羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

欠席

2009年10月30日 18時56分39秒 | Weblog
 やはりインフルエンザの影響だろうか。
 授業を欠席する学生が増えている。
 教員室でも話題にのぼっていたので、私のクラスだけでないらしい。
「六、七割の出席ですね」
 
 さらに明日からは大学祭の準備が始まり、11月1日から3日までが開催期間で、4日は後片付けで授業はない。
 つまりインフルエンザに大学祭準備が重なって欠席者がでているのだろう、という見立てだ。

 そのほか‘介護実習’‘就職説明会’が加わってしまう。
 私の記憶に間違いがなければ、教員免許取得課程の在り方の見直しで、民主党が掲げた一年間を通しての教育実習は到底許せない。
 現在でさえ地方で教育実習を行う学生は、時に三週間に及んで授業を休むことがある。この欠席期間は痛手だ。
 それが一年間となったら、授業の履修はどうなるのか。
 そのうえ四年の学部に二年の修士課程が義務付けされたら、教職を諦める学生が出てくることは必定だ。
 それとも修士過程の期間に一年間の教育実習を考えているのだろうか。
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新型インフルエンザ対策のひとつ

2009年10月28日 18時52分28秒 | Weblog
 新型インフルエンザ対策で、学生に自習の手引きを出してほしいと大学の事務方から要請があった。
 そこで授業一回分のリポート課題と、実技は「上体のぶらさげ」を無理のない程度で試みることとした。
 実技の参考としてあげたのが‘野口体操公式ホームページ’の「明日へのまなざし」から‘保健ニュース’の記事と写真、「Web Lesson」から動画を参考にするように指定した。

 実際に授業で習ったとしても、自宅自習となるとむずかしい。
 そこで動画で見てもらえるというのは有効なのではないかと思った。
 実際は、どこまで活かせるのかは、予測はできない。
 いちばんいいのは、インフルエンザにかからないで欠席しないですむことだが、流行はこれからだから準備はしておくにこしたことはない。

 実は、このような状況で、ホームページが活用できるとは思ってもいなかった。
 ホームページ制作に尽力くださっているサジさんに感謝!
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アマゾンで本をオンラインショッピングして思うこと

2009年10月27日 18時50分44秒 | Weblog
 古本でしか手にはいらない本をアマゾンで三冊購入した。
 インターネット上で買い物をするのは、これで二回目である。
 前回は佐藤優本を大量に購入し、着払いで支払いを行った。
 それが、今回はクレジットカード払いにしてしまった。
 なんとなく手続きの流れに沿ってしまっただけのことだった。

 一冊は、名古屋から、もう一冊は大阪から、もう一冊はアマゾンから来るらしい。
 発送メールが次々に入ってくる。
 そこに注意事項があって、私が心配していた内容が書かれていたのだった。
 ネット上にパスワードを打ち込み、カードの種類を選び出し、番号を四桁を四つ打ち込む。なんだか不安だった。いや、正確にいうと、購入してしまってから不安になった。
「なぜ、今回も着払いでたのまなかったのか……」
 思い出してみると、‘着払い’という表示に気がつかなかった。

 こんな思いをするのなら、オンラインでの買い物は控えた方がよさそうだが、古本を探し出す手間を考えるとついつい楽な道にはまってしまいそうだ。
 神保町の本屋街を一日中歩き回っても見つかる可能性は少ない。
 添付された注意事項をよく読んで、これからも自分で気をつける以外に手だてはなさそうだ。
 便利と危険は表裏のものと腹をくくって生きるのみ!であろう。
 今は本の到着を待つことにしよう。
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地球温暖化で東京は亜熱帯化? それでも旧暦では……

2009年10月25日 13時56分28秒 | Weblog
 最近になって落葉樹の葉が、しっかり紅葉しなくなった。
 例年、秋から初冬にかけて、欅、楡欅、楓、紅葉は、それぞれに色づいて、葉を落とす前に華やかな秋を楽しませてくれていた。
 ところが色づく前に葉が縮れて、生気の無い枯葉状態になっている。

