羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

劇画

2009年05月31日 19時08分52秒 | Weblog
 U-29、つまり29歳以下の方々だけではないと思うが、若い人たちは劇画で勉強しているらしい。
 レッスンで日経新聞の劇画‘結い 親鸞’のことを新聞を見せながら話をした。
 すると源氏物語も三国志も劇画で読みました、という若者が名乗りをあげてくれた。
 日本史だって教科書ではなく、劇画で覚え受験した人もいる。

 iPhoneに入れてある『大辞林』に挿入されている絵も、劇画タッチだという印象を持った方もある。その印象は、たとえばこのブログでも書いた‘つくばい’や‘丹前六方’などの絵から受けたものだ。

 ところで、本日の日経新聞には‘アニメ・映像特区’の話も載っていた。
 本格的に日本のソフト産業として、海外に輸出する方向で政府が動いているのだ。
 これまでの巨木産業が倒れると、‘ひこばえ産業’にも日が当たるようになるのかな。
 それにつれて人々の価値観も変わっていくのだろう。
‘倒木更新’は、自然界の出来事だけではなさそうだ。
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U-29

2009年05月30日 09時07分42秒 | Weblog
 本日、5月30日土曜日、日経新聞朝刊を読んでいて、あっと息をのんだ。
「えっ、なに? これ」
 
 ……奥州・平泉・衣川、武蔵棒弁慶が義経の遺髪を託す。
   託された童・範宴(はンねン)は、後の親鸞……
 という設定で物語は始まる。

『結い 親鸞』
 よく見ると、劇画3ページの連載の始まりらしい。

 狐につままれた心境で、前のページに戻る。
『日本gene U-29』とある。


再び……
「なに?」
 説明を読む。……

‘gene’は遺伝子。‘U’はアンダー。‘29’は29歳。
 つまり、《29歳以下世代に脈々と受け継がれている日本人の遺伝子をたどりつつ、20代の男女の生態を紹介》する頁だそうだ。
 劇画のほかにも記事がある。全体として5ページのものだ。

 いやはやそうか!

 実は、来週、同新聞系列の月刊誌の取材を受けることになっている。
 こちらは40代女性向け健康雑誌である。
 で、漫画(劇画)で野口体操を紹介するものだ、という。
 つまり、時代はそういう流れにあるのか。
 受け止めるしかないのかなぁ~。。。。。。
 しかし、国立のアニメ(漫画・劇画)の殿堂づくりは、‘いかがなものか’と、思っている。

 それはそれとて、「新聞が変わった。それも経済新聞から変わった」のだ。
 今朝の衝撃は、ちょっと大きかったが、まっ、来週の土曜日にも、この物語の続きを読む? 見る? としようぞ!
 とりあえずね。

 
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湯の力・水の力

2009年05月29日 19時29分19秒 | Weblog
《「心に残る名碗」と題して、遠州茶道宗家 紅心 小堀宗慶》の連載が日経新聞朝刊・文化欄で始まった。
 一回目は「大井戸茶碗 銘 喜左衛門井戸 李朝時代 十五ー十六世紀 京都・孤蓬庵蔵」にまつわるお話だった。

 氏が襲名披露茶会を開くにあたってこの国宝の出品をご住職に懇願したそうだ。
 思いが叶い茶碗を見せていただくと、手油などで薄汚れて見えたそうだ。
 そこで許しを得て、真新しい盥を誂え、ぬるま湯を注ぎ、厚いガーゼを敷いた上に国宝の「喜左衛門」を静かに入れた。すると汚れを含んだあぶくがとめどなく出てきたそうだ。ガーゼに綿を入れたもので茶碗を丁寧にぬぐった、と書かれていた。

 なるほど、そうした方法があるのか。
 たとえば盆栽の鉢なども、土を落とすには、鉢にいれた水に数日間付け込んでおく。それからタワシあるいは布でさっとぬぐっただけで土は綺麗に落ちる。

