羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

蘇州夜曲

2014年02月28日 13時10分12秒 | Weblog
 終戦が近づくにつれて変化する暮らしを丁寧に描いている「ごちそうさん」に、本日は、すっかり泣かされた。二度も見てしまった。
 何故、それほど泣かされたのだろう。
 一つは妹の希子が歌った「蘇州夜曲」である。李香蘭の歌は、一世を風靡した。二胡の演奏をはじめ、他にもアン・サリー一青窈何人かの人が歌っている。しかし、今日のドラマのなかの歌とピアノの伴奏、アレンジは、満州に向かう悠太郎の複雑な思いと家族の機微にぴったりで寄り添って、政府や軍に無力な人間の悲しみが伝わった。
 当時、「防空法」なるものがあって、戦時体制下で政府や軍の愚かさや非情さを描いている、と言う内容の記事に出会った。詳しく書かれているので、読んでみてください。

 実は、ある方がFBにこの記事をシェアしていらしたので、そこにコメントを書いたが、そのシェア自体がいつの間にか消えてしまっている。どうした現象なのか、よくわからない。
 コメントに書いたことは、因縁話である。
 母方の実家は、今は西新宿の高層ビル街に変貌を遂げた”淀橋浄水場”のわきにあった。近くには小学校もあり、当然のことに延焼被害を少しでも減らすために住宅疎開(住宅を予め引き倒しておく措置)の地域に当たっていた。昭和19年には、当時、幡ヶ谷にあった「東京体育専門学校」に赴任していた野口三千三先生は学生を引きつれて、破壊消防に当たっておられたと言う。不思議な縁を感じたのは、先生だけでなく両親も同様だったことを今日の「ごちそうさん」で思い出したのだった。
 空襲で焼け野が原になった新宿の街に、いち早く戻った祖父は、ころがる遺体に買い置きしてあった線香を一本ずつ手向けてまわったそうだ。
 着流しで通した祖父は、防空壕はつくらせない。バケツリレーで火を消す訓練は、そんなことでは追いつかないバカバカしい発想だとして家の者にはさせなかった。非国民と言われようが、自説を曲げなかったらしい。

 思うに、国会でも問題になっているNHKだが、ドラマ部門は頑張っているな!という印象だ。
 ウクライナ、シリア、スーダン、アフガニスタン、あちこちでおこっている内戦や政情不安やテロ等々、この時期にこうした内容のドラマをぶつけて来ることに、敬意を表したい。
 憲法の問題。自衛権の問題。武器輸出法案の問題。
 いろいろな問題が山積しているが、基本は「戦争はいけない」の一言である。
 ドラマを見終わって最初につぶやいた言葉は、その言葉だった。
 
 祥月命日も近い。十七回忌も近い。ここで、この時に、野口先生の敗戦後の思いに心を添わせて、野口体操の原点を見直してみたい、と思っている。
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時空を超えて“をどる行為”の真髄をありがとう!

2014年02月21日 19時12分33秒 | Weblog
 浅田真央さんのフリーは、本物の感動をもたらしてくれた。
( 朝日デジタルの号外で、おさらいもできます。)
 
 悪夢のリンクで、素晴らしい演技を魅せた真央さんもすごいが、佐藤信夫コーチもすごい。
 おそらくコーチご自身の命をかけた母語による言葉は、リンクへと彼女を引っ張り上げたに違いない。かけた言葉は想像するしかない。しかし、その言葉は金よりも重い価値があることを、暗黙のうちに教えてくれる。
 御年72歳を襲った想定外の出来事は、72年の経験だけではどうにもならない状況だったはず。
 半世紀ほど年の離れたコーチは、彼女に残されている人生の長さを、当然のことに考えたはずだ。 
 今、この状況のなかで、フィギュアスケートだけが人生ではない、と、言えるならどれほど楽だっただろう。
 コーチの胸の内は想像にあまりある。
 賽は振られた。腹を切る覚悟をもって、リング上へと誘ったに違いない。
 失意から立ちあがらせる場は、同じリンクの上にしかない。
 商業主義に負けるな、マスコミに負けるな、政治に負けるな、潰されてたまるか!と、思った人は多いと思う。
 しかし、それよりも、そうした下世話なことを超えた力が働いたとしか思えない結果が産まれた。

