羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

花蕾

2017年03月23日 08時17分21秒 | Weblog
 2月1日、久しぶりに寛永寺から芸大、そして上野駅へと、さやかさんと下見をした。
 まだまだ冬の枯れの公園を抜けた。
 はやすぎると思いながらも、4月1日に巡るコースを確かめ、食事処を探した。
 10数人の参加者を予想しながらのことだった。
 帰宅後、さっそく一軒に予約をいれてもらって、参加者を募った。
 一回目のことだった。

 締め切りの2月22日ギリギリになって、予想を超えた人数の方が申し込まれた。
 予約の店に電話を入れるとにべもなく断られ、あたふたと次なる店を探し、なんとか30名以上の人数を確保した。
 花見時の上野は、食事するにも大変だろうと予想はしていたが、2月に動き出しても遅いくらいだった。

 さて、3月1日に新井さんと二回目の下見をおこなった。
 今度は、人数もわかっていたこともあって、芸大から上野公園をどのように抜けたらよいのか、どのようなグループ分けをしたらよいのか等々を考えながら、食事処までの時間をはかった。
 まだまだ不忍池は冬の佇まいであった。
 東叡山寛永寺の名残を訪ねながら、江戸の時代に思いを馳せた。
 東京は、徳川さんの江戸の上に成り立っていることを身をもって知った。

 さて、さて、昨日3月22日、三回目の下見を行った。
 今回はビデオ撮影のポイント地点確認のためにピーターとともに歩いた。
 風は強かったが天気に恵まれた。
 寛永寺の根本中堂の床下部分には、五色の幕がぐるりと張られ、なにやら華やいだ気配が感じられた。
 花見に誘われてくる客人を歓迎する支度が、すすめられている。

 そこから芸大の体育小屋にピーターを案内した。
 当日はこの建物の外側を見学する。
 ふと、これまで見たことがなかったプレートに気づいた。
 煉瓦造りの建物の由来が書かれている。
 東京図書館の書庫として、体育の授業として使われ、現在は文化財保護の研究室となっていることが刻まれている。
 体育小屋・野口三千三という名前こそなかったが、「野口体操」の原点、たしかな足跡がここにあった。
 
 公園に出ると、そこここに花見のための準備が始まっていた。
 上には提灯がぶら下げられ、したにはゴミ捨て場が用意されている。
 これまでの二回の下見と異なって、具体的に混雑の様子をイメージすることができた。
 公園を抜けるのは、なかなか大変だー!と。
 途中、坂の上から不忍池にある「弁天堂」を横にみる。
 池の水はすでに春色に変わっていた。
 さらに坂をおりながら
「人また人で溢れているわねー」
「グープごとに色違いのロープを用意して、5人〜6人でそのロープを離さないように移動していただこうか」
 などと笑いながら会話す。
 
 上野広小路までの坂を下った。
 食事処は下り切る手前、右手斜め先を見ると直に目に入る。

 開花宣言が出された翌日のこと。
 鴬谷・上野界隈の花の蕾には、ほんのりと紅がさしている。
 どの桜木の梢を見上げても、蕾から紅色が薄らいで白色に変わるのも間近な気配が伝わってくる。
 スタンバイOK!
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春は何かがおわり 何かがはじまるをりふし

2017年03月22日 08時20分46秒 | Weblog
 人生の折り目、節目、その時々の折節を、今年ほど感じる年はないかもしれない。
 そろそろ68歳の誕生日も近づいた。
 かつては桜の花が満開のときだった。
 それが東京の開花が年々歳々はやまって「灌仏会・花祭りの日」には、すでに葉桜になっているに違いない。

 さて、昨日のこと特養の再申請に、親戚の者がついて来てくれた。
 いつになるのかはわからないが、これで二歩前進したように気分だ。
 一抹の寂しさがないわけではない。
 できれば最期までこの家でみてあげたいと思う気持ちに嘘はない。
 しかし、どちらにしても今の介護保険制度では、母を一人暮らしさせるか、仕事をやめて共依存関係に陥ることを恐れないかのどちらかの選択をせざるを得ないことがわかってきた。

 雨の中、車で送ってくれた。
 彼も若年性認知症の妻を、施設に入居させた。
 認知症の家族会のボランティアをしながら、多くの人の話を聞き、面倒をみている。
 私にも適切なアドヴァイスをくれるし、こちらの話もよくわかってくれる。

「若い人が介護離職をしなければならないケースをいくつも見ていてね」
「勿体ないはなしよね」
 二人の会話のとおりはいい。
 このまま介護を必要とするお年寄りが増え続けたら国は滅びかねないかも知れない、という危惧を抱いている思いを共有した。

「野口体操で何か出来そうなことってないの?」
「あるわよ! ユマニチュードとかタクティールって、認知症患者さんだけではなくて、家族や施設に働く人や、いわゆる健常者と言われる人たちにとっても、よき触れ合いが出来るコミュニケーションとしてのマッサージや体操があるわ」
「そうなんだ。やってみたい人いるよね。で、指導する人はたくさんいるわけ」
「それがねー、問題なのよ」

