羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

からだの人格宣言

2005年09月30日 10時06分29秒 | Weblog
 昨日のブログに、「団塊世代」の方から、貴重なコメントをいただきました。
 
 明治以降「欧化」政策の旗印のもとに、私たちが築いてきた文化は、「脳」を主体と考え、「体」は脳に従属する「物」として捕らえる方向に向かい、すでにその考えは頂点にまで達したのではないかと考えられます。
 
 1972年『原初生命体としての人間』が出版されて、野口先生の思想に共感し野口体操への思いをつのらせてくださったのは、少なからず「欧化」のみに価値を見出す考えだけに同調することに批判的思想を抱く哲学や社会学や教育の専門家の方々でした。
 ということからもわかるように、コメントの結びにあった「からだの人格宣言」という言葉は、核心をついていると申し上げたい。
 
 すべてが意識化でき、その意識化できたことは正しい、という論理に「ちょっと待って」と警報を鳴らすことができる人は、自分も含めて少ないといわざるをえません。
 意識化できたことイコール正しいこととは限らない、という視点を持つだけで、見えてくる風景がかわってくるのだと思います。

 「意識」と「からだ」の問題は、大変微妙です。
 「非意識」を大切にされた野口先生の「野口体操」が、その点において、「稀なる体操」だといえると思います。

 『アーカイブス 野口体操』での、養老孟司先生との対談をご覧いただきたい。
 この微妙な問題が、終始語られていることにお気づきになると思います。
 
 「からだ」は決して「脳」の付属物ではないというところから、野口体操は始まります。

 コメント、ありがとうございます。
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戦争が終わった日

2005年09月29日 07時42分35秒 | Weblog
 「終戦」と「敗戦」。
 この使い分けは、人によって異なるようです。
 
 野口三千三先生は、戦後の一年の始まりは一月元旦ではなく、8月15日として生きておられた。
「だまされた」。
 それが、多くの日本人の実感らしい。
 野口先生も言葉は同じだった。しかし、主語が違う。
 主語は何か? それは「自分自身」である。
 つまり、「おかしいと思いつつ、自分にだまされていた」という。

敗戦後
「自分のからだのダメージと、どうつき合って生きるのか」
 という野口先生自身にむけられた刃にも似た問いは、からだの問題であり、生き方それ自体への問いかけだった。
 そして、生き方それ自体への問いかけは、即、「体操」への問いかけであった。
「方法が本質を決定する」という考えのもとに、新しくからだの動きの原理を探り、方法を練り直していく。結果としてこれまでにない「稀なる野口体操」が生まれたのだ。

『原初生命体としての人間』の第一章「体操による人間変革」を読んでみると、「からだ」と「意識」に対する野口先生の切実な思いにふれることができる。
 つまり、この章の冒頭で「意識によってからだがだまされた」という思いが読み取れるのである。
 
 僭越ながら、言葉を足せば、ご自分のからだが『今日、ただ今、どう感じ、どう考え、どう信じているのか』(←原初生命体としての人間)という、”からだの現在地”を、常に実感をもって確かめる「自分」であることが、そのまま「生きること」とイコールになる生き方を本気で探りはじめられたのが、敗戦の虚脱から立ち上がる先生のスタートであった、と、今、想像している。
 

 因みに『あの戦争は何だったのか』保坂正康著・新潮新書によると、「戦争が終わった日」は、8月15日ではなく、9月2日であると世界の教科書は書いていると記されている。
「戦争が終わった日」、第二次世界大戦が終了したのは、ミズーリ号で「降伏文書」に正式調印したその日である、と。
 
 
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足元を確かめつつ

2005年09月28日 10時38分58秒 | Weblog
 野口先生が、野口体操を生み出すきっかけが「敗戦」ということを話すと、学生はキョトンとした表情をみせることが多い。
 おそらく先の大戦・太平洋戦争は、私がイメージする日清日露戦争くらい、過去の歴史のことのように感じているからに違いない。
 1980年代に生をうけたわけだから仕方がないといえば言える。
 
 私も、すでに56歳。
「人生の後半生を歩き始めたなぁ」と感慨に浸るのは、学生に向って「戦争」と言葉を発したときである。
 
 時代の隔たりがあっても、若い人たちに、野口体操を伝える場を戴いたのは嬉しいことだし、貴重な時間なのだと授業が始まるとつくづくと思う。
 先生が亡くなった当初、野口体操が残っていけるのか、見当がつかなかった。
 しかし、こうしてさまざまな場を戴き、人に出会い、いい関係が築けることに、時々、ふり返ることがある。
「これでいいのか…」と。
 野口先生は、慎重にことを運ばれる方だった。
「一歩手前・すこし足らないくらいがいいのよ」と、ご自身の足元を、常に確かめておられた。

