羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

カルメラつくり

2018年11月10日 07時22分35秒 | Weblog

会報『早蕨 SAWARABI』Vol.4は、お一人からの校正返事を待つのみとなった。

今回の「野口三千三伝」では、先生のお兄さんが作ってくれたカルメラ焼きの話から始めた。

今夏、原稿を書くにあたって、私も実際に作ってみた。

難しく失敗を繰り返し、たった一個だけうまく焼けたところで止めることとした。

材料:

* 砂糖大さじ 2 * 水 15ml  *  重曹 適量

作り方:

お玉に砂糖+水を入れて、火にかける。(炭火ならもっとよし)

きつね色になったら日から話す

泡が少し収まったところで重曹を投入。

火から少し話したところで、泡を潰す感じで100回くらいかき混ぜると一気に膨らむ。

固まったらお玉の底を再び火に炙ると丸い形のカルメラがすっと剥がれる

冷ましてから食す。

全行程を通して、単純であるゆえの難しさがつきまとう。

特に、言ってみれば、割り箸の先にほんの少しつける重曹の量と、入れるタイミング、かき混ぜる回数である。

いたってシンプルな材料からなるカルメラは、砂糖の甘さに加えて重曹のかすかな味が、人生のほろ苦さを感じさせてくれる。

大人になった三千三少年は、池袋の駅ナカで売られていたカルメラをほうばって、何を感じていたのだろう?

私もご相伴にあずかったことがあった。

お兄さんの話を伺いながら・・・・

懐かし!

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繰り言・・・荷風散人の目で東京を歩くと・・・

2018年11月09日 07時00分40秒 | Weblog

日和下駄をつっかけて、自由気ままに東京を歩く荷風散人の目を携えて、歩いていると『冷笑』の意味が何とはなしにわかるような気がしてくる。

1905(明治38)年に渡米し、一時、華盛頓・ワシントンDCにも滞在したが、紐育・ニューヨークを中心に1907(明治40)年まで暮らした荷風は、この年に仏蘭西に居を移し翌年の1908(明治41)年7月に帰朝した。

その後は作家として、「あめりか物語」「ふらんす物語」ほか海外体験を描き、じかに欧米を見たその目で東京の町を散策し、日本の近代化文化を冷ややかに眺めた作品を残している。

明治45年の期間では、明治政府は盤石とは言えない。

まして、大正期に入ってから、君主を支えることに頭を悩ませたはずである。

そのままでは国は危うい。

帰朝した明治末期から大正にかけて、荷風さんに見える東京の町は、何ともはや“ 張りぼて”に過ぎないと映っても不思議はない。

なぜに、政府は絵画館に展示するプロパガンダ絵画制作に、あれほどの情熱を傾けたのか、傾けざるを得なかったのか。

荷風さんは知っていた!

幼少の頃、アヘンでやられた上海を知っていただけに複雑な思いで、張りぼて近代文化を眺めていたに相違ない。

 

1909(明治42)年に、なぜゆえに、当時の日本近代建築の雄として東宮御所(現在の迎賓館)を完成させたのか、させなければならなかったのか。

荷風さんはわかっていた!

だから、“張りぼて文化”の東京を「冷笑」することで、作家として立って行くしかないと、覚悟を決めた。

いや、江戸期の文化がどれほど成熟し、どれほど内容の深いものであったのか、荷風さんは知っていたのだ。

私は、これまで見てきた東京の近代を思い出す。

昭和30年代始めの赤坂離宮は、全くもって荒れ放題であった。誰も気にも留めないし、目にとめない無残な状態だったことを思い出す。

止めていられなかった。復興に全精力を傾けていくしかない敗戦後であったから。

 

そして、今、2回目のオリンピック2020に向けて、急速に変化してゆく東京の街に埋れてしまいそうな近代の東京を見ていると、荷風さんの嘆息が聞こえてくる。

江戸が壊され、ピッカピカの近代が、それこそ突貫工事で造られていく。その姿に、懐かしさ以上の感慨を持って、江戸回帰したくなる心情もわからなくもない。

『断腸亭日乗』を綴り、それを後世に残したことが、荷風さんのいちばんの仕事だったのかも知れず。

 