 4月1日、まずは野口三千三墓参から、お集りの会をひらいて、今後のことも皆さんにアプローチしたいと思っていることを伝えた。
 この話をすると彼の顔が一気に晴れやかになった。
 まず、身内からやっていかなければなるまい、とミッションの大切さを思った。

 さて、60名を超える方々が、会員になってくださった。
 野口三千三早蕨忌の墓参も、20代から90代まで40名弱の方が参加してくださる。

 本日は午後から、3回目の上野の下見である。
 当日、ビデオ撮影を引き受けてくれた二人のうちのお一人、ピーターと撮影地点の確認に出かける。
 何人もの方がそれぞれにお役目を引き受けてくださる。
 ありがたいことです。

 てるてる坊主をつくって軒先に吊るし、お天気になりますように祈ることにしようかなー。
 小学生の遠足のようだけれど……それはそれでなんだか楽しい。
 でも、40名だぞーって、下肚に力をこめている。
 満開の花のもと、先生を偲ぶ会が近づいた。

 春は何かがおわり 何かがはじまるをりふし 桜の花がよく似合う。
「をりふし」という言葉は音の響きもいい。

 をりふしの移り変わるこそものごとにあはれなれ 徒然草
 
 

 
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それでも私はやめられない

2017年03月19日 07時57分49秒 | Weblog
 勝手にFBメッセンジャーから、ことばたくにみ携帯番号を聞き出され、LINEにアカウントをつくられた。
 そしてLINEをやっている友人知人に、BitCashを買うためにコンビニに誘導しようとする。
 みなさん、金銭にからむ要求のところで、おかしいと気づいてくださったから、被害はないと思う。

 さて、先日、Webで検索した。
 さまざまな情報を見つけた。
 これほど日常茶飯事で、この手の被害がでているとは、まったくしらずにいた。
《LINEなりすまし》で検索をした。
 乗っ取り、なりすまし、ハッキングについてかかれているサイトだ。
 ここに貼付けておこう。
 読んでみると、私が被ったのは、典型的な文面であったことに驚いた。
 対処法も書かれている。
 警察に連絡することも一つだが、LINEに訴えるそうだ。

 知らないってことはこういうことだったのね。
 何度も書くが、電話での振り込め詐欺は、注意していた。しかし、SNSをつかったこの手の詐欺は、まったく気づかなかった。
 というか、私はLINEをやっていなかったから、乗っ取りではない。
 勝手にアカウントをつくられて、詐欺に使われたということだ。

 警察官がおっしゃる。
「私は、FBもLINEもやってないので、よくわかりませんが、個人情報は一度出てしまえば、どうにもなりません」
 エエエッ!

 よく考えなくてもマイナンバー制度だって、堂々と国家が個人情報をとる制度であろう。
「個人情報保護法」を制定して、学校や企業、その他、あらゆるところで規制をかけていても、いくらでも漏れてしまうわけだ。
 自分で自分の身を護る、ことは不可能である。
 騙されないように自分で気をつけよ! と言われたところで、打つ手はない。

 すくなくとも暮らしや仕事、社会生活を普通に送ろうと思ったら、インターネット空間、なにがしかのSNS空間を利用しないわけにはいかない時代に生きている、実感だけは持っている。
「これで十分凝りたから、もう二度とこういうことにはひっかからないわ!」
 自信持をもって言えない。防ぎようはない。

「それでも私はやめられない」
 それが現実だ!
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ドタキャン

2017年03月18日 08時28分32秒 | Weblog
 母をディサービスに誘った。
 車のお迎えは嫌がるだろうから、と私が車椅子にのせていくことの許可をもらった。
 昨日、朝のうちに話をして、行ってもいい、と了解を得た。

 いざ、午後の時間になったので、支度を促した。
 ドタキャンである。

 ケアマネジャーの方が、同じ時間に訪ねてくれた。
 ひとしきり楽しく話をし、ご機嫌で見送った。
 やっぱりのことであった。

 いろいろ調べてみると、同居人がいるだけで、介護保険で出来ることはあまりにも限られている。
 したがって、ディケアサービスを活用して、バランスを取るしくみなっているらしい、と得心したものの、本人にはそんなことは「関係ない!」のである。
 それが出来ないのなら、母を残して私が家を出るしかない。それも、しかたないなぁ〜。でも無理!とすぐさま打ち消す。

 今週は、この道に詳しい人にすすめられて、特養への再申請提出のために、A4用紙二枚にまとめる作文をした。
「これで通るのはいつかはわからないが、決まれば強制するしかないわー」 
 うっと詰まってしまった。

 夜になって、母に4月1日のことを話した。
「まぁ、野口先生の法事ね」(母)
「そう、寛永寺の墓地の管理人さんに、35名もお墓参りにいらっしゃる。その方はお幸せですね、っていわれたの」(私)
「死んでからも幸せ!」(母)
 声をたてて笑っている。
 さらに留守番はしっかりしてくれる、と宣う。
「思いがけない場所も貸していただけるようになったから、よい供養になるわ」(私)
「お坊さんにお経をあげてもらうだけが、供養じゃないわよ」(母)
 なんだか冴えてるじゃない。
 こういう日もあるのだ!

