羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

訃報 

2019年01月11日 16時58分03秒 | Weblog

鉱物学者・堀秀道さんが亡くなられた。

今年のお正月、1月3日のこと。享年 84歳。

すでにご葬儀は近親者の方々で済まされたとのこと。

堀さんとは、東京国際ミネラルフェアの第一回 開催時から親しくお話を伺っていた。

何も知らない私や野口体操の仲間たちに、鉱物についてわかりやすくご教示いただいた。

知らぬ間に30年を超えた月日が流れたことになる。

堀先生ほど鉱物を愛し、鉱物をとことん研究し、鉱物についてやさしく話ができる方はいらっしゃらなかった。

心からご冥福をお祈りいたします。

堀 秀道 Wikipedeiaより 転載

中学時代より鉱物を愛好し、櫻井欽一に師事する。都立上野高校卒業後、北里大学化学科助手、モスクワ大学地質学部留学を経て、株式会社鉱物科学研究所を設立。鉱物標本の販売、鑑定、研究を行う。

新鉱物欽一石(kinichilite、1981)、アンモニウム白榴石(ammonioleucite、1986)、ストロナルシ石(stronalsite、1987)を発見。これらの業績に対して1986年に櫻井賞を受賞。その後も岩代石(iwashiroite-(Y))、田野畑石(tanohataite)を発見。

同好会の主催や、ミネラルフェアの開催など、鉱物趣味の普及のための活動を行っている。著書『楽しい鉱物学』『楽しい鉱物図鑑』は日本の鉱物愛好家に読まれている。「開運!なんでも鑑定団」に石の鑑定士としても出演する。

水晶に対して深い思い入れがあることを、著書「水晶の本」で語っている。

  • フェルスマン 『石の思いで』 堀秀道訳、理論社〈科学の仲間〉、1956年。
  • G.A.チーホフ 『宇宙にも生命は存在する - 宇宙生物学の父チーホフ自伝』 堀秀道訳、学習研究社〈ガッケンブックス〉、1964年。
  • A.E.フェルスマン 『おもしろい鉱物学 - 石に親しむ基礎知識』 堀秀道訳、理論社〈少年科学文庫〉、1967年。
  • ヴェ・エス・バリツキー、イェ・イェ・リシツィナ 『合成宝石』 堀秀道訳、飯田孝一追補、新装飾、1986年。ISBN 4880150142
  • 堀秀道 『楽しい鉱物学 - 基礎知識から鑑定まで』 草思社、1990年。ISBN 4-7942-0379-9
  • 堀秀道 『楽しい鉱物図鑑』 草思社、1992年。ISBN 4-7942-0483-3
  • 堀秀道 『楽しい鉱物図鑑2』 草思社、1997年。ISBN 4-7942-0753-0
  • 堀秀道編著 『たのしい鉱物と宝石の博学事典』 日本実業出版社、1999年。ISBN 4-534-02930-6
  • 堀秀道 『楽しい鉱物学 - 基礎知識から鑑定まで 新装版』 草思社、1999年。ISBN 4-7942-0911-8
  • A.E.フェルスマン 『石の思い出』 堀秀道訳、草思社、2005年。ISBN 4-7942-1414-6
  • 堀秀道 『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』 どうぶつ社、2006年。ISBN 4-88622-335-4
  • 堀秀道編著 『「鉱物」と「宝石」を楽しむ本』 PHP研究所〈PHP文庫〉、2009年ISBN 978-4-569-67266-3
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年初にスペインと日本の”街文化”に触れる・・・・

2019年01月08日 19時41分19秒 | Weblog

昨年から年初にかけて、東京都内と地元を中心に、街を尋ねて歩いている。

昨晩は、新宿通り・地下鉄丸ノ内線の四谷三丁目下車3分のところにあるバーを訪ねた。

「カンテフラメンコの夕べ」ギターの伴奏で歌を披露するサロンだった。お酒は飲めなくても楽しめる配慮がされていて嬉しい。

ギタリストは、一度、朝日カルチャーのトライアルを受けてくださった方で、すばらしい力量の持ち主であった。

はじめて聴く音楽に戸惑いを感じていたが、次第に耳に馴染んでくると、北ヨーロッパのキリスト教文化に根ざした音楽とは全く違うリズムとメロディーに惹きつけられて行く。

なんとなく、イスラーム文化の影響だろうか。

歌詞は韻を踏む詩ではなく、情念を自分の身体に根ざした生命のリズムで、それぞれが自由に歌い上げる。

日本で言うならば、太棹にのせて唸る浄瑠璃に近いような・・・違うような・・・

歌い手に合わせて変幻自在に伴奏をするギターは、絃楽器であり打楽器でもある。

洗練とは異質の泥臭さが、本来の人間の心模様を惜しげもなく表現していた。

行ったこともないスペインの街を旅する心持ちに誘われ、しばし異国の情緒に浸った夜だった。

 