昨日、赤坂見附から三宅坂方面を見上げて、思った。

「外からは攻めにくよなー」

この勾配では馬は登れない。歩兵は石を投げられるだけで弁慶濠に墜落してしまう。

 

昨日、喰違見附を歩いて通って、思った。

「外からは攻めにくよなー」

入り組んで狭いところを馬はもちろん、歩兵ですら武器を持ったら二列にも並べない。

 

昨日、歩き始めに三宅坂から桜田門方面をまず、拝ませてもらって、思った。

制度疲労を起こし、汚職がはびこったとしても、江戸の人々にとっては、まさか徳川の千代田の城が落ちるとは信じられなかったに違いない。

黒船の恐怖だけで、幕府が崩壊するとは、江戸の人々にとっては、信じがたいことだったに違いない。

人智を超えた、なにがしかの力が働いに違いない、と・・・

 

おっと、繰り言はこのくらいにして、本日の仕事にかかりましょう。

でも、もうしばらく荷風さんに寄り添ってもらって、変貌を遂げる東京の街を歩いてみたい、と密かに思っている・・・ 

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三宅坂から赤坂見附、迎賓館まで散策

2018年11月08日 13時51分37秒 | Weblog

本日、三宅坂から国道246、青山通りを歩いた。

これまでに渋谷からは青山一丁目そこから表参道への道。

また、赤坂見附から青山二丁目へ、右折して明治神宮外苑への道。絵画館見学も行なった。

今朝は、三宅坂の勾配がどの程度なのかを体感したくて、赤坂見附まで歩いた。

最後のところで非常に急勾配だった。

これで、片側3車線の大通りを全て歩いたことになる。

三宅坂から渋谷までの青山通りは、まさに軍用道路であることを確かめたかった。

一つには、昭和11年の二・二六事件の道のりを歩いてみたかった。

この年、短期現役兵・師範学校の専門部の学びも終えた野口三千三は、群馬・高崎の小学校で本格的に訓導となった。

そして明治神宮外苑・明治神宮、青山練兵場、代々木練兵場、この地理感覚がよりはっきりした。

代々木練兵場の端、西原には体育研究所、のちの東京体育専門学校があって、戦争末期に上京した野口がいた時間の流れをおった。

さて、本日は、赤坂見附から横道にそれて、弁慶橋を渡って、紀尾井町へ向かい、ホテルニューオータニを左手に見て、「喰違見附」を渡った。

渡った先には、赤坂離宮の東側の門があって、ぐるりと回り込むと正門に出る。

ちょうど団体さんがやってきた。何となく後ろについて歩いていくと、赤坂離宮の西門から離宮内に入っていくではないか。

そのまま行列に並んで、金属探知機を通り抜け、入場券を買って建物内を見学。

一通り見て回って、庭園へと出ると天気も良く清々しい秋の空気に包まれた。

庭園から建物を眺め、噴水の水しぶきを浴びる。

思いがけず明治からの東京を、本日も味わった。

欧化政策に躍起になって、背伸びをした日本人がいた。

その行き着く先の一つが1945年の敗戦だったのか、と思うと複雑であります。

本日の収穫。

それは、初めて江戸城内郭と城下を取り巻くように造られた延長約14キロの濠。

そのうちの4キロが史蹟指定されていることを知った。

4キロ範囲の江戸城外堀跡の史跡は、赤坂見附、喰違見附、四谷見附、市谷見附、牛込見附であるが、喰違見附以外は、子供の時から馴染みがあった。ちょっと調べてみた。貼り付けます。

1612(慶長17)年、甲州流軍学の創始者・小幡景憲(おばたかげのり)によって縄張りされたと伝わる江戸城外郭門のひとつ。江戸城の城門は枡形門と呼ばれる石垣をコの字型に巡らした強固なものですが、喰違見附は土塁を前後に延ばして道をジクザクにして直進を阻むという、戦国期以来の古い形態の虎口(こぐち=城の出入口)の構造です。

以上、午前中の散策報告でした。 

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換気扇のアップグレードを終えて・・・・

2018年11月04日 10時11分56秒 | Weblog

ある日、家の中のいく先々に、本と書類と衣類が、自由気ままに置かれている情景を目にした。

いつ、こんな状況を許していたのだろう。

母が、施設に入ってから1年と半年が過ぎようとしている。

結局その間に、じわりじわりと物の置き場が拡張したのにすぎなかった、と他人事のように言い放った。

が、その瞬間に、自己嫌悪に陥った。

ふと立ち止まって、本と書類を大きく二つに分けた。

それらの置き場を二箇所に限定した。

自己嫌悪感は半減してくれた。

家を建て替えて13年と半年がすぎた。

当初ほど掃除をしなっくなっている。

歳だから、と自己弁護した。

そこでまた立ち止まった。

いちばん面倒でやっていない掃除はどこか?