 我が家は商店街から一歩入った密集した住宅地だが、風通しも日当たりも悪くない。
 確かに、どこの枝を切ってよいのかわからず放置状態だ。
 それでも水遣りと植え替えは欠かさずに行っている。
 父が亡くなって今年十二月で満七年になるが、ここ数年、ちゃんと色づくことがなくなってしまった。
 育て方が悪いのか、あるいは気温が以前とは変化し始めたのか、よくわからない。
 今年の夏は比較的冷夏だったが、それでもだらだらと夏が長かった。
 十月になってからも暖かい日が続いて、秋を感じるのは、昨日今日でしかない。

 つまり、暑い夏、朝晩の寒暖の差がしっかりある秋、しっかり寒さをもたらす木枯らしが晩秋から師走にかけて吹くという季節のメリハリがすっかり失われたような気がするが、そもそも自然は人智を超えているものと思う。
 
 さて、しかし、それはそれとして、毎年決まって旧暦で年賀状をくれる知人がいるが、日本の行事や季語や季節感は、地球温暖化がかまびすしく言われる昨今にあってもまだ‘旧暦’がよろしいかも、なんて思うこともあるのだが。
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Windows7はパス

2009年10月24日 07時59分00秒 | Weblog
 今回も見送ろう。
 何を?
 Windows7である。
 今使っているコンピューターは、Macから2002年に買い換えた‘XP’。 これと言って不満はない。
 結構、間に合っているのでヴィスタには乗らなかった。
 でも、本当はクラウド・コンピューティングに乗りたいのだ。
 しかし、個人が乗るには整備不足? 環境が整っていない感じを受けている。

 それにプリンターだって、もう十数年以上使っているシロモノ。
 文字印刷が美しいモノクロLASER SHOT(Canon)である。
 これもこれで間に合っているから買い換えの予定はない。
 もうしばらく使いたいと思っている。

 いつになるかわからないが、早晩、コンピューターはクラウドに、プリンターは家中どこからでも使える最新型にしようと心積もりしているのだ!

 前にもブログに書いたが、4年半前に建替えた家は日本の在来工法による和風の家なのに、光ケーブル‘家庭LAN’配線(四箇所使用)をしてもらった。
 当時、この地域でも光が使えるようになるということで、NTTの人が工務店に便宜をはかってくれたので、費用を抑えてもらえた。つまり実験的な試みだった。
 設置状況を建築中に見せてもらったが、もの凄い量のコードが大束状態で一階の天井裏から上下階に分かれて壁のなかに収納されている。
 いまだに一箇所でしか使用していないのが残念であるけれど。
 無用の長物になりそうかな?
 
 それはともかくとして、いろいろをしばらく現状維持のまま待つことに決めた。
 今はむしろポッドキャストを使いたいのでiPodを持ちたい。
 もしかしてiPhone3G最新型はポッドキャストが使えるのかしら。
 
 ムゥ、ムゥ、ムゥ……今日のブログ、こんな風に書いていると、私、何にも解っていない気がしてきた。
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山手線百年……母はいまだ‘省線’

2009年10月23日 08時59分57秒 | Weblog
 電車の気配を感じて、池袋駅の階段を途中から足早に上がると、丁度ホームに滑り込んできた。
「えっ、茶色だ! 明治チョコレート?」
 減速し停車寸前の車体の文字を読む。
「なんだ、新製品チョコレートの宣伝か」
 夕方の混雑が始まる前の四時半過ぎ。
 電車はまだ空いているだけでなく、ターミナル駅では降りる乗客も多い。
 そんなわけでゆっくり焦らなくても、席に腰掛けることができた。

 一息ついて、斜め上方に目をやると「山手線100年」と言う文字。
 山手線と呼ぶようになって今年が百年というわけだ。
 しばらく記念号として茶色の車体の電車が走るそうだ。

