羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

これは凄い本かも

2013年06月30日 07時16分10秒 | Weblog
 6月30日付け、朝日新聞朝刊「読書」欄で、『人口減少社会という希望ーコミュニティ経済の生成と地球倫理』広井良典著 朝日選書の書評を目にした。
 まだ読んではない。これから本屋で手に入れたい、と思っている。

 以前、広井先生とは「医学書院」刊行の『看護学雑誌』で対談でしたことがある。それが『ケアのゆくへ 科学のゆくへ』岩波書店に収録されている。
 
 書評の文章をいくつか抜き書きしておきたい。

《本書は斬新な「資本主義論」を語る経済書であるばかりでなく哲学書、宗教書であり科学史、人類をも扱っており、近年稀にみるスケールの書である》
 かなり手強そうだ。しかし、こうした視点からこれからの日本を考えることは必須だ、と思う。
 
《現在は「三度目の定常期」を迎えようとしている。こうした過渡期においては「情報の」時代」がいつも生じるのであって、現在の「『生命/生活(life)』というコンセプトに象徴されるような、ローカルな基盤に根ざした現在充足的な生への志向が比重を増していくだろう」と指摘する》
 とりわけ3・11以降、大きな災害に見舞われた地域だけでなく、少なくとも原発事故の影響を少なからず受けた関東地方の地域に暮らす私達にも、こうした価値観は静かに浸透してきている、と思う。
 身体感覚に根ざした”おらたちのお国言葉”、あるいは朝日カルチャーで3回にわたってテーマにしてきた「オノマトペ」「ことばと動き」「原初生命体の音韻論」。グローバル化のこちら側では、身体の危機を感じ「からだ」と「ことば」と「新しい価値観」を模索する人々がいて共感が得られる可能性を見つけた。
 そして、確認できることは、“いちばんの方言は「自分のからだだ!」”という実感と自覚がそうした意識を生み出していることだった。

《グローバル化の先にローカル化を見る著者は「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」を提唱している。……政府の成長戦略にはこうした壮大な構想力が決定的に欠けているということである。本書のような視点があれば、人口減少を「希望」だと自信をもって言えるのである》

 ここまで書かれると読まずにはいられない。
「比重増すローカルで内的な生」という示唆に富んだ見出しだ。
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「花のもとにて、春 」

2013年06月29日 11時00分26秒 | Weblog
 昨日、目白・アプリコットハウスで「吉原幸子の詩と人生」、という副題のついたメモリアルに出かけた。
 長年の知人である朗読家の幸田弘子さんが、催した会である。
 音楽はフランス近代のフルート曲を中心に、福島明佳さん。
 構成は幸田さんのお嬢さん三善里沙子さん。
 没後十年の今年、ひとりの詩人が生きた軌跡を追うというものだった。

第一部

 無題(ナンセンス)
 瞬間
 オンディーヌ

 幸子さんへの追悼文『リッジーのこと』より

 パンの話
 冒涜

 サーカス 中原中也 
 殺人事件 萩原朔太郎

 吉原幸子本人の朗読(CD)

第二部

 対談:「光と陰と」 幸田弘子+三善里沙子

 廃墟 
 平和
 むじゅん

 散歩ー『八月のクジラ』に

『花のもとにて春』より

 お母さんの病床で吉原幸子が書いたエッセイより抜粋

 望郷
 泣かないで
 順番
 あのひと

ーエッセイー那珂太郎(恩師)の『献杯の言葉』より抜粋

 約二時間のメモリアルだった。
 集う人の平均年齢75歳。
 昨年、80歳を機に、大きな舞台での引退公演をなさった幸田さんを囲む人々が50名ほど。
 かつての文学少女や文学青年たちであった。どの人もどの人も本が好きで、言葉が好きで、人間をこよなく愛し傷つき、また愛し、深く微妙な情愛の機微を存分に生きてきたように見受けられる。
 独特の優しさと哀しみをそれぞれが持ち込み、ひとりの詩人を忍び、自分を重ね、日常にない時空を共有する心地よさが溢れていた。