 そうした姿勢が自然に保たれるのは、
「やはり戦争体験ではないのか」と、戦後生まれの私は
「想像することをわすれないよう」に、と思いつつ、後期を乗り切りたいと祈ってブログを書いている。
 
 昨日、山手線のなかから見た、彼岸花の姿と赤さが、写真で切り取ったように目に焼きついている。
 忙しくて、とうとうお墓参りに行かれなかった。
 すでに、秋の彼岸は終わってしまった。
 
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私の裡で叫ぶもの……

2005年09月27日 08時03分43秒 | Weblog
 昨日から、もうひとつ、大学の授業が始まった。
 こちらは、履修する学生がすでに決まっていて、授業がすぐ始められる。
 今期は、男子学生が半数。かつてない人数である。男女ともに元気のいい学生たちの様子に、風向きが変わったことを感じながら、一日目の授業はいい感じで終わった。
 
 すでに一回目を終わっているもう一方の大学は、初日に履修者を募集する。
「後期は、ボールは少なくても大丈夫ですね」
 教官室で、24個の当り赤ボールを籠に入れ、集まる人数を予想してはずれの白ボールを用意する。前期には、80数名がやってきた。しかし、後期は少なかろうと、多めにみて60個ほどを用意した。
 このクラスは、人数限定クラスである。
 
 グランドに行ってみると、結構な人数が集まっている。
 数えてみると70名を越えていた。
「羽鳥先生の授業は、人気がありますからね」
 教官室に入る前に、正門でばったり会った、若い先生の挨拶言葉が的中していた。(実は、この先生とて、娘くらいの年齢なのだ)

 学生に向けての「シラバス」は、「リクラリゼーションとマッサージ」と記されている。
 人数限定クラスの大学のシラバスは、「東洋的フィットネス」の中に入っていて、2単位もらえる演習に近い課目である。

 いずれの大学も、来年度から平成生まれの学生が、入学時期を迎える。
「今年、履修する学生は、4回生だって、浪人してなければ、昭和のおわり・1980年代の半ばの生まれですからね」
 と教官たちにため息がもれるのである。

「戦争ときいて何時を思い浮かべますか」
「湾岸戦争かな~」という答えが多かったのは、数年前。そのときも「エッ」と驚いて、言葉を呑んだ先生方が多かった。
 今では同じ質問に
「え~、と。。。。。。。。。。」
「アフガン?」
 時代は変わった。
 しかし、西洋的な分析・心身二元論に対しては、東洋的な全体性やスピリチュアリティ。マシーンを使った筋肉トレーニングに対しては、「ほぐし」や「リラックス」というもうひとつの極を求める機運が、若者たちに定着していることは確かなのだが。
「待てよ!」と、私の裡で、叫ぶものがいる。
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きくづくしの話

2005年09月26日 08時22分40秒 | Weblog
 因縁話をひとつ。
 
 野口三千三先生のご母堂の名が「キク」さんということは以前お話しました。
 そして、先生ご贔屓の陶芸家の名前も「きく」さんということも。
 ところが、私の祖母の名が「キク」だったことに、先日気がつきました。
 なんと三人の名が言い合わせたように「きく」だったのです。
 おそらく時代を表す名で、「きく」が流行だったのかもしれません。
 古に花といえばまず「梅」でした。時代が下って花といえば「桜」になりました。しかし、もうひとつの「花の代表」が、日本の国花である「菊」だった。
 名前としての「きくさん」は、「菊」だったに違いありません。

 因みに、先生は、秋はもとよりのこと、一年を通して、珍しい菊の花を見かけると、必ず家に飾っておられました。
 切花として愛でるには、牡丹よりも芍薬よりも百合よりも、「菊の花」がお好きでした。

「きく」「キク」「菊」は、「自然に貞く・からだに貞く・おもさに貞く」という「きく」と同音で、野口先生につながる不思議な因縁話は、大和ことば「きく」がキーワードでありました。

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究極の動態保存

2005年09月25日 09時24分48秒 | Weblog
 先日、ハープ愛好家の集いに招かれました。
 もちろん野口体操をご紹介するためです。
 そこで素晴らしい楽器に出会いました。
 マリーアントワネット時代のハープです。それは、華麗にして重厚。ロココ風の金の彫刻を冠し、彩色された絵が胴体に施されています。音色は低音から高音まで、温かみのある落ち着いた音。なんでもイギリスのオークションで落札したものを、譲り受けたとか。イギリスの文化財保存は、非常によいそうです。