 洗濯物なども昔は‘下洗い’を行った。
 それから洗剤を使って洗うのだが、今では電気洗濯機に最初から洗剤をいれてしまう。
 
 また髪を洗う場合も同様で、最初にお湯で下洗いをしただけで、髪や頭皮の汚れはほとんど落ちているというわけだ。

 水やぬるま湯が汚れを溶かす力のありがたさを想いつつ、暮らしの中で失われていく‘清め’の方法をあれこれ挙げてみた。
 
 五月も末、こうした季節でも今日のようにちょっと肌寒い夜は、暖かい湯にからだを浸す気持ちよさは格別。湯の量はたっぷりがいい。
 心身の疲れを、湯がじわりと落としてくれる。
 
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昨日のこと……ふふふっ

2009年05月27日 12時20分21秒 | Weblog
 野口三千三先生ゆかりの神主さんが授業に参加された。
 彼は、二十代半ば過ぎにこの道に入った。それまではフランス文学を学んでおられた記憶があるが、運動能力も優れた俳優でもあった。
 ここでは‘お宮さん’と呼んでおこう。

 朝、少し遅刻してのご登場は、それだけでも目立つ。
 黒のTシャツに黒のパンツ、黒の野球帽をかぶり、黒のケースを携えて、黒尽くめの出で立ちであらわれたからその目立ち方はかなりのものだった。

 ところがである。
 更衣室から出てきた姿に、私はアッと声をあげたように思う。
 その瞬間、皆さんの目が、お宮さんの姿に釘付けになった。
 
 おぉ~!
 まぁ!
 え~!
 uWahahahaha!
 うふふふっつ!
 おぉ~!

 ありったけの感嘆の声と笑いが教室内に渦まいた。
 その瞬間、予感がしたんですよね。その後に起こる出来事を……。
 
 このクラスは人数が少ないので、ゼミのような雰囲気がある。
 気心が知れた仲間内って感じなのだ。
 一時の驚きがおさまって、順調にレッスンを続けた。

‘おっかさんランニング’‘その場ゆすり’‘左右ゆすり’‘上体のぶらさげ’‘腕まわし’‘尻たたき’……、そして‘腿のむねつけ’あたりから、私の予想が当たってきた。
 足を上げると腿までめくれあがってしまう。それでもまだ、腰の辺りで袴の布は纏わりついている。
 だから序の口。

 そして‘座位によるほぐし’の数々は、お宮さんも、布をいじりながら苦労しはじめていた。
 次々に、私としては目のやり場に困る瞬間も現れてきた。

 この出で立ちは‘蹲踞’から‘四股’には向いている。
 そのころになって気づいたことがある。
「きっと、どこかで修行をした帰りに違いない、」

 絣柄の一重の着物に使い込まれた濃紺の袴をつけて、荒行に近いこともおこなったのだろうと。
 
 ふと、暑くなりそうなので、扇子をもっていたことを思い出した。
 おもむろにリュックから取り出し、お宮さんに持たせた。
「扇ぐときは、肘からまげて、袖口から風を送るようにしてみて」
「あぁ、涼しいです」
「熱を下げるときに、脇の下に氷をあてますよね。それと同じ。間違っても顔の横前にもってきてパタパタしちゃダメなんですって。それが許されるのは田中角栄さんだけだそうなの」
「様になってますよ」
「奥ゆかしい」
 それぞれが印象を言葉にする。
 
 因みに、柿渋が塗られている扇子には‘輪の絵’のなかに‘鎌の絵’が描かれその脇に‘ぬ’の字が添えられている。つまり「かまわぬ(よきに計らえ?)」文様。つまり茶の色も文様も団十郎なのである、などと歌舞伎役者の文様(今で言う個人ロゴマーク的なもの)説明をくわえる、と、「よく似合うわ」あらためて周りに集まった人々が口々に褒める。
 あたりには扇子にしみ込ませてある‘白檀の香り’が仄かに立ち込めていた。