 お母さんの病床で書いたエッセイを聞いていると、目からあふれる涙が止まらなくなった。
「私のからだの中に、心を震わせる共感する力がまだまだ残っていた」
 そうした安堵感がさらに涙を誘い出す。

 亡き人を偲ぶこと。亡き人を思いやること。メモリアルとは、密やかな行為なのだ。
 6月28日は吉原さんの誕生日だと言う。

 丁度入ってきた山手線に乗り込んだ。
 5分に満たない乗車時間、高田の馬場・新大久保そして新宿へ、見慣れた風景が違って見えた。
 静かに満たされていく魂のゆくえに、かすかな希望をもたらしてくれるような予感が芽生えた。
 それは言葉によって浄化された不思議な感覚である。
 もしや……文学の危うさ。……それゆえに人は言葉を紡ぎだす。命がけで……。
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キリストをキリストに……

2013年06月26日 08時45分43秒 | Weblog
 前回、このブログに母のことを書いて、そのまま半月近くがたってしまいました。
 先送りしただけではありますが、「オノマトペあそび」が功を奏し、それだけではありませんが、お蔭さまで落ち着きました。基本的に大事なことは、一日のうち、たとえ短い時間でも本気でつきあうこと、と以前にも増して感じました。
 今朝は、来年のGWにひらく予定の「石を楽しむ会」の前段階準備のために蔵の押し入れを片付け、中から出てきた古い写真を整理しました。その折、戦前、戦中の両親それぞれの家の古い写真を母に見せて、ひとしきり昔の記憶を呼び戻したところです。
 
 さて、ここからが本題です。
 4月に取材を受けた『Health&Life』2013年7月号が届きました。ゲラの段階でよく出来た誌面だと思いっていましたが、実物を手に取ってみると改めて今の教室の明るさがよく出ている誌面構成になっていると感じました。
 写真と文章、なかなかの出来映えであります。野口体操公式ホームページ「のnet通信欄」に、佐治さんがステキな雰囲気でアップしてくれました。ご協力いただいた方々に、この場を借りてお礼を申し上げます。
 皆様、ありがとうございました。

 それにつれて思うこと。
 野口三千三先生を失って、途方にくれた十数年前、ある新聞記者の方と話をする機会を得ました。
 1998年にNPO法人が法的にも認可され、日経新聞では関連記事が多く掲載されていました。単行本等々も出版され、強く興味を惹かれ調べていたことを思い出します。ただ、当時も現在もこの法人化に、野口体操は適さないと考えています。
 
 で、話を戻すと、記者さんに相談をする中で、彼はこんな言葉を投げかけました。
「キリストだって、隣のおじさんだったんです。キリストをキリストにしたのは、その後の人たちなんですよ」
 凄い言葉でした。危うい言説でもあり、相当にインパクトがあります。
 なるほどと思いつつも、当時から野口先生をキリストにしたい気持ちは微塵もありませんでした。むしろ没後すぐの時期に、一部に見られたそういった雰囲気を一蹴したい思いの方が強く働いていました。
 
 それにしても野口体操のまともな社会化をもうしばらく続けてみたい、思いは今でも持ち続けています。
 ひとりの希有な体操教師が、日本の戦前・戦中・戦後を、まじめに生き通した証を残していきたい。
 身体観や自然観は、他の分野の先人も含めて持っている方々はたくさんおられる。
 しかし、体操という実技を伴って、“身体思想”と言える「野口体操」を生きた野口三千三は、世界にたったひとりの存在だ、という思いは私の中から消えることはありません。

 現在にもどせば、2013年3月号『秘伝』7㌻に及ぶ誠実な紹介記事に始まって、6月には日本健康倶楽部の月刊誌『健康日本』、そして今回の健康保険組合の『Health&Life』で、体操教室の健在ぶりが情報発信できたことは、来年の十七回忌の前に、お蔭さまのことだと思っています。
 
 いよいよ今年も半年が過ぎようとしています。
 内外ともによい折り合いをつけながら、地道に、丁寧に、来年に向けて歩みを止めずにいきたいと改めて思っています。よろしくおねがいいたします。
ー(あらっ)都議選も終わって、参院選が本格化の雰囲気に影響されたのか、気張ったブログになっていますね。ー
 