 今朝こと、目が覚めて思った。
 母はぐっすり眠ってくれて、私も満足感を得る眠りであった。
 自宅で母もいて、何事もなくちゃんと眠れることは、本当に幸せなのだと実感した。
「あなたの人生はあなたのものなんだから、お母さんに振り回されないで、気分転換に旅にでも出たら」
 隣のおじさんにすすめられる。
 しかし、自宅でゆっくり食事ができて、話が出来て、仕事ができて、本が読めて、お風呂にゆったり入ることができて、友人や知人を迎えることができて、庭の手入れができて、……、日常がたんたんと過ごせることが、すごく幸せなのだー。
 それって、ずっと言われ続けて来たこと。
 しかし、本当に実感を得たのは、今回がはじめてだと思う。
 ってことは年寄りを抱えると、そうした日常が突然に壊される、壊される頻度が高くなる、ということなのだ。
 いつの間にか壊されっぱなしの日常を過ごして、共依存関係に陥ってしまう。
 でも出口はどこかにあるのよ、と思いたい。

 つくづく、穏やかに過ごせた日には、感謝だな!って思う。

 いつかは終わる。
 そして、今度は自分の番が回ってくる。
「そのことは、今は、座布団の下にしまっておこうッと」
 本日も晴天なり。
 
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花の人  中川幸夫

2017年03月17日 10時08分50秒 | Weblog
 2017年3月17日、朝日新聞朝刊「折々のことば」を懐かしく読んだ。

《「なんだ、これは」って、「ああ、これは生け花だ」って思うより、ずっといいよ、ね。 中川幸夫》

 前衛の花人、『……大量のチューリップを縄で縛って赤い生肉の塊のようにした作品……自分と花、二つのいのちの境をかき消すかのように』NHK「日曜美術館」(1997年放送)での発言。

 野口三千三をNHKの番組に登用したディレクター深堀雄一さんが担当された回である。
 深堀さんは、世の中にあまり知られていないが、その世界では異端でありながら、人のこころに食い込んで猛烈なインパクトを与える人を発掘し、テレビというマスメディアに登場させる名人であった。
 この中川前衛生け花は、憎いほどの官能性が花の死骸から伝わるものであった。

 その時は前衛でも、その人が残したエッセンスは、もっともっと洗練させて一般の社会に送り出される運命にある。
 床の間の飾りも、中川さんが手がけた時には、「なんだ、これは」だったものが、没後になると誰かが真似をするようになって案外メジャーになっていくんですよ。

 それはそれとして、本日の「折々のことば」に、1997年というと、野口先生が亡くなる前の年である。
 あのころを思い出させてもらった。
 こころに懐かしい風が吹き込んで、自分の身辺に起こっていることに、なにもかも”これでいい!”って、思えてしまった。
 時間は魔物、時間は許し、時間は癒し、時間は溶けて流れてそして……。

 本日も晴天なり。
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LINE なりすましの件

2017年03月16日 13時52分41秒 | Weblog
 今しがたSNSに詳しい人に助けてもらって、皆さんに迷惑がかからない手続きをとった。
 この手の詐欺事件は、知ってる人は知ってるらしい。
 相談した彼も実際にどのような手口で行われているのかは、私のFBメッセンジャーの記録を見てはじめて知った、と言う。

 まず、私の携帯番号を取って、そのあと携帯に送って来た4桁の数字を入力させる。
 名前もわかっているわけだから、本人になりすましてLINEのアカウントを取ってしまい、そこからLINEをやっている人にメールを送りつけているという。

 私も一応LINEに入って手を打ったので、これでなりすましの方からはメールが送れなくなった、ということらしい。

 いやはや無料で通話が出来る、無料でメールが送れるということが、この手の詐欺を横行させてしまうわけ。

 小説が書けそうだ!

 

 
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LINE なりすまし 詐欺にご注意!

2017年03月16日 08時16分47秒 | Weblog
 今朝、親戚のものから確認の電話があった。
 やはり先日の乗っ取り詐欺の件で、私の顔写真付きメールがLINEに入っているそうだ。
 昨晩のことだという。
 最初は、「操ちゃんもLINE始めたのかとおもって、嬉しくて返信してしまったの。そしたら次にコンビニに行って、Bitコインを買って、と入って来たから、これはおかしい!と思ってやめたのよ」

 みなさまが、気分を悪くされているに違いない。
 電話での振込詐欺はテレビをはじめ、さまざまなところで注意喚起がなされていることもあって、用心していたのだが、まさかFBのメッセンジャーから、もっとも信頼できる人をかたって、電話番号を聞き出す手口が始まっていることは、まだあまり知られていないようだ。

 羽鳥は、LINEはやっていません。
 ということでご迷惑をおかけしています。
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心が決まった日

2017年03月15日 08時17分52秒 | Weblog
 昨日のこと。
 母に対する迷いが消えて、夜、10時半にもらった一本の電話で、さらにしっかりと心の錘を地につけられた。

 ディケアサービスや介護付き有料老人ホームを見学し、連日のように動き、施設の人の話を聞き私も実情を話した。
 経験のある友人とも語り合った。
 その間、実に、よく考えたが、考えれば考えるほど、迷いも疑問も深まった。