さて、本日は、打って変わって子達たちを中心にした正月行事「どんど焼き」に参加。

門松と輪飾りを携えて、徒歩15分ほどのところにある小学校を訪ねた。

開会式は、来賓の挨拶。

区長、教育長、消防団長、国会議員、都議会議員、区議会議員のお歴々。

来賓の偉いさん方の挨拶の最後に、女性の小学校・校長先生のお話が素晴らしかった。

いざ、火がつけられる前に、子供たちの太鼓の演奏から始まった。

それを合図に、火がつけられ、ボンボン・ゴーゴーと音をたてて燃える門松の煙は空高く龍の舞を見せる。

子供たちは火の周りを、歓声をあげながら走り回っている。

校庭には幼稚園児、先生方や保護者、近所のお年寄り、消防士、鳶さん、町会や行事の実行委員会の人々等々、150名はくだらない。

子供たちが太鼓に合わせて手作りの神輿を担ぎ、続いて獅子舞も披露。

最後は大きなカルタを地面にまいて、二組み別れてカルタとり競技を見せてくれた。

フィナーレは、お母さんたちが用意したお汁粉が振る舞われた。

1時から始まったどんど焼きは、3時半過ぎに閉会式で幕を閉じた。

我が家の門松や輪飾りも火にくべられて、焔となって冬空に登っていった。

こうした身近な街で、伝統の行事が行われることに、しばし胸が熱くなった。

 

昨晩の大人のカンテフラメンコも、本日午後の子供のどんど焼きも、スペインと日本という国と文化の違いはあっても、伝統文化に触れることができて、いつになく充実感と満足感の得られる2019年の幕開けである。

すでに朝日カルチャーのレッスンは始まっている。

明日からは大学の授業も始まる。

改元の年でもある。

いつもとは違う、新鮮な年初を迎えた気分は、なんとも晴れやかである。

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平成31年 年始に・・・

2019年01月03日 10時19分54秒 | Weblog

平成31年が明けた。

元日午後には、高齢者施設へ母をたずね、散歩に連れ出す。散歩といっても車椅子に乗せて、外気と太陽の光を浴びてもらう散歩である。

施設の真向かいには早稲田大学・その前が帝京平成大学、さらにその前が明治大学、と近隣には三校の大学がある。

さらにその向こうには中野駅に向かって、警察病院・野方警察庁舎・キリンの建物があって、大きな建物が公園をぐるり囲んでいる。

散歩コースとしては、なかなか恵まれていて、気持ちの良い空間が広がっているのである。

 

さて、正月二日、午前中に稽古始め。

一通り野口体操でからだをほぐし、仕上げに「上体のぶら下げ」と「やすらぎの動き」を、iPhoneで自撮りしたものをFBにアップした。

外側に自分の動きを見ていると、気づくことは多々ある。

その後、昭和11年に尋常高等小学校入学し、13年に卒業した生徒さんから戴いた手紙と記録をパソコンに打ち出す。

1、2年とクラス換えもなく、担任は野口三千三。そのクラスだった方からだ。

「野口三千三先生を偲ぶ」1998年7月28日の日付があり、私の手元には30日に郵送されたはずである。

実は、拝受した当初には、あまり気に留めなかったある事柄が、今になってみると記録として貴重なものであることに愕然とした。

なぜ、気に止めなかったのか。

当時は、無知だったのだ。

戦前・戦中の日本を知らなすぎた。

とにかく「三千三伝」を書くために資料や本を読むことで、ようやく言葉をちゃんと腹に落とすことができる様になっていた。

手紙と記録は、野口三千三の姿と、教え子との関係が生の言葉で綴られていたのだ。

何度も読み返し、これまで自分の中に生きていた野口三千三とは、全く異なる顔を持つ野口三千三に初めて出会った。

今頃になって!

悔しさが私の全身を覆った。

もっと早く、戦前・戦中のことを知っておけばよかった。

「手紙と記録をくださった方のご親族は、同じ住所のところにお住まいだろうか」

住まっていて欲しい、と願った。

過去の時代を手繰り寄せ、その時代に生きた人の全てを知ることはできない。

できないなりにも、できることを深掘りすることは可能だ。可能だと思いたい。

昨日午後は、そうした思いを胸に近所の神社に参り、親戚へのと年始に向かった。

 

本日は、午後、別の親戚が年始にやってくる約束がある。

平成が終わる今年は、やはり特別な年なのだ、と思う。

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久しぶりにラジオを聴く・・・・平成文学論

2019年01月01日 15時25分46秒 | Weblog

元日の朝10時からNHKラジオ第一放送「高橋源一郎 平成文学論」を聞いた。

聞きながら、ハッとさせられた。

恥ずかしながら、平成になってから、文学と名のつく作品をほとんど読んでこなかったことに愕然としたのだった。

文学論の俎上に乗る作品はもとより作家の名前も知らなかった・・・・・

唯一と言ってもいいかも、平野啓一郎作品 擬古文で書かれた『日蝕』、ショパンにちなむ『葬送』、赤坂真理作品『東京プリズン』と『箱の中の天皇』を読んだことがあるくらい、まさに文学貧困状態であった。

しかし、まったく知らない作品の文学論でも、それを聴くことで平成という時代を再認識させていただいたことは恩恵である。

弁解に過ぎないが、あえて言ってしまう。

平成10年に野口三千三を喪ってから、次々と父の闘病や母の介護と繋がって、文学に遊ぶ時間はとれなかった。

さらに、没後に引き受けた野口体操の授業や講座では、文学とは異なった分野の本、最近では「野口三千三伝」のためになる本を必須にしていたらしい。

というわけで、話を聞きながら、失われた30年が恨めしくなった。

 