 母のことでご心配をおかけしました。いろいろとアドヴァイスをいただき、ありがとうございます。何とか普通の日常を取り戻しました。
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魔の時間帯

2013年06月13日 07時20分49秒 | Weblog
 以前から、初夏から夏場にかけてあったことだが、頓に頻繁になった今週の出来事。
 母が真夜中に起きだして、玄関の鍵を開け外に出る。といっても木戸まで開けて道路までは出ないのが、せめてもの救い。
 そのほかに一階の雨戸をすべて開け、廊下を歩き回るのだ。スリッパの音高くならして、小一時間の目覚め。
 深夜のこと、静まった家の中に、音は鳴り響いている。
 スリッパの他は、玄関の鍵を閉め、チェーンをかけようとして上手くかからず、カチャカチャ響く金属音が睡眠を妨げる。

 昨日は、昼間の間に覚醒時間を出来るだけ多く持たせようと、髪を染める間に足を湯につけて洗ったり爪を切ったり、と一連の身体清掃を行った。
 その他には、できるだけ母のそばにいて、オノマトペをつかって言葉をつなげる遊び?だとか、話しかけをしながら、日がな一日過ごしてみた。
 
 夜になって、ひとりで入浴もすませて9時半に就寝。
 これで大丈夫、と私も安心して床についた。

 ところがである、魔の時間帯にまたまた階下から音がしてきた。深夜1時ごろのことである。
 はじめのうちは無視していたが、次第に目が冴えてくる。
 やはり放っておけずに、母を床につかせた。
 
 その後、うつらうつらの睡眠を経て、今朝は6時少し前に母を起こしてみた。
「あらっ、なんでブラウス、着てるのかしら」
「夜中に着替えて、歩き回っていたじゃない」
「えっ、そうなの」
「寝不足になったわ」
「あら、わるかったわね」
 と、のたまう。

 今、階下では、朝食後の洗いものの音がしている。
 今年は、要介護1から要支援1に下げられてしまった。
 出来なくなったこともたくさんあるが、出来ることもたくさんある。
 判らないこともたくさんある。しかし、キラリと光る言葉が返って来ることが、一日に何回かある。そう思うのは娘としてのなかば希望が生む誤解かもしれないが。
 
 いずれにしても時間の問題だろう、と思うようになった。
 さて、これからのことを考えて、実行していかないといけない時期に来ている。
 多くの方が親御さんの介護で苦労をされている。こればかりは正解はない、と心得ようか。
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オノマトペ

2013年06月12日 09時41分44秒 | Weblog
 昨日、6月11日(火)、NHKGTV「クローズアップ現代」を見ていた。
 テーマは「オノマトペが切り拓く世界とは」だった。
『“ぱみゅぱみゅ”“じぇじぇじぇ”~「オノマトペ」大増殖の謎~』という副題がついている。

 コンビニ、国会、医療現場、ロボット制作で、オノマトペがどのように生かされ、どのうような効果を、結果を生んでいるかを検証する内容だった。
 商品名で売れ行きがグッとよくなる。
 国会での質問にオノマトペを入れ込みながらグングンと答弁者を追いつめる。
 心療内科や精神科等々で、患者の心身の有り様をオノマトペで表現してもらう。オノマトペに置き換えられた時、患者の心模様や身体の情況が改善の一歩に踏み出す。曖昧模糊とした状態から脱するきっかけになる。
 ロボットの動きをオノマトペで指示する。のそのそ、ささっと、……、プログラムを設定しておくと、そのうような動作を行う。

 昨今のオノマトペ使用量は、まさに大増殖といってよいほどになっている現状報告だった。
 つまり実感を表すのに、非常に優れた言葉?であり、日本語はオノマトペの宝庫である。
 とりわけ「マンガの世界」には、意味は判らなくても、実感や情感や情動がよく伝わる。
 
 そして現代人は脳科学の調査を必要とする。番組では手抜かりなく報告していた。
 言葉を聞き、理解するときにはたらく部位以上に多くの部位がオノマトペを聞くと働くことが証明された。

