羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

旅の企て・・・・

2018年04月17日 14時30分00秒 | Weblog
 昨年、6月5日に介護施設に入所した母は、今年に入って非常に落ち着いてくれた。
 ひとえにスタッフの皆さんの尽力の賜物と感謝以外の何ものでない。

 93歳になっても、良い方に変化する力を持っている人間の可能性に、娘として驚きすら感じている。
 食事への意欲もある。
 排泄もちゃんとさせてもらえる。
 専門の口腔ケアも受けながら、入浴も定期的にさせてもらえる。
 からだの気持ち良さが土台となって、次第に、生きる意欲が湧いてきたのだと思う。

 これからどのくらいの期間はわからないが、しばらくこの状態を維持してもらえたらありがたいと思っている。
 私の中でも母をお預けして、安心できる状態に達した。

「母・娘、共依存から脱皮できたのは、どんな理由ですか」
 先週末の土曜日に、新宿駅への帰り道でたずねられた。
 その時はうまく答えられなかった。
 今になって言葉にしてみると。。。。。
「生きよう」とする意欲が、母のからだの快適さによって生み出されてのではないか、と思える。
 膝が痛い、腰が痛い、肩が痛い。一切ないのだ。
 身体的な不快感を全く訴えない母である。

 先ほど、介護施設の提出書類の書き方で、介護支援専門員の女性と電話で話をした。
 その際、感謝の言葉を添えて、この話をすると彼女の答えが返ってきた。
「ユニット長の男性が、非常に明るいことが項を奏していると思いますよ」
「確かに!」

 個室には、夜になって寝に行くだけの暮らし方で、常に誰かの目が母に届いている。
 来る人ごとに話しかけてもらえている状態が、入所時期よりも元気になった一本道である。

 そうはいっても、今のところは安定していても、いずれは施設からの呼び出しがかかる日が必ずやってくる。
 その前に、目的なしの旅に出たい、と急に思い立ったのは、15日日曜日のことだった。
 それくらいは神様も許してくださるだろう、とタカをくくった。

「野口三千三伝」の取材では勿論ない。
 40年の仕切り直しである。
 早速、日曜日に宿を予約した。
 16日・月曜日には、新幹線の往復座席をとった。

 かくして東京脱出ゴールデンウィーク作戦では、伊豆天城の山中近くにある温泉で過ごすことにした。
 耳では、蓄音機でレコードが聞ける。
 舌では、ジビエ料理を味わわせてくれるらしい。
 昭和に還る旅。
 といっても、たった二泊三日のことである。
 何れにしても、デジタル世界から、しばし離れる贅沢をさせていただこう。

 天気予報は、今のところ、”曇り時々小雨”である。
 温泉はあったかくても、外は寒そうだなぁー。
 まぁ、小雨にけぶる風景もまたよし!としよう。
 
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サーカス「玉乗りの玉」の色!

2018年04月10日 14時13分17秒 | Weblog
 先日、4月8日のこと、昭和30年に東京藝術大学美術学部油絵科に入学したYさんにお話を伺った。
 戦時中の体験から、戦後になって野口三千三の授業を受けた時を中心に語ってくださった。
 正確に話をなさろうと、時に目を閉じて当時の情景を浮かべていらっしゃるのか、できるだけ正確に思い起こそうとなさっておられた。
 持参した「野口体操の会」会報 創刊号に最後に掲載した「サーカスの玉乗り用の玉」の写真を見ながら呟かれた。
「この玉は色がついていたんですよね」
 迂闊だった。
 全く想像しないまま、目の前にあったサーカス玉ばかりを見ていた。
 こうした迂闊さは、おそらく随所にあるに違いない。
 google検索で「昭和20年代のサーカス玉乗り用の玉」を検索した。
 上から3、4番目に「羽鳥操の日々あれこれ」2005年12月8日
 野口体操との出会い12
 見つけた。

 思わず読み返した。
 忘れていることもあった。
 佐治さんからのコメントも貴重だった。

 先入観を持ちすぎるのも問題だが、想像力欠如も問題だ。
 自分の知らない時代を、知っていても幼すぎた時代を、全く知らない世界を、どのように理解するのか。
 ものすごく大切なことに気づかされた「サーカス玉の色」であった。
 Yさんが懐かしい玉の写真を見た、まさか瞬間に発せられた”言葉・声・表情・身振り”等々が、昭和30年ごろの「色付きの玉」の存在を確実に伝えてくれた。
 あの生々しさは、かけがいのない出会いだった。
 所縁の方々に会ってお話を聞く醍醐味は、こうした何気ない予期せぬ瞬間に語られる言葉に出会うことである。
 ここがいちばん肝心なところだ。
 
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身体講座の伝統・・・そこから見つけられた我がライフ・ワーク

2018年04月08日 07時00分51秒 | Weblog
 今年に入ってから、2月と3月に、会の中身は異なるものの、朝日カルチャーセンターで「身体系」の講座を受け持っている方々と席を共にする機会を持った。
 身体といっても、からだだけの問題ではなく、40年前には「こころとからだ・心身一如」的な講座の流れを組む講師たちである。

 野口体操が朝日カルチャーセンター新宿校で開講されたのが、確か1979年だったと記憶している。
 1970年代から80年代は、「身体の復権」の時代だった。
 敗戦後、長らくアメリカ的な価値観による医療や訓練法一辺倒だったが、そこに風穴が開けられたのがこの時代である。
 それまで座布団の下に隠されて息を潜ませていた東洋的・日本的な身体の見方に光が当てられたのだ。

