羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

都庁

2006年02月28日 17時11分01秒 | Weblog
 火曜日のレッスンは、東京都庁が目の前にそびえている風景のなかで行っている。
 レッスンもおわりに近づき、「おへそのまたたき」をやる段になった。
 そこで、私も床に仰向けになった。
 ふと、何気なく視線を窓の外へ投げた瞬間、威容を誇る都庁の建物が、ニョキッと姿を現した。
 
 このレッスンの部屋は4階にある。目に入る都庁の建物の階数は、何階なのかわからない。しかし、立った位置からではなく、仰向け姿勢で見上げた建物の高さに思わずビックリした。
 ビルとビルの距離は、建物の中で見ると、異常にちかく感じる。実際は、かなりの距離はなれて建っているのだが。

 目前に迫る建物の修理費が1000億かかるという記事の文字が写真で撮られたように思い出された。
 デザイン重視が裏目に出て、まだ15年という歳月しかたっていないのに、不都合があらゆるところで生じているという記事だった。

 一瞬よぎったことをかき消して、そのときは、体操のレッスンを終えた。
 それから、以前、網町の三井倶楽部に行ったときのことを思い出してしまった。
 ここは、敗戦後、GHQが財閥解体を行ったとき、会談に使われた曰くつきの建物である。
 日本の近代化を象徴する見事な洋館建である。
 庭はフランス式庭園で、その庭園から地続きの坂に、地形を生かした日本庭園に導かれる。回遊式庭園だ。
 そして今現在、建物の内部は、建築された当時のままを保ってあり、壁にかけられたタペストリーから始まって椅子や絨緞にいたるまで、昔のままを再現している。
 重厚な建築物は、歴史をしっかりと後世に伝えている。

 明治以降私たち日本人が、それまでの文化や文明の衣を脱ぎ捨てて、裸一貫、欧化・近代化へとまっしぐらに突き進んだ、ある一つの証拠がこの建物である。

 さて、バブルの申し子、都庁の建物は、何を伝えるのだろうか。
 首都・東京の建築を代表する「建築のティラノサウルス」は、肉食獣のように膨大なお金を食べつくすことになりそうだ。

 因みに有楽町にあった都庁の建物も同じ建築家の設計によるという。
 現在の建物に比べれば、のっぺりとしたごく普通のビルだった。しかし、あの建物が建ったときには、やはり威容を誇っていたことを思い出す。
 
 蛇足だが、すでに取り壊されている都庁の建物テープカットは、美しい宮妃がなさった。正確ではないが、昭和31年ころだろうか。
 そのとき七五三に来た振袖に黒地に古典柄の帯をしめて、テープの片方を持っている私の姿が写っている写真が残っている。

 レッスンが終わって住友三角ビル側に立ち、思わず後ろを振り返りながら、脈絡なくさまざまなことを思い出した。
 
 風が冷たい二月最後の日のお昼だった。
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ゴマカシはきかない?!

2006年02月27日 10時23分53秒 | Weblog
 土曜クラスのレッスンは、日を重ねるごとに、充実感が増す。
 逆立ちの練習を始めたことが、ある緊張感をともなった活気をうむきっかけになったと感じる。
 逆立ちは、ごまかしがきかない。下手をすると怪我をしそうな危うさを無意識に感じるからだろうか。

 ヨガにかなり造詣のある男性が、野口体操の「ヨガの逆立ち」に挑戦していらっしゃる姿を見て思ったことがある。
 野口先生ご自身、ヨガの逆立ちができるようになるのに、かなりのご苦労があったようだ。力はいくらでも使えるのだけれど、それだけでは難しい。そこでたどり着いたのが、今、やっている方法だ。これは、いわゆる筋力の弱い女性の方が、本質的につかみやすいようだ。それはみなさんの練習を見ているとはっきりと表われている。筋力が弱いから無理やり立つことができない。必然的に重さの方向を捉えて、長軸を鉛直方向に一致させる感覚や重さを徐々に流し込む感覚がつかめるような印象だ。

 その点、ある傾向として男性の方が、なかなか苦戦しておられる方が見受けられる。
 そうしたことから、力を抜く・力を入れるという感覚は、理屈ではないということを、つくづく感じとっている。
 