 さて、わが野口体操では、まさに動きのイメージを伝えるために、こうしたオノマトペの持つ力を生かしていた。とりわけ『原初生命体としての人間』野口三千三著「原初音韻論遊び」をひも解いてみよう。
 というわけで、今朝は、擬音語、擬態語、擬情語、を書き出す作業を行ってみた。
 今週の土曜日までにどこまで出来るかわからないが、このことをテーマにしてみたいと思っている。
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鮫肌と日本の食文化

2013年06月08日 12時17分51秒 | Weblog
 昨日、第26回「東京国際ミネラルフェア」に行ってきた。本日もこれから朝日カルチャーレッスンの前にもう一度確かめておきたいことがあるので、よってみたいとおもっている。
 で、公式ガイドブックを読んで、感動している。
 私たちの歯と、サメの肌は同じ構造なのだ。
 つまり私たちのからだは、進化歴史・履歴書・記憶を随所に潜めている。
 たとえば今回のミネラルフェアのテーマ「サメの歯と進化」だが、とりわけ「楯鱗(じゅんりん)」(サメ類の皮膚にある小さなウロコ)は、4億年以上も昔の甲冑魚の装甲板に由来し、私たちの歯は楯鱗の構造そのものであるという。
 特別展会場では、この進化の歴史をたどることができる。
 そこには現生種の巨大なサメの歯が展示されているが、歯の長さが14センチもあるカルカロドン・メガロドンの大きさが想像できる範囲を超えていることがわかる。ホエールキラーと呼ばれる所以がわかる。
 独立した顎と顎の筋肉が、サメの巨大化を担保する進化が、「食」の大事さを教えてくれるようだ。

 5億年前の無顎類は、海底表面の泥土から、有機物片を濾しとって栄養源にしていた。骨質の甲で覆われたその断面をみると歯の構造に大変よく似ている、という。
 歯の進化の歴史はそこから始まる。

 現生のヤツメウナギと同様に頭部下側に吸盤を備え吸血生活を送ったものもいるという。デボン紀の無顎類ケハラスピス(ロシアより産出)もいる。

 そこから進化して、クジラを食するものまでつながっていくことになる。
 で、楯鱗(じゅんりん)については、公式ガイドブックに詳しいイラストと説明が載っている。
 露出部を覆うエナメル質層に次いで象牙質層、髄腔が並ぶそうだ。それは歯の構造と同じ。

 因みに、本鮫の皮を貼付けたおろしで、生わさびをおろす贅沢を知ってしまった日本の食文化があることを思い出した。

 サメは「食」と「呼吸」において、私たちに生きることの基本を教えてくれる!
 
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筋肉の記憶

2013年06月07日 07時15分35秒 | Weblog
 2002年度から、大学の体育で野口体操を教えはじめた。
 今年2013年度、12年目に入った。
 今週で、前期授業も折り返し点、残すところ半分となった。

 さて、学生の一番人気は、野口体操のマッサージである。
「ヤバイー、気持ちいー」
 終わった時には口々にこう言う。
「お父さんにやってあげよう」
「お母さんにやってあげよう」
 実際、学期末提出のリポートには、その結果を書いてくる学生がいる。ひとりではない。

 さて、今週はそのマッサージだった。
 ある男子学生の足をマッサージした。
「右足、怪我してます」
「エッ、どうして判るんですか」

 ある女子学生の足をマッサージした。
「球技やってます?」
「はい、高校の時はバスケット、今はフットサル」

 ある女子学生の足をマッサージした。
「柔らかいわね、何か続けている身体系のことあります?」
「はい、ヨガをやってます」

 昨年までは、こうした言葉を学生に問いかけることはなかった。
 からだが硬い、骨盤がズレている、背骨が湾曲している、等々、そうしたからだの状態に気づくことはあったが、言葉にはできなかった。

 10年の壁を、しっかり越えたのかもしれない。
 十代後半から20代前半の若者の筋肉に触れてきた。全員ならば2000人くらいになる。そのなかの一割にも満たない人数だけれど、かなりの学生のからだに触れたことになる。
 いつもマッサージ方法を教えながら、ということもあってそれほど学生が何をやっているのか、と筋肉の質については意識的関心をもっていなかったのかもしれない。
 サッカー、野球、その他の球技、ダンス、クラシックバレー、ボート、水泳、ありとあらゆる身体文化を経験している学生たちだ。