さて、二時間の文学論では、文学者の皆さんが紡ぎ出す濃密な言語(日本語)に触れて、とても豊かな気持ちになれた。

三部構成の中身は次のようであった。

1、「戦後の終わり・成長の終わり」ゲスト・平野啓一郎 

2、「ジェンダー・性的役割の変化」ゲスト・赤坂真理

3、「3・11」古川日出男

高橋源一郎さんが赤坂真理さんをお相手に、ゲストの作家さんとのやりとりを交えて平成を、そして次の時代を描き出すという番組。

なかでも作家自らの朗読が三人三様で、俳優さんとはまた違った味わいがあったことは特筆しておきたい。

番組を通してテーマとなったのは、インターネットやSNSの普及、9・11のテロ、東日本大震災、大きな事件や事故が起こる。

つまり自然災害や事件が重なるにしたがって、平成の文学が舵を切りなおして大きく変容していく過程が、明確にあぶり出されていった。

細かい内容は省くけれど、示唆に富んだ話の連続の中なら、いくつか備忘録として書き残しておきたい。

 

夭逝の作家・伊藤計劃のSF作品『虐殺器官』を取り上げて語られたことは衝撃だ。

そこから導き出された一般論にも通じることは、野口の戦前・戦中を考えるにあたって、示唆に富んでいた。

母や妹、家族のの命を守るため、あるいはお国のために、戦場に散ることを厭わない心情(強制的に近代国家によって植え付けられた愛国心)は、近代以前の利益集団・専門集団の戦争とは一線を画したものである、という話には刮目させられた。

国家のために、一般市民が戦争に行くということは、歴史の中では最近のことなのだった、と。なるほど、そうか!

近年は、国家の民営化、軍隊の民営化、民間軍事請負業者も出現しているおぞましさである。

 

いや、それ以外でも、ドンパチの戦争でなくても、経済戦争によって社会を構成する全体が軍隊になり戦場と化した。

若者が、学生が、黒づくめの就活服に身を包んで、企業に適応し、会社に出征し、そのことをよしとする社会現象には、以前から異議申し立てをしたかった、が、いざ、そうするとなると自分の中でも足を引っ張る自分がいたのが現実だった。

 

さらに、平成以前の文学が描き出さなかった作品群が、紹介されたことは私にとってありがたかった。

文学論を通しして平成を振り返るよすがとさせてもらえるから。

そこで、赤坂さんが作品でも描き、番組でも発言されていた。

「先の戦争で負けて、プライドを失い、(心身)に深い傷をおった男たちを、慰めてこなかったのではないか」

確かに、敗戦後も生き残った男たち、敗戦後の生まれた男たちは、企業戦士として没個性を生きざるを得なかった。

傷が癒されないままに、である。

裏を返せば、正常な日本社会が醸成されるはずがない、という指摘であろう。

ごく最近のこと。そうした中高年が築き上げた男社会の閉塞感を避けて、海外に出て行き、起業を試みる若者が現れていることに、人間として希望を感じるのは私だけではなさそうだ。その行為が危険を伴うものであっても、そうする若者が出現しない限り、いつまでも閉塞感の穴に落ちていくことに甘んじるなんて、勿体ないと思う人間に救われるのである。

それでも、社会の歪み、堪え難い暴力・戦争、マニュアル通りに行動し企業社会の一員となることで安息を覚える逆説が語られる平成の文学は、明らかにそれ以前の文学とは異なった時代の産物である。

同時にそれ以前の社会の負の側面を引きずったところも描き出していること知らされた。

殊に、「3・11」では、原発事故と水俣に流れている通奏低音として、石牟礼道子作『苦海浄土』について触れていらしたことに、ドキドキ感を覚えた。

石牟礼道子作品については、別の機会に、お話を聞きたいと思う。

 

何ともまぁー、だらだらと、まとまりなく書いてしまったが、最後に希望をもらったことを書いておきたい。

昨年末、私はユヴァル・ノア・ハラリ著『ホモ・デウス』上下巻を読んだ。

情報工学と生命工学といったテクノロジー進歩の先に、“常なるアップグレードができない無能人間集団”が生まれる悪しき可能性の記述に、暗澹たる思いに駆られていた。

打つ手はないのか?

いや、そんなことはない。

打つ手を、この二時間の「平成文学論」でいただいた。

「文学だけが文学ではない」という赤坂真理さんの言葉だ。

政治も社会も言葉・文字を持つことで、政治文学も社会文学もありうる。

普通の言葉で語っていくこと。

一人一人の中に切実に思うものが必ずやあるはずだから、苦しくても表現していく。

あらゆるところに言葉があることを自覚して「文学だけが文学ではない」、そうした思いの言葉を持つ人間を増やしていこうではないか、といった趣旨。

作家の役割は、個々人が身体のうちに宿している様々な思い、焦燥、悲しみや喜びや・・・・そうした全てをひっくるめて「文学以外のところでも言葉にするサポート」をすることで協働することができるはず、とおっしゃる。

そうすることが、ビッグデータの一データでしかない自分という存在をが超多数に埋没してしまう恐れから、自分(個人)を救い出す唯一の方法かもしれない、と高橋源一郎さんと赤坂真理さんの最後の話を受け取らせていただいた。

人は捨てたものではない。

視覚や聴覚以外にも、味覚・嗅覚・触覚、つまり直接触れる身体の感覚に気づき・育て・磨き育てる場をもっと大切にすることが、「文学だけが文学ではない」実現の一歩なのだと、我田引水の私であった。

そこにテクノロジー進歩に押しつぶされない人間の希望があるのではないだろうか。

今日のところは、これくらいで・・・・未完成ブログ。

 