 私は思う。
 歴史をひもとけば、日本人が長年に渡って培ってきた“舞い踊る伝統”が、真央さんの氷上の舞に昇華した瞬間に立ち会えたことは幸せだった。
 洋の東西、時空を超えて、純粋に“をどる行為”の真髄を開いてみせてくれた瞬間に立ち会えたことは幸せだった。
 
 2014年2月22日付け朝日新聞「天声人語」は、ラフマニノフの調べを奏でつつ、なかなかに味わい深く綴られていたことを最後に記しておきたい。
 
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耳が指向性マイクになるとき

2014年02月14日 10時01分32秒 | Weblog
 前回のブログは「二重苦」の話を書いた。それからほぼ一週間、二つともすっきりした解決には至っていない。しかし、不思議なことが起こった。それは、ある事実に気づいた時、そして気づいたことを言葉にしてみた後に、二重苦が気にかからなくなった。
 具体的に言うと、知らないうちに受けていたストレスの原因と、騒音や振動を不快に思うことの相関関係に気づいたからに他ならない結果だ。
 身体的には、耳が指向性マイクになって、騒音と振動の低周波を拾ってしまっていた。
 指向性マイクがオンになると、そこが道路上でも、行った先の建物内でも、立ったところで足が耳になっている。いやはや、都会からモーター回転音を消すことは出来ない。それどころか、それらが混じりあってうなり現象を起こしているのだ。
 こうした経験は、2003年に突発性難聴を患った時と同様だ。その時ほどではないにしても、全てのモーター音が、私の耳の指向性マイクによって集音しているようだ。
 それならばオンをオフにするために、静寂そのものの鄙びた山里に行ってみたら、とも考えた。今の状況では出来ない相談だ。そう思うこともストレスになる。そこでこんな風に思うことにした。もし、かりに出かけていったとしても、今のオン状態では、静けさのなかから“シーン”という音を拾って、今度は自分の中の耳鳴りに不快な思いをするに違いない。

 時系列は後先なるが、今週の水曜日に、騒音問題と母の問題を相談することにした。その時には、まだ耳の指向性マイクには気づいていなかった。実は、相談することによって、気づかされたのである。
 つまり、双方の関係は密接だった。
 
 まず、騒音問題から。
 その日の午前中に、この家を建てた工務店の社長さんが、我が家に駆けつけてくれた。
 昼間でも騒音と振動が伝わる場所、といっても二階の部屋の全てなのだけれど、くまなく横になりながら確かめてくれた。
「聞こえませんねー、振動は感じませんねー」
 怪訝な面持ちで、家の外まわりもしらべてくれた。
 ところがである。私のからだは、全ての場所で振動を感じている。
「おかしいですね。それでは、マンションの管理会社に連絡をしてご覧なさい」
 そういって帰っていった。
 さっそく管理会社に電話を入れた。先方は住人についてよく知っているらしく、いくつかの理由を挙げて、手を打ってくれるという。つまりソツなく対応してくれたわけだ。もしかするとこのマンションの騒音だけではないかもしれない、と思わなくもない。
 そんなわけで一件落着とはいかないが、午後からは次の問題にさっそく取りかかった。

 妻が若年性認知症になって介護の再中にある従兄に電話を入れた。運良くディケア・サービスに行っている時に電話がつながった。話しているうちに「認知症患者をもつ家族の会」の世話役を引き受けていることがわかった。それも三つほどの団体に関わっている、という。
 さすがに話はよく通じる。小一時間ほどの会話で、私自身が危惧している問題をはじめ、いくつかの他の問題を冷静に考えられる方向に誘導してくれた、と電話をきってしばらくしてから気づいた。
「もう、いい娘になるのはやめよう!」
 一つの結論である。
 いい娘をほぼ二ヶ月の間、続けてきた。手代わりがないから、誰かに頼むことなど、はなから考えないことにしていた、らしい。