 で、12年度目にして、無意識に触っても、大まかではあるけれど、筋肉の質とつき方の違いがすこしだけ判るようになっていた。
 言われた学生もびっくりしていたが、感じ取れるようになっている私自身に驚いた。
 まさに「ルーの法則」だ。

 ベテランの整体師さんやトレーナーの方々は、さわらなくても立ち姿をみただけで、きっと見抜けることがたくさんあるのだろう。

 思い出すのは、アニマル浜口さんの筋肉だ。テレビ東京の朝の情報番組に呼ばれた時、スペシャルゲストだった。30分の生放送の間、野口体操のマッサージを伝えた。
 その時、アニマルさんは現役を退いてすでに10年は経過したという。しかし、筋肉の量は多く収縮力も強かった。ガチッと、岩のような筋肉が、脚にも腕にもしっかりついていた。
 同じ筋肉が力を抜いた瞬間、みごとに緩んで柔らいだ。あの感触は、しっかりこの両の手に残っている。
 単なる伸び切ったゴムのような“ゆるゆる状態”ではなく、弾力があって指がすーっと入っていくような気持ちのいい柔らかな筋肉の触感だった。痩せていて硬いからだの“伸びを忘れた繊維質”の反対の筋肉である。
 未だに同質の筋肉を持つ学生には出会っていない。
 
 因みに「ルーの法則」だが、現代のスポーツ・トレーニング、体育、リハビリテーションにも、この法則が生かされているという。
●ルーの法則
 生理学における基本法則。
 ●活動性肥大の法則
 ●不活動性萎縮の法則
 ●長期にわたる機能向上制限による器官の特殊な活動能力減退の法則。
 ●合目的的構造の機能的自己形成の原理
 
 まとめると次のように言うことが出来る。
「身体(筋肉)の機能は、適度に使うと発達し、使わなければ萎縮(退化)し、過度に使えば障害を起こす」という法則。
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雑談力……30秒の閾値

2013年06月06日 07時12分20秒 | Weblog
 昨日、夕方のNHKニュースで「雑談力」についてのリポートがあった。
 齋藤孝明治大学文学部教授のインタビュー、学生たちがひとり30秒を基準につぎつぎと相手をかえて雑談する授業がまず紹介された。やすやすとクリアできる学生もいれば、最初のひとことで詰まってしまう学生もいる。同じサークルや趣味を持つ相手とならばスムースにできる雑談だが、難しいのははじめて会った年齢や職業、そして価値観が異なる人との雑談だ。
 もともとメールやSNS等々でのやり取りが出来ても、雑談は苦手だという若者が多いことに気づいたのが「雑談力」を書くきっかけだったとおっしゃる。
 企業でも雑談力を重視する傾向が顕著になった、と実例を報告していた。

 さて、日常をふりかえってみると、30秒という時間は実に微妙なバランス感覚をたもてる閾値であるとおもえる。
 ご近所付き合いでは、まず挨拶し、一言二言かわず言葉は、30秒もかからない。ちょっと長くなってもとりあえず30秒というところだとうか。
 それ以上話していると、周りの誰かに気づかれる確率が高くなる。
「奥さんたち何を話しているの?もしかして、私の悪口かも……」
 よからぬ話をしているのでないか、と誤解を招くこともある。

 実は、おもうところあって始めた町内の「防犯パトロール」での会話も、30秒もかわすとかなり長い部類に入る。
 夕方4時から、週に二日、私は一日だけ、20数名のメンバーが二班に分かれてて巡回する。大半の人ははやくて15分前、ぎりぎり5分前には集会所に集まる。待っている間に思い思いに言葉を交わす。はじめのうちこそ軽い会話に、もの足らなさを感じていた。次第にその間合いをつかむと、この短さが“悪口・非難・愚痴”に入り込まない、一歩手前の時間帯であることに気づいた。
 なんといってもご近所付き合いで大切なことは「波風を立てないこと」が第一原則。
 説教ばあさんが顔を出す前に、その人との雑談は終了し、他の人との違う雑談に移って行くことが“微妙な呼吸感”なのだ。