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”虫の知らせ”の大事さ

2018年12月26日 15時26分53秒 | Weblog

今年は25日から28日まで、例年より1日少ない”夜回り”が始まった。

せめて一年に一度だけ、町会の行事に参加して顔つなぎをしている。

この春から会長さんが交代したこともあって年齢が高かった方々がやめてしまったらしい。

それでもこれまで継続している方々が、私の参加を歓迎してくれたので、受け入れてもらえたことが嬉しかった。

いざ、パトロールに出かける人数を見ると、昨年までと比べてメンバーの数が減っている。

少々、さみしい感じは否めなかった。

 

さて、拍子木に合わせて「火の用心」と声をかけながら、その合間に雑談から得られることも多い。

そこで不思議に思っていたことの謎が解けた。

実は、近隣の商店街や住宅地にも、直近の数ヶ月に「健康情報」を提供する店ができている。

そこには行列ができるほど。

高齢者が集まっている。

そして皆さんは、吸い込まれるように店内に入って行く。

扉やガラスに貼られている宣伝文句から、健康になるための食品やサプリメント、体操、その他あらゆる情報が提供されている風なのである。

時に話し上手そうな男性が、ホワイトボードを使って、説明をしているのが外から見られたこともある。

最初は無料だそうだ。通ううちに高額な支払いを要求されるという。

今のところギリギリのところで違法性を回避して行われているので、警察としては取り締まりたくても取り締まりができないという。

「催眠商法」という位置付けで、警戒をしているらしい。

さすがに防犯の集まりだけに、情報の信憑性はありそうだ、と話を聞いていた。

一人暮らしはもちろん、家族と暮らしていても寂しいお年寄りに、あの手この手で近づく詐欺まがいには気をつけるように、とのことだった。

催眠商法は高齢者だけではなく、どの世代にもこうした商法はあるのではないだろうか、と思った次第。

受けている人、本人は催眠商法だという認識は全くない。

やっている方にもその認識がない場合もあるだろう。

むしろ世のため、人のために、救いの手を差し伸べて、善きことへ導く活動を続けている、と思っているに違いない。

洗脳

催眠

この問題は非常にデリケートである。簡単にものが言えない。

ただ、激動の平成が終わるこの年末に世の中の動きを見ていると、若者から高齢者まで、再びオウムらしきものが生まれてくる土壌が醸成されてはいないか、と老婆心が首をもたげる。

何を信じてよいのか、何を拠りどころとすればよいのか、と迷う前に、ちょっと変だ! よくわからないが違和感がある! 言葉にはしずらいが もしかして?

というような、ごくごく些細な予兆のようなことに、鋭敏であることが大事かもしれない・・・・

何事にも疑ってばかりいたら生きるのが苦しくなる。

しかし「虫の知らせ」をすくい上げる感覚を磨いておきたい、と思ったが、虫の知らせを聞き取る力が弱ってきたような気がしないでもない。

う〜む。

今夜は二日目。

どんな話を聞くことができるだろう。

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江戸独楽・福島保 展示即売会のお知らせ

2018年12月25日 10時18分15秒 | Weblog

江戸独楽の世界に誘ってもらったのは、かれこれ40年前のこと。

野口三千三先生が、体操教室に世界一小さい「芥子独楽」、どのように回してよいのかわからない「いじわる独楽」、数々の「逆立ち独楽」等々、次々と楽しい独楽を持っていらしたことがきっかけだった。

それらは主に福島保さんの作品群であった。

時々、先生のお供で民芸品店を訪ねたり、デパートで催されている福島さんの実演付きの展示即売会に、出かけて行くうちに虜になっていった。

1992年には、朝日カルチャーセンターに福島さんを招いて、特別公開講座「独楽と遊び 独楽に貞く」と題して、独楽遊びとその場で作っていただく講座を開催させてもらった。

公開講座の準備のために、野口先生はリュックに独楽を詰め込んで、何回かに分けてカルチャーに運んだ。

回数を追うごとにカルチャーのロッカーには、独楽が増えていった。

当日は、60名ほどの参加者全員に独楽が渡り、さらに福島さんが生み出す独楽が回されて、教室内は熱気に包まれた。

少年・少女にかえって、様々な回し方ができる独楽まわしに、参加者全員が興じたのだった。

その記録は「野口三千三授業記録の会」ビデオ記録に残されている。

実は、江戸独楽の世界は、知る人ぞ知る世界。

その真髄は、独楽それぞれに洒落た物語が重ねられていることにある。

明日から展示即売会が開かれるので、江戸独楽の雰囲気を、まず、実際に味わっていただきたいのです。

お知らせします。

場所:日本橋三越本店 5階 リビング特設会場

日時:12月26日(水)〜31日(月)

   1月2日(水)〜7日(月)

 

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ふりむけば・・・でなくて目の前に迫るキャッシュレス社会!?