 確かに懐かしい。
 子供のころの記憶も、大人になってからも、山手線は茶色だった。
 いつから色変わりしたのか、正確な年代はわからない。
 中央線も同様で、オレンジ色の期間が長く続いていた。にもかかわらず最近になってオレンジ色の車両にごく稀に出くわすと、もの凄く懐かしさを感じてしまう。
 山手線も中央線もすっかり新しい車両に慣れてしまっている。

 十年一昔。
 百年は長い。

 しかし、懐かしい話、ちょっと昔の話をすると、なんと五十年つまり半世紀近かったりする。
 還暦を迎えるというのはそれなりの長さを生きてきたのだなぁ~、と思うことがしばしばある。
 さらに母の昔話を聞いていると、ときどきお金の単位が狂っていることがある。
「五円だったかしら、五銭じゃないわよね」などとのたまう。

 お金の単位や電車の色や名称は、生きた時代をあらわしている。
 そうか、山手線と呼ばれるようになって百年だとすると、私が生まれるたった四十年前に命名されたわけだ。
 まだ百年しかたっていない。長いのか短いのか分からなくなる。

 そういえば八十四歳の母は、未だに山手線を‘省線’と呼ぶ。
 それが彼女の実感を伴った名称だからだ。
 いやはや時は流れ時代は変わる。 
 
 昨日は、茶色の山手線に揺られながら‘残された時間のことも少しは考えよう’とはじめて思った。
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体操の授業

2009年10月20日 08時07分27秒 | Weblog
 とりわけ十月、十一月は、授業に専念する月だ。
 十二月も同様なのだが、そこまで来ると道筋がつけられて、お互いに楽になる。
 今年の後期は、‘初心忘するべからず’、野口体操の原点に立った授業内容にしている。
 
 まず動きにおけるテーマを三点に絞り込んだ。

1、柔らかさ……関節可動域の広さと動きの自由度の高さを約束する伸縮力。
2、力強さ ……筋肉の量的に大きい収縮力。
3、速さ  ……素早く力を解く解緊力。

 実際の動きのなかで、野口体操(視点)ではこれらのテーマをどのように捉えているかを体験する。
 最終的には、‘伸縮力’と‘収縮力’と‘解緊’の三つ巴感覚が、丸ごとのからだのなかでどのように活かされるかがテーマだと言えるかもしれない。
 ここを踏まえて、十一月は新しい展開を考えている。
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高田榮一さんのご葬儀

2009年10月15日 19時29分44秒 | Weblog
 つい先ほど歌人で爬虫類研究家の高田榮一さんのお嬢さんから連絡をいただきました。
 十月十三日、お亡くなりになりました。
 
 高田さんとは、故・吉野裕子さんがお書きになった『蛇』がご縁で、御宅にお伺いしたのが最初でした。
 1988年(昭和六十三年)の晩秋のことでした。翌年が巳年だったので、よく覚えています。

 野口三千三先生に案内されて、はじめて伺ったとき小型で美しいグリーンスネークを手に持たせてくださった記憶が鮮明に甦ってきました。
 それ以来、二十一年の歳月が流れました。
 朝日カルチャーセンターでは、「蛇と親しみ 蛇に貞く」と題して、ボール錦蛇とともにご出講いただき、野口先生とコラボレーションをしていただき、参加された皆様と非常に楽しい時間を過ごしたことが思い出されます。

 その後は折に触れてお目にかかったり、お手紙を戴いたり、『原子力文化』に毎月掲載されている「自然の詩」を通してお付き合いが続いていました。
 享年八十四歳だそうです。
 
 こうして野口先生からいただいたご縁の方が、年々、鬼籍に入られて寂しくなります。
 衷心よりご冥福をお祈りいたします。

 通夜・告別式は次のとおりです。

  場 所:荒川区 町屋斎場 電話03(3892)0311
      都電・荒川七丁目下車3分 
     (山手線大塚駅から野口先生が通われた庚申塚駅を通り越して……)
 
  通 夜:10月16日(金)6時~7時
 
  告別式:10月17日(土)11時~12時
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透明な秋の朝に

2009年10月12日 15時45分50秒 | Weblog
 青豆は車内でヤナーチェックの‘シンフォニエッタ’に耳を傾けていた。
 私のiPhoneにも同じ曲が入っている。
 クリックしたものの、何か違和感がある。
 電車だからか?
 朝だからか?
 四谷を出て外堀沿いを走る千葉行きの総武線だからだろうか?