 ホリスティック医学(医療)、野口整体、西式健康(呼吸)法、漢方、鍼灸、ヨーガ、太極拳・・・・・様々なものの活動が始まった。
 欧米内におけるアンチ西洋的な活動としては、アレクサンダーテクニークやフェルデンクライス、少し遅れてロルフィングなどが日本にもたらされた。
 哲学はメルロポンティ。文化人類学も脚光を浴びていった。
 野口三千三の野口体操は、哲学や文化人類学の視点から、戦後における「第一次身体ウェーブ」にふわっと乗せられた感がある。

 それからほぼ20年。
 野口が1998年に亡くなった頃から必修科目であった大学の体育が選択科目になった影響から、スポーツやトレーニング中心に加えて、ヨガや太極拳、インド武術等々、古今東西の文化的な価値観の裏付けを持つ身体技法を学ぶ講座が正課体育中に導入された。身体のコンディショニングの東洋版でもあった。
 つまり野口没後、「野口体操」は、唯一日本生まれの独自価値観による体操として選ばれ、芸術系とは別の東京六大学の正課体育に導入された経緯がある。
 この時期が「第二次身体ウェーブ」と言えるかもれない。

 20年経ったこの時は、第一世代の大御所のほとんど鬼籍に入られていた。
 したがって、その方々の助手的な存在だった数少ない人材が、登用されていったような印象を持っている。

 さて、大学とは別に、朝日カルチャーセンターでも、70年代・80年代の第一ウェーブについで、さらに積極的に講座が次々と生まれていった。
 第二次ウェーブは、若者から年齢の高い方々まで網羅して、単なる「健康志向」だけではない方向が求められている。

 ここまで経過をたどってみる。

 第一次ウェーブは、身体に軸をおいた哲学的な欲求を持つ人々に選ばれた活動。

 第二次ウェーブは、感性・感覚を軸としたもう少し幅広い一般人をも巻き込んだ活動に変化していった。

 第三次ウェーブは、東西が融合されるかのような新たな時代が到来している。
 それは、まさに、今である。
 第一次の始まりから、ほぼ40年の節目、今年になってより顕在化してきた感がある。

 ブログの最初の話に戻ると、それらの活動を中心として担っていくであろう指導者に、図らずも、直接、出会う機会が得られたことは偶然ではない、と思っている。
 久しぶりに会った同年輩の方からも、あまり馴染みない若手の方々からも、必ず私に託される言葉がある。
「僕たち(私たち)が、こうして今あるのは、朝日カルチャーの二階さんのお陰なんです。お会いになったらよろしく伝えてください」

 40年前、まさか、このような流れになるとは、彼女とて想像だになさらなかっただろう。
「二階は、何をやっとる」
 上層部からの批判の声を聞いたのか聞かなかったのか、それはわからない。
 しかし、直接世話になった方々も、ならない方々も、カルチャーの身体(心と体)講座の伝統に組み入れられて、それぞれが立ち位置を持ち得るのは、伝説の二階のぶ子を置いて語ることはできない、と私は確信した。

 10年ひと昔、というけれど。
「あれから、40年である」
 長かった。いや、あっという間でもあった。

 私は思う。
「老兵は去るのみ」時も近い、と。

 時代が、逆巻いて変わっていく。
 今、この時、変わらないのは何か?

 最近になって、変わらないものの手がかりとして、残しておきたいことが見つかった。
 残された時間で、我がライフ・ワークを丁寧に紡いていくことができたら幸せ。
 そんな気持ちを後押ししてくれような太陽の光を浴びた灌仏会の朝である。
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暮らし方

2018年04月06日 07時24分54秒 | Weblog
 昨日、誕生日を祝う手紙をいただいた。
 そうか、花祭りの4月8日はもうすぐ目の前に来ているのだ、と手紙を手に郵便受けの前で立ち止まってしまった。
 69歳。
 数え歳では70歳になる。
 そんなに歳を経たような自覚はまったくないのが、正直な心持ちだ。
 
 野口先生の70歳ごろを思い出してみると、お若くもあり、老練でもあり、流石に戦争をくぐり抜けて「野口体操」を創造し続けた一人の体操教師としての尊厳を感じさせてもらっていた。
 龍村仁監督の「お手本は自然界」セゾン3分CMでの活き活きした姿や話ぶりや動きは、70歳代を生きている貫禄と華やぎに満ちたものだった。

 当時、教室に通ってくる皆さんにとって、歳をとる「お手本は野口」だった。
 一週間の終わりに教室に入ってレッスンを受けることで、リフレッシュされている方々の集いだった。
「これでいいのだ」
 会社や、家族や、友人知人・・・・・、なんとなくの違和感や不自然さを、野口レッスンで洗濯させてもらって英気を養う。
 レッスンのあとの一杯のビールが美味しい!という方もいらした。
 心身がほぐれて乗り込んだ電車の中でのうたた寝が、気持ちいい!という方もいらした。

 そんなことを思い出しながら、これからの自分の70代をいかに生きようか、と問いかけている。
 哲学的な答えを求めているわけではない。
 目の前の、いや足元の日常の暮らしを、少しだけ変えていきたい、と思っている。

 母が入所して8ヶ月。
「ここらあたりでよかろうか」
 老いの身丈にあった暮らし方を、ぼちぼち本気で探すことにしたい。
 焦りは禁物。
 しかし、のんびりし過ぎてもよろしくない。

 周りを見回すと、危ういことばかり多い。
 現在のカオスが、新しい良き事を生み出す動揺であるならよいのだが。
 果たして、世界を覆う右傾化が、不気味な怪物を生み出さないことを祈りたくなる。。。。。。

 東京の桜花はすでに散った。
 新緑が眩しい灌仏会の日は間近い。
 無信心の私でも、お釈迦様に見守られていることを感じる誕生日なのであります。
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「野口体操の会」2年目の春・・・・巡礼の時はじまる・・・・