 実は、皆が気づいていた。
 袴の下には‘下帯’しかつけていないことを。
 そしてその下帯が動きにつれてズレるということに……。

 最後にはレギュラーとして人望を集めはじめている30代の男性に‘鰐腕立てバウンド’を見せてもらう。
 随分前から得意種目になっていて、軽くジャンプしながら前進して見せるのだ。トツゼンの闖入者に触発されたのか、いつもの倍以上の距離、鰐腕立てバウンドジャンプを披露してくれた。
 と言うわけで、昨日の朝の教室内の活気は最高潮となっていった。
 
 このときとばかりに厳密な‘四股’を要求してみたり、‘蹲踞’を‘つくばい’と訓みその意味を‘iPhone’にいれてある『大辞林』から図面を取り出して皆さんにご覧にいれたりしながら、全体として変則的ではあったが熱気溢れる授業展開となった。

 。。。。。。。。。それから。。。。。。。。。

 更衣室からいつもは聞くことがない男性軍の華やいだ笑い声が聞こえていた。
 私も着替えをして靴紐を結んでいると、後から出てきた男性が笑みを浮かべながら教えてくれた。
「いやいや、下帯(褌)のつけ方で盛り上がっていたんです。今日は楽しかったなぁ」
 そういうことか。

「お宮さん、ご免、やっぱり、禁欲の時を生きた後の艶っぽいトリックスターって、時に大切な存在なんですね!」
 別れのときまで皆さんの顔がほころんでいた。
 それにしても野口体操には多様な動き(姿態)があるということを教えられた二時間でした。
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命を全うするとは……

2009年05月24日 19時07分49秒 | Weblog
 多くの人がご存知のことだと思うが、三年前に日本で飼われている犬や猫の数が子供の数を抜いた。
 現在のペット数は、犬が1310万匹、猫は1374匹で合計2684万匹で、昨年度の調査に比べて130万匹も増加したと言う報告がある。
 一方で、15歳未満の子供の数は約1700万人だそうだ。

 今や愛玩動物というよりは、家族にとってかけがえのないパートナーとなっている。
 なんでも‘犬の幼稚園’‘ペット保険’‘老犬ホーム’‘ペット供養サービス’といったビジネスが提供されて繁盛しているらしい。
 なかでも驚くのは‘ペット用酸素カプセル’ビジネスまで登場したという。
 体内により多くの酸素を供給し、健康増進を図る‘高気圧酸素療法’のペット版である。

 さらに深夜まで診療している動物病院をニュースで紹介していた。
 夜中にさまざまな容態のペットが運ばれてくる。
 瀕死のペットは隣に併設されている動物高度医療センターに移されて懸命な再生が試みられるのである。
「ここまできたのか」
 そこにつれてこられた大きな犬を見ているうちはその程度の印象だったが、生後2週間の子猫を蘇生させる手厚い治療の様子を見ているうちに、複雑な思いにかられた。
 実験用の小動物がとても可哀想に思えたのだ。
 たいそう大事にされるペットも実験動物も‘命’には変わりない。
 それなのに、ある生きものはペットとして高気圧酸素療法サービスまで用意されている。果たしてそれが幸せかどうかはペットに聞いてみなければわからない。
 
 人間だって子供は親を選んで生まれてくるわけではない。
 犬も猫もそれぞれの運命としかいいようのない宿命のなかで命を得ているのだ。
 家族の一員として可愛がられ、万全の医療まで施されて、10歳以上の高齢まで生き延びることができる一方で、捨てられたペットが、全国で30万匹(19年度)も自治体で処分されたのだという。

 我が家の界隈でも餌をもらってはいるものの、人間に絶対に馴染まない野良猫がいる。毅然と野良猫暮らしを貫いている。
 しかし、その猫が産んだ子猫が三代目になると、飼い猫に変身してしまうのだ。
 清潔な寝床と餌を与えられ、ブラッシングを受けて、母猫やお祖母さん猫を尻目に毛の色艶が素晴らしく輝いてくる。
 そうした兄弟・異母兄弟関係の雄猫ばかりが4匹は育っている。
 餌の縄張り争いや近親交配を避けるかのように、以前ならいつの間にかいなくなっていた野良猫が少なくなって、地域猫として生き残っているようだ。

 命を真実全うすることの意味が複雑になってしまったのは、人間だけではなく現代の生きものたちのすべてに共通することになってしまった。
 ここにも、年間、三万人以上の自殺者を出す日本の陰画と陽画が見えてくるようだ。
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Oh, my God!