 時計の針は九時を四分の一、十五分を過ぎたところだった。
 車窓からは、波立つことない青というより緑に近い水面が見えてくる。
 休日の朝の鈍行は、椅子に腰掛けている人がまばらに乗車しているだけだった。
 時折、車内を進行方向から風が通り抜けていく。
 それがなんとも心地よい。
 寒くもなく、熱くもない。

「もしかして、チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトがいいかも」
 いくつかの曲のなかから選び出した。
 退廃的な音楽はこんな朝に相応しくない。
 かといって明るく元気すぎるのも合わない。
 甘すぎず、しかし潤いがあって、若き日の恋を思い出させてくれるようなロマンティックさも兼ね備えている曲。
 それがチャイコフスキーのニ長調のヴァイオリンコンチェルトだった。

 防衛省を通り過ぎた市ヶ谷の堀には、釣堀がある。
 以前から映画に使われていたりする場所だ。
 東京とは思えないのんびり感がいい。
 
 次の駅、飯田橋の堀には貸しボートがある。
 夏はカンカン照りで熱すぎる。
 その点、桜の季節、あるいは錦繍の季節に、ボートを浮かべるのはもってこいである。

 私は、チャイコフスキーを聞きながら、お茶の水に向かう車中から、外を眺めていた。
 ヴァイオリンの音色は、潜んでいた過去を思い出させてくれる。
 それも束の間、電車は御茶ノ水駅に到着する。
 改札を出る。
 さすがに休日。
 行きかう人は普段の半分もいないし、車の往来も少ない。

 大学のロビーにも学生は数えるほどしかいない。
 エスカレーターから下を見ると、そこにはこれまで見たことがない光景が目に入った。ベンチから膝から下をだらりとぶら下げたまま、曝睡している男子学生がいた。
「何があったのだろう」

 今日は、休日講義のある日だった。
 月曜日ばかりが休みが多すぎて、授業日数が足らなくなるからだ。
 ふと、以前のように祭日を戻してほしい、と思った。
 が、しかし、こんな日に授業に出かけるのも悪くない、と思えた。
 秋の空気が透明だったから。
 いつもと違う街の風情も捨てがたいし……。
 
 なぜか、中央総武線沿線は天吾君の町なのだ、とはっきりした理由は浮かばないが‘1Q84’を思い出した朝だった。
 ノーベル賞を逃したのはちょっと残念か、でもねぇ、村上さんの作品は、文学というより‘音楽’だ、と私は思うんだけど。
 正確に言うと、文学だけど、音楽を聞く快感と共通の‘感覚’が喚起されるんだけどってことなの。
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私は虫である

2009年10月10日 11時57分35秒 | Weblog
 久しぶりに画面に釘付けになった。
 NHKアーカイブ「熊田千佳慕 昆虫画家」の話だった。
 2004年、93歳になってもファーブル昆虫記の絵を描き続けた画家。
 地に這いつくばい、虫の眼の高さで、虫を描き続ける根気。
「私は虫である」
 そう言わしめた毎日の暮らし。
 旅行にも出かけず、一年のうち電車にのることも数回あるかないか。
 農家の百年たった納屋に住み続ける。
 庭は樹木や花に覆われ、衣類は足踏みミシンでこしらえる妻の手作り、巣立った子供は二人。
 
 ドキュメンタリーに映る家の様子は、野口先生の西巣鴨の暮らしを彷彿させるものがあった。
 一つのことに集中し、新しく自分の世界を作り上げるということは、いわゆる普通の暮らしの気遣いをしていたら出来っこない、ということをありあいりと見せてもらった。