いの一番に浮かんだのは、ガズレンジの上の換気扇である。

お恥ずかしいことに、13年の間、プロの人に頼んだたった一回しか、丁寧な掃除はできなかった。

ただ、一年に一回、表面の汚れをとるだけだった。

これからますますどこよりも換気扇の掃除はできなくなってしまう可能性は大だ。

そこで年寄りの暮らしのQOLを考えて、思い切って換気扇を取り替えた。

なんと半自動運転で、お湯を使って行う掃除機能がついている。

それだけではない。

回天速度の3段階の設定や、運転を切ってからもしばらく通常に戻す機能までついている。

近くの電気屋さんに工事を頼んだのだが、最終的に行うのは、コンピューターの初期設定であった。

そのコンピューターは、お湯を使った掃除時期をちゃんと知らせてくれるという。

便利になったものよ!

「見たところ、そろそろ、掃除しなくちゃ」

ではなく

「今すぐ、掃除をせよ!」

というわけだ。

言ってみれば、換気扇に組み込まれたコンピューターのアルゴリズムに支配される生活スタイルになったのか?

つまり、それは、換気扇のアップグレードを行った結果の便利さと快適さを得た、ということなのか?!

これまで13年間に一回しかしなかった換気扇の掃除のなのに、これからは掃除の段取り・準備だけだが自分で頻繁にさせられる結果を招くことになるのだろう。

でも、まぁ、受け皿に40度くらいにお湯をはって、終わったら汚れた湯を捨てればよいだけのことらしい。

実は、この工事を行なっている間に、私は『ホモ・デウス』上下を読み終わったところだった。

面白いと言っても「ある種の納得感」と「いささかの不愉快さ」を持ちながらの“面白い読書”であったが・・・・・

家電のアップグレードに、微妙な “トホホホ状態” に陥って真っ青になった。

「私の感覚は、意識は、意味の世界は、どこに漂流するのか?」

そもそも私って、何だ?

「換気扇のアップグレード」から、日常の暮らしの中で、「人間とは何か」「自然とは何か」「自分とは何か」「幸せとは何か」を考えるチャンスをもらったとでも言えるのか?

そういえば自動運転の自動車ブレーキの安全性の問題として、今のところ誤解を招かないために「自動運転」という表現をやめて「自動運転ブレーキ補助システム」みたいな表現を求めるニュースが、今朝、流れていた。

翻って、1990年代半ば、晩年の野口三千三は、堂々と『文明さん、お先にどうぞ!』と言い放っていた。

その人の処女作『原初生命体としての人間』には、自然と人間と動きのアプローチに、1960年代から1970年代にかけての「情報(工学)」と「生命(工学)」の知見が生かされ、考察されているではないか。

そのことは、何を意味し、そのことをどう考えていくのがよいのか・・・・

 

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国道246青山通りを赤坂見附から青山二丁目を経て絵画館までの道のり・・・・

2018年11月01日 20時05分09秒 | Weblog

先日、赤坂見附から新宿区霞ヶ丘・明治神宮絵画館まで散策した。

まず、虎屋本店で美味なる「栗おこわ」を食してから出発。

向かい側に渡って「豊川稲荷東京別院」に参って、赤坂御用地に沿って青山通りを渋谷方面に向かう。

今回はこちら側から、草月プラザ・高橋是清記念公園は眺めるだけで省略。

青山二丁目を右折し、銀杏並木を聖徳記念絵画館を目指す。

初めて館内に入った。

80枚の絵画を一枚ずつ鑑賞。明治維新からの官軍・明治政府が描いた日本を見る。

たった45年間の短い時間で、強引に行った欧化政策・富国強兵の姿を見せてもらった。

歴史の裏側に・・・・戊辰戦争の悲劇がべったりとついていることを想像しながら・・・・

******

実は、最近の私の散策は、鹿児島であろうと東京であろうと、幕末から明治・大正・昭和にかけての群馬県が果たした役割を別の角度から見て、その輪郭を明確にするための行動のようである。