 しかし、困った問題がある。
 我が家の場合だ。
 隣家の庭木の枝が葉が伸びて、塀を越えてこちら側に入ってきている。そこで頃合いを見計らっておねがいに行く。お母さんが亡くなった後、60代半ばに達している独身の息子さんの一人暮らしだ。
「ごめんください。隣の羽鳥です。おねがいに来ました」
 億劫そうな気配を漂わせて奥から出て来る。
 見ると、顔には“渋々”と書いてある。
 こちらは口角を柔らかくあげてにっこりとし
「あの~、お宅の木がうちの蔵の二階のトヨの上まで伸びているので、切っていただけないでしょうか」
 おそるおそる切り出す。
(トヨに葉が落ちると詰まって大変なんです)とはその時は言わない。
「はいはい、ちょっと体調が悪くて、すぐには出来ませんが、そのうちやります」
(そのうちって、何時なのよ)という言葉は呑み込む。
「よろしくお願いしまーす」
 ふたたびにこやかに笑いかける。
 見ると顔色はそれほど悪そうではない。しかし、こればかりは外からでは判らない。
 このおねがいは30秒以内である。
 波風は立たない。

 内心思うこと。
(体調が悪いとはどこがどんな風に悪いの?年なんだから、植木屋さんか区の高齢者事業の人にでも頼んでやってくれればいいのに)
 これが言えない。言ってしまえば、おそらく喧嘩に発展しそうだし、他家の財政問題に触れそうだ。
 その日は、そこで退散した。
 
 数日後、ゴミを捨てにいったとき、塀にのぼって枝落としをしているところに遭遇した。
「こんにちは、アッ、気をつけてください」
 本当は、(うちが作った塀には、のぼらないで!)と言いたかった。
「はい、大丈夫ですよ」
「柚の木はとげが痛いですね」
「そうね。最近になって実がなったので、この木が柚だってわかったの」
 視線をずらすまでもない。いちばん迷惑な木は、まだ手つかずのままだ。
「二本切ると凄い量でね。それが片付いたら、こっちの木ね」
「よろしくお願いしまーす」
 内心(だからちゃんと本職の人を頼んで、廃棄物料金をはらって持って行ってもらえば、片付く話なの。自分で管理出来なかったら、根本から切ってしまってほしいわ~。以前、トヨが詰まって水が溢れたことがあって大事だったのよ。ヒサシにつかわれている古いガラスに、お宅の木の枝が強い風でぶつかって割れたことだってあるの。そのときのガラス代金は6万円もかかったんだから。因みに大正15年に建てられたものなので、ヒサシには長さ40センチ幅90センチの厚手のガラスが使われている。今では簡単に手に入らないかもしれない)

 とにかくご近所付き合いの難しさだ。
 少し踏み込むと危ない境界がある。地雷を踏むことになる。相手が防御態勢をとっていて30秒以上の会話を望まず、拒否していることが伝わって来る。
 それはパトロールの集合でも同様だ。この場合の30秒以内は、グループを維持する智慧ではあるけれど。
 それ以上を超えると、周りを見回すと関係が上手くいっていない家同士がなくもない。
 難しいのは、そこからどやって30秒の壁を取っ払って、核心にふれた話に持って行くのか、だ。

 植木の枝に関しては、道であった時に何気なくお願いする!ことくらいしか今のところ打つ手はない。
 いづれにしても30秒で誰とでも話が出来るようになるということは、それなりの根拠がありそうだ。
 そこを「技(わざ)」にしてしまうから、斎藤本が売れる。今日にでもまず本を買ってみよう、とおもっている。お次の問題を考えるために。
 これからさきは、各自の智慧と話し言葉の説得力かな?
 60歳の男性に嫁さんを紹介することもできないしなぁー。
 
 様子をみながら、また、頼みに行くしかない。
 30秒の閾値を超えないおねがいは3回まで。
 つまり、90秒の挑戦か? ふーッ。
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これまで……これから