2009年05月23日 08時53分55秒 | Weblog
 以前は、朝5時には日経新聞も朝日新聞も配達されていた。
 ところがこの数ヶ月前から、朝日新聞の配達員が新人になって、朝刊を配る道順が変わったらしい。
 6時すぎにならないと、ポストに入らなくなった。

 今朝も日経新聞だけを読み終えて、朝食の準備に取り掛かる前に、何気なくテレビのスイッチを入れた。
 中低音域を幻のように彷徨うアルペジオにのって、優しさ極まりないメロディーがメゾソプラノの女性の声のように聞こえてきた。
 
「あぁ、お久しぶり、シューベルトさん」
 思わず心の中で呟いた。
 ピアノ即興曲作品90ー3を老齢に達したかに見える男性ピアニストが奏でていた。
「そういえば、5時55分のNHK天気予報の前に、このごろはピアノ曲を放送していたっけ」
 しばし手を休めウィーンのハーモニーとメロディーにからだを揺すりながら聞き惚れてしまった。
 
……シューベルトって、はやくこの世を去ることを知っていたのではないだろうか、と思う。
 でなければ、これほど生命が内包する揺らぎを感じ取ることはできまい……。
 
……そのとき、ある映像が網膜に甦った。
  それは、ダイアナ妃の送別の儀が終わりドアが開かれ、逆光に照らされて
  天国に召されるように棺が教会堂をしずしずと去っていった時の美しさ。
 ‘これがキリスト教の癒し’だ、と感じたときのこと……

 教会堂の中では、チャールズ皇太子自らがすべてを選曲したと言う最後の一曲が流れていた。

 懺悔をし、許しを乞い、神の御許で魂が安らかに眠る癒しを、シューベルトは音楽に描ききったのではなかろうか。とくにこの即興曲は……。

 テレビから流れる曲に身を委ねていると、宗教にかかわらず浄化されていくような心地よさに包まれた。

 もちろん、数時間後の‘朝のピアノの時間’に、さっそく楽譜を取り出して弾いてみた。
 Oh, my God! 中のアルペジオを弾く指が、指が……メロディーを邪魔しているのだ。
 いやいや、ここで諦めない。
 明日に架けよう、そのまた明日に、そのまたまた明日に。
 

 
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グラントリノから一神教とアニミズム……日本文化の可能性へ

2009年05月22日 19時37分41秒 | Weblog
 映画「グラントリノ」の話をレッスンでした翌週に、論文のコピーをいただいた。
 映画の話から思い出したのだと言葉が添えられていた。
 それは1963年「思想の科学」に載った見田宗介氏の論文で大学院生のころのものだと言う。題は、「死者との対話ー日本文化の前提とその可能性」。
 キリスト教の原罪と日本人の‘原恩’について。
 シツォイド型文化(一神教を原型とする隔絶型文化・オリエントからヘブライズム、プロテスタントに至る)とチクロイド型文化(汎神論を原型とする調和型文化・日本およびヘレニズムからルネッサンスを含む)等々。
 
 日本文化の雑種性の強みを、人類精神史の中で、‘かけがえのない寄与’にまで高め、日本人のオリジナルな歴史を開拓しようとする結びに、後の活動を予見する論文であった。

 とりわけ「ヒューマニズムと内面的主体性の確立が歴史的には、超越神への信仰を媒介として始めて可能である」ことを歴史的な必然性であって、論理的な必然性ではないという指摘をすでに二十代でしているところはさすがだ。