思いなしか高崎や前橋が果たした近代の役割が、はっきり見えはじめてきたようだ。

くわえて東京から見た群馬と薩摩・鹿児島の距離感をもって、江戸・明治における地方都市としてのその後が比較できた。

群馬の地の利は、養蚕・生糸輸出産業を可能にし、戦時中は中島飛行機を中心として飛行機製造にはもってこいの場所であった。

戦争末期には陸軍・高崎十五連隊がぺリュリィー島に本部を移しての悲劇的な歴史がある。

加えて前橋飛行場が作られ、特攻兵がここから飛び立ち若い命を空に散らしたのである。

利根川の水利は、早い時期から水力発電による電気を供給してきた。

そのことが知識としてだけではなく、私の中で身体感覚を伴って、こなれてくれたような気がしている。

******

絵画館で絵画を見てから、その玄関に立った。

右手には原宿・明治神宮につながって代々木の練兵場があり、正面から左手には青山練兵場があった。

かつてのイメージを持って、しばし、佇む。

それぞれが、それぞれに、どれほど軍事的な役割を果たしてきたことか。

ちなみに虎屋赤坂本店の三階バルコニーからは、樹木とビルの間から防衛省の建物の上部がわずかに眺められる。

歴史の時間と交差して、東京と群馬を結ぶ空間が、私の身体の中で明確になりつつある。

言ってみれば、群馬は近代現代の中心地・東京にとって、広い意味での“兵站”だった。

だとすれば、その群馬に生まれた野口三千三に、終戦まで与えらえた使命の必然としての重さを測ることができる。

だが・・・・・

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『現場者 げんばもん』

2018年10月24日 09時32分03秒 | Weblog

先日の早蕨塾で、一冊の本と阿波の藍染のチーフをいただいた。

大杉漣さんのマネージャーとして、漣さんの現場に立ち会っていた青野美樹さんの写真が掲載されていた。

とにかく凄い。

署名の通りの生き方を貫いた役者さんだった!

まさか、ここまでやるか!

まさか、ここまでできるのか!

役者魂には脱帽である。

読み応えのある一冊である。

映画は、人を育て、人を生かし、そしてその命を限界を超えて燃焼させる残酷さを持っている。

だから映画は、いや、役者は面白いのだ、と本は語りかける。

早すぎたけど、これも天命。

天寿を全うされたと思いたい。

輝く瞬間、泥にまみれて・あがいて、でもにっこり笑う。

大杉弘美さんの特別寄稿が大杉漣を立体化して、命をさらに輝かせる。

共に生きた彼女の人生も圧巻である。

そして、私たち野口体操の仲間、青野美樹さん、いい時間を過ごされましたね。

挟まれていたカードには「ともに生きたことを感謝」の文字。

読み終わって栞として、あなたが写した写真のページに深く差し込みました。

また、近いうちに会いましょう!

ありがとう。

深い藍色に滲みを伴う「漣」の染め抜き文字が、いかにも漣さんらしい・・・・・

 

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会報「早蕨」Vol.4

2018年10月23日 19時45分21秒 | Weblog

今週、会報の編集作業が一気に進んだ。

いくつかの記事を除いて、掲載文の大方は、最終段階の校閲をお願いできるところまできている。

佐治さんは、デザイン・細かな編集作業をもサクサクとしてくださっている。

表紙は、春の柔らかな芽吹きを思わせる色調で、これまでの3冊に加えると、デザイン・コンセプトがより明確に発信されていることに気づく。

掲載写真はセンスがいい、と自画自賛している。

「あぁ〜、野口先生にご覧に入れたい」

無性にそう思う。

ついつい詮無いこととわかっていて、さらに切なさが増す。

人が亡くなるって、こう言うことなのだ。

「私と野口体操」に、ご登場願いたいあの方・この方、と次第にイメージが膨らんでくる。

野口三千三80年の人生が紡ぎ出す豊かな人間曼荼羅絵巻になってゆくような予感がしている。

これも2年目の会報作りをしていることによるところが大きい。

継続することで視界が開ける。

視界が開けると次への欲望が芽生える。

いやはや、月並みな言い方だが “継続こそ力!” だ。

さーて、最後の追い込みまで、しばし集中を切らさないで過ごせますように祈りつつ、このブログを書いている。

 

 

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さすが朝日新聞! 