 気づいたことの一、
 朝、起床の時の母との関係が重荷になりはじめていた。
 母は、夢が完全に覚めやらぬうちにトイレにいく。その上、この寒さである。相当に腰が痛いたらしい。
 当然、おかしな言動につきあうことになる。
 しかし、そのままでは一日が始まらない。そこで正常値に戻すべく、トイレから戻ってくる彼女の動きを見ながら、着替えに誘導し、さらに口腔ケアと洗顔、座薬の投入、そしてソファに座らせるまでに30分~40分をかけて落ち着かせる。
 夜は、だいたい8時に赤ちゃん用の沐浴剤(スキナベーブ)でからだを拭き、最後には足をおなじ沐浴剤入りの湯につけて洗いながら暖める。下着を取り替えパジャマに着替え、座薬を入れる。そしてしばらく話をして就寝までの時間を全体として1時間ほどつきあっていた。
 それを一日も欠かさず行っていた。
 いつまで続くのだろう、という嫌気。

 気づいたことの二、
 その我慢が、騒音問題に絡んでいたのにちがいない。
 毎晩ではないが、三日に一度くらいの割合で、夜8時過ぎになると、階段の一部に騒音とともに振動が伝わってくる。それが残っていて就寝時に床に寝ているからだ全体へ、振動として伝わり、睡眠を妨げていること。
 洗濯機を使用すると振動はもっと激しい。
「都会暮らしだから、夜の洗濯をやめて欲しいとは言えないよぁ~。11時くらいはしょうがないのかなぁ~。私の寝る時間が都会の常識からすればはずれていてはやすぎるのかもしれない」
 殊勝な思いに自分を閉じ込めた。
 そこで突発性難聴を患ったときのように、耳栓を両耳にあてがって就寝することにした。
 ところが
「あぁ~、厭だ」
 朝の母と、夜の騒音振動にいささか心身が刺々しくなってきた。
(心身の棘の在処は、そればかりではなさそうだ。たとえば、東京都知事選挙はなんだか面白くなかったし、NHKはひどい状態だし、時の総理には何かが憑いているんじゃないか。とか、今の日本が大政翼賛会の方向に走り出してはしないか。とか、窮屈な日本になってしまったら。とか、田母神氏へ20代と40代が投票している背景はなにか?とか。さらに冬期オリンピックは緯度の高い西欧近代の価値観で出来上がっていて、黒人選手がいない。そして日本人はなかなかメダルに手がとどかない、とかが遠因であろうか……)

 さておき、
「まてよ!この振動不快感は突発性難聴の時とよく似ている。あの時は、耳の状態が良くなるに従って、指向性集音マイクがオフになってくれた。決して街や建物内に響くモーター音がなくなったわけではないのに」
 かつての経験を思い出した。

 いい娘はやめよう。
 母に、思いの丈を話すことにした。
 介護付き老人ホームに入ってもらって、中途半端な自立を求められたら、近所であるばっかりに頻繁に通うことになる。二世帯の住宅を持つことと同じじゃないか。お母さんのわがままは、許してもらえないよ。
 ただしこのままでは自分のからだがもたなくなる。考えれば考えるほどに八方ふさがりだ、と正直に母に伝えた。
 そうしたからといってすぐにどうにかなるわけではない、とは思うが、言うだけ言わせてもらった。
 だからといって、その晩も、母の世話をやめることはしなかった。
 不思議なのだけれど、話を理解してくれただけでなく、回復の方向に向かった。母の動きがよくなっていた。少しずつだが変化が起きたのだ。
 
 その後、私自身も、ゆったり風呂に入り、体操をし、特にこのごろテーマにしていた「舞踏」、人は何故踊るのか!?そしていちばんの懸案事項「野口体操の今後について」等々についても一切合切ひっくるめて忘れることにした。
「なるようにしかならない。先のことをくよくよするのはやめよう!」
 そこで遅くなっていた就寝時間もいつもの通りに戻した。するとどうだろう。翌朝までぐっすり眠ることができたのである。
 かくしてたった二日だが、指向性集音マイクがオフになっている。

 言えることは、気づくことで全てがきれいに解決するわけではない。解決はしないが、今のところの問題は、自分で行動する中で気づくことができれば、少しは楽になれる程度の状況だった、と言えるのかもしれない。
 まッ、全ては時間の問題だし、何がおこるかわからない。その時に考えればよしとしよう、が今日のところであります。
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二重苦

