと蕗の佃煮をのせて、一口食べた時の「春の苦味」は、これを美味と言わずしなんとしょー。
 ほどよい苦味は、春のからだが欲する味わいなのだ、といつも思う。
 今朝は長ネギのあっさりしたみそ汁に、蕗の煮物、蕗の葉の佃煮、人参+大豆+あげ+ちくわ入のヒジキの煮付け、魳の干物、甘い卵焼き、蛇腹に切った胡瓜の甘酢漬けで、一日がはじまった。みそ汁と魳以外は、昨日の夕餉の残り物、作りおきしたものだった。
 苦味・酸味・甘味・塩味、醤油味、味噌味、出汁味、舌の上にのせて、それぞれを味わう朝からの贅沢。
 とりわけ春の苦味は格別で、実に、ご飯がおいしいのであります。 
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隠れた能舞台にて

2015年04月18日 11時28分39秒 | Weblog
 おそらく能の世界の方には、よく知られたところなのだと思う。
 昨日、ソニービルの先、銀座六丁目にある「銀座能楽堂」で、幸田弘子の語りを聴いてきた。
 まず、驚いたのは、能楽堂の響きの良さである。
 幸田さんの朗読会に通いはじめて、かれこれ40年近い年月が流れた。
 上野・本牧亭からはじまって、渋谷の東邦生命ホール、三宅坂の国立劇場、紀尾井ホール、最近では座・高円寺等々、さまざまな舞台で彼女の朗読を聴き続けてきた。
 どのホールもよさがあって、その都度工夫を凝らした舞台に、朗々と声が響き、作品の世界に酔わせていただいてきた。

 ところが、これまでの舞台にはない、能舞台特有の異空間、超時間が流れるところで語りを聴く贅沢を知ってしまった。
 これは、いままで体験したことのない能楽堂の楽しみだ。

 小鼓は今井尋也さん。マルチパフォーマンスアーティストの方だった。
 小鼓は空間を剥がし、時間を刹那で切る。かと思うと無形・無音の「間」が「にごりえ」の悲劇は、ほんとうは昇華劇であることを暗示する。
 聴く者にとっては、幸田一葉の言葉と小鼓の音と声は劇的な意味を失い、ただ彼岸へと誘われ、カタルシスによって許しの境地へと導かれるのだ。
 そうだ、一葉のこの作品は、ギリシャ悲劇にも通じる。ただしギリシャ悲劇と異なる点は、そこに神々はいないこと。いるのは人、ただ人のみ。
 死をもって、生と性を制する。
 その一部始終をみていた大きく赤い月が全てを呑み込んで、何事もなかったように日常を町にもたらすのだ。

「“にごりえ”はこんなに恐ろしい物語だったのか」
 終わったとき、私は、つぶやいた。
 一葉、奇蹟の十四ヶ月に紡ぎだされた作品は、描かれる個々の人、一人ひとりのやるせなく救いがたい“強・情”の深さを筆にのせたものだったのだ。
 あの若さで、目にしたもの、耳にしたことは、ただ事ではない日常の恐ろしさだった、と気付く。
 二十四歳で亡くなった一葉が生きた時間は、何倍も、何十倍も濃密な長さを秘めた時間で、その時間と空間のなかで、生きる地獄を見たに違いない。一葉の生そのものが底なしの沼だった、と知った。
 
 この能舞台で演じられてきた幽玄能の積み重ねが、一葉作品に新しい地平を開いてくれたように思えた。
 心地よい緊張感のなかで、声の言葉に浸り、鼓の音に時空を超える贅沢をもらった。
 
 芝居がはねて、ビルをでる。
 一陣の風が銀座の街を吹き抜けていく。
 するとそこは下町・新開の銘酒屋「菊の井」のお力さんが佇む悪所と化した。
 危ない、危ない。
 これが芝居の怖さなのだ、と思わず肩を縮めて息を殺す。
 通りの向こうに視線を投げてから、ふーっと、息を吐く。
 そして静かに余韻を呑みほす春の昼下がり。
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老いる