 もうしばらく、逆立ち練習を中心に続けてみたいと思っている。
 せっかく、ここまできたのだから。
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写真撮影会

2006年02月26日 20時20分59秒 | Weblog
 本日は、拙宅で写真撮影会を行いました。
 朝、9時30分に佐治嘉隆さんが到着。
 それから岩波書店の編集者・山本慎一さんと、土曜教室の方・おひとりがお手伝いに。
 午前中は、羽鳥がモデルに。
 午後から立教大学の学生さんが4人みえました。

 夕方、4時まで一気に行って、撮影終了。
 皆さん、はじめてのモデルとは思えない役者振りでした。

 我が家の座敷が、本格的なスタジオに変身したのは、ひとえに佐治さんのお蔭です。
 これで本を作る作業の半分をおえて一山越えたところです。

 というわけで、今日は、ブログ書きが遅くなりました。
 ふぅ~っと、一息ついています。

 因みに、岩波ジュニア新書の準備です。
 
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『一冊の本』

2006年02月25日 06時09分37秒 | Weblog
 朝日新聞社PR誌「一冊の本」3月号に、『消費される「健康」』と題して、短いエッセーが載りました。昨日、手元に届きましたので、近日中に書店でも手に入ると思います。
 
 結果として「あなたにとって健康とはなんですか」という問いかけにもなっているようです。
 以前、ブログに書いた飛び込み原稿依頼というのはこれでした。
 
 その時、いただいたテーマは「心と体の時代に」というものでしたが、『消費される「健康」』になりました。
 
 ご一読いただければ幸いです。
 で、忌憚のないご意見をお寄せいただければ、もっと嬉しいです。
 
 そして、もう一つ、おすすめ。
 この本の特集に「若さとチ・カ・ラ」というのがあります。
 題は、『「万引き」で「死刑宣告」』。
 どこか国の話しかと読み始めたところ、「ライブドア事件」のことでした。
 ここに内容を書いてしまうと、本が売れなくなるので、「なるほど、面白い」とだけ書いておきます。
 この記事を、書かれた方は、朝日新聞『アエラ』編集部記者の大鹿靖明氏です。近日中に単行本も出るそうです。

 以上、お知らせでした。
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オリエンタル賛歌

2006年02月24日 12時54分37秒 | Weblog
 輝石のなかでもトルコ石とラピスラズリーに代表されるブルーは、二色が寄り添って水惑星地球を象徴する。
 片方だけでなくお互いの色を重ねるのは、やわらかく心地よい色へと変容させる魔法のコーディネートだ。
 そして、もう一色、第三番目の色が加わると、それは完璧な色合い(色愛)となる。

 今朝は、その三色に、十分酔わせてもらった。
 トゥーランドットの和声と旋律に、トルコ石の鮮やかなブルーとラピスラズリーの華やかな藍色が、銀盤上で舞うのを見続けた。
 どれほどの棘を乗り越えたのだろう。
 幾たびも挫折感を味わったという。
 それでもあきらめないことと引き換えに微笑をお預けにしてきた女王は気品に満ち、優勝が決まった瞬間すこしだけはにかみながらも、満面の笑みを画面いっぱいに見せてくれた。

 総合芸術としてのフィギュアスケートは、憎いほど西洋の芸術だ。
 体型しかり、表情しかり、衣装しかり。
 技術も振り付けも音楽も、西欧の美の結晶が生み出す芸術である。

 ところが今回のトリノでは、幸運の女神は、オリエンタルな終着駅・極東の果てに位置する黄金の国・ジパングへ、一直線で突き進んできてくれた。
 危なげなく、確実に、安定して、尊厳に満ち、麗しき荒川静香の下へ、ヴィーナスは訪れた。

 トルコブルーとラピスラズリーに、三色目はゴールドである。
 この三色は、古代オリエントの美の象徴の色である。
 ゴールドが、東洋に降り立った記念すべき日、2月24日早朝、氷の女王に荒川静香が輝いた瞬間を、魂を震わせながら見守った。