2014年02月08日 12時29分38秒 | Weblog
 このところの寒さで、人ははやく家路につくらしい。隣人たちもその例にもれず。
 実は、我が家の隣には、ワンルームマンションがあって、どんな人が住んでいるのかはわからないが、皆の帰宅がはやくなっているらしい。夜になると建物全体が大きなうなり声をあげる。
 うなり声と言っても人の声ではなく、何世帯ものモーターがまわる音が、ブーンブーンうなり現象を起こしているのである。
 さらに最近になって越してきた人だろうか、夜10時前後から洗濯をはじめて、11時頃まで洗濯機のまわる音が加わるというおまけがついた。
 床に入ると音というより、床と壁が振動を受け取って、うるさいことこの上ない。
 最近の寝不足は、これに一因している。
 一つめの苦。

 二つ目の苦は、母の痛みが再発したこと。
 明け方、トイレに立つ時の痛がる声が、静まり返った空間に鳴り響くのである。
 さすがいたたまれなくなって、かかりつけの内科の医者に、痛み止めの座薬を処方してもらった。
 長期に飲む痛み止め薬は、胃ばかりでなく腎臓を悪くすると整形外科の医者から聞いた。なのに、飲み薬を処方するのは、自分で座薬を入れるのは難しいだけでなく、他の人も入れたがらない、本人も恥ずかしい、ということなのではないか、と勝手に推察している。

 父が癌の末期に、座薬の鎮痛剤を使っていた。母は、これには関わりを持とうとしなかったので、私が引き受けた。すぐに慣れる。先端を暖めて緩めておくと、なんということはなく肛門に入って、本人は痛くもも何ともない。
 尾籠な話で恐縮だが、せっかく座薬を入れた後に、便意がきたり、下痢をすることも何度も経験した。
 また、すべて一からやり直しだ。はじめのうちは手袋をはめていたが、そのうちに素手の方がやりやすく手間取らないことに気づいた。最近では町のドラッグストアで、それ専用の薄いゴム手袋を売っている。当時はそんな重宝な物があるとは考えもせずにいた。

 で、昨晩は、座薬を入れる入れないで、母ともめた。
「また、痛むとは限らないでしょ。薬はあまりつかいたっくないのッ!おせっかいで、しつこいんだから」
 ムッとなって、ケンカ腰。
 そのまま床についたら、隣のマンションの騒音に見舞われた。洗濯機は小さく狭いベランダに置いてある。たまったものではない。母とは別に暮らす、引っ越しを本気で考えた。
 そんなわけで頭はカッカして、足は冷たくなる。
 階下では、案の定、痛がる声がしている。

 我慢しきれず起き上がって、お風呂を湧かすことにした。
 今度は、待つ間に、座薬を入れようと優しく声をかけた。
「お風呂から上がってやると湯冷めするから、今でしょ!」
「今でしょ!」と二・三回、連呼した。
 さすがに痛さから、今度ばかりは素直になった母。
 
 というわけでお風呂であたたまって、12時過ぎにようやく床についた。
 二重苦の夜は更けていった。
 そして、明け方にモーターのうなり現象もなく、痛がる声もなく、静かな朝を迎えた。
 しんしんと降り積もる雪。
 朝日カルチャーは、本日、休講との連絡をいただいた。
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上質な時間

2014年02月07日 14時19分18秒 | Weblog
 南青山、246の大通りを入って外苑西通りの一角にあるライブハウス「MANDALA」。
 あまりの寒さに、暖をとりたくて飛び込んだわけではない。
 友人が出演するREADING LIVE『岸田國士を読む』を聞くためだった。

 開演、15分前。すでに満席に近く、ようやく空き席を見つけて腰を下ろした。
 ドリンク付きの公演で、はじまる前の一時、といっても10分あるかないかの短い時間だったが、砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒーをすする。
 部屋と飲み物の暖かさに、固まっていたからだが一気に解けた。
 カップを持ったまま、見るともなしにまわりを見回す。若者からシニア世代まで幅広い客人たちは、どうみても演劇のプロか、あるいは目利きぞろい、と拝察。
 私のような演劇門外漢はいないようだ。椅子の堅さがそのまま居心地の不安定さにつながってくる。
「どんなReadingがはじまるのだろう。……わかるかしら。……寝てしまわないかしら」
 次々、後ろ向きな問いが、浮かんでは消える。