 この論文をいただいたことで、映画は感動のなかに歴史的精神史も内包していたことが、私のなかでより鮮明になった。
 アメリカ=イーストウッドが描いた戦争の痛みを陰画として、日本=野口の生きた敗戦後の野口体操を陽画として、いや、陰画と陽画を交互に逆転させながら、映画をとおして人間の根源を考えるきっかけをもらったのだ、と気づかされた。
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ミネラルフェアの季節

2009年05月20日 13時13分11秒 | Weblog
 先々週頃だったか。
 東京国際ミネラルフェアの案内が届いた。
「今年は22回目にもなるの」
 そう呟きながら、リーフレットを読んでいた。

 
 今日は、久しぶりのオフの日。
 風邪気味だった咽喉と鼻に、すっきり感が戻ってきた。
 そこで散らかっていた部屋の掃除をし、のびのびになっていたメールの返事を出し、ホッと一息、畳の上にからだを横たえた。

 開け放たれた窓から窓に、風が通りぬけていく。
 真夏ようなじりじりした暑さではない。
 梅雨時のじめじめした暑さでもない。
 風の匂いは春とは違う。
 外の日差しはきつそうだが、室内は朝のうちほどの明るさはなく、ちょうどいい陰影を映し出している。

 胸の奥に疼くものを感じた。何だろう。
 この気温、この風、この空気の色、畳の感触。
 そこから思い出されるのは、いつもこの季節にひらかれているミネラルフェアの準備が最後の段階に入るころだ、ということだった。
 
 そうそう、先生が亡くなった年は、ミネラルフェア顧問・野口三千三記念コーナーとして追悼になった。
 このときはUさんと二人で交替で座って、先生を偲びにきてくださる方々の話を聞き悼んでいた。
 
 それまで、たった一人だけプロと言っても間違いではない井上さんを除いて、石には素人の仲間たちとミネラルフェア会場で、石の楽しみを分かち合うコーナーを毎年ではないが開かせてもらっていた。
 
 そして一周忌の99年には、住友ビル地下の部屋を無償で提供していただけたこともあって、そちらでは写真展を開き、ミネラルフェア特別展会場の入り口では‘砂のシンフォニー’と題して大きな写真パネルを掲げた。
 あの時、佐治さんは徹夜で大量の写真の準備をされていた。

 他には、双眼実体顕微鏡、蛍光現象が見られる箱に紫外線照射器を用意した。
 そのほか砂の地図つくりは、1000人からの人たちが行列をなして順番を待ってくれた。
 東北地方から送ってもらった‘鉄くず’は、思いがけない人気で、あっという間に配り終わってしまった。

 挙げたら切りが無い。
 たくさんの思い出が新宿のミネラルフェア会場には残っている。
 亡くなってからしばらくしてからも、嬉々としてフェア会場を見てまわられる先生の姿が見えるようだった。

 そうだ、この季節の空気には、石の匂いがあるんだ!
 皆と過ごした楽しさが、空気の色に浮かんでくる。
 嬉しいような、悲しいような、なんとも言葉にはならない感情が風に運ばれてきた。
 
 私は流れる涙をぬぐうこともせず、窓の向こうに滲んで見える初夏の光を、見つめていた。
 六月初旬、石の季節が巡ってくるのも間近い。
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一気に軌道に乗る

2009年05月19日 06時58分04秒 | Weblog
 五月もいよいよ中旬を迎えた。
 大学だけが新学期で、あとは連続しているはずなのに、生活のすべてが春は落着かない。
 連休も終わって二週目にはいると、一気にすべてが軌道に乗ってくれるから不思議だ。

 落着いてピアノを弾き、自分のための体操の時間もとれるようになる。
 カレンダーにそって、日課をたんたんとこなしていける。

 旧知の方からの頼まれごとや、論文の相談や、人の紹介といったことも順調に運んで、あとは夏休みまでの日々を丁寧に生きたいと思っている。

 よい季節である。
 願わくば、新型インフルエンザで休講になりませんように、と祈っている。
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‘ネトゲ’と‘野口体操’

2009年05月16日 09時09分55秒 | Weblog
 授業が終わった時一人の男子学生から話しかけれた。
「先生のブログ、読ませていただいてます」
 そこで、『ネトゲ廃人』を知って読んだそうだ。
「中学生のころの自分は、危なかったです」

 自分自身では気づかないで、ネットゲームにはまっている状況にある人が多いのかもしれない、と彼の言葉を読み取った。
 そのままはまり込んで、気づいたときにはすでに遅しなのか?