2018年04月04日 08時31分37秒 | Weblog
 今朝、Facebookを開いたら、一年前に書いたブログのことが知らされていた。
「あの日、2017年4月1日は、寒かったなー」
 懐かしく思い出された。

 さて、「野口体操の会」創立2年目の春。
 施設入所した母の様子も落ち着いたこともあって、積極的に野口三千三ゆかりの方々に連絡をとって時間をいただき話を伺っている。

 鹿児島に93歳になられるNさんを訪ねたことは、このブログでも報告させてもらった。
 先日は、拙宅に野口体操教室の先輩Tさんが、わざわざ来訪してくれた。
 戦後、野口が演劇に関わった昭和20年代後半から30年代の貴重な話を伺うことができた。

 今度の日曜日には、「ぶどうの会」「民藝」の演出家・岡倉士朗に野口をめあわせた藝大の卒業生の方とお目にかかれる約束がかなった。
 また、5月になってからは、野口とは時間のズレはあるものの、戦後の間もない頃に江口隆哉・宮操子舞踊研究所にいらしたモダンダンス界の大御所の方にも話を伺うことができそうだ。

 早、野口三千三が亡くなって21年目に突入した。
 皆さまかなりのご高齢である。
 しかし男性は矍鑠とし、女性は凛とされて、揃って素敵なお歳のめされ方をなさっている印象である。 

 それとは別に、3月23日(金)には、座・高円寺で催された「ソマティック・ダイアローグー竹内敏晴ー」に参加して、かつて「竹内レッスン」に在籍していた方々に会うことができた。
 
 手紙や電話で打ち合わせをすることからも感じられるのだが、これまでも、ここからも、お目にかかる人に共通していることは、「からだ」と「ことば」への関心が深く、独自の価値観をしっかり育んでおられることだ。
 すでに泉下の野口と出会っていらっしゃる方も少なくない。
 もっと早く動き出したかった。
 が、こればかり言ってもせん無いこと。

「野口三千三・野口体操についてお話聞かせてください」
 何方もそれぞれの青春と重なっている。
 ご自分の来し方を振り返って、丁寧に誠実に語ってくださる。
 聞く私には、戦前・戦中・戦後と、過ごされた時代と社会の様子が、ありありと伝わってくる。
 これは醍醐味である。

 野口体操は「個を尊重する体操」である。
 にも関わらず、俯瞰してみると、時代と社会が求めた独自の体操でもあると思えてならない。

 こうして人を訪ね、土地を訪ねる”私の巡礼の時”は、始まったばかりである。
 
 ひとえに、会報『早蕨 SAWARABI』に、「野口三千三伝」を載せましょう、と提案してくださった事務局の近藤早利さんのお蔭です。
 そして快く引き受けてくださるお一人おひとりの野口への熱い想いに支えられていることをお伝えします。

 


 
 

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見えるものを見たままに描こうとする執念・見えないものを見えるものに転換して描こうとするイマジネーション力

2018年04月01日 09時11分56秒 | Weblog
 特別展『人体 神秘への挑戦』科学博物館について、話をしているうちに、思い出したことがある。
 それは2014年3月〜6月、ちょうどこの時期に開催された特別展『医は仁術』である。
 100年に一度しかできない素晴らしい特別展だと、監修・企画・調整の鈴木一義氏が話しておられたこと。
 たまたま会場に入った時、数名の方に説明しながら、会場を回りはじめた鈴木氏に出会って、何気なくその後をついて話を伺った。
 贅沢なギャラリートークは、1時間を超えてしまった。
「漢方」は、日本で洗練され、深められた優れた医療行為であることが伝えられた。

 今朝、その時の和綴じ本形式で作られた解説書を探し出した。
 今回の「人体」の解説書とは全く趣が異なる。
 つまりそれを意識して和綴じ本にした企画者の並々ならぬ思いを改めて知ることができた。

 どちらも「見たものを見たまま描写する執念がある。同時に、見えないものも見えるものに視覚化するための飽くなき挑戦」の賜物だ。
 同じ人体を見ながら、双方の違いはイマジネーションの傾向の違いで、表現された世界は相当に異なって見える。

 ただし、西欧のリアリズム、微細なもの・見えないものまでも道具を使ってでも描き出す欲求度・熱量は、想像を超えて高いものがあることを今回も感じさせてもらった。
 DNA解析・ゲノムデータから復元された縄文人は具体的な例である。すでにゲノム情報を超えた先の情報も研究対象になっているという。
 見えるもの・見えないものを視覚化する先に、単独の臓器と脳の関係から、臓器同士の情報のやりとりによって生体が維持され「生きる」ことを支えていることの発見。
 ガン細胞と血管の関係。
 本日、午後9時NHKで放送される「毛細血管」の話等々。
 西欧のとことんリアリズムの姿勢が求めた先にある、次なる世界の扉がすでに開かれていることを、特別展ではさらりと示していた。
 その研究は、欧米人だけではなく、国境を超え人種を超えて、生命科学に関わる多くの人の共同研究によるものであることは、誰でもが知ることとなった。

「医は仁術」の解説書と「人体」の解説書を並べて見ていると、双方の文化の違いを否応無しに見せつけられる結果となる。
 しかし、良し悪しの問題・上下関係の問題を超えて、「漢方が目指す先の医療」と「西洋の医療がこれから進めようとしているあり方」双方を視野に入れることは「人間とは何か、自分とは何か、自然とは何か」野口体操の問いを続ける上で大切な要件なのではないかと、気付かされた。