 定刻に、一つ目の出し物の戯曲『世帯休業』がはじまった。すぐにも先ほどの思いは杞憂に過ぎなかった、と安堵する。40分ほど、男女ともによく通る声、滑舌もよく、実に言葉が聞きとりやすい。

 15分の休憩後、いよいよ常田景子さんが出演する小説『記憶のいたずら』がはじまったが、彼女の登場までには少し時間があるようだ。……いったい何の役なのかしら、と心の中でつぶやく。
 前半が終わって中盤にさしかかったとき、かつても今も知的で美人のお産婆さん役で登場。
 見るほどに、つややかな彼女。ホントに彼女しかいない!ピタリの役だ、とすぐにも久々の舞台出演に合点がいった。
 
 話の内容をかいつまんでおこう。
 予定日よりはやく産気づいた妻のために、昔から気にかかっていた産婆さんを頼む夫とお産婆さんの偶然の出会いを描いている。
 そのお産婆さんの名が、子供の頃憧れていた相当年上の女性と同姓同名であることから、看板の文字がしっかり記憶に残っていた夫だった。
 最後には、同姓同名ではなく、その人そのものであることがわかる、という内容。
 あからさまではないけれど、50代を迎えたお産婆さんの来し方が、おぼろげに見えてくる。
 そして、少年の淡い初恋にも似た感情が、最後に、女児出産を無事に終えた妻の一筋の涙で、そこはかとない余韻としてもたらされる小説だった。

 戯曲、小説、ともに美しい日本語、端正な日本語の空間が出現していた。
 その言葉の端端には、忘れかけた近代日本語の原型が残されていた。
 はたして最近の私の言葉は、あまりにも乱暴じゃないか、と対比してみる。
 江戸ではない東京山の手の言葉遣い。
「NHKのアナウンサーの言葉もすでに近代言語ではなく、現代語になっているし」
 それは言葉だけではない。発声もかわった。明瞭、明確、澄んだ声だが、重さがない現代の発声。
 実は、ここ数年、サークル活動から大学主催の学生演劇を主に見てきた。いつも思うことは、男女ともに声が美しすぎる。発声に無理はないのはよいが、「楽音」だけで話されいるような、かすかな不満を抱くときがあった。

 実は、このReading作品には、二つともに出てきた「縕袍(どてら)」という言葉がある。分厚い綿入れ、銘仙のような柄いきは、子供達の遊びにおける山賊の衣装に向いている。「ど・て・ら」という音にも、文字にも、「軽・薄・短・小」とは真逆の「重・厚・長・大」の雰囲気が宿っている。
 しかし、時代はかわった。
 あの場に居合わせた若者は、縕袍を見たこともなければ、ましてや着たことなどないだろう。
「縕袍」という言葉に、物に、日常着として健在だった時代の声を私の耳はしっかりつかんでいた。
 日本人の発声が、完全な欧化ではなく、まだまだ戦前・戦中・戦後間もない頃の、むしろ明治とつながる日本語の発音が残っていた時代に戻された。
 縕袍を着ていたおじいさんや、近所のおじさんの顔が浮かんで、思わず笑いをこらえた。
 たぶん、キャストのなかで最高齢(失礼な物言いをお許しください)の常田さんが、あの時代を直に知っているギリギリの世代だろうか。ちょっとザラツキ感がある声と発声が、岸田國士の戯曲に時代的な幅をもたせたのではないだろうか、と依怙贔屓して聞いていた。

 それはそれとして、忙しない私の日常にすーっと入ってきた上質な午後。最近の暮らしから言えば、何気ないがまったりした異次元のときをMANDALAで過ごしてそこを後にした。
 大した距離でもないのに、しびれるほどの寒さを纏って外苑前のホームに立ったのは、5時を少しまわっていただろうか。
「もっとゆっくりしていたかった~」
 それが叶わない今を、ちょっとだけ恨みながら、渋谷駅で山手線(やまのてせん)に乗り換えた。
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現クロ「ユマニチュード」2月5日放送

2014年02月06日 09時28分55秒 | Weblog
 フランス人イヴ・ジネストさんが、提唱する「ユマニチュード」のリポートを見た。
 因みに「現クロ」とは、NHK総合、夜7時30分放送の「クローズアップ現代」の略らしい。