 今日は、ゴールドの輪が、ついに東洋に降り立った記念すべき日となった。

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違和感

2006年02月23日 13時16分11秒 | Weblog
 今週、月曜日、夜のことだった。
 いろいろな仕事も終えて、ちょっと斜めに横になって、なんとはなしにトリノ中継を見ていた。で、途中で姿勢を変えようと上体を起こしたところ、背中に違和感を持った。
 胸椎といっても腰椎にちかいところ、右側だった。
「ドッキ! これはまずい」
 最近、忙しくて体操がおろそかになっていた生活を振り返る。
 その上、今年の寒さもかかわっているし。それにあの本の整理で、普段使わない筋肉を使ったのかしら? などと思い当たる節を頭の中で並べてみる。
 そんなことをしてみても、無駄なのに。その晩は、とにかくお風呂にも入らずに、寝てしまった。
 
 翌日は、レッスンが午前中から入っていた。
 朝、起き上がって、恐る恐る調子をみる。
「すこしの違和感は残っているみたい。筋繊維にして数本かな?」
 つぶやきながら、仕度を済ませた。
 
 ところがレッスンが始まってみると、まったく問題なく動くことができた。
 そして帰宅したときには、治りきっていた。
 いったい、あれはなんだったのか。

 今朝、出先で何気なく聞いていたラジオに、ひきつけられた。
 野球の選手を辞めて解説者になった人の話だった。
「現役のときは、朝起きたときに、最初にやることは、からだの調子をくまなく、探検することです。たとえば頸を寝違えていないか、足は大丈夫か、とかネ。ところが解説者になってから、そうした点検をしなくてすむのが、なんだかホットしましたね。多少、寝違があっても、まぁ、仕事には差支えがないわけで……」

 たしかにスポーツ選手に限らず、身体運動を伴って仕事をする人は、ごく小さな違和感もほうっておけない。それくらいからだのコンディションを整えることは、大変なのだと思いながら人ごとではなく話を聞いていた。
「その話、よくわかります」
 思わずラジオに向かって話しかけてしまった。

 今回は、大事に至らなくてよかった、と胸をなでおろしている。
 今更いうまでもなく、やっぱり、からだは大切だ。
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トゥーランドット

2006年02月22日 13時08分26秒 | Weblog
 ショパンの幻想即興曲は、ピアノを習っている人ならば、ぜひとも弾いてみたい憧れの曲である。32分音符の連続が、4小節、8小節、16小説、36小節と繰り返されるうちに、気持ちが高揚してくる。
 かつて国立民族博物館初代館長の梅棹さんは、ヨーロッパの音楽は、2で割れる音符や小節から作られているが、それは非常に無理がある、と語っておられた。
 
 確かに、人の感情は単純に割り切れるものではない。それでもロマン派の音楽は、いわゆる西洋の楽典の範疇で、千千に乱れる心を十分に表現してきた。
 
 なかでもショパンは、5連音符・9連音符・11連音符・13連音符、というような、割り切れない音符を多用して、憂いを秘めた思いを豊かに表している。最近では「戦場のピアニスト」が奏でた「遺作・ノクターン」などが、記憶に残っておられる方も多いかももしれない。
 
 ところで、この幻想即興曲も、右手は32分音符の7連音符で、風が一気に巻き上げるように、人の心を揺さぶる音楽として描かれている。本当は、小節線も邪魔なくらいに、畳み込まれる思いがあふれている曲だ。

 荒川は、「幻想即興曲」を見事に、踊りきって見せた。
 本来のピアノではなく、オーケストラバージョンで、アリア形式の緩やかな部分も、もともとの音楽よりもアップテンポで、踊りやすそうだった。銀盤上でのバレーの動きには、ぴったりのアレンジだった。
 
 こうしたことでもわかるが、フィギュアスケートは、クラシック音楽やロシア民謡、スペイン舞曲、タンゴ等々に乗せると無理なく感情表現がついてくる。映画音楽も悪くない。
 荒川のフリーの曲「トゥーランドット」は、ベストの選曲だ。

 理屈はいらない。
 スケートの女神に、魂をゆだねる快感に、十分浸ろうではないか。
 その日も間近い。
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緊張感

2006年02月21日 16時06分57秒 | Weblog
 新設の火曜日クラスは、テキストを使っている。といっても皆さんに強制するのではなく、私が使っているだけのことだ。
 テキストは、『野口体操 ことばに貞く』
 なかには持っておられる方が、資料として、予習・復習としてお読みくださっている様子が伺えるのだが。自主的になさっておられること。