 しかし、画家はいい。
 何年かかろうが、書き上げた絵が残っていく。

 しかし、野口体操は絵描きが‘これですよ’と差し出すようには残らない。
 野口が生涯をかけた体操の創造は、引継ぐものがあってもそれ自体は野口の死とともに消える運命にある。
 しかしである。
 さて、これからどうするのか、と突きつけられたようなアーカイブ番組だった。

「殺伐とした世の中を少しでも柔らかくしたい」
 熊田さんが個展会場でもらした言葉が胸に迫った。
 
 野口体操の‘ゆれ’の世界を、いかに伝えていくのだろう。
 しばしのテーマは、それかな?!
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馬の整体師が放つオーラ

2009年10月09日 18時49分25秒 | Weblog
 数日前のニュース。
 片づけをしながら、ちらりちらりと見ていたので、正確な記憶はない。
 しかし、馬の整体治療師の女性が放つオーラは、只者ではなかった。
「失礼、痛かったわね」
 などと非常に丁寧な物言いで馬に本心から誤っている。
 そうかと思うと、首を抱きかかえて左方向に静かに丁寧に曲げながら、内部を探っている。その時の馬の表情はまさに陶酔。
 競走馬に施される整体があったことに驚いたが、それ以上にテレビのインタビューに答える女性が醸しだす雰囲気を見ていると、馬にとって彼女の手は‘神の手’以外の何者でもないと思えてきた。

 画面を通してでも伝わる情熱的なまなざし、一つひとつのことばから感じ取れる愛情といたわり。
 彼女がそばに立っただけで整体を受ける馬は、精神安定を得ること間違いないオーラが伝わってきた。

 馬と人間の交流は、美しい画面として映し出されていた。
 ぜひ、もう一度放送してほしい。
 局はNHKでした。
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台風、休講、読書

2009年10月08日 20時10分53秒 | Weblog
 台風予測で、午前の授業は休講となっていた。
 しかし、山手線、中央線、中央総武線等々の運転見合わせで、午後からも休講となった。
 出かける準備をしながら大学のホームページを何気なく開いた。
 緊急連絡でそのことを知った。
 事務方からも電話をいただいた。

 さて、それからが落着かない。
 急に出かけなくなっても、これといって手につくものがない。
 すぐ、気を取り直す。
 本だ。読書だ。

 今週、月曜日に手に入れた本を読もう。
 発想を変えさせてもらったその本は、
 以下↓
『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子(1930年代、外交と戦争が専門)東大で近現代史を教えはじめて十五年の先生が、高校生対象に授業を行った記録をまとめたもの。朝日出版社。

 実は半藤一利著『昭和史 1926~1945』を読んだとき、なぜ日本人は戦争に突き進んでしまったのか、なんと馬鹿な!と溜め息をつきながら、しかし大きな疑問符を抱え込んだ。
 
 しかし、表紙にあるように『普通のよき日本人が、世界最高の頭脳たちが、「もう戦争しかない」と思ったのはなぜか?』
 一緒に考える近現代史である。

 まだ、読み終わってはいないが、急に降ってわいた時間に、頭の訓練をさせてもらった。
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南米クレオール文化のオリンピック!

2009年10月03日 11時58分15秒 | Weblog
 先週のことだが、体育の教員室の机の上に‘東京にオリンピックを’というピンバッチが山積みされていた。
「きっとリオでしょ」
 口走ってしまったら、数名の先生方が
「わかりませんよ。下馬評は当たらないこともあるから」

 しかし、こんなぎりぎりになってからバッチを学生に配ってください、と差し出されても時期遅しって感じだった。
 一個だけもらって帰ってきた。
「あら、可愛いわね。きれいね」
 母がしげしげと眺めていた。
 そのバッチはそのまま卓袱台の上に乗っていて、昨日の最後のプレゼンテーション中継の時にも、目の前に置かれていた。

「なかなかいい感じね」
 84歳の年寄りの目や耳に、日本のプレゼンテーションは、すごくよかったんじゃないか、と受けとめられた。
 
 結果は残念だったが、致し方なし! と思っている日本人は多いだろう。
 都民は盛り上がらなかったものね。
 政権交代がもっと早く行われていて準備が出来ていれば、と言ってみても‘南米初’のオリンピックは、魅力があると思う。
「ブログに予想を書いとけばよかったじゃない。後から当たったといったって、ダメよ」