2018年10月22日 17時02分35秒 | Weblog

午後、母の施設に出かけた。

母がいるユニットの食堂に着いていつものように足のマッサージを始めた。

すると介護士さんがクリアファイルに入った新聞記事の切り抜きを持ってきてくれた。

ニコニコと母に差し出して、操さんですよ!

母も興味を持ってのぞきこむ。

「ああたじゃないの」と写真と私の顔を見比べていた。

それからと言うもの、「野口体操、野口体操」とくり返し話しかけてくる。

ちょっと意味不明なところもあっても、それなりに答える。

早稲田・帝京・明治大学三校に隣接する公園をぐるりと回る。

キリンの社屋の前に広がる公園のあちこちに、集うお母さんや小さな子供や赤ちゃんと交流。

ようやく歩きはじめた可愛い子供や、ベビーカーの赤ちゃんに出会って母はとても嬉しそうだ。

中にはよちよちと母の車椅子のそばによってきて、リズムを取りながら上下動する男の子もいた。

するとその動きに合わせて「1、2 1、2」と声をかける母。

ここの施設に入れてもらえたことは本当によかった、と安堵する自分を感じていた。

自宅にとどめ置いたら、こんなことはありえない。

警察病院まであって、これほど恵まれた環境はなかなかないだろう。

樹木にも囲まれ、風もなく降り注ぐ秋の太陽の光の元、静かに時間が流れて行く午後。

施設に戻る道道、二人だけになると体操のことばかりを、再び話しかけてくる。

ユニットに戻ると、おやつが用意されていた。

よい食べっぷりの母を残して、一階に戻り、玄関を出る前に椅子に腰掛け、スマホをチェックしていた。

そこに看護担当の女性がよってきて、新聞記事の話を始めた。

「私、体が硬くて」

「今度、こちらでやりましょうか」

嬉しいそうに笑ってくださった。

みなさん、記事に、気づいてくださるものですねー。

さすが、朝日新聞です。

早稲田通りの歩道を自宅に向かって歩きながら、呟いた。

「ちょっと親孝行できたかな」

93歳の母と70歳になろうとしている娘の老老交流の一コマです。

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朝日新聞に「駱駝体操と野口体操」掲載されました

2018年10月21日 07時42分55秒 | Weblog

 10月20日土曜日 朝日新聞 be on Saturday の紙面に野口体操の紹介記事が掲載されました。

「続⭐️元気のひけつ」ー駱駝体操と野口体操 脱力の技術で日常からの回復を

 麿赤兒さん率いる大駱駝艦でおこなわれている駱駝体操は、そもそも五十五年前に麿さんが野口三千三に体操を習ったことがその源流にあるということで、野口体操の取材を受けたものでした。

 そのことが紙面にしっかり書かれていて、仁義を重んじた内容としてまとまっていました。

 麿さんの写真も私の写真も、凄みがあって、「脱力」が本当の力を入れる基礎感覚!?ということが伝わるようです。

 以前、朝日カルチャーセンター公開講座に麿さんをお招きしましたが、大変お優しい素敵な方でした。

 これまで数多の取材を受け、記事にしていただいていますが、こうした切り口は初めてで、新鮮な印象です。

 一日ずれてのお知らせになりましたが、お手元に朝日新聞がおありでしたら、ご一読ください。

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「野口体操の会」・・・「早蕨塾」

2018年10月15日 19時37分16秒 | Weblog

「早蕨塾」は、昨年2017年から、年の2回の定例開催を始めました。

 昨日・10月14日(日)には、第4回をつつがなく終えることができました。

 素晴らしいお話と実技指導をしてくださった龍村修さんにお礼を申し上げます。

 全てにおいて勉強させていただきました。充実した時間をありがとうございます。

 