 実は、昨日、朝のうちに、若年性認知症の会で仕事をしている親戚のものに、母のその後について報告電話を入れた。
 心決めかねていた気がかりのうち、二・三の問題を調べてもらうおねがいをしてあった。
 その日の夜に、信頼できる筋からの情報をもたらしてくれたのだ。

 不安があった介護施設の問題や特養のこと等々、いろいろと選択の仕方、乗り切る方法を教えてくれた。

 電話で話を聞く間に、五分五分だった考えが、一つにまとまった。
 しばらくは介護保険サービスを活用しながら、時間を待つ決心がついた。

 相談相手が数名いてくれることで、なんとか切り抜けられそうな感じがしている。

 あれ以来落ちついている母にとってよい道は、私が迷わない道を進むことに違いない、と勝手に決め込んだ。

 その時、その時に、最善の道を修正しながら歩くしかなさそうだ。
 
 朝から、昼から、夕方から、そして夜になって、いくつもの問題が一気に融けるようにまとまった一日だった。
 
 捨てる神あらば、拾う神あり。
 
 お陰さまであります。
 
 
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信じ始めるととことん信じ、疑い始めるときりなく疑う自分に出会った日

2017年03月15日 04時39分19秒 | Weblog
 昨日のこと。
 昼時、外出の支度が少しはやく終わって、出がけにiPadを開いた。
 するとFBのメッセンジャーに「今、ひま?」とかなりぶっきらぼうのメールがはいってきた。
「何かあって、急いでいるに違い」
「出かけるところ」
 打ち返したら
「私のLINEが凍結されているから、そちらの携帯で検証コードメッセージを受けとってくれる?」

 この段階で気がつくべきだった。
「検証コードって?」
「電話番号をおしえてくれる?」
 おかしいと思いはじめているのに、”困っているんだなぁ”と、疑問を打ち消しはじめていた。
 そして電話番号を教えてしまった。
 すると携帯に4桁のコードが送られて来た。
 それをメッセンジャーで打ち返した。
「LINEのIDを教えてください!」
「LINEはやっていません」
 これが前半のやり取りは終了。

 所用を終えて、帰宅したのが3時過ぎ。
 まず外出から帰ると、母をトイレに誘導するのが、慣例となっている。
 それから着替えをして、ひとしきり片付けや母にお茶を入れたりしてからパソコンメールを開いた。
 ある女性から
「今、忙しい?というメールをお出しになりました。こんなぞんざいな物言いをなさる方ではないので確かめですが、LINEはやってらっしゃらなかったですよね」
 問い合わせのメールが入っていた。
 さらにつぎのメールでは
「コンビニでBit Cashを買って欲しい」とあるという。
 彼女はそこでおかしいと気がついた、という。

 しばらくして、彼女から電話がかかって来た。
 お連れ合いの方が、地元の警察に連絡をしたという。
 SNSと携帯を使った新手の詐欺だということがわかった。
 私が大変ことになっているといけない、ということで、こちらの警察に連絡をするようにと教えられた。

 地元警察の生活安全課に繋がって、話をする。
 名前と年齢を聞かれた。
 次いで、職業を聞かれた。
 さらに事情を聞かれ、住所、電話番号を伝えた。
 やり取りの詳しい内容は、ここには書かずにおきたい。
 ただ、携帯のショートメールに電話番号があったけれどこちらから電話していないことを伝えた。
 すると警察からその番号に電話を入れるという。
 結果は折り返し教えてくれた。
「電話は固定も携帯のきられてしまいました。つまり、警察の電話の頭番号を知っているんです。奴らは……」
 加えて、私がかければ通じるはずだとおっしゃる。

 その後、事細かに注意事項を教えられ、脅迫めいた電話やメールがきても動揺しないように、とのこと。
 ひとりで抱え込まないで、周りの人にどんどん相談をするように。
「この生活安全課に連絡をしてください」
 そこで電話を切った。

 夜になって、LINEを使っていることを知っている友人に電話を入れた。
 案の定、私のFBの顔写真がついたメールが彼女にも送られていた。
「言葉遣いが乱暴だったから、おかしいとおもったのに、やりとりをしてしまったの。途中で長い文章がすぐさま入ってきたから、これは確実におかしいと気づいたの。あんなに短い時間であの長文が打てるわけがないもの……」
 彼女も私に電話をしようと思っていたという。

 もしかすると他にもLINEを使っている方に、私からのとんでもないメールがいっている可能性は大きい。
 もし、受け取った方がいらしたら、申しわけありません。
 
 さて、日頃の私の言葉遣いを知っている方が、おかしいと思ってくださったことが見抜く決めてだなんて、微妙!
 その後、最初にメッセンジャーに入って来た友人とメールでのやり取りができた。
 その友人もさらに先のお知り合いから、乗っ取られていることを伝えられていた。
 すぐさま凍結したそうだ。

 今朝、はやく目が覚めて恐る恐るメール・ショートメール・FBのメッセンジャーをチェックした。
 これといって何事もなかった。
「禍い(災害)は忘れたころにやって来る!」
 何度も何度も唱えていた。