 さて、昨晩の放送は、認知症ケア『見つめて、触れて、語りかけて』を、方法論としても確立されたケアの紹介だった。
 ジネストさんの講演とワークショップを受ける看護士さんや介護関係の皆さんの様子。
 そして調布の救急病院での実践を紹介していた。
 救急医療現場では、救急搬送された高齢者の認知機能が衰えていると、苦渋の選択として患者の手や足、からだを拘束しなければならない場面が多くあるらしい。そして、病気は治っても認知症が進んでしまう。
 たとえば入院前には一人で歩くことが出来た患者さんが、入院を機に立てなくなり、歩けなくなる。結果として、病気は治癒しても、認知症が進んだ状態で自宅に帰され、本人と家族にとって新たな大問題が発生する。
 そこで「ユマニチュード」のケアを参考にしようという話だった。

 さすがにシステマティックに考えられた方法は、全ての患者に有効とまではいかないだろうけれど、相当な効果を発揮できそうだ。
 まず、患者を見下ろさず目の高さ正面で、まっすぐ見つめる。
 そして話しかける。
 とくに触れ方で大事なことは、腕等をつかまいこと。強制しているように患者を扱わないためだ。
 からだを拭くとき、からだの状態を変えるとき等は、細やかに話しかけながら、次に行うことを語りかけながら触れる。

 実は、このリポートを見ながら、12月末にかつて患った圧迫骨折の後遺症、つまり腰や横腹、たぶん肋間神経通と思うが、痛みに苦しんでいる母の介助をする時に、自然に行っていた方法だと気づかされた。
 どうして出来たのだろうか、と自分自身に問いかけていた。
 朝の着替えや、洗面、口腔ケアの介助。
 夜の8時からはじめるからだ拭きの折りに、やってもらう人が気持ちよく、やってあげる人が楽である、つまり野口体操のマッサージの考え方を取り入れて、見つけた方法が「ユマニチュード」と酷似していた。
 さらに番組を見た後、8時から母にいつも以上に本気を出して、これまでの方法をもっと洗練させてみた。
 いやいやいや、楽だし、気持ちよさそうだし、お互いによい関係を築けたように感じたのだった。

 昨日、2月5日で、毎晩のからだ拭き(赤ちゃん用の沐浴剤を入れた湯)は、一ヶ月と25日になった。
 少しずつ変化が起きてきている。1月半ばには、母は動きが呼吸をつかんだらしく協力的な動きができるようになった。
 からだを拭きながら着替えをすませ、その後に顔を洗ったり、歯を磨く時間はおよそ時間は30分。
 ソファに腰掛けて、就寝前にニュース等をみながら、しばらく静かに過ごす。9時半頃に床につく。
 
 最後の質問にジネストさんが答えていた。
「人格を認めること」
 一人の人間として尊重しながら、接することだそうだ。

 ひとこと。
 野口体操の考え方や動き方、触れ方、方法論は素晴らしいと思った。
 介護される人、介護する人が、この体操を身につけてくれると、いいなぁ~と思うのであります。
 少なくとも介護する人には、知って欲しい野口体操だ。
 相手の状況は日々かわり、その変化は小さくとも同じ状態は一日としてない。それに応じるためにも、実際に楽にからだが動くこと、次の動きの先が自然に何気なく読めることが大事だと思った。段取りはその都度直感する力が必要条件だ、とも言える。
 野口体操から、高齢化の時代に、提案できることはたくさんありそうだ。
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《天下布舞》麿赤兒

2014年02月05日 12時13分24秒 | Weblog
 昨年の秋ごろから、場所をかえて置かれていた一冊の本がある。
 あるときは座敷の机の上、あるときはパソコンの脇、あるときは積み上げられた資料や本のいちばん上、というように放浪状態にあった。
 表紙の顔が怖い。おどろおどろしいのは顔だけではない。下にある左手をかざすような右手、双方ともに死を呼び寄せるような気配に満ちている。
 読みたくない。でも、読まねばならぬ、と義務感に苛まれて、数ヶ月が過ぎた。