 これまで以下のようなプログラムで研修会を開いてきました。

 1回目「人の動きの捉え方〜理学療法士の立場から」講師:國廣哲也氏

 2回目「野口体操から座禅へ」講師:藤田一照氏

 3回目「野口体操から生まれるワークショップの場〜ほぐす・つながる・つくる」講師:新井英夫氏

 4回目「ヨーガの呼吸法」講師:龍村修氏

 毎回、ボランティア・スタッフとして、協力してくださる方々。

 研修会に参加してくださる方々。

 講師の方の熱意、参加メンバーの意識の高さに支えられて、おかげさまで毎回のこと和やかな中にも充実した時間を共有できることに、「早蕨塾」を開催する意味が一段と深まってきました。

 来年は、2月2日(土)に、緊急開催「早蕨塾」を企画しています。

 テーマは「癌について学び 癌とともに生きる」講師:大屋敷純子氏です。

 この場を借りて、講師をお引き受けくださった方々、そして会員のお一人おひとりに、お礼を申しあげます。

 硬い言葉での報告に終始しました。

 最後に心のこめて一言。

 ありがとうございます。

 

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久々のブログ・・・会報「早蕨」原稿を書く 徒然に

2018年10月15日 06時36分35秒 | Weblog

 このところずっと「野口体操の会」 会報「早蕨 SAWARABI」Vol.4の原稿書きをしていた。

 私が分担する「巻頭言」「野口三千三伝」「野口三千三語録」がまとまりを見せてくれている。

「三千三伝」では、師範学校生の少年時代から、青年期に差し掛かるところを書いている。

 野口の戦争と向かい合っている毎日は、なかなか厳しい。

 これから戦後にかけて、腹を据えて、覚悟をしておかなければならない、思いながら実は負けそう。

 消し去ることのできない戦前・戦中を抱えて、自分の中の矛盾を自覚しながら、「野口体操」と呼ばれる体操を生きる三千三の戦後を想っている。

「俗」であること、「俗」の感覚を持ち続ける意味が、見えてくるのだ。

 全てを吐き出すことはできない。

 人生を浄化することもできない。

 全てをなかったことにすることもできない。

 抱え込んで、さぁ、野口よ! あなたはどう生きたかったのか?

 私も逃げずに書かせてもらいます。

 なぜ、自分が、多々ある身体アプローチの中で、野口体操にとどまったのか、わかり始めている。

 キレイキレイの自分になれるわけもなく、悪いもの、否定したくなるのも抱えて生きていく“このからだ!”は、誰ものでもない自分自身が最後まで引き受けていかなければならないのだから。

 どこまでも現実から目をそらさず、そこから見えてくる醜さ、聞こえてくる雑音、漂う臭気、苦い味、肌のザラつき。

 五感で捉えられる、それらとは真逆のうるわしき感覚も、全てひっくるめて、丸ごと全体のからだ感を、今、手元に引き寄せている。

 生きる醍醐味を日々感じて、「巻頭言」も「語録」も書くことが、楽しくなってきた私である。

 自分のために書かせていただいている。

 徹底的にスピリチュアルではない世界を生きた時、初めて本当のスピリチュアルに出会えるのだろか。

 それとも、そんなことは、到底あり得ないのだろうか。

 答えはまだ出ない。

 もしかすると“中途半端”こそ命かも!

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ひとりごと

2018年09月30日 10時56分59秒 | Weblog

 今年の誕生日をすぎたときのこと。

「古希だ!」

 呟いた。

 呟いたが、実感は、まったくなかった。

 ところが、昨日のこと。

 朝日カルチャーのレッスンを終えて、近藤早利さんと新宿駅まで歩いていた。

 ふと、口をついて出た。

 脈絡もなく。

「野口先生が亡くなったのが83歳。あと13年なんですよね」

「私も、考えることがありますね」

 語尾が少し消えかかっていた。

 短い沈黙・・・・・

 それから駅までは、話題を変えて、当たり障りなく会話する。

 西口交番そばで、持ってくださっていた荷物を受け取ってお別れした。

 山手線から出て来た大勢の人の波を避けながら、慎重にホームへと階段を上がった。

 人にぶつけてはいけない。

 秋のミネラルフェアで手に入れた、ネパールの2キロ以上の重さがある金属製鉢を持っていたから、慎重にならざるを得なかった。

 ホームに着くと、ちょうど中央・総武線の三鷹行きが滑り込んで来た。

 かなり混み合っていたが、運よく椅子に腰掛けることができた。

 電車が新宿駅を出て大久保駅に差しかかったとき、なぜか先ほどの会話を思い出した。

「先生が83歳、父はは80歳。残された時間を10年から13年と見積もって・・・・」

 私は、いったい何をするのだろう?