 さて、警察とのやり取りの途中で思わず口走ってしまったことがある。
「私ー、警察の方とはなしているんですよね」
「あなたにそんなことは言われたくありませんね」
 電話の向こうで、笑っている。
「そうそう、104番で番号を調べて私からかけたことを忘れていました」
 私の個人情報をねほりはほり聞いたのは、本人確認をしながら話の信憑性を確かめていたのだ。
 それから今後起こるかも知れない事例を話、その対処法を事細かに教えてくれた。

 信し始めるととことん信じ、疑い始めると切りなく疑ってしまう自分に出会った日。
 “まさか、私が……”という気持ちは、消え失せた日でもあった。
 タダで便利ほど恐いものはない。
 肝に銘じた日。
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何が幸せなのだろう

2017年03月11日 08時40分23秒 | Weblog
 夜中に突然大きな声が聞こえて、目が覚めた。
「みさおー みさおー」
 ご近所中に響き渡るほどの大声である。
 ぐっすり眠っていたこともあって状況が飲み込めないまま階下に降りると、母がソファに腰掛けて、あらん限りの声を振り絞っていた。
 たずねてもラチがあかない。
 わけのわからないことを、興奮しながら喋っている。
 こちらも心臓がドキドキとして、そのまま共倒れになりそうな気配。
 しばらくして興奮がおさまってきた母をその場に残して、二階へあがり若年性認知症の家族会の仕事をしている親戚に電話をした。
「恐かったんだと思うよ。静かにさすってあげて、抱きしめてあげて、それから朝になったら、ケアマネージャーの人に電話を入れなさい」
 さすって、抱きしめて、そこまではしてあった。
 ひとしきり話をしていると、下の様子は静かになった。そっとしたまま私も床に入って休んだ。

 明け方4時ごろ、今度は階下のトイレでゴソゴソと何事かの気配が感じられた。
 階下に降りてそっとのぞくと、尿とりパットを破ってしまったらしく、中に入っている微粒子が散らばったのを、一生懸命に拭き取っている母がいた。
 それを手伝って、再び、床につかせた。

 さて、ぐっすり眠ったらしく、7時ごろ起きて来た時には、ものすごくご機嫌がいい。
「気分がいいの」
 そう、のたまう。
 食欲もあった。

 9時になるのを待ってケアマネージャーの方に電話をし、いくつかの指示を受けた。
 昨年の秋に申請を出した特別養護老人ホーム第一候補の施設に電話をし、どのくらい待つことになるのかを聞きながら、こちらの状況を伝えた。

 後日、紹介されたディケアサービスをたずねて、話を聞き様子を見せていただいた。
 そして今日は午後から予約してある介護付き有料老人ホームを見学することになっている。

 実は、昨年の秋にもディケアサービスやショートステイの手配をしても、ことごとく拒否されて、いつの間にか半年近い歳月が流れてしまった。
 不思議なことに、その後、母とは穏やかな日々を過ごしている。
 これまでにないほど、いちばんよい母と娘の関係が築けた、と思う矢先のことだった。
 正確にいうと、母と娘が立場が逆転しているのだが。
 
 それでも内緒で動いているこの間の母は落ち着いて穏やかである。
 まったく不思議というしかない。
 ふと、思う。
 一艘の小舟で大波小波を乗り越え、私は母をどこに送り届けるのだろう。

 昨日の朝のこと。
 畳の上に半身をせり出してぐっすり眠っている母の様子を見ていた。
「息してるのかなー」
 とても静かだ。
 ちょっと心配になる。
 こういうときは救急車でなく、かかりつけのお医者さんを呼んだ方がいいのかもしれない。
 いや、このまま息を引き取ったら、母にとっては幸せなんじゃないだろうか。
 脳裏をよぎった。
 思いは、短い時間に、浮かんで消えた。

 しばらくして目を覚まし起き上がった母は、とても元気に、ほがらかに、話しかけてきた。
「畳の上で寝てたのね」
 昔の日本人は、畳の上で死ぬことを願ったのよね。 
 さすがにこの言葉は、すぐさま呑み込んだ。

 できれば我が家で最期までみてあげたい。
 その気持ちにまったく嘘はない。
 それでも施設見学には行ってみようと言う思いは変わらない。
「満室ですが、いらしてください。よろしければご予約を……」
 電話で聞いたその言葉の向こうの出来事を想像して、複雑な思いに駆られる私である。
 
 本日は晴天なり。
 道々、天気がよいことに救ってもらおう。
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Facebook ーーこれって、いったい何?!

2017年03月10日 08時47分15秒 | Weblog
 12年前に新しくした iMac のバージョンアップをしてこなかったことで、いくつかの不具合が出てきた。
 先日、直しをしようと Apple サポートに電話をし、やり方を教わりはじめたが、それすら上手くいかなくて、電話の向こうでも手をやいている様子だった。
 途中であきらめて、やめてしまった。

 さて、昨日のことだが、いつものように Facebook を開いた。
 今まで見ていた画面とは、まったく違う表示になっている。
 とても見にくく、使いづらい様相なのである。

 iPhone や iPad とは、同様の表示に見える。
 これまでは二つとは違う画面を、パソコン上で見ていたことになる。

 この件は、ひとまず置くとして、驚いたことがある。

《まだ Facebook を利用していない友達を追加 この友達がアカウントを作成すると、ログイン時にあなたからの友達リクエストが表示されます》
 と書かれている下に、イメージ映像の人の上半身+名前+携帯電話番号が、何人も表示されている。
 どの方も知人、友人、仕事の関係者である。

 その方々は、確かに Facebook では、まだお友達になってはいない。
 その方々は、まだアカウント作成をしていないことも知っている。
 全員、個人的にメールのやり取りはある方で、携帯番号はiPhoneの連絡先に登録しているのだ。

 ということは私の携帯電話の連絡先を読み取って、Facebookに反映している、ということなのだろうか?