2013年06月04日 07時12分10秒 | Weblog
 3月に誌面つくり協力を引き受けていた冊子が出来上がってきた。
 厚生労働省とつながりがある“一般財団法人「日本健康倶楽部」”の月刊誌『健康日本』6月号。
 風疹が例年にないスピードで流行しているので、その特集を急遽組むことになったとかで、一ヶ月ずれての掲載となった。掲載ページは「健康法ファイル」で見開き2㌻に野口体操を紹介するもの。
 この倶楽部は北は北海道から南は沖縄まで、診療所つきの支部があるようだ。月刊誌は、診療所を中心に病院や医院の待合室におかれる健康情報誌である。

 いわゆる民間ではなく官庁に関連する月刊誌に紹介されるのは、今年になってからの傾向かもしれない。
 もう一つ6月10日過ぎに出る健康保険組合関連の月刊誌「ヘルスアンドライフ」6月号にも紹介記事が掲載されている。ゲラ校正をすませたが、見開き2㌻で明るく楽しい雰囲気の誌面になっていた。

 もう一つ、紹介。
 7月30日(火)、朝日カルチャーセンター・立川校の募集も始まった、と担当者から連絡が入った。『野口体操 からだに貞く(きく)』と題して2時間のクラス。お時間がおありの方は、ぜひご参加ください。

    ********

 今年もはや半年。
 2013年上半期、おかげさまで順調に野口体操ミッションは、すすんでいます。
 8月、9月には鴻上尚史さんと龍村仁さんをお招きして、野口三千三生誕100年記念の「からだとの対話」の企画も起動しました。
 本日のブログは、野口体操ミッション活動のアナウンスをさせていただきました。
 改めて、よろしくお願いします。
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『慶喜のカリスマ』講談社

2013年06月02日 08時17分27秒 | Weblog
 著者の野口武彦氏は、「あとがき」にこう記している。
 新世代の編集者は、いい本は「売れる」本だし、売上高の数字が価値を決める、と嘆いておられる。売れない本ばかりを書いているヒガミ根性が多少はなくもない、といいながら続けて、現役世代の日本人は歴史を学ばない、とかなり痛烈である。政治家が歴史から学ばないだけでなく民衆も同様だとおっしゃる。
《現代においては歴史小説、あるいは歴史小説と称するものが歴史を代行している。いや、歴史小説を読むとも言えない。テレビドラマ、とくにNHK大河ドラマが歴史小説を読む代わりをしているのである》

 実に耳が痛い。私もそのひとりであるから。
 かつて放送になった『篤姫』『龍馬伝』そして今放送されている『八重の桜』を見ていなければ、『慶喜のカリスマ』は、読み進めなかったと正直に告白する。
 
 著者の言辞は鋭い。
 黙読する能力が衰えて、耳から聞く、あるいは動画やテレビ画面のような視覚的媒体なしにはストーリーが読み取れない日本人を、少々言い過ぎのきらいはあるが、断罪するかのようでもある。
 断罪されるひとりに、私も並ぶ。

 さて、この本を読みはじめた当初は、たしかに先に挙げた大河ドラマの役者の顔が浮かんでいた。それによって描かれている人物の色分けが自分のなかで出来てくることに助けられた。
 そして最後まで役者の顔が浮かんでいるか、と問われればそんなことはない。途中ですっかり顔の輪郭は失われ、本の中の文字が生き生きと歴史を語りだしてくれるのだ。
 どれほどの理解が出来たのかは、大それた自慢はできないとしても、自分なりに“歴史をひもといた感”はしっかりと得られたとおもう。

 ここから著者の言葉をそっくり写し取ろう。誰でもが、今、焦燥感をもって生きているに違いないから。

《いちばん顕著なのが明治維新の受け止めかた。現代日本社会では、あらゆる政治家が競って明治維新の仮装劇、というよりコスプレを演じているかのようだ。
 まず、最近政権を手放した民主党は、「政権交代」の淡い短い夢、あるいは「二大政党制」の幻想に煽られるかたちで政権の座についてから、松下政経塾出身という自陣営の新鋭政治家のセールスポイントにしていた。これは政権獲得後はっきりしてきた失望感の広がりのなかで、吉田松陰の「松下村塾」の焼き直しパロディーであることが明らかになった。》
 わかるな~。

《自民党はただ政権奪還だけを自己目的として内輪の権力闘争に終始し、高杉晋作の再来と称する連中の地盤固めと民主党政権が残した負の遺産の相続放棄に余念がない》
 そうだ!そうに違いない。

《小沢一郎が西郷隆盛を気取ったに至っては失笑ものである》
 マスコミも悪いんじゃありませんか?