2018年12月18日 13時54分20秒 | Weblog

駅に隣接する東急スーパーが「セルフ精算レジ」を導入した。

今まで通りのレジを一箇所だけ残して、ほかはすべて変わってしまった。

商品のスキャンは店員さんがした後に、設置されている機械で支払いをする。

今のところ一人の店員さんがそばに立っていて、使い方の指導をしている。

自分も含めて、誰もがマゴマゴしている。

見ると混雑する時間帯のレジには、長ーい列ができている。

それでもちっとも早くない状態は、しばらくすれば解消するのだろう、きっと。

混乱の要因は、大きな文字表示なのに、画面から意味を読みとるのに時間がかかっている。

読んでから、どこに何を入れるのかを判断し、速やかに行動することができないお年寄りがまごつく。

私もその一人なんだけれど。

 

次なる話。

昨日のこと「ガス設備 定期保安点検」の検査員が来宅。

一通り点検を終えてから、消火器の期限が数年前に切れていることを指摘する。

新しいものを届けにきた時に、古い消火器は引き取ってくれるという。

「・・・お支払いはその時、現・・・・」

「いえ、振り込んでいただきます」

現金と言い終わる前に、言葉を遮られてしまった。

彼女いわく

「クレジットに移行していただきたいのです」

「キャッシュレス化ですね」

「はい!」

現金払いから、クレジット払いへの移行を、積極的にすすめているらしい。

宅配日を約束した。そのまま女性検査員と雑談。

「大手はいいかも・・・でも、個人商店はこれからどうなっていくんでしょうね」

かろうじて残っている店は一掃されて、大手やチェーン店に変わっていくことになりそうだ、などと・・・・。

 

確かに、交通機関利用は、キャッシュレスになって久しい。

久しいどころか、いつから変わったかも忘れてしまうほど以前のことだ。

今更、現金で切符を買う方法には、戻ることはできない。

ということは、日々の買い物も、個人商店には足を向けなくなる日も近いのだろうか。

何れにしても、来年の消費税アップを機に、キャッシュレス社会に有無を言わさず誘導されて、こまごましたものまでカード払いに慣れてしまうのか?!

ふりむけば・・・でなくて、目の前にキャッシュレスが迫っているー。

 

乾物屋さんが町から消えたのは早かった!

豆腐屋さんは、すでに一軒もなくなった!

調理の仕方を教えてくれる魚屋さん、おしゃべりが楽しい八百屋さんも、時間の問題!

あーぁ、昭和は遠くなりにけり。

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会報『早蕨 SAWARABI』Vol.04 お分けします

2018年12月14日 11時11分34秒 | Weblog

2018年度、12月24日付け 会報『早蕨 SAWARABI』Vol.04 お知らせです。

目次と内容

2  巻頭言「これぞまさしく野口三千三辞世フォト」羽鳥操

   若き日の野口三千三・陸上競技記録から気にづかされた野口体操の動きの理論、1996年に撮影された写真について。

4  私と野口体操ー「もう一人のお父さん」五大路子

   女優で横浜夢座座長の五大さんの野口への熱い思いを語ったインタビュー。

6  私家版 野口三千三伝−4「師範学校の生活・父に対する悔恨の情」羽鳥操

   昭和の師範学校の様子を中心に、父親への複雑な思い。

9  NEWS:

   2018年 早蕨塾レポート・講師 龍村修氏

   龍村国際ヨガ研究所を主宰されている龍村修さんの講演報告。

  「2019年度総会+早蕨塾」北区田端「文士村」近くにある劇団・文化座で開催予定のお知らせ。

10     野口三千三語録抄 解説/羽鳥操・英訳/近藤准介

   岩石・鉱物の蛍光現象についての話。

11     SAJI's PHOTO GALLERY

   鉱物の蛍光現象の写真掲載。

   編集後記 二階のぶ子

   いつもながら情のこもった二階筆。

 

ご希望の方は、郵便振込でお申し込みください。

郵便振替番号:00110ー3ー537530

名義:「野口体操の会」

1冊300円+送料 

1冊:120円 2冊:140円 3冊〜4冊:205円

バックナンバーもございます。

お名前 ご住所のほか、メールアドレス 電話番号等もご記入いただければ幸いです。

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固定観念・先入観に縛られていた私・・・・リセットされたみたい

2018年12月12日 04時12分33秒 | Weblog

・・・墓じまい、合同墓地、樹木葬、・・・・檀家さんが減って、まして法事を行う家が少なくなった実情は、都心部だって同様だ。

法事を行う古い木造の本堂にも昇降機をつけ、畳の部屋まで車椅子OK。

会食する会館は、以前あった一部屋を車椅子と介助者が二人が入れるトイレに改装してあった。

選んだ料理は見た目に綺麗で、お年寄りに食べやすいように一口サイズ。

その代わり食器にも材料にも、バラエティーを持たせて、手のこんだ細工がなされていた。

現代に合わせて、高齢化対応をする時代になっていた。

 

今回の法事は、9月半ばからぼちぼち準備を始めた。

介護タクシー、一時間対応の介護サービス予約から始まって、お寺にお供えする物を宅配で前日着で届ける手配。

当日は母の世話を中心にできる体制を整えることにした。

服装は、まず、車椅子でも窮屈でなく、法事の間、食事を取りやすいように工夫。

高価なものでなくても、全てを黒で失礼にならないニットに加えてシャレな小物を用意。

着替えをして、薄化粧をすると見違える表情を見せてくれた。

施設の方々に「マダム」と褒められて出発。

・・ってなわけで、迫ってからの二週間は、普段とは全く違う頭を使っている毎日だった私。

お疲れー、かと思いきや、楽しかったのだ。

面倒だからやめておこう、という選択もあった。

でもそれをしなかったことで、世の中の変化が急速に起こったことを体感することができた。

あれだけ固定観念や先入観を捨てよう、と野口体操でアナウンスしておきながら、私自身が昔のままの思い込みを背負っていたのだ。

社会のサービスというものが、どんどん質を変えて柔軟になっている。

母を法事に連れ出そう。

思い立った当初こそ、自分一人では無謀かと案じて始めたが、終わってみれば視界がひらけた。

戸は叩いてみよう。

扉は開けて入ってみよう。

道には一歩踏み出して、歩き出してみよう。

人様には助けてもらおう。

全ての始まりは、昨年、母を施設にお任せできたことから始まった。

一人で抱え込まないことは大事だった!

