羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

『現場者 げんばもん』

2018年10月24日 09時32分03秒 | Weblog

先日の早蕨塾で、一冊の本と阿波の藍染のチーフをいただいた。

大杉漣さんのマネージャーとして、漣さんの現場に立ち会っていた青野美樹さんの写真が掲載されていた。

とにかく凄い。

署名の通りの生き方を貫いた役者さんだった!

まさか、ここまでやるか!

まさか、ここまでできるのか!

役者魂には脱帽である。

読み応えのある一冊である。

映画は、人を育て、人を生かし、そしてその命を限界を超えて燃焼させる残酷さを持っている。

だから映画は、いや、役者は面白いのだ、と本は語りかける。

早すぎたけど、これも天命。

天寿を全うされたと思いたい。

輝く瞬間、泥にまみれて・あがいて、でもにっこり笑う。

大杉弘美さんの特別寄稿が大杉漣を立体化して、命をさらに輝かせる。

共に生きた彼女の人生も圧巻である。

そして、私たち野口体操の仲間、青野美樹さん、いい時間を過ごされましたね。

挟まれていたカードには「ともに生きたことを感謝」の文字。

読み終わって栞として、あなたが写した写真のページに深く差し込みました。

また、近いうちに会いましょう!

ありがとう。

深い藍色に滲みを伴う「漣」の染め抜き文字が、いかにも漣さんらしい・・・・・

 

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会報「早蕨」Vol.4

2018年10月23日 19時45分21秒 | Weblog

今週、会報の編集作業が一気に進んだ。

いくつかの記事を除いて、掲載文の大方は、最終段階の校閲をお願いできるところまできている。

佐治さんは、デザイン・細かな編集作業をもサクサクとしてくださっている。

表紙は、春の柔らかな芽吹きを思わせる色調で、これまでの3冊に加えると、デザイン・コンセプトがより明確に発信されていることに気づく。

掲載写真はセンスがいい、と自画自賛している。

「あぁ〜、野口先生にご覧に入れたい」

無性にそう思う。

ついつい詮無いこととわかっていて、さらに切なさが増す。

人が亡くなるって、こう言うことなのだ。

「私と野口体操」に、ご登場願いたいあの方・この方、と次第にイメージが膨らんでくる。

野口三千三80年の人生が紡ぎ出す豊かな人間曼荼羅絵巻になってゆくような予感がしている。

これも2年目の会報作りをしていることによるところが大きい。

継続することで視界が開ける。

視界が開けると次への欲望が芽生える。

いやはや、月並みな言い方だが “継続こそ力!” だ。

さーて、最後の追い込みまで、しばし集中を切らさないで過ごせますように祈りつつ、このブログを書いている。

 

 

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さすが朝日新聞! 

2018年10月22日 17時02分35秒 | Weblog

午後、母の施設に出かけた。

母がいるユニットの食堂に着いていつものように足のマッサージを始めた。

すると介護士さんがクリアファイルに入った新聞記事の切り抜きを持ってきてくれた。

ニコニコと母に差し出して、操さんですよ!

母も興味を持ってのぞきこむ。

「ああたじゃないの」と写真と私の顔を見比べていた。

それからと言うもの、「野口体操、野口体操」とくり返し話しかけてくる。

ちょっと意味不明なところもあっても、それなりに答える。

早稲田・帝京・明治大学三校に隣接する公園をぐるりと回る。

キリンの社屋の前に広がる公園のあちこちに、集うお母さんや小さな子供や赤ちゃんと交流。

ようやく歩きはじめた可愛い子供や、ベビーカーの赤ちゃんに出会って母はとても嬉しそうだ。

中にはよちよちと母の車椅子のそばによってきて、リズムを取りながら上下動する男の子もいた。

するとその動きに合わせて「1、2 1、2」と声をかける母。

ここの施設に入れてもらえたことは本当によかった、と安堵する自分を感じていた。

自宅にとどめ置いたら、こんなことはありえない。

警察病院まであって、これほど恵まれた環境はなかなかないだろう。

樹木にも囲まれ、風もなく降り注ぐ秋の太陽の光の元、静かに時間が流れて行く午後。

施設に戻る道道、二人だけになると体操のことばかりを、再び話しかけてくる。

ユニットに戻ると、おやつが用意されていた。

よい食べっぷりの母を残して、一階に戻り、玄関を出る前に椅子に腰掛け、スマホをチェックしていた。

そこに看護担当の女性がよってきて、新聞記事の話を始めた。

「私、体が硬くて」

「今度、こちらでやりましょうか」

嬉しいそうに笑ってくださった。

みなさん、記事に、気づいてくださるものですねー。

さすが、朝日新聞です。

早稲田通りの歩道を自宅に向かって歩きながら、呟いた。

「ちょっと親孝行できたかな」

93歳の母と70歳になろうとしている娘の老老交流の一コマです。

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朝日新聞に「駱駝体操と野口体操」掲載されました

2018年10月21日 07時42分55秒 | Weblog

 10月20日土曜日 朝日新聞 be on Saturday の紙面に野口体操の紹介記事が掲載されました。

「続⭐️元気のひけつ」ー駱駝体操と野口体操 脱力の技術で日常からの回復を

 麿赤兒さん率いる大駱駝艦でおこなわれている駱駝体操は、そもそも五十五年前に麿さんが野口三千三に体操を習ったことがその源流にあるということで、野口体操の取材を受けたものでした。