 その前日は、池袋にある自由学園「明日館」で、打ち合わせをしました。
27日からはじまる花王・antu(中高年女性のQOLを考えるプログラム)の秋の企画で、野口体操をおこなう場所の下見も兼ねていました。
 この「明日館」は、自由学園創立者の羽仁吉一・もと子夫妻によって建てられたもので、関東大震災や太平洋戦争の災害を免れて80年にわたって保存されてきたものです。
 帝国ホテルを設計したライトによる設計。教室にある椅子やテーブルにいたるまでライトのデザインによっていて、幾何学的な全体の設計理念と調和しています。

 もうひとつ池袋には、立教大学のレンガつくりの校舎があります。
 立教開校130年。池袋の雑踏のなかに、この二つの建物群は、タイムスリップする以上の価値があります。
 
 この二つの場で、野口体操を指導できる機会をえていることに、縁とはいえ素直に感謝!

 さて、楽器や建物等々の保存は、使われてこそ生きるわけですが、こうした動態保存の傾向は増えているのだそうです。
 
 そこで、はたと立ち止まりました。
「そうだ、私のからだは45億歳」
 ー地球創生から命がつながっていて、今、ここに、生きている。自然遺産であり、文化遺産ですーというのは、野口三千三先生の考えでした。
「からだ」と「ことば」、こんな貴重なものが、身近? 身内? にあったじゃないの。
 究極の動態保存は、「私のからだ」。もちろん「あなたのからだ」でもあります。

 これから、「御身お大切に」と手紙の末尾にに記すときは、もっともっと、心をこめよう! 
 末尾じゃなくて、ほんとは、最初に書きたいわね。
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きくさんの鉢とキクさん

2005年09月24日 07時38分27秒 | Weblog
 夕べからの雨が降り続いて、今朝の水遣りはお休み。なんとなくほっとするのも事実。
 父の盆栽が、預かってもらっていた松庵の知人宅から戻って、2ヶ月。無事に秋を迎えられそうです。
 そのなかの一つ、紅葉は、私が中学生のときに、父が高尾山からとってきた僅か数センチの実生のものが、四十数年たって幹も太い正真正銘「紅葉」になりました。
 木は、時間が育てますね。

「植物は生きる場所を途中で変えることはできないの」
 野口先生は、その日の天候や風向きによって、鉢植えの植物を移動させていらした。
「狭い庭でたくさんの植物を元気に育てるには、鉢植えはとてもいい」
 
 野口先生は、九州の「きく」さんという女性がつくった青緑色の大きな鉢には、岩檜葉を群生させていました。この陶芸家は、機械を使わず手捻りで作品をつくる方だそうです。小物盆栽用の鉢から大鉢まで、すこしの歪みをもたせながら、ぽったりとした暖かい雰囲気の鉢をつくる才能の持ち主です。
 
 木や草物は、鉢の相性によって、思いがけない効果が生まれます。
「陶芸をやりませんか。野口先生だったら凄いものができそうだ」と芸大の学生にもすすめられたことがあるそうです。
「いや、止めておく。のめりこみそうだから」
 正解だったのか、やっておけばよかったのか。二つの道は同時に歩めません。

 因みに先生のお母様のお名前が「キク」さんでした。不思議な縁。
 羊歯類や草物を、その「きく」さんの鉢でいくつも育てておられた先生の思いを、育てられる植物が感じ取っていたのかも。
 
 今日は土曜日。
 羊歯に貞く「逆立ち」が、無事に練習できますように。
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見るということ

2005年09月23日 07時21分23秒 | Weblog
 かつて野口庭に、写真を撮りにいらした男性の弁。
「いや、参った。びっしり多様な植物が繁茂していて、カメラを向けたんだけど、どこからが違う植物なのか分からなくてね」
 
 初めて先生の庭を見たK氏は、どこをどのように写してよいのか、迷ってしまったと語ってくれました。
 東京では育てるのが難しいといわれている羊歯類・蘚苔類・高山植物が青々と茂り、地を這い、地植えされている「樹木や置かれている石にまで這い上がり、庭の土を覆い隠している様を目にしてあっけにとられるばかり。