 こうした在り方は、はじめての試みだ。授業をすすめる側としては、流れができてやりやすいとおもっている。
 今回ははじめての方ばかりのクラスを想定した。
 それにはなにか基準になるものがある方が、野口体操の輪郭というものが、すこしは明確になってつかみ易すそうな手ごたえがあるかもしれないと考えてのことだった。

 教室の雰囲気も和やかで、「もの・ことば・うごき」が、一冊の本を中心に、いい流れになってきているような気がするが。
 そういった意味では、土曜日のクラスとも、日曜日のクラスとも一味違った教室になりつつあるようだ。

 野口体操という核があって、クラスによってそれぞれの特徴が生かされるところが野口体操の面白いところかもしれない。おそらくこうした在り方をするものは、日本広しといえども、見つかるものではないだろう、と自負している。

 野口先生のレッスンもそうだった。20数年、野口先生の助手を、ひたすら続けてきたが、行く先々で微妙にニュアンスの異なった展開をされていたことを思い出す。先生は、意識的にするというよりも、集まった方々との交流で自然にバリエーションが生まれてくるというようなことだったと思う。

 人との関係のなかで、いきいきとしたレッスンができたときは、爽快感があることを私も知った。
 
 いってみれば、新しい教室は、緊張感も新鮮さのうちで、いいものだと思いつつ、今日も終わった。

 感謝あるのみ。
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本の片付け

2006年02月20日 10時22分05秒 | Weblog
 家の建て替えによる仮住まいする前から、本の整理がついていなかった。
 昨年、7月に家に帰ってきて片付けようと思いつつ、もう7ヶ月と半月が過ぎてしまった。
 必要な本も何処にあるのかわからない状態に、これではいけないと、今朝から少しずつ片付け始めた。
 
 そこで、以前、野口先生のお宅の本の整理をしたときのやり方を思い出した。
 それは、野口教室に参加していらしたある本好き男性のやり方だ。

 まず、本の大きさで分類する。それからジャンル別に分ける。そしてビニール紐で、縛るのだけれど、量としては自分の手におえる冊数で押さえる。紐は本の天地に対して並行にかける。一重では崩れやすいので、二重に巻きつけるのがよさそうだ。そして縛り方だが、紐の長さをすこし長めにタップリとって、あとからはずし易いように、かたむすびにならないように気をつけること。

 そうしておくと二段でも三段にも重ねられて、安定している。取り扱いもし易いし、時間もあまりかからないで、整理できる。ダンボールに入れてしまうと、重くてどうにもならないことがあるので、この方法がいちばんだ。

 今日、手始めで、少しずつ片付ける気持ちに弾みがついた。
 できるだけ本は買わないようにしているのに、気がつくと増えているから、どうしようもない。その上、なかなか処分できない。
 
 日々の仕事や暮らしが先で、片付けが後回しになってしまって、結局のところ不便なのは、自分なのにね、といいながら黙々とやるしかない! 
 そして、今の季節、冬は片付けにはもってこいだ。なにしろ汗をかかないですむ。むしろ暖かくなってくれるから。

 では、もう少し、続けよう。
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年をとればとるほどやわらかくなる

2006年02月19日 10時06分48秒 | Weblog
 2月11日は、建国記念日だったので、土曜日のクラスは休みだった。
「休みは嫌い」
 野口先生がたびたびおしゃっていたことだ。
 一週間抜けただけで、半月会わないことになる。体操にしてもピアノにしても、つまり身体の動きを伴うものは、一週間というコンスタントな稽古のペースは、とても大事なことだ。これがずれると、軌道修正に手間がかかることになる。

 昔、駅の改札では切符を切る駅員さんがいた。上手な人は鋏を動かし続けて、通り抜ける乗客の切符にタイミングよく鋏を入れていた。どんなに混雑しても列の動きが滞らない。逆に次の人がやってくるのに、間があったとしても実にスムーズに改札していた。

 これって動きの原理だ。止まらないこと、滞らないこと、流れを遮らないこと。
レッスンも同様で、あることを身につけたいと思ったら、とにもかくにも休まないことしかない。教える側も休みが入ると、調子が取り戻せないし、それまでにやってきたとことの記憶が薄れて、スタート地点に戻るような感じする。