 しかたがない。読むか!
 意を決して本を手にとった。

 外は静かだった。
 ぐずる心をあやしながら、それでもすぐにとはいかず、障子をあけてガラス越しに外の様子を確かめた。
「ぼた雪?」
 雨がいつしか雪に変わって、町を白塗りにしてゆく。
「ここも白塗りだ。やっぱ、読まねば」
 そのまま視線を手元に落として、表紙をひらく。
 今度は、ウエディングドレスまがいの衣装で、をどる姿の全身写真が目に飛び込んでくる。
「あぁ~、アァ~、何んてこった」
 写真の横に『怪男児 麿赤兒がゆく 憂き世 戯れて候ふ』 麿赤兒 朝日新聞出版 とある。
 溜息まじりに次のページをめくる。
「はじめに」を読みはじめたのは、昨日の昼すぎのこと。

 それからがいけない。
 虜になった。
 一気に読み終えた。
 とにかく面白い。文章が生き生きとして、笑い転げて、涙がこぼれた。
「何処までがホントの話なの」
 ホントでしょ! 細部には多少の(かなりの)脚色があっても、おおむねホントの話だろう。
 ここまで面白く書かれると虚実皮膜状態で、狐につままれそう。
 まッ、いいか。役者の筆だ。アナキーな町、新宿に育てられ、中央線文化にも関わった舞踏家の書だから。
 何を隠そう、新宿生まれの新宿育ち、明治から三代目の私には、描かれている1970年代が肉感的に迫ってくるエッセイだった。
 
「こんな感じ、どこかで記憶がある。……デジャビュ感覚だわ」
 これまでに読んだ本を、脳の本棚に辿るまでもなく、とっさに出た。
「宮本輝だッ」 
 悲鳴を上げる私。
「輝さん、ごめん。あなた様の本を超えて面白いのでありますョ」
 
 その時、なぜか、帯を読み返した。
 読み終わるまで目に入らなかった文字が、ボーンと広がった。
《はじめての痛快自伝エッセイ》
『痛快』の二文字が、文字列の中から大きく顔を出した。
 なぜ、数ヶ月も表紙の顔が怖かったんだろう。
 今度は、笑っている。
 今度は、泣いている。

《天下布武》ならぬ《天下布舞》の面白さ、痛快さだ。
 舞踏界の信長殿、3月29日に、朝日カルチャーでお会いするのが、楽しみになりました。
 本の内容は、ここにあえて記すまい、と思ふ。
 まだ、お読みでない方は、ぜひに一読をおすすめいたし候ふ。
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異空間『又』大駱駝艦公演

2014年02月03日 08時25分27秒 | Weblog
 住みたい町、吉祥寺。
 静かな住宅地に入っていくとば口に、異空間が出現する。
 ビルの地下、暗闇で蠢く白塗りの男女たち。
 実に面白かった。言っちゃいけないこと、おこられそうだけど、言ってしまおう。
「ある意味で、ピナ・バウシュの世界」より面白い。何故って、私が日本人だから。
 大駱駝艦で、舞踏を観た第一印象である。
 
 田村一行振鋳・演出・美術『又』、8名の踊り手による作品。
 舞台は、都会でもあり、田舎でもある。
 現代でもあり、過去でもあり、そして未来のある時でもある。
 時空間は異空間であった。
 当然、彼らは、彼女たちは、大人でもあり子供でもあり、幼児でもある。
 ふざけていて、大まじめで、人を食っていながら、食われていく。
 よくわかるようなわからないような幻惑を覚える。
 でも懐かしい。人間って、存在って、こうなんだ! 懐かしさをともなった感情で納得してしまう。
 
 大道芸のいかがわしさかと思えば、一方で、神に逆らいつつ神に祈りを捧げる行為でもあるをどりの世界だ。
 一人ひとりがとことん人間的で、とことん獣的で、皆の思いが一体となって、神がおわす異空間で祈りを捧げる遊びが繰り広げられる。

 突然だが、「石」とは、崖の象徴「厂」+祝詞をいれた器「口(サイ)」。甲骨文の殷の時代にすでにつくられている文字である。
 言いたかったことは、吉祥寺という街の日常に、穴をほって崖をつくり、舞台という名の祈りの器を置く。その行為、それが舞踏だと言わんばかりの舞台だった、ということだ。
 それはそのまま位牌である。「いはい」とは、元々、「示石」の一文字で記されるものであり行為でもある。 祖先を祭る場としての廟(みたまや)である。そこではタブーはない。素直な汚れない想像力があれば、何事も許されるはずだ。
 別の言い方をすれば、本来の「示石」とは、人々の憶いを遠慮もなく思慮もなく、存分に戯れごととして「をどる」行為が許される場なのだ。