 このことはK氏の目が節穴のではなく、人が物を見る限界を示していることでした。
 植物に限らず、野口体操の教室にはじめていらした方の目には、どの人も皆同じように映ってしまうようです。ベテランの人の動きと、初めて間もない人のギクシャクした動きの差が分からない。さらに野口体操が求めている動きの方向と似ていながら非なる動きの差にいたっては、まったくお手上げ状態です。
 30年前、私も同様でした。
 そして、「自分だけが、なんでこんなにからだが硬いのか」と思えてしかたがない。
 
 ところが教室にいて、何度も繰り返し見るうちに、違いが感じ取れるようになれます。辛抱しかない? いや、自分自身で動いてみて、それを繰り返して、次第に違いが見えてくるようになります。
 
 逆立ちの質の違いを見抜く目も、同じことです。
 みることって「見・診・観・瞰・覗・覩・看・視・監・瞟・覧・監・胥・瞥……」。
「目」と「見」の文字を、とりあえず呼び出してみると、これだけあります。
 
「見方もいろいろ・人もいろいろ」という言い方には、ちょっと手垢がついてしまいましたが。

 
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○○のようで○○でない!?

2005年09月22日 07時31分44秒 | Weblog
 憮明亭のご亭主から“植物育て”と“子育て”はよく似ているというコメントを戴きました。
 このことは野口先生の体操指導にも共通だったと思いいたります。
 指導は細やかでありながら押し付けがましくなく、構いながらも構わないというぎりぎりのバランス感覚に支えられていたように記憶しています。
 時に構いすぎて、いたたまれない方もおられましたが。その方は決まって魅力的な方でしたね。

「やらないということも行為の選択です。無理やり動こうとしなくていいですよ」
 私は、先生のこの言葉を真に受けて、教室でおこなわれている動きをひたすら長い期間見続けていました。注意しようにも、どうにもならないという珍しい生徒でした。
 よく言えば、その場にいて観ること、つまり「見取り稽古」を積んだといえます。正直言えば「不器用」で動けなかった、というわけです。
 
 余談になりますが、昨今、トライアルで参加される方が、動ける方が多くて、これはどうしたことかと思うことがあります。皆さん、何かしら身体にかかわって何かをされていて、野口体操においでになるようです。 
 ジャズダンスありコンテンポラリーダンスあり太極拳ありヨガあり新しい身体訓練ありと、さまざまです。
 
 さて、自分自身が野口体操を身につけるには、植物育ての呼吸が大事そうです。意識しすぎないで意識もする。構いすぎないで構ってみる。手をかけないようでいて手をかける。この匙加減が、微妙! もしや、これが生きる極意かも。

 さぁ、今日から大学の後期授業のはじまりです。
 子育ての極意を思い出して、いざ、出陣。
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羊歯植物に貞く-逆立ち-

2005年09月21日 08時53分59秒 | Weblog
 野口三千三先生の庭は、都会のなかの小さな空間でした。
 そこでは岩檜葉・鞍馬苔・竜神蔦・琉金羊歯・屋久島姫茄子等々の羊歯・蘚苔類や高山植物、初雪鬘・丁子鬘等々の蔓植物が元気に育っていました。
 水遣り・日当たりの具合、風の通り道の確保をするだけで、あとはあまり構いすぎないことが、大切だと語っておられました。栄養剤や殺虫剤・殺菌剤は、やらない方がいいというわけです。
「でも、植物を毎日見守り、手入れをしないようでいて手入れをされておられた」 と私は思います。
 庭は、放ってしまえばすぐに荒れます。僅か数坪の庭に、あれだけ多くの種類の植物が育つということは、尋常ではありません。
 
 この植物と共に暮らす場が、野口体操の動きの原理を考える場であったと、先生は語っておられました。
 なかでも羊歯類が芽吹き葉を広げていく軌跡は、野口体操にとって動きの基本原理そのものです。
「上体のぶらさげ」や「野口流ヨガの逆立ち」は、「羊歯植物に貞く」世界です。 
 
 先日、60歳代の方からのコメントを戴きました。この場を借りてエールをお送りしたい。
 力がぬけてまっすぐ(地球の中心方向・鉛直方向)の方向をつかむことができれば、「立つべくして立つ」逆立ちは、できるようになる可能性はあります。
 言ってみれば、野口体操の逆立ちは「ほぐれの極み逆立ち」です。 
 手で立つ逆立ちもヨガの逆立ちも、繰り返しますが「まっすぐ」にのびのび伸びることが求められます。
 「地球につながる野口体操」という表現は精神論ではなく、からだの実感を表わしたものです。