 その学生は、硬すぎず柔らかすぎずバランスのとれた好青年だった。
 さらに単位には関係なく授業を履修している4年生である。
 嬉しいことに、どのクラスにも一人はこうした学生がいて、ネットゲームとは対極にある野口体操の存在意義を学生から教えられる。
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もしもピアノが弾けたなら

2009年05月15日 18時54分42秒 | Weblog
 以前、新聞に掲載されていたアンケート結果を読んでから、毎日ピアノの練習をすることにした。
 アンケートの質問とは「あなたが今子供時代に戻れるとしたら、何の稽古事を始めたいですか」。

 ダントツ1位はピアノだった。
 つまり西田が歌った‘もしもピアノが弾けたなら’である。
 そこにコメントが添えられていた。
「ピアノの稽古をやめたいと言ったとき、親がやめてはいけないといってくれていたら、と思うのは私のわがまま」

 確かに、小学生低学年からはじめて、できれば高校2年くらいまでは続けておくといい。
 はじめてすぐにもやめてしまうと、ほとんど練習したことが‘無に帰する’のだ。
 実は、ピアノに限らず楽器演奏をものにするには、ある期間は続ける必要がある。
 これがからだで覚えることの現実だ。
 体操も然り!

 そこでこのアンケートを読んでから、毎日30分は練習することに決めた。
 そして目安をつくった。それも小学生並みのことだが。
‘ツエルニー50番’という練習曲を、弾けても弾けなくても一日一番ずつ進むというものだ。
 今日までに2日、練習できなかった日があったが、31番までたどり着いた。
 一ヵ月は続いたことになる。

 そのほかに小品を選んで練習する。
 まず、シューマンの‘子供の情景’とショパンの‘ノクターン・遺作’から始めた。
 いつまで続けることが出来るのかわからない。
 何とか続けたいとおもってはいるのだが。
「継続は力なり」とわかっていても、これほど難しいものはない。
 子供にとっても大人にとっても……。
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‘六方’も‘六法’もあり……大辞林

2009年05月13日 19時37分01秒 | Weblog
 最近のレッスンと授業では、『足の欠如・「反閇(ヘンバイ」』をテーマにした。
 そのなかで、相撲における横綱の土俵入り+歌舞伎の‘六方’を踏んでみた。
 板書には「六法」と記したところ「六方」ではないか、と誤字であるという指摘を受けた。
 実は、一般的には「六方」と書かれることが多いが、「六法」と記しても間違いではない。
 ついでに『大辞林』に載っている意味をここにうつしておきたい。
『ろっぽう:二ー1 ①歌舞伎の演技の一形式。荒事芸の一つで、歩く動作を様式化したもの。初めは出の芸として、現在では引っ込みの芸として演じられる。「飛び六方」「狐六方」「丹前六方」など種類が多い。古くは丹前・だんじりなどとも呼ばれた。「-を踏む」』
 今もiPhonの大辞林からうつしている。

 話は飛ぶが明大の駿河台リバティータワーにある講師控え室で、この辞書を使って授業の準備をしていたときのことだった。
 実は、この部屋は3階といっても、一階が吹き抜けになっていて天井が高く普通の建物の三階分はあるので、実質四階くらいの高さにある。
 調べ終わってふと窓の外に目を向けると大きな看板が飛び込んできた。
 実際は看板というより、看板に書かれてある文字が飛び込んだ、と言う方が正しい。
「大辞林」
 大きな文字である。
 一瞬、笑ってしまった。

 片手のなかにおさまる辞書の宣伝が、バカデカイ看板にあったことが、なぜそれほどおかしかったのかわからない。理屈ではない。感覚的に受けたおかしさだった。
 とにかく目のまん前に見えるのだから相当に大きな看板であることは間違いない。
 それはそれとして、iPhoneは使い勝手がよくて大助かりだ!