 なんとなく釈然としない。
 これってありなの?

 個人情報保護が言われて久しい。
 なのにインターネット上、少なくともメールやSNS の空間では、何もかもが開かれた状態になっていて、知らないうちに迷惑をかけたり、かけられたりしているのだろうか。

 想像するに、Web上で銀行や証券会社、その他支払いを伴う取引や買い物をしていると、すべての個人情報がどんどん際限なく流れ出てしまっている、ということなのだろうか。

 私は、Amazonで買い物する。映画の座席予約をする。
 そうすことはあっても、銀行の口座等持っていない。
 なんとなく気がすすまないからだ。

 l今年の2月に、郵便局で「野口体操の会」の口座をつくり、”ゆうちょダイレクト”の Web 登録を行ったが、個人としての口座を開く気持ちには、まだいたっていない。

 個人情報保護といっても、Web上では、大きなザルの目を流れる水ように、漏れ出しているのが現状なのだろうか。
 画面を開くたびに不安な気分になってしまう、そうした私の感覚が麻痺する日が、間近にやってくるのだろうか。
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黒門町という地名から……

2017年03月05日 09時49分54秒 | Weblog
 先日の下見の際に手に入れた「東叡山 山内図」は、現在の寛永寺の所領と明治期に国に没収された地域を色分けしている。
 冊子の中には、戊辰戦争のうち上野戦争の絵が掲載されていた。
 寛永寺に陣取った彰義隊を殲滅すべく、新政府群(薩摩・長州軍)は上野の山に攻め入った
 その時の様子を描いた有名な絵には、黒門がしっかり描かれている。
 下谷広小路から、東叡山に侵入するためには、この門を通ることになる。

 寛永寺の門前町としてにぎわったこのあたりの町は、この黒い門にちなんで黒門町と呼ばれた。
 現在は、台東区上野1丁目ー3丁目(一部)にあたる。
 今度、食事をするところが、かつての黒門町であることは、前のブログで書いた。

 もう一つ、落語家の八代目桂文楽の別名「黒門町」も思い出さなければいけない。
 西黒門に住まっていたことに因んでいたからだと言われているが、「黒門の師匠」はステキな響きである。
「◯◯のお姉さん」とか「◯◯のおじさん」とかいうように、住まっている地名を冠して呼ぶことは、今でも行われている。
 その意味からも、旧地名を便利さと合理性だけで変更してしまうのは、もったいないを超えている。
 歴史は地名の中に、すっぽりと残されているのだから。
 
 特に東京では簡便さゆえの地名改変がいたるところで見られる。
 しかたがない、と言ってしまえばそれまで……。

 今回は、徳川の東叡山・寛永寺の視点から、時間をかけて上野のお山を歩いたことで、江戸期から明治への激変(革命)をはからずも思い起こすという体験をさせてもらった。
 東京の町は、江戸の町づくりの上に、成り立っているのであることを、他の地図と照らし合わせて教えられた。
 
 野口先生も長年勤めた芸大がそこにあった、墓所が高崎に向いている、という理由だけで寛永寺に入りたかったわけではない。
 上野という場が、江戸と明治の二重の深い意味を持つ所であったことに惹かれていたに違いない。
 それはそのまま、群馬の養蚕農家という前近代の風習が残っている出自から、東京という新しい価値の場に身をおいて、「野口体操」という独自の体操を生み出す、その根底の二重性に気づかれていたからに違いない、と勝手に思っている。
 近・現代の価値観だけでは理解しずらい野口体操。
 その身体観・自然観は、単純に割り切れない歴史の場と時を内包している。
 そのことに気づかされた4月1日の下見は、野口体操への見方を変える端緒になってくれたのかもしれない。

『遡ることは朔ることである』
 なぜ、今回に限って、墓参りを皆さんとしたかったのか。
 無意識の欲求と選択の謎が、自分のなかで解明にむけて溶け出してくれたような気がしている。
 そして予想外に多くの方々が、参加を希望してくださった、その意味にも通じているような気がしている。

 あぁ〜、そうか〜。
 思わず膝を打つのではなく、頬ヅエをついてパソコンのキーボードの向こうに、これからみえるであろう近未来の風景をを何となく見つめている私です。
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野口三千三おそるべし!