 野口庭が自然と人口が渾然一体となった微妙なバランスのうえに成り立っているように、野口体操の逆立ちも、ひとり一人のからだの内側の生態系が、微妙なバランスでつりあったとき、すっきりと気持ちのいい在り方で「立つべくして立つ」ことができることを野口先生はおっしゃりたかったのだと……。

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朝の挨拶

2005年09月20日 08時20分03秒 | Weblog
 新築祝いに「野の花」と名づけられた鉢植えを戴いた。
 最近は、茶花をあつかう店が減って、この鉢物は銀座の大通りから一筋奥へ入った店からとのこと。
 オトギリソウ・ツルコケモモ・ガンピ・姫ワレモコウ・笹リンドウ・箱根菊・クガイ草・れんげしょうま・オケラ等々やさしい風情の野の草の寄せ植え。鉢には、石や苔、化粧の小石が、程よく配置され草花を引き立ています。
 訪ねてくださるどなたも、必ず目をとめてくれました。
 
 さて、夏も終わりに近づき、枯れてしまう前に、植え替えをしておこうと思い立ったのが先週はじめのこと。
 楕円形の青みがかった薄い鉢にツルコケモモを中心に、石と苔を配して一鉢にまとめてみました。途中で、父が残していった化粧小石があったことを思い出し、それを土にまき、あとの草花は、ばらして素焼きの鉢に植えました。
 3種類は、すでに枯れてしまっているので、もっと早くに気付いて、植え替えておけばよかった、思っても時期遅し。

 先日の初雪鬘(ハツユキカズラ)もそうでしたが、この草花も根がしっかり育っていて、外側に現れる姿の何倍もの嵩があります。
 野口先生は「植物に貞く」とおっしゃりながら、ご自身の庭を毎日丹精されていました。「雨の日でさえ、少しでも水遣りをする」と。
 大雨の日は別として、多少の雨のときは、水遣りをなさっていました。
 最近になって、「植物に貞く」ってこういうこか、と、言葉にはならないものの或る実感を得ています。

 土台になる足場にしっかり根を張るまでの手入れの時間があって、初めて活動がゆるぎないものになるんだなぁ、と思いつつ、今朝も一通り水遣りを終えました。
 
 思うに「水遣りは、植物との朝の挨拶」に違いない。
 遣り終って水がしたたる木を眺め、醸される匂いをかいでいると、落葉樹など枯れ枝が多くなる冬場でも、なぜか気持ちがいいもの。
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いよいよ逆立ち

2005年09月19日 10時38分02秒 | Weblog
 お彼岸の供物は、なかに餡が入っていないものが、普通かもしれません。
 甘いものに目がない野口先生。さすがに鼻がきいたのでしょうね。
 
 さて、今日は、「逆立ち」の話です。

「羽鳥さんは、石橋を叩いても渡らない人ね」とかつていろいろな方から言われました。
「そうかもしれない」と自分でも思っていました。
 かなり慎重な性質であることは間違いなさそうです。
 その私が、いよいよ朝日カルチャーセンターの土曜日の教室で、逆立ちの練習を始めました。(画期的なことです)
 今まで、何人かの方の逆立ちは、見ていただいてきました。9月17日は、野口先生直伝の「ヨガの逆立ち」を解禁して、かなりの人数が試してみました。
 自然に数名のグループができて、お互いに気をつけながら、試している様子をみて、ここまで我慢した甲斐があったと思う気持ちが膨らみました。
 この野口先生直伝の在り方は、無理やり立たせないところに深い意味があります。
 途中で降りてくる選択を、自分がする。その手伝いを包助者はすることになります。
「立つべくして立つときまで、待つ」
 といっても何もしないで指をくわえて待つのではありません。
 その教室の流れがようやく見えてきたというところです。

 参加のみなさんが、焦らず安全をモットーに試してくださっているので、これぞ野口体操! といえます。

『信ずるとは、負けて参って任せて待つ』野口三千三先生の名言です。
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彼岸の供物といつものお菓子

2005年09月18日 08時21分32秒 | Weblog
 彼岸には、彼岸の菓子があった。
 日ごろ買いにいく菓子屋ではなく、明治通りと中山道が交差している所の和菓子屋まで足を伸ばすのです。
 野口先生には、春の彼岸と秋の彼岸のときだけ、出かける店がありました。
 確かにそこの彼岸の供物は、中の餡が上質なもので、蓮の花に葉を模った供物は、彼岸ではなく此岸にあっていただくもの。
 職人さんも心得ていて、先生の来訪に必ず顔を出してくれるのだそうです。
「このごろの若い人は食べる菓子とはおもっていない。仏のお飾りでなく、仏のご相伴に預かってくれる人がいなさるのは、嬉しいね」