 私は、いったい何をしたいのだろう?

 私は いったい何をしたほうがいいのだろう?

 何々を、絶対にすべき!

 とは、決めたくなかった。

「13年すぎた後も、生きているとすれば、それが本当の意味で “余生” だと思いたいー」

 かつてある人が言った。

「羽鳥さん、50を過ぎたら余生よ」

 その言葉に従えば、すでに余生に違いない。

 だが、まだ、余生としてではなく、やっておきたいことがある。

「やっておきたいことがあるって、幸せじゃないの?」

 これだな!

 あとは野となれ山となれ。

 誰かがなんとかしてくれるだろう、と無責任を決め込んだ。

 ほどなく電車は高円寺駅に到着した。

 わずか6分間のひとりごと。。。。。。

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取材

2018年09月23日 09時55分35秒 | Weblog

昨日、朝日カルチャーセンター「野口体操講座」に、朝日新聞記者の方が取材にみえた。

途中からの参加ということを事前に知らされていたので、待つ間に「生卵たて」をしていただいた。

なかなか立たない方、思いがけず立ってしまった方、一度コツを掴むと何度倒れても立て直しができる方等々。30、40分を過ごした。

若い好感度の高い男性記者さんがいらしてから、本格的にレッスンに入った。

実は、レッスンが終わってから話をする予定もあった。親会社の新聞社の記者さんの取材ということで、担当の女性がカルチャー内に部屋をとってくださってあったが、十分に取材できた、ということでそれはなしになった。 

ほぼ2年間、野口三千三を深掘りすることばかりに専心していた自分自身にとっては、充実した楽しい時間であった。

しかし、取材を受けることで準備しながら、この間、内側へ内側へと降りていって、窓や扉を閉め切って作業をしていたことに気づかされた。

レッスンの内容も、野口体操の足場『原初生命体としての人間』第1章に立ち返って、2時間を組み立てた。

どのような方が、どのような意図で取材にみえるのか、大雑把には伺ったものの詳細に確かめるこもせず臨んだので、その場で考え、その時々に修正することにしていた。

という次第で、久しぶりに適度な緊張感を前日から持って、当日、無事に終えることができた。

時間の経過の中で、出席してくださっていた皆さんの大人の対応に、すっかり助けられた。

この場を借りてのお礼です。

聞くところによると、もう一人の方と一緒に、10月なかばに朝日新聞に掲載されるらしい。

まだ、そのお名前は公表できないのが、残念でありますが・・・・

楽しみです。

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準備

2018年09月21日 13時11分53秒 | Weblog

 明日から3連休ですが、朝日カルチャーセンター「野口体操講座」土曜日クラスがあります。

 そして、先方の事情で、レッスンの途中から、朝日新聞記者さんの取材を受けることになりました。

 そのために初めてのやり方を模索しています。早朝からその準備に取り掛かかって、おおよそ見当が付いてきました。

 前半は「生卵との対話」から始める予定です。

 取材内容は「一般の方にもできる野口体操の動きを紹介する」ということなので、記者さんがいらしてから使う道具を準備しました。

 そこで、使うことはないと思いながらも、この際だから満身創痍状態の「野口鞭」を修繕しました。

 野口先生にいただいてから、かれこれ30年は使い込んできました。鞭は私の身長とからに合った長さと太さに作られています。

 実は、ごく最近、鞭をテーマにしてレッスンをしたときに手渡した若い男性が、力づくで、無理やり、鳴らそうとしたことで鞭の先の細い部分が抜け落ちてしまった。それを仲間の一人がセロテープでつけてくれました。

 なんと逆さまに!