 まずは、都市改造?
 東京オリンピックのため突貫工事で無理やり作り上げた日本橋の上を走る高速道路を地下にもぐらせて、魅力ある都市に東京を改造することからはじめてもらいたい。成熟した都市オリンピックを掲げるには、少々準備不足と思いません。
 リオに対抗するには祭りを盛り上げる野性的なエネルギーに欠けていたんじゃない、東京は……。 
 
 開催希望には時代時代の強い思惑があるとしても、むしろ南米のピジン・クレオール文化が、たとえば0コンマ00秒を神経質に競うことより、今までにないスポーツの祭典としてどのような‘祭り’を演出してくれるのか、そちらに期待を寄せたい。
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生糸先物、115年の歴史に幕(日経新聞記事)

2009年10月01日 08時53分06秒 | Weblog
 今朝、この記事に目が止まった。
「そうなのか。生糸は穀物商品取引なんだ」
 なんでも1872年に富岡製糸場が創業を開始して、1894年には横浜蚕糸外四品取引所で生糸の先物取引が始まったとある。
 当時上場された四品目とは、製茶、綿布、織物、海産物。
 第二次世界大戦後も活況を呈した横浜商品取引所(当時は横浜生糸取引所)の年間受渡高は1970年に4万6600俵(1俵=60㌔)で過去最高を記録した。
 その後、国内産業の軸足が重工業にシフトして繊維産業が低迷し、化学繊維におされて生糸市場も縮小に縮小を重ねて、とうとうこの9月30日をもって東京穀物商品取引所の生糸取引が115年の歴史に幕を下ろした。
 現在、生糸の国内流通の9割が中国産で、国内取引価格も中国オファー価格と為替で決まっていると書かれていた。

 記事を読みつつ、お目にかかったこともない野口先生のお母様を思い浮かべた。
 なんでも大久保小町と呼ばれたおっか様は、熱湯で茹でている繭から熱いうちに糸を紡ぎ出す作業を行い、さらに町からやってくる仲買人を相手に値段の交渉をして、養蚕農家の現金収入を支えていらした姿に心を打たれたと伺ったことがある。

「仲買商人が計算を出すまえにおっかさんが金額を出すんだよね。それで相手が間違うとさっと訂正するんだよ。その計算の速さといったらない。子供ながらに感心しちゃったんだ」
 野口先生としては、生きているうちにその計算の仕方を習っておかなかったことが悔やまれるとおっしゃった。
「おっかさんなりの計算方法を身につけていたんだと思うよ」

 かつて日本の農家では、専業の養蚕農家でなくとも蚕を飼って生糸をつくっていた。
 農家が蚕を飼わなくなった時期と、その後の食料自給率低下が始まる時期が一致している。
 この記事に添えられている生糸束の写真からは、真珠光沢を思わせる艶が輝きをはなっているだけに、先物取引など関係がない私でさえ大事な何かが失われた歴史に寂しさを覚える。

 以前、柏樹社が出していた「月刊・柏樹」の連載に、野口先生のご実家の養蚕農家の暮らしを書かせていただいたことがある。
 そのとき写真家の佐治さんは、横浜のシルクセンター(?)まで足を運んで‘生きている蚕’を撮影してくださった。
 文章に写真を加えて掲載させていただいたことを懐かしく思い出す。
 明治以降、生糸は日本の主力輸出品のひとつとして輝いていたのだった。
 だから横浜なのだ。

 何十年先かは分からないけれど、中国に取って代わられるもの、次は自動車か?
 昨日から報道されているトヨタの米国内でのリコールは嫌なニュースだった。台数が凄いもの。
 
 シュウカツに奔走している若者が、先を見越すのは並大抵ではなさそうだ。
 この状況では起業にも二の足を踏む。
 時代の変化がはやすぎる。
 話が飛びすぎたが、なんともはや行く末が案じられる秋のはじまりである。
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