2015年04月15日 07時09分43秒 | Weblog
 4月13日(月)日経新聞「文化往来」に劇団四季の浅利慶太氏が、劇団を離れ個人事務所を中心に活動する記事が出ていた。
 Web上で様々な憶測も交えた話を読んだ。

 なんとも複雑な思いだ。
 参宮橋は四季発祥の地。まだ稽古場が残っているらしい。
 40年以上前にここでミュージカルの練習ピアノや入団試験で、浅利さんの隣でピアノを弾いていた頃を思い出した。40代を目前にして、壮年期の充実感が漲っていた演出家で経営者としての才も併せ持った方だった。
 団員に給料が払える劇団を目指した。当時は、フランスを中心にしたセリフ劇を上演していたなかに、ミュージカル作品や越路吹雪のドラマティックコンサート等々が混じっていた。自分たちの上演したい作品を継続公演するために、ミュージカルに挑戦し、越路さんに支えてもらっている劇団だった。

 いつからか四季といえばミュージカル劇団、ということになって、大企業の一員に躍り出た。
 昔を知る者としては、浅利さんの残念な思いもわからないでもない、が。

「ショーほど素敵な商売はない」
 稼ぎ頭のミュージカルに、いつの間にか席巻されて、呑み込まれていったのだろうか。
 給料は払えるようになった。しかし、何かが失われた劇団との軋轢は、老体には厳しいはず。
 真の事情は皆目見当がつかない。が、誕生の地に戻って再出発とのこと。
「昔の小劇団に戻った気持ち」とおっしゃる。
 セリフ劇への初志を貫徹する意向ーと記事にはあった。

 老いてますます盛んならば結構なことだが、Web上で発信される一連の情報には、一抹の寂しさを禁じ得ないのが正直なところだ。

 ラシーヌ、アヌイ、ジロドゥ、そしてサルトル等々、日生劇場の舞台が懐かしく、走馬灯のごとく甦る。
 かつての一ファンも65歳を超えて、高齢者の仲間に入ってしまった。
 舞台は回り、時は過ぎ行く、ああ無情!
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雑感……

2015年04月13日 12時18分32秒 | Weblog
 寒暖の差も激しく、雨も多いこの頃。
 先週の月曜日の晴れ日には、単なる鉢植えと化した盆栽の植え替えを行った。松と真柏は今年も見送ってしまったが、小鉢や中鉢の他去年しなかった花梨と紅葉が植わっているやや大きめの鉢物を思い切って植え替えた。
 そして、昨日の日曜日には、蔵のぐるり、生い茂った龍の髭や鞍馬苔を間引きし、雑草を抜き、曲がってしまった木瓜の4本の支柱を立て直したり、紅葉の枝をおろしたり、半日の作業でよしとした。
 数年に渡って左手の親指の付け根を中心に腱鞘炎で家事が億劫だったが、植え替えや蔵周りの掃除でも気にかからずに終えられた。きっとまだ時折通っている鍼灸の治療と、自宅でのお灸の効果が出ているようだ。
 その上、別件だが「野口流ヨガの逆立ち」を練習していると、背骨がすごく柔らかくなったような気がする。いや、背骨の周辺がほぐされてきたのだと思うが、表現としては背骨が一つずつ方向を変えて、重さを受けてくれる様な実感が持てるようになった。おそらく昨年末から感じていたことだが、鍼灸効果も手伝っているのは錯覚ではないと思う。

 そして雨の日は読書。
『身体はどうか変わってきたか』アラン・コルバン 小倉孝実鷲見洋一 他 藤原書店
『日本人の身体観の歴史』養老孟司 法蔵館 いちばん読みやすかった!親近感が湧く本。
『ナチスのキッチン』藤原辰史 水声社

 授業がはじまる前に、読み終わってよかった。
 長年の懸案だった野口体操の問題も、方向が見えはじまった。
 基本は「自立した個人がゆるやかにつながる」こと。
 法人化もすすめられたが、あまりしっくりこないと思う気持ちが明確になった。個を大切にする野口の思いを、もうもうしばらく尊重していきたい気持ちを押してくれるのが養老先生の本だった。
 グローバル化に背を向けるわけではないし、外国人の参加を断ることはしないが、「ローカル・スタンダード」としての野口体操のあり方を探ってみたい。
 英訳は、その道のプロの方におねがいして、体操の意味を深めるために始めてみるのも悪くなさそうだ。
 日本語というより“野口体操語”でしか表現できない言葉は、注をつけてそのまま使う方法を採りたいと思うのだが、いかがだろうか。
 