 さて、昨日の「逆立ち」稽古だが、なんとなくグルーピングができたようだ。お互いの呼吸が合う人が自然に練習をしている。毎回、一人・二人くらいの方が
「あっぁ、逆立ちになちゃった」
 自分でも不思議なくらい唖然としておられる方が出現している。
「きょうは、なんとなく一歩進んだ感じだ」
 そうした感想も聞かれた。

 昨日、皆さんにご覧にいれた野口先生の上半身はだかの逆立ち写真は、「この紋どころが目に入らぬか」といいたいくらいに、肩がのびのびしている。まっすぐなのだ。その写真からのイメージはかなり鮮烈だったようだ。この写真は、70代の先生だと思う。ご自宅の狭い空間で、逆立ちを稽古されておられた先生を、私が撮ったものだ。ネガを紛失してしまったので、正確な日付がわからない。しかし、後ろに写っている冷蔵庫が、大きくなってからのものだから70代だ。

 肩の柔らかさは、歳をとってからでも変化するもののようだ。それだけではない「やすらぎの動き」と名づけた、一般的には開脚長座で上体を床に任せる足腰のストレッチといわれるものも、本気でやり直されたのは、60代も半ばになってからで、ほんとうに力が抜けるようになったのは、70代の後半だった。

「年をとればとるほどやわらかくなる。やわらかさとは変化の可能性の豊かさ」
 先生の言葉だが、ぼけない限り人間は、変化することを実証された。あるイメージを持つこと。こうなりたいという思いを抱くこと。そして毎日焦らず少しずつ稽古を積むこと。これに尽きる。

 人は変わる。良くも悪くも変わる可能性を誰もが持っている。
 くれぐれも方向をまちがわないように! 
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個人情報保護法

2006年02月18日 09時47分18秒 | Weblog
 先日のニュースを見てドキッとしたことがあった。
 それは、ある大学の非常勤講師が、成績を郵送したはずなのに、大学側は受け取っていなかったということで、問題になったが、講師側に記録が残っていたので、事なきを得たらしい。という内容だった。
 もし、記録がなかったら、泣いても泣ききれない事態が起こる。
 日本の郵便事情の信頼の上に成り立っているし、大学側の事務方への信頼の上になりたっている。
 
 ところで、最近起こった問題に「個人情報保護法」がある。
 例えば、「履修カード」について。
 以前なら、履修カードに、本人の緊急連絡先の電話番号・出身高校名・血液型・身体系の経験(スポーツ・ダンス・武道・その他)記入・病歴・とくに希望すること・さまざまな情報が書き込まれていた。
 ところがこの「個人情報保護法」なるものが施行されて、緊急連絡先・血液型以外は、何も記入されなくなった。
 その上、この履修カードは、情報はほとんどかかれていないにもかかわらず、研究室から持ち出し禁止で、鍵のかかる戸棚にしまってくるという厳重さだ。

 カルチャーセンターでも、教室内やセンター内でで受講生同士がメール番号や電話番号やアドレスを教えあってはいけないらしい。もちろん教える側も何も聞けない。そこから出たところで、交換するのはかまわないという。
 病院でも名前を呼ばずに、番号で呼び出すという。
 それって、とってもオカシイ。
 
 たしかに信頼を裏切ることばかりが報道されているから、すべてが信じられなくなっていることは誰でもが認める。個人情報が悪用されることも日常茶飯事のこととして起きているのだから。
 
 しかし、これほどまでに何も信じられない時代がくることを、誰が予想しただろう。

 最近はしなくなったが、『原初生命体としての人間』の初版が出た1970年代のころまでは、著者の住所まで奥付に記されていた。
 当時までは、本を書く人も読む人も、悪い人はいないということだったか。
 今では研究論文の捏造事件が多発している。ノーベル賞クラスの学者の不祥事が全世界のニュースとして広まったことは、記憶に新しい。

 すくなくとも1970年代までは、人間関係は信頼という絆が結ばれていたことが、本の奥付をみてもわかる。
 今では人間関係は、「まず、疑え」からはじまるわけだ。
 そうしたなか、「個人情報保護法」の不便さや問題点が、あちこちで言われている。が、やっぱり「しかたないのかな」と思いつつ、こんな法律が必要となる社会や時代風潮を呪いたい気分だ。
 