 日本人が培ってきた芸能(をどる行為)として、この作品は、作品自体が、もっともっと磨き上げられることを願っている。もっともっと、研ぎすまされることを祈っている。
 そして、4名の女性の肉体が、観るものを日常へと引込む。をんなのからだは演じても演じても、“をんな”を捨てきれないことも面白い発見だった。やはり産む性の宿命を担っているのか。その肉体は、理性をもって制することはできない、と知らしめている。
 
 立春間近に、日曜の午後のひととき、よきものを魅せてもらった。
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アルティメットってご存知?

2014年02月01日 11時49分59秒 | Weblog
 後期(秋学期)のリポートに、DVD-Rを提出した男子学生がいた。
 題名は『アルティメットと野口体操』。
 最初に「アルティメット」という言葉を聞いたのは、後期授業の10回目ころだから昨年の12月だった。まずそれぞれにリアクションペーパーに書いてもらって、次の週に一人ずつ返却しながら、最終的に提出するリポート内容の相談を受けたときだった。その結果がこの一枚に集約されてきた、というわけだ。
 アルティメットをGoogle検索すると次のように書かれていた。
《バスケットボールとアメリカンフットボールを合わせたような競技で、フライングディスク(いわゆるフリスピー)を用いる。100メートル×37メートルのコートを使用する。コートの両端から18メートル以内はエンドゾーンと呼ばれる。7人ずつ敵味方に別れて1枚のディスクを投げ、パスをつないでエンドゾーン内で、ディスクをキャッチすれば得点が記録される。1960年、アメリカ合衆国ニュージャージー州メイプルウッド市のコロンビア高校の生徒ジョエル・シルバー君によって考案されたニュースポーツ。》
 世界選手権やクラブチームトーナメント等々もあるようだ。
「アルティメット」とは「究極」のこと。この競技は“走る・投げる・飛ぶ”といった全ての要素が織り込まれている。ディスクの大きさは27センチ、重さは175グラム。相当な飛距離である。宙に浮いて飛んでいくわけだから、キャッチするのに高く飛び上がる必要がある。落としてはいけない。セルフジャッジだそうだ。

 で、学生がつくりあげたビデオは、自宅の和室で自身がおこなっている野口体操の動きの映像+公園で学友に手伝ってもらってアルティメットの基本的な技術を行っている映像。別々に写したり、画面を半分に割って、それをドッキングさせて「合体!」と文字を入れる。
 野口体操の「上体のぶらさげ」や「腕まわし」等々が、アルティメットの技術と共通性があり、それがどのように活かされるかを映像とナレーションで説明していくものだった。

 今までに野球や水泳やボート、剣道その他の武術等、文章や写真を使って野口体操を活かすリポートはいくつもあったが、動画撮影されたDVDが提出されたのははじめてだった。説明も上手く、非常にわかりやすくまとめられていた逸品である。
 撮影機器の進歩と編集の手軽さが許される時代の産物である。
 一昔前には、ここまでやるには相当な手間がかかり、かなり難しかった。時代が変わった!
 大学一年生といえば、1995年頃の生まれだ。まさにデジタルネイティブ第一・第二世代である。

 こうしたリポートを見ていると、そろ65歳の我が身にもうずくものがある。
「つくってみたいなぁ~」
 一つは、『地球46億年の旅』朝日新聞出版 のように、スマホをかざすとCGの動きを見ることができる野口体操本。
 もう一つは、BGMはもちろん動きにストーリーを持たせて、ステージにあげる。そのとき動きにChoreographyを重ねて、野口体操の内容をさらに拡張させていくようなもの。そのヒントになったのが『enra”pleiades”』Parfomande & Choreography Saya Watatani Maki Yokoyama の作品。2013年の「紅白」では、嵐のステージ場面でも使われていた。
 あか抜けた作品に仕上げたーい、のであります。
 それにしても最近の私のブログの題名や文章には、一瞬では意味がわからないカタカナ語が増えてきましたね!!
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