 さて、今日も雨。
 本日は、朝から大学の事務に電話を入れて16日から始まる授業のために、枚数の多いレジュメ印刷をおねがいした。
 午後には大学まで行くつもりだったが、データを添付ファイルするだけでよい、ということで思いがけず自由時間をいただいた。

 それで本格的に降り出す前に、はやめの買い物をすませ、皮付きの筍と蕗を仕入れてきた。筍には糠もついているので、茹で上げてそのまま冷めるのを待っている。夕方には煮物を始めたいと段取りがついたところだ。

 というわけで春学期の準備が整いつつある。
 アッ、ゴールデンウィーク前には、もしや、ゲラが来るのだろうか。それとも連休明けだろうか。どちらにしても6月には『野口体操入門』が現代文庫から再刊される。
 野口先生への墓前報告も終わっているし、心置きなく過ごしたいのだが。
 一つ心配ごとは、知人の癌治療経過である。こればかりは、何もしてあげられない。無念である。
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ある本を読んで、チャップリン映画を再視聴したくなった!

2015年04月11日 09時17分04秒 | Weblog
「健康」は永遠のテーマである。
 富裕層向けの冊子に「Health Tourism」つまり健康をテーマに、旅の“沖縄特集”が組まれていた。
 ものすごく贅沢な空間と時間のなかで、人の手によってもたらされる至福を味わうもの。
 
 次は、Appleがウエアラブル端末時計を発表。伊勢丹百貨店には、行列ができたらしい。心拍数や運動量がはかれる。これも「健康」がキーワード。

 極めつけは4月9日夜7時から二時間スペシャル。
「笑点」メンバーの人間ドック体験でだった。
 大喜利まであって、個人の仕事や暮らしぶりや趣味も紹介。人間関係あり、歌丸さんの半生を描き、円楽さんとの本当の関係を暴露。
 全体をとおして、笑いあり、涙あり、健康情報あり。
 国民的人気番組50年目に突入で、あらためて国民に『「健康診断」「人間ドック」を受けよう!』キャンペーンだった。深読みしたくなる。かって日テレの原発安全神話キャンペーンを思い出すのは、穿ち過ぎか?な。

 かくしてお金持ちから一般大衆まで、国策としての「健康」情報満載の4月である。
 決してわるいことではない。間違ったことではない。
「健康は人生の幸せの条件」だから。
「社会保障の破綻」を食い止めるためにも、一人ひとりが「健康維持・健康増進につとめるのは、国民の義務」なのだから。

 しかし、今週、私は「禁煙 禁酒 菜食」、『健康と清浄な身体に取り憑かれた政権』ナチスに痛烈な言葉を投げかける書物に出会った。強烈なインパクトで、頭を殴られた。そんな本に出会ったことを報告したい。

 書名『ナチスのキッチン』
 著者 藤原辰史
 出版社 水声社 
 
 正直に告白しよう。読んでいるうちに、膨大な資料の波に呑み込まれそうになって、途中で道に迷いそうになる。ただその資料によって、より現実が忍び寄って、全体主義、国粋主義の怖さが伝わるのである。
 ただし「序章」と「あとがきにかえて」は、読みやすい。感動の一言である。
 第一回「河合隼雄学芸賞」をもらった意味が、ここでしっかり理解できるのだ。

 要約はむすかしい。ノートから抜粋をここに書いておきたい。
 まずは、ナチ政権は国策として、主婦(第二の性と看做す女性)を狭い台所に閉じ込めて、食材を無駄なく調理させ、強靭な肉体を持つドイツ兵を支える。つまり国家に奉仕するカリスマ主婦をつくりだした。
 1に、栄養学による科学的支配。
 2に、ナチスの事情による構造的支配。
 3に、道具による支配。