 なんといってもこのような法律があっても、何も守られていないという思いが、日に日に増すからだ。
 先日も、ある銀行で、ちょっとまとまって預金をおろそうとする人に向けられる行員さんの二つの眼に、「疑」という文字がしっかり刻まれる様子を見かけたことがある。嫌な感じといったらなかった。
 
 信じられるものは何か? 
 今のところ、郵便物がほとんど間違いなく届いていることだけは救いか、と思いつつ、先月末に、後期の成績表を郵送したばかりだった。そして大学からコンピューターに打ち込んだ「採点入力確認表」が届けられた。
 これがきてようやく、ホッとしているところだ。
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読書サーフィン

2006年02月17日 09時58分26秒 | Weblog
 ネットサーフィンがあるように、読書サーフィンもある。
 なって言ってますが、実は、内容が重い一冊の本は、途中挫折して積読になる可能性が高い。そこで、とりあえず机においたまま、その周辺を読み歩くことも、読書の一つの愉しみだ、などと理屈をつけて、散策してみることがある。

 今回、まさにそれだった。再び、今朝になって、重い本に戻ってきた。
 本の名は、『天皇と東大』立花隆著(文芸春秋)。

 で、『満州裏史』『死は易きことなり』太田尚樹著(講談社)→『王道楽土の戦争 戦前・戦中篇、戦後60年篇』吉田司著(NHKブックス)→『昭和天皇』保坂正康著(中央公論社)→『語られなかった皇族たちの真実』竹田恒泰著(小学館)→『天皇家の歴史』高瀬広居著(河出書房新社)→『大東亜戦争の真実』東條由布子編(ワック株式会社)

 これで下準備がまずまずということで、分厚い本に戻っていこう、というわけだ。
 実は、これらの本は、同じ書店で求めたものだ。
 それは何処にあるのかというと、東京駅構内にある。
 週に一度、東海道線に乗るときに、毎回、必ず寄って一冊ずつ求めていた。
 そんなある日、はたと気がついた。
「そうか、私のために集めてくれている」(なんちゃって)
 
 同じ時間に、東京駅の決まった階段を下りて、書店の決まった棚の前に立って、そこにある本を手に取って、スイカカードで買いものをする。そして階段を上がり、列車に乗り込む。
 その間、数分もかからない。
「分かってくれているのよね」
 
 店員さんのお蔭で、近現代史が私のなかでうごめき始めてきた。
「でも、こんな読書サーフィンに取り込まれるのは、いったいなんだったのだろう」
 意識よりも行動(からだの動き)の方が、先に起こるという最近の脳科学の成果に照らしても、自分の行動をあとから理屈つけてみる。
「後付の理屈なんて、どうでもいいんですがね」と思わなくもないが。

 そのキッカケは、野口先生の生きた時代を知りたいという素朴な思いだったに違いない。

「僕の一年は、正月ではなく、8月15日からはじまります」
 
 そう語っておられた野口先生が生きた時代を感じてみたいという素直な気持だったに違いない。
 
 そこで、今、感じていることは、「何も知らなかった」ということ。
 それから、今、なんとなく予想していることは、「もうしばらく私の読書サーフィンは続きそうだ」ということ。
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おてしょ(お手塩皿)

2006年02月16日 14時57分38秒 | Weblog
 昨日のブログにメールをいただいた。
 その方のお宅では、お連れ合いの方が関西出身で「おてしょ」という言葉を使われていて、東京育ちの奥さんの実家では使わなかった言葉だという。それで、「おてしょ」という言い方は、私のブログを読むまで、○十年の間、関西弁だと思っていらしたらしい。
 我が家は、明治期に埼玉から東京に移り住んで四代目。東京暮らしは、およそ百二十年くらいだろうか。で、「おてしょ(手塩皿)」という言葉は、両親も祖父母も使っていたので、私は、非常に幼いときに覚えた言葉だった。私はと言うと、逆に「おてしょ」は、東京訛りか関東地方の言葉だと思い込んでいた。

 ほかにもこんな言葉が記憶に残っている。ほとんど寿司屋で使われた言葉だったことに、ちょっと驚いた。
たとえば「あがり頂戴」というとお茶を所望すること。「ガリ」というと薄く切った酢生姜のこと。「お勘定おねがい」というと食べた寿司の量を計算してもらうこと。「おてしょ(お手塩皿)をどうぞ」といってお醤油を入れる小皿が出された。そんな記憶がある。
「これらの言葉は、今でも、使いますよね?」