 
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連休明け

2009年05月13日 18時35分18秒 | Weblog
 新学期が始まったと思うと、ゴールデンウィークがあって、授業は休みになる。
 せっかく軌道に乗り始めたのに、恨めしいといつも思う。
 
 ようやく連休明けのすべての授業が一巡した。
 実は明日の授業は、狭間にあって休みにはならなかった。
 ところが先7日は、ほとんどの学生はどことなくペースダウンしていて、改めて立ち上げる感じの授業になった。
 というわけで、新しくエネルギーを補給するこの一週間がしんどかった。

 昔、改札口で切符を切る駅員さんが、乗客が続いて入ってこないときでもカチカチと音をたてながら鋏を動かし続けることで、ペースを落とさないようにしていた情景を思い出す。

 連休には読書もし、映画も見た。
 料理も手間隙かけてつくって、のんびりと時間をすごすごし、普段なかなかできないことが出来たのはよかったが、こと授業に関しては複雑な思いをいつも抱いている。
 休みは嬉しいが、休み明けは一時大変だ。
 まっ、そんな愚痴をこぼせるのも、個人のブログゆえの甘えかも。
 お許しを。

 
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昨晩から今朝のこと

2009年05月09日 12時15分55秒 | Weblog
 血がつながってはいないが、私のことを‘お姉ちゃま’と呼んでくれる女友達がいる。
 その彼女から電話があった。
 最初の日の電話は‘坐骨神経痛’についての問い合わせだった。
 二日目の電話は、医者に行って診察を受けたら、自己診断があたっていると言うものだった。しかし、歩けなくなるんじゃないか、と思えるほどの痛みだと言う。
「‘上体のぶらさげ’は、まったく出来ないの」相当に痛そうだ。
 三日目の電話は、声は明るく弾んでいる。
「指圧の先生に治療してもらったら一発で楽になったの。‘上体のぶらさげ’も出来るのよ」
 なんでもお尻の筋肉が過労になって硬くなっていることから、神経を圧迫しているとの診断で、そこをほぐしてくれたそうだ。
 時間は、たったの20分程度。
 
 仕事柄正座して楽器演奏を行う。とくに本番があって、30分の大曲を二日間続けて弾いたのだという。
「お姉ちゃま、体操は大事よ」

 その言葉に素直に従って、私も昨晩は丁寧に体操を行って、8時半過ぎに、階下におりた。
 テレビがついている。
 清原和博、仲居正広の両名が、なにやら話をしている番組だった。
 見るとはなしにのぞいているうちに引き込まれてしまった。
 ドラフト会議の日について語りながらも、時々口ごもる。
 讀賣巨人の仕打ちについて周りの者たちが、誘導尋問をするのだけれど、清原は話の一線を越えることなく紳士な対応を貫いていた。

 再現と記録映像も挿入される。
 
 ……王監督から花束をもらう清原。そのときに語りかけられた言葉。
 見事に空振りした引退試合は、私の記憶にもはっきりと残っている。……

 ふと見ると、84歳の母が、身を乗り出して画面に見入り、話を聞いている。
 結局、10時近くまで見続けてしまった。
 テレビ番組表を見ると、こんな風に書かれていた。
 番組名は「仲居正広のキンスマ」
《今夜は、野球に全く興味の無い女性にこそ見てほしい母と子の物語です》
 TBSの思惑にはまって、感動している母。
 それにつられて見ている娘の私。

 野球をするのではなく‘野球を生きる男(たち)’の物語『男道』のテレビ版だったのだ。
 今年のWBCの全試合をテレビ中継だが、見続けてしまった。
 でも野球がとくに好きだと言うわけではない。
 結局、昔から‘からだを張って生きる人間’が好きなんだと思う。
 
 清原の男気にすっかり魅せられた母は、今朝、至極元気な様子で起きてきた。
 人間って凄い!
 