2017年03月04日 04時49分54秒 | Weblog
 早、三月。
 お集りの準備を2月からはじめて、いよいよスピードアップしなければ、と思いたったタイミングで、心強い助っ人のNさんが拙宅を訪ねてくれた。
 すでに40年ちかい付き合いになる。
 最近では一年に1、2回、井の頭公園を散歩しながらおしゃべりをする程度だった。
 これからは頻繁に会うことになるやもしれず。
 会の活動に協力を申し出てくれたことは、とてもありがたかった。

 さて、昨年と今年、お年賀状をいただいた方に、会へのお誘いと4月1日のお集まりのお知らせを差し上げた。
 なんと34名の方が、野口先生のお墓参りに参加してくれることになった。
 先日、二回目の下見の際に、霊園の管理者の方に挨拶をした。
「喜ばれますよ。そんなに多くの方がお参りにいらっしゃるとは……」
 1日、2日前にお墓の掃除をしてくれることになった。
 それでも当日も私たちで掃除をする約束を交わしてきた。

 その日の朝に、カラスの落とし物があるかもしれない、ということが一つ。
 縁者がお掃除をすることは供養になる、ということが一つ。
 すでに当番の方の申し入れがあった。

 とにかく2月22日の締め切りギリギリに、予想を超えた参加希望をいただいて嬉しい悲鳴を上げてしまった。
 花見の真っ盛り。
 上野公園内の移動は、”野口体操のロゴマークつき旗を立てていくのがいちばん”との提案を、何人もの方からいただいた。

 そんなこんなで予約していた食事処からは人数を聞いて断られ、急遽、新たな場所を確保したという次第。
 今、さまざまな想定をしている。
 近日中に、みなさまにお知らせをさしあげよう、と本日も会える仲間と打ち合わせすることになっている。

 野口三千三おそるべし!
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逆・境からの眺め

2017年03月03日 08時47分30秒 | Weblog
 4月1日のお集りは、若い方は20代後半、ご年配の方は90代の方まで、男女ほぼ半数の割合という構成になった。
 そこで、事前観察、というか事前下見で、とりわけ坂道の傾斜具合もチェックした。
 そんなつもりで、上野のお山を歩いてみてわかったことがある。
 
 野口三千三先生が藝大に通うとき、上野からではなく鴬谷駅南口から、寛永寺の墓所と東京国立博物館裏手にある道を通っていらした。この道は人通りが少なく「おっかさん、ランニング」も出来たそうだ。
 寛永寺に墓所を求めたのも、通い慣れた道の傍に眠りたい、という強い希望からだった。
 墓所は今ではスカイツリーを背にして群馬県高崎を向いている。高崎は先生が最初に赴任した小学校がある。
 ということでこの墓所は先生にとっては絶好の位置にある。
 
 さて、今回もこの野口三千三ルートで、食事処まで花見をしながら歩くことになっている。
 そこで問題になったのは、標高差であった。
 たとえば、上野公園内にある動物園あたりから不忍池へ抜けようとすると、かなり傾斜の強い階段を降りることになる。
いたって足下は悪い。
 公園は武蔵野台地のうちの本郷台地の東辺にあって、不忍池はかつて東京湾(江戸湾)の入り江が取り残されてできた。ここは谷になっている標高ゼロメートルの地。当然、おりていく階段は急斜面なのである。
 公園中央部の標高は、海抜20メートル。
 そこへと登っていく出入り口がある上野広小路がつまり下谷広小路は微高地で、だいたい2メートル未満であろう。
 ざっと計算しなくてもわかることだが、下谷広小路からはほぼ18メートル以上の山を登ることになる。
 しかし、この道は歩きやすく傾斜が整えられている。

 今ではJR上野駅公園口から下車すると、ほとんど平らな道を通って公園に出られるが、本来は下谷広小路から坂道を登ることで東叡山のありがたみが実感できると言うわけだ。
 江戸城から見て陰陽道の上、鬼門に位置し、江戸を護る寺院群なのである。 
 さらに京都の延暦寺からみて北東に位置する、という所に深い意味がある。

 近隣には隅田川、日光街道、奥州街道があり、寛永寺から浅草寺へと真っ直ぐ繋がる道も作った。
 現在の公園内・中央噴水があるところに、かつての根本中堂があった。
 その風景を目の奥に描いてみると、私たちの文化のルーツを遡ることになる。
 間口45・5メートル、奥行42・2メートル、高さ32メートルの大伽藍を脳の中に構築してみる。
 もし、ここに消失しない建物が残っていたら、寛永寺と浅草寺という対の寺が揃って、はじめて江戸東京の本来の名所になる。
 そしてその奥に墓所が位置するわけだから、正面からみたお山全体が、一つの意味のある空間であることが腑に落ちてくれる。

 茫漠としてひろがる関東平野の標高差を、実感できる貴重な山登りなのである。
 西は立川あたりから始まる武蔵野台地、その東の絶壁である東叡山を味わうのも一興である。
 地形を身を持って体験するということの意味は、自分の生きる空間を歴史的にも知ることになる。

 実は、私たちが巡る道筋は、江戸期の東叡山・寛永寺に参る行き方としては、真逆の道順となる。
 さらに、今回の食事処は、江戸期から門前町として料理屋等々が連立したまさにその地に位置している。