《既成政党のこんな体たらくに絶望しつつある民衆のはかない期待に乗じて支持をあつめているその名も「維新の会」が、「維新八策」と称して、あからさまに坂本龍馬を真似、またそれが国民の一定の支持を集めている事象を見よ》
 この本の奥付をみると2013年4月22日とあるので、橋下大阪市長の不愉快極まる国益を損なうお騒がせ発言に火がつく前だったことで、ここまでの言葉で終えられている。
 その後であれば、おそらくはっきり言って「馬脚をあらすにいたった」と言われそうだ。

 ドラマの力を借りようとも、この本を読んでよかった、とおもっている。
 江戸城は無血開城となっても、明治維新に日本人が流した血と涙は相当な量であり、大きな犠牲があったことを描く著者の筆は力強い。
『勝てば官軍、負ければ賊軍』の明治維新理解では許されない複雑微妙な歴史が、終章に近づくにつれて、大病を得てからようやく指一本でワープロを打つことができるようになった著者が熱心に命がけで解いてゆく姿とともに、行間ににじみ出てくる。

 そして当時の行き違いは、情報の遅さと混乱によるところが大きい。それではインターネットの速さがあればよいのか、と早急には言えないところに人の世の難しさが文字の裏側に張り付いて来る。
 歴史は単に歴史では終わらず、現代を照応して見せてくれる。
 
 さらに昨今とみに話題になっているビッグデータなるものの「読み」にいたっては、人類史上はじめての経験である。読み違いは当然あるはず。
 インターネット選挙運動を開始して、はじめての参院選で、いったいどのようなことが起こってくるのか、誰にも予想がつかない、ことも見えてくるから凄い。

 内容についてはいわ言わずが花!
 難しい熟語にも、覚えにくい名前の羅列にもめげず、読んでよかった、本であります。
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サメの歯

2013年06月01日 11時36分59秒 | Weblog
 サメは脊椎動物軟骨魚類ということだが、サメの歯の化石は日本古来の伝説上の怪物である「天狗の爪」と呼ばれて、信仰の対象であったらいい。
 有名なのは神奈川県藤沢市にある遊行寺の寺宝。

 ヨーロッパではサメの歯のまわりにギザギザのないものを怪鳥の舌とみなして「舌石(グロソペトラ)と言ったらしい。なぜそのように正体が判らなかったのだろうか。
 それはサメの歯の化石の産出状態による。
 つまり、サメの歯の化石は、一本一本バラバラに産出する。また多産する場合でも、いろいろなものが一緒に出てくるので、その主の正体を復元することが困難だった。
 そこでいろいろな説が交錯する。

 約1000万年前の温かな海には、カルカロドン・メガロドンと呼ばれる巨大なサメがウヨウヨといたらしい。平均的な体長は14メートルほど。ジャンボなものでは27メートルというものまで報告されいるという。
 そうしたサメの歯の化石は、想像力を刺激して、さまざまな伝説を生んでもおかしくはない。

 サメに噛み付かれるのがれることは難しい。それはサメの歯が蛇の歯に似て、内側に倒すことができ、そうなると外には出られなくなる。
 生ものは生きるための装置が巧妙に備わっているものだ。

 サメの歯は、化石としては地味な部類に入るのかもしれない。しかし、生命の形とその機能に思いを馳せて、天狗の歯でもなく怪鳥の舌でもなく、海で遭遇したら恐ろしい生きものとして崇めつつ、会場を見て回るといいかもしれない。

 というわけで、本日の朝日カルチャー「野口体操講座」には、現世種のサメの歯をもっていきまーす。
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