 実は、野口先生は大の甘党でした。
 お住まいの近くにある「巣鴨の地蔵通り」には、昔ながらの菓子屋があります。
とくに先生がお好きだったのは、金時豆や虎豆や小豆や鶯豆などを、砂糖で固めて板状にしたものです。これは単純でありながら、素材のよしあしがはっきり出るごまかしのきかないお菓子です。
 
 四のつく日が地蔵様の縁日。その日に開かれる露店を、先生のお供をしながらひやかして、出来立ての甘い豆板を土産に。
ご自宅で戴く先生ご自慢のお茶は、一年を通して美味でありました。
 因みに、お茶は八女茶でした。
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懐かしき「おはぎ」の味

2005年09月17日 07時54分11秒 | Weblog
 「憮明亭日乗」という名の素敵なブログがあります。
 素敵さの一端を担っているのが、豊富に載っている写真です。
 先日、ブログのご亭主から、お返事を戴きました。
 てっきりデジカメで撮ったものを、流しこんでいるのかと思いきや、そうではなく携帯から自動的にブログに直接転送できる方法をとっているのだそうです。
「へぇ~」と驚き、思わずまたコメントで
「もう少し暇になったら、指南を」と、お願いしました。

 さて、野口三千三先生は、戦前には、ご自身で簡易の暗室を作って、現像までなさったとか。
 小学校の教師をしておられたときのこと。その教え子さんも、思い出を懐かしく語ってくださったことがあります。
 それが戦争の末期から敗戦後は、すっかりやらなくなってしまわれた。
 八ミリが出始めたとき、ご自身の体操を残そうと考えていらした時期もおありでした。しかし、それは実現せず、何時のころからか写真嫌いになっておられました。
 60代になって『野口体操 おもさに貞く』の本を出版されたときには、芸大の体育小屋で撮影がおこなわれました。それまでの間、取材は別として、残された写真はごく僅かです。
 
 すると「野口三千三授業記録の会」で、ビデオ中心に記録が残らなければ、「幻の野口体操」に終わった可能性が高かったと思うと、やってよかった!
 かかわってくださった方々のお顔が、つぎつぎに浮かびます。と同時に、人の巡り合わせ・縁の深さと不思議さを思います。
 
 そうそう、縁と言えば、秋の彼岸も間近。ここにもひとつ思い出があります。
 先生のお宅でご相伴に預かった「おはぎ」の味。
 近くのお米屋さんから毎年届けられる大きなおはぎでした。なんてたって「もち米」の質が違いました。
 この味を知ったのもご縁です。
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螺旋状の根に命の形を見た日

2005年09月16日 07時52分51秒 | Weblog
 衆議院選挙日、夕方のこと。
 一点にわかに掻き曇り、一陣の風が東京地方に吹き荒れました。
 ガチャーンという音に、思わず飛び出すと、初雪鬘(ハツユキカズラ)の鉢が割れていました。どうやら鬘を絡めた3本の棒が、後ろ側にあった簾に引っかかって落ちたようでした。
 空は黒い。
「降り出す前に、植え替えてやらなくちゃ」
 みると鉢の形にびっしり根が張っています。欅などもそうですが、盆栽仕立ての根は、いちばん元になる太い根を中心に、たくさんの根が円を描き渦を巻き螺旋状で成長していきます。
 あいにく大きめの鉢しかなく、まず小石を敷き、その上にとりあえず中玉の赤玉土とそのまた上に小玉の赤玉土を乗せて、根をいじらずにそっと植え込みました。
 今日で、6日目。どうやらついてくれたらしい。
 
 野口三千三先生のご自慢の庭を囲むフェンスに張り巡らされていた初雪鬘。生前、わざわざ先生が、鉢植えにして届けてくださった鬘は、もう10年近い年月が過ぎました。今年は春に植え替えができなくて、ほとんど土もなくなっていました。この螺旋形の根に、再び土の栄養がいきわたるかと思うと、鉢が割れたのも何かの采配に違いない、と思うことしきり。
 白と撫子色と緑の濃淡と牡丹色が混ざり合った鬘の葉に、その3倍も嵩のある螺旋形の根。
 思いがけず命の形を見た、9・11でした。
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