 歴史の層を一皮むいて、江戸期の風景を思い浮かべながらのお花見もステキかもしれない、と今からワクワクしている私なのだ。
 今回のお食事処は、台東区上野2丁目である。かつての町名は黒門町である。ここは寛永寺総門、通称「黒門」からきている場所だ。

『遡ることは朔まること』野口先生の名言を体験できるよき機会となってくれるだろう。
 現代を形づくっている江戸東京の始まり、幕末の上野戦争の前に遡る想像力を持ってのぞみたい。
 武蔵野台地の山裏道から、下谷広小路の参道へと、“逆・境”からの眺めも“乙”なことですわね。
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江戸 東京 花の都

2017年03月02日 05時28分21秒 | Weblog
 昨日のこと、4月1日に予定しているお集りの為に、二回目の事前の下見を行った。
 予想を超えた人数の参加者を、どのように安全にご案内したらよいのかを思案するためであった。
 同行してくれたのはAさん。
 二人で鴬谷駅から寛永寺、上野公園から変更になった食事処へと向かった。

 上野には学生時代から、何度も通っている。 
 だが、今回に限って、はじめて、お山を見る!という体験をした。
 一言で言えば、徳川家菩提寺の東叡山の視点から、上野のお山を巡ったのである。
 
 そんな気持ちに誘われたわけは、寛永寺の根本中堂でお参りをしたことが影響していた。
 堂内で『東叡山 山内図』を手に入れ、冊子の裏表紙に描かれていた地図をたよりに、目的地まで歩くことにしたからだ。

 はやい話が、昨日私が見たお山の風景は、明治以降・近代日本がつくりあげた上野公園を中心としたものではなかった。
 むしろ徳川の御代に賑わった、花の里の幻影をおいながらたずねた時間の旅であったと言いたい。
 永井荷風の文明批評、谷崎潤一郎の関西移住といった、文学者の真意にごくごく少しだけ、触れることができたような気がしている。
 先日訪ねた千駄木・森鴎外記念館は、この不忍池つづきの場所であったことも影響しているのだと思うのだが。

 さて、寛永寺を出て、動物園のなかにある五重の塔を横目に東照宮の御門前で参拝。ここは神道形式である。
 いや、このお山自体が、神仏混合なのである。
 そこから韻松亭を確かめて、梅川亭と精養軒の間を抜け、池の畔りの自動車道路に出た。
 Aさんは水上動物園へ、同じ道路を戻って向かった。

 道路上で、しばらく帰りをまった。
 再び二人で山に登って五條天神社から大仏山(パゴダあり)と時鐘堂を見て、公園内の花トンネルがあるメイン道路を歩く。
 時間がなかったので、左手の清水観音堂は見上げるだけですませた。
 そして京成上野駅に向かった。
 
 その間、Aさんに伝えることはしなかったが、……歩きながら ……道すがら……なんともいえない寂とした気分に襲われていく私であった。
「御維新とは何だったのか」

 ずたずたに切り裂かれる前の東叡山を憶っている私がいた。
 ずたずたに切り裂かれた今の東叡山の残滓を辿っている私がいた。

 信長の焼き討ちにあった比叡山に対して、時代は下って薩長閥による東の叡山の破壊の姿が浮かび上がって来た。
 善い、悪いの問題ではない。文明開花があってこそ、国をあげての欧化政策があってこその現代日本であることは間違いない。

 しかし、視点を変えて、一つの信仰の山が、新しい文明の衣を纏わされて生まれ変わった、として見ている私がいた。
 その影に潰されていった人々や文化を憶ってみる。
 これまでの上野は、公園口改札口を出て、文化会館、西洋美術館、科学博物館、東京国立博物館、都美術館、こども図書館、もちろん東京藝術大学。
 近代化を文化面で中心となって背負った建物群に出入りすることがすべてだった。
 そのことに一切の疑問を持たなかった。
 野口先生が亡くなった後、しばらくの期間、巡礼のように寛永寺、谷中の墓地を巡ったことがあったのに。
 実に、迂闊であった。

 枝を落とした冬枯れの木々は、見通しがよい。普段気づかずにいたお山の風景をはっきりと見せてくれる。
 枝を落とした冬枯れの木々は、見通しがよい。普段置き忘れていた歴史の時間をはっきりと見せてくれた。

 顔には出さなかった。
 でも内心は穏やかではなかった。
 
 そして今、東京の街はいたるところで工事中なのである。
 地面の上も、地面の下も、2020年に向かって、大改造がされている。

 明治で変わり、太平洋戦争の敗戦で変わり、東京オリンピックで変わり、そして再びの東京オリンピックで変貌を遂げようとしている。
 どこへいくのだろう。
 どんな日本を子どもたちに残すのだろう。

 そんなことを考えながら、帰宅途中にAmazonからの宅配便を駅前のローソンで受け取って自宅へと急いだ。

 さて、一晩あけて、今朝の気象情報では、東京の桜の開花を伝えてくれた。
 3月22日開花予定。満開は3月31日。お花見は4月1日(土)と2日(日)と言う。

 花の色は変わらない。
 花を愛でる人々の喜びはかわらないのだろうか。
 でも、いつの時代にも、散る花に見送られる悲しき人々がいる。
 忘れないでおこう。
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