 料理は「健康によいか悪いか」「塩分が多いか少ないか」「ヴィタミンが多いか少ないか」「頑強な兵士になるかならないか」が基準となる。これがダイエットの基本だという。
 さらに感情を交えず家事に打ち込むことを強要し、マイスター主婦は女性のヒエラルキーのトップとして、彼女たちは情熱も感傷もなくひたすら任務を遂行する「精神なき専門人」として働くことを命じられた。
 ドイツ人主婦(女性)に『家族のため・民族のため・国家のため』に闘っている幻想の中で、仮想の「誇り」を持たせた、と著者の言葉は激しい。

 第一次世界大戦期、ドイツは飢餓状態に見舞われて、76万人の餓死者を出した。その歴史の中から、亡霊のように立ち上がってきたのがヒトラーだったことが、「台所」というなくてはならない場の歴史で知ることになる。
《淡々とした日常に入り込んで人々の心を動員していく力、狂信的なナチズムを台所を通して暮らしからにじみ出る日常的なナチズムこそ恐ろしい》
 著者の言説は終始鋭いのである。

 現代、憧れのシステムキッチンは、できるだけ無駄のない動線で狭い空間でも調理を可能にするために考えられた、ことを知った。
 ヒントは食堂車のキッチン。思想基盤は「テイラーシステム」ーアメリカ機械技師テイラーが提唱した科学的見地に基づいた労働政策理論及び運動、だそうだ。台所の工業化を行い、ひとりの労働者が働く場につくりかえる。日本では公団住宅に取り入れられ、今では高層マンションのシステムキッチンそのものである。
 テイラーの考えは間違ってはいない、しかし大きな問題は、労働者を人間として看做さず、動物として訓練馴らすこと、だと捉えていたことだ。これだけでも問題ありだ。
 更に著者は、民族主義をとるヒトラーの矛盾をつく。

 全てが間違っていない。たとえば家事の合理化、テクノロジー化。
 それは合理的キッチンに見合った“電化キッチンにマギーブイヨンにベーキングパウダー”によって支えられる。調理労働の単純化が実現する。

 だが、この本を読んでみると、頭を抱えてしまうのだ!
「あとがきにかえて」で極まる。『夜と霧』を引用する。
《ナチスの強制収容所にもキッチンはあった。中略、基本的には一日一回のスープとパンで、重労働に従事するエネルギーを体内に蓄えた。中略、囚人たちは法的な外に置かれていた。それでもナチスは、彼らや彼女たちの台所まで奪いはしなかった。》
 強制収容所にさまざまな企業の工場を併設したらしい。そこで
《人間の基本的な権利を奪われたアウシュビッツの囚人たちを、コストの極めて安い労働力として利用したのだ。》
 著者は『夜と霧』を再読して気付く。
《コストの安さの秘密は、自分自身を食べることにあった。中略、自分の肉体に残っている脂質を筋肉組織を、刃物も火もレンジもいらない究極的な台所の合理化といえよう。中略、「人間のなかに台所を埋め込むこと」と「台所に人間を埋め込むこと」ーそれぞれ台所の合理化を強制させられた囚人と主婦は、なるほど「たしかに、まったく次元のことなる存在であった。かたや国家の保護の外に置かれた人びと、かたや国家の保護の内にいた人びとである。しかしながら、私は、この両者のあり方に、近現代人が求めてきた食の機能主義の究極的な姿を認めざるをえない。どちらも、人間ではなくシステムを優先し、どちらも「食べること」という人類の基本的な文化行為をかぎりなく「栄養摂取」に近づけているのだ》
 