今回、70代・80代の後期高齢の親戚の人たちが、93歳の母を見る目が変わった。

歳を取っても多少の認知があっても、彼女を囲んで楽しかった、と口々に言ってくれた。

自分たちの目の前に迫っている不安ある未来を変えることができる、とも言ってもらえた。

予想もしない結果だった。

万々歳!

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今を生きる者を生かしてくれる法要・・・・

2018年12月10日 15時11分58秒 | Weblog

昨日、父の十七回忌法要を無事に終えた。

主役は父であったのだが、全体を通して母の存在がひときわ大きかった。

終わってみると「93歳 母の元気を祝う会!」となった。

本堂でのお焼香もしっかり行い、お墓参りも寒がることもなくみんなと一緒に手を合わせていた。

会食の段になると、「おいしいわー」を連発。

ほとんど完食であった。お箸を器用に使って、残された歯でしっかり噛んで、嚥下の際にも危なげない。

終盤になって、甥っ子たちに囲まれて、大きな声で会話し笑いをとっていた。

思えば、参加してくださった皆さんは70歳代で、80歳に手がとどく方もいる。

私としては半ば冗談で、母の“生前葬”を兼ねるような気分で準備していていたが、とんでもなかった。

結果として“元気な母を祝う会”となった。

生きている者は強いなー。

生きているということは、こういうことなのだ!

実は、日曜クラスの方にアドヴァイスをもらった。

お言葉に従って、一時間から利用可の外出介護サービスを頼んだことは正解だったことを特筆しておきたい。

車椅子での移動、車椅子から昇降機への乗り換え、食事やトイレの世話など、全てをこなしてくれた。

介護資格を持つ男性スタッフの方にすっかり世話になって、母は終始ご機嫌だった。

こうしたサービスを受けることは、母だけでなく親戚の方々にも、安心感という「おもてなし」となった。

老老介護も当たり前の高齢化時代に、新たなニーズが社会のあり方を変えていくことを実感した。

思いがけず主役となった母は、介護タクシーの車中から、介護の方はもちろん、親戚の皆さんに、両手を大きくふって、にこやかな笑顔でお別れしていた。

「お母さんをよろしく!」

父が私に託した最後の願いを、こうした形で果たせたことに安堵することができたことは、幸せこの上ない。

「お帰りなさい」とロビーで母に声をかけて、迎えてくれた施設の方々に「ただいま」とはっきり挨拶。

「いかがでしたか」

「とっても、楽しかった! 今度は遠くに出かけたい」と曰う。

こんな風に生きている者を生かしてくれたのは、父だった。

十七回忌法要は、母にとっても私たちにとっても、格別に意味深い行事となった。

ありがとうございます。
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法事の準備につれて思い出された人生最後の“MINI COOPER”

2018年12月07日 09時28分39秒 | Weblog

法事の準備が終わったような終わらないような、準備するものが次々と出てくる。

寺の住職さんと話をした。

供花は寺にお願いし、お菓子と果物は前日に宅配で届ける算段をつけた。

「できれば供養する方の写真をお持ちください」の一言で、仕舞ってあった父の写真を取り出した。

フォトフレームの立て掛ける部分の一部が破損していて、私には直すことができそうにない。

そこで、昨夕、銀座までは出かける時間が取れないので、新宿・小田急デパートの伊東屋で、銀製のものを用意した。

新しい写真立てに古い写真が合うだろうか、と一抹の不安を感じながら帰宅した。

着替えもせずに、すぐさま写真を入れ替えた。

「父が生き返った!」

イギリス製のフォトフレームが、表情を明るくしてくれた。

「新しくして、正解だった!」

しばし眺めているうちに、父の車の思い出が蘇ってきた。

幼い頃から私は父が運転する車の助手席に腰掛けて、「そこの角を右、3つめを左」などと、地図を膝の乗せてナビを引き受けた生意気な子供だった。

記憶に残っているいちばん古い車は、日産の大衆車ダットサンであった。

この車の方向指示器(確かアポロといったような)は、真っ赤で可愛らしかった。

そして出す時・仕舞う時に、カタッ・コトッという音がしていた。

長距離のお出かけには、まず、エンジンの音を聞く。

そしてバンバーを開けてエンジンやブレーキの点検を行ってオイルをさしたり、時には近くの自動車整備工場によって更なる点検をたのむ。

当時の車は運転する人間が深く関わって、手入れをするのが当然の乗物だった。

ドライバーにとっては、そのことが嬉しくて仕方がないのである。

その父が70代後半で自動車免許を自主返納するまで、最後に乗りたくて乗ったのが「ローバー MINI COOPER」マニュアル車だった。

色は派手でもなく地味でなく、イギリスでしか出せないとおぼしきグリーンと白のツートンカラーだ。

乗り心地はと言えば、車高が低いためにスポーツカーのようなスピード感が得られた。

あたかも素足で走るような感じとでも言おうか。道路との密着感はスリルをすら感じさせてくれた。

こうして新しいフォトフレームにおさまった写真を見ながら、車種は何台か変わっても最後のMINI COOPERにご機嫌であった父を思い出した。なんとイキイキした思い出だろうか。