 アルファベットの世界の捉え方、漢字のみの世界の捉え方、漢字とひらがな・カタカナの世界の捉え方、今はまだ混沌(カオス)の中にあることが、いずれ新しい道を見つけ出すのではないか、大風呂敷を広げている夢を見た。
 野口体操に引き寄せれば、生身の身体に根ざした「リアル」と「イマジネーション」の関係を読み解きたくなってきた・・・・・・わけであります。
「自然直伝」とは、よく言ったものだ!
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上野寛永寺〜科学博物館〜花のお江戸上野公園

2018年03月31日 07時13分17秒 | Weblog
 3月29日、この日しかない、とおもいたって、野口三千三先生のお墓参りに出かけた。
 昨年は、東京藝術大学・体育館で行った「野口体操の会」創立総会の前に、ご参加いただいた会員の方々とお参りをした。
 真冬のように寒い一日だった。
 小雨模様の中での移動となったが、迷子も出さず無事に全ての行事を滞りなく終えることが出来た。

 うって変わって、春に三日の晴れなし、という諺はどこへ。
 今年は桜の開花の日から連日のこと晴天に恵まれた。

 人気のない寛永寺第二霊園は、静寂そのもので荘厳と言ってもよい雰囲気に包まれていた。
 静かに手を合わせ、1年間のご報告をさせていただいたが、68年生きてきた私の時間の中でも、3本の指に入るくらいに大きな変化の年となった。
 反省することは色々あったものの、全体を振り返ってみると、なかなかいい一年であった、と思える。
 そして、この1年間ほど、多くの方々と新たに巡り会い、助けられて、これまでにない動きの兆しが見えた年はない、と思える。

 墓地を出て、10時に科学博物館で開催されている「人体ー神秘への挑戦ー」展示会場に入った。
「春休み」「満開」「パンダ」全てが揃ったこの日、上野科学博物館内は、子供からお年寄りまで人で埋め尽くされていた。
 展示されている標本・書籍・パネル等々、素晴らしい。
 こうした一級品を見せるためには、展示方法に工夫が欲しかった。たださえ人混み状態なのだから、迷路(人体の形の部屋のようだが)にしない配置にできなかったのだろうか、と素人ながらもひとこと言わせてもらいたくなった。
 
 野口先生存命の頃から「人体」に関連した特別展は何回か開催されてきた。
 その都度、欠かさず見てきたつもりだが、とりわけ「独立行政法人化」されてから、人集めに必死になっているような気がしてならない。
 言葉は悪いけれど、受けを狙った”これ見よがし傾向”が見受けられるようになった、と思うのは私の偏見によるものだろうか。

 実のところ入場制限はかけられないとしても、「立ち止まらないでください」と声かけアルバイトを立たせなければならない状況の中で見せるのは、如何なものか、と思えてならなかった。
 展示物の中には、現物の標本が混ざっている。かつて生きていた人や動物、つまり生きものの体の一部なのだから。
 精神を上に置き、肉体を貶める意識はないとは思う。ただし、精神の精華としての芸術作品を上に置き、科学研究の成果である標本を下に見ているとは思わないが、隣接する国立博物館の展示理念との違いを否応なしに比較していまうのは、これまた私の偏見だろうか。
 尊厳が失われた神秘は、神秘でもなんでもない。
 ひとえに惜しい。

 それでもみる価値はあります!
 どなたにでも手放しですすめられませんが、春休みをはずしてぜひ行ってみてください。
 今までにない標本や書物に出会えることは確実です。

 さて、博物館を出ると、春爛漫。
 上野公園の桜は見事に咲き乱れ、花見客が押し寄せ始めていた。
 思いきり胸を張って息をし、春の空気を吸い込んだ。
「野口先生、巣鴨であったり、新宿だったり、上野だったり、お花見によく出かけましたねー」
 小さく声に出して、語りかけた。
「亡くなった井上さんには、上野大仏の仏頭を教えてもらったんですよ」
 あの時も満開の桜だった。
 鬼籍に入った野口体操の一人一人を思い出しながら、桜並木には近寄らず遠巻きにそっと眺めて、ゆっくり上野駅に向かった。
 ちょうど正午。
 上野駅公園口周辺は、人人人で溢れていた。

   *******

 
 本日は、土曜クラスのレッスンに、特別展「人体」公式解説書を持って行きます。
 解剖の歴史から始まって、一番新しい「人体の見方」までが網羅されていて、読みごたえ・見応えがあります。
 
 では、3月最終日、よき一日となりますように。
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半世紀ぶりに母とお花見・・・許しの時間

2018年03月25日 18時32分40秒 | Weblog
 東京の桜は満開。
 なんでも満開というのは八分咲きをいうそうだ。

 日曜日、晴天に恵まれたので、午後1時施設に母を訪ねて、近くの公園に誘い出した。
 施設の場所は杉並区内だが、中野駅北口再開発地域に接している。
 大学が三校、野方警察、警察病院、キリン本社等々が公園を真ん中に取り囲むよう配置されている。

 四季の森公園から明治大学と帝京平成大学の間にある桜が満開だった。
 両校の間を抜けると、明治大学の中庭に出られる。
 ここは一般にも公開されていて、誰でもが自由に出入りすることができる空間である。

 以前、国際日本学部と数理学部の学生を、一階にある多目的ホールで、数年間授業をさせていただいた。
 もちろん、野口体操である。
 部屋の広さも床も、日差しも、外との関係も申し分ない気持ちのいい空間だった。