 いやいや、まさに現代社会のお粗末な食生活の有り様を見せつけられた。
 この先に見え隠れするのは、台所と食事を放棄する社会なのだろうか。そんなことにはなるまい、と祈りをこめて否定する私がいる。しかし、町から、その場で、ご飯とみそ汁+一品のおふくろの味+漬け物といったものを調理してくれる「定食屋」が姿を消している現実を目の当たりにしている。
 う~ん、ここまで読んで、涙が止まらなくなった。
 そして涙のしずくの中に、チャップリンの姿が顕われた。
 かつて日劇で上映された「チャプリンまつり」を観た。その時の姿だ。
『モダンタイムス」、機械文明を痛烈批判した映画だったことを改めて思い起こす。
 労働者の尊厳が失われていく世の中を、笑いで表現し、最後はなんともやりきれないが、どこかに哀感とともに救いを見つけた。1936年の作品というところが、今となっては、いやこの『ナチスのキッチン』を読んだ今となっては、すごい映画だった!と歓声を上げたくなった。

 そこでもう一つ思うこと。
 野口三千三が、制服を持たない。音楽に合わせてみんなで揃える体操はしない。
『野口体操は“個の自由”を求める体操である』
 戦争のなかで生き、敗戦という苦い経験を経て、たどり着いた「野口体操」の意味を、私なりに深くからだに染み込ませている。
 野口と同じように「自立した意識を持つ自由な個人を育て、ゆるやかにつながっていく社会」を著者は提唱する。
 しかし、個人は弱い。弱くても生きなければならないよねー。

 あぁ~、本来の食を取り戻し、体操もしかりだが、もう一度、チャップリンの映画を観なおしたくなった。
『独裁者」もあったし、……そうだ、「Limelight (街の灯火)」の音楽も聴きなおしたい。
 私は、きっと、泣くだろうなぁ~。
 私は、きっと、祈るだろうなぁ~。
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満開の墓参り……寛永寺にて

2015年04月02日 20時05分42秒 | Weblog
 午後から神田で仕事の打ち合わせの予定がはいっていた。
 そこではやめに自宅を出て、鴬谷から寛永寺の第二霊園にある野口先生のお墓参りに伺った。
 桜は満開。見事に咲き誇っていた。

 一組の父娘らしき親子連れが墓参にきているだけで、他には人が見当たらない。
 静寂そのもののなかで手を合わせ、「野口体操101」の報告を行った。
『野口体操入門』再刊のこと等々、よき報告がいくつもあった。

 それから国立博物館の横を通りながら、上野公園へと歩みを進めた。
 先生と何度も通った道。
 歳月は記憶を美しい幻影にかえてくれるようだ。決して幻影ではなく、現実に起こったことなのに、不思議な感覚に浸されてしまった。

 いよいよ上野公園に入って行くと、次第に花は喧噪に包まれる。
 大道芸がそこかしこで披露され、拍手や歓声が上がっている。
 動物園の前まですすみ、先を眺める。
 花のトンネルが空の青さに溶け込んでゆく。

 ここは野口先生の野辺送りの暮れ方に佐治さんと歩き、亡くなった井上修美さんとも歩いたことがある。
 どんなに多くの花見客でごった返していても、一人歩くうちに何も聞こえなくなる。
 折からの風に散らされる花びらの音が、亡くなった二人への鎮魂歌を奏ではじめた。

 上野の桜は、散華であり、祈りであり、やはり哀しみである。
 移ろう季節に、淡い花の色に、そして儚さの向こうに、彼岸をみたような気がした。
 
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99-100、そして野口体操101の幕開け

2015年04月01日 07時03分08秒 | Weblog
 昨日、朝日カルチャーセンター立川校で、一回の「野口体操講座」を終えて、担当の緑川さんとの別れ際に
「いい101の出発ですね」
「えっ、101?」
 野口三千三先生の生誕百年+1年、というわけだ。
 99からはじめ昨年が100年、そこで終わらずに、気を抜くこともなく過ごせたでしょう、という激励の言葉だった。
「再刊される本の原稿を書かれたり、フランスから野口体操をリサーチする御仁があらわれたり、野口体操の会として英訳の一歩が踏み出せたり……、ぼんやりしていられませんね」
「そうやってみてくださっている人がいるなんて、嬉しいわ!」

 野口先生の告別式の日も、上野鴬谷の桜は満開だった。1998年4月1日のこと。
 
 本日から『野口体操101』、あらたな気持ちで幕開けとあいなりました。
 まずは103に向かって、秘めた思いがありますの。
 皆様、よろしく!
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