 母の実家も日清・日露戦争の時代から東京だった。
 東京といっても、父方・母方共に新宿だから、江戸っ子ということにはならない。
 そんなわけで私の産土様は、西新宿高層ビル街の向こうにある十二社の熊野神社。
 しかし、この神社の氏子には、新宿駅周辺の小田急・京王・三越・伊勢丹といったデパートなどもはいっているとか。
 今の高層ビル街は、以前は淀橋浄水場だったことは前のブログに書いたと思う。で、そこから伊勢丹のところまでが角筈で、熊野神社が氏神様だと母が話していた。
 新宿に都庁が越してきたので、今でこそ都心と言われるが、私の感覚では、都心と言うのは皇居を中心として日比谷・丸の内、日本橋・銀座・有楽町・新橋・霞ヶ関と言ったところだ。未だに、「都心に出かける」ということは、千代田区や中央区を指している。

「おてしょ」という言葉の話から、ずいぶんと離れてしまったが、自分では普通に使っている言葉が、今では使われなくなっていたりすることに驚くことがある。と同時に東京の街に対するイメージも、若い人たちとはずいぶんと違っているのだということにも驚いているわけだ。
 まぁ、「年をとったなぁ」という実感をもつこの頃。
 せいぜい昔話も、ブログに書こうかな、と。
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命の源

2006年02月15日 10時19分37秒 | Weblog
 蛍光現象に興味をもたれた先生は、さまざまな石を試された。
 なかでも思いがけず美しかったのはポーランドの岩塩だった。
 塩の結晶形は、キュービック型だが、このポーランドの結晶は、かなり大ぶりで見事なキュービック型をしている。紫外線照射器を当てると、ロマンティックオレンジの色が、立ち上がる。幽玄な趣。結晶の中心部に吸い込まれる輝きを見せる。強く光線が当たっているところから、周辺部に向けて放射状に広がる輝きは、グラデーションを見せてくれる。
 自然光で見る結晶形のときよりも、もっとその鉱物の角度を明確に縁取って、輪郭が鮮明となる。
寒冷地・乾燥地だからこその結晶。命の塩は、いのち以上に神秘性をたたえて静かなのだ。この岩塩は、自然光でも美しい透明な結晶だ。
 岩塩の洞窟のキリスト教会の写真を見たことがあるが、どこの国だったか失念してしまった。もし、あの空間が蛍光現象を見せてくれる空間だったら、それこそ地上における天国そのものではないかと思うのだが。

 日本のような湿潤な地域では、見事な結晶形を持つ岩塩は産出しない。ある意味で岩塩の故郷は、かなり厳しい気象条件に見舞われる地域だと考えてよさそうだ。
 今では、岩塩はデパートでも手に入る。料理には欠かせない調味料になりつつある。産地によって、含まれる不純物のミネラルが異なっていて、それが味の違いを生み出してくる。料理は塩加減。
「塩梅」という言葉は、料理から発して、程合い・具合・バランスにまで比喩的使われるようになっているし、塩をもる器をおてしょ(お天塩皿)といい、「手塩にかける」というと面倒をみることをいとわず丁寧に育てる意味まで、「塩」は含蓄が深い。

「抽象語を遡ると身体や身体の感覚や、具体的なものや出来事にたどり着くんですよ」
 野口先生の言葉が、「塩」を通して、納得なのである。

 命の源は、ミネラルにあり。
「東京国際ミネラルフェア」が開催されて間もないころはしばらくの間、自然食品のフェアか、ミネラルウォーターのフェアだと、勘違いする人が多かった。

 かれこれ20年。当時を思い出すと隔世の感を抱く。
 ミネラル趣味は、かなり市民権を得たようだ。
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半透明の美

2006年02月14日 06時12分08秒 | Weblog
「これは、重晶石、タングステンの原料になる石ね」
 黒水晶の群晶の裏を返すと、純白にちかい照りのある石が、ほのかに紅色に輝いている。
 この重晶石は岩国あたりで多く産出している。
「山に入るときに携帯用の紫外線照射器を持っていったら面白いでしょうね」
「確かに、ルーペや双眼実体顕微鏡なども、自然の見方を変えてくれるよね」