 麻ひもでできている鞭の先は、房状になっていることで鋭い音がなるのだけれど、逆につけられてしまうと音は鳴りません。

 がっちりついているセロテープをハサミを微妙に使って剥がしてみました。

 そこに先生から予備としていただいてあった先端部分を取り付けるのに成功しました。

 神経を細やかに使って、丁寧に作業すること15分。

 階下に降りて試しに鳴らしてみたところ、いい音が鳴ったのでホッとしています。

 教訓:野口体操の動きを身につけている人でないと、足からエネルギーをもらって、そのエネルギーを鞭の先端に伝える動きをすることは無理でした。鞭の先の通り道を自分の体の内側で捉える力は、一朝一夕には体得できないようです。

 動きの道がわかってくると、全く力を入れずに良い音が鳴ります。

 始めて鞭を手にすると、強引に音を出そうとして無意識に力を入れすぎます。動きの通り道を探る余裕など生まれません。

 野口体操の基本の動きが、鞭を鳴らす動きだということを、改めて実感しなおした修繕でした。

 今後は、初めての方には鞭を鳴らしてもらわない決意をしたところです。

 たった1本しかない貴重な鞭ですから、あっちこっち修繕してありますが、これから先、長生きさせたいと思っています。

 

 明日の授業は、変則的な展開になります。

 出席してくださる方々に、それなりに満足していただける展開を考えていますが・・・・・

 なかなか難しいことにチャレンジしまーす。

 皆さまのご協力を伏してお願い!

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描きかけの町の風景

2018年09月15日 09時15分01秒 | Weblog

 先日、定期検診で眼科を訪ねた。
 昨年までは、杉並区の健康診断の中に、眼科検査が入っていた。
 今年から、糖尿病および糖尿病が疑われる人のみが、眼科検診を受けることに変更になった。
 社会保険・健康保険の実情の逼迫さからすれば、自費で受けることもいたしかたない。

 女医先生の検査を受けて、終わりかと思っていたら、有無を言わさず「眼底検査」をすることになった。
 あっという間に目薬をさされた。
「お近くなので、30分したら戻ってきてきください。足元に気をつけて、転ばないように」
 行きつけの眼科医院は、この9月に自宅から1分のところに移転してきた。

 医院を出た時には、視覚にそれほどの変化はなかった。
 しかし、28分後に自宅を出て、商店街にある5階建ての白い建物を見上げた。
 そこには今までに見たことがない風景が広がっているではないか。
 最上階に向かって真っ白な輝きがそのまま空に溶け込んで行く。
 描きかけの絵のように、建物の途中からキャンバスの白が残されている状態に見えた。
「なんてシュールだ!」
 ダリの絵画かと見まごう町が出現している。
 とにかく眩しい。

 かれこれ40年以上前に一度眼底検査を受けたことがあった。
 その時は、30分の間に何回か点眼して、瞳孔が開くのを病院で待っていた記憶が蘇った。

 今回は、たった一回の「散瞳薬」で、見える世界が変わった。
 正直言って、ちょっと恐ろしい感じがしなくもないが・・・・
 それはそれとして、検査の結果は何事も問題ないということだったが、視野検査を予約して帰宅した。

 しばらく自宅にこもっていたが、じっとしていられずスーパーに買い物に出かけた。
「おー」
 駅前の横断歩道の白線が、眩しいことと言ったらない。
 光が、目に、痛いほどの勢いで刺さってくる。
 思わずさしていた日傘の先を鼻まで下げて、影を作って歩いていた。
 不謹慎ながら、ピカドンを見た時は、こんなだったのだろうか?
 ことさら慎重に歩きながら、あらぬ想像をめぐらしてしまった。

 カメラのレンズの絞り操作を思った。
 目の前に広がる風景は、極端にハレーションを起こした写真のようだ。
 瞳孔が開きっぱなしになると、世界の見え方がこんなにも違う。
 それを起こしたのは医薬品だ。
 たった一滴で、人間の体・感覚を、一瞬にして変えてしまった。
 
 本を読むことも、デジタル機器を見ることも、する気がおきず、何と無く思い巡らせながら午後を過ごした。
 夕方になって再び町に出た。
 目の前に現れた町は、いつもの見慣れた風景に戻っていた。

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