いつまでも思い出に浸ってはいられない、とメモを1つずつチェックしながら、忘れ物はないかと念には念をいれた昨日のこと。

今日の午後には、当日、母に着てもらう服を揃えて施設に届ける約束をしている。

確認の電話も入ってくる予定もある。。。。

色々ありますわねー。

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師走に、人の命の行方を思う・・・

2018年12月03日 19時52分20秒 | Weblog

12月9日に父の十七回忌法要をするために、早々と9月から始めた。準備はほぼ終わっている。

あとは、当日の段取りを最終的に詰めるために、明日は寺に打ち合わせに行くことになった。

寺は車椅子も可能なので、施主である母を連れて行く手はずも整えた。

そこで普段からご無沙汰の従姉妹に第一報を入れたのは、9月末のことだった。

その時、電話を取ったのが彼女の連れ合いの方だ。

正式なお知らせ手紙を出して、3日後に確認電話を入れたところ、お連れ合いの方が亡くなったのだと聞いた。

膵臓癌を患っていて、私が話をして2ヶ月ほどだったという。

最後に話を交わした時の元気さからは全く想像もつかない。

80歳を過ぎているのだが、しっかりした受け答えで、ただ驚くばかりである。

ごく内輪で葬儀をすませたとのこと。

そしてもう一人。

母の仲良し三人組の一人から6月に電話をもらった。

隣街に住んでいて、散歩がてら我が家を訪ねたけれど留守だったという。

ところが11月になった先日、喪中の手紙が届いた。

電話をもらって一ヶ月後の7月に亡くなったのだという。

すぐさま電話をすると、一人娘さんが出て「ピンピンコロリだったんです」とおっしゃる。

夕方、帰宅してお母さんが亡くなっているのを発見したのだという。

これといった病気はなく、買い物から帰ってきて、部屋に入って息を引き取ったらしい。

結局、直接の死因はわからなかったらしい。

その後、10月には三人組のもう一人のお友達も亡くなった、と聞いた。

同級生だから二人とも93歳の大往生である。

一人はこちらから、もう一人は先方からの電話で話をした二人が、会話して間もなく亡くなるとは、信じられない思いである。

母には、まだ話していない。

なかなか話し出せないのである。

「二人とも元気だったのに」という思いと、亡くなる二ヶ月前と一ヶ月前に、母に代わって私が話をする巡り合わせの不思議さをいまだに受け止められずにいる。

今回の法事では、父の回向だけでなく、母にとっては姪っ子の連れ合いの方、仲のよかったお友達二人、三人のご冥福を祈ってこようと思っている。

狐につままれたような気分でもあるけれど、十三回忌ができすに過ぎて、今年になって父の十七回忌法要をおもいたったのも何かの縁に違いない。

先月からこのかた、灌仏会の日に生まれた私には前世からの何らかのお役目があるのかもしれない・・・・と思っているうちに師走を迎えてしまった。

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カルメラつくり

2018年11月10日 07時22分35秒 | Weblog

会報『早蕨 SAWARABI』Vol.4は、お一人からの校正返事を待つのみとなった。

今回の「野口三千三伝」では、先生のお兄さんが作ってくれたカルメラ焼きの話から始めた。

今夏、原稿を書くにあたって、私も実際に作ってみた。

難しく失敗を繰り返し、たった一個だけうまく焼けたところで止めることとした。

材料:

* 砂糖大さじ 2 * 水 15ml  *  重曹 適量

作り方:

お玉に砂糖+水を入れて、火にかける。(炭火ならもっとよし)

きつね色になったら日から話す

泡が少し収まったところで重曹を投入。

火から少し話したところで、泡を潰す感じで100回くらいかき混ぜると一気に膨らむ。

固まったらお玉の底を再び火に炙ると丸い形のカルメラがすっと剥がれる

冷ましてから食す。

全行程を通して、単純であるゆえの難しさがつきまとう。

特に、言ってみれば、割り箸の先にほんの少しつける重曹の量と、入れるタイミング、かき混ぜる回数である。

いたってシンプルな材料からなるカルメラは、砂糖の甘さに加えて重曹のかすかな味が、人生のほろ苦さを感じさせてくれる。

大人になった三千三少年は、池袋の駅ナカで売られていたカルメラをほうばって、何を感じていたのだろう?

私もご相伴にあずかったことがあった。

お兄さんの話を伺いながら・・・・

懐かし!

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繰り言・・・荷風散人の目で東京を歩くと・・・

2018年11月09日 07時00分40秒 | Weblog

日和下駄をつっかけて、自由気ままに東京を歩く荷風散人の目を携えて、歩いていると『冷笑』の意味が何とはなしにわかるような気がしてくる。

1905(明治38)年に渡米し、一時、華盛頓・ワシントンDCにも滞在したが、紐育・ニューヨークを中心に1907(明治40)年まで暮らした荷風は、この年に仏蘭西に居を移し翌年の1908(明治41)年7月に帰朝した。

その後は作家として、「あめりか物語」「ふらんす物語」ほか海外体験を描き、じかに欧米を見たその目で東京の町を散策し、日本の近代化文化を冷ややかに眺めた作品を残している。

明治45年の期間では、明治政府は盤石とは言えない。

まして、大正期に入ってから、君主を支えることに頭を悩ませたはずである。

そのままでは国は危うい。

帰朝した明治末期から大正にかけて、荷風さんに見える東京の町は、何ともはや“ 張りぼて”に過ぎないと映っても不思議はない。

なぜに、政府は絵画館に展示するプロパガンダ絵画制作に、あれほどの情熱を傾けたのか、傾けざるを得なかったのか。

荷風さんは知っていた!