 こんな会話を野口先生と交わしたのは、かれこれに二十数年前になる。
 日本では、まだまだ鉱物や化石に対する一般の関心は、薄かった時代だ。
 石の価値は、ダイヤモンド・エメラルド・ルビーといった宝石類、金・銀・銅の貨幣金属などは、高価なものとして高嶺の花だった。そういうものが石の世界だと思い込んでいた。

「金閣寺を見よ」といわれるまでもなく、日本の技術は、向こう側が透けて見えるほど薄く金をのばす技術を持っている。いわゆる「金箔」と呼ばれるもので、工芸品のあらゆる場面で美しさを醸し出している。

 そういえば、歴史の本に書いてあった。「黄金のジパングは、ヨーロッパ人の憧れだった」と。
 そしてインドを求めた航海は、間違って南米大陸に行ってしまった。そこで、南米からは銀にまつわる悲劇が起こった。
アフリカからはダイヤモンドが、インド・スリランカからはルビーやサファイヤなどなど、大量にヨーロッパに運ばれていった。
 そこには、人を人を認めない恐るべき考えがある。
「インディオは果たして人間か」というばかげた裁判が、大真面目に行われた歴史まで存在するのだから。

 しかし、一方で、紫外線の発見は、エックス線の発見よりも古い。今では、日常的に蛍光現象を、生物学・医学・医療に応用している。そのことによって受ける恩恵について、多くの人が知る時代となっている。

「日本は、中国とともに、というか中国の影響で、玉の国だよね。とくに玉のもつ半透明の美しさに価値を与えているでしょ」
 甲骨文字研究に心酔しておられた先生は、中国の青銅と玉への思いを語られていた。

 何を美しいと感じ、何を価値と感じるのか、それはその文化によって・文明によって異なっている。
「なんだか蛍光現象を見ていると、ダイヤモンドに目がくらんだお宮の熱海の海岸のシーンは、なんだったんだろうと思いますわね」(注あり)
 大正生まれの母が、つぶやいた。
 先生も大声で笑っておられた。

 日本が、西洋に追いつきたいという思いから価値だと思い込んだものは、いったいなんだったのか。
「僕は、価値というものは、他人が決めるものではなく、自分が決めるものだと思っているんですよ。いや、そう思いたいのね。何を価値と感じるののか、その前に、今、自分のこの目に見えるもの、耳に聞こえるもの、それが絶対ではない。もっと他に知らないもの、気づかないもの、見過ごしてしまっているもののなかに、ものすごく貴重な何かがあるんじゃないかって、思いながら触れていくこと」

 確かに、こうして目の前で今まで見たこともない「美の世界」が繰り広げられると、ダイヤモンドの価値は、一気に下がってしまった。
「岩塩は、なめると辛いんですか」
「そうよ。なめてみたら」

 確かに塩だ。それが内包する不純物・夾雑物によって、これほど美しく輝く。すべての岩塩が輝くわけではない、というところがミソだ。
「つまり、先入観を持たないで、ものに触れる。人に触れる。自分に触れるってこと」
 先生の話は、『原初生命体としての人間』に繋がっていった。
「半透明の美しさについても書いているし、いちばん言いたかった先入観を捨てること、そこをもう一度読み直してみて」

 野口先生にとって、岩石・鉱物の蛍光現象にたどり着く道は、必然だったのか、などとそのとき思いつつ、ダイヤモンドならぬ蛍光現象に目がくらんだ。

注:「金色夜叉」小説。尾崎紅葉原作。富のために許婚の鴫沢(しぎさわ)宮を富山唯継に奪われた間(はざま)貫一が高利貸しになり、金の力で宮や世間に復習をしようとする物語。明治30年以降読売新聞小説として連載後、1903年に続編を「新小説」に発表した。私が子供のころに、「熱海の海岸散歩すりゃ」から始まる流行歌がはやった。学芸会や余興に、熱海の海岸の「今月今夜のこの月を」という台詞をいう役がやりたい人が、役取りでちょっとしたいざこざがあったりして。
 こういうことを知っている人は、団塊の世代から上の人? かしらね。
コメント (1)
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