出来れば乗りたくない地下鉄の一つに大江戸線がある。
13日のスタジオへは、この地下鉄に乗った。
この線に最初に乗ったのは、開通して間もない頃だったと記憶している。そのときには、新宿から母親に連れられた小学校3年生くらいの男の子が同じ車両に乗り込んできた。走り出したとたんに「コワイヨー」と大声をあげて泣き出し、あげく「降りたい」とせがんでいた。
その感覚は、まったく正しい。生きものとして本能的に感じる素晴らしい能力だと思った。
階段やエスカレーターでこれでもかといいたくなるほど地下深くに降りていく。車体は小さい目で、揺れを敏感に感じてしまう。その上に‘音’だ。キーン、ゴーッという騒音が、スピードがあがると耳の奥からからだ全体に伝わって「乗らなきゃよかった」と後悔の念に襲われるのは子供だけではないと思う。
いい悪いは別にして、ただ便利ということだけで、その恐怖感を忘れようとするのが大人だ。
はじめてこの大江戸線に乗った時には、突発性難聴を患う前だった。
その時に二度と乗るまいと決意したものの、乗らざるを得ないことがしばしばあった。
特に突発性難聴を患って退院後の通院では、短い距離ということもあって、この線を利用していた。
地下鉄の音は、壊れた耳には、不快以外の何ものでもなかった。
その後、通院をしなくなってからは、できるだけ避けていた。だからそれほど頻繁に乗ることはなかった。
ところが13日は、久しぶりに日曜日の朝、乗り込んで座席に腰掛けて、約30分ほどこの大江戸線の車内で揺られていた。
気がつくと、音に不快さを感じない。穏やかな気持ちで、走りぬける音を聞きながら、うっとりしているのだった。
「こんなことってあり?」
日曜日だから、スピードが落ちてるのかしらね。そんなことはあるはずがない。
「これから夕方まで、スタジオから一歩も出ずに長時間を過ごすわけで……おそらくこれまでに本格的なスタジオ撮影など経験のない何人もの人に、できるだけ気楽に被写体になってもらわなければならない。いやいや、少し場に馴染めば、参加してくださる皆さんに、いらぬ心配はしなくてもよい」
そうした信頼感は確実なものとしてあったのだけれど、それにしてもこの気分のよさは、体調がすこぶるいいからなのか、突発性難聴が相当程度治癒しているからなのか、自問自答し始めた。しかし、それもいつしか忘れて、電車の揺れに身を委ねているうちに降車駅に着いた。
人のからだほど不思議なものはない。
人の感覚ほど不思議なものはない。
よくわからないわ~。
確かなことは、あの朝、気分がものすごくよかったということだった。
13日のスタジオへは、この地下鉄に乗った。
この線に最初に乗ったのは、開通して間もない頃だったと記憶している。そのときには、新宿から母親に連れられた小学校3年生くらいの男の子が同じ車両に乗り込んできた。走り出したとたんに「コワイヨー」と大声をあげて泣き出し、あげく「降りたい」とせがんでいた。
その感覚は、まったく正しい。生きものとして本能的に感じる素晴らしい能力だと思った。
階段やエスカレーターでこれでもかといいたくなるほど地下深くに降りていく。車体は小さい目で、揺れを敏感に感じてしまう。その上に‘音’だ。キーン、ゴーッという騒音が、スピードがあがると耳の奥からからだ全体に伝わって「乗らなきゃよかった」と後悔の念に襲われるのは子供だけではないと思う。
いい悪いは別にして、ただ便利ということだけで、その恐怖感を忘れようとするのが大人だ。
はじめてこの大江戸線に乗った時には、突発性難聴を患う前だった。
その時に二度と乗るまいと決意したものの、乗らざるを得ないことがしばしばあった。
特に突発性難聴を患って退院後の通院では、短い距離ということもあって、この線を利用していた。
地下鉄の音は、壊れた耳には、不快以外の何ものでもなかった。
その後、通院をしなくなってからは、できるだけ避けていた。だからそれほど頻繁に乗ることはなかった。
ところが13日は、久しぶりに日曜日の朝、乗り込んで座席に腰掛けて、約30分ほどこの大江戸線の車内で揺られていた。
気がつくと、音に不快さを感じない。穏やかな気持ちで、走りぬける音を聞きながら、うっとりしているのだった。
「こんなことってあり?」
日曜日だから、スピードが落ちてるのかしらね。そんなことはあるはずがない。
「これから夕方まで、スタジオから一歩も出ずに長時間を過ごすわけで……おそらくこれまでに本格的なスタジオ撮影など経験のない何人もの人に、できるだけ気楽に被写体になってもらわなければならない。いやいや、少し場に馴染めば、参加してくださる皆さんに、いらぬ心配はしなくてもよい」
そうした信頼感は確実なものとしてあったのだけれど、それにしてもこの気分のよさは、体調がすこぶるいいからなのか、突発性難聴が相当程度治癒しているからなのか、自問自答し始めた。しかし、それもいつしか忘れて、電車の揺れに身を委ねているうちに降車駅に着いた。
人のからだほど不思議なものはない。
人の感覚ほど不思議なものはない。
よくわからないわ~。
確かなことは、あの朝、気分がものすごくよかったということだった。