幼少の頃、アヘンでやられた上海を知っていただけに複雑な思いで、張りぼて近代文化を眺めていたに相違ない。

 

1909(明治42)年に、なぜゆえに、当時の日本近代建築の雄として東宮御所(現在の迎賓館)を完成させたのか、させなければならなかったのか。

荷風さんはわかっていた!

だから、“張りぼて文化”の東京を「冷笑」することで、作家として立って行くしかないと、覚悟を決めた。

いや、江戸期の文化がどれほど成熟し、どれほど内容の深いものであったのか、荷風さんは知っていたのだ。

私は、これまで見てきた東京の近代を思い出す。

昭和30年代始めの赤坂離宮は、全くもって荒れ放題であった。誰も気にも留めないし、目にとめない無残な状態だったことを思い出す。

止めていられなかった。復興に全精力を傾けていくしかない敗戦後であったから。

 

そして、今、2回目のオリンピック2020に向けて、急速に変化してゆく東京の街に埋れてしまいそうな近代の東京を見ていると、荷風さんの嘆息が聞こえてくる。

江戸が壊され、ピッカピカの近代が、それこそ突貫工事で造られていく。その姿に、懐かしさ以上の感慨を持って、江戸回帰したくなる心情もわからなくもない。

『断腸亭日乗』を綴り、それを後世に残したことが、荷風さんのいちばんの仕事だったのかも知れず。

 

昨日、赤坂見附から三宅坂方面を見上げて、思った。

「外からは攻めにくよなー」

この勾配では馬は登れない。歩兵は石を投げられるだけで弁慶濠に墜落してしまう。

 

昨日、喰違見附を歩いて通って、思った。

「外からは攻めにくよなー」

入り組んで狭いところを馬はもちろん、歩兵ですら武器を持ったら二列にも並べない。

 

昨日、歩き始めに三宅坂から桜田門方面をまず、拝ませてもらって、思った。

制度疲労を起こし、汚職がはびこったとしても、江戸の人々にとっては、まさか徳川の千代田の城が落ちるとは信じられなかったに違いない。

黒船の恐怖だけで、幕府が崩壊するとは、江戸の人々にとっては、信じがたいことだったに違いない。

人智を超えた、なにがしかの力が働いに違いない、と・・・

 

おっと、繰り言はこのくらいにして、本日の仕事にかかりましょう。

でも、もうしばらく荷風さんに寄り添ってもらって、変貌を遂げる東京の街を歩いてみたい、と密かに思っている・・・ 

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三宅坂から赤坂見附、迎賓館まで散策

2018年11月08日 13時51分37秒 | Weblog

本日、三宅坂から国道246、青山通りを歩いた。

これまでに渋谷からは青山一丁目そこから表参道への道。

また、赤坂見附から青山二丁目へ、右折して明治神宮外苑への道。絵画館見学も行なった。

今朝は、三宅坂の勾配がどの程度なのかを体感したくて、赤坂見附まで歩いた。

最後のところで非常に急勾配だった。

これで、片側3車線の大通りを全て歩いたことになる。

三宅坂から渋谷までの青山通りは、まさに軍用道路であることを確かめたかった。

一つには、昭和11年の二・二六事件の道のりを歩いてみたかった。

この年、短期現役兵・師範学校の専門部の学びも終えた野口三千三は、群馬・高崎の小学校で本格的に訓導となった。

そして明治神宮外苑・明治神宮、青山練兵場、代々木練兵場、この地理感覚がよりはっきりした。

代々木練兵場の端、西原には体育研究所、のちの東京体育専門学校があって、戦争末期に上京した野口がいた時間の流れをおった。

さて、本日は、赤坂見附から横道にそれて、弁慶橋を渡って、紀尾井町へ向かい、ホテルニューオータニを左手に見て、「喰違見附」を渡った。

渡った先には、赤坂離宮の東側の門があって、ぐるりと回り込むと正門に出る。

ちょうど団体さんがやってきた。何となく後ろについて歩いていくと、赤坂離宮の西門から離宮内に入っていくではないか。

そのまま行列に並んで、金属探知機を通り抜け、入場券を買って建物内を見学。

一通り見て回って、庭園へと出ると天気も良く清々しい秋の空気に包まれた。

庭園から建物を眺め、噴水の水しぶきを浴びる。

思いがけず明治からの東京を、本日も味わった。

欧化政策に躍起になって、背伸びをした日本人がいた。

その行き着く先の一つが1945年の敗戦だったのか、と思うと複雑であります。

本日の収穫。

それは、初めて江戸城内郭と城下を取り巻くように造られた延長約14キロの濠。

そのうちの4キロが史蹟指定されていることを知った。

4キロ範囲の江戸城外堀跡の史跡は、赤坂見附、喰違見附、四谷見附、市谷見附、牛込見附であるが、喰違見附以外は、子供の時から馴染みがあった。ちょっと調べてみた。貼り付けます。

1612(慶長17)年、甲州流軍学の創始者・小幡景憲(おばたかげのり)によって縄張りされたと伝わる江戸城外郭門のひとつ。江戸城の城門は枡形門と呼ばれる石垣をコの字型に巡らした強固なものですが、喰違見附は土塁を前後に延ばして道をジクザクにして直進を阻むという、戦国期以来の古い形態の虎口(こぐち=城の出入口)の構造です。

以上、午前中の散策報告でした。 

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