 そのことが紙面にしっかり書かれていて、仁義を重んじた内容としてまとまっていました。

 麿さんの写真も私の写真も、凄みがあって、「脱力」が本当の力を入れる基礎感覚!?ということが伝わるようです。

 以前、朝日カルチャーセンター公開講座に麿さんをお招きしましたが、大変お優しい素敵な方でした。

 これまで数多の取材を受け、記事にしていただいていますが、こうした切り口は初めてで、新鮮な印象です。

 一日ずれてのお知らせになりましたが、お手元に朝日新聞がおありでしたら、ご一読ください。

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「野口体操の会」・・・「早蕨塾」

2018年10月15日 19時37分16秒 | Weblog

「早蕨塾」は、昨年2017年から、年の2回の定例開催を始めました。

 昨日・10月14日(日)には、第4回をつつがなく終えることができました。

 素晴らしいお話と実技指導をしてくださった龍村修さんにお礼を申し上げます。

 全てにおいて勉強させていただきました。充実した時間をありがとうございます。

 

 これまで以下のようなプログラムで研修会を開いてきました。

 1回目「人の動きの捉え方〜理学療法士の立場から」講師:國廣哲也氏

 2回目「野口体操から座禅へ」講師:藤田一照氏

 3回目「野口体操から生まれるワークショップの場〜ほぐす・つながる・つくる」講師:新井英夫氏

 4回目「ヨーガの呼吸法」講師:龍村修氏

 毎回、ボランティア・スタッフとして、協力してくださる方々。

 研修会に参加してくださる方々。

 講師の方の熱意、参加メンバーの意識の高さに支えられて、おかげさまで毎回のこと和やかな中にも充実した時間を共有できることに、「早蕨塾」を開催する意味が一段と深まってきました。

 来年は、2月2日(土)に、緊急開催「早蕨塾」を企画しています。

 テーマは「癌について学び 癌とともに生きる」講師:大屋敷純子氏です。

 この場を借りて、講師をお引き受けくださった方々、そして会員のお一人おひとりに、お礼を申しあげます。

 硬い言葉での報告に終始しました。

 最後に心のこめて一言。

 ありがとうございます。

 

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久々のブログ・・・会報「早蕨」原稿を書く 徒然に

2018年10月15日 06時36分35秒 | Weblog

 このところずっと「野口体操の会」 会報「早蕨 SAWARABI」Vol.4の原稿書きをしていた。

 私が分担する「巻頭言」「野口三千三伝」「野口三千三語録」がまとまりを見せてくれている。

「三千三伝」では、師範学校生の少年時代から、青年期に差し掛かるところを書いている。

 野口の戦争と向かい合っている毎日は、なかなか厳しい。

 これから戦後にかけて、腹を据えて、覚悟をしておかなければならない、思いながら実は負けそう。

 消し去ることのできない戦前・戦中を抱えて、自分の中の矛盾を自覚しながら、「野口体操」と呼ばれる体操を生きる三千三の戦後を想っている。

「俗」であること、「俗」の感覚を持ち続ける意味が、見えてくるのだ。

 全てを吐き出すことはできない。

 人生を浄化することもできない。

 全てをなかったことにすることもできない。

 抱え込んで、さぁ、野口よ! あなたはどう生きたかったのか?

 私も逃げずに書かせてもらいます。

 なぜ、自分が、多々ある身体アプローチの中で、野口体操にとどまったのか、わかり始めている。

 キレイキレイの自分になれるわけもなく、悪いもの、否定したくなるのも抱えて生きていく“このからだ!”は、誰ものでもない自分自身が最後まで引き受けていかなければならないのだから。

 どこまでも現実から目をそらさず、そこから見えてくる醜さ、聞こえてくる雑音、漂う臭気、苦い味、肌のザラつき。

 五感で捉えられる、それらとは真逆のうるわしき感覚も、全てひっくるめて、丸ごと全体のからだ感を、今、手元に引き寄せている。

 生きる醍醐味を日々感じて、「巻頭言」も「語録」も書くことが、楽しくなってきた私である。

 自分のために書かせていただいている。

 徹底的にスピリチュアルではない世界を生きた時、初めて本当のスピリチュアルに出会えるのだろか。

 それとも、そんなことは、到底あり得ないのだろうか。

 答えはまだ出ない。

 もしかすると“中途半端”こそ命かも!

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