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ワインとパンと一切れのチーズ、そして……

2009年05月06日 08時52分37秒 | Weblog
 今年のゴールデンウィークは‘飛び石連休’という言葉が生きていた時代に近かった。前半と後半の間に、授業やレッスンが挟まっていたから。
 
 告白しよう。
 実は、後半の休みの間に、いっぱいのワインを嗜んだ。
 可愛いものよね。いっぱいのワインを三日もかけて、飲み干したのだから。
 
 さて、一日目のワインの味は『ネトゲ廃人』芦治著 リーダーズノート社。
 バーチャルな空間で賭博し、実在しながらも実在しないペルソナと友情を交わしたり恋したり闘ったりすることから抜けられなくなったものの復帰できた人の話。そこから自分の来し方を振り返ってみたりしたこと。
 結局、人間と言う生きものは、いくところまでいかないと戻れないし、いくところまでいった人がそのふり幅のいいところを見つけられるんじゃないか。
 この本にかすかな不満が残るとすれば、ITが席巻する以前の‘嗜好品’というか‘遊び’と言うか‘賭博’と言うか、依存性が高くなりやすいことに対しての比較がほしかったこと。
 ついでにネットゲームがなぜそこまで人を惹きつけた挙句に死者まで出すことにいたるのかに迫る‘ウチ側の声’が聞き取りにくかったのは残念だったなぁ~。
 IT化による弊害として出てくることが、従来と同じなのか違うのか。
 違うとすればそれは何なのか。それは読者が自分で考えなさい、ということか?

 二日目のワインにはパンを加えた。
 パンは、連休前に送られていて本『音楽は自由にする』坂本龍一著 新潮社。
 坂本さんが‘YMO’を始めるまでの音楽を中心にした文化遍歴と近いところに、私自身の遍歴空間が重なっていたことに気づかされた。ビラ配りはしなかったけれど、その時代の匂いや音や色や形や味が、読むごとにリアルに出現していた。
 坂本さんがすでに始めている環境・社会問題への提言や行動と今後の音楽がどのような拡がりをみせてくれるのか、という視点からもこの一冊は興味深かった。

 さて、三日目のワインにはパンとチーズを加えた。
 チーズは『グラン・トリノ』だ。
 煙草はすわない、酒はほどほど、自転車にのって通勤し、車に乗るとすればエコカーで、ボランティア活動も適当に行うというような絵に描いたようないい人とは、程遠い主人公。
 その78歳の男のガレージには、50年かかって集められた膨大な量の工具が、ギンギラギンのアメ車‘グラン・トリノ’のそばに揃っている。アメリカの自動車製造産業最盛期の車造りを仕事としたプライドを持つ男が、過去に背負った戦場で犯した罪によって栄光のアメリカそのものを支えていた不条理が描かれる。
 男は、過去のアメリカが衰退していく交差点で命を投げ出す。
 彼の原罪を救うのは、他でもない彼自身が差別していた少数民族の姉と弟であることが、偶然が産んだ必然として描かれていたのだ。
 かたや老齢、かたや貧困によって、コンピューターもITも金融危機も関係ない生活空間から、時世代のアメリカを支える青年が巣立つ可能性を透かして見せてくれたところにこの映画ゆえに描ける真髄がある、と感動している。

 さてさて、私の2009年のゴールデンウィークは、ワインとパンに一切れのチーズがくわわることで、栄養価がぐっと増した。
 いや、美味しさが増したのだ。
 料理も思考も、合理性だけでは熟成しない。もうひとつ‘はみ出した何か’が加わらなくちゃ。それが曲者なのだけれど。
 そこで、今日は、もう一つ加えるとしよう。
 それは内緒!
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