 この中庭に誘って、私は芝生に腰をおろし母の足をマッサージしていた。
 春の日差しが全身に降り注いで、次第に体が温められていった。

 周りでは子供連れのお父さんお母さんが、子供達を遊ばせている。
 お祖父さんやお祖母さんも孫の後をフーフー息を切らしながら追っかけている風景の中で過ごすことができた。
 幼子がやっと立ち上がって歩き出しては転ぶ。
 走り出せるようになった子供たちも、キャキャと声をあげて追っかけっこをしている。
 そんな姿を母は、嬉しそうに眺めていた。

 春うらら・・・・こんなに穏だやかな時間を、母と過ごすことができるとは、一年前には想像すらしていなかった。
 
 母93歳、娘69歳、ともに老いながらも人生の黄昏の中で、なんとも美しい時間をいただいたような気がしている。
 生きているうちに”許しとき”が得られて、「これでいい!」と思える幸せに包まれた。

 真っ白なコブシの花に満開の桜。
 春の風に運ばれる草の匂い。
 すべてが素敵だと思う。
 
 半世紀ぶりに母とのお花見🌸
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熟成、そして一歩前に・・・・・

2018年03月22日 07時12分27秒 | Weblog
 今週は、新たな読書を控えて、中野一雄著作物の熟成期間として過ごした。
 はじめて最初の1ページをめくったときの「抽象音声」に対する戸惑いは、全く払拭されたわけではないが、見通しが良くなってきた。
 
 そんなこともあって、次の一歩を踏み出す心構えがでっkた、と言えるかもしれない。
 3名の方に、インタビュー依頼の手紙をお出しした。
 どのようなお答えをいただくとしても、お任せしたいと思っている。
 一通の手紙を書くにしても、なかなか思い切りが求められる相手もあって、不器用な私としては、清水の舞台から飛び降りるつもりで、一筆したためた。

 なんとも、この一歩で弾みがついて、次なる行動を取ることに楽になった感じがしている。

 一歩ずつ、焦らず。しかし迅速に動かないと自分自身も含めて高齢化の波が押し寄せてくているのだから・・・・・・。

 おかげさまで「野口三千三伝」の昭和30年台まで、何本かの柱が立てられそうだ。
 原木を削り出すための読書とインタビューに、時間を振り向けたい。
 辛抱の時間は、結構、楽しみなのである。

 今週末は、取材も兼ねて、イベントに参加予定。
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建物疎開(破壊消防)

2018年03月21日 14時23分06秒 | Weblog
 今週の「わろてんか」は、昭和18年から19年、いよいよ戦争末期に突入した。

 先週までの映画作りの話では、検閲によって台本がズタズタにされる話だった。
 それを見ながら思い出した。
 昨年のこと、松竹映画の復刻版・国策映画のDVDを何本かを手元に取り寄せて鑑賞した。
 これだったのか、とドラマを見ながら思い出した。
 この時代が描かれていて、なかなか興味深かった。
 表現自由、言論の自由が失われて、作りたい映画も舞台もすべて御法度の時代。

 新宿に暮らしていた母は、空襲ギリギリまで、映画や芝居やレビューを見ていたらしい。
 昭和18年、客席はまばらだったが、藤原義江が一生懸命歌うのを聞いた記憶は鮮明に残っている。
 そう母が話してくれたこれたことを思い出した。
 
 そして、本日の「わろてんか」は、いよいよ19年の「建物疎開(破壊消防)」の話だった。
 この年には、東京體育専門学校に赴任していた野口三千三である。
 野口は、学生たちを引き連れて破壊消防の建物取り壊しの監督官をしていたそうだ。

 母の実家は、淀橋浄水場の脇、小学校に隣接していたこともあって、建物疎開にあったとも聞いた。
 東京體専は幡ヶ谷・西原町にあって、母の実家からは目と鼻の先の距離である。
 もしかすると野口と学生たちによって、建物は壊されたのかもしれない、と思うと胸がキュッと締め付けられる。
 ドラマから、母や野口から聞いていた話を思い出させてもらっている。

 朝ドラで、建物疎開をこうした角度から描くのは初めてのことではないだろうか。
 片付けをして、最後に芸人の名札を一枚ずつはずしながらいう台詞がたまらなかった。

「・・・・疎開しましたな」
「・・・・戦死しましたな」
「・・・・戦死しなければスター芸人になれたのに・・・・・」

 次々に人が去っていく、理不尽が描かれている。
 それが戦争だ。

 声高に戦争反対と言わなくても、ジーンと迫る内容だった。

 大正14年生まれの母は、小学校に入学したときから戦争が始まった、とよく言っていた。
 野口体操の誕生には、戦争が深く影を落としている。

「野口三千三伝」を書き始めて、資料がどんどん集っていくうちに、母が育った時代、野口が教師として過ごした時代が、少しずつ見えてくるようになった。
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「抽象音声」から気付かされたこと。。。。。

2018年03月21日 09時27分54秒 | Weblog
 中野一雄の三部作
『浮島物語ー抽象音声を駆使した物語風エッセイ』
『影太郎三態ー抽象音声を基調とした物語風エッセイ』
『みみなぐさー抽象音声を活用した物語風エッセイ』

 駆使・基調・活用、それぞれに微妙なニュアンスの違いを持たせて創作されたエッセイを読んだ。
 読み始めた時には、雲をつかむようで何が何やら理解できなかった。
 迷惑を顧みず、朝日カルチャーの土曜日と日曜のクラスで、10日、17日、18日つごう三回も、何はともあれ生煮え状態のまま話させていただいた。
 話を聞き、本を見せられて、何人かの方はAmazonから取り寄せられたことが17日に判明した。
 動いた人は羽鳥を入れて4名なのだけれど、中野一雄エッセイ三部作の値段が猛烈に高くなった。在庫切れになった本もある。
 もう一冊の『ロイ・モルガンと日本』などは、私が手に入れたときから、10倍の値段に跳ね上がったものしかなくなっている。
 これってビッグデータ!のなせる技かな?

 三部作の中で、シェイクスピアの例が理解を促進させてくれた。
 ハムレットは実在しなかった。
『ベニスの商人』の高利貸シャイロックを演じたヘンリー・アービングのエピソード。
 1、シャイロック登場の最初の第一声『三千ダカット』の3 「three」θ 子音の調音に独特の舌尖神技を示した云々。
 2、立ち居振る舞い

 1、と2、の1秒足らずの勝負にかけた名優の演技と声(音・調音)は、彼独特の工夫と訓練の成果だ、と著者は書く。
 短い瞬間にシャイロックの全てを集中的に表現しようという試みがあった。
 一回性の演劇の舞台を何度も繰り返し見たくなる。
 一回性の永遠性が隠されている、という。

 アービングの演技に魅了された観客の中に、実在しない人物・シャイロックが実在する人物となった瞬間である。

 著者は書く『抽象音声は一回性とともに多回性をも付与されている』と。

 ここを読んで、私は、思わず膝を打った。
 つまり、私が慣れ親しんだ西洋クラシック音楽の楽譜は抽象音声の極致であった、と理解できた瞬間だった。

 はじめてある作曲家の曲の練習に取り掛かると、これが全く音楽になってくれない。
 ところがある程度弾けるようになって、二曲めにうつると不思議なくらい理解が早くなる。
 さらに名演奏家の演奏をレコードを聞く。さらに名演奏家でなくても生の演奏を直に聞く機会を持つと、自分で曲を演奏する大いなる助けとなる。

 実にクラシック音楽の楽器、とりわけピアノは、真ん中のA(ラ)の音を、440サイクルに調音して、その音を基準にして12音平均調律する。
 調律師の腕で、古典の曲と弾く場合、ロマン派の曲を引く場合、近代フランスの曲を弾く場合で、多少オクターブの幅を揺らいで調律してくれる。
 ということがあっても、基本的には音の高さを振動サイクルに合わせることが習わしである。

 その点では、邦楽の調音とは考え方が全く異なる。
 これは「音」に対する感性の違いであり、脳の働きの違いである。
 40年以上になるだろうか、日本人の耳・西洋人の耳、右脳と左脳の問題を論じた角田論文が思い出された。
 波形が決まっている楽音以外の音は雑音に分類して聞く耳と、虫の音も楽音と同じ聞き方をする日本人の耳の違いは、そのまま楽器の違いであり音色の作りの違いであった。

 こうしてみると中野一雄が求めた理想とする発声は、西洋文化(音声言語)をいかに自分の文化として取り入れるのか、といった視点から聞くと多くの明治・大正・昭和前期の日本人の発声そのものが耳障りに聞こえたのではないだろうか、と推察できる。
 
 唯一絶対の神を祀る教会の聖歌隊の発声をよしとする価値観と比べれば、日本文化の楽器や発声はむしろ八百万の神々・多様性を重んじる価値観を潜めている世界ではないだろうか。

 野口三千三は中野一雄の講演を聞き、感動とともに相当なショックを受けたらしい。
 おそらく何冊かの中野著作を読んだ可能性もなきにしもあらず。
 ただし、そこには微妙な心理が働いていただろうと、私は勝手に想像の翼を広げて、当時の様相を俯瞰して見たくなる。
 次の野口語録は、野口自身の文化的な居心地の悪さを超越して、苦しみあがいたのちに到達した言葉ではないか、と今は読んでいる。

《 すべてのことにおいて絶対的な基準は存在しない。すべての基準は、関係によって相対的に・そのつど・今ここで・新しく自分の裏(なか)に生まれるのだ 》

 今まで、私は、この言葉をなんと浅く読んでいたことだろう。
 愕然として驚き、慌てふためいている(野口の言い回しをいただこう)。

 さらにつづく。

《 すべての「もの・こと」は循環する。循環しない「もの・こと」は存在しない。すべての存在は、循環過程の一つの姿である。これを「万物流転」といい「輪廻転生」という。 》

 本日は、これにて。。。。。。
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美声とは? 

2018年03月18日 09時14分00秒 | Weblog
 入院中の佐治さんからメールをもらった。
 昨日の朝日カルチャーセンター土曜クラスで、ご本人の許可を得て読ませてもらった。
 鹿児島の旅以来、中野一雄(実験音声学者)の「抽象音声」をテーマにしている。
 この概念が今ひとわからない中で、佐治さんからのメールで理解まではいかないが、何となくわかるような気がしていてきたからだった。
 病院には『瞑想室』があるようだ。そこで野口流ヨガ逆立ちをなさっている写真もブログにアップされている。

 1通目と2通目のメールの一部をここに貼り付けさせていただく。

《朝、「原初生命体としての人間」を開き、聖書に誓うように先生の書かれた甲骨文字のサインに手をのせます。
 最初からゆっくり読み始めていますが、からだを患っている身から読むと、また違った、新鮮な感動があります。

 セピア色にあせたページを捲りながら、未だにいろいろと語って下さる先生の言葉をかみしめています。
 何よりも幸せなことは、活字の裏から「実際の先生の声として」聞こえてくることです。
 いったい声の記憶ってどこに仕舞われているんでしょうね。》

 まさに、今、テーマにしている、というか探っている「抽象音声(一般抽象音声・具体抽象音声)」と「具体音声」の明確な答えだ。

 そこで私も野口の声をおもだしてみた。
 60代の声から70代、80代、そして病を得てなくなる頃の声。
 そのほか録音された声。NHKラジオで放送された音声、NHKGTVで放送された声、野口三千三授業記録の会に残っている家庭用ビデオカメラに別マイクを装着して録音した声。
 どれも違って聞こえる。と同時にどれも野口の声である。

 では、私の記憶の中の野口の声は、と思い出してみると、かなり曖昧になりつつある。
 曖昧になりつつありながら、はっきりと思い出すこともできる。

 さて、中野一雄著『浮島物語』213ページを読んいると、面白い話に出会った。
 終戦後の国際裁判で、アメリカ人検事の一人が
「日本人のいう渋い声とは具体的にどんな声か」
 中野一雄に問うたくだりである。

 そこで彼は、かつて吉原で美声をもって浮名を流した都々逸の達人にとっておきの見本を一曲示してもらったそうだ。
 するとアメリカ人検事は、次のように言った。
 そのままここに書き留めることにする。
『あの声を、あなたは「訓練された声(きたえた声)」と英訳しているが、私には適訳とは、どうしても思われない。発声訓練の目的は、美声の獲得と維持にあるのだから、訓練という言葉を使うなら、むしろ「訓練過剰の声(きたえすぎの声)」といった方がが正しかろう。声帯を乱用した結果として、終生、不規則な振動を伴った病的な声だよ。あの声で聖歌をうたったなら、教会は悪魔の殿堂に化してしまうかもしれないよ。』

 教会の聖歌隊と吉原の都々逸の声、その比較以前に単なる美意識の違いであると、簡単に言えない比較文化的な問題を呈する発言ではないだろうか。
 何をもって「美声」というのか。
 何をもって優れた文化といのか。
 そもそも「文化」とは何か?

 思い出したことがある。野口の自身の声に対する思いだ。
「戦時中、群馬の空っ風の中で、大勢の人間を動かすための号令をかけ続けたことがあるんだ。教師の中で僕ほど声量もあって美声だった者はいなかったからね。でも、号令かけを続けたために、すっかり喉を潰してしまったんだ」
 アメリカ人検事の言葉を借りれば、「声帯を乱用した結果、その後の人生を不規則な振動を伴った病的な声で過ごさなければならなかった野口であった」と言えそうだ。

 果たして、そうか?
 記憶を辿ってみると、私の耳の奥に残っている野口声は、決して病的な声の記憶はまったくない。
 美声とはなんだ?

 ベルカント唱法の極限を極めている3大テノールの歌声は、一つの美声である。
 しかし、もし、私がその時に吉原で浮名を流した御仁の都々逸を聞いたら、それもまた美声というのではなかろうか。
 しかし、音大の附属から過ごした10年間、クラシック音楽にとっぷり使って、そこを卒業した後に、奇妙な体験をした。
 能でも歌舞伎でも、邦楽の声と楽器の音が、耳障りだった。ざらつき加減に耳が拒否感を持ったのだった。
 しばらくすると、その拒否感はいつの間にか消えてなくなった。

 結論を求めてはいない。
 おそらく佐治さんが『原初生命体としての人間』を読みながら、聞こえてきた野口の声は、病的な声とは聞こえないはずだ、と想像している。

 実験音声学的な波形からは相当に逸脱しても美声はありうる、と素人の希望的観測である。
 魅了され何度も繰り返し聞きたくなる声と、不快で二度と聞きたくない声はある。

 蛇足を付け加えさせていただく。
 国会中継は、目を閉じて聞くことが多い。すると微妙な波形の乱れから嘘をついているのか、そうでないかははっきりと伝わってくるのであります。
 
 本日は、これまで。
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わくわくする読書

2018年03月17日 10時14分54秒 | Weblog
 世の中には、”知る人ぞ知る○○”と称される人がいる。
 世の中には、”知る人ぞ知る○○”と言われる事がある。

 勿論、野口体操も知る人ぞ知る体操である。
 そのことによって、少なくとも戦後60年間、知る人ぞ知る体操ゆえに支持してもらえた。
 世間一般の常識からみると、どこかズレがある。
 ズレがあるとしたら、野口三千三独自の自然観と人間観とからなる体操が、あまりにも「当たり前」を貫き通した結果生じることのように思う。
 当たり前ということは、案外、社会の中で通用しにくいところがある。
 当たり前に蓋をすることで、なんとかやり過ごし、やりくりして生きていることも多い。

 さて、たわ言は、それくらいにして、九州鹿児島のNさんから教えられた中野一雄の著書を久しぶりの感動を持って読んだことを記しておきたい。
 この実験音声学者は、1909(明治42)年。東京市下谷区根岸生まれ、2000(平成12)年京都没。日本の音声学・英語学の第一人者であった。
 91年の生涯を、生き抜いた学者である。

 Amazonから取り寄せた本を一気に読んだ。
 今週の水曜日に、そのうちの一冊は鹿児島から贈られた。
 一般向きするエッセーではないけれど、古今東西の文芸、英語学、言語学の造詣深さがにじみ出ている。
 それだけにとどまらず、市井の人々の暮らしぶりが、大正・昭和・平成を通して描かれている。

 三冊のエッセー

1988(昭和63)年03月『浮島物語』 ー抽象音声を駆使した物語風エッセー(79歳)
1989(昭和64)年01月『影太郎三態』ー抽象音声を基調とした物語風エッセー(80歳)
1989(昭和64)年11月『みみなぐさ』ー抽象音声を活用した物語風エッセー (80歳)

 この「抽象音声」の概念が、よくわからない。わかろうわかろうとして読んでいるうちに、物語の面白さに引き込まれて、「抽象音声」への探究心は失われていった。
 そのくらい柔らかな文章は魅力的だ。
 恐れ多くも明治の日本人の凄さに頭を垂れる。

 もう一冊は、英文と日本文で書かれている。
 終戦後の連合国軍占領期にGHQの顧問だった親日派米国弁護士の記録。

1971(昭和46)年6月『ロイ・モルガンと日本』
 中野一雄が見たロイの人柄を通して、敗戦後の日本がいかなる社会であったかが綴られている。
 青史でもなく、かといって裏面史でもない。この当時の日本に起こった事実と真実を知ることができる良書である。

 そんなわけで、今週は、先週に引き続き鹿児島土産の中野一雄著作を読むことを中心に、私の暮らしは回っていた。
 おかげで大正・昭和前期・昭和後期・平成前期の歴史イメージが、急に豊かさを増した。

 必ずしも野口三千三が生きた世界と共通しているとは言い難い。
 それでも日本の社会の重なりの層を一枚二枚三枚とめくっていく面白さにワクワクする読書時間だった。

 GHQ SCAP と渡り合った憲法の佐藤達夫・佐藤功、白洲次郎といった人々をはじめとして、敗戦直後から少なくとも7年間の占領期を支えた多くの明治生まれの日本人を改めて見直している。
「明治は遠くなりにけり」という言葉を随分前に聞いた記憶があるが、こうして歴史をたどってみると、私にとって「明治は近くなりにけり」と言いたくなってきた。

 こうした著書を読みながら、野口が生きた時代の深さを感じている。
 すると、なぜか理由はわからないが、野口三千三の遺言を思い出す。

『最近の西洋文化の流れの中で(流れそのものを尊ぶことは賛成)、「自然直伝」の価値観を重視して生きるように世の中を変えようと本気で思った時期もあった。が、一人ではムリだ。惨めに敗れた。どのように生まれ、どのように育ち、どのようにその価値観の中で、生きていくのかを、甘っちょろいことではなく、もっと厳しいことだと教えられた。価値観の変革は難しい。東洋・西洋と分けるのは嫌い。もうちょっとムリのない自然の価値観(つまり)同じ人間だから、同じ地球上の存在だから、自然の価値観で生きよう。自然という人間から、直接、「自然に貞いて生きるいちばんの中心原理」を教えてもらうべきだ』

 最期の時を迎える少し前に、平成10年3月12日12時35分、病室のベッドに正座し、力をふりしぼって語られた言葉を筆に留めたもの。
 口述筆記から一部を『野口体操 マッサージから始める』の「あとがき」に掲載させてもらった。

 さまざまに絡まって、思いは巡る。
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ようやく・・・・時間がほしい

2018年03月16日 19時35分54秒 | Weblog
「野口体操の会」会報『早蕨 SAWARABI』に、「野口三千三伝」を書き始めて2回分が終わった。
 まだまだ先は長い。
 ここにきてようやくインタビューを頼む方の名簿ができてきた。
 名前と住所と電話番号を書き込んで、ご存命だろうか、などと思いを巡らせる。

 群馬県に少なくとも2回は出かけることになりそうだ。
 町役場で確かめたいこと。
 野口が通ったり訓導した小学校巡り。
 上毛新聞社で調べさせてもらいたいこと。
 あとは川と飛び込みができる堰のような場所を探す。
 ・・・・・等々。

 その他にも、書籍や資料なども読みきれないほど集まってきた。
 そこで野口が生きた時代別に分類を始めている。
 
 そんなことをしていると、大正・昭和、戦前・戦中・終戦直後と昭和30年代の歴史が、以前に比べて身近に感じられるようになってきた。
 とにかく面白い。
 本や資料を読むことも、ゆかりの人に会うことも、地方を訪ね、東京を歩くことも、そこから見えてくることが自分にとって掛けがいのないものことになってきている。

 座敷を分類場にしているのだが、だんだんに野口部屋の様相を呈してきた。
 おそろしかー。
 もう、ここからしばらくは逃れられない。
 逃れたくないのが、正直な気持ちかもしれない。

 このような高齢期を生きるとは、少し前まで想像だにしなかった。
 人生はわからない。
 自分の意志? 
 それはない。
 いつの間にかここまで流れ着いてしまった。
 さぁー、この流れに身を任せて残された時間を大切に生きたい。

 いやはや、本日は寒くなったけれど、春はもうそこまできている。
 
 ふと思う。
 なぜだか知らないが、急に、口をついて出た歌がある。
 
 なにとなく 
 君に待たるるここちして 
 出でし花野の夕月夜かな 

 与謝野晶子だった。
 季節が進んで、春の夕暮れは空気の色が変わる。空気の匂いが変わる。空気の重さが変わる。

 なにとなく切ない。
 その切ない心の揺れを感じながら、見上げた空に細いお顔の月を見たのはごく最近のことだったような。。。。。

 あの日は、菜の花の酢味噌和えを食した。
 全身を覆う春の甘さに、舌だけに苦味がのって、ふと 我にかえった。
 もう、どこに行こうとしているのか、とは問わない。
 
 時間がほしい、とつくづく思うこの頃。
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とんでもないこと

2018年03月16日 16時49分46秒 | Weblog
 最近、Amazonから本を取り寄せる回数が増えていた。
 一昨日のことだけれど、携帯にAmazon.co.jpから「・・・・ご利用を頂き、誠にありがとうございます。ご注文いただきました商品につきましてただいま・・・・」と読んでいまったメールが入った。
 とっさにクリックというか指で触れてしまった。
 実は、それはAmazonの綴りではなく、Anazonだと気付いた時はすでに遅し。
 それから連日、「助成金出金通知専用」と「国政支援信用取引所」から「出金通知」「入金」のメールが、連日のこと膨大な量入ってくるようになってしまった。
 端から捨てているのだけれど、なんとも気分が悪い。
 やめさせる手立てはないのだろうか